雪椿のみちと護摩堂山

雪椿のみちと護摩堂山


【日時】 2020年1月4日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 新津丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 護摩堂山・ごまどうやま・271m・なし(268.3m・一等三角点補点)・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/矢代田
【コース】 菅沢より大沢鍾乳洞口往復、菅沢から護摩堂山周回
【ガイド】 新潟県観光協会「中越北陸自然歩道ルートマップ」

【時間記録】 6:55 新潟=(R.49、茅野山IC、R.403、兎谷、丸太、橋田 経由)=7:50 菅沢〜8:10 発―9:45 大沢鍾乳洞口―11:20 菅沢―11:40 県道口―11:50 登山道分岐―12:06 護摩堂山―12:23 林道口―12:37 菅沢=(往路を戻る)=13:45 新潟
 新潟平野の内陸部の縁に沿った、新津、加茂、五泉の中間に広がる丘陵地を、新津丘陵と呼ぶ。この新津丘陵では、一等三角点も置かれている護摩堂山がハイキングの山として親しまれている。この山には、かつて山城が置かれ、南北朝時代(14世紀)には戦いの場になったと伝えられている。応永の大乱(1423年)では、中条町に拠点を持つ武将中条房資が一族を護摩堂山の要害に分勢し、田上原で守護代の長尾邦景と戦ったという。現在では、本丸跡、お屋敷跡、矢場、空堀跡等の遺構が残されている。山頂一帯には、あじさい園が設けられ、この時期は特に賑わう。

 少雪のためにまだスノーシュー歩きができないでいる。それなら冬枯れの歩きを楽しむことにして、「中越北陸自然歩道 雪椿のみち」の菅沢から大沢鍾乳洞口までの区間を歩くことにした。大沢鍾乳洞口から長瀬神社の区間は歩いているが、この区間には名のあるピークがないため先延ばしになっていた。往復後、体力が残っていたならば、同じ自然歩道の護摩堂山までを歩くことにした。
 菅沢へは湯田上温泉から入るのが普通であるが、県道が冬期閉鎖のため、新津丘陵の東に大きく迂回する必要があった。菅沢の集落を越した先が、大沢鍾乳洞方面への自然歩道の入り口になる。冬期閉鎖の通行止めのゲートはそのすぐ先であった。
 入り口には、自然歩道の標柱が立てられ、入ったすぐ先には簡易水道かなにかの施設があり、その金網には新津丘陵の里山マップが掲示されていた。このマップはこの先にも数か所で掲示してあった。
 砂利の敷かれた林道を進むと、すぐ先で分岐となり、標識に従って右の道に進んだ。谷間の道に進み、頭上を通過する送電線の下に出ると、尾根に上がっていく階段が現れた。事前の予想ではもう少し谷間の林道を進むものと思っていたが、標識に従ってこの階段を上ることになった。急傾斜の階段で、階段も痛みが進んでおり、足元に注意しながら登ることになった。
 ひと汗かいて尾根上に出ると、脇に送電線の鉄塔が建てられていた。この先は杉林がほとんどの尾根歩きが続くことになったが、結構アップダウンもあった。途中、送電線の巡視路や古くからの山道が分かれたが、分岐にはかならず自然歩道の標柱が置かれており、迷う心配は無かった。現在地を把握することが難しいコースであるが、三番目の送電線鉄塔がほぼ中間点となる。
 223標高点の南で林道の終点広場に出ると、菅名山塊や川内山塊の眺めが広がっていた。その先の284mピークを越すと大下りになって、県道に下り立った。その向かいが大沢鍾乳洞への入り口になるが、「雪椿のみち」の後半は、別の機会にてということで来た道を引き返した。284mピークへの登り返しを頑張れば、後は小さなアップダウンが続くことになる。
 単独行が追い抜いていったが、引き返してはこなかったので、どのようなコースをとったのか疑問が残った。「中越北陸自然歩道」は、起点と終点への公共交通機関を考えていないところが問題である。最近では、各地に整備された自然歩道の話は聞かなくなっており、一旦整備されたコースも荒れてきている。
 菅沢に戻ったところで、もうひと頑張りして菩提寺山にも登っていくことにした。まずは湯田上温泉方向への県道歩きとなる。初めは二車線幅であるが、途中で大型車進入禁止の一車線幅の道になる。二番目のカーブ地点が菩提寺山の登り口になる。ここも標柱が置かれていて迷う心配はなかった。
 再び急登に汗を絞ることになった。道は良く整備されているものの、歩く者は少ないようであった。結局、トイレの脇で湯田上登山口駐車場からの一般コースに合流した。登る途中、何人もの登山者とすれ違った。ただ、到着した山頂では、二人連れが食事をとっているだけで、静かであった。この日に歩いているのは、常連のようで山頂をそのまま通過しているようであった。
 菩提寺山の山頂からは、菅沢口へ下山した。歩いている者には会わなかったが、登山道は泥んこ道になっていた。菅沢口で右折し、林道を下っていくと菅沢の集落に出て車に戻ることができた。

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