高津谷高原

高津谷高原


【日時】 2019年12月15日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 長岡東山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 高津谷城跡・たかつやじょうせき・369m・なし・新潟県
 ちのみね城跡・ちのみねじょうせき・409m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/栃尾
【コース】 登り:新道コース 下山:旧道コース
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:15 新潟発=(R.49、R.403、三条、見附、加津保 経由)=7:50 駐車スペース〜8:08 発―8:28 新道登山口―8:42 尾根上分岐―9:11 高津谷城跡―9:43 ちのみね城跡〜9:50 発―10:13 高津谷城跡―10:35 分岐―10:55 旧道登山口―11:00 駐車スペース=(往路を戻る)=13:10 新潟着
 高津谷高原は、長岡市の東山連峰北部、榎峠の北側に位置している。ここにある二つのピークには、地図には名前は記載されていないが、それぞれ「高津谷城跡(369m)」と「ちのみね城跡(409m)」の城跡が置かれている。高津谷高原への道は、長岡東山ハイキングコースとして整備されている。この一帯は、東山油田の跡で、現在でも油田の跡が山中に見られる。

 暖かい日が続いて、先週の雪もすっかり融けてしまったので、長岡・東山連峰の高津谷高原に出かけることにした。長岡・東山連峰は重点的に歩いているが、高津谷高原は2000年11月に登ったきりになっている。
 最近の情報を調べると、榎峠に向かう車道のヘアピンカーブ地点から歩き出す新道コースが主に整備されていることが判った。グーグルビューでも、道路脇の登山標識を確かめることができたので、新道コースから登って、道の状態が良ければ旧道コースを下ることにした。
 高速代を節約するため、下道を使って見附に向かった。バイパスの建設が進んで、途中途切れている所もあるものの、加茂、三条、見附を通って長岡まで下道でも行きやすくなった。
 車のナビに従って走っていくと、榎峠への旧道へは、浦瀬ではなく加津保町から入るように示された。この道を走ると、尾根末端にある旧道コースの入り口を過ぎて榎峠に向かう旧道に合流した。榎峠に向かって少し進んだ所の路肩スペースに車を停めて歩き出すことにした。
 まずは新道コースの登山口へと車道歩きを続けた。砂防ダムの堰堤が設けられた沢沿いからヘアピンカーブを交えながら高度を上げると、高津谷城跡入口の標柱が置かれていた。新道コースの往復だけなら、ここまで車で入ってこれるし、駐車スペースもある。
 登山道は良く整備されているが、歩く者は少ないようであった。落ち葉のために判りにくくなっており、コースを見失わないように注意が必要であった。尾根に挟まれた窪地を登っていき、尾根上に出ると旧道コースと合流した。この分岐には、高津谷城跡の標柱が置かれていた。なお、地形図に破線が記されているが、入り口は合っているものの、その後の経路は違っている。高津谷高原一帯には、多くの破線が記されているが、多くは消えているようなので注意が必要である。
 高津谷城跡に向かって尾根歩きが始まったが、下生えの少ない林で、春にはカタクリのお花畑になるのではと思った。花の季節に歩いて確かめる必要がある。
 ひと登りして高津谷城跡のある369mピークが迫ると、道が二手に分かれた。左手の道は地図にも破線で示されており、迂回しながら高津谷城跡に至ることができそうであった。右手の道は高津谷城跡への直登コースのように思ったので、まずは右手の道に進んだ。
 369mピークへは、急斜面で九十九折の道を見失わないように注意が必要であった。ひと汗かいて、高津谷城跡に登りついた。草地の広場になっており、その中央に高津谷城跡の標柱が一本置かれているだけであった。この山城の案内がないのは残念であるが、佐々木盛綱一族の高津谷入庵が城主で、「御館の乱」の際に上杉景勝と敵対して落城したようである。広場の縁に進むと森立峠方面の眺めも広がっていた。
 続いて、標高409mのちのみね城跡に向かった。ロープも掛かる土塁跡の急坂を足元に注意しながら下って南東に向かう尾根に乗った。はっきりした道を辿っていくと、409mピークの下に出た。地図では、加津保方面に実線が続いているが、その方面はロープも張られて藪に帰っていた。
 この先は林道幅の道となり、南側をトラバースするように続いていた。ロープが周りに張られて埋められた穴が現れるが、これはかつての東山油田の跡である。ピークの東南に回り込むと、林道が上がってきており、高津谷レクリエーション地域の看板が置かれていた。林道は、桜峠方面に続いているようであった。
 広場から尾根沿いにひと登りすると、ちのみね城跡に到着した。ピークの上の中央には大きな穴が開いており、周囲は草むらになっていた。登山者以外には訪れる者はいないようであった。周囲を見回していると、林の中に油田跡の櫓が立っているのが見えた。
 このちのみね城跡であるが、土塁跡のような遺構が見られるが、山城を示す標柱のようなものは無い。ネットで調べると、水穴町の東にある241mピークが血ノ峰城であるという報告もあった。このピークをちのみね城跡と呼んでいいのか、はっきりしたところは判らないが、高津谷城の支城であることは確かである。登山コースとしては、高津谷城跡まででは少し物足りないので、ここまで足を延ばした方が良い。
 来た道を戻り、高津谷城跡に戻ったところで、北側に分かれる道がないか探したが見つからなかった。結局、登ってきた道をそのまま戻ることになった。分岐に戻って、尾根沿いの道に進んだが、すぐ先の高まりで行き止まりになっていた。尾根上からは弥彦・角田山の眺めが広がっていたので、展望を楽しむために登山者が入るため、旧道が一部残されているようであった。
 新道コースの分岐に戻ったところで、尾根沿いに続く旧道コースに進んだ。はっきりした道が続いており、歩くのに問題の無い状態であった。小ピークは脇を巻くように続いており、歩きやすい道であった。最後は、地図の破線通りに尾根の末端部で車道に飛び出した。登山標識のようなものは無いが、杉林の中を覗けば、はっきりした山道が始まっているのが目に留まる。車道を少し歩いて車に戻った。
 
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