高城、天水山、三方岳、勝山城跡、鎌田城跡

高城
天水山、三方岳
勝山城跡、鎌田城跡


【日時】 2019年5月24日(金)〜26日(日) 2泊3日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 24日:晴 25日:晴 26日:晴

【山域】 下田周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 高城・たかじょう・370m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/粟ヶ岳、森町
【コース】 長禅寺より
【ガイド】 新潟花の山旅(新潟日報事業社)

【山域】 関田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 天水山・あまみずやま・1088m・なし・新潟県、長野県
 三方岳・さんぽうだけ・1138.8m・三等三角点・新潟県、長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/松之山温泉/松之山温泉
【コース】 大厳寺牧場より
【ガイド】 山と高原地図「妙高・戸隠・雨飾・火打山・高妻山・信越トレイル」(昭文社)

【山域】 東頸城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 勝山城跡・かつやまじょうせき・102m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/柏崎/西山
【コース】 滝谷新田より
【ガイド】 なし

【山域】 東頸城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 鎌田城跡・かまたじょうせき・141m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/柏崎/西山
【コース】 鎌田より
【ガイド】 なし

【時間記録】
5月24日(金) 13:20=(R.49、R.403、加茂、R.290 経由)=14:25 長禅寺登山口〜14:37 発―15:35 高城〜15:30 発―16:40 長禅寺登山口=(栃尾、R.351、長岡、R.17、小千谷、R.117、越後川口、R.117、下条、R.252、吉田、R.253、松代、R.353、松之山温泉、R.405 経由)=20:10 大厳寺高原  (車中泊)
5月25日(土) 5:40 林道野々海天水越線起点―6:04 天水山登山口―6:58 天水山〜7:05 発―8:06 三方岳〜8:10 発―9:13 天水山〜9:23 発―10:08 天水山登山口―10:30 林道野々海天水越線起点=(R.405、松之山温泉、R.353、松代、高柳、R.252 経由)=16:00 南条  (車中泊)
5月26日(日) 4:20 南条=(R.252、西山和田)=5:09 勝山城跡登山口―5:17 勝山城跡―5:26 勝山城跡登山口=5:53 鎌田城跡登山口―6:14 鎌田城跡―6:38 鎌田城跡登山口=(R.116、妙法寺、R.402 経由)=8:30 新潟

 五十嵐川のほとりから袴腰山に至る稜線上には高城(たかじょう)と呼ばれる山城の跡が残されている。「高城は戦国時代に下田郷を支配し、森町を根拠地としていた在地豪族下田長尾氏の保有していた最も重要な要塞であった。」と登山口の長禅寺の門前の案内板には書かれている。上杉一門の長尾藤景は、川中島合戦で上杉謙信の軍略を批判したがために謀殺され、遺臣らがこの山城にこもって蜂起したものの数カ月で落城したという歴史を秘めた山城である。現在、袴腰山への尾根には、ヒメサユリが大切に育成され、「ひめさゆりの小径」として登山道が整備されている。

 信濃川は、新潟県から長野県に入ると千曲川と名前を変える。この信濃川の小千谷から飯山に至るまでの左岸沿いには、長く丘陵地帯が連なって長野・新潟の県境を作っている。この丘陵に沿って全長80kmの信越トレイルが設けられ、その最後の区間として三方岳から天水山に登山道が整備されている。

 勝山城跡は、西山町の西に位置する丘陵地にある城跡で、遊歩道が整備されている。

 鎌田城趾は、礼拝駅の北西に位置する鎌田集落にある城跡で、山頂へ山道が通じている。

 下田のヒメサユリ祭りが始まって、ヒメサユリも花盛りになっているようである。花の時期は大混雑になるので、平日に見学することにして、その後に関田山塊の三方岳に向かうことにした。三方岳には、2016年4月23日に南側から登ったが、北側からは入ったことが無かったので、大厳寺牧場から天水山経由で登ることにした。
 午後も遅くなって長禅寺脇の駐車場に到着したが、広い駐車場には三割ほどの沢山の車が停められていた。土日には大混雑必至で近寄る気にはなれない。祭りの期間中には、環境協力費ということで長禅寺への登山道入り口で200円を納めて歩き始めた。お墓の脇をかすめ、杉林の中を登っていくと林道に飛び出し、その先で登山道の入り口に到着する。一般的な観光客も多く、林道歩きの途中で、まだ先なのかと弱音をはいているものもいた。
 登山道に進み、ひと登りし林道奥からの登山道が合わさる三叉路に出ると、この先からヒメサユリのお花畑が始まる。カメラを取り出し、撮影しながらの歩きになった。ヒメサユリの花は、満開状態であった。ただ、今年は花が少なく、密集状態のお花畑にはなっていなかった。ひと登りして展望地に出るころには、人も少なくなってきた。
 今日は高城までということにして先に進んだ。たら沢のへつりの崩壊地を迂回すると、高城への急登が始まる。5月としては異例な猛暑になっており、汗が噴き出てきた。堀切跡の急登を越すと台地状の高城に到着した。三名の登山者がいるだけの静かな山頂であった。残雪をまとった守門岳を眺めながらひと息入れた。気温は高いものの、湿度は低く、吹き抜ける風が心地よかった。ヒメサユリのお花畑に戻り、花の写真を撮りながらのんびりと下山した。
 今回は、混雑を避けるために平日の午後に訪れたが、ヒメサユリの花は乾いてドライな感じであった。ヒメサユリは夜も開いたままなので、早朝に訪れて露を付けた瑞々しい姿を見た方が良いような気がする。
 天水山の登り口の大厳寺牧場は、かなりの奥地であるが、道路は良く整備されていて車を走らせれば意外に近かった。除雪状況が不明なため、大厳寺高原の少し手前で夜を過ごし、朝になってから車を移動させた。
 大厳寺高原の池の脇を抜けて大厳寺牧場に進むと、林道上に残雪が現れたので、車をユーターンして手前の空き地に車を停めた。この空き地には、林道野々海天水越線起点の看板が置かれていた。朝食をとっている間にも二台の車が上がってきたが、引き返していった。野々海池方面に行くつもりであったのだろうか。
 一応軽アイゼンを持って歩き出した。道路の半分を覆う残雪を二か所越すと、その先は乾いた道路が続いた。残雪にはオフロード4駆のものと思われる轍がついており、あと少しで普通車も通過が可能になりそうであった。沢沿いに歩いていき、三叉路手前で沢を巻いて大きく東にカーブする所から先は斜面全体を残雪が覆って、ここの雪融けはかなり先になりそうであった。
 残雪を越すと三叉路に出て、ここが天水山への登山道入り口になる。トイレも設けられているが、冬季閉鎖になっていた。この先は林道跡をしばらく辿ることになる。カーブを交えながら進むと、美しいブナ林の下に出る。残雪の中に島状に土の斜面が現れていた。林道終点から登山道が続いているはずであったが、残雪に隠されていた。稜線もブナ林の上に透けて見えており、そこを目指して登れば良いことだけは判った。
 一応登山道を辿ろうとして、雪の消えた尾根から登り出した。下生えもほとんど無くどこでも歩ける状態であった。最初は踏み跡も見られたが、残雪に覆われた窪地の方に逸れていったようで、自分でコースを考える必要が出てきた。稜線が低くなっている所を目指して斜上していくと、標識の立てられた山伏山方面(津南口)との分岐に出ることができた。この先は幅広の雪原が広がっていたが、稜線の南端目指していくと森宮野原方面(栄村口)分岐に出ることができた。この二つの分岐は、2009年9月26日に歩いた時に、位置をGPSで記録してあったのが役に立った。
 森宮野原方面(栄村口)分岐から天水山にかけては、残雪は消えて夏道通しに歩くことができた。急な登りを終えて傾斜が緩むと、天水山の山頂一帯は残雪に覆われていた。一部現れていた登山道を見つけてひと登りすると、天水山の標識が置かれた広場に出た。この付近は雪が消えていた。地形図で1088m標高が記されている場所からは東にずれていた。広場は木立に囲まれていたが、その隙間から志賀方面の山が見えていた。
 三方岳を目指して登山道を西に進んだ。ほとんど夏道を歩くことができたが、所々で現れる残雪に乗ると、その先の登山道のつながりに注意を払う必要があった。特に、天水山から西に二つ目のピークでは、その上まで雪原が広がっていたが、それを登り初めてすぐに右手の尾根に上がると、その先に登山道が続いていた。雪原をそのまま登っていってピークの上に出てしまうと、登山道と離れて、その間には藪が広がって復帰が難しくなりそうであった。
 北斜面は崖状で、残雪の中に延びる車道を近い距離に見下ろすことができた。夏道を辿って、三方岳への最後の登りになると、ここは雪原の登りになった。傾斜もそれほどきつくはなく、アイゼンは必要とせず、キックステップで登ることができた。山頂部に広がる雪原の奥に進むと、雪融けが進んで三角点が現れていた。この三角点も山頂の中央から北西にずれている。腰を下ろしてひと休みとしたが、周囲に残雪が広がっているためか、虫がうるさかったのですぐに引き返すことになった。
 天水山まで戻って休んでいると、単独行が登ってくるのが見えたが、そのまま直下の雪原を横断して西に進んでいってしまった。目的地が三方岳であっても、天水山の山頂を踏んでおく必要があると思うのだが。
 来た道を戻って下山したが、森宮野原方面(栄村口)分岐から山伏山方面(津南口)分岐への雪原歩きは、GPSがなければ忠実に辿るのは難しい状態であった。完全な雪山なら地形図だけを頼りに歩けるが、残雪と夏道を交互に歩かなければならないこの季節の登山はかえって難しい。雪の無い時期に歩いて、夏道や標識の位置をGPSで記録しておくことが登山準備として必要である。
 日曜日は八石山を登ろうとして、早朝に南条登山口に行くと、最終民家のあるT字路から先の林道は、山開きのために進入禁止になっていた。山開き開始がいつになるのか判らず、五月としては異例の猛暑になっていたので早めに登山を終えたかったので、八石山は諦めることにした。山歩きのモチベーションも低下してしまったため、しばらく訪れていない山城跡を訪れて帰宅することにした。
 西山駅の脇から県道23号線に進むと、勝山城址遊歩道の案内板があり、林道に進む。ひと登りすると左手に登山者用駐車場があり、案内板も置かれている。登山口は、その向かいある。丸太の段々で整備された遊歩道が続いている。緩やかに登っていくと、中間部で林道に下る道が左に分かれる。その先は、もうひと歩きで勝山城跡に到着した。
 勝山城跡の中央には、趣味が良いとはいえない、人の背丈ほどのミニチュア版のお城が置かれている。山頂に置かれた説明板は、平成三十年の新しいものに変わっていた。山頂からは、日本海が丘陵の切れ目から見えていた。下山は、途中の脇道から林道に下って駐車場に戻った。
 鎌田城跡の登り口は、鎌田城跡からそれほど遠くない距離にある。県道279号線と373号線の交差点脇の、県道373号線沿いの尾根末端部が登り口になる。コンクリート敷きの通路が尾根上に向かっているのが登山道であるが、ここには標識が無かった。先回訪れた際の記録では案内板があったのだが、無くなってしまっている。
 急坂を上って尾根上に出ると、下方にも道が続いていたので帰りに進んでみると、馬に乗った武将の石像と石仏が置かれた所で道は終点になっていた。尾根沿いに進んでいくと、右手に道が分かれたので、ここも帰りに進んでみると石仏が置かれた広場で終点になっていた。
 鎌田城跡へは、尾根沿いの一本道となる。緩やかな尾根道を登っていくと、山頂手前で堀切が二か所あって、急坂を越すことになった。山頂は広場になって、中央に「史跡鎌田城跡」と書かれた柱が置かれているだけであった。広場は木立に囲まれて展望は閉ざされていた。鎌田城跡への道は良く整備されている反面、案内板が設けられていないのは残念である。
 早い時間ではあるが、暑くなる前に家に戻ることにした。

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