要害山

要害山


【日時】 2019年2月3日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 朴坂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名 
 のろし山・のろしやま・200m・なし・新潟県
 物見山・ものみやま・240m・なし・新潟県
 要害山・ようがいさん・281m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/坂町
【コース】 平林城跡より
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:30 新潟=(R.7 経由)=7:40 平林城跡登山口〜8:07 発―8:58 首切り清水―9:17 のろし山―9:47 物見山―9:58 要害山〜10:05 発―10:20 首切り清水―10:55 平林城跡入口=(往路を戻る)=12:10 新潟
 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在も土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。

 モロッコ旅行から戻ってきて風邪をひいてしまい、ようやく体力が回復したので山に出かけることにした。体力に自信もないので、とりあえずそう難しくない要害山を登ることしにした。
 今年は小雪が続いており、道路上に数センチの雪が積もっていたものの、葛籠山集落奥の登山口まで車で入ることができた。新しい休憩所兼トイレが設けられていたが、冬季閉鎖中であった。
 しばらくはつぼ足で充分そうなため、スノーシューを背負って歩きだした。平林城跡は、杉が伐採されて見通しが良くなっている。城跡内を真直ぐに抜けていくと、要害山への山道に乗ることができる。緩やかに登っていくと、雪も多くなっていき、馬洗場でスノーシューを履くことになった。雪の上には、一週ほど前のようなスノーシューのトレースも見られた。
 杉木立の中に静かにたたずむ首切り清水に出て、いつものようにのろし山に向かった。トレースの無い状態で、夏道を辿るのにも山感が必要になった。のろし山の山頂が迫ったところで、西に延びる尾根めざしての斜上が始まる。急斜面のトラバース道で、雪崩の跡が幾本もできていた。雪が締まっていたので登ることができたが、深い新雪の状態であったら、窪地から東の鞍部を目指した方が良い。
 雪原になったのろし山の山頂に立つと、蔵王山塊や嶽薬師の眺めが広がった。要害山の山頂も目の前に迫ってきているが、もうひと頑張りして登る必要がある。のろし山からひと下りすると、緩やかな尾根沿いの歩きが続く。物見山が頭上に迫ったところで、夏道が判らなくなった。以前の記憶では東側の谷に回り込んでから登ったと思うのだが、そのまま直上して物見山に出た。物見山の山頂で、荒川の河口部の眺めを楽しみながらひと息ついた。
 物見山からは、ショートカットしてひと登りしてメインの遊歩道に出た。しっかりした遊歩道が整備されている山ではあるが、雪山とあっては、夏道の記憶をもとに自分でコース判断する必要が出てくる。
 傾斜が緩むと、曲輪が重なった要害山に到着。蔵王連峰や櫛形山脈、嶽薬師の眺めが広がり、飯豊連峰も雲の中から姿を現してきていた。ベンチに腰を下ろしてひと休みした。体調不良で、きつい登りであった。
 下りは、物見山脇の急斜面のトラースが難所になった。ロープも張ってあってコースであることは判るのだが、滑落に注意が必要で、雪道としては適していない。夏道から離れて、いったん物見山の鞍部に出てから歩きやすい部分を通った方が良い。急斜面から雪原に出ると、再びトレースが現れた。どうも途中で断念したようである。この後は、トレースもあることから気楽な歩きとなり、首切り清水に戻ってからは自分自身のトレースを辿ることになった。
 安定した天気にもかかわらず、この日は登山者には誰にも会わなかった。
 10数年使い続けてスノーシューではあるが、靴を包み込む部分のゴムが切れてしまい、家に戻ってすぐにネットで新しいスノーシューを注文した。

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