田代山、帝釈山、城山

田代山、帝釈山
城山


【日時】 2018年8月24日(金)〜26日(日) 前夜発2泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 25日:曇り 26日:曇り

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 田代山・たしろさん・1926m・なし・福島県
 帝釈山・たいしゃくさん・2059.6m・二等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/燧ヶ岳/帝釈山
【コース】 猿倉コース
【ガイド】 アルペンガイド「尾瀬、南会津の山」(山と渓谷社)
【温泉】 湯ノ花温泉 200円

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 城山(板木城跡)・しろやま(いたきじょうせき)・357m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小出
【コース】 西福寺より雷土へ
【ガイド】 なし

【時間記録】
8月24日(金) 14:00 新潟=(R.8、R.403、加茂、七谷、R.290、下田、栃尾、R.290、上条、R.252、只見、R.289、山口、R.401、内川橋、R.352、水石、湯ノ花温泉 経由=19:00 猿倉登山口  (車中泊)
8月25日(土) 5:40 猿倉登山口―6:45 小田代―7:06 田代山東端―7:30 避難小屋〜7:35 発―8:50 帝釈山〜9:05 発―10:15 避難小屋―10:30 田代山東端〜10:40 発―10:55 小田代―11:39 猿倉登山口=(湯ノ花温泉、水石、R.352、内川橋、R.401、山口、R.289 経由)=16:00 只見  (車中泊)
8月26日(日) 2:00 只見=(R.252、小出、R.17、原虫野 経由)=6:08 西福寺―6:30 テレビ塔―6:50 鉄塔下―6:56 鞍部分岐―7:15 城山(板木城跡)〜7:22 発―7:36 鞍部分岐―7:54 雷土登山口―8:26 西福寺=(原虫野、R.17、小出、R.252、上条、R.290、栃尾、下田、R.290、七谷、加茂、R.403、R.8 経由)=11:00 新潟
 田代山と帝釈山は、福島県と栃木県の県境を形作る帝釈山脈にある山である。二つの山をセットにして登ることが多いが、それぞれの山の雰囲気は大きく異なっている。田代山は、山頂部に広大な湿原を持ち、帝釈山は、帝釈山地の最高峰としてオオシラビソに囲まれた深山である。これまでは、湯の花温泉から林道を辿った先の猿倉登山口からまず田代山に登り、そこから帝釈山を往復するというのが普通であった。最近、檜枝岐から川俣にぬける林道を使い、馬坂峠から帝釈山に登る登山道が新しく整備され、帝釈山には1時間ほどで登ることができるようになった。帝釈山にはオサバグサの大群落があり、檜枝岐ではオサバ草祭と称して、登山客の誘致に勤めている。

 小出町の南で魚沼川にそそぎ入る大池川の源頭部には、城山から大力山、黒禿の頭、駒の頭、トヤの頭を経て鳴倉山に至る稜線が環状に続いている。このうち、大力山から城山の間は、中部北陸自然歩道「板木城跡こぶしの道」が開かれている。その他にも、城山の麓の集落から道が開かれているが、一般には知られていない。

 ようやく涼しくなり始めたかと思ったところ、台風が西日本に襲来し、フェーン現象によって中条で40.8度、新潟市でも39.9度の猛暑を記録した。ニュースを聞いて外に出てみると、熱風が吹き抜けていた。台風通過後も雨雲が広がって、暑さもぶりかえし、すっきりしない天候が続くことになった。
 各地の天気予報を見て、南会津方面なら午前中は雨は免れそうなので、ひさしぶりに田代山と帝釈山を登ることにした。これまで三回登っているが、最近の二回は馬坂峠からで、メインの猿倉登山口からは1992年8月に歩いただけになっている。
 入口の湯ノ花温泉に到着したのは、すでに薄暗くなっていた。水引の集落を過ぎると、未舗装の道に変わった。林道の開始部付近では雨水で路面が削られているところがあって、ハンドル操作に注意する必要があった。幸いその先の路面の状態は悪くはなかった。ただ、登山口までの距離は長く、途中であと何キロという表示が現れたが、暗くなった林道の運転には疲れた。
 トイレが設けられた広場が現れたが、登山口は300mほど奥であった。以前あったトイレの設けられた広場からの登山道は無くなっていた。登山口にも十分な駐車スペースが設けられていたが、傾斜していたため、一旦戻ってトイレの設けられた広場に戻って夜を過ごした。早朝に登山口の広場に移動したが、前夜泊の車や夜間に到着した車は無かった。
 登山口から橋を渡り、沢沿いに登っていって尾根上に出ると、北側斜面に水場が現れた。すぐ下で使い易い水場で、下山時には喉をうるおすことができた。この後は丸太の階段登りが続いた。下山時には楽であったが、階段の登りは足に負担がかかった。
 ひと汗かいて台地に出ると小田代の湿原に出た。湿原の奥にまだ高台が見えており、田代山へはもうひと頑張りする必要があることが判った。再び登りに汗を流すことになったが、意外に早く田代山の山頂に到着した。
 田代山湿原は、周回するように木道が敷かれているが、反時計周りに歩くように指示されている。湿原は茶色に色づいており、秋の訪れを告げていた。下界では猛暑が続いているが、山の上では順調に季節が移っていた。写真を撮りながら木道を進んだ。弘法沼が青い水面に白雲を写していた。弘法沼脇の木賊温泉への分岐の案内標識に田代山山頂と書いてあった。湿原は緩やかに傾斜しており、ここよりも南西に進んだ弘法太子堂のある付近が最高点であるので、この山頂標識はおかしい。
 湿原の上部から針葉樹林帯に進むと弘法太子堂に出る。避難小屋を兼ねた太子堂の他にきれいなトイレとベンチが置かれた小広場が設けられていた。
 帝釈山へは、一旦下った後に尾根の一段下のトラバース道が続く。針葉樹林帯の中の見通しも効かない道で、淡々と足を進めることになった。途中で尾根が広がる所では、コースが微妙に曲がるが、迷わないようにテープが張られていた。ようやく登りが続くようになり、山頂付近になるとアルミ階段が二か所設置された露岩帯が広がるようになった。岩の間をすり抜けたり越していくと帝釈山の山頂に到着した。周囲が切り落ちている山頂であるが、雲が広がっており、台倉高山や会津駒ヶ岳は見えたものの、燧ヶ岳や日光連山は隠されていた。独り占めの山頂を楽しんだ後、来た道を戻った。
 帝釈山から戻る途中は誰にも会わなかったが、田代山では登山者が休んでいた。トイレ脇のベンチは見晴らしの無い樹林帯の中のため、木道に進み、木道が枝分かれした所で腰を下ろして大休止にした。空を眺めていると黒雲が広がってきており、天気の崩れも近いようであった。
 下りの途中、まだ登ってくる登山者もいた。駐車場に戻ると10数台の車が停められていたが、花のシーズンに比べると、登山者は少ないようであった。
 湯ノ花温泉の共同浴場で汗を流し、木陰の風通しの良いところで時間をつぶすことにした。山を振り返ると、黒雲が広がっており雨の具合が気にかかった。
 夕刻に只見に移動し、翌日に要害山を登るために登山口で夜を過ごすことにした。夜中に雷雨となり、急登のある要害山は諦めて、とりあえず新潟県側に移動してから登る山を決めることにした。入広瀬の道の駅でもうひと眠りした。朝になると雨が止んでいたので、城山(板木城跡)を登ることにした。この山域は、最近新しい登山道が開かれて関心が高まっており、2008年9月以来の久しぶりになる西福寺からのコースを歩くことにした。
 西福寺脇の駐車場から歩きだした。最初は舗装された林道歩きになる。ひと登りすると道路脇に赤い鳥居が立ち、これをくぐって脇道に進むと金比羅宮のお堂がある。国道側からも山道が上がってきている。林道を上がっていくと、テレビの中継基地が現れ、その脇から登山道が始まっている。この先は小ピークを乗り越えていく稜線歩きになる。昨夜の雨のせいか湿気が高く、早朝にもかかわらず汗が噴き出るようになった。
 山を貫く高速道の通過音が後ろに遠ざかると、送電線の鉄塔の立つピークに到着した。この送電線鉄塔下とその先の三角点の置かれたピークから刈り払い道が下っていたが、草が被っていた。雨上がりでは歩きたくない状態であった。
 三角点ピークから下った先の鞍部からは雷土方面への山道が下っていた。この山道は刈り払いも行われており、下山にはこの道を使うことにした。2008年9月にもこの道を下っている。
 ひと登りした所で、板木方面の道が分かれた。送電線の管理道のようであるが、板木からも登ってみる必要がある。緩やかな稜線歩きを続けると、城山への最後の登りになった。城山への登りは、堀切の壁が崖状で、階段が崩れているため鎖を頼りに登る難所になっていた。二番目の長い鎖場を登りきると、城山の山頂に到着した。
 到着した所には板木城跡の案内板があるが、南の縁に進むと雷土城址の石碑が置かれている。麓の集落の名前が城跡にそれぞれ付けられているのはややこしい。八海山方面の眺めが広がっているはずだが、眺めは雲に隠されていた。
 鞍部まで戻ってから雷土への道に進んだ。少し下った所に古びた雷土城址の案内板が置かれていたが、ここに置かれている理由が判らないような場所であった。草が被り気味の所もあったが、道を辿るのは難しくはなかった。杉林が広がって、掘り込まれた沢に沿って進むと、沢向こうに小さな祠と赤い鳥居が置かれており、その先で田圃脇に出た。周辺を見渡したが、登山口を示すものは無く、登山道入口も草が被って判り難くなっていた。登山道入口は地形図の167標高点の西脇の沢の出口であるが、最初にここから登るのは難しい。
 後は、山裾の農道を辿って西福寺に戻ることになったが、稜線沿いに戻るよりも距離が長くなって結構疲れた。
 天候不安定な中、なんとか二日間山歩きを行うことができたことに満足して家に戻った。

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