朝日山、大源太山、平標山

朝日山
大源太山から平標山


【日時】 2018年8月12日(日)〜13日(月)1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 12日:晴 13日:曇り後雨

【山域】 山古志
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 朝日山・あさひやま・341m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小千谷
【コース】 浦柄より
【ガイド】 新潟ファミリー日帰り登山(新潟日報事業部)

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 大源太山・だいげんたやま・1764.1m・三等三角点・群馬県
 平標山・たいらっぴょうやま・1983.7m・三等三角点・新潟県、群馬県
 松出山・まつでやま・1613.6m・三等三角点・新潟県
【コース】 元橋より周回
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/四万/三国峠
【ガイド】 山と高原地図「谷川岳・苗場山・武尊山」(昭文社)

【時間記録】
8月12日(日) 6:30 新潟=(R.49、R.403、加茂、R.290、森町、R.290、栃尾、R.351、R17 経由)=8:50 新幹線高架下〜9:05 発―9:12 浦柄登山口―10:07 朝日山〜10:30 発―10:40 東側駐車場―11:08 新幹線高架下=(R17 経由)=18:00 元橋  (車中泊)
8月13日(月) 4:50 元橋駐車場―5:15 林道歩き開始部―5:36 管理林道入口―6:24 送電線鉄塔―7:32 三角山〜7:40 発―7:51 大源太山入口―8:10 大源太山〜8:15 発―8:30 大源太山入口―9:13 平標山の家〜9:25 発―10:16 平標山―11:28 松手山〜10:38 発―12:04 鉄塔―13:02 元橋駐車場=(R.17、六日町、R.291、小出、R.252、渋川、R.290、栃尾、R.290、森町、R.290、加茂、R.403、R.49 経由)=17:30 新潟
 信濃川右岸にある小千谷市の朝日山は、戊申戦争の際、河井継之助の率いる長岡藩が陣を置いた山として知られている。新潟中越地震による林道の通行不能地点も補修され、頑張れば車で上がれる山に戻っているが、山頂からは信濃川の流れや小千谷の展望が広がっており、手頃なハイキングの山として歩くのがよい。

 平標山は、谷川連峰にあっても、谷川岳に次いで登山者の多い山であろう。その魅力は、山頂から眺める仙ノ倉山へ続くたおやかな稜線の眺めと、花の多さといっていってよい。平標山の南にある大源太山は、上越のマッターホルンとも呼ばれるもう一つの大源太山と区別するために、河内沢ノ頭と呼ばれてもいる。山頂は群馬県側に僅かに入っている。

 8月10日に群馬県の防災ヘリが墜落して9人の死者が出てしまったが、このヘリは11日に開通する「ぐんま県境稜線トレイル」を上空から確認するために飛行していたという。「ぐんま県境稜線トレイル」なるものをこの事故で初めて知ったが、みなかみ町土合から嬬恋村鳥居峠までの100kmの長野、新潟、群馬の県境稜線を主要ルートとしているという。この県境線はおおよそ歩いているが、一番の難所の三坂峠から白砂山の区間もこれから登山道の整備が行われるようである。
 新たに興味が高まった県境稜線をどこか歩こうかと思い、大源太山から平標山の区間が思い浮かんだ。昨年、三国峠から大源太山までを歩いており、次は平標山までと思ったものの、そのままになってしまった。
 大源太山から平標山へは、元橋を起点として、毛無山直下の鉄塔に通じる管理道を使えば周回することができる。この周回は、2007年7月7日に歩いている。
 メインの山は平標山として、前日には朝日山を登ることにした。低山ではあるが、それだけに猛暑に耐える必要がある。朝日山のハイキングコースは、浦柄から朝日集落へ周回するように看板に掲示されているが、これでは下山時の林道歩きが長くなる。林道を伝えば新幹線の高架下近くに出ることができるので、高架下の空き地に車を停めて歩き出した。
 一旦車道歩きで浦柄に戻り、入口に朝日山古戦場と書かれた標識が置かれた林道を山に向かう。看板の脇には「小千谷談判の地 戊辰150年」と書かれた幟が置かれていた。今年のNHKの大河ドラマは「西郷どん」であるが、新潟の人間としては河井継之助を代表する東軍の方に親密感を持っているので、だれが見るかという感じである。
 坂道を登っていくと、左手に浦柄神社が現れる。境内には、戊辰戦蹟記念碑と書かれた石碑が置かれているが、これは海軍中将山本五十六書によるものである。連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を行った前年に海軍大将になっているので、この石碑が造られたのは戦争前ということになる。さらにその一段上には、朝日山殉難者墓碑の石碑が並んでいる。
 周囲に養鯉池が点在する中、林道を上がっていくことになるが、傾斜がきつく、汗が噴き出てきた。先回の2014年8月の際には、林道の途中から地形図にも破線で記されている脇道に進むようにコース標識が置かれていたが、今回は林道をそのまま進むように標識で示されていた。
 林道が北に向きを変えると、新潟中越地震の土砂崩れによる通行止め区間となるが、土盛が行われてきれいに補修されていた。杉林の中のトラバース道に変わると、先回歩いた歩道の合流点になる。ここには「朝日山道 復興記念」の碑が置かれていた。迂回の歩道は草が刈られて歩けそうであったが、この先はどうなるか判らず、また林道歩きの方が楽そうである。
 数回カーブを繰り返すようになると、草地の中に展望台が設けられた朝日山に到着する。展望台の下には、河井継之助や新政府軍の軍監・岩村精一郎の肖像や砲弾などの資料が展示されている。岩村精一郎は、聞く耳もたぬの若造といった感じで、慈眼寺での会談が決裂したのも判る気がする。展望台の上に上がると、小千谷や長岡の街並みを望むことができた。山頂部には。フランス式壕や自営地跡、東軍の墓も残されており、朝日山の攻防戦をしのぶことができる。風通しの良い一階の入口に腰を下ろし、汗を拭いながらひと休みした。休んでいると、車が上がってきて作業服の人が下りてきた。地元の人のようで、観光客のようではなかった。
 朝日山古戦場の石碑の奥から東に向かう登山道に進んだ。地震によると思われる崩壊地の脇を過ぎると、林道跡と思われる幅広の道が続くようになる。長岡側からでは、この道が朝日山へのメインの道であったと思われる。緩やかに下っていくと駐車場になっている広場に出て、ここからは林道歩きになる。
 ハイキングの設定では朝日集落へと歩くことになっているが、距離が長くなるので、新幹線高架近くの林道へと下ることにした。200mほど東に進むと、来た方向に林道が分かれる。急坂を下っていき、右にカーブする所で、直進して杉林の中を少し藪漕ぎすると、西に並行して走る林道に乗り移ることができる。後はこの林道を下っていくと、新幹線高架の東側で車道に下り立つことができる。朝日山周辺の林道は、地震の後に廃道になっているものもあり、また養鯉池への道で行き止まりのものもあって、地形図を見ただけでは判断できないところがある。
 朝日山からは昼前に下山したが、猛暑の中、午後を過ごす必要があった。いつもなら低山をもう一つということになるのだが、汗びっしょりの衣類を着替えた後となると、その気持ちも起きない。小出の公園の木陰で休み、夕方になってから湯沢へ移動した。
 元橋近くの空き地で夜を過ごしたが、夜中には満天の星空が広がった。このおかげで、翌日の天候に油断が生じた。
 ロングコースで、暑くなる前に下山したかったので、早立ちすることにした。元橋の駐車場に移動すると、駐車場には僅かな車しか無かった。花の時期が終わって、混雑の時期は過ぎたようである。
 平標山は2011年9月以来ということになるが、歩き始めのしばらくは、沢の左岸沿いに登山道が新しく整備されていた。以前は林道を歩くことになっていたが、おそらく登山者が別荘地を通るのにクレームがついたのだろう。林道よりは登山道を歩く方が気持ち良いが、沢脇の川原部分を登山道が通じているので、増水すると水没する可能性があり、その時は林道を歩いた方が良いであろう。
 林道が右岸に移る橋の手前で林道に上がると、その後しばらくは林道歩きを頑張ることになった。平元新道の200mほど手前で、河内沢に向かって下っていく林道が分かれる。これが毛無山直下の鉄塔へと続く管理道である。定期的に草刈りは行われているようで、丈の低い草が生えた上には車の轍も残されていた。僅かに下って河内沢の左岸に移った後は緩やかな上りが続くようになる。一旦元橋方面に進んだ後に折り返し、送電線と平行に進んでいくと、毛無山直下の送電線鉄塔に到着する。林道終点の広場から踏み跡に進むと、すぐ上で浅貝からの登山道に出ることができる。この鉄塔までは、元橋からの方が距離は長いが、浅貝からとは、時間はあまり変わらない。
 三角山が次の目的地になる。僅かに下った後に尾根を辿ると、低山をひとつ登るほどの長い登りが続くようになる。一定の傾斜の登りが続いた後に急登に変わってこれを越すと三角山に到着する。平標山から仙ノ倉山に至るたおやかな稜線や、大源太山、三国山、さらに上州の山を展望でき、知られていないが好きなピークである。暑さも堪えるようになり、水分と塩分の補給に気を使うことになった。歩く速度も控えめにすることになった。
 ここから平標山までの区間が今日の目標であったが、大源太山にも寄っていくことにした。縦走路から分かれて大源太山への道に進むと、山頂手前の笹が倒れこんでいて、夜露を被ることになった。汗やら夜露で体はずぶ濡れになってしまった。大源太山の山頂に到着して平標山方面を眺めると雲が出始めていた。
 引き返して縦走路を進むと下りになり、平標山が正面に大きく広がるようになり、平標山の家から山頂に一直線に延びる登山道を良く眺めることができるようになった。縦走路は、稜線上と一段下の樹林帯を交互に辿るようになり、稜線上に出る度に平標山の眺めに目が引き付けられることになった。
 平標山の家は、泊まり客が数人いるだけで、静かな雰囲気が漂っていた。小屋には、沢から水が引いてあり、水を充分に飲んで元気を取り戻ることができた。
 ひと息いれて、平標山の山頂への登りを頑張ることになった。階段登りが続いた。以前よりも整備が進んで、地面の上を歩く所はほとんど無くなっていた。標高差にして330mの直線的な階段登りは、足を前に出し続けることだけに努力することになる。山の家はすぐに眼下に遠ざかったが、山頂はなかなか近づいてこなかった。
 登るにつれて、ガスに包まれるようになり、雨粒も落ちてきた。登り着いた平標山の山頂はひと組いるだけであった。山頂に到着して大休止にするのが当然のところであったが、雷の音もかすかに聞こえてきた。これはやばいということで、そのまま下山に移ることになった。松手山に向かって下山を開始したが、すぐに雨は本降りになり、雷の音も大きくなってきた。汗で濡れ切っていて雨具を着てもしょうがないかなとも思ったが、雨具の上着だけは着込むことにした。一段下ったお花畑では、ジョウシュウアズマギクやハクサンシャジンなどの花は残っていたが、花どころではなく、下りに専念することになった。雨の中、登ってくる登山者にもすれ違ったが、雷雨の中の稜線歩きは勧められない。山頂からは山の家に下った方が、すみやかに高度を下げることができて安全であったのではと、自分で反省した。
 松手山まで下ったところで、ようやく腰を下ろしてひと息つくことができた。休んでいると、北側の松手尾根から登山者が登ってきた。渋いコースから登ってきたと感心したら、道を間違えたとのこと。平標山に向かって登っていった。松手山からは下り一方なはずなのだが、どれほど下ってから間違いに気づいたのであろうか。
 松手山からの下りになると、本降りの雨のために泥斜面が滑りやすくなってしまい、ペースの上がらない歩きになってしまった。ようやく元橋の駐車場に戻ると、まだ早い時間であったが、駐車場の車は少なかった。朝の段階では、早い時間から雨になるとは予想できなかったはずなので、空いているのはやはり花の時期が終わったためのようである。
 登山靴もずぶ濡れになってしまい、翌日の山は諦めて家に戻ることにした。幸い道路も空いており、一般道を快調に走って早い時間に家に戻ることができた。

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