三ノ峠山、俎板平城跡、鶴城山

三ノ峠山、俎板平城跡
鶴城山


【日時】 2018年7月7日(土)〜8日(日) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 7日:雨 8日:曇り

【山域】 長岡東山連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 三ノ峠山・さんのとうげやま・468.6m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/半蔵金
【コース】 東山ファミリーランドより周回
【ガイド】 なし

【山域】 山古志周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 俎板平城跡・まないたびらじょうせき・240m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小平尾、小出
【コース】 永林寺より
【ガイド】 なし

【山域】 長岡東山連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 鶴城山・かくじょうさん・227.7m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/栃尾
【コース】 中央公園駐車場より
【ガイド】 新潟の山歩き50選(新潟日報事業社)

【時間記録】
7月7日(土) 7:00 新潟=(R.49、R.403、加茂、R.290、森町、R.290、栃尾、R.351、R17、R.352、栖吉 経由)=9:10 三ノ峠山登山者用駐車場〜9:35 発―10:20 友遊小屋―10:25 三ノ峠山―10:35 尾根上分岐―10:50 ブナ平三叉路―11:12 車道―11:26 三ノ峠山登山者用駐車場=(栖吉、R.352、R17、堀之内 経由)=12:25 永林寺〜12:35 発―12:43 薬師堂―12:53 分岐―13:02 本丸〜13:15 発―13:24 分岐―13:40 永林寺=(R.17 経由)=15:00 小出  (車中泊)
7月8日(日) 4:30 小出=(R.252、R.290 経由)=6:25 中央公園駐車場―6:50 登り口―7:00 本丸―7:18 狼煙台―7:25 車道―8:07 中央公園駐車場=(R.290、森町、R.290、加茂、R.403、R.49 経由)=9:50 新潟
 三ノ峠山は、長岡市街地から望む時、東山連峰の主峰の鋸山の前に見える前衛峰である。北西部の山腹に長岡市営スキー場や東山ファミリーランドが設けられ、野外活動の場として親しまれている。三ノ峠山への登山道は、一時期荒廃していたが、最近は登山道や小屋の整備が進んで、登山者も多くなっている。

 俎板平城跡、別名根小屋城跡は、関越自動車道の堀之内パーキング近くにある山城である。越後北朝の武将として活躍した宇都宮氏の重臣・多劫肥後守の本拠地として築かれた。御館の乱の際には、多劫は景虎方についたが、景勝軍によって俎板平城は落城し、多劫肥後守の家系は滅亡した。

 栃尾の町の背後にたたずむ鶴城山は、そこに置かれていた栃尾城の名前で知られている。後の上杉謙信となる14才の長尾景虎は、この栃尾城で初陣を迎えた。長尾為景から家督を継いだ兄の晴景は、病弱で武将としての器量が無いことから中越地方の豪族が反乱を起こし、これに対し、景虎は敵の群がる栃尾城に入り、見事勝利を掴んだという。景虎は、19才の天文17年に栃尾城から春日城に移り、兄に代わって長尾家を相続した。上杉謙信を偲ぶ時、栃尾城は、まず挙げなければならない重要な史跡である。

 西日本に集中豪雨の甚大な被害が起きている中であった。新潟は土曜日は雨であるが、日曜日には曇りになるという予報が出ていた。日曜の天気予報が当たることを期待して、銀の道から明神峠までを歩くことにした。
 土曜日の山歩きは低山で済ますことになったが、決めきれないままに、空模様を見ながら車を走らせることになった。結局、三ノ峠山に登ることにした。三ノ峠山は、6月2日に鋸山から萱峠への周回コースの際に寄っているが、今回はメインコースの東山ファミリーランドから登ることにした。
 市営スキー場のゲレンデ下を通り過ぎて東山ファミリーランドに進むと、牧柵に囲まれた中に駐車場が設けられており、三ノ峠山用駐車場と小さく書かれている。朝のコーヒーを飲んでから雨具に長靴の雨用装備を整える間にも、二組の登山者が到着した。すでに停まっていた車も登山者のもののようであった。三ノ峠山は、雨の中でも登山者がいるほど親しまれている山になっていることを改めて知った。
 前方を歩く二人連れを見ながら通行止めになっている車道を歩いていくと、赤道コース登山口の標柱の置かれた登山道入り口に到着した。先回は、草地の中を丘の上目指して登っていって展望台に出て、その脇から登山道に進んだ。
 ひと登りで尾根上に出て、その先しばらくは緩やかな登りが続いた。緑の濃い雑木林の中の道で、雨の中でも余裕をもって歩ける道であった。山が迫ると、九十九折の急な登りが始まった。細かくカーブが切られて無理なく歩ける道で、登山道のために新しく造られたものではなく、古くから使われてきた峠道のような雰囲気であった。
 ひと汗かくと、左手に友遊小屋が現れた。この小屋のおかげで、雨の日でも登山者が訪れているようである。小屋の周囲は木立が切られて、長岡市街地や南蛮山方面の眺めが広がっていた。
 小屋からはひと登りで三ノ峠山に到着した。台地の奥に進むと三角点広場に出るが、周囲は木立に囲まれて展望は閉ざされている。天気が良ければ、萱峠方面に進んで観鋸台でひと休みするところであるが、雨の中とあって、そのまま下山に移ることになった。  北に延びる尾根を下っていくと、途中、鋸山を眺めることにできる展望地が設けられていた。分岐に出て、ここはブナ平への道に進んだ。尾根を直進するとスキー場に出ることができるが、このコースは次回の課題とすることにした。
 急坂をカーブを交えながら下っていくと、緩やかな尾根道になる。小ピークを越すとブナ平の分岐に出る。この先は、遊歩道が複雑に張り巡らされており、山感を働かせながらの歩きになる。三叉路を左に進み、その後は、尾根沿いに下っていった。最後は、トイレの設けられた広場の前で車道に飛び出した。後は、車道歩きをもうひと頑張りして車に戻った。
 この日のもう一つの目的は、俎板平城跡を訪れることがあった。雨も小降りであったので予定通りに訪れることにした。堀之内を目指して車を走らせるうちに雨は上がった。
 俎板平城跡の登山口は、永林寺の駐車場である。永林寺は、石川雲蝶の彫刻で有名で、観光客の車も停められていた。駐車場の奥には、根小屋城跡の案内図が置かれていた。毛筆風の字で書かれており、凝ってはいるものの読みにくかったが、新登山道と旧道があることが判った。
 高速道の下をトンネルで抜けると、根小屋城山(俎板平)跡入口と書かれた標柱があり、右手に分かれる高速道に沿った道に進む。舗装されているが急坂で、足場のために石が飛び出すように取り付けられていたが、雨のために滑りやすくなっていた。
 高速に平行した道を折り返してもうひと登りすると尾根上の広場に到着した。広場の中央には、屋根を柱で支えただけで壁の無い薬師堂があり、中央に仏像が置かれていた。
 尾根沿いに登っていくと、曲輪跡のような台地に出て、杉林の中でコースは右に方向を変えた。山道が合流し、これが旧道のようであった。帰りは、この道を下ることにした。  登山道の周囲を見るだけでも、土塁や堀切などの遺構が複雑に合わさっているのが判った。井戸跡の標柱があり、左に分かれる踏み跡を辿ってみると、台地の奥に湧き水の跡のような窪地があり、これが井戸跡のように思えた。
 井戸跡のある台地からもうひと登りすると、本丸のあった台地に出た。木立は刈り払われており、越後三山や堀之内の眺めが広がっていた。広場の奥の一段高い所には忠魂碑が置かれていた。踏み跡を奥に辿ると、少し下ったところに疱瘡神の石の祠が置かれていた。250m標高の台地まではもうひと登りであったが、踏み跡は見当たらなかった。僅かな距離ではあったが、雨上がりで藪漕ぎはいやであったので本丸へ戻った。おそらく、250m標高の台地が詰の丸のはずである。
 下りは旧道へ進んだ。分岐からは尾根沿いの下りが続いた。最後に尾根を左に外すと、針ヶ倉沢に下り立った。沢沿いに下っていくと高速道の下に出た。トンネルを抜けて高速道の下に続く道を辿ると永林寺の駐車場に戻ることができた。
 着替えをして、石川雲蝶の彫刻を見学しようかと思ったら、観光バスが到着して観光客がぞろぞろ下りてきたので諦らめることにした。
 翌日の銀の道のために小出に移動し、夕食を買い込んだ後に、登山口手前の大湯温泉公園に移動した。午後には雨は上がっていたが、夜には雨となり、朝になっても降り続いていた。西日本での豪雨のニュースもあって、途中で天候の急変を危惧して、それなりに時間のかかる銀の道は諦めることにした。予備の山として考えていた鶴城山に計画変更することにした。
 鶴城山に登ったのは99年10月であったので、かなり時間が経っている。出版されたばかりの「新潟の山歩き50選」(新潟日報事業社)でも取り上げられており、紹介されているコースは先回と違っているので、本のコースを歩くことにした。
 栃尾に移動し、運動公園の駐車場から歩きだした。雨は止んでおり、移動のせいか時間が経過したためかは判らないが、銀の道を諦めたのを少し後悔した。
 駐車場を出て山に向かい、備橋を渡ると、正面に宝光院が現れる。境内に入って慈母子育観音堂の右脇に進むと、手すりも設けられた急斜面の階段が続いていた。階段を登り切ると墓地の中に出て、これを抜けると農道に出た。山の奥に台地状の農地が広がっており、鶴城山は複雑な地形を持っていることが判った。
 農道を緩やかに登っていくと舗装された林道に出て、後はこれを辿ることになった。ガイドブックでは、山頂から北に延びる尾根を歩くように書いてあったので、登山道を探しながら歩いたが、見つからなかった。取り付きが変更になっているのかと思って先に進んだ。結局、山頂の西側の林道が大きくカーブする地点まで進んだ所で、大きな駐車場が設けられ、登山標識も置かれていた。
 ひと安心して登山道に進み、ひと登りすると城風の建物が現れ、なんだろうと思ってみるとトイレであった。その上で本丸と二ノ丸との鞍部に出て、左に進むと本丸に到着した。本丸は草地の広場になっており、栃尾の街並みや守門岳の眺めが広がっていた。
 広場の北端に進んで道を探したが見当たらなかった。一段下のトイレの脇には、「松の丸、三の丸、五島丸」と書かれた標識があり、帰宅後に城の縄張り図を確認すると、これらは北に延びる尾根上に設けられているようであった。どうも尾根の末端部の取り付きを見落としたようである。
 鞍部に戻って鞍部の反対側に登ると、ここは二の丸であった。あずまやが設けられていたが、広場の周囲は木立になっており、展望は閉ざされていた。なお、鞍部には市街地方面からの登山道が上がってきており、こちらがメインコースのようであった。
 トイレ部まで戻って、狼煙台への道に進んだ。堀切のような窪地もあって、複雑な地形になっていた。狼煙台からは、南に下る尾根に進んだ。途中までははっきりした道であったが、車道が右下に見えるようになったところで、登山道を草が覆うようになった。車道に出た所で振り返ったが、登山道の入口であることは全く分からない状態であった。新しいガイドブックに紹介されているコースなので油断していたのだが、北側の尾根取り付きも草が覆っていたのかもしれない。このガイドブックの赤線は、狼煙台が尾根の北側の窪地に書かれていたりしてあやしいところがある。
 後は、長い林道歩きと車道歩きで車に戻った。鶴城山は、諏訪神社からの三光口や岩の鼻口から登るのがメインであると思うので、いずれ歩き直す必要がある。

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