大平山、中子沢要害山、下権現堂山、上権現堂山

大平山、中子沢要害山
下権現堂山、上権現堂山


【日時】 2018年4月29日(日)〜30日(月) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 29日:晴 30日:晴

【山域】 長岡東山連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大平山・おおひらやま・599・なし(592.6m・三等三角点)・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/栃尾、半蔵金
【コース】 大平山ふれあいの森より
【ガイド】 なし

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 中子沢要害山・ちゅうしざわようがいさん・408・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/大湯
【コース】 中子沢より
【ガイド】 なし

【山域】 権現堂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 下権現堂山・しもごんげんどうさん・896.6m・三等三角点・新潟県
 上権現堂山・かみごんげんどうやま・997.9m・二等三角点・新潟県
【コース】 戸隠神社より周回
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田、日光/小千谷、須原/小平尾、須原
【ガイド】 新・新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)

【時間記録】
4月29日(日) 5:55 新潟=(R.49、R.403、加茂、R.290、森町、R.290、栃尾、北荷頃)=7:35 林道入口〜7:48 発―7:54 登山者用駐車場―8:10 溜池分岐―8:57 登山道分岐―9:20 大平山〜9:37 発―9:54 登山道分岐―10:20 溜池分岐―10:32 登山者用駐車場―10:40 林道入口=(北荷頃、栃尾、R.290、R.252、和田、中家 経由)=11:40 中子沢〜12:18 発―13:05 中子沢要害山〜13:30 発―14:06 中子沢=(中家、山田 経由)=16:00 戸隠神社駐車場  (車中泊)
4月30日(月) 4:55 戸隠神社駐車場―5:57 五合目―6:30 弥三郎清水―7:03 下権現堂山―8:00 中越―8:55 上権現堂山〜9:15 発―9:58 中越―10:47 五合目―11:33 戸隠神社駐車場(山田、和田、R.252、R.290、栃尾、R.290、森町、R.290、加茂、R.403、R.49 経由)=14:20 新潟
 長岡東山連峰の盟主である鋸山の北東部に、大入峠を挟んで五百山は隣り合っている。五百山からは、西谷川と矢津川に挟まれた稜線が北東に続いており、この末端部に位置する山が大平山である。平な台地状の山頂を持つことから、その名前が付けられているものと思われる。

 中子沢要害山は、上権現堂山と唐松山の登山口である中子沢集落の背後に聳える里山である。かつてこの山塊一帯に整備されていたが現在は廃道になっている川東地区遊歩道の一部であったと思われるが、この山は登山道が整備されて山開きも行われている。要害山には、南北朝期から戦国末期頃まで使われたと言われる山砦の遺構が残されている。

 権現堂山塊は、小出の奧の守門岳・浅草岳山塊、毛猛山塊と越後三山の間に位置する山塊である。周囲にいわゆる名山が並んでいるため損をしているが、下・上権現堂山は、展望に優れた山として地元には親しまれている。

 五月連休に入ったが、混雑が嫌で近場の山で楽しむことにした。メインは、残雪の下・上権現堂山として、その前日には、大平山と中子沢要害山を登ることにした。
 大平山ふれあいの森からの歩きも4年ぶりで、林道入口にあった資材置き場も、太陽光発電のパネルが並んでいた。豪雪地とあって、冬の発電量と雪に押しつぶされないかと心配になる。林道入口で様子見をしていると、入っていく車や戻ってくる車が見られた。この先の林道は細いので、ここから歩くことにした。
 林道の入口付近は、傾斜があって汗が涌いてきた。登山者用駐車場までは、500mの距離で歩ける距離ではあるが、やはり車で入った方が楽である。車のすれ違いが可能な所も結構多い。次回からは、やはり登山者用駐車場まで車で入ることにしよう。
 登山者用駐車場は、以前からトイレが設けられていたが、駐車スペースに砂利が敷かれてきれいに整備されていた。車が二台停められていたが、大平山の山中では登山者に会わなかったので、山菜採りのもののようであった。
 登山者用駐車場からは、しばらく林道歩きが続く。林道に平行して遊歩道が整備されている所もあるが、林道をそのまま歩いた方が楽である。
 溜池に出た所で、以前は無かった健脚コースと健康コースと書かれた案内板が置かれていた。溜池下部の堰堤を渡るとアルミ階段が置かれており、登山道が始まっている。ここが健脚コースの入口である。健康コースは、溜池から流れ出る沢に下った先の尾根が取り付きになる。
 健脚コースの尾根末端部は急斜面であるが、細かいジグザグが切られて歩きやすくなっていた。ひと登りすると緩やかな新緑に彩られた尾根歩きが続くようになる。以前は踏み跡状態であったものが、しっかりした登山道に変わっていた。健脚コースは、350m小ピークと407mピークの乗り越しで下りがあるので、初心者だと辛く感じるかもしれない。途中、残雪が遅くまで残っていた所では、カタクリのお花畑が広がっていた。
 407mピークから下った先は、健康コースの通っている尾根の横腹への急登が始まる。階段状に整備されているが、きつい登りである。傾斜が緩んで尾根上に出ると、健康コースと合流する。この分岐には、脇の木に赤テープが付けられているものの、コース標識は無いので注意が必要である。
 分岐付近から先は、残雪も見られ、カタクリのお花畑が広がっていた。他の山ではカタクリは終わっているので、特記すべき眺めである。カタクリの花の中に続く登山道を進んだ。
 山頂が近づいた所で、右側が崩壊地の崖になった細尾根になる。左に尾根を外して、この季節は残雪をトラバースすることになるので、短い距離であるが足場に注意する必要がある。
 急な登りを終えると、雪消えの進んだ三角点広場に到着した。なぜか、山頂標識は、奥の方を向いていた。守門山塊が大きく広がっていたが、春霞にぼやけていた。大平山は、台地状で奥の方が少し高くなっているので最高点へ進んでみた。笹薮の中に続く登山道を進むと、標識も無いままに下りに変わった。五百山と鬼倉山の眺めを楽しんだ後、来た道を引き返した。五百山への縦走路も再訪する必要がある。
 大平山からの下りは、カタクリの花を楽しみながら歩いた。分岐を過ぎると、カタクリも終わって、足を早めることになった。健康コースは歩きやすい尾根で、順調に下ることができた。
 尾根を下った後、溜池から流れ出る沢を丸木橋で渡ってからひと登りすると、歩き始めの分岐に出て、周回の終了となる。
 車に戻って、予定通りに中子沢要害山に向かった。中子沢要害山については、ネット上でその存在を知ったが、登り口が判らなかった。昨年の偵察でようやく登り口をみつけて、宿題になっていた。中子沢要害山もその一部であったと思われる川東地区遊歩道が廃道になってしまったことから、この山もいつまで登山道の整備が続けられるか心配なところがある。
 中子沢の羽川荘前の空き地に車を停めた。このホテルも休業になってしまっている。唐松山の登山口の手の又沢方面に通じる道に入ると、作業小屋があり、前庭を抜けてその背後に進むと登山道が始まっている。昨年は、作業小屋の入口に要害山の案内板が置かれていたが、今年は無くなっていた。
 急斜面をひと登りすると尾根上に出て、後は尾根道になる。思ったよりもしっかりした登山道が続いていた。駐車場で食べた昼食の後ということと、気温が夏日レベルまで上がったことから、重い足取りになっていた。先方に見えるピークは尾根の張り出しで、実際のピークはその奥にあった。
 山頂が近づいた所で曲輪跡のような小広場があり、その先で何本もの堀切が現れた。深い堀で、通過が困難な所には左脇に巻き道が付けられていた。ロープも付けられていて、登山道の整備は充分であった。
 中の沢要害山の山頂は小広場になっており、下・上権現堂山や越後駒ヶ岳や八海山の眺めが広がっていた。小さな山であるが、眺めの良い山頂であった。山頂の先に進んでみたが、その先は藪になっていた。日陰の無い山頂は耐えられない暑さになっており、一段下りた堀切で腰を下ろしてひと休みした。日陰で、心地よい風が通り過ぎた。
 中の沢要害山は、小さいながらひと汗かくには良い山ではあるが、一般的に知られていないのは残念なことである。
 予定通りに二日目は下・上権現堂山を登ることにして、木陰で一休みした後小出市内で買い物をしてから、登山口の戸隠神社に向かった。神社手前は渓流公園として整備が進んでいた。この夜は、6月のモンゴル旅行の準備として星空の撮影の練習を行おうとしたが、満月で星は良く写らなかった。
 早起きをして明るくなった所で歩きだした。神社下の庭園には権現堂山と唐松山の案内図が置かれているが、ここに書かれているコースタイムはかなりきびしい。
 石段を登って戸隠神社に一礼し、右に曲がると、下権現堂山への登山道が始まっている。急登をひと頑張りすると、尾根末端部の岩峰の上の業の秤に出る。この後は尾根の一本登りが続く。一気に高度を上げていくと、背後に小出から堀之内方面の市街地の眺めが広がった。朝日に照らされて赤みを帯びた越後駒ヶ岳や八海山も見えるようになった。
 四合目に出ると、前方に下権現堂山の山頂を望むことができるようになるが、その先はまだ長い。四合目から先で、登山道脇に残雪が見られるようになった。五合目付近は右手に杉林が広がっているが、少し先に進むと美しいブナ林が広がるようになる。残雪と新緑のブナ林取り合わせが美しかった。休むなら、五合目よりこのブナ林の方が良い。
 七合目でトラバースに入ると、沢音が聞こえてきて、弥三郎清水に到着した。大岩の下から水が勢いよく湧き出て流れ落ちていた。涸れた状態を見たこともあったので、春先にはこれほど水量豊富であることは驚きであった。水を飲んでひと息入れた。この先は、岩を巻きながらのジグザグを切りながらの登りになった。八合目の脇には、上が平になった大岩があり、その上に立つと高度感のある眺めが広がっていた。
 登りをもうひと頑張りすると、神湯からの登山道との合流点に到着した。アクシオムスキー場が閉鎖になってから時間がかなり経っているので、スキー場の管理道を使った登山道はまだ歩けるのだろうか、一度確かめる必要がある。
 分岐から雪原をひと登りで下権現堂山の山頂に到着した。展望は開けているものの、越後駒ヶ岳方面の眺めを木立が邪魔しているのは残念である。山頂には岩が並んで、休むには落ち着かない気分がする。
 雪原を進むと、上権現堂山へと続く稜線を一望することができた。残雪は豊富であったが、痩せ尾根では夏道が現れているようであった。イワウチワを眺めながら下っていき、858mピークへの登りにかかるとアズマシャクナゲの花が現れて、足が停まった。このピーク付近のシャクナゲは、周囲の藪を刈ったりして、地元の人が保護活動を行っているようである。美しい眺めであるが、花の季節は残雪も豊富で、一般ハイカーがこの花を目当てに登ってくるのは難しいであろう。
 下降点の中越に出たが、この先も問題なさそうなので上権現堂山へと進んだ。岩が飛び出した高まりを越すと、もう一つの下降点となる。ブナが並ぶ雪原に歩いた様子は無く、赤布も見当たらなかった。トラバースした後に中越からの登山道に合流するはずであるが、安全のために中越から下山することにした。
 雪原を渡って、西側の尾根に乗り換えると、山ランの若者が追い付いてきた。ストックも持たず、小さなザック一つだけの軽装であった。残雪も柔らかくなっており、滑落の心配は少なくなっているといっても、雪の上を走れば滑って止まらなくなる可能性もあろう。登っていく途中、雪の上の足跡を見ると、滑った跡もあり、大丈夫なのかと心配になってしまった。
 山頂が近づくと雪堤の上を歩く所も出てきた。所々で現れている夏道を見落とさないように注意が必要になった。傾斜が緩んで雪原をひと登りすると、上権現堂山に到着した。三角点は雪の中から頭を出していた。唐松山の眺めのために少し先に進むと、先行の山ランの若者がおり、上権現堂山の山頂はどこですかと聞いてきた。三角点のあるところが山頂でしょうと答えた。確かに、前方にも山頂のように見える高まりがある。雪が消えた藪の縁に腰を下ろして休んでいると、単独行が登ってきた。足元は長靴で、山菜採りも兼ねて登ってきた雰囲気がある。守門岳を眺めながら休んでいるうちに、誰もいない山頂になった。
 山頂手前の急坂も雪が柔らかくなっており、問題なく下ることができた。中越まで戻ってから下降に入った。新緑のブナが立ち並ぶ雪原を下っていくと、谷間の下りになった。水音が雪の下から聞こえてきて、そろそろ右岸の斜面に続いているはずの登山道を探す必要があるなと感じてきた。果たして、雪が大きく割れて現れた滝の上に出た。少し戻ってから探すと、夏道が並行して走っているのが見つかった。この滝は標高720m付近であるが、雪がもっと豊富であると、そのまま下ることができてしまって夏道からそれてしまう可能性もある。このコースは、谷間を下ることから残雪期には難しく、GPSを持っていないと歩く気にはなれない。
 ようやく土の現れた登山道を下っていき、標高620mで方向を変えてトラバースになると、ブナ林の中で、パイプから流れ出る水場が現れた。汲んで飲むと、頭が痛くなるほど冷たい水であった。持参していた水をこの清水に入れ替えた。この先、二か所で、雪が割れて水流が現れた沢に出て、この横断のためにコースを考える必要があった。雪も消えて杉林が現れるようになり、里も近いと感じるようになっても、下りは長く続いた。このコースは、いつも最後には長いなと感じてしまう。
 業の秤のある岩峰が迫ってきて歩き始めの分岐まであと僅かと思ったところ、林道に出てしまい、そのまま林道歩きで駐車場に戻ることになった。登山道を見落としたのかは判らないが、この方が近道であることは確かである。
 この季節の下・上権現堂山では、花と残雪歩きをたっぷりと楽しむことができた。
 
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