百石山

百石山


【日時】 2017年10月21日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 朝日連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 百石山・ひゃっこくやま・598.8m・三等三角点・山形県
【コース】 伊佐領より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/手ノ子/小国東部
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:20 新潟発=(R.7、新発田、三日市、R.290、大島、R.113 経由)=8:00 伊佐領小学校跡〜8:35 発―9:04 百石清水―9:21 尾根上―9:46 百石山〜10:00 発―10:16 尾根上―10:28 百石清水―10:48 伊佐領小学校跡=(往路を戻る)=12:35 新潟着
 朝日連峰南部を代表する鋭峰の祝瓶山から南に続く稜線は、柴倉山の南で二つに分かれ、南西方向には孫守山、荒沢山と続いて、荒川に至って終わる。その荒川に臨む稜線末端の脇、米坂線伊佐領の町の背後に聳える山が百石山である。

 インドから戻ったところで風邪をひき、体調不良であるが、山を休むわけにはいかない。どこに行こうかと地図を見ていくうちに、百石山に目が留まった。2002年3月に雪山として登っているが、登山道歩きでは登っていない。当時調べたところ、山道があるようだが、かなり藪化が進んでいるようであった。昨年に山形百名山が設定されて、この百石山も含まれていた。現在の状態はどうなのだろうと思って調べると、昨年に刈り払いが行われて、登山報告もネット上で幾つか見られるようになっていた。それならば登らないわけにはいかない、ということで出かけることにした。
 R.113から伊佐領集落に赤湯方面から入ると、郵便局があり、その先に入口の門柱と階段が残る伊佐領小学校跡がある。左側から回り込むと、校舎跡と思われる広場があり、ここに車を停めることができる。
 校舎跡上から始まる車の通行止めの置かれた舗装道路を登っていくと、すぐに左の道に進むようにという案内板が置かれていた。左の山道に進むと、すぐ先で分岐となり、ここは右の道に進む。大きな砂防ダムを右下に見るようになると、道は下りになって沢の上流部に下り立った。沢には簡易水道のパイプが何本も通されていた。沢をまたぎ越すと、沢に挟まれた中尾根の登りになった。海外旅行の疲れと、風邪の影響で足が重かった。
 左右の沢型が消えると、右手に百石清水が現れた。パイプからちょろちょろと水が流れ出ていた。飲んでみたが、美味しく感じた。
 この先は、急な登りに変わった。山頂から南に落ち込む尾根が上に透けてみえるようになると、登山道はジグザグになったが、歩くものが少ないため、忠実に辿るためには注意が必要になった。
 尾根上に出ると、ブナ林が広がっていた。紅葉にはまだ早いのは残念であった。少し先では、黒い幹を持ったヤマナシの木が標識をぶる下げて立っていた。急坂を上っていき山頂台地の縁に出ると、笹原を刈り払った飯豊展望台が設けられていた。曇り空のために飯豊は隠されていたが、横川ダムを望むことができた。晴れた日に登ってみたいと思わせる眺めであった。
 飯豊連峰展望台周辺は笹原の刈り払いが粗い感じで、枝が足元でぼきぼきと音を立てる状態であったが、先に進むとすぐ先で山頂標識が現れた。百石山の山頂は台地状で、ここからの展望は木立によってとざされていた。この山頂標識付近を見渡したが三角点は見当たらなかった。事前にマークしてあったGPSを頼りに、標識の右奥に藪漕ぎで進むと、三角点が現れた。10mほどの距離なので、そのうちここまで刈り払いが延びるであろう。
 木の上には山形百名山のプレートが吊るされていた。山形百名山は、登山道が不明な山も多いが、すぐに情報が多くなって、登るのも難しくはなくなるであろう。
 下りは、泥斜面に落ち葉が積もって滑りやすくなっており、足元に注意をしたものの、一回、大きく尻餅をついた。
 百石山は、登山道の整備によって、気軽に登れる山に変わっていた。

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