番屋山

番屋山


【日時】 2017年9月24日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 守門岳周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 番屋山・ばんやさん・933.2m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/守門岳/栃堀、光明山
【コース】 吉ヶ平より
【ガイド】 周回コースについては無し

【時間記録】 8:10 新潟=(北陸自動車道、三条燕IC、R.289、下田村、八木向、経由)=7:33 吉ヶ平〜7:53 発―8:09 馬場跡―8:30 雨生池〜8:40 発―9:06 馬追沢分岐―9:54 番屋山〜10:00 発―13:17 天保古道―10:37 椿尾根〜11:05 発―11:57 馬場跡―12:12 吉ヶ平=(往路を戻る)=13:45 新潟
 番屋山は、越後と只見を結ぶ旧街道の八十里越を見下ろす山である。麓には、伝説の残る雨生池がブナ林の中に、静かな湖面を広げている。2017年7月に古い八十里越ルートであった天保古道と結んだ新登山道が整備されて周回することができるようになった。

 ネットを見ていて、番屋山に新登山道が設けられたことを知った。これは歩いてみなければと思い出かけることにした。本当は、もう少し待って、紅葉の時期に訪れたいところであったが。
 登山口の吉ヶ平へは、遅場から先の細い道路が一番の問題である。対向車がこないかと緊張しながらの崖際の運転が続く。付け変わった道路で守門川の右岸に移ると、じきに吉ヶ平に到着する。
 吉ヶ平を先回訪れたのは、ここから大岳に登った2009年11月以来ということになる。廃校を利用した吉ヶ平山荘は以前は廃屋状態になっていたが、新しく立て替えられ、さらに駐車場を含めてキャンプ場として整備されていた。
 まずは、馬場跡をめざした。坂を上っていくと、石碑の置かれた馬場跡で道は左右に分かれる。これまで利用されてきた雨生池経由で登り、天保古道に下ることにして、左の道に進んだ。
 左に沢を見下ろすように登るようになると、尾根の張り出し部で、右手に雨生神社への道が分かれた。杉並木の中を登っていくと、石の祠が置かれていた。登山道に戻って進むと、雨生池に到着した。鏡のような湖面に山の斜面が写っていた。周辺にはブナの大木も並んでおり、休むにも気持ちの良いところである。紅葉の季節にも訪れたいと思う眺めであった。そに先もしばらくは木立の間から雨生池を見下ろす道が続いた。
 登りの傾斜が増して沢をトラバースすると、馬追沢との分岐になった。雨生池へは右に曲がる。この分岐から見る限りは馬追沢方面も刈り払いが行われていたが、五十嵐川まで歩けるのだろうか。番屋山へは杉林の中を登っていく。ひと登りしたところで、右に曲がって窪地を横断するが、以前は草が茂って登山道が不明になっていた。今回は、刈り払いもしっかり行われており、迷う心配はなかった。
 この先は、急な登りが続いた。急登を終えると、山頂から西に延びる尾根にでるが、この先の山頂までは思ったよりも距離があった。番屋山は、吉ヶ平方面からは独立峰のように見えるが、烏帽子山から番屋乗越を経て延びてきた尾根の末端のピークである。急登後の登りの距離が思ったよりも長いのも、地図を見れば納得がいく。山頂が近づいてきたところで、木立が切れて大谷ダム方面の展望が広がった。光明山方面も見えていたが、稜線には雲がかかっていた。
 番屋山の山頂は、木立に囲まれた小広場になっており、守門岳方面のみが木立が切れて望むことができた。川内山塊を望むことのできる刈り払い道も設けられていたが、雲がかかって展望は閉ざされていた。
 吉ヶ平と書かれた案内板に従って、新しい登山道に進んだ。尾根沿いに、密生した木を伐採して登山道が設けられていた。足元に注意は必要ではあったが、迷う心配は無い道であった。尾根を下っていくと、860m小ピークとの鞍部で、天保古道に出た。天保古道は、幅広で、林道跡と思ってしまうような状態であった。ブナ林に囲まれて、気持ちの良い場所であった。
 現在歩かれている八十里越は「明治新道」で、河井継之助が通ったのは「天保古道」であったという。「天保古道」は椿尾根手前から高度を上げ、椿尾根を越え番屋山から延びる尾根をつたい関屋ツンネへ、さらにブナ坂へ向かう道になるという。関屋ツンネというのがどこなのかは判らないのだが、尾根沿いに進んだ後に番屋乗越からは烏帽子山方面の尾根に進んだ後に高清水沢方面に下るという方が、へつり道の連続よりも道の維持という面では確かなように思われる。
 林道跡かと見間違えるような天保古道に出て、後は林道歩きのようなもので楽勝と思ったが、甘くはなかった。すぐ先で、大規模な崩壊地に出て、ロープが設置されているといっても、足元に注意しながら緊張して横断することになった。渡った先で、高巻き道も設けられているのに気がついた。その後は、細々としたトラバース道が続いた。番屋山から南に下ってきた尾根の乗り越し部には、石の基部だけが残る山の神が現れた。
 炭焼き窯跡と書かれた小広場からは、椿尾根の急な下りになった。急な部分には、ロープが張られて、木の杭がうち込まれて足場になっていた。「明治新道」に出て、一息ついた。尾根の末端を吉ヶ平側に回り込むと、椿尾根の石碑が置かれている。頭上に聳える番屋山の山頂を振り返りながら大休止にした。この山は、「八十里越を見守る番屋山」と紹介されることが多いが、反対側からしか登れなかったのが、八十里越と結び付けて歩けるようになったのはうれしい。
 この後は、何回か歩いていて楽勝と思ったものの、623.1m点付近からは、林道か農道跡なのか九十九折の道が何本も現れて、登山道を見分ける必要がでてきた。登山道は、これらをショートカットするように続いているので、歩かれている様子で判断することになる。杉林の中の道に変わると、詞場の石碑が現れ、その先で馬場跡に出て周回が終わった。
 新しい登山道もしっかり整備されており、番屋山の価値は高まったと思われる。
 
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