赤田城跡、袴岳、沼の原湿原、青田難波山

赤田城跡
袴岳、沼の原湿原
青田難波山


【日時】 2017年4月29日(土)〜30日(日) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 29日:晴後雷雨 30日:晴

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 宝林山・ほうりんさん・394m・なし・新潟県
 誤謬山・ごびゅうやま・356m・なし・新潟県

【日時】 2017年5月19日(金)〜21日(日) 2泊3日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 19日:晴 20日:晴 21日:晴

【山域】 東頸城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 赤田城跡・あかだじょうせき・164m・なし・新潟県
【コース】 登り:東福院コース 下り:北方口コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/柏崎/塚野山
【ガイド】 新潟ファミリーハイキング(新潟日報事業社)、ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【山域】 関田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 袴岳・はかまだけ・1135.3m・三等三角点・新潟県、長野県
【コース】 赤池より周回
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/飯山/飯山
【ガイド】 斑尾高原Trail Map

【山域】 関田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 沼の原湿原・ぬまのはらしつげん・830m・なし・長野県
【コース】 沼の原湿原駐車場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/飯山/飯山
【ガイド】 斑尾高原Trail Map

【山域】 南葉山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 青田難波山・あおたなんばやま・949.3m・二等三角点・新潟県 
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部/重倉山
【コース】 南葉高原キャンプ場より周回
【ガイド】 新潟百名山(新潟日報事業社)、分県登山ガイド(山と渓谷社)

【時間記録】
5月19日(金) 13:45 新潟=(R.8、R.116、R.402、R.116、西山 経由))=15:55 赤田城址遊歩道駐車場〜15:38 発―16:11 赤田城跡本丸―16:31 林道入口―16:38 赤田城址遊歩道駐車場=(R.116、R.8、R.18、妙高高原 経由)=19:15 赤池駐車場  (車中泊)
5月20日(土) 5:35 赤池駐車場―6:06 袴湿原分岐〜6:22 発―7:15 袴岳〜7:40 発―8:07 柏ヶ峠分岐〜8:18 発―8:53 林道登山口―9:11 遊歩道入口―9:40 遊歩道入口―9:43 赤池駐車場=10:05 沼の原湿原駐車場―13:09 沼の原湿原駐車場=(R.292、新井、西乙吉入口、灰塚 経由)=15:20 南葉高原キャンプ場  (車中泊)
5月21日(日) 5:05 南葉高原キャンプ場―6:09 七合目・見晴らし―6:58 青田難波山―7:39 明神峠―9:05 南葉高原キャンプ場=(灰塚、R.18、R.8、R.116、R.402、R.116、R.8 経由)=12:55 新潟
 赤田城跡は、刈羽村の赤田にある禅寺の東福院の裏手にある山城である。上杉謙信の四家老の一人の斉藤下野守昌信の居城跡であり、今でも曲輪や空堀が残されている。山頂へは、良く整備された遊歩道が通じている。

 袴岳は、北信五岳の一つに挙げられる斑尾山の北側に万坂峠をはさんで向かい合う山である。千曲川左岸の新潟・長野の県境に沿って広がる関田山塊の西のはずれの山である。信越トレイルの一部として、万坂峠から赤池に至る登山道が整備されている。ドーム状の山頂は、妙高方面から良く目に付くが、登山者の話題になることは少ない。

 沼の原湿原は、斑尾高原の袴岳の東に位置する湿原である。季節毎に様々な花が咲き、遊歩道が整備されている。

 南葉山塊は、高田の町の背後に広がる山塊である。南葉山という地名には、南葉、難波、南波という字が用いられている。地図を見ても、山塊の南端の籠町南葉山、北端の青田難波山、さらにはその中間の稜線には南葉山と記載されており、少々ややこしい。青田難波山は、ハイキングの山として親しまれているが、北西の桑取方面、さらに籠町南葉山までの縦走路、及び籠町南葉山への登山道など、多くの登山道が最近整備されている。

 この週末は、夢見平の花を見に出かけようと思ったのだが、ネットで調べると、今年は残雪が多く残っていて、花もまだ咲いていないようであった。同じ上越方面ということで、斑尾高原の沼の原湿原でミズバショウ見物を行うことにした。沼の原湿原は、2005年9月23日と2011年6月4日に訪れているが、ミズバショウはここでは見ていない。やはりピークハントをしなければということで、沼の原湿原の遊歩道歩きと合わせて袴岳を登ることにした。
 金曜日の昼過ぎに家を出たが、ドライブだけではもったいないので、途中の西川町近くの赤田城跡に寄っていくことにした。赤田城跡は、2002年5月に雨の中登っているが、記憶はほとんど無くなっている。
 国道116号線を走り、西川町に入ったところで、GPSを頼りに東福院を目指した。鯨波宮川線を走っていき、赤田城址の案内板が従って脇道に進むと、赤田城址遊歩道の登山者用駐車場に到着した。ますは、周回コースの案内図を良く見てから、東福院に進んだ。東福院には立派な山門が設けられているが、本堂は工事中でシートがかぶされていた。遊歩道は、山門の向かいの南側山裾から始まっている。ここにも遊歩道の案内板が置かれているので、迷う心配はないであろう。
 遊歩道は、擬木の階段登りで始まる。ひと登りするとトラバース状になって、東西に延びる枝尾根に乗り換える。赤田町方方面からも山道が上がってきており、遊歩道大手口と書かれた標柱が置かれていた。この先も擬木の階段登りが続いた。この遊歩道はほとんど知られていないが、整備は充分に行き届いている。登るにつれて、その標高以上に深山の趣がただよってきた。
 164mピーク直下に到着して、脇道に入ってひと登りすると、赤田城址の本丸に到着となる。山頂広場には、あずまやも設けられ、「斎藤下野守朝信城趾」と刻まれた石碑が立てられていた。本丸からの眺めは木立に遮られていたが、山頂直下の分岐に戻って遊歩道を北に進むと、見晴らしに出て、ここからは柏崎、米山方面の眺めが広がっていた。
 見晴らし台脇の崖を巻いてから尾根沿いに下っていくと、地図に載っていない林道に飛び出し、山間部の畑の中を下っていくと、駐車場に戻ることができた。
 赤池の駐車場に到着したのは、暗くなってからになった。県道から赤池の駐車場に入る砂利道の脇には残雪が見られた。残雪が多いようなら、万坂峠からの往復に変更しなければならないかとも思い、翌朝明るくなってからコースを考えることにした。
 朝になって周囲を見渡すと。緑濃い森が広がっており、残雪も道路脇や沢筋に僅かに見られるだけであった。予定通りに赤池駐車場から歩きだすことにした。赤池駐車場に置かれている赤池周辺案内図を見てコースを把握しようと思ったが、一瞬理解不能状態になった。その理由は、北が下になっており、通常の地図と真逆になっているためであった。必要な部分の地図を四角の範囲に切り取るためにある程度の回転を行うこともあるが、180度回転の理由は判らない。
 袴岳へは、袴湿原トレイルから袴岳登山道に進むことになる。駐車場の脇から、丸太の階段で整備された山道に進んだ。ひと登りすると、ほぼ水平な道に変わる。雪が消えたばかりの沢筋には、ミズバショウの花も咲いていた。左に小さな池が現れると、その先で袴岳登山道との分岐になった。袴湿原まで0.2kmとあったので寄っていくことにした。緩やかに登っていくと、袴湿原に到着した。湿原には、井桁状に木道が巡らされていた。低灌木が広がりつつあり、栄養状態が悪いのか、ミズバショウも小さい花が目立っていた。
 分岐に戻って、袴岳登山道に進んだ。ひと登りして幅広尾根に出ると、袴湿原方面から刈り払い道が上がってきているのに出会った。この刈り払いは、県境線とは若干ずれており、山頂を越して柏ヶ峠分岐まで続いていた。歩くには荒い刈り払いであり、柏ヶ峠分岐の先の県境線には設けられていないので、地境の測量のためとも思えない。その先は、一旦僅かに下った後に、1090mピークへの登りになる。このあたりからは美しいブナ林が広がるようになる。1090mピークが袴岳の山頂と思ってしまうが、だまされた後に最後の登りになる。登山道は細かいジグザグが付けられており、歩きやすくなっていた。台地に出ると、少し先で袴岳の山頂に到着した。
 ベンチの設けられた小広場からは、妙高山が正面に聳え、その左には黒姫山と飯縄山も並んでいるのを望むことができた。黒姫山の左には、爺ヶ岳を中心とした北アルプスが顔をのぞかせていた。広場周辺には、新緑のブナ林が朝日に輝いていた。しばらく、朝の空気を楽しんだ後に柏ヶ峠への道に進んだ。
 尾根が細まると急な下りになった。刈り払い部を左右に巻きながら道は続いていた。980m地点の窪地で標識が立てられており、赤池へは右にヘアピン状に曲がる。直進する方向にも山道が続いており、地形図ではその先が柏ヶ峠と記されている。柏ヶ峠を確かめるために先に進んでみた。すぐ先の高まりに進んだが、地形図では左右に破線道が横断しているが、道らしきものはなく、また峠の標識や石仏のような遺物も見当たらなかった。山道は、ピークを越して下っていくので、引き返した。山道は、北方面に囲むように続いている林道のどこかに下り立つのであろうが、その先は判らない。
 分岐に戻って、赤池への道に進んだ。以前は地形図にも記載されておらず、どこを歩いているのか判らない状態であった。現在は破線で記載されるようになっているが、袴岳の山裾を巻いていく道は現在位置を把握するのが難しい。キクザキイチゲが咲いて、雪融けから時間が経っていないことが判った。
 林道に飛び出して、しばらくこの道を歩いた後に、前回と同様に遊森トレイルに進んだ。少し大回りになったが、新緑の森の中の歩きは気持ちよかった。最後に、ひと登りすると林道に戻ることができ、すぐ先が赤池の駐車場であった。
 赤池から沼の原湿原へは、赤池ブナ林トレイルが続いているのだが、戻ってくるのが面倒なため、沼の原湿原の駐車場へ車で移動した。楽をした分は、沼の原湿原で、余計に歩き回ることにした。
 沼の原湿原の駐車場は、10台分ほどで広くはないが、幸い一台分開いていた。湿原に下りた所に沼の原湿原のルートマップが置かれている。それを見ると、以前と違っていた。ショートコースとロングコースが設定されていたので、ロングコースを歩くことにした。
 広々とした谷間に湿原が広がっている。まずは湿原の南の縁に続く木道歩きになった、リュウキンカが群落状に黄色い花を広げていた。ミズバショウも見られたが、少し距離があった。一旦湿原から離れて脇の斜面に上がると、ベンチも置かれ、湿原の見晴らし場になっていた。再び湿原に戻ると、ショートコースとの分岐になった。
 ロングコースはさらに上流部に向かって続いていた。木道の左右をミズバショウの花が埋め尽くす見事な花園が現れ、思わず足が停まった。ショートコース歩きだけでは味わえなかったであろう感動であった。その先で湿原西トレイルに出て、駐車場方面に戻ることになった。再び湿原に入る道となり、リュウキンカが美しく咲いている脇のベンチで昼食にした。その先でショートコースと合流し、湿原中央部に続く道を入口方向に戻った。
 入口の看板まで戻り、東湿原コースも歩くことにした。東湿原から湿原中央トレイルを戻ってくると頭に入れて歩き出した。すぐ先で湿原中央トレイルの入口があったので、これに進んだが、これは失敗であった。湿原の見晴らしは無い、尾根沿いの道となった。そろそろ湿原に戻る道に出るかなと思ったがものの、さらに登りが続いた。実は、残雪に覆われている地点があり、ここかなと思ったものの、湿原が見えなかったので先に進んだが、ここが東湿原に戻る分岐であった。残雪の上に歩いた様子も見当たらないことから、湿原中央トレイルを進み過ぎたことに気が付いたが、戻るのも嫌なので、先に進んだ。車道直前で西にコースを変えると、ロックガーデンとの分岐に出た。ここからは、せせらぎトレイルで湿原に戻った。緩やかに下っていくと、沢沿いの道になった。ミズバショウの花の間を歩くような所も現れ、自然度は高い道であった。ただ、整備は充分とはいえず、泥に足を突っ込む所も現れた。
 湿原東トレイルに合流すると、すぐ先で東湿原への道との分岐になった。再び上流部に向かうと東湿原に出ることができた。湿原の奥に進むと、行きに見落とした湿原中央トレイルとの分岐に出ることができた。再び戻って、湿原中央トレイルの通じている尾根の裾野を辿っていくと、入口に戻ることができた。東湿原へは、湿原中央トレイルの入口を見送ってそのまま進み、帰りは来た道をそのまま戻るのがお勧めであることが判った。
 ルートミスをしてしまったが、その分、沼の原湿原を余計に知ることができた。
 翌日は、青田難波山を登ることにして、飯山街道を経て高田に戻り、南葉高原キャンプ場に向かった。南葉高原キャンプ場には、上越高田IC近くの灰塚に道路案内があって、林道が延びているのだが、車のナビには表示されなかった。夕方に到着したキャンプ場は、テントが幾張りも並んでキャンパーで賑わっていた。一旦戻った広場で夜を過ごした。
 翌朝は、夜明けに目を覚ましたのだが、朝のコーヒーのために湯を沸かしている間にも山菜採りの車がキャンプ場に向かっていった。この一帯は山菜取りが盛んで、早朝から入山する者が多い。駐車場脇の芝地でテントが張られていたが、早朝から無理やり起こされてしまったことであろう。
 キャンプ場に戻って、登山開始となり。まずは案内図の確認。以前は、知る人ぞ知るといった状態の明神沢コースもしっかり記載されていた。今回の目的の一つに、湯ったり村コースを確認することがあった。この案内図の写真撮影によって、家に戻ってからGPSのルート設定を行うことができた。なお、この案内図に書かれているルートは、GPSで得られたルートとほぼ一致していた。それに対し、「新・にいがた花の山旅」、「分県登山ガイド新潟県の山」、さらに最新の「新潟百名山」のコースマップはただ、地形図の破線をなそっただけのでたらめである。執筆者は、その山域のイクスパートなのであろうが、金をとる出版物である上は、GPSで実際にルートを確認してから執筆して欲しい。
 ここから歩きだしたのは、2009年5月24日以来のことで記憶が薄れていた。トイレ脇から山道に進んでひと登りしてキャンプ場の上に出ると、明神沢コースに出てしまった。木落し坂コースへは、車道を少し下る必要があった。この分岐へは車道をそのまま登ってくる必要がある。車道を進み、閉鎖中の第4キャンプ場を過ぎると、木落し坂コースの登山口となる。
 しばらくトラバース気味に進んだ後に、尾根沿いの登りが始まる。最初は緩やかな登りも、すぐに急坂に変わる。滑りやすい泥斜面であるが、整備の手が入ってステップが付けられている。体調の問題でスピードは上げられないので、ゆっくりと登ることになった。標高600mから800mまでの間が、急坂の頑張りどころになる。標高700地点に水場があり、暑いと助けになるが、朝の涼しいうちとあってそのまま通過した。七合目で脇道に入ると見晴らしに出る。刈り払いの広場になっており、高田市街地方面の眺めが開けているが、逆光となって細部は見極められなかった。
 七合目の先で台地に出ると、残雪の原になっていた。木に付けられた赤丸を辿る歩きになった。灌木が飛び出しており、まっすぐには歩けないため、余計にコースを見失いやすかった。八合目や九合目の標識も、GPSで位置を記録しながら歩いた。地形図では、妙高市と上越市の境界線を挟んで二本の破線が記されているが、登山道は南に記されている破線である。市販のガイドブックは、北側の破線を登山道としているが、目印の乏しいほぼ平らな雪原とあっては、GPSを使っていないかぎりは判らないままであろう。今回は、明神沢コースを下山する予定であったが、往復のつもりであったなら、下山時の安全確保のために赤布を付けながら歩きたいところであった。
 雪原を登り詰めて到着した青田難波山の山頂は、狭い範囲だけ雪が融けて、丸石を積み上げた中に立つ標柱と石の祠、三角点が姿を見せていた。木立の隙間からは、火打山や妙高山の眺めが広がっていた。「籠町南葉山へ 往復約2時間一般向けです」と書かれていた標柱も頭を出していたが、字は完全に消えていた。
 明神沢コースに向かおうとしたが、赤丸やテープのような目印が見つからなかった。藪の縁をのぞきこんでいくと、土道の現れた明神沢コースを見つけることができた。この下り口も二重に破線が記されているが、西側が正解である。ロープも取り付けられた急な下りが始まった。標高850m付近まで下ると、幅広尾根になって、ここには雪原が残っていた。登山道を見落とさないように、雪原を進んだ。細尾根に変わると、再び土道の歩きになって、新緑を楽しむ余裕も出てきた。
 標高720m地点で明神峠に到着となった。左は桑取と書かれており、このコースも歩きたいと思っているが、キャプ場へは右に下る。明神峠から尾根沿いに下っている破線の道は無くなっており、東の沢に向かっての下りになる。ロープも掛かる急坂を下ると、美しいブナ林の広がる台地に出る。この先はトラバース道と思って安心してしまうが、小さなアップダウンがあり、距離もあって気を抜くことはできない。ただ、シラネアオイとサンカヨウの花が多く、楽しむことができた。明神沢は飛び石伝いに渡ることができたのだが、筍平を過ぎた先の沢は残雪に覆われており、急斜面をトラバースをすることになった。滑落しても3、4mで止まるはすだが、緊張を強いられた。幸い、雪渓のトラバースはこの一か所だけで済んだ。最後に尾根沿いの下りを続けていくと、キャンプ場に戻ることができた。
 残雪によって、青田難波山は初心者にはルート判断が難しい山になっていたが、それだけに充実感のある山を楽しむことができた。2009年5月24日の際は、残雪の影響は全くなかったので、山の状況は年ごとに変わるということを思い知らされた。
 
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