要害山

要害山


【日時】 2017年5月7日(日)
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 朴坂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 要害山(加護山)・ようがいさん・281mなし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条、小国/坂町
【コース】 新周遊コース
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:00 新潟=(R.7 経由)=7:05 平林城跡〜7:25 発―9:15 要害山〜9:45 発―10:36 不動滝―11:26 平林城跡=(往路を戻る)=12:20 新潟
 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在でも土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。

 要害山は、朴坂山縦走も含めて度々訪れているが、今回はワラビ採りと新周遊コース歩きを目的として出かけた。新周遊コースは、2005年9月11日に歩いたことがあったが、滝矢川沿いの登山道の途中で草が茂っており、一般ハイキングコースとしてはどうかなと思う状態であった。それからかなりの時間が経過しているが、登山口には新周遊コースの案内板が置かれており、現状を確かめる必要がある。
 ワラビを探しながら、のろし山から物見山を経て要害山へと歩いた。この日は、黄砂がひどく、目の前の蔵王山塊の眺めも霞んでいた。
 本丸跡から先に進み、舘岩を越すと新道が左に分かれる。ここには、「不動滝 御不動様 距離850m 時間約20分」と書かれた新しい看板が置かれていた。よく整備された道が続いていた。急な下りの部分には、泥斜面にステップが切られていたり、ロープが張られており、整備の手が充分に加えられていた。ただ、先回はあった第2ベンチの案内板は無くなっており、ベンチも設けられてはいなかった。
 急坂を終えて傾斜が緩むと、矢滝川沿いに延びる道に出た。T字路になっており、上流部に向かって「新潟県の名水 平林不動滝の湧水はこれより先、5分行ったところにあります。」と書かれた案内板が置かれていた。上流部に向かって歩いていくと、沢の原頭部に到着した。ここには、「セト坂の水」と掛かれた標柱が立てられていた。湧水を飲んでみたが、ぬるくてそれほど美味しいとも思わなかった。
 分岐に戻って、下りを続けた。沢の水も次第に増えていった。急坂を下りると、そこが不動滝で、お堂も立てられており、軽トラックなら走行可能な林道が上がってきていた。この付近に第1ベンチが置かれていたのだが、お堂や滝への遊歩道など、整備の手が加えられていた。不動滝は4mほどの落差で、滝の背後の窪地に石仏が祀られていた。
 不動滝からは、未舗装の林道歩きになった。沢を渡る時は、新しい木橋が架けられていたが、上に置かれた板が薄く、すぐに傷みそうであった。林道を下っていくと、「首切り清水」への山道分岐が現れた。地形図でも、短い距離ではあるが破線が記されている。おそらく166m点を経て尾根沿いに登っていくのであろうが、利用しづらいコースである。その先で波滝が現れた。周回できるように設けられた遊歩道を下っていくと、数段に連なった滑滝が現れた。滝の途中に穴が開いているのは、甌穴(おうけつ)あるいはポットホールと呼ばれるものであろうか。
 いささか長く感じられる林道歩きの後に、平林城跡登山口への分岐に出た。先回は、この先の道が判らず、千眼寺の前までいくという大回りになってしまった。沢にコンクリート橋が架けられているが、これは渡らずにそのまま右岸沿いに進むのが正解であった。沢沿いの道には草が生えているので、夏草のシーズンには歩きにくくなるのかもしれない。
 この新道は、現在は整備が充分に加えられており、途中に滝などの見どころもあるので、歩いてみる価値がある。

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