金倉山、高場山、妙高山、中山峠

金倉山、高場山、妙高山
中山峠


【日時】 2017年5月4日(木)〜5日(金) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 4日:晴 5日:晴

【山域】 長岡東山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 金倉山・かなぐらやま・581.9m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/片貝、半蔵金
【コース】 小栗山登山口より
【ガイド】 なし

【山域】 魚沼丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 高場山・たかばやま・383.6m・一等三角点補点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/岩沢
【コース】 林道内ヶ巻線入口より
【ガイド】 なし

【山域】 魚沼丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 妙高山・みょうこうさん・237.0m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/岩沢
【コース】 戸屋からの林道より
【ガイド】 なし

【山域】 長岡東山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 中山峠・なかやまとうげ・380m・なし・新潟県
 薬師山・やくしやま・396.4m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小平尾
【コース】 中山隧道小松倉入口より
【ガイド】 なし

【時間記録】
5月4日(木) 6:20 新潟=(R.49、R.403、加茂、R.290、森町、R.290、栃尾、R.351、R.17、横渡、R.291 経由)=8:30 小栗山闘牛場駐車場〜9:00 発―9:05 木喰観音堂登山口―10:22 三宅神社奥社―10:45 金倉山〜10:55 発―11:11 三宅神社奥社〜11:27 発―12:31 木喰観音堂登山口―12:37 小栗山闘牛場駐車場=(R.291、横渡、R.117、岩山入口、大崩、戸屋 経由)=13:44 林道内ヶ巻線入口―13:55 高場山―14:14 北登山口―14:27 林道内ヶ巻線入口=14:36 林道入口―14:49 山道入口―14:57 妙高山〜15:05 発―15:17 山道入口―15:30 林道入口=(川井、川口、R.17、小出、R.252、R.291 経由)=17:00 小松倉  (車中泊)
5月5日(金) 5:46 小松倉側中山隧道入口―6:15 芋川薬師〜6:33 発―6:43 広域農道―7:09 水沢入口―7:20 水沢側中山隧道入口―7:36 小松倉側中山隧道入口=(種芋原、栃尾、R.290、森町、加茂、R.403、R.49)=10:10 新潟
 金倉山は、小千谷市と旧山古志村(現長岡市)との境にあり、一帯は長岡東山山本山県立自然公園に指定されている。山麓一帯には、棚田や無数の錦鯉養殖池が広がり、独特の景観を見せている。山頂直下まで林道が通じて、遊歩道をひと登りすれば山頂に到着できるが、麓の小栗山からの登山道も整備されており、本格的な歩きを楽しむことができる。

 高場山は、魚沼丘陵の北端の信濃川河畔に位置する一等三角点ピークで、林道からはひと登りであるが周回コースが整備されている。

 妙高山は、高場山の北西に位置し、下を飯山線の妙高山トンネルが通過している。

 中山峠は、長岡市山古志(小松倉)から魚沼市(水沢新田)へ抜ける生活道路の峠である。冬季は雪のために峠越えが困難になって犠牲者も出たことから、延長877mの中山隧道を手掘りで完成したことで知られている。

 4月29日、30日の山行で浮かび上がった、金倉山の小栗山側からの登山と、山古志の中山隧道建設のきっかけになった中山峠越えという二つの課題を果たすために出かけた。連休の道路混雑を避けるため、いつものように栃尾経由で向かった。R.291に入り朝日山登山口を過ぎると小栗山への道が分かれる。木喰観音堂の案内に従って坂道を上がっていくと、闘牛場の広い駐車場が現れ、その先で到着となった。木喰観音堂脇に金倉山登山口があったが、お堂の周辺は道幅が狭く、適当な駐車スペースがなかったので、引き返して牛舎脇の駐車場に車を停めた。連休中は山古志の闘牛が開催されるはずであるが、他の会場で行われるのか、駐車している車は無かった。
 木喰観音堂まで少し歩いてから、金倉山への登山道に進んだ。耕作放棄地の中を抜けていく道であったが、水仙がお花畑状態で咲いていた。気温が高く、すぐに長袖Tシャツだけになった。チゴユリや白花のイカリソウも咲いており、初夏の季節に変わってきている。ただ、登るにつれてスミレやカタクリも現れて季節を逆行していくことになった。
 崩壊地の縁を通るところがあり、棚田や越後三山の眺めが広がった。山奥まで広がる棚田や養鯉池が山古志の魅力である。407m点を過ぎると、登山道は一旦下りになり、西側の尾根に移動した。  尾根の登りを続けると、金倉山の山頂下に続く林道に飛び出した。登山道の入口には、木の柱が立てられていたが、字は消えていた。林道を右に少し辿ると、登山道への入口が現れた。再び尾根沿いの登りが始まった。広場に出ると、左から未舗装の林道が上がってきていた。地図でも破線で記載されているが、車一台分幅の林道であった。その先は、草地となって、擬木の階段登りになった。急な登りであったが、オオバキスミレの群落が目を楽しませてくれた。
 急坂を登り切ると南西ピークに到着したが、広場になっており、三宅神社奥社と書かれた石柱が立てられていた。広場には、雪で傾いていたが、数個のベンチも設けられていた。緩やかに広がる稜線の向こうに金倉山の山頂にある展望台も見えていた。僅かに下ってから台地上の南ピークを越すと金倉山への尾根道になる。青空をバックにタムシバの白花が輝いており、しばし足を止めることになった。
 金倉山の展望台に上がると、周囲の展望が広がっていた。信濃川と小千谷の街並みを見下ろし、山古志の低山の連なりの向こうには、守門・浅草岳、毛猛山塊、越後三山の白き峰々が並んでいた。下の登山口から登ってきての山頂からの眺めは、すぐ下の駐車場からの歩きでは味わえないものであった。展望台のコンクリートが温められているせいか羽虫が多く、駐車場からの山菜取りグループも上がってきたので、ここでの休憩は諦めて、三宅神社奥社まで戻ってから大休止することにした。三宅神社奥社のある南西ピークは、静かで休むには良いピークであった。
 下りは、南西ピークから少し下った所の広場から林道に出て、後はこれを辿ることにした。山腹を大きく巻いていく道が続き、開放感のある道ではあったが、距離も長くて最後は疲れてきた。ただ、途中にイチリンソウの花を見ることができたのは収穫であった。
 金倉山は、スノーシュー歩きの他は登山の対象にはならない山と思っていたが、小栗山から登って、この山の魅力を改めて再認識した。今後もこのコースを歩くことになろう。
 時間もまだ余っていたので、林道から短時間で登れる簡単な山として、越後川口近くの高場山と妙高山に登ることにした。
 高場山は、1997年9月に一等三角点目当てに登っているが、それから時間が大分経ってしまっている。戸屋に移動し、川井新田に通じる林道に進んだ。林道は舗装されており、車の運転には問題の無い状態であった。高場山に近づいたところで、右手に未舗装の林道内ヶ卷線が分かれ、この林道に少し進んだ所に高場山の登山口がある。林道脇に車を停めて歩き出した。
 登山口からひと登りすると、緩やかな登りになり、少しの歩きで高場山の山頂に到着した。三角点の周りは広場になっており、信濃川方面の眺めが広がっていた。山頂からは、北東に向かって登山道が切り開かれていた。緩やかに下っていくと、崩壊地の縁に出て、越後三山の眺めが広がった。366mピークの肩を越して下っていくと、林道内ヶ卷線に飛び出した。後は林道を歩いて車に戻った。
 もうひと頑張りして、高場山の北東にある妙高山にも訪れることにした。林道を川井新田方向に下っていき、ヘアピンカーブを過ぎた先から歩きだした。未舗装の林道を下っていくと、棚田に出てその先から、地形図には破線で示されている放棄された林道が始まる。緩やかに下っていくと杉の植えられた妙高山に到着した。山の名前からして、宗教的な遺構があるかと思って探したが見つからなかった。確認のために先に進むと一旦下りになり、小ピークを巻いて尾根に出ると、石の祠と小さな石仏が置かれていた。その先で、すぐ下に林道の終点が見えた。やはり通り過ぎてきた地点が妙高山の山頂ということのようであった。帰りは、いつもの登山とは逆の緩やかな登りになった。
 この日の登山は終わりにして、小出から山古志に向かった。4月29日にR.291を通って中山トンネルを過ぎた所で、駐車場が設けられているのを見て寄ってみると、中山隧道見学のための施設であった。中山隧道については、以下のように解説されていた。

中山隧道
 この隧道は中山隧道という。長岡市山古志(小松倉)から魚沼市(水沢新田)を結ぶ延長877mの隧道である。人を通す手掘りの隧道としては、日本一の長さといわれている。
 この中山隧道は、小松倉から旧広神村、旧小出町への重要な生活道路として集落を支えてきたが、平成10年12月、国道291号道路改築工事による新しい中山トンネルの開通により、約50年間に及ぶ隧道としての役割を終えた。
 ここ小松倉集落は、旧山古志の東側最深部に位置し、周囲を山塊に囲まれ、当時村人はどこに行くにも峠越えを強いられていた。米や木炭など多くの荷物を運ぶ交通は苦難を極めた。特に冬期間は、4mを越える積雪のため峠越えもままならず急病人などいく人かの犠牲者も出ていた。
 それらの逆境に立ち向かい、地域住民の生命と生活を守るため、先人たちが隧道堀削を思い立ち、昭和8年から16年の歳月を費やし、手掘りで掘り抜いた隧道がこの中山隧道である。昭和24年の開通当時は922mであったが、水沢口付近での崩壊などにより現在の長さに至っている。いまでもツルハシの跡が当時のまま残り、先人たちの偉大なエネルギーと苦労と感動を伝えてくれる。
 この中山隧道は歴史的にも文化的にも優れた価値が認められ、また、地域住民自ら隧道堀削を決意し掘り抜いた有様が公共事業の原点にあたることから、近代土木遺産として、トンネル技術者・地域関係者など多くの技術者の注目を集めている。
 小松集落 長岡市 新潟県

 この説明から興味を持ち、家に戻ってから調べると、冬には中山峠超えのかんじきツアーも行われているようであった。冬に歩くためには、雪の無い時期に歩いて地形とルートを把握しておく必要がある。中山峠越えを行った後、現在中山隧道は通行止めになっているが、代わりに新しい中山トンネルを歩いて戻ってくればよい。
 まず、中山隧道の水沢新田側の入口を確認しておくことにした。中山トンネルの入口脇からトンネルの上に回り込むと、中山隧道の入口があった。小松倉側は観光客用に整備されているが、こちらは荒れた感じになっている。入口には柵が置かれていたが、隙間が開いていた。
 その夜は、小松倉近くの空き地で夜を過ごし、朝になってから小松倉側の中山隧道入口の駐車場に戻った。
 まずは、中山隧道の見学。入口には隧道や隧道建設の記録映画「掘るまいか」の説明が置かれている。隧道の奥に進むと、自動的に灯りがついた。隧道の壁には手掘りのツルハシの跡も見られるが、天井部は落石防止のための金網で覆われていた。入口から70m程で柵が設けれて通行止めになっていたが、脇にはすり抜けられる隙間があった。
 中山隧道の見学を終えて、中山峠超えに出発となるが、地形図には中山峠は記載されておらず、コースが判り難い。駐車場におかれている「中山峠・中山隧道一周ルート」の絵看板からコースを類推するしかない。地形図には、396.4m三角点ピークに通じる破線道が記されているので、これが峠道であろうと推測して歩き出した。駐車場から小松倉方面に戻り、南側に延びる林道に進んだ。すぐ先の橋には、「村道小松倉芋川線」と書かれたプレートが置かれていた。
 橋を渡ったすぐ先の急斜面に、ジグザグの道が付けられたので、これに進んだ。この取り付きは、道路工事によって旧道が失われてしまい、新しく付けられた道のようであった。急斜面のトラバースもあり、雪のある時期には、取り付きを別のところに求めるべきであろう。
 ひと登りして傾斜が緩むと、昔からの峠道という雰囲気の道になった。辿るのに問題の無いしっかりした道であるが、地形図の破線とは、東にずれていた。実際の道と破線が合致するのは、396.4m三角点ピーク手前の尾根が細くなった所なので、冬季に旧道を辿ろうとするならば、無雪期に実際に歩いて、GPSでコースを記録するしかない。地形だけを考えれば、雪の季節は、どこを歩いても良さそうであるが。
 登山道脇には、残雪が消えた直後なのか、カタクリのお花畑も現れた。尾根上に出ると、小ピークの基部に木のお堂と石碑が置かれていた。これが芋川薬師のようであった。絵地図には、その手前に中山峠が記されていたのだが、判らないままに通過してきていた。おそらく尾根に登りついたあたりが、中山峠なのであろう。今回の歩きでは、案内板は一切なかったが、冬に備えて撤去されており、これから再整備されるのであろうか。
 お堂の前で、道は左右に分かれ、またお堂の背後のピークに向かって擬木の階段が続いていた。ひと登りすると、石の祠が置かれた台地状の山頂に出た。刈り払い広場の片隅に三角点も頭を出していた。この点名は「薬師山1」ということなので、このピークは薬師山と呼ぶことができる。山頂からは、朝日に輝く越後三山を望むことができた。この薬師山は、小松倉側からの往復だけでも楽しめるピークといえる。山頂からは東と南に向かって刈り払い道が続いていた。今回は旧道を歩くことが目的であったので、一旦お堂の脇に戻り、お堂に向かって左の道に進んだ。入口は幅広の道ではあったが、途中で崩壊地になって幅が細くなっている所があった。それを過ぎると、林道に飛び出したが、薬師山の山頂方面からは泥にステップを切った刈り払い道が下りてきており、その基部には字が薄れて読み取れない石柱が置かれていた。積雪期には、山頂を越してここに下りてくるのが良さそうである。
 林道を下っていくと、広域林道に飛び出した。広域林道を100mほど南に辿った先から林道に進んだ。地形図では、林道が枝分かれするように書かれているが、道なりに下って行くことになる。下るにつれて、棚田や池も見られるようになった。最後に反時計周りに下っていくと、国道に下り立つことができた。これで中山峠越えを果たすことができ、後は中山隧道を通って戻った。
 中山峠越えのコースも確認できたので、来冬はスノーシュー歩きを行ってみようか。

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