宝林山から薬師山、金倉山、焼山、尖山

宝林山から薬師山、金倉山
焼山、尖山


【日時】 2017年4月29日(土)〜30日(日) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 29日:晴後雷雨 30日:晴

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 宝林山・ほうりんさん・394m・なし・新潟県
 誤謬山・ごびゅうやま・356m・なし・新潟県
 城山・しろやま・四等三角点・305.2m・新潟県 
 薬師山・やくしやま・230m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/大湯
【コース】 東養寺より
【ガイド】 無し

【山域】 長岡東山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 金倉山・かなぐらやま・581.9m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/片貝、半蔵金
【ガイド】 無し
【コース】 金倉山休憩展望台より

【山域】 山古志
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 焼山・やけやま・444m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小平尾
【コース】 焼山スキー場より
【ガイド】 なし

【山域】 東山連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 尖山・とんがりやま・591.7m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/半蔵金
【コース】 県道栃尾山古志線田代より
【ガイド】 なし

【時間記録】
4月29日 6:40 新潟発=(R.49、R.403、加茂、R.290、森町、R.290、栃尾、R.290、渋川、R.252、小出、R.352 経由)=8:50 東養寺〜9:15 発―10:00 宝林山〜10:15 発―10:25 誤謬山―11:02 城山〜11:20 発―10:52 薬師山―12:05 薬師山登山口―12:40 東養寺=(R.352、小出、R.252、R.291、竹沢、虫亀 経由)=17:23 金倉山休憩展望台―17:30 金倉山〜17:53 発―18:00 金倉山休憩展望台  (車中泊)
4月30日 5:40 焼山スキー場下―5:58 焼山―6:22 焼山スキー場下=(種芋原 経由)=7:18 田代―7:57 峠部―8:12 尖山〜8:20 発―8:30 峠部―9:08 田代=(栃尾、R.290、森町、加茂、R.403、R.49)=11:10 新潟
 小出市街地から国道352号線に進むと、その北側に薬師山、城山から始まって東に稜線が延びているが、最近、麓の東養寺から宝林山を経て城山に至るハイキングコースが整備され、尾根末端の薬師山までの道がつながった。

 金倉山は、小千谷市と旧山古志村(現長岡市)との境にあり、一帯は長岡東山山本山県立自然公園に指定されている。山麓一帯には、棚田や無数の錦鯉養殖池が広がり、独特の景観を見せている。山頂直下まで林道が通じて、遊歩道をひと登りすれば山頂に到着できる山である。夏は登山の趣は少ない山であるが、冬は絶好のスノーシュー歩きのコースになる。

 焼山は、山古志中心部にあり、古志高原スキー場が設けられて、リフトが山頂まで延びている。

 長岡東山連峰の東の栃尾市及び山古志村と守門村との境界部には、600m程の標高を持つ山塊が広がっており、地図には、尖山、談合山、三本ぶな山といった山名が記載されている。これらの山を結ぶかのように、山頂近くを林道が通過している。

 ゴールデンウィークであるが、体調の問題があって、低山歩きで我慢するしかない。中越方面の山に車中泊で出かけることにした。
 まずは、小出の宝林山を登ることにした。近くの鳴倉山や大力山は賑わうであろうが、この山はまだほとんど知られていない。科学の碑への案内に従って国道から分かれると、東養寺の前に出ると、トイレも設けられた駐車場に出る。「菩提の森ハイキングコース」として、宝林山への案内板も置かれている。
 城山へと続く林道入口の右脇に天満宮があり、このお堂の裏手から登山道が始まっている。杉林に囲まれた尾根の登りが続く。ひと登りすると、雑木林に囲まれた尾根に変わる。尾根の途中、小広場があり、石の祠が置かれており、昔からあった道のようである。
 途中で展望が開けると、アンテナ施設の立つ城山も望むことができるようになった。新緑の中にタムシバやムスカリの花が咲いており、季節の移り変わりを感じた。
 ひと汗かくと、刈り払いの広場になった宝林山に到着した。昨年に見て気になった東に向かっての切り開きを確かめに進んでみたが、堀切のような急坂の先で終わっているようであった。登山道としての整備なら、虎ロープの設置は必要なはずなので、進むのは諦めた。
 宝林山の山頂からは、桑原山から涸沢山、トヤの頭、鳴倉山に至る稜線を一望することができ、その左奥には越後駒ヶ岳が高く聳えていた。北側を眺めると、下権現堂山、上権現堂山、唐松山の連なりを目で追うことができた。これだけの展望を楽しめる山であるが、登山者は他にいなかった。昨年のほぼ同じ時期にはワラビ採りができたのだが、今回は一本も見られなかった。中越方面では、春の訪れが遅れてしまったようである。
 城山に向かって尾根を西に向かった。誤謬山からは下りになる。左脇に伐採の作業道を見ると、その先で林道跡に出て、すぐ先で井戸の入りの分岐になる。城山へは、山頂を螺旋状に巻いて登っていくことになる。城山の山頂は、テレビ中継施設が置かれていて、少々興ざめであるが、ベンチも置かれている。ここで大休止にして、この後どうするか考えた。南の方面に黒雲が広がってきており、天気の崩れも近いようであった。午後にもうひと山という訳にもいかないようなので、尾根の末端部の薬師山まで歩いてつなげることにした。
 城山から少し下った所から、薬師山への道が続いている。緩やかに下っていくと、薬師スキー場からの林道に出て、ひと登りするとリフトの山頂駅の置かれた260mピークに到着する。その先で、「木山沢へ」と書かれた杭が建てられた道が南に下っていた。ここまでの歩きの途中、雨粒が落ちてきたがすぐに止んでおり、天候ももう少しもつようなので、薬師山に向かうことにした。すぐ先で送電線が横切っており、これは八色線のようであった。
 送電線のすぐ先の高まりを越して緩やかに下っていき、緩やかな尾根が終わる所の杉林の中に薬師堂が置かれていた。ここが薬師山ということであった。
 薬師山から下っていくと、石仏がまとめて置かれており、その先は急な下りになって、車道に下り立った。薬師山の山裾に沿う水路沿いには桜が植えられており、お花見をしながら車に戻ることになった。東の谷奥には、未丈ヶ岳が白い姿を見せていた。
 車に戻ってひと息入れていると、黒雲が広がってきた。ドライブがてらに山古志へと移動することにした。山古志に入ると、雷雨になり、車を停めて様子見をしていると、霰も降ったくる状態になった。
 翌日は金倉山を登ることにして虫亀に向かった。金倉山はスノーシュー歩きで登っており、雪の無い時期には訪れたことがない。林道に車を乗り入れる頃には、雨も小降りになっていた。翌日は、適当な所で車を停めて棚田を見ながら歩くつもりであった。林道も残雪が残っているだろうと思っていたのだが、雪はほとんど見られなかった。細い林道を注意しながら車を進めていくと、結局山頂直下の金倉山休憩展望台に到着してしまった。
 雨も丁度止んでくれたので、金倉山を登ってしまうことにした。杉林の中の九十九折の道を登っていくと、展望台の置かれた金倉山に到着した。山頂に置かれた石仏や三角点はこれが初見ということになった。展望台の上からは、遠望は利かなかったが、山古志の里を眺めることができた。  南に向かって切り開きの道が続いているのを見て、様子見のために進んでみた。南の小ピークを越していくのを見て、時間も遅いので引き返した。帰宅後に調べると、小栗山から登山道が開かれているようであった。課題がまた増えた。
 駐車場に戻ると、真っ赤な夕日が沈む所であった。信濃川が茜色に染まった輝いていた。棚田を眺めながら山を下り、適当な駐車スペースを見つけて夜を過ごした。
 眠りについたのも早い時間であったので、早朝に目覚めた。とりあえず、近くの焼山を登ることにした。焼山には2009年11月に登っているが、時間も経っている。スキー場下の道路脇に車を停めて歩き出した。最近は、スキー場の閉鎖が多くなっているが、ここは小さいながら続いているようである。
 スキー場の管理道は、山頂まで続いている。山頂直前のカーブ地点に三角点が置かれていた。山頂からの眺めでは、金倉山をはじめとする山古志の山々が取り巻いており、焼山が山古志の奥地にあることが実感できた。谷には朝霧がかかっており、毛猛山塊や越後三山、巻機山の眺めも素晴らしかった。時間をとわずに登れる山なので、夕焼けの撮影に良さそうな山である。
 体調のことも考えて、続いては、簡単に尖山を登って家に戻ることにした。雪の無い時期としては、2003年5月に登って、山道があることが判っている。田代の峠部から歩きだした。林道歩きを続け、棚田脇を抜けると、かなり大きな溜池の脇に出て、残雪も現れるようになった。山の斜面をトラバースしながら登るようになると、林道上に藪が現れるようになった。前回は、自転車を押しながら上ったのだが、現在は無理な状態であった。山古志を中心にして起きた中越地震は、2004年10月23日に起きている。生活道路は、以前よりも立派に復旧されているが、林道などは放棄されたものも多い。現在は、歩くのには支障は無いが、車の走行は不可能な状態になっていた。
 峠部に到着して、山道を探した。尾根に向かうかすかな踏み跡があり、それを辿った。尾根沿いには踏み跡は見られるものの、藪を掻き分ける状態で、完全な藪漕ぎになった。棘のあるつるもあって、ぬけるのに苦労するところもあった。幸い距離もさほどないので、尖山の山頂に到着することができた。山頂部は雪原になっており、木立に囲まれていた。東の尾根に進むと、木立が切れて、守門岳の展望が広がった。
 尖山の現状は、かすかな踏み跡を辿る藪漕ぎの山になっており、雪の時期の方が楽しめることが確認できた。

山行目次に戻る
表紙に戻る