若ぶな山、貝附城跡

若ぶな山、貝附城跡


【日時】 2017年4月22日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 若ぶな山・わかぶなやま・629.9m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/小国
【コース】 大里峠入口より
【ガイド】 なし

【山域】 蔵王山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 貝附城跡・かいつき城跡・110m・なし・新潟県
【コース】 貝附城跡登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条、小国/坂町、越後下関
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:40 新潟発=(R.7、十文字、R.113、越後片貝 経由)=7:50 大里峠入口―10:00 ゲレンデ上―11:09 大里峠入口=(越後片貝、R.113 経由)=11:35 花立入口―11:43 貝附城跡登山口―11:54 貝附城跡―11:58 鉄塔―12:02 貝附城跡―12:09 堰堤脇T字路〜12:19 発―12:21 林道―12:24 貝附城跡登山口―12:34 花立入口=(R.113、十文字、R.7 経由)=13:50 新潟
 若ぶな山は、飯豊連邦と朝日連邦との境をなす荒川にのぞむ飯豊連峰前衛の山である。山腹には、若ぶな高原スキー場が広がっている。

 貝附城跡は、蔵王山塊の東端の荒川を望む尾根上に設けられた山城跡である。貝附城を街道の見張り場とし、後方の尾根続きにある貝附山城を本城とした大規模な山城であったようである。城主は小泉庄色部氏家臣の須貝伊賀守であったというが、詳細は不明である。

 スキー場が閉鎖になったら、久しぶりに若ぶな山を登ろうと思っていたのだが、延ばし延ばしになっていた。先週の万太郎山で、たっぷりの残雪を楽しんだので、若ぶな山でもまだ残雪歩きができるかと思って出かけた。
 関川村を抜けて若ぶな山が近づいてくると、周囲には新緑の山肌が広がるようになった。若ぶなスキー場に到着してゲレンデを見ると、すっかり雪が消えていた。魚沼方面の雪融けは例年よりも遅れているが、下越方面は例年並みのようである。藪漕ぎはあまりしたくなかったので、目的をフキノトウ採りに変更した。
 スキー場の駐車場脇を通り過ぎると、すぐ先で大里峠との分岐になる。スキー場へは、林道を直進すすことになる。この分岐から歩きだすと、林道にはすぐ先で綱が張られていた。カーブの先でゲレンデに出たので、この先はゲレンデ歩きを行った。草も刈られており、歩きやすい状態であった。若ぶなスキー場は、ファミリー向きのスキー場なので、ゲレンデ歩きも難しくはない。レストハウスの設けられた中間部を過ぎると、若ぶな山の山頂も迫ってくるが、その肩部のゲレンデ最高点へは急斜面のため、管理道を辿って迂回した。
 ゲレンデ最高点が近づくと、管理道にも残雪が現れた。リフト山頂駅の手前に、アンテナ施設があり、そこへの丸太階段を上ると尾根上にでるが、その先は藪が広がっていたので、歩きはここまでとした。フキノトウは、少し時期が遅くなっていたが、雪融け直後と思われる場所で採ることができた。
 ピークを踏まないで終わるのも残念なので、家に戻る途中の貝附城跡を登ることにした。2014年9月6日に貝附山城跡から高坪山へと歩いたが、その後ネットで調べると、貝附山城跡の他に貝附城跡というものがあることを知った。
 国道脇の駐車スペースに車を停めて、米坂線の線路を渡り、花立への林道を進むと、貝附山城跡の案内板が置かれている。「にいがたの森」や送電線「荒坂線No.17」の案内板に登山者カード入れのポストも置かれており、本格的な登山コースかと思ってしまう整備様である。
 歩き始めは杉林の中であるが、すぐ先で尾根に取り付くと雑木林に変わった。九十九折の道を登っていくと、分岐となって下っていく道には庚申塚の案内板が置かれていた。先回の貝附山城跡登山の際にも、山頂から僅かに下ったところで庚申塚への道が分かれていた。庚申塚がどこなのかは判らないが、貝附山城跡へと続いているようなので、後で歩いて確かめることにした。
 急坂をもうひと登りすると、貝附城跡に到着した。山頂は狭く、城館を置くだけのスペースは無かった。貝附城跡からは、光兎山と荒川を眺めることができた。
 道は奥へと続いていたので、進んでみた。堀切を越していくと送電線鉄塔の下に出て、道はここまでであった。
 分岐に戻って、庚申塚への道に進んだ。枝尾根沿いの急降下であったが、あまり歩かれていないようであった。西側の沢に下り立つと、T字路になった。右に曲がれば堰堤に出るので、左に曲がって沢の奥へと進んだ。竹林が広がっており、踏み跡もはっきりしなくなり、引き返しになった。道のつながりは、貝附山城跡から下って確かめるしかないようである。
 分岐に戻って堰堤に進むと、その先で林道に出てしまい、庚申塚がどこであったかは判らないままになってしまった。

山行目次に戻る
表紙に戻る