小松原湿原、夏戸城跡

小松原湿原
夏戸城跡


【日時】 2016年9月7日(金)〜9日 前夜発2泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 7日:曇り時々雨 8日:雨

【山域】 苗場山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 小松原湿原・こまつばらしつげん・1500m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/苗場山/苗場山
【コース】 小松原林道より
【ガイド】 山と高原地図「谷川岳・苗場山・武尊山」(昭文社)、新・分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)

【山域】 東頚城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 夏戸城跡・なつとじょうせき・60m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/寺泊
【コース】 夏戸集落館小路よりトキ分散飼育地へ
【ガイド】 なし

【時間記録】
10月7日(金) 14:10 新潟=(R.8、R.17、小千谷、R.117、上段、グリーンピア津南 経由)=18:00 小松原林道入口  (車中泊)
10月8日(土) 6:40 ゲート―8:11 登山口―8:30 下ノ代分岐―9:16 中ノ代分岐―9:46 上ノ代―10:10 避難小屋―10:30 上ノ代〜10:50 発―11:16 中ノ代分岐―11:58 下ノ代分岐―12:09 登山口―13:38 ゲート=(グリーンピア津南、上段、R.117、当間高原リゾートベルナティオゴルフクラブ 経由)=15:00 当間山登山口駐車場  (車中泊)
10月9日(日) 6:10 当間山登山口駐車場=(R.117、小千谷、R.17、R.8、上新田田町、与板、上桐 経由)=8:20 本光寺〜8:48 夏戸城本丸〜8:53 発―9:07 詰ノ城―9:22 トキ分散飼育地―9:40 9:40 本光寺=(R.116、R.8 経由)=11:10 新潟
 山頂部に広大な湿原を広げる苗場山は、その特有な景観より日本百名山にも選ばれ、人気の山になっている。苗場山から北に向かっては、神楽ヶ峰を経て霧ノ塔、日蔭山と稜線は連なり、その山裾には、苗場山の広大な湿原とは違った庭園風の趣を持つ小松原湿原が広がっている。

 夏戸城跡は、長岡市寺泊近くの夏戸字城の腰にあった標高60m程の小高い山を要害とした山城の跡で、越後守護「上杉氏」の家臣である志駄氏の居城である。戦国期には、越後上杉氏に従い、直江兼続家臣団の与板衆として働いたが、慶長3(1598)年に上杉氏が会津へ移封されると、それに伴い夏戸城は廃城になったと伝えられている。

 せっかくの三連休であるが、三日目は用があって家にいる必要がある。初日は曇り後雨、二日目は雨後曇りの天気予報が出た。雨を想定して紅葉を楽しめる山として小松原湿原を訪れることにした。その先の日蔭山へは、天気を見てきめることにした。
 前夜にグリーンピア津南に到着し、小松原林道入口手前の広場で車を停めて夜を過ごした。翌朝早起きしたものの雲が厚く垂れこんでいるためか暗く、二度寝したため、出発時間が遅くなった。小松原林道は途中から未舗装に変わるが、まずまずの路面状態で車の走行には問題は無いが、道幅は狭いので対向車に注意が必要である。
 林道のゲートは、釜川に向かって道が分かれる地点に設けてある。駐車スペースは4、5台といったところであろうか。小松原湿原へは、最初の林道歩きが一番の難関になる。この林道は、折り返し部が長いため、歩く距離も長くなっている。少し歩いた先で沢に架かる橋のたもとが崩壊していた。先回は山菜採りのために地元の車が入り込んでいたが、これでは通過することはできない。その先は、林道脇の草のため道幅が狭くなっているところもあった。林道歩きの途中、雨が落ちてきた。すぐ止んだものの、天気の崩れは早そうであった。
 長い林道歩きは現在地が判りにくく、GPS頼りになる。軽い下りになると、林道の左脇に三角屋根のトイレが現れる。登山者もそれほど多くないこのコースで、立派なトイレが設けられているのには驚かされる。その先が小松原湿原への登山道入り口になる。
 この先は木道歩きになるが、朽ちて苔の生えた木道は滑りやすく、速足で歩くことができない。以前よりも木道の荒廃が進んでいるようである。補修してある所もあるが、新しい板は滑りやすく足を置くことができなかった。
 ひと歩きで下ノ代に到着。物見尾根からの登山道が合わさる。この登山道は、ぬかるんでいるが 幅も広く設けられていた。笹葉峰からの登山道が歩けるのかどうか、偵察をしてみる必要がある。
 下ノ代の小さな湿原を抜けていくと、階段上りが始まる。周囲のブナ林は見事であるが、紅葉はまだであった。今年の紅葉は遅れているようである。傾斜が緩むと中ノ代で、見倉からの登山道が合わさる。この先からいよいよ湿原が美しくなるので、写真を撮りながらの歩きになった。再び登り坂になり、それを越すと上ノ代になる。小さな池塘が広がり、奥に黒倉山や日蔭山が聳えている眺めは、広大な尾瀬とも違った美しさを持っている。湿原は茶色に色づいているが、周囲の木立の紅葉がいまいちであった。悪天候が続いているので、紅葉が遅れて、さらに風で葉が落ちてしまっているようである。黒雲が流れる状態であったので、日蔭山は諦めて、避難小屋までとした。
 湿原を抜けていくと沢が現れた。小さな木の葉が浮いていて深さが判らなかったが、ストックで探ると、意外に深く靴が沈むほどであった。水面下の踏み石を探ってなんとか越した。沢を越した先に避難小屋があった。中をのぞくと、きれいにかたづいていた。
 とりあえず目的地の避難小屋まで歩いたので、上ノ代に戻って大休止にした。小松原湿原では、休憩用のテラスが設けられていないので、木道の上に腰を下ろすしかない。上ノ代の池塘に囲まれた景色の良い所で腰を下ろした。幸い、登山者もいないのでゆっくりと休むことができた。
 下山は、登りよりも足元に注意が必要で、それでも滑って尻餅をついてしまった。
 中ノ代から下ノ代への坂の途中で男性の単独行にすれ違った。時間は遅めであるが、小松原湿原の日帰りであろうか。下ノ代の分岐を過ぎて林道直前のところで、5名のグループとすれ違った。このグループは、避難小屋泊まりのようであった。午後から雨が降りだし、翌朝は本降りになったので、下山は苦労したと思われる。
 林道歩きは、下りでも長く感じられた。途中で雨が降りだしたが、雨具の上着を着ただけで、なんとか車に辿りつくことができた。
 林道を抜けて、グリーンピア津南手前に戻ったとことで、お茶をしながら翌日の山を考えた。とりあえず、雨の中でも歩ける山として、当間山を登ることにして、当間高原リゾートベルナティオゴルフクラブ脇の登山口に移動した。
 夕方に雨は一旦止んだが、夜中から本降りの雨になった。翌朝も本降りの雨が続いており、歩行時間もそれなりにある当間山は厳しいと思って、最後の候補として考えていた夏戸城跡を訪れることにした。地域的に離れており、移動のために時間が経って、天候が変わることを期待してのことである。
 一旦中之島に戻り、夏戸に向かった。地図を見ると、夏戸城のある丘に向かっては、何本かの破線が記されているが、ネットで情報を集めると、本丸への道は少し違っているようである。
 まずは、夏戸集落の諏訪神社の前にある「夏戸城と志駄氏」の説明版を確認。南に戻って、本光寺の門前の路肩スペースに車を置かせてもらって歩きだした。幸い、雨は小降りになっていた。
 集落内の道を歩いていくと、舘小路という標柱が置かれており、夏戸城跡まで200mとも書かれていた。山に向かって民家の脇を抜けていくと、車道は終わり、ここから山道が始まった。コンクリートの階段をひと登りすると、夏戸城大手門と書かれた門が設けられていた。竹林の中をひと登りすると、尾根上に出て、本丸と下ノ城との分岐に出た。左に曲がると、本丸跡に出た。台地の中には塚があり、これは廃城の際に不用の物を埋めたという言い伝えが残されているようである。
 分岐に戻り、下ノ城に向かい、さらに詰ノ丸に進んだ。民家裏手の小さな丘であるが、木立に囲まれて、山奥の雰囲気がした。詰ノ丸は、本丸よりも僅かに高く、最後の防衛地としての機能を持っていたようである。
 詰ノ丸からは、北に向かう道を下った。最後の杉林の中で道が二手に分かれ、ロープが張られた遊歩道を下ったが、最後に沢奥に下ると、その先の道はなく、砂防用の堰堤を三本越すのに苦労した。杉林の中を直進して、トキ分散飼育地の駐車場脇に下りるのが正解であった。下り口には標識も置かれていた。砂防ダムの整備によってコースが変わったようである。後は、車道歩きで本光寺に戻った。
 ともかく登山成立ということで家に戻ることにしたが、車を走らせると、ワイパー全速で、ライトを付ける必要のある猛烈な雨になった。夏戸城跡を歩いている間の小雨は幸運だったようである。

山行目次に戻る
表紙に戻る