笠菅山、月山

笠菅山、月山


【日時】 2016年8月28日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 五頭連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 笠菅山・かさすげやま・609.4m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/出湯、東赤谷
【コース】 細越より
【ガイド】 なし

【山域】 津川周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 月山・がっさん・336.5m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/越後豊川
【コース】 上川支所跡より周回
【ガイド】 緑に親しむ新潟県森林浴の森100選(新潟日報事業社)

【時間記録】 6:20 新潟=(R.49、三川温泉 経由)=7:40 細越栗園跡〜8:05 発―8:33 林道終点―8:55 細越栗園跡=(三川温泉、R.49、津川 経由)=9:30 上川村役場跡―9:54 三角点―10:30 月山〜10:48 発―11:28 県道柴倉津川線入口―11:50 上川村役場跡=(津川、R.49 経由)=13:50 新潟
 笠菅山は、五頭山塊の裏手にあたる三川温泉の背後に、新谷川と中ノ沢川に挟まれて立つ山である。標高は低いが、独立峰で、名前のように笠を置いたような形から周囲から良く目立つ山である。

 月山は、会越国境の御神楽山の登山口にあたる上川村にある丘陵である。山頂付近には、ブナ林が残り新潟森林浴100選にも選ばれ、ハイキングコースとして整備されている。

 笠菅山は、新雪の裏五頭の眺めを楽しみに、中ノ沢から送電線巡視路を使って登るのが年末の恒例になっていた。昨年登った際、新しいテレビ中継施設が完成し、南東尾根方面に虎ロープがかかる道が整備されているのを見た。工事関係者が登ってくるための道で、おそらく細越栗園の先の林道終点に通じているのだろうと推測した。9月に入ると、栗園の営業のために車で入り難くなるかと思い、8月のうちに出かけることにした。
 三川温泉から中ノ沢への道に進み、細越栗園への林道に進んだ。林道上には落ち葉が積もっており、車はあまり通過していないようであった。一旦ピークを越して緩やかに下っていくと、脇に工事用プレハブ小屋が置かれた三叉路に到着した。栗園は廃業しているようで、駐車場は荒れており、立ち入り禁止の看板が置かれていた。
 路肩に車を置いて先の林道に進んだ。ひと登りして右に栗園内への道を分けると、その先の林道は脇から草が倒れこむようになった。建設作業員が乗った車が行き来したような気配は無かった。林道終点付近は、伐採後の藪になっていた。あと僅かで林に入れるという距離で、藪がからまって先に進めなくなった。このルートは、1997年11月に笠菅山に最初に登った時に使ったのだが、現在では廃道と判断するしかなかった。アンテナ施設の置かれた台地から見た虎ロープも掛けられた道はどこに通じているのか、疑問が残された。冬季ルートとして使った古岐からの林道に続くのだろうか。謎を解くには、中ノ沢から笠菅山に登り、山頂から下ってみるしかない。
 このまま家に帰るのも敗北感しか残らないことになるので、ともかく登頂を成立させるため、津川の月山に向かうことにした。
 上川村役場の建物は撤去されて空き地も広くなって、車を停めやすくなっていた。廣瀬神社の鳥居をくぐって進むと、石段が始まる。苔むして滑りやすいので足元に注意が必要になる。脇にパイプのてすりが設けられているが、下りにはすがることになりそうである。石段は長く続いて、廣瀬神社の境内に到着する頃には汗だくになっていた。
 神社の境内の奥から登山道が続いているが、月山の案内標識は置かれていない。ひと登りして四等三角点が置かれた小ピークに出ると、展望が広がり、常浪川の流れを見下ろすことができる。この先は、小さなピークを越していく道が続き、同じ道を引き返す気にはなれない。周囲は雑木林が広がって、気分の良い道である。途中、猿の群れがいて、キーキーと威嚇の声を出していたが、近寄ってはこなかった。
 月山への最後の登りは、山頂下をトラバースして一旦小山への参道に出て折り返すように続いている。山頂神社の軒下に腰を下ろして休む前に東斜面を見ると、境界見出し標の設置が行われており、粗い刈り払いが行われて、テープも連続的に付けられていた。いざとなったら登り返す覚悟で、この刈り払い道を辿ってみることにした。
 尾根沿いの下りが続いた。しばらく辿ってからGPSを確認すると、破線が記されている尾根の東隣を走る尾根を下っていた。伐採は、膝ほどの高さで、なんとか歩けるという状態であった。途中倒木で歩くのが大変なところもあったが、先にテープの列が続いているのが見えるので、下りを続ける気が持続した。
 最後に県道に飛び出して周囲を見回すと、道路の反対側に作業小屋が置かれているのが目印になるものの、周囲には他のテープが取り付けられていた。ここから登るのは難しそうであった。
 最後の車道歩きは、小山から戻るのよりは短いので助かった。
 この刈り払い道は、この先数年の限定ルートになりそうであった。消えた登山道の代償は、新たに現れた登山道で報われた。

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