曲谷城山、城ケ峰(虎谿城址)

曲谷城山、城ケ峰(虎谿城址)


【日時】 2016年5月1日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雨

【山域】 加茂丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 曲谷城山・まがりたにしろやま・120m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/加茂
【コース】 曲谷より
【ガイド】 なし

【山域】 守門岳周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 城ケ峰・じょうがんね(虎谿城址・こけいじょうし)・161m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/森町
【コース】 熊袋より
【ガイド】 なし

【時間記録】 7:40 新潟=(R.49、茅野山IC、R.403、新津、加茂、R.290 経由)= 9:11 工事中の橋のたもと―9:18 林道入口―9:37 曲谷城山―9:56 林道入口―10:02 工事中の橋のたもと=(R.290、下樫出 経由)=10:52 虎谿城址入口―10:58 車道終点―11:10 虎谿城址本丸〜11:18 発―11:28 車道終点―11:33 虎谿城址入口=(塩中、森町、R.290、加茂、新津、R.403、茅野山IC、R.49 経由)=13:10 新潟
 曲谷城山は、鹿熊川と曲谷川に挟まれた尾根に設けられた戦国時代の山城である。栃尾の本庄軍が下田長尾軍を攻めた際に、高城の出城であったこの曲谷城山は、急峻な地形を利用して良く善戦したものの、全兵が討ち死にした。

 虎谿城址は、地元で城ケ峰(じょうがんね)と呼ばれる小山に置かれた山城の跡である。上杉遺民一揆時に越後に入封した堀氏に対抗した一揆勢が立て籠もった要害とも、栃尾地区に伝わる酒呑童子に関する要害とも言われている。

 雨の予報が出て、簡単な山で済ますことにして、山城巡りに出かけることにした。以前、新潟の山城を調べた時、三条市の曲谷に城山があり、道路脇にその案内板が置かれていることを知った。ストリートビューで道路脇の案内板を探すと、鹿熊川の少し上流部の橋のたもとにあることが判った。南に落ち込む尾根沿いの道があるのだろうと思ってルートを予想した。
 曲谷に到着して、案内板を確認し、ひと安心した。雨の中、雨具に長靴、傘の姿で歩きだした。車一台がやっとの橋を渡ると、「曲谷城山城址入口」という標柱が立っていた。しかし、正面は田圃でその奥の杉林にも道がある様子はなかった。川沿いの左右に農道が延びているだけであった。尾根が低くなってくる下流部に登り口があるかと思って進んだが、見つからなかった。丁度川沿いで草刈りの準備をしている人がいたので聞いてみると、ここからの道は藪に覆われてしまっている。今工事中の橋から尾根沿いに進めば、森林組合が道を付けているので登れると教えてくれた。出直しになった。
 現在、曲谷集落の中央部の橋が工事で撤去されており、下流部に回り込む必要があった。対岸の橋のたもとから曲谷城山の山頂方向に未舗装の林道が延びていた。これを進んでいくと、杉の伐採のためのブル道が始まった。ぬかるんだ道で、切り倒した木も転がっており、平日の作業中だと、立ち入り禁止と言われてしまったかもしれない。作業道終点から急斜面を登ることになった。
 ひと登りすると、傾斜が緩み、尾根伝いに山頂目指すことになったが、道は無く、藪を払いながらの歩きになった。雨の中でやりたくはなかった藪漕ぎになってしまった。
 山頂手前で、深い堀切が二か所現れ、通過に苦労することになった。遊歩道なら、ロープが取り付けられるところである。尾根の合流点が山頂のようであったが、少し幅の広い尾根といった具合で、広場のようにはなっていなかった。予想から大きく外れた山城であったが、ともかく登頂成功ということになった。
 戻る途中、下の方から機械音が聞こえてきたので、伐採工事が始まってしまったかと焦ったが、麓の田圃の田植えのトラクターの音であった。
 城山の案内板はともかく、「曲谷城山城址入口」という標柱には騙された者もいるのではないだろうか。
 続いて虎谿城址へ。最近は、高速代の節約のために、小出方面へは、下田、栃尾経由で一般道を使うことが多い。その途中の熊袋の道路脇の建物に、「虎谿城址 遊歩道、空堀(三つ)」と書かれた看板が置かれているのが気になっていた。集落内に入っていく道も、ストリートビューで見ることができたが、車道終点は民家の前庭状態なっているようなので、入口から歩いていくことにした。
 集落内に入ると、建物の壁に虎谿城址の説明板が置かれているのが目に入った。車道終点はやはり民家の前庭状態で、そこから山に向かって道が始まっていた。放棄された農地の中を進んでいくと、城ヶ峰遊歩道という案内板が現れた。農道のような道は左に曲がっていったが、看板の背後の杉林を見ると、踏み跡状態の道が続いていた。急な尾根沿いの登りが続いた。少し藪っぽいが、先ほどの曲谷城山と比べれば楽な歩きであった。標高150mを越したところで、左手から遊歩道といえるはっきりした道が合流した。看板の所で左に進むのが正解であった。
 この先は、緑の美しい雑木林の中の尾根歩きになった。到着した虎谿城址本丸跡は、刈り払われた広場になっており、守門岳方面の眺めも広がっていた。
 道はさらに先に続いていた。雨も上がって余裕が出てきたので、この道がどこに通じているのか確かめようという気になった。低山なので、登り返してもさほどの苦労ではない。尾根沿いに進んでいくと、深い堀切が現れた。登り返して尾根上に戻ったが、その先は藪になっていた。どうも、堀切見学用の道のようであった。
 下山は、歩いていない遊歩道に進んだ。尾根沿いに下っていくと、池の脇を抜けて看板脇に戻ることができた。
 虎谿城址周辺は、地図上では実線や破線が何本も記されているが、実際に残っているのは、池の東に通じているものだけであった。
 小さいながら、展望の良いピークであるが、一般に知られていないのは残念なことである。
 
山行目次に戻る
表紙に戻る