鳥屋ノ峰、大天城

鳥屋ノ峰、大天城


【日時】 2016年4月30日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 櫛形山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 鳥屋ノ峰・とやのみね・276.7m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新発田/菅谷
【コース】 大天城公園より周回
【ガイド】 なし

【山域】 櫛形山脈周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大天城跡・おおてんじょうあと・30m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新発田/菅谷
【コース】 大天城公園より
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:05 新潟=(R.7、七社 経由)=6:45 大天城公園〜7:05 発―7:42 箱岩峠―8:23 鳥屋ノ峰 ―9:27 鉄塔No.47―9:34 茗荷谷分岐〜9:42 発―9:48 鉄塔No.45―10:17 大天城公園―10:29 大天城跡―10:42 大天城公園=(往路を戻る)=11:30 新潟
 蒲原平野の境に沿って、加治川と胎内川の間に長さ14km、幅5kmにわたって南北に広がる丘陵地帯を櫛形山脈と呼ぶ。標高500m程の丘陵地帯にしかすぎないが、2.5万分の1地形図に山脈と記載されている唯一の例といわれて、日本一のミニ山脈として地元で売り出している。この櫛形山脈は、白鳥山から箱岩峠までが、縦走路も整備されて、一般的に歩かれている。これに対し、箱岩峠から南には、鳥屋ノ峰と要害山の二つの名前を見ることができる。これらのピークはほとんど忘れられた存在になっているが、整備された山道が通じている。

 大天城は、箱岩峠への入口、箱岩川左岸の丘に置かれた山城で、平安末期に加治郷を支配した青鬼監視人が城主であったと伝えれいる。一帯は、大天城公園として整備されている。

 連休二日目は、連休の中でも天気が安定しているようだが、それでも曇りの予報。近場にありながら歩いていなかった大天城公園から鳥屋ノ峰への周回コースを歩くことにした。
 七社の交差点から箱岩峠への道に進むと、直に大天城公園の駐車場が右手に現れる。この山城も気になっていたので、戻ってきてから歩くことにして、ここに車を置いて起点とした。
 大天城公園からは、しばらく車道歩きを我慢することになる。集落のはずれからは、冬にスノーシュー歩きを行っているが、それに比べれば楽である。40分ほどで箱岩峠に到着したので、夏道はやはり楽である。箱岩峠から菅谷方面は、平成29年末の来年いっぱいは道路の改良工事のために不通になっている。ここまでゲートは無かったのだが、峠の菅谷への下り口でゲートが置かれていた。
 峠付近は法面が切り立っているので、少し戻った所から林に足を踏み入れた。杉の落ち葉で少し判りにくくなっていたが、テープも付けられており、登山道を辿ることができた。急登で小ピークに出ると、一旦下って、奥の尾根に再び登り返すことになった。このコースは雪の時期には歩いていたが、夏道の出ている時期は初めてであった。通常の登山道と変わらない道が続いていた。ミツバツツジが新緑の中に美しいアクセントを付けていた。谷越しに高く聳える鳥屋ノ峰が見えてくるが、尾根を巻いて登っていくので、実際にはそれほどの標高差はない。山頂手前で堀切跡のようなものも見られ、あるいは山城があったのではと思える。
 急坂を登ると鳥屋ノ峰の山頂に到着した。山頂は刈り払われた小広場になっており、櫛形山や二王子岳方面の木立が切り開かれて展望が開けていた。ここまでの登山道沿いには境界見出し標が置かれていたので、その管理道が元になっているようだが、山頂の展望台といい、登山道としての整備が行われているような感じがする。その割には、一切標識がないのは不思議である。
 この先も長いので、先に進んだのだが、山頂から急坂を下り始めて念のためにGPSを確認すると、早くもコースが違っていた。要害山方面へと下り初めていた。このコースも歩く必要があるが、この日は茗荷谷方面に進まなければならない。登り返すと、山頂から下り始めたところで右にコースを変えなければならない所を、直進してしまったことが判った。
 茗荷谷方面にもしっかりした道が続いていた。小さなピークを乗り越えていくため、それなりに体力も必要であった。鳥屋ノ峰は低山なので、これくらいのアルバイトはあった方が良い。尾根道を辿っていくと、急に獣が突進してきて心臓が止まった。熊ではなくカモシカであったのは幸いであった。そのすぐ後も、二頭が脇を走り抜けていき、しばらくした後でも一頭が藪の中に逃げていった。鳥屋ノ峰は300mにも満たない低山ではあるが、天然記念物でもあるカモシカが見られるとは驚きであった。予想以上に自然度が高い。
 ほぼ直進状に歩いていったが、茗荷谷の北東部で左に大きくコースを変える。道ははっきりしているので間違う心配はないのだが、下り初めに右手に刈り払い道が分かれるのが気になった。地図を見ると、茗荷谷へ下らないで、そのまま林道に出ることができるのかもしれない。
 滑りやすい急坂を下ると、その先で送電線の鉄塔下にでた。ここには名前は記されていなかったが、沢に下ったところの案内板によれば、「東新潟火力B線No.47」ということであった。送電線の巡視路はヘアピン状に折り返して沢の源頭部を横切り尾根を乗り越した先で下りに転じ、沢に下りたった。少し下った所で、No.46への巡視路が始まっていた。そのまま沢沿いに下れば茗荷谷の集落のはずであった。沢沿いの道を下ってみると砂防ダムの堰堤があり、その先で民家が現れた。標識により、この沢はしろくら沢川と呼ばれることが判った。
 引き返して、No.46への道に進んだ。杉林の中をひと登りすると、尾根上にあるNo.46鉄塔に出た。ここで左に進んだが、これは間違いで引き返すことになった。右手に進むと、すぐに左手に沿う林道に下る道が現れた。直進するように道が続いており、地図上でこれを辿ってみると、先の屈曲点で見た山道に通じているように思えたが、次回歩く時は確かめてみよう。
 この後は、林道歩きで大天城公園に戻ることができた。鳥屋ノ峰自体は低山であるが、この周回コースはなかなか歩きでのあるコースであった。
 車にザックを放り込み、手ぶらで大天城跡を目指した。公園内の案内板を見ると、右手の丘が城跡であることが判った。奥に進むと、草地の広場があり、そこから階段状に整備された遊歩道が始まっていた。尾根伝いに進んでいくと、左手から車道が上がってきた。そのまま遊歩道を直進していくと、ロックガーデンの広がる窪地にかかる橋があり、その先が大天城跡であった。広場の先に展望台が設けられていたので上がってみたが、木立に遮られてそれほどの展望ではなかった。
 広場の先に下っていく道が見えたので進んでみたが、恐竜の像が置かれたわんぱく広場を経由してロックガーデンに戻ってきてしまった。
 時間もさほどかからない大天城跡であったが、気になっていたことが一つ片付いた。

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