さんご山、貝立山、三方岳、大井田城址、桑原山、涸沢山、トヤの頭、鳴倉山

さんご山
貝立山から三方岳、大井田城址
桑原山から涸沢山、トヤの頭、鳴倉山


【日時】 2016年4月22日(金)〜24日(日) 2泊3日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 22日:晴 23日:晴 24日:曇り

【山域】 東山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 さんご山・さんごやま・170m・無し・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小千谷、小平尾
【コース】 中山登山口より
【ガイド】 なし

【山域】 関田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 貝立山・かいたてやま・937.1m・三等三角点・長野県
 三方岳・さんぽうだけ・1138.8m・三等三角点・新潟県、長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/苗場山、松之山温泉/信濃森、松之山温泉
【コース】 さかえ倶楽部スキー場より
【温泉】 中条温泉トマトの国 500円
【ガイド】 なし

【山域】 魚沼丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大井田城址・おおいだじょうし・300m・無し・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/十日町/十日町
【コース】 林道終点より
【ガイド】 なし

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 桑原山・くわばらやま・558m・なし・新潟県
 涸沢山・からさわやま・633m・なし(619.3m・四等三角点)・新潟県
 トヤの頭・とやのかしら・671m・なし・新潟県
 鳴倉山・なりくらやま・578.6m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/大湯
【コース】 湯之谷健保センターより
【ガイド】 なし

【時間記録】
4月22日(金) 14:00 新潟=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.8、R.17 経由)=15:25 さんご山下の登山口〜15:39 発―15:38 さんご山―15:43 上の登山口―15:55 下の登山口=(R.117 経由)=18:00 さかえ倶楽部スキー場  (車中泊)
4月23日(土) 5:58 さかえ倶楽部スキー場ゲレンデ下―6:55 ゲレンデ上―7:06 貝立山登り口―7:26 貝立山―7:43 貝立山登り口―9:19 深坂峠登り口―9:25 広場―9:53 三方岳〜10:00 発―10:22 広場〜10:35 発―10:24 貝立山登り口―10:34 ゲレンデ上―13:16 さかえ倶楽部スキー場ゲレンデ下=(R.117、十日町、R.252、北原入口 経由)=16:41 大井田城址入口―16:46 大井田城址―16:52 大井田城址入口=(北原入口、R.252、堀之内、R.17、小出、R.352 経由)=18:20 湯之谷健保センター (車中泊)
4月24日(日) 5:22 湯之谷健保センター―5:52 分岐―6:10 桑原山―6:42 涸沢山―7:10 トヤの頭―7:50 鳴倉山〜8:00 発―8:42 鳴倉山―9:50 湯之谷健保センター=(R.352、小出、R.252、R.290、栃尾、R.290、二日町、塩中、下田、R.290、加茂、R.403、茅野山、R.49 経由)=12:30 新潟
 さんご山は、越後川口の国道17号線から川口町運動公園へ上っていく途中にある丘である。スキー場跡に遊歩道が整備されている。

 信濃川は、新潟県から長野県に入ると千曲川と名前を変える。この信濃川の小千谷から飯山に至るまでの左岸沿いには、長く丘陵地帯が連なって長野・新潟の県境を作っている。この丘陵に沿って全長80kmの信越トレイルが設けられ、その最後の区間として三方岳から天水山に登山道が整備されている。貝立山は、三方岳の南に位置するさかえ倶楽部スキー場上部の山である。

 大井田城址は、南北朝時代に大井田氏によって築かれ、十日町中条の東にあるピークに置かれている。大井田氏は、新田義貞に呼応して挙兵し、南朝方として活躍した。

 小出の南東部には、鳴倉山、トヤの頭、駒の頭、黒禿の頭、大力山、城山といった馬蹄形に連なる山塊がある。桑原山は、トヤの頭から涸沢山へと北東に連なる枝尾根の末端の558mピークである。桑原山には、以前から遊歩道が整備されていたが、2015年12月に桑原山から。トヤの頭を経て鳴倉山に至る登山道が開かれた。トヤの頭から駒の頭方面の登山道も現在作業中であるという。

 この週末は、土曜日に関田山塊の貝立山から三方岳へと残雪歩きを行い、日曜日には新しく登山道が切り開かれたという桑原山から鳴倉山への登山道を歩くことにした。
 金曜日の昼に家を出たが、途中に越後川口のさんご山によっていくことにした。昨年、二子山を登った際に、道路沿いにさんご山と書かれた標柱が置かれていて気になっていた。地図を見ても、道路脇のピークで歩く時間はそうかからないはずであった。
 国道17号線から川口町運動公園への坂道を上がっていくと、カーブ地点にさんご山の標柱が現れる。登山道の脇には水仙の花が植えられていた。ジグザグに登っていくと、台地に出て、すぐ上に山頂が迫ってきた。道が左右に分かれたので、右手の道に進んだ。ひと登りで、さんご山の山頂に到着した。ひと登りで到着した山頂であったが、魚沼の平野部や山本山の眺めが広がっていた。
 山頂からは、北に向かって道が開かれていたので、進んでみた。少し下ったところで左に道が分かれ、これが山頂直下で分岐した道のようであった。尾根沿いに道が続いていたのでさらに進んでみた。緩やかに尾根道を下っていくと美しい雑木林が広がり、最後は運動公園に通じる車道に飛び出した。温泉施設の入口近くであった。この登山道の入口には、登山標識は置かれていなかった。
 再び引き返した後、山頂直下の分岐から歩いていない道に進んだ。トラバース気味に下っていくと、分岐に戻ることができた。小さな山であるが、気になっていた宿題を片付けることができ、すっきりした。
 寄り道して、日暮れ近くにさかえ倶楽部スキー場に到着した。スキー場のゲレンデ案内と地形を見比べると、ゲレンデの右端に沿って登るのが良さそうであった。中央に延びる第1ペアリフトに対し、右側が中級コースであるのに対し、左側は上級コースになっていた。見えているのはゲレンデの下半分で、その上にもゲレンデが広がっているが、斜面の具合は歩いてみないと判らない。雪の気配は全くなかったが、貝立山はともかく三方岳は登山道のある山なので、こちらは登頂できるはずであった。
 さかえ倶楽部スキー場のシーズンオフは、絵手紙の美術館になっているようだが、人気のほどは判らない。スキー場の広い駐車場で夜を過ごした。
 朝になって、ゲレンデの右端沿いに登り始めた。ひと登りすると林道に乗ったが、左に大きくそれていくので再びゲレンデ沿いの登りに戻った。ゲレンデは刈り払いが行われているといっても、草の茎や木の枝が飛び出しており、踏むとぼきぼきする状態のために足元に注意が必要であった。ゲレンデは、滑るのは緩やかであっても、歩いて登るとなると体力を消耗する。汗を拭いながら背後を振り返ると、苗場山や野沢温泉、志賀高原の山の眺めが広がっていた。ゲレンデの半分を登り終えると、ようやくゲレンデ上部が見えてきた。幸い、傾斜は下部よりも緩やかであった。
 ゲレンデ上部に出て、ようやく残雪を見ることができた。この先は、雪の無い林道の歩きがしばらく続いた。貝立山から東に落ち込む尾根の末端部に到着してみると、除雪のブルが置かれており、その先の林道は残雪によって車の通行はできない状態になっていた。尾根の末端部に進むと、はっきりした山道が続いていた。残雪が利用できる状態ではなかったので、助かった。途中、灌木の枝が延びて、葉が茂ると足元が見えなくなりそうなところもあったが、夏の季節でも登ることはできるであろう。中腹にはブナ林が広がり、イワウチワの間を抜けるようなところもあった。山頂部の台地に出ると、ようやく残雪が広がるようになった。山頂部は台地状で、山頂標識のようなものはなかった。最高点から南に少し下がったところに三角点が頭を出しているのを見つけることができた。当初の計画では、貝立山の山頂からは、西へ尾根を下ろうかと思っていたのだが、雪が消えていたので、来た道を戻ることにした。
 取り付きに戻って、林道に進んだ。すでに雪融けも進んでおり、雪崩の心配も無くなっていたが、林道上に落石が転がっているところもあり、時期によっては通行に注意が必要そうであった。貝立山の麓を通過すると、林道はカーブを交えながらの上り坂になった。周囲にはブナ林が広がって気持ちの良いところであったが、長い林道歩きに耐える必要があった。右手に沿って続いた東入沢川が次第に浅くなっていくと、対岸に林道が走るのが見えてきた、野々海池の湖畔が近づいてきたことを知った。林道を辿って湖畔まで進むと大回りになるので、又右ェ門堤の手前で北に向かってショートカットした。湖畔の休憩施設の建物の前で林道に飛び出したが、ブルによって除雪が行われていた。林道の表面の雪は残されたままなので、雪融けが早まるようにという措置なのかもしれない。
 林道の横断した先の湿原に進み、谷間沿いに深坂峠を目指した。迂回してきた林道に再び乗ると、深坂峠の手前で、雪が消えているトレッキングコースの入口が現れた。トレッキングコースに進み、ひと歩きすると雪原になった広場に到着した。ここはアンテナ施設が置かれていたが、現在は撤去され、広々とした雪原に変わっていた。この先は、トレッキングコースを辿るだけなのだが、必ずしも尾根通しに続いてはいないため、残雪に覆われたやせ尾根に苦労したり、脇の雪原を辿ったり、コース取りに注意が必要であった。ピークから一旦下ると、その先は三方岳への最後の登りになった。傾斜も増したが、夏道が出ていたので、問題なく登ることができた。
 三方岳の山頂は雪原になっており、先の下り口に進むと、天水山への稜線を一望することができた。ひと息ついていると、雪崩の音が響き渡った。深坂峠の北西にある三角点ピークの野々海山の東斜面で雪崩が発生しているようであった。
 時間も早かったので、アンテナ施設のあった広場まで戻ったところで大休止にした。青空のもと残雪が輝き、広場の縁に立つブナの大木の向こうには苗場山から志賀高原に至る峰々が広がっていた。
 休憩施設に戻ったところで、林道を歩いて野々海池を見ていくことにした。湖の表面を覆う氷もかなり融けて、割れかかっていた。平滝方面からの林道の合流点に出ると、驚いたことに除雪されて車が入ってきていた。スノーモービルも置かれており、シーズンが終了したことで、回収に来ていたのかもしれない。三方岳が目的であったのなら、ここまで車で入ってこなかったことを後悔することになったが、貝立山も目的としているのなら、下から歩いてくるしかない。
 帰りは、長い林道歩きに耐える必要があった。途中、ブナ林からしみ出す清水を汲んで飲んだが、頭が痛くなるほど冷たく、元気を取り戻すことができた。
 ゲレンデ上部に戻り、今度は、下から見て左側のコースを歩くことにした。急ではあるが、下りなので問題はなかったが、九十九折になった林道を横断する所が背丈ほどの崖状になっており、下りるのに苦労することになった。やはり、下から見て右側を歩くのが正解であった。
 下山後は、近くの中条温泉トマトの国に直行し、汗を流してシリフレッシュした。
 十日町に戻ったところで、古本屋と夕食で時間をつぶした後、小出へと車を走らせた。中条を通過するところに大井田城址の案内板があり、以前からの課題であったことを思い出した。いずれ機会があったらと思って通過したが、国道252号線に曲がった先の北原入口にも案内板が置かれているのを見て、寄っていく決心をした。国道117号線と平行に南下していくと、左折する方向を示す案内板が置かれていた。舗装された林道に進んでいくと、分岐があり、ここも左折。一気に高度を上げていくと、大井田城址の遊歩道が始まる林道の終点に到着した。
 階段状に開削地が重なり、その中をジグザグに登っていくと、忠魂碑の並ぶ頂上部の広場に到着した。山頂からは、中条方面の眺めが広がり、低山にも関わらず高度感があった。東に続く尾根をうかがうと、深い堀切が設けられており、ロープが固定されていないと通過できない状態であった。
 寄り道をした関係で、桑原山の登山口の湯之谷健保センターには夕暮れ直前に到着した。驚いたことに、手前の駐車場は満車状態になっていた。林道を進んだ先のテニスコート脇の登山口を確認した後、少し移動した所で夜を過ごした。
 早朝に登山口に移動すると、昨晩いた多くの車はいなくなっていた。桑原山への登山コースは、駐車場脇のむじな平登山口からと奥の鳥目当登山口からの二つがある。鳴倉山から下山して戻ってくることを考えると、手前のむじな平登山口からが良いのだが、ホテルの駐車場に車を置くのも気がひけるので、奥の鳥目当登山口から登ることにした。こちらの方が傾斜は少し緩い。
 杉林の中に足を踏み入れると、急な階段登りが始まった。この山を登ったのは、2002年なので、時間がかなり経過している。記憶は薄れているが、階段は最近整備されたようであった。ひと登りで山神様の標識が現れるが、祠のような神様を示すものは無かった。その後は、細尾根の登りになって、桑原山の山頂や沢向こうにむじな平登山口からの尾根を眺めることができるようになった。
 鳥目当を過ぎて一気に高度を上げ、山頂が迫ってくると、平行に走る開削地が現れた。以前は、四合目段切とか六合目段切という標識が置かれていたが、現在は無くなっていた。かなりの高度にある段切りの目的はと考えてしまうが、雪崩防止くらいしか思いつかない。尾根沿いに登っていくと直進方向にはロープが張られて立ち入れないようになっており、段切りに進み、トラバースしてむじな平登山口からのコースに移動することになる。
 この合流地点の先も急登が続き、足場の悪い崩壊地もあり、ここはロープの助けもかりて登ることになる。急坂を登りきって山頂到着かと思ってしまうが、山頂は緩やかにもうひと登りした先になる。桑原山の山頂は台地状になっており、ひと息入れるには良い場所になっている。ただ、朝霧なのか、周囲の展望が閉ざされていたのは残念であった。
 新しく開かれた登山道は、灌木の切跡が目立っていたが、幅広に続いていた。桑原山から下り始めると、シャクナゲの花が咲いており、撮影のために足が止まることになった。唐沢山への尾根は、所々痩せた所があり、段差を丸太の階段で下るような所や岩の脇をロープを頼りに登る所も出てきた。登山道が開かれるまでには、涸沢山は残雪を利用して登ろうかと思っていたが、それはかなり難しそうであった。唐沢山の山頂が近づいて尾根が広がると、北斜面には美しいブナ林が広がるようになった。涸沢山の山頂も刈り払われて広場になっていた。あいかわらず展望は閉ざされていたが、未踏の山を一つ手に入れたことに満足した。
 さらに新しい登山道をトヤの頭に向かって進んだ。トヤの頭は、残雪期に登っているが、無雪期は初めてになる。T字路に出て、ここがトヤの頭の山頂と思ったが、右に折れて、もうひと歩きした所が山頂であった。なお、駒の頭方面にも刈り払い道が続いており、いずれ黒禿の頭へと環状縦走路がつながるのであろう。季節は違えども訪れたことのある山域に入り込んだことによって気分も楽になった。
 トヤの頭から鳴倉山へは一部林道を使うのかと思ったが、尾根通しに登山道は続いていた。ただ、伐採の作業のためか、上がってきた林道が並行に走りだすところで、林道に通じると思われる伐採道が設けられていた。小ピークを乗り越していくと鏡池に出て、ここからは泥斜面で足場の乏しい急斜面の登りになった。ロープを利用して登りきると、鳴倉山の山頂に到着した。時間も早いためか、山頂には誰もおらず、霧が流れるだけであった。
 鳴倉山からの下りは、良く踏まれている明神コースに進んだ。下り始めると、霧も晴れはじめ、トヤの頭方面もうっすらと見えるようになってきた。下るにつれて、新緑も濃くなっていった。  鳴倉山登山口から桑原山登山口への1時間強の車道歩きは、我慢ぎりぎりのところであった。鳥目当登山口に戻ると、脇に三台車が止められており、新しい登山道ということで、桑原山の注目度が高まっていることが判った。
 この山域の次の関心事は、駒の頭から黒禿の頭への登山道が開かれて環状縦走路が完成することであるが、そう遠くないことであろう。

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