高内山、八萬部山

高内山、八萬部山


【日時】 2016年3月12日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 西山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 高内山・たかうちやま・246m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/柏崎/西山
【コース】 荒谷口
【ガイド】 なし

【山域】 西山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 妙見山・みょうけんやま・70.5m・なし・新潟県
 村岡城跡・むらおかじょうせき・80m・なし・新潟県
 六万部山・ろくまんぶやま・80m・なし・新潟県
 久田城址・くったじょうし・60m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/出雲崎/出雲崎
【コース】 妙法寺より
【ガイド】 ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【時間記録】 8:30 新潟発=(R.8、R.116 経由)=10:40 荒谷登山口―11:26 高内山―12:00 荒谷高架橋脇登山口―12:21 荒谷登山口=(R.116 経由)=12:45 妙法寺〜13:00 発―14:08 久田城址―15:05 妙法寺=(R.116、R.8 経由)=17:20 新潟
 高内山は、西山丘陵にある一等三角点ピークの八石山の西に位置する山で、山頂には上杉配下の支配する高内城跡が置かれていた。現在は、地元の手で、遊歩道が整備されている。

 越後線妙法寺駅の北側にある日蓮宗妙法寺の裏手には、元享の頃(1321〜1324年)に村岡三郎の築いた村岡城跡があり、一帯には遊歩道が整備されている。遊歩道最高点の六万部山は、大乗妙典六万部が納経されたという謂れがある。

 いよいよ雪割草も咲き始める季節になった。土曜日は雪山、日曜日には雪割草見物と考えていたが、朝起きると雪が降る天気になっていた。ネットで天気予報を確認すると、昼から天気が回復するようであった。予定を見直して、登山道の確認を兼ねて高内山を歩き、午後に六万部山で雪割草を見学することにした。
 高内山は、 2001年3月と2009年2月に登っているが、数年前に新聞にカタクリのお花畑のために登山道が整備されたことを知り、現在の状況を知りたいと思っていた。カタクリの花の時期には早いが、新車に変えたので、ドライブを兼ねて出かけることにした。
 国道116号線から県道長岡西山線に入り、荒谷集落センターを過ぎた先の林道入口に、高内城址登山口・山頂まで1600Mと書かれた標識が置かれていた。今回は別な登山道を使って下山するつもりであったので、少し手前の路肩スペースに車を停めて歩き出した。最初は、林道歩きといっても結構急であった。稜線上に出ると三叉路に出て、車を置くスペースもあった。ただ、ここまでの林道はガードレールも無く細いし、カタクリの季節にはこの駐車スペースもいっぱいになる可能性もあるので、下から歩いた方が良いであろう。
 三叉路は左折するが、高内城址の案内板も置かれていた。この先は、地図にも載っていない植林道が設けられているが、しばらくは破線通りに歩くことになる。トラバース気味に歩いていくと、道が左右に分かれた。右手の道は破線道として記されているが、案内板は左の方に進むように案内されていた。
 左の道を歩いていくと、広場に出て、ここから山頂に向かって遊歩道が始まっていた。遊歩道周囲は下生えが刈られており、カタクリのお花畑になるようであった。ひと登りで、高内山の山頂に到着した。カタクリの保護のためかロープが張られて通路が制約されていた。
 高内山の山頂中央部には、石塔が置かれ、山城の謂れを書いた新しい標識が立てられていた。
「高内城址
 別山地区字高内に標高二四〇、六米の高内山があり、この頂上に城址がある。別山村多々神社(多岐神社)の記録によれば、城主は上杉家の臣、大熊備前守朝秀と記されている。頂上付近には「大手じょう」「馬場のこ」といった城に因んだ地名が残っている。又頂上には別山小学校同窓会によって「古城主精霊碑」が建てられている。この城址から東に薬師峠、西に日本海、東北に小木城址、北の遠くには弥彦山、西南には鎌田城跡、南の遠くに米山や番神岬が望まれる。
 昭和四十四年九月一日 西山町の文化財に指定された。
 別山地域振興協議会」
 同じような標識は、2001年3月の訪問時にあったものが、2009年には無くなっており、新しく設けられたものである。山頂にはベンチも設けられており、風景を眺めながらひと休みするのに良いところであった。
 石塔の右手の道は荒谷へと書かれており、左にも道があったのでこちらに進んだ。ひと下りすると、「尾頃部甲戸」と書かれた標識が置かれていた。地図にこの地名が書かれていないのが不安の要素であったが、おそらく破線ルートであろうということで進んだ。雑木林に囲まれた尾根沿いの道が続いた。道が窪んでいるので、古くから歩かれてきた道のように思えた。残雪がまだ残っているところでは、人の足跡があるのを見つけることができ、登山者が歩いていることでひと安心になった。
 ひと下りしたところで、「高内城三合地三叉路 山頂まで150mです」と書かれた標識が置かれていた。踏み跡は左に進んでいたので、そちらの道に進んだ。
 下っていくと杉林に出て、枯草の枝がうるさいところも出てきたが、歩くのに支障はなかった。最後は植林の作業道といった感じの道になったが、路肩の土が何か所も掘り起こされているのが目に留まった。動物の仕業のようで、イノシシによるもののようであろうか。
 最後は、地図の破線道からも外れて、尾根の末端部で車道に飛び出した。振り返ったが、登山標識のようなものは無かった。ここから登るのは難しい状態であった。後は車道歩きで車に戻った。  続いて、妙法寺に移動した。最近は、ここの雪割草も有名になってきており、この日も県外ナンバーの車が停まっていた。車の中で昼食をとってからゆっくり歩きだした。
 薄日がさす肌寒い日であったが、開いた雪割草も見ることができた。いつものように久田城址まで歩いてから引き返した。

山行目次に戻る
表紙に戻る