岳山城跡

岳山城跡


【日時】 2016年3月6日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 川内山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 岳山城跡・だけやまじょうせき・244m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/粟ヶ岳
【コース】 中央ハイキングコース
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:40 新潟発=(R.49、亀田、R.403、加茂、黒水、R.290 経由)=7:40 岳山寺〜8:05 発―8:28 長峰神社(岳山城跡)―9:00 240m点〜9:05 発―9:19 長峰神社(岳山城跡)―9:35 岳山寺=(往路を戻る)=11:00 新潟
 岳山城跡は、粟ヶ岳から北西に延びる尾根の末端部にあるピークに置かれていた南北朝時代の山城跡であり、現在は長瀬神社が置かれている。ここから中央ハイキングコースとして粟ヶ岳の山頂まで登山道が通じているが、この末端部区間を歩く者は少ない。

 前日の猿ヶ城で体力を使い、また用事もあったことから簡単に山歩きを済ますことにした。かねてからスノーシュー歩き向きかどうかが気になっていた粟ヶ岳の中央コースに出かけてみることにした。
 岳山寺の入口に車を停めて歩き出した。長瀬神社への参道は、石段が続くが、雪解けが進んでいることと湧き水が流れ出ていて、地肌が現れているところもあった。スノーシューを履く状態でないので、つぼ足で登った。久しぶりにスノーシュー無しの歩きになったが、雪に足が取られて歩きにくかった。途中で不動像が置かれた水場を通過するが、周辺は雪が消えていた。その上は傾斜が増して、九十九折の登りになった。すでに斜面の雪がかなり消えていたが、積雪があるとこのコースは危険でスノーシュー歩きには適さないと思われた。
 気温も高く、大汗をかいて長瀬神社に到着した。ここには、岳山城跡の説明として「今からおよそ600年前(西暦1360年頃)南朝の後醍醐天皇をいただいた新田義貞と、これに謀叛して北朝の天皇を擁立した足利尊氏の間に勢力をめぐって争いが続いた。
 この頃後醍醐天皇の第五皇子宗良親王は新田義貞の三男義宗とともに七谷に兵をおいた。
 ここがその城跡である。」と書かれている。
 神社の背後の尾根に乗ったところでスノーシューを履いた。ひと登りしたところが242mピークになるが、その先で堀切の急坂が現れた。すでに雪が消えて階段が現れていた。ロープの助けもかりてなんとか下ったが、二番目の堀切は一旦スノーシューを脱ぐ必要があった。三番目の堀切は、段差も小さかったので、スノーシューを履いた。
 その先は伐採地の幅広尾根で、気持ちの良い雪原が広がっていた。240mピークに出ると、その先の尾根を一望することができた。岩野展望台も見えており、その先には粟ヶ岳から権ノ神岳に至る稜線の眺めが広がっていた。岩野展望台に至る中央ハイキングコースの様子を見ると、展望台手前の急坂に、周囲の斜面は雪が落ちている中、細い線状に雪がついているのが見えた。残雪の状態が不安定そうで危険なため、先に進んでも展望台へは登れそうもないと判断して引き返すことにした。
 240mピークまでの残雪歩きは粟ヶ岳方面の展望が楽しめるものの、残念ながら、粟ヶ岳中央ハイキングコースは、スノーシュー歩きには向いていないことが判った。

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