諏訪峠

諏訪峠


【日時】 2015年9月27日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 諏訪峠・すわとうげ・446m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/津川
【コース】 行地より
【ガイド】 新潟のハイキング(新潟日報事業社)

【時間記録】 6:50 新潟=(R.49、三川 経由)=8:00 行地〜8:02 発―9:08 中の茶屋―9:52 林道―10:15 諏訪峠〜10:37 発―10:48 林道―11:22 中の茶屋―11:59 行地=(往路を戻る)=13:20 新潟
 諏訪峠は、旧会津街道の一部で、参勤交代のために新発田や村上藩主が、また新潟奉行も通ったという。江戸時代寛文年間に会津藩による街道整備で石畳が敷き詰められ、現在では、この石畳は林道によって分断されてしまっているものの、史跡として一部復元整備されている。

 体調不良によって、土曜日の山は休みになった。日曜日の山の目的として、新しいGPSの使い始めを行うことがあった。現在使っているGarmin・Gpsmap60CSは、2005年9月から使ってきたが、コンピューターとの接続がなかなかできなくなってしまったので、新しいものに変えることにした。同様の機種ということで、Garmin・64sを購入した。10年も経ったことと、スマフォでGPSが普通のことになったためか、価格も格段に安くなっていた。これが、4台めのGPSになる。
 GPSの操作・設定を確かめながら歩く必要があるので、歩きの困難さよりも、電波の入り難そうなコースを考えて、諏訪峠に出かけることにした。行地からの諏訪峠は、2008年12月以来ということになるので、登山道の状態にも興味がある。
 新谷川を渡ったところから行地への道が分かれる。かなり山奥に進んだ所で、ようやく行地の集落に到着する。T字路に突き当たった所に「中部北陸自然歩道・殿様街道」の案内板や「歴史の道・会津街道」の標柱が置かれている。この入口付近は道幅が狭いので、右手の道に進んで坂を上がっていくと、駐車スペースが現れる。
 ここから歩き出して車道を進んでいくと、民家の脇に置かれた「会津街道」の標柱に従って、林道幅の道に進む。しばらくは車の轍も続いているが、少し先の簡易水道施設までで、草地の道を進んだ先で登山道が始まる。ひと歩きで、道の両脇に小山が築かれた一里塚に到着する。この先は、送電線の巡視路などの脇道もあるので、迷い込まないように注意が必要であった。歩くにつれて、伸びきった草が煩わしくなってきた。踏み跡はしっかりしているといっても、前回のGPSのログから作ったトラックデーターと見比べながらの歩きになって、中部北陸自然歩道のイメージからはほど遠い道になっていた。廃道寸前の旧街道歩きと思えば面白い体験ということになる。
 新しいGPSは、トラバースの多い道でも、良く電波を拾ってくれた。精度の点では格段に進歩しており、新しく買っただけの価値はあった。細かい設定をしながら歩いたので、歩きのペースは遅くなった。
 中の茶屋を過ぎると、カーブを交えながらの登りになったが、水が流れ込んで沢の中を歩くような状態になっていた。続く大ぶなでは、二本並んだ大ブナのうち、一本が折れて朽ちてしまっていた。幅広になった道を登っていくと林道を横断し、その先は送電線下の管理道の歩きになった。草も伸びており、標識の置かれている石畳も判らなくなっていた。
 諏訪峠に到着して、吉田松陰歌碑の土台石に腰を下ろした。振り返れば見えるはずの五頭連峰も雲に隠されていた。展望が良ければ、峠の脇にあるアンテナ施設まで足を延ばすのだが、ここで大休止して引き返すことになった。
 帰りは、GPSのログデーターを確かめながらの歩きになった。家に戻ってからコンピューターにデーターを吸い上げると行きと帰りでほとんど変わらない精度が得られていた。

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