二子山、岩菅山、旭山、鳥屋ヶ峰

二子山
岩菅山、旭山
鳥屋ヶ峰


【日時】 2015年9月19日(土)〜21日(月) 2泊3日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 19日:雨 20日:晴 21日:晴

【山域】 東山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 二子山・ふたごやま・433.5m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小平尾
【コース】 木沢より
【ガイド】 なし

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 岩菅山・いわすげやま・2295.0m・一等三角点補点・長野県
 裏岩菅山・うらいわすげやま・2341m・なし・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岩菅山/岩菅山、切明
【コース】 岩菅山登山口
【ガイド】 新・分県登山ガイド「長野県の山」、山と高原地図「志賀高原、草津」(昭文社)

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 旭山・あさひやま・1524m・なし・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/中野/中野東部
【ガイド】 山と高原地図「志賀高原、草津」(昭文社)
【温泉】 津南駅温泉 500円

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 鳥屋ヶ峰・とやがみね・681.1m・二等三角点。新潟
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小平尾
【コース】 小平尾登山口
【ガイド】 なし

【時間記録】 9月19日(土) 6:20 新潟発=(関越道、中之島見附IC、R.17、越後川口 経由)=10:25 木沢―10:50 二子山―11:17 木沢=(R.17、堀之内、R.252、中条、R.117、R.292、七瀬、R.292、丸池 経由)=15:20 岩菅山登山口  (車中泊)
9月20日(日) 6:12 岩菅山登山口―6:22 上条用水路分岐―6:43 アライタ沢―7:49 のっきり―8:25 岩菅山〜8:30 発―9:15 裏岩菅山〜9:55 発―10:45 岩菅山―11:15 のっきり―12:08 アライタ沢―12:27 上条用水路分岐―12:34 岩菅山登山口=(丸池 経由)=12;53 琵琶池駐車場―13:25 旭山―14:15 琵琶池駐車場(R.292、七瀬、R.292、R.117、R.353、石内、R.17、湯沢、R.17、小出、R.252、和田、R.352 経由)=19:40 小平尾  (車中泊)
9月21日(月) 6:12 天満宮―6:22 登山口―6:29 古峯神社―6:50 一本杉―7:17 鉄塔―8:24 鳥屋ヶ峰〜8:35 発―13:42 鉄塔―10:00 一本杉―10:49 天満宮=(R.252、R.290、栃尾、R.290、下田、R.290、加茂、R.403、R.49 経由)=13:10 新潟
 長岡東山の南部には、小千谷市、山古志村、川口町にまたがって丘陵地が広がっている。二子山は、信濃川と魚沼川の合流点にある越後川口町の背後にある山である。この一帯には棚田や無数の錦鯉養殖池が広がり、また地図上でも無数の池マークが点在し、独特の景観を見せている。山と集落が入り組んでおり、二万五千分の一地図を見ると、多くの山名が記載されている。二子山は、古くからの信仰の山で、山頂の南峰には、石の祠がおかれている。最近では、総合リゾート施設のキャンパス川口から遊歩道が整備され、ハイキングの山として紹介されている。

 岩菅山は、岩巣護山とも呼ばれ、鷹の巣を管理する巣守衆がいて鷹の子を幕府に献じたことから名前が付けられたと伝えられている。2000m級の山々が連なるもののスキー場の開発が進んだ志賀高原にあって、岩菅山は、開発されずに残された貴重な山として登山の対象の代表的ピークになっている。裏岩菅山は、岩菅山の西隣りにあるピークで、こちらの方が高い標高をもっている。

 旭山は、志賀高原入口にある琵琶池の西側にある山である。標高は1500mクラスであるが、麓ですでに1400mあるので、簡単に登れる。

 鳥屋ヶ峰は、長岡・東山連峰の背後の、越後三山や守門岳に挟まれた位置にあり、権現堂山と向かい合う山である。小平尾からの登山道は、尾根通しに付けられており、周囲の展望を楽しみながら歩くことができる。地元の広神村では、6月始めに山開きを行っているようであるが、楽しめる山にもかかわらずこの山の知名度は高くない。

 今年のシルバーウィークは、土曜日を入れれば五連休となり、行楽地は大混雑になることが予想された。人が少ない方面として東北地方を考えたが、前日の天気予報で雨模様が続くことになって予定変更を余儀なくされた。長野方面は雨が降らないようなので、メインを志賀高原の岩菅山として、その前後の山を考えることにした。
 初日の天気予報は曇りところにより雨ということなので、簡単に歩きを済ますことにして、越後川口周辺の二子山遊歩道を歩くことにした。高速道に乗ると、本降りの雨になった。中之島見附で高速を下りて、そのうち雨が止むかと期待したものの、雨が続いたので小千谷の道の駅で様子見をした。少し雨が小降りになったので、とりあえず二子山だけでも登ることにした。
 二子山には、2000年2月にわかん歩きで登ったが、その後の2004年10月23日に中越地震が起きて、この一帯は大きく様変わりしている。二子山の登山口は木沢から武道窪への県道に進んだ先にあるが、その先に進むと震央メモリアルパークがあるので、最初に寄っていくことにした。
 二子山登山口を過ぎてカーブを交えながら下っていくと、進行方向右手に震央への案内板が現れた。カーブを過ぎた先に駐車スペースがあったので、ここから歩き出した。入口からは、コンクリート敷きの遊歩道が整備されていた。緩やかに下っていくと、田麦山小学校の生徒が立てた「はるかなふるさと」の柱が立てられていた。その一段上に展望台が設けられていた。展望台の下に広がる田んぼの中央が震央とのことであった。震源の北緯と東経をもとに探したところ、田んぼの中であることが判ったという。大震災が発生元にもかかわらず、田んぼには黄色く実った稲が並んで平和な姿を見せていた。
 木沢に戻り、二子山への歩きを始めた。登山口から階段状に整備された坂をひと登りすると、尾根沿いの歩きが続くようになった。歩いていくと石の祠が置かれていたが、山頂はまだ先である。緩やかに登っていくと、南峰の出て、狛犬と石の祠が置かれていた。その先の北峰が三角点の置かれている本峰である。登山道脇には木製の展望台も設けられていたが、雲が広がっていて何も見えなかった。登山道脇の窪地には東屋も設けられていたが、そこへ下る踏み跡はかすかで利用者はすくないようであった。
 二子山の山頂から北に下ると、すぐに車道に飛び出した。後は車道歩きで木沢に戻ることになった。本降りの雨が続いていたため、登山の意欲も失って、この日の歩きは終わりにした。
 雨の中車を走らせていると雨が上がって、長野県に入ると青空も広がるようになった。悪天候の連休初日ということで道路も空いておりおり、順調な走りで志賀高原に到着した。
 坂道を登り切ったところで、道路脇に一沼(いちぬま)が現れるが、川岸の木立の紅葉が始まっていた。通り過ぎた先の琵琶沼入口の駐車場に車を停めて、一沼を見学することにした。遊歩道を歩いていくと、旭山登山道の標識が現れた。志賀高原のピークはほとんど登っているが、このピークは見落としていた。翌日の岩菅山登山の後、余裕があったらこのピークを登ることにした。一沼の湖畔の展望地と車道脇からから眺めでは、紅葉が始まっており美しい風景を見せていた。
 岩菅山の登山口には、遅い時間にもかかわらず、車が止められていた。連休中とあって、車中泊の登山者も多そうなため、近くの空き地で夜を過ごした。
 翌朝起きてみると、雲が垂れこめていた。雲が消えるのを期待して、ゆっくり目の出発にした。登山口に移動すると、何台もの車が止められていた。車のナンバーを見ると、遠方からやってきているものもいた。岩菅山は日本200名山なので、その関係であろうか。この連休中は、日本100名山は混雑が怖くて近寄る気にはなれないが、岩菅山はどうであろうか。
 登山口からは、丸太の段々登りが続く。ひと汗かくと上条用水に出て、この先しばらく平坦な道が続く。橋を一本渡ると、その先でアライタ沢にかかる橋に出る。橋の周辺は滑滝になっており、美しい姿を見せていた。
 ここからが、登りの本番になる。登山道は良く整備されているが、段々登りが続いて、足には負担がかかった。歩き始めて時間も経っているにもかかわらず、あいかわらず雲が垂れこめて、霧雨も流れてきた。稜線に出てもこのような天気では裏岩菅山はあきらめて、岩菅山で引き返すこおtになる。太陽が充分登れば、青空が広がることを期待して歩き続けることになった。
 尾根沿いの登りを続けると、標高1864m地点で中間点の標識が現れる。ここまで登ったのは標高差300で、岩菅山の山頂まではまだ標高差430mが残されている。地図を見ると、アライタ沢の橋とノッキリとの間の中間点といった感じがするので、この標識で油断をしてはいけない。
 ようやく南から延びてきた縦走路に合流するノッキリに出ると、突如といった感じで頭上に青空が広がった。雲海の上に飛び出して、展望が広がるようになったようである。少し先に進むと、急斜面を落とし込む岩菅山の山肌が紅葉に染まり始めているのが目に入ってきた。写真撮影に足が止まることになった。この先は、ガレ場の急登になるが、山頂からの展望が楽しみで、足にも力が入った。
 早くも下山してくる登山者とすれ違ったが、この青空のもとではもったいないことである。裏岩菅山まで足を延ばしてこそ、この山の魅力を味わうことができるのだが。名山巡りで、次の山を目指すのであろうか。
 岩菅山の山頂は、少し前に追い抜いていった単独行がいるだけであった。雲海が広がり、槍ヶ岳から白馬岳に至る北アルプス峰々が姿を見せていた。周辺の山は雲海の下で、横手山が山頂部を見せているだけであった。その脇には噴煙を上げる浅間山が、意外な近さで見えていた。
 展望を楽しんだ後、裏岩菅山に向かって進んだ。この先は小さなアップダンがあるものの、谷を見下ろしながらの稜線歩きは、お楽しみの時間である。展望の良いところで写真撮影となって、しばしば足が止まった。
 途中で引き返してきた者にも出会ったが、裏岩菅山の山頂には誰もおらず、大休止の間は独り占めの山頂になった。縦走路の先の烏帽子岳は、流れる雲の中で見え隠れしていた。
 帰りは、岩菅山を眺めながらの歩きになった。岩菅山は、この方面からの眺めも素晴らしい。岩菅山の山頂に戻ると、数グループが休んでいたが、大型連休中の山頂としては空いている方であろう。岩菅山からのガレ場の下りでは、ばて気味の登山者が目立っていた。ノッキリからは、登山道も良く整備されてることから気楽な下りになった。
 車に戻った後は、時間も早かったことから予定通りに旭山を登っていくことにした。琵琶池入口の駐車場は大勢の観光客で賑わっていたが、広大な駐車場のため、駐車には問題はなかった。
 まず一沼を見学してから旭山への道に進んだ。幅広の遊歩道が整備されていた。緩やかに登っていくと、旭山と水無池遊歩道入口との分岐に出た。左に曲がって旭山に向かうと、登りの傾斜もましてきた。この山には、家族連れも登ってきていた。白樺が目立ち「白樺美林」という標柱も立てられていた。
 ひと登りで到着した旭山の山頂には東屋が置かれ、周辺にはベンチが幾つも置かれていた。琵琶池を見下ろすことができたが、木立が邪魔をしており、展望が損なわれていた。皇族の来山記念碑も置かれていたが、わざわざ登ったことを記念するほどの山ではない。
 登山地図には、旭山の山頂からは北に下るように赤線が記されていたが、探したものの道はなかった。一旦戻り、水無池遊歩道入口への道に進んだ。分岐から先は、あまり歩かれていないようで、普通の登山道並みの道になった。緩やかに下っていくと、琵琶池西岸の遊歩道に出た。西岸の道を戻ったが、コンクリート敷きの道で、面白くない道であった。琵琶池の眺めも木立に阻まれて、良く見えなかった。南岸に出た所で、水際まで下りることができたが、駐車場の下のため、観光客で大賑わいになっていた。
 三日目には飯士山に登るつもりで湯沢に出たが、町は観光客で賑わっており、登山の意欲を失った。次のプランとしていた鳥屋ヶ峰を登ることにした。
 小平尾の旧道で夜を過ごしてから天満宮脇の鳥屋ヶ峰登山口に進んだ。登山口の標識に従って林道に車を進めたが、草がかぶっており後悔することになった。畑の広がる台地に出たが、農道に駐車するという状態であったため、引き返して神社脇に路上駐車を行うことにした。
 鳥屋ヶ峰に登ったのは、1997年と1998年でかなり時間が経っている。当時は、国道のトンネルが工事中で、この林道も整備されていたが、用済みになって荒れてきてしまったようである。現在では、下から歩きだすのが正解ということになる。
 改めて登山開始になった。林道の登りが始まった。後で記録を読み返すと、国道の上を橋で渡ったのだが、現在では窪地が埋められて判らないままに通過した。台地の上に出て奥に進むと、木の鳥居が見えてきて、ここが登山口になる。鳥居にたどり着くと、草が茂って登山道が隠されていた。一瞬躊躇する状態であったが、先に進んでみることにした。幸い、少し進むと、草も少なくなって歩きやすくなった。その後も、草をかき分ける所も断続的に現れたが、登山を諦めるほどではないが、快適な歩きとは言えなかった。蜘蛛の巣を払いながら歩くのもやっかいであった。
 ひと登りで古峯神社に到着。尾根沿いの緩やかな登りを続けると、林道に飛び出して、その先で一本杉に出た。ここの広場からは、越後三山と魚沼平野の眺めが広がっていた。
 一本杉付近から始まる沢コースは完全に姿を消していた。この先は、草藪とともに、苔むした泥斜面が滑りやすくなっているのに苦しむことになった。登りも一歩ずつ足場を確かめる必要があり、傾斜以上に難しい歩きになった。下りの時が心配になるほどであった。
 送電線が近づくと、その手前で巡視路に飛び出した。西に向かって下っていく巡視路を見ると、良く整備されているようであった。現在は、この道が利用されるように変わって道が良くなるかと期待したが、その先も藪が深いところが続いた。
 ピークの乗り越しが続いて、鳥屋ヶ峰はなかなか近づいてこなかった。途中で尾根の一段下のトラバース道が現れ、ここでは滑りやすい泥斜面とあいまって、一歩ずつ慎重に足を運ぶ必要があった。
 思わぬ苦労をした末に到着した鳥屋ヶ峰の山頂は、刈り払いの広場になって、鐘が吊るされていた。西の眺めが広がっていたが、東の権現堂山や毛猛山塊の眺めが得られる東側は木立が広がっていた。山頂の先の登山道をうかがうと、良い道が続いていた。須原方面からは林道を使って短時間で登れるので、小平尾から登る者は少なくなっているようである。地図にも鳥屋ヶ峰遊歩道と書かれているが、現在では手入れがされなくなっており、ハイキング気分では登れない状態である。これも町村合併で、ローカルな山にまで手が回らなくなったことによる。この登山道も川東地区遊歩道と同じく廃道への道を辿っているようである。
 帰りは、つるつる道に苦労しながらの下りになった。一本杉からは、林道を歩いてみることにした。草の生えた林道をカーブを繰り返しながら下っていくと、自動車も走れる道に出た。田んぼ脇に出た後は、稲刈り風景を見ながら車に戻った。

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