要害山

要害山


【日時】 2015年8月22日(土)
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 朴坂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 要害山(加護山)・ようがいさん・281mなし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条、小国/坂町
【コース】 川部登山口より
【ガイド】 なし

【時間記録】 8:40 新潟=(R.7、平林 経由)=10:00 水道タンク〜10:23 発―10:36 佛穴登山口―10:44 佛穴―10:52 のろし山―11:05 物見山―11:14 要害山―11:25 種松分岐―11:38 馬洗場―11:45 川部登山口―11:49 水道タンク=(往路を戻る)=13:10 新潟
 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在も土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。

 雨の日でも歩ける山として要害山に出かけることにした。平林城跡からは度々登っているが、川部登山口からは2005年9月以来ということになる。
 川部集落から登山口に通じる林道の入り口には、平林城跡川部ルート登り口と示された標識が置かれている。舗装された林道が続いているが、右手に放棄された畜舎を見ると道は少し細くなり、水道タンクが現れる。この先の道は荒れて細いので、この広場に車を停めて歩き出した。
 歩き始めてすぐに右に林道が分かれ、その角には「平林城跡入口 右へ」と書かれた標柱が置かれているが、佛穴へは林道を直進する。また、種松から下ってきた時は、この林道の先に下り立つが、左に曲がると水道タンク脇に出ることができるので、この分岐に戻ってくることはない。
 この先は、杉林の中のトラバース気味の道が続く。次第に車の通行が難しい状態になって林道終点となり、登山道が始まる。沢沿いに少し進んでから九十九折の登りに汗を流すと、草の刈られた広場に出て、その片隅に佛穴が口を開けていた。風穴のようだが、穴をのぞきこんでも冷たい風は感じられなかった。
 佛穴からはもうひと登りで、のろし山の直下に出た。とりあえずのろし山に寄っていくことにした。のろし山からは要害山や嶽薬師を望むことができたが、櫛形山脈方面は雲で隠されていた。雨粒が落ちてこないだけましという天気であった。
 のろし山から要害山へは歩き慣れた道である。いつもは他の登山者にも出会うのだが、この日は山頂に誰もいなかった。山頂部やのろし山などのベンチは新しいものが置かれていた。
 山頂からは、種松へと下った。種松からは久しぶりの歩きになったが、道は良く整備されていた。途中、草の茂った窪地が現れたが、ここには馬洗場という標識が置かれていた。平林城跡からの登山道の途中にも同じ馬洗場があり、要害山は規模の大きな山城であったことがうかがわれる。
 林道に飛び出して、左に下ると車の置いた水道タンク脇に出て、周回は終わった。

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