月山

月山


【日時】 2015年8月9日(日)〜10日(月) 前夜発日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 出羽山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 月山・がっさん・1984m・なし(1979.5m・一等三角点補点)・山形県
 姥ヶ岳・うばがだけ・1669.7m・三等三角点・山形県
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/月山/月山
【コース】 姥沢コース
【ガイド】 アルペンガイド「鳥海・飯豊・朝日」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「鳥海山、月山」(昭文社)

【時間記録】
8月9日(日) 13:00 新潟=(R.7、新発田、R.113、今泉、R.287、左沢、R.488、R.112、志津 経由)=17:40 姥沢  (車中泊)
8月10日(月) 5:50 姥沢―7:03 リフト分岐―7:27 牛首分岐―8:18 月山〜8:35 発―9:46 牛首分岐―10:06 湯殿山神社分岐―10:21 姥ヶ岳―10:37 リフト上駅分岐―(10:44〜11:15 昼食)―11:26 リフト分岐―12:33 姥沢=(志津、R.112、R.345、R.7 経由)=18:10 新潟
 月山は、羽黒山、湯殿山と合わせて、出羽三山と呼ばれ、古くからの信仰の山である。なだらかな山頂を持ち、日本海近くの豪雪地にあることから、夏遅くまで残雪を抱き、高山植物が豊富なことから人気の高い山になっている。

 月曜日を休むことができたので、少しでも高い山へということで月山に出かけることにした。月山は手頃に花を楽しめることから、日本百名山の中でも登頂回数の多い山になっている。行きは内陸部経由で、帰りは海岸線をドライブすることにした。姥沢には夕刻到着し、いつものように手前の空き地で夜を過ごした。
 姥沢の駐車場に朝になって移動すると、結構多くの車が停められていた。月山リフトは、8:00に運行開始なので、歩いた方が静かな山を楽しめるし、涼しいうちに登りを終えることができる。
 車道を少し歩き、沢を渡ろうとすると、橋が無くなっていた。車道を先に進んで沢を越したところで折り返すようにコースが変わっていた。驚いたことに姥沢小屋は、無くなっていた。ネットで調べると、姥沢小屋は2013年1月に暴風と大雪で倒壊し、その後撤去されたようである。泊まったことは無かったが、伝統のある山小屋が無くなったことには寂しさを覚えた。
 姥沢小屋跡地の広場からは、コース指示によって登山道に進む必要があった。このコースは、以前は木道が傾いて歩き難い状態であったが、修復されて歩きやすくなっていた。枝尾根を乗り越してガレ場のトラバースになるが、おたから清水とブナのしずくという二つの湧水があり、帰りには存分に飲んで渇きをいやすことができる。
 木道を辿っていくと、草原の中を抜けていく道になり、ニッコウキスゲの花も見られるようになった。前方に牛首の稜線も見えてきたが、そこに上がる手前の雪渓は小さくなっており、すでに残雪歩きのシーズンは終わっていた。
 リフト上駅からの道を合わせると、牛首への急坂が続くようになった。リフトの運行開始前ということで、誰も歩いていない登山道を楽しむことができた。牛首の姥ヶ岳分岐を過ぎると、鍛冶月光と呼ばれる急坂になる。石畳状に整備された所も多くなってきているが、岩を踏み越えていく道で、初心者は急坂と足場の悪さのために苦労することになる。山頂小屋泊りのグループが下山してくるのにも出会うようになった。背後を振り返ると、雲が広がって、姥ヶ岳に至る稜線が見えるだけであった。
 鍛冶小屋跡を過ぎると、もうひと登りで山頂台地に出る。前方に見えるはずの月山神社も雲に隠されていたが、読経の声が聞こえてきた。いつものように、三角点まで進んで、月山登頂とした。  ここまでは一気に登ってきたので、花の写真を撮りながら戻ることにした。時期によって違う花を楽しめる月山であるが、今回は山頂小屋脇でハクサンシャジンのお花畑を楽しめたのが収穫であった。
 鍛冶月光の下りからは、大勢の登山者とすれ違うようになった。初心者も多く、急坂に苦労していた。牛首からは姥ヶ岳を登っていくことにした。柴灯森と呼ばれる小ピークからは湯殿山神社との分岐になる金姥への急な下りになる。この急坂の途中で、「もう少しで月山ですか」と家族連れから聞かれたのには驚かされた。月山へ登りは、まだ核心部にも来ていないので、この先の牛首の分岐でリフト上駅に引き返した方が良いのではとアドヴァイスした。リフト上駅から月山に向かうには、姥ヶ岳コースと草原コースに分かれるが、姥ヶ岳経由だと初心者には体力的にきつくなってしまう。
 金姥から登り返して到着した姥ヶ岳の山頂は、大勢の登山者が休んでいた。草原コースに下った先のベンチで大休止にした。
 時間の関係もあるのか、草原コースを歩く登山者は少なく、さらに姥沢小屋への道に進むと、出会う登山者もまれになった。
 この日は、少し遅い時間に家に戻る必要もあったので、休みをとりとり新潟に戻った。

山行目次に戻る
表紙に戻る