火打山、米山

火打山
米山


【日時】 8月1日(土)〜2日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 1日:晴 2日:曇り

【山域】 妙高連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 火打山・ひうちやま・2461.8m・三等三角点・新潟県
 黒沢岳・くろさわだけ・2212.4m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/妙高山、湯川内
【コース】 笹ヶ峰より
【ガイド】 アルペンガイド「妙高・浅間・志賀」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「妙高・戸隠」(昭文社)
【温泉】 杉野沢温泉苗名の湯 450円

【山域】 米山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 米山・よねやま・992.6m・一等三角点本点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/柿崎/柿崎
【コース】 水野新道
【ガイド】 越後の山旅(富士波出版)

【時間記録】
7月31日(金) 14:00 新潟=(R.116、R.8、R.18、妙高高原、杉野沢 経由)=18:40 笹ヶ峰  (車中泊)
8月1日(土) 4:30 笹ヶ峰―5:15 黒沢―5:45 十二曲り上―6:32 富士見平分岐―7:18 高谷池―7:54 尾根上―8:54 火打山〜9:10 発―9:52 尾根上―10:30 高谷池―10:59 茶臼山―11:30 黒沢池ヒュッテ〜12:15 発―13:03 富士見平分岐―13:40 十二曲り上―14:00 黒沢―14:54 笹ヶ峰=(杉野沢、妙高高原、R.18、R.8、柿崎、下牧、水野 経由)=18:05 水野新道登山口  (車中泊)
8月1日(日) 5:13 水野新道登山口―5:46 水野分岐―5:50 しらば避難小屋―6:25 米山〜6:30 発―6:53 しらば避難小屋―6:57 水野分岐―7:24 水野新道登山口=(水野、下牧、柿崎、R.8、R.116 経由)=10:10 新潟
 火打山は、妙高連峰の最高峰であり、まろやかな円錐状の頂上を持つ女性的な山である。かつては死火山と考えられていたが、複式火山の妙高山と、活火山で現在登山禁止中の焼山の中間にあって、この山だけは火山ではないことが明らかになっている。火打山は、高山植物も豊富であり、高谷池ヒュッテや黒沢池ヒュッテといった小屋も整備され、笹ヶ峰から比較的容易に登ることができることから、人気の高い山になっている。

 米山は、越後の北陸道沿いにあって、日本海にその裾野を洗う独立峰である。街道あるいは海上よりその姿を良く眺めることができることから、古来、旅人や地元民の心に刻まれ、名山として親しまれてきた。民謡「三階節」の「米山さんから雲が出た」という文句でも知られている。地元の信仰厚き山で、山頂には米山薬師のお堂が置かれ、上越、中越の各町村では米山講が組織されていたという。

 猛暑が連日続いている。少しでも高い山ということで、妙高の火打山に出かけることにした。金曜日の午後に時間があったので、下道を走って笹ヶ峰に入った。笹ヶ峰ではいつものように、少し離れたところの空き地で夜を過ごした。
 涼しいうちに高度をかせぐのと、登山者の混雑に巻き込まれないために、周囲が薄明るくなったところで出発した。黒沢までの登山道は、ほとんどすべてに木道が敷かれるように変わっていた。歩きやすくなったこともあり、黒沢には思ったよりも早く到着した。黒沢の橋も新しく立派なものに変わっていたが、そのかわりに河原には下りにくくなっていた。
 ここからは、十二曲りの急坂になるが、カーブの番号が付けられて歩きやすくなっていた。これまでは小さなカーブを含めるかどうか迷って、途中で判らなくなっていた。ただ、上部で標識が無くなっており、気が付いていたら尾根上に到着していた。
 この先は尾根沿いの登りであるが、結構急なところもあって、体力を消耗する。富士見平分岐からは、黒沢岳の西斜面のトラバースになるが、小さなアップダウンがあり、道ははかどらない。前方に高谷池ヒュッテの三角屋根が見えるようになると、北アルプスの眺めが広がって、写真撮影のために足が止まってしまった。白馬岳付近は間近に見え、遠くには槍ヶ岳も見えていた。この先の展望が楽しみになった。
 高谷池ヒュッテを過ぎると、山頂往復や周囲の散策を行う泊り客に出会うようになった。天狗の庭に出ると、池塘に火打山の影を映す、影火打の眺めが広がり、写真を撮りながらの歩きになった。絶景といえる眺めであった。
 天狗の庭を過ぎるて尾根上に出ると、登りをもうひと頑張りすることになった。山頂も近づいてきたが、暑さが堪えるようになってきた。山頂手前のガレ場に設けられた木道で、トレランに追い抜かれたが、公務員ランアーとして有名な川内優輝氏であったようである。
 下山の団体と入れ違いに到着したおかげで、数名しかいない火打山の山頂に到着した。焼山や北アルプスの眺めが広がっており、遠くには富士山も眺めることができた。日本海方面は雲がかかっていたが、これ以上はない眺めであった。
 トレランの一行の話が耳に入ってきたが、川内氏は影火打まで走っていき、この後は妙高山に登ってから下山するということであった。妙高山はどれだという話声が耳に入って、こいつらは馬鹿ではないかと思った。山も知らずに体力まかせに登ってきているようである。この日は、何かのグループでかなりのトレランが入っており、歩いている途中、何度も後ろから追いついてきては道をあけさせられるのにうんざりした。川内氏もトレランなどと余計なことをしているようでは、おそらく次回のマラソンのオリンピック代表は無理であろう。
 下りの途中、暑さが厳しく感じられるようになってきた。天狗の庭で写真撮影を行い、ひと登りした雪渓脇のベンチで、雪解け水を飲んでひと休みした。体力的には厳しくなってきたが、いつものように黒沢池ヒュッテ経由で下山することにした。
 黒沢池ヒュッテに到着した所で、木陰に腰を下ろして大休止にした。少し日が陰ったところで再び歩き出した。湿原を通り抜けて富士見平分岐に出ると、休んでいる団体で大混雑になっていた。この日の山小屋は、恐ろしいほどの混みようになったように思われた。
 この先は下りを頑張ることになった。途中で追い越したトレランの若い女性グループが、少し足場の悪い所では足が止まって渋滞を起こしていた。普通に山歩きができてからトレランに来いといいたい。平らになって木道が現れると走り出すので達が悪い。この日は、絶好の展望を楽しんだが、トレランに不快な思いをした。
 黒沢を過ぎれば、後は木道歩きが続くが、足裏が痛くなってきた。昔の落ち葉の積もった登山道が懐かしく思われた。
 杉野沢温泉で汗を流したが、脱水気味で、国道まで下ったところのコンビニで飲み物を買い込んだ。翌日の山は簡単にすますことにして、水野新道から米山に登ることにした。 米山への登山道は、各方面から切り開かれているが、この水野新道はもっとも短時間で登れるものである。見落としていたのだが、分県ガイド「新潟県の山」において、旧版では大平登山口からの紹介であったのが、新版ではこの水野新道からの紹介に変わっていた。メインというのはやはり大平コースであろうから、最短コースの記載に変更したのはいかがなものかと思う。
 水野集落から、米山登山口の標識に従って林道に進む。舗装道路であるが、道幅はせまく運転には注意が必要である。
 高度を一気に上げると、林道終点に到着する。駐車場と芝地の広場が設けられている。高度が上がったせいか暑さも和らいでおり、夜を過ごすには良い場所であった。
 翌朝は、涼しいうちにということで、早立ちした。林道の延長線に向かってトラバース気味に少し進むと、一気の階段登りが始まった。いきなり息が切れた。枝尾根上に出た先で、美しいブナ林が広がる不動の杜に出た。幅広尾根を進むと、再び急な階段登りになった。この急坂を登りきると、下牧からの登山道が合わさる分岐に出た。この分岐の登山道脇には、太澄禅師の石碑が置かれていた。
 緩やかな尾根道を進むと、女人堂跡のしらば避難小屋に出た。ここから一旦下ると、鞍部付近は岩場の細尾根になっているが、通過に問題はない。昔は忠実に岩の上を通過するようになっていて、女性の通過が難しかったのかもしれない。この先は米山の山頂めがけての急坂になった。一気に急坂を登りきると、山頂小屋が目の前に現れた。
 暑さのために靄っており、日本海の海原を見分けることはできなかった。山頂には誰もいなかったが、下山しようとすると、女性の単独行が大平方面から登ってきた。水野新道に下る途中にも、トレランの一行を含めて、早朝登山者とすれ違った。米山では、猛暑の中でも、早朝登山として登ってくる者がいることが判った。
 下山の時間は早かったが、汗びっそりの衣類を変えると登山の意欲もなくなって家に戻ることになった。

山行目次に戻る
表紙に戻る