要害山

要害山


【日時】 2015年4月11日(土)
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 朴坂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 要害山(加護山)・ようがいさん・281mなし・新潟県
 三ノ輪山・みのわやま・303.0m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条、小国/坂町
【コース】 平林城跡より
【ガイド】 なし

【時間記録】 8:20 新潟=(R.7 経由)=9:35 平林城跡〜9:55 発―10:33 首切清水―11:11 要害山―11:42 三の輪山―12:13 要害山―12:29 首切清水―12:55 平林城跡=(往路を戻る)=14:30 新潟
 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在も土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。

 雨の中の歩きのため、要害山に出かけた。平林城跡の駐車場には、軽トラックが二台停められていたが、これは山菜採りのもののようであった。
 平林城跡は、杉林が間伐されて見晴らしが良くなって、土塁などの地形がはっきり判るようになっていた。
 幸い雨は止んでおり、長靴は履いているものの、傘はさす必要はなく、のんびり歩くことができた。馬洗場と首切清水には僅かながらミズバショウが咲いていた。スミレサイシンやナガハシミズレは咲いていたが、カタクリが全く見られないのは不思議であった。
 首切清水からはいつものようにのろし山経由で物見山に向かった。この二つのピークは展望地であるが、雲が低く垂れ込めて、展望は閉ざされていた。物見山からはひと登りで要害山に到着。誰もいない山頂であったが、もう少し季節が進んでワラビが生えるようになると、結構登山者も増える。
 冬の間は、ここで引き返すが、三の輪山まで足を延ばすことにした。館岩と呼ばれる岩も周囲が整備されて、以前よりも岩の積み重なり状態がはっきりしていた。一旦坂を下ると、川部への分岐である種松に到着する。ここからは三の輪山への急な登りになる。濡れた泥斜面が滑りやすく足元に注意が必要であった。
 ひと汗かいて登った三の輪山の山頂は、木立に囲まれて展望は閉ざされている。縦走してみると、この先が深山幽谷の気配が漂って面白いのだが、今日はここで引き返すことにした。
 要害山に戻ってからは、七曲坂経由で下山した。登山口まで雨には合わずに歩くことができたが、車を走らせると本降りの雨になった。花という点では期待外れであったが、雨の日になんとか山歩きができたので良しとしよう。

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