2015年 山行記録 15-1 1月2日 月山 15-2 1月3日 赤松城山 15-3 1月10日 重倉山 15-4 1月11日 大峰山 15-5 1月12日 雷山 15-6 1月17日 菩提寺山、高立山 15-7 1月25日 八方台 15-8 1月31日 嶽薬師 15-9 2月7日 榎峠、スガ峰 15-10 2月12日〜17日 キナバル山 15-11 2月21日 蝉峠山 15-12 2月28日 笠菅山 15-13 3月1日 上ノ山 15-14 3月7日 尖山 3月8日 樋曽山 15-15 3月14日 花見山 15-16 3月15日 極楽山 15-17 3月21日 ほとら峯(中退) 、平地山 15-18 3月22日 国上山から剣ヶ峰 15-19 3月28日 高陣場から洞厳山 15-20 3月29日 角田山 15-21 4月4日 弥彦山  15-22 4月5日 金毘羅山 15-23 4月11日 要害山 15-24 4月12日 三角点から湯蔵山 15-25 4月18日 品倉山 15-26 4月19日 大峰山から櫛形山 15-27 4月25日 権ノ神岳 15-28 4月26日 雷山 15-29 4月29日 鷹取山 15-30 5月2日 大力山から黒禿ノ頭、笠倉山  5月3日 長森山から六万騎山  5月4日 城が沢山から小貫木山 15-31 5月6日 宝蔵山 15-32 5月23日 袴腰山 15-33 5月30日 荒川山 15-34 6月6日 たきがしら湿原 15-35 6月7日 二王子岳 15-36 6月13日 稲包山  6月14日 唐松山 15-37 6月19日 尾瀬ヶ原  6月20日 鬼ヶ面山 15-38 6月27日 護摩堂山、高立山、菩提寺山 15-39 7月4日 鷹巣峠 15-40 7月5日 秋葉山 15-41 7月25日 飯谷山、鳥屋山  7月26日 猫魔ヶ岳 15-42 8月1日 火打山  8月2日 米山 15-43 8月8日 角田山 15-44 8月10日 月山 15-45 8月14日 新津丘陵  15-46 8月15日 新津丘陵 15-47 8月16日 櫛形山 15-48 8月22日 要害山 15-49 8月23日 鋸山 15-50 8月30日 原の城跡 15-51 9月5日 菱ヶ岳 15-52 9月12日 高坪山 15-53 9月13日 横手山 15-54 9月19日 二子山  9月20日 岩菅山  9月21日 鳥屋ヶ峰 15-55 9月23日 鳥坂峰 15-56 9月27日 諏訪峠 15-57 10月3日 三倉山 10月4日 愛宕山 15-58 10月10日 赤崎山 15-59 10月31日 小枕山 15-60 11月1日 榎峠 15-61 11月3日 大里峠 15-62 11月7日 マンダロク山 15-63 11月8日 萱野峠 15-64 11月14日 朴ノ木峠 15-65 11月21日 不動堂山 15-66 11月22日 白根山 15-67 11月23日 菩提寺山 15-68 12月6日 新津丘陵 15-69 12月12日 笠菅山 15-70 12月13日 山葵山 15-71 12月20日 多宝山  15-72 12月23日 花見山 ============================================================================= 15-1 1月2日 月山 【日時】 2015年1月2日(金) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 津川周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  月山・がっさん・336.5m・二等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/越後豊川 【コース】 小山より 【ガイド】 緑に親しむ新潟県森林浴の森100選(新潟日報事業社) 【時間記録】 8:20 新潟=(R.49、津川 経由)=9:30 小山〜9:55 発―10:07 登山口―10:58 月山〜11:10 発―11:30 登山口―11:39 小山=(往路を戻る)=13:10 新潟  月山は、会越国境の御神楽山の登山口にあたる上川村にある丘陵である。山頂付近には、ブナ林が残り新潟森林浴100選にも選ばれ、ハイキングコースとして整備されている。  新年になって、山の意欲もリセットされたが、新年早々大雪情報が出されてしまった。悪天候でも登れる山を幾つか考え、結局月山に出かけることにした。雪山の場合、駐車場所が問題になるが、この登山口は集落までの道として除雪されており、除雪終点部が駐車スペースとして利用できる。  道路の凍結も怖いので、正月のお餅を食べてからゆっくりと出発した。天気は意外と良く、五頭山塊や菅名山塊の眺めが広がった。ところが津川が近づくと雪が降り出して、ライトを付けて車を走らせる状態になった。国道49号線を離れると、雪道に変わった。朝方に除雪した後に新雪が3センチほど積もったようである。  小山の集落に到着して、除雪終点部に車を停めた。三年連続の月山冬山であるが、除雪終点に積まれた雪の山は、今回が一番少なかった。12月から大雪となっていたので、意外であった。  スノーシューのイクステンションを付けて歩き出した。林道を覆う雪に足を踏み出したが、歩くのには支障はない状態であった。林道を150m歩いた所に月山を示す標柱があり、左手の谷に向かって下る。谷間に広がる田圃に出た所で右手に進むと、新潟県森林浴の森百選と書かれた標柱が現れ、田圃を横断した先の沢状の窪地が登山口になる。ここまでのコースは、地図に書かれた破線とは違っているので注意が必要である。雪が多いとここまででも大汗をかいてひと休憩が必要になるが、この日はそのまま歩き続けることができた。  杉林が周囲に広がる沢状の窪地をそのまま進んでいくと、月山に続く尾根に自然に乗ることができる。月山への登山道は、神社の参拝道として杉木立が続いている。杉の下は、雪も少なく歩きやすい状態であった。  登るにつれて雪は多くなったが、スノーシューで歩き続ける状態であった。尾根の周囲の木立には雪が付いて美しい姿を見せていた。  石灯篭や鳥居の跡がある広場に出ると、この先はこのコースで一番の急坂になる。石段が続いているのだが、雪に埋もれた一面の雪原になっている。雪が深いと苦労する難所であるが、雪質も良く、難なく通過することができた。  北側からの登山道が合流したところで、もうひと頑張りすると月山の山頂に到着した。杉木立の中にひっそりと神社のお堂がたたずんでいた。軒下に腰を下ろしてひと休みした。天気も回復してきて、御神楽岳や大峰方面の眺めが広がった。山頂部は雲に隠されていたが、この日の天気予報では、これでも期待以上の眺めであった。お堂の周りを回ってみると、東斜面に美しいブナ林が広がっていた。  下りも快調な歩きとなって、短時間で車に戻ることができた。  体力的には楽な山となったが、これも雪質次第のことなので、初登りとしてはこれで良しとしよう。 ============================================================================= 15-2 1月3日 赤松城山 【日時】 2015年1月3日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 五頭山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   赤松城山・あかまつじょうやま・337m・なし・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/出湯 【コース】 赤松森林公園より 【ガイド】 なし 【時間記録】 8:40 新潟発=(R.49、水原、出湯、R.290 経由)=9:20 宝珠温泉〜9:35 発―10:00 赤松公園内登山口―10:19 尾根上分岐―10:36 送電線鉄塔―10:47 林道―11:10 赤松城山〜11:22 発―11:37 林道―11:37 送電線鉄塔―12:09 宝珠温泉=(往路を戻る)=13:10 新潟  五頭連峰の南端にある宝珠山へは、最近、草水から大山を経由するコースが閉鎖になったため、赤松山森林公園からのコースがメインになっている。赤松城山は、赤松山森林公園コースの途中にあるピークである。  あいかわらず、新潟の天気予報には吹雪マークが付いた。起きて外を見ると、小雪が舞って、路面はうっすらと雪に覆われていた。山の方は雪が降ったようで、登山に出かけるか迷ったが、朝食をとっていると、太陽も顔をのぞかせた。やはり山に行こうということになったが、出発の時間も遅いので、ここのところの雪山定番の赤松城山に出かけることにした。  国道49号線に雪は無かったものの、宝珠温泉に向かう道に入ると、圧雪状態になった。といっても、町営温泉に通ずる道なので、除雪は完全に行われているので助かる。宝珠温泉の駐車場の外れに車を停めさせてもらった。登山口までの除雪と駐車場の確保が確実なため、悪天候の時にこの山を選ぶことになってしまう。  スノーシューをザックにとりつけ、最初はつぼ足で歩き出した。赤松山森林公園へ通じる道は雪に覆われていたが、路肩部に水が流れて地面も出ている所があったので、少し歩いてからスノーシューを履いた。  雪に埋もれているものの、歩いた跡が残されていた。昨年末のもののような感じであった。最初は、林道を歩いて、赤松山森林公園内の宝珠山登山口に向かった。トレースは途中で遊歩道に進んでいき、その先からは深い雪に苦労することになった。宝珠山登山口から先はトラバース気味の道で、城山から西に延びる尾根を目指すことになる。吹き溜まりもあって、深い雪に苦労した。公園内の遊歩道を辿るだけでも、体力的には充分なスノーシューができるが、雪に埋もれた公園内には誰もいない。  尾根に出ると、トレースが続いており、歩きは楽になった。鉄塔に出て、ひと息ついた。昨日の月山は休みなしで歩き通すことができたが、今日は深雪のために、立ち休みを入れないと歩き続けることができない。鉄塔下からは菅名山塊の山麓や新潟平野を眺めることができたが、弥彦・角田山塊は雲に隠されていた。歩き出してからは雪も止んでいてくれて、新潟の雪山としては悪い条件ではなかった。  鉄塔からは木立に囲まれた尾根道を進み、切り通し手前から少し下ると林道の横断点となる。この先の、尾根上に戻るまでがこのコース一番の難所になる。トレースは、夏道通しに急斜面をまっすぐに登っていた。トレースの幅が狭かったり、削られて壁状になっていて、スノーシューでは歩き難い所もあったが、まっさらな斜面よりは登りやすく、いつもよりは楽に尾根上に出ることができた。この先も尾根沿いの登りが続くが、歩きやすい道である。  松の枝が登山道上に倒れこんで邪魔している所を抜けると城山の山頂に到着する。城山の解説板が置かれているが、雪の上に出ている長さからすると、雪の量はそう多くは無いようであった。トレースはさらに続いていたが、城山までで充分ということで大休止にした。  年初めの登山ということで、五頭山や白山あたりなら少々の悪天候でも入山者は多く、ラッセルの苦労もさほどせずに登れるはずであるが、低山といえども、一人で登った雪山の方に面白みをおぼえる。  下りは快調なスノーシュー歩きを楽しむことができた。尾根上から林道への下りも、脇の新雪の斜面を下った。膝上まで潜る所もあり、古いトレースのおかげで楽ができたことを実感できた。  鉄塔からはどんぐり坂へのコースに進んだ。鉄塔から巡視路入口まではトラバース気味の下りになるので、雪の状態によってはあまり勧められないコースではある。遊歩道に出て少し水平に進んだ後は、下方に方向を変える。九十九折に道が付けられているが、新雪を蹴散らかせながらまっすぐに下った。  登り初めのトラバース道を横断して、そのまま直進すると車道に下り立つことができた。登りの時間に比べて、下りは短時間で終わった。 ============================================================================= 15-3 1月10日 重倉山 【日時】 2015年1月10日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り時々雪 【山域】 粟ヶ岳周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  重倉山・しげくらやま・294.9m・二等三角点・新潟県 【コース】 中浦ヒメサユリ森林公園より 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/森町 【ガイド】 なし 【時間記録】 8:20 新潟=(R.49、茅野山IC、R.403、新津、加茂、R.290、上谷地、中浦 経由)=9:40 中浦ヒメサユリ森林公園〜10:00 発―11:05 重倉山―11:52 中浦ヒメサユリ森林公園=(往路を戻る)=13:10 新潟  重倉山は、粟ヶ岳の西山麓にある里山である。麓に「中浦ヒメサユリ森林公園」という野外レクリエーション施設が設けられ、そのためにハイキングコースとして遊歩道が整備されたようである。  ここのところ新潟市では雪がちらつくだけであるが、北海道や日本海側は大雪とのニュースが流れている。山の方は本格的な積雪があるようなので、三連休ではあるが、近場の山ですごすことにし、まずは、悪天候でも登れる重倉山に出かけることにした。  新津から護摩堂山にかけての丘陵地も雪は少なかったが、加茂を過ぎると雪は多くなっていき、下高柳を越すと道路脇の雪の量も一気に増した。中浦の集落内に入ると、除雪が行われておらず20センチ程の積雪で轍ができていた。雪道にハンドルを取られながら車を進め、鹿熊への道から中浦ヒメサユリ森林公園の道に入ると、ここでは除雪が行われており、車の走行には問題は無くなった。ただ、除雪は一車線幅で、両脇にはうず高い雪壁ができていたので、対向車が来ないことを祈るしかなかった。  だれもいない中浦ヒメサユリ森林公園の駐車場に入って車を停めた。この公園に冬訪れる者は、重倉山に登ろうという物好き以外にはいないであろうに、いつも除雪されているのは不思議である。  雪も止んで薄日もさして、まずまずの登山日和であった。木々の枝に雪が乗って美しい姿を見せていた。この風景を見る者が他にいないというのももったいない気がする。  新雪も積もっているようなのでスノーシューにイクステンションを付けた。雪の上に立つと、脛ほどまで潜るが、なんとか歩き続けることができる状態であった。この山には毎年きているが、2007年2月12日の時はスパイク長靴で登れたし、昨年の2014年1月12日の時は底なし沼のような新雪に一歩を進めるのにも苦労する状態であったので、難易度はその都度異なっている。今回は、平均的な難易度といえる。  まずは雪に埋もれた農道の歩きになる。谷奥に続く田圃も雪に埋もれて真っ白な雪原となり、変わった姿を見せていた。  雪に埋もれた登山標識の脇から西に広がる谷間に進む。この谷間も段々になった田圃が広がっており、その段差を越すのに短いが急な坂を乗り越すのに息が切れた。杉林に入ると、新雪の量も少なくなって歩きやすくなった。杉林の中を登っていくと右手の小ピークとの間の鞍部に出て、この後は林道を辿っていく登りになる。九十九折に道が付けられているので、比較的楽に高度を上げていくことができる。  周囲の木立の雪景色が美しいので写真を撮りながらの歩きになった。登るうちに粟ヶ岳の山裾の眺めも広がったが、山頂部は雲に隠されたままであった。  急斜面を越すと山頂北側の台地に到着する。ここで南に方向を変えてほぼ平坦な尾根道を辿ると重倉山の山頂に到着する。山頂は雪の小山になっており、皇太子殿下御成婚の森」の標識も完全に隠されていた。  小雪がまったり日差しが差し込んだりと変わりやすい天候であったが、山歩きには問題の無い状態であったので、下山は違うコースをとってみることにした。地図を見ると、山頂から北に延びる尾根に進み、220m標高地点で南東に方向を変えれば、歩き初めの農道の奥に下り立つことができるはずである。  九十九折終点部の台地にも戻って北をうかがうと、木の間隔も開いた雑木林が広がっていた。緩やかな下りのために新雪も気にならず、気持ちよく歩くことができた。この尾根から西に派生する枝尾根には送電線の鉄塔が設けられていて巡視路も設けられている感じであった。  230m標高地点の屈曲地点を見落とさないようにGPSを確認しながら歩いた。東に方向を変えると杉林の中に入って周囲の見通しが悪くなったが、南東に延びる尾根に乗って下っていくと尾根の末端部に到着した。末端部は急なため、右手に下って沢沿いに進むと農道に戻ることができた。  ここから登り始めのトレースまでは、スノーシューのイクステンションをはずしているため深雪に苦労したものの、150mほどの我慢であった。  今回下ったコースは歩きやすい尾根なので、次からはこの周回が定番になりそうである。 ============================================================================= 15-4 1月11日 大峰山 【日時】 2015年1月11日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 飯豊連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  大峰山・おおみねやま・360.7m・三等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/津川、東赤谷 【コース】 新谷集落より 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:45 新潟発=(R.49、三川 経由)=8:00 新谷〜8:20 発―9:05 三叉路―9:42 稜線鞍部―10:08 大峰山〜10:45 発―10:56 稜線鞍部―11:18 三叉路―11:53 新谷=(往路を戻る)=13:10 新潟着  大峰山は、棒掛山から土倉山を経て西に連なる尾根の末端近くにある、新谷川左岸の山である。新谷から行地に至る林道が西山麓を走っており、アプローチに使える。  気象庁の提供している雨雲の情報を見ていると、中越から上越にかけて雨雲が停滞しているが、新潟から東にかけてだけが免れている。天候も安定しており、新雪も多くはないだろうということで、裏五頭の大峰山を登ることにした。途中に急登はないものの、距離は少し長めのため、雪の状態によっては苦労するコースである。  乾いた道路を走って登山口の新谷集落に到着した。集落入口に車を停め、スノーシューをかついで歩き出した。民家の外れで除雪は終わりになるが、除雪終点部には車の回転スペースがないので、入口から歩く必要がある。  イスクテンションを付けたスノーシューを履くと、雪にもあまり沈み込まない状態であった。ただ、杉林の中を通っている林道上は雪が締まっているものの、頭上の空間が開けるととたんに雪に潜る状態になった。  しばらくは林道を辿っての歩きが続く。送電線の下を通過すると、その先で三叉路になり、ここは左に進む。300mほど林道を辿った後、杉林の中へとコースを変える。杉林の中で見通しは利かないため、高みに向かって進むことになるが、時々GPSを確認しながらの歩きになった。分かれた林道が再び接近してきて横断することになったが、この植林のための作業道は稜線近くまで続いているようであった。  杉林が終わると雑木林の広がる高まりが目の前に迫るが、これは300mピークのため、方向を変えて基部を右に回り込む。再び杉林に入るが、登っていくと300mピークの南の鞍部に自然に出ることができる。  この先は、細い灌木の枝がややうるさい歩きになった。緩やかな登りが続いたが、棚橋山や馬ノ髪山の眺めが広がってしばしば足が止まった。  到着した大峰山の山頂は杉などの木立で囲まれているが、ナラ枯れによって空間ができて眺めが良くなっていた。蒜場山の山頂は雲に隠されていたが、新谷川の対岸に、棚橋山や馬ノ髪山、俎倉山が連なる眺めが広がっていた。その手前には人品頭山もドーム型の山頂を見せていた。木立の間からは、土倉山とその手前の鋭峰が並んだ眺めも得られた。低山とはいえ、楽しめる展望であった。  下りは、重力にも助けられ、楽な歩きになった。林道に戻ると傾斜が緩くなって歩くのにも体力を使うようになったが、カーブ地点のショートカットも行って、集落に戻ることができた。 ============================================================================= 15-5 1月12日 雷山 【日時】 2015年1月12日(月) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 川内山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  雷山・いかづちやま・377.9m・三等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津、加茂/村松、越後白山 【コース】 永谷寺より 【ガイド】 なし] 【時間記録】 8:45 新潟=(R.49、R.403、新津、五泉、村松 経由)=9:40 川内郵便局前〜10:03 発―10:13 永谷寺―11:23 雷山〜11:38 発―12:19 永谷寺―12:28 川内郵便局前=(往路を戻る)=13:20 新潟  雷山は、早出川と仙見川に挟まれ、菅名山塊の不動堂山と白山に向かいあう、川内山群の入口にある山である。この山頂には雷城と呼ばれる山城が築かれ、早出川の対岸の福連寺山の福連寺城との間の争いにまつわる、「東光院物語」という、若君と姫君の悲恋の伝説が残されている。この伝説の舞台となっている麓の永谷寺(ようこくじ)には、「おぼと石」という伝説のまつわる史跡も残されている。最近、登山道が整備され、登山者も多くなってきている。  連休三日目、連日の歩きで疲れもでており、天気も悪いので、近場の山として雷山に出かけることにした。  車を走らせていると、太陽が出てきてまぶしくなったり、吹雪状態になって車のライトを点灯させるなど、天気は目まぐるしく変わった。村松公園を過ぎると、道路も数センチの雪で覆われるようになった。  登山口の永谷寺までの道は狭く、先行者の車がいると寺の駐車場を使うことになるので、いつものように郵便局脇の路肩部に車を停めて歩き出した。  永谷寺に到着してみると、登山者のものと思われる二台の車が停められていた。登山道には、しっかりしたトレースが付けられており、つぼ足で普通に歩ける状態であった。結局、この日はスノーシューの出番はなしで登山を終えることになった。  杉林に囲まれた谷間の道は、風も吹きこまず、穏やかな状態であった。一合目の登山口から登山道に進むが、しばらくは急斜面のジグザグの登りが続く。トレースが無ければ、登山道を辿るのに苦労するところであるが、ただ歩いていれば良かった。  ひと汗かくと、尾根沿いの登りが続くようになる。スノーシュー歩きと登山靴だけの歩きでは、足の負担も違うように感じた。  ベンチの置かれた六合目展望台に出ると、天気も回復して、不動堂山や新潟平野の眺めが広がった。昨晩からの雪で木立も白く染まっており、美しい風景であった。  その先は、緩やかな登りをしばらく続けるとロープも張られた急坂になって、ここを突破すると、山頂下の台地に出る。曲輪跡の段々を登ると、山小屋との分岐に出るが、右の道に進んで山頂に向かった。  雷山の山頂は杉の木立が広がっているが、崖際から白山方面や川内山塊の眺めが広がっている。展望の広がった所に、ベンチも設けられていた。うまいタイミングで、山頂到着と同時に雲が切れて山の眺めが広がった。しばらく写真撮影に興ずることになった。  山頂には誰もおらず、静かに風景を眺めることができたが、一段下にある山小屋には大勢が集まっているようであった。山小屋から離れると、再び静けさの中の歩きになった。結局、歩いている最中には誰にも会わずに登山を終えた。  雷山は、山小屋ができてからはトレースがついて、スノーシュー歩きには向かない山になってしまっているのが少し残念である。   ============================================================================= 15-6 1月17日 菩提寺山、高立山 【日時】 2015年1月17日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 雪 【山域】 新津丘陵 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  菩提寺山・ぼだいじやま・248.4m・三等三角点・新潟県  高立山・たかだてやま・276m・なし・新潟県 【コース】 石油の里より 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/矢代田、村松 【ガイ】 菩提寺・高立山・護摩堂山周辺案内図(五泉市商工観光課) 【時間記録】 8:40 新潟発=(R.49、亀田、R.403、白根安田線、金津 経由)=9:15 石油の里〜9:27 発―10:40 菩提寺山―11:32 高立山―12:57 石油の里=(往路を戻る)=13:50 新潟  新潟平野の内陸部の縁に沿った、新津、加茂、五泉の中間に広がる丘陵地を新津丘陵と呼ぶ。新津丘陵では、一等三角点も置かれている護摩堂山が良く知られているが、最近では、菩提寺山や高立山もハイキングの山として、訪れるハイカーが多くなっている。菩提寺山は、新津市、小須戸町、五泉市の境界に位置しているが、それぞれ、石油の里、大沢公園、門前からの各登山道が整備されている。  週の半ばは穏やかな天気が続き、週末の山の期待が高まったが、またも吹雪の予報が出てしまった。土日でセンター試験が行われるので、余計に悪天候の予報が報道されているのかもしれない。  朝方は、みぞれ状態であったが、朝食をとっているうちに天気も安定してきた。天気もぱっとしないので、悪天候の際の最後の候補ともいえる菩提寺山に出かけることにした。  今年は新潟県各地の大雪が報道されているが、新潟周辺に関しては雪は少なめである。新潟平野の田圃の雪は全く消えていた。石油の里の駐車場は、工事関係者の車でスペースが少なめになっていた。山の準備をしている間にも、山に向かって歩き出していく登山者を見かけた。足元はみな長靴であった。新潟の冬山で登山靴を履いているのは他所者で、長靴がデフォである。  周辺の木立を眺めても、土がかなり見えており、山頂付近で雪が多くなっているとしてもトレースができて長靴で充分歩けるはずであった。一応念のためにザックの中にわかんを入れていくことにした。  雪も少ないので、非公式ルートの西尾根から歩き出した。尾根の取り付き部は雪解け水も混じってドロドロの状態になっていた。このルートを歩く者も次第に多くなってきているようである。尾根上までは息を切らせる急登であるが、その後は穏やかな尾根歩きになる。雑木林の中を抜けていく道には雪はほとんどなく、1月の山とは思えなかった。  尾根の合流点での短い急登を繰り返しながら、次第に高度を増していく。クレー射撃場からの射撃音が聞こえてくる他は静かな山であった。石油の里からの登山道と合流すると、歩く者も多くなって、登山道のドロドロ状態も余計にひどくなった。山頂が近づくと、雪道に変わったが、泥が上に乗っていて、滑らなくなっていた。  下山してくる軽装の登山者とすれ違いながら登っていくと、菩提寺山の山頂に到着した。小屋の中に人はいるようであったが、外の広場には誰も見当たらなかった。五頭山塊や菅名山塊は稜線部が雲に隠されて麓だけが見えるだけであった。  天気が意外に良いので、高立山まで足を延ばすことにした。林道まで下ると、吹き溜まりなのか雪は多くなったが、トレースが出来ており、歩くのに支障は無かった。林道から分かれて登山道に進み、竹林を過ぎると尾根沿いの急な登りになる。凍っているところもあり、登りはともかく下りには滑らないように注意が必要であった。  高立山山頂の雪は菩提寺山よりも多く、写真を撮るためにトレースを外れると、膝まで潜ってしまった。小屋の煙突からは煙が上がっていた。  下山は、白玉の滝経由で下った。林道から白玉の滝への登山道に進むと、杉林に覆われた谷沿いの道のために雪は無くなった。ただ、石がむき出しになっており、長靴歩きのため、足が痛くなった。今回の周回では、歩く距離もそれなりに長くなって、体力維持のための山行という目的を果たすことができた。  意外に穏やかな天気で、登る山の選択を誤ったかと後悔していたのだが、帰りの途中の1時過ぎから吹雪が始まり、天気予報は正解であったことが判った。前線通過後の束の間の安定期に山歩きを行っていたことになる。   ============================================================================= 15-7 1月25日 八方台 【日時】 2015年1月25日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 長岡東山 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   八方台・はっぽうだい・567.7m・三等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/栃尾 【コース】 軽井沢より 【ガイド】 なし 【時間記録】 7:00 新潟=(北陸自動車道、中之島見附、川崎IC、R.351、北荷頃、一ノ貝 経由)=8:15 軽井沢除雪終点〜8:45 発―9:44 マイクロウェーブ―10:23 八方台〜11:35 発―12:07 マイクロウェーブ―12:31 軽井沢除雪終点=(一ノ貝、北荷頃、栃尾、R.290、二日町、塩中、下田、R.290、加茂、R.403、茅野山、R.49 経由)=14:40 新潟  八方台は、長岡東山の丘陵地帯北部にあり、山頂下の台地一帯は八方台いこいの森として整備されている。八方台へは森立峠から車道が通じている。  昨年の12月中旬から続いていた寒気もひと段落し、雪山にもじっくり取り組めると思ったものの、火曜日から風邪を引いてしまった。週末にかけてなんとか体力を取り戻し、日曜日に何とか山へ出かけることになった。体力にも不安があるため、昨年も登った長岡の八方台に出かけることにした。  土曜日の深夜に雨が降ったようで、長岡から栃尾に向かう途中、路面をシャーベット状の雪が覆うようになった。軽井沢の集落を過ぎた先の森立峠入口のT字路から歩き出すことになった。森立峠への道は雪に覆われて、除雪によってできた雪の壁は身の丈を越していた。幸い、脇に雪捨てのためのスロープができており、ここから雪原に上がることができた。  除雪終点部の脇に落ち込んできている尾根の末端部を回り込んでいくと、北の谷間を見下ろす尾根沿いに出る。地形図では谷を横断して森立峠からの林道に上がる破線が記されており、実際に道があるようだが、尾根沿いの登りを続ける。古い足跡が続いており、わかん歩きのようで深い穴が残されているところもあった。  雑木林の中を登っていくと、右手の谷間の源頭部に出て、窪地を挟んだ向かいに尾根が落ち込むようになる。左よりの窪地から登りだすと、すぐに傾斜も緩くなって台地上の歩きになる。左に方向を変えていくとマイクロウェーブの中継塔が見えてくる。  マイクロウェーブの中継塔の脇を抜けると、森立峠からの林道に飛び出す。風邪の影響が残って時々立ち休みを入れながらの登りではあったが、雪の状態も良く、ここまでは順調に登ることができた。  この後は、林道歩きを頑張ることになった。林道上には、溝状にトレースが残されていた。マイクロウェーブ中継基地までで登りのほとんどを終えたとはいえ、この林道歩きは体力的にはきついものになった。  最後に林道から別れてひと登りすると、八方台に到着した。広大な雪原の中に、八方台と書かれた看板が頭を出していた。以前あったレストハウスの建物は完全に撤去されて一面の雪原になっているのは、スノーシュー歩きの目的地としては好ましいものになっている。  雪原の縁に出て腰を下ろした。いこいの森は深い雪に覆われて、動物の足跡だけが続いていた。いこいの森の向こうには大平山が頭を持ち上げ、さらに遠くには守門岳が大きく広がっていた。鋸山方面は、雲が滝のように流れて、山頂が見え隠れする状態であった。 休んでいる間に、スノーシューの単独行が登ってきて、先に下山していった。下山途中のトレースからは、山スキーヤーが一名マイクロウェーブ中継基地付近まで登ってきて引き返していったようであった。  マイクロウェーブ中継基地までの林道歩きには汗を絞らされたが、その先は一気の下りを楽しむことができた。 ============================================================================= 15-8 1月31日 嶽薬師 【日時】 2015年1月31日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り後吹雪 【山域】 朴坂山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  嶽薬師・だけやくし・391m(386.7m・四等三角点)・新潟県 【コース】 小岩内より往復 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条、小国/坂町、越後下関 【ガイド】 無し 【時間記録】 6:55 新潟=(R.7、十文字、R.113 経由)=8:10 小岩内〜8:40 発―9:40 姥杉―10:15 嶽薬師―10:32 姥杉―11:18 小岩内=(往路を戻る)=12:40 新潟  日本海の海岸平野部と荒川、女川の間に挟まれた一帯には、標高200〜400m程度の山塊が広がり、朴坂山塊と呼ばれる。嶽薬師は、荒川河畔にあり、三角形の山頂が良く目立つ山である。山頂にはお堂があり、麓の小岩内から参道が通じている。  この週末も冬型が強まって悪天候に見舞われるという。朝方の天候は曇り。風は強く、この天気もそれほど持ちそうもなかった。定番の雪山ということで、嶽薬師に出かけることにした。雪の無い季節には昨年も登っているが、雪山としては2011年2月11日以来ということになる。嶽薬師は、姥杉からの急坂が待ち構えているため、雪の条件がそれなりに整っている必要があるが、ここしばらくは新雪は積もっておらず、条件は良いはずであった。  登山口までは、櫛形山脈の麓に沿って車を走らせることになるが、雪が少ないのが目立っていた。小岩内に到着しても、路肩の雪は僅かであった。登山口の駐車場に向かう道の入り口も雪がほとんど消えており、融け残りの雪を突破した車の轍が続いていた。途中で雪が深いと困るので、入口脇の路肩に車を停めた。  スノーシューを背負って歩き出した。畑の中に続く車道の途中、吹き溜まり状の雪が残されていたものの、車が突っ切った跡が見られた。頑張れば、登山者用の駐車場まで車で入ることができる状態であった。  お堂の脇から登山道に進むが、落ち葉に覆われた道が続いていた。それでも歩くにつれて雪道に変わり、足が取られるため、スノーシューを履くことになった。スノーシューを履くと、むしろ歩くペースが掴みやすくなった。  尾根のカーブ地点にある展望地からは海岸線の平野部を望むことができたが、雪のカーテンが流れていた。その先で、登山道はトラバース道に変わる。雪が多い時は尾根通しに歩くが、今回は藪も出ているためトラバース道に進んだが、谷に滑り落ちないように足元に気を使うことになった。  油こぼしを過ぎると、ブナやナラの雑木林の中を登るようになり、台地の上に出た所で姥杉の下に出る。この先が最大の難所になる。今回は雪は締まっており、ラッセルの苦労は無かったが、急斜面で滑り落ちないように、ストックで体を支える必要があった。一気に高度を上げたが、息も上がった。  うがい池に出てひと息付いた。この先は尾根沿いの登りになるが、風も強まり吹雪が始まった。登りの途中だと先に進むのを躊躇したかもしれないが、山頂までは僅かな距離なので、頑張って歩くことにした。吹雪の中に、茶色に塗られたお堂が現れ、嶽薬師に到着した。背後のブナ林まで進んだ。ここからは高坪山方面の眺めが広がっているのだが、視界は完全に閉ざされていた。  風も冷たく、すぐに引き返すことにした。うがい清水から姥杉への急坂は、途中まで下ってところでコースを見定めて、尻滑りを行った。下るにつれて雪からみぞれに変わり、足を早めることになった。  強風が吹くようになり、バイパスでの車の運転に注意しながら家に戻った。 ============================================================================= 15-9 2月7日 榎峠、スガ峰 【日時】 2015年1月31日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り後吹雪 【山域】 飯豊連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  榎峠・えのきとうげ・180m・なし・新潟県  スガ峰・すがみね・242.8m・四等三角点・新潟県 【コース】 沼より往復 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/安角 【ガイド】 無し 【時間記録】 6:35 新潟=(R.7、十文字、R.113 経由)=8:05 沼〜8:30 発―9:30 榎峠―10:05 スガ峰〜10:25 発―10:43 榎峠―11:24 沼=(往路を戻る)=13:40 新潟  朝日連峰と飯豊連峰は、荒川によって分けられている。現在では米坂線や国道113号線が通る荒川沿いは、かつては越後と米沢を結ぶ交通の要所であったが、赤芝峡をはじめとする難所が続いて道を付けることができず、内陸部を切り開いて、村上から羽前小松の間を十三の峠で結んだという。この越後米沢十三峠街道は、出稼ぎや物資の運搬に使われていたが、現在ではその役目が終わって、忘れられた峠道になった。  十三峠は、イザベラ・バードが難儀して越え、その様子が「日本奥地紀行」に記されていることから、最近では関心が高まり、峠道の整備も行われるようになっている。  十三の峠には諸説あるようであるが、越後米沢街道・十三峠交流会によれば、諏訪峠、宇津峠、大久保峠、才ノ頭峠、桜峠、黒沢峠、貝淵峠、高鼻峠、朴ノ木峠、萱野峠、大里峠、榎峠、鷹巣峠とされている。  榎峠は、越後側からは二番目、沼と大内淵の間の峠である。スガ峰は、榎峠の南にあるピークである。国土地理院の地形図には名前が記載されていないが、関川村発行の「山岳渓流地図」にこの名前が記されている。なお、点の記には小綱木沢山とされている。  天候には恵まれた土曜日になるようであったが、翌週にキナバル山に出かけるため、軽い山で済ませることにした。越後米沢街道を使って榎峠に至り、その脇のスガ峰に登るのなら楽勝と思って出かけることにした。  榎峠には、2000年6月に登っているが、この時は大内淵側からであったので、今回は沼側から登ることにした。  国道から分かれて沼に至る道は、若ぶな山スキー場へのアプローチ道であるため良く整備されている。車道が沼川を渡った先の沼集落手前が街道の入り口になる。雪原の向こうに送電線の鉄塔が立つスガ峰を望むことができた。スガ峰からの下山は尾根沿いに下ってくることができるかと思っていたが、鉄塔付近は伐採された雪原になっており、木立の無い急斜面のために歩くのは危険そうであった。榎峠は、右寄りの二つのピークに挟まれた窪地のようであった。歩く準備をしている間にも、スキー場を目指す車が次々に通り過ぎていった。  スノーシューを履いて雪原に進むと、小綱木川に架かる橋を見つけることができた。細い橋に雪がうず高く積もっていた。川までの高さがあり、川岸がブロックで固められており、転落すると上がることが難しい状態であった。踏み外さないように注意しながら橋を渡った。後で気が付いたのだが、上流部で車道が対岸部に渡っているので、少し遠回りになるがそちらから歩き出した方が安全であった。  左岸には作業小屋が雪に埋もれており、「日本重化学小国線」と書かれた巡視路の標識がスガ峰方面を示していた。期待していた旧街道のような道型が見当たらなかったため、伐採地をひと登りして下流方面を望むと、小屋の脇から道型が続いているのが判った。  杉林の中に進むと、道型は消えてしまった。地形図の破線によれば、しばらくは下流方向にトラバース気味に進めば良いはずであったが、入り込む沢が細いものの深くて横断が難しかった。しかも土砂崩れなのか、扇状に広がる段差が現れた。稜線までさほどの高度差もないのに、沢が深く抉られているのが不思議であった。高巻きをしたり、沢に下りてまた登り返したりと、街道歩きとはまったく違ったものになってしまった。  杉林の中に入って、道型が現れると、戊辰戦争の際に榎峠で戦死した米沢藩士と新発田藩士の供養塔である「無名戦士の墓」が現れた。コースは間違っていなかったことが確かめられた。  無名戦士の墓から杉林をひと登りすると雑木林になり、そう遠くない所にピークに挟まれた窪地が見えるようになった。旧街道は九十九折状態に続いているようであったが、一面の雪原になっており、歩きやすい所を辿って峠を目指すことになった。  榎峠は左右のピークの間の切り通し状になっている。峠では、由来を示す看板が雪の上に出ていた。 「この峠道は明治18年に荒川沿いに今の国道113号線ができるまで交易や参勤交替等山形県と新潟県を結ぶ重要な道路でありました。昔は沼部落を宿駅としこの道をとおりました。沼は昔、城氏の根拠地で堀氏が金山を開発したこともあります。ここには戊辰戦争の古戦場跡があり特に戦死者を供養する無名戦士の墓も建立されています。」と書かれていた。  新潟側をのぞくと、ブナ林の中に緩やかに下っていくようであった。  スガ峰を目指すために、南側のピークに取り掛かったが、急斜面に苦労した。ひと登りすると、傾斜も緩くなって200mピークに出ることができた。このピークからは、一旦下りになったが、地図で見るよりも帰りの登り返しはきつく感じた。途中には古いテープが取り付けられており、歩くものもいるようであった。  目指すスガ峰の上に立つ鉄塔付近は急斜面の雪原になっており、直登はできないようであった。ピーク下に出ると、西に落ち込む尾根までの距離はさほどなく、木立も広がっているので登るのに問題は無さそうであった。  トラバースを交えながら登っていくと、雪原になった窪地に出て、これを辿ると山頂のいっかくに出ることができた。雪原をひと登りすると、スガ峰の山頂に到着した。脇から最高点付近をうかがうと、灌木の上に雪が乗っているようで、雪庇の踏み抜きに注意が必要なことが判った。  山頂からはわかぶな高原スキー場を一望でき、その右手の窪地が大里峠で、沼山と続く県境稜線が広がっていた。南にはえぶし差岳を望むことができたが、逆光気味なのは残念であった。眼下には沼の集落を見下ろすことができた。新潟県側では、下関の平野部と朴坂山塊を良く望むことができた。春のような陽気に包まれて大休止にした。  下りは、来た道を戻ることにした。沢の横断などで登り下りして、思っていたよりもきつい山行になってしまった。  今回の歩きでは、旧街道の様子は全く判らなかったので、雪の無い季節に改めて歩いてみることにしよう。 ============================================================================= 15-10 2月12日〜17日 キナバル山 【日時】 2015年2月12日(水)〜17日(火) 日帰り 【メンバー】 西遊旅行社ツアー 8名 【天候】 13日:晴 14日:晴 15日:曇り 16日:晴 【山域】 マレーシア・ボルネオ島 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  キナバル山・ローズピーク・4095m・なし・マレーシア 【コース】 登り:Timpohon Gateより 下り:マシラウルート 【ガイド】 地球の歩き方「マレーシア・ブルネイ」(地球の歩き方社) 【時間記録】 前日 2月11日(水) アパホテル(京成成田駅前)泊 第一日目 2月12日(木)  成田発 10:30(MH-89)クアラルンプール着 17:05  クアラルンプール発 19:00(MH-2606)コタキナバル着 21:35  (コタキナバル ベストウェスタンダヤホテル泊) 第二日目 2月13日(金)  6:30 コタキナバル=8:00 ナバル村〜8:10 発=8:35 公園本部〜9:45 発=9:55 Timpohon Gate―14:30 マシラウルート分岐―16:15 ラバン・ラタ・レストハウス  (レマイン小屋泊) 第三日目 2月14日(土)  2:45 ラバン・ラタ・レストハウス―4:45 サヤッ・サヤッ小屋―7:10 キナバル山ローズピーク―8:42 サヤッ・サヤッ小屋―10:15 ラバン・ラタ・レストハウス  (レマイン小屋) 第四日目 2月15日(日)  6:10 ラバン・ラタ・レストハウス―7:50 マシラウルート分岐―10:20 West Masilau River―12:55 マシラウ・ネイチャー・リゾート  (マシウラ・ネイチャー・リゾート泊) 第五日目 2月16日(月)  マシラウ・ネイチャー・リゾート=ナバル村=コタキナバル  コタキナバル発 18:55(MH-2631)クアラルンプール着 21:30  クアラルンプール発 23:35(MH-88) 第六日目 2月17日(火)  成田着 7:15  キナバル山は、マレーシア・ボルネオ島北部にあるマレーシア最高峰である。4095mの高峰であるが、登山道や宿泊施設が整っているため、4000m峰登頂の目的で日本人にも人気の高い山になっている。  海外の山となると一度きりのチャンスになるので、悪天候の危険性はなんとしても避けたい。登りたいと思っていたキナバル山のベストシーズンを調べていくと、2月〜5月までは雨が少なく比較的天候が安定する時期だという。12月の初めにウィーンのクリスマスマーケットの見学に出かけているので、2月なら出かけるのに都合が良い。キナバル山は、個人では山小屋の予約が面倒なので、ツアー会社を利用することにした。  一般的には、標高3300mにある山小屋で1泊し、未明に歩き出して登頂し、その後一気に登山口に下山するのだが、下山は標高差もあって足に負担がかかりそうである。マシラウ・ルートと呼ばれる距離が少し長くなるコースを利用すると、登山は三日がかりになるが、悪天候の場合を考えると、登頂のチャンスは二回になる。これまで利用している西遊旅行社で、「ゆったりキナバル山登頂とマシラウルート」と題する6日間のツアーが組まれており、日程も良かったので、11月に予約を行った。このツアーは、2名から催されることになっている。申し込んだ時は開催間近ということで、1名の申込み者があったようで、私の申し込みで開催決定になったよおうである。  高所登山ということで、健康アンケートと登山経験の提出が求められた。これまでの経験は、日本百名山終了でも書いておけば良いが、この一年間に登った山ということで、少々困った。会津百名山終了の藪山笠倉山、残雪期の大戸沢岳といっても、その難しさを判ってもらえるのだろうか。最近は、マイナーな山、あるいはコースばかり登っている。  海外登山ということで、幾つかの登山道具も新調することになった。現在使っている軽登山靴は、靴底もすり減ってきているので、11月に新しく買った。ただ、冬の訪れも早かったため、山に雪が積もってしまい、新しい登山靴を泥だらけにするのもいやなため使えず、慣らし履きをしないままキナバル山に持っていくことになった。またストックも、現在の物は曲がって短くならないので、新品購入。ザックカバーも穴が開いているため、これも購入。登山ツアーとなると、人目も気にする必要がある。  もう一つの問題は、服装であった。様々な気象条件に対応する必要がある。 1 新潟から東京、コタキナバルへ  雪の降る新潟から熱帯のコタキナバルまでの服装をコンパクトにまとめる必要があった。結局、半袖シャツ、山シャツ薄手、フリース、マイクロダウン、ゴア雨具の上着を重ね着し、適宜脱いでいくことになった。 2 キナバル山下部(登山口からラバン・ラタ・レストハウスまでと、ラバン・ラタ・レストハウスからマシラウ・ネイチャー・リゾートへの下山)  半袖Tシャツ、山シャツ薄手、ゴア雨具の上着 3 キナバル山山頂アタック  冬用長袖Tシャツ、冬用山シャツ、フリース、ゴア雨具の上着、毛糸帽子、フリース手袋、予備にマイクロダウン  5kgまでの荷物は運んでくれるので、これには、歩き初めに必要でない冬用装備に下着の替え、寝袋(夏用のコンパクトの物を持っていったが、山小屋には薄手の掛け布団が備えられていたので使わなかった。)、洗面道具、カメラのバッテリー予備などを入れた。  カメラも軽いEOS Kissにしようか迷ったが、少しでも良い写真を撮りたく、結局70Dを持っていくくことにした。  事前に送られてきた最終日程表を見ると、東京から4名、大阪から4名、計8名の参加者となり、日本からの添乗員はつかないことになった。クアラルンプールでの乗り換えが少々面倒なようなので、予習を行った。  成田空港の集合が早いため、いつものように前泊することになった。最初に東横INN成田空港の予約状況をみると、まだ先なのに予約が埋まっていた。どうやら、2月19日の春節に合わせて、中国人観光客が大挙して訪れているようであった。いつものように、京成成田駅前のアパ・ホテルに部屋を予約した。  出発前日は、建国記念の祝日であった。せっかくの祝日を移動日に使うのももったいないが、ツアーの日程も、航空券を取りやすいように、祝日を外して決めてあるのであろう。  成田への移動のためには、家は昼頃に出ればよかった。昼近くになると激しく雪が降りだし、止みそうにもないで諦めて家を出た。駅まで歩くうちにスーツケースにも雪が積もって、駅に到着したところでタオルで拭くことになった。熱帯のマレーシアへは、雪の中の出発になった。  第一日目。  京成成田からホテルの連絡バスを利用して成田空港に移動した。集合時間まで早かったので、空港のコンビニで、朝食とコタキナバルに到着後の夜食のおにぎり、キナバル山山頂アタック時の深夜食のためのパンを買った。さらに、マレーシア通貨のリンギットを空港の銀行で交換した。マレーシア到着後に交換した方がレートが良いはずだが、時間が無い場合もあるので仕方がない。成田でのレートは、1リギット=36.88円であった。  結局、土産物以外に最低限必要なお金は、トイレ料金(ナバル村:30セン、コタキナバル市内:20セン)、ミネラルウォーター(ラバン・ラタ・レストハウス:水500ml 8リギット)であった。ミネラルウォーターも、コタキナバルとマシウラ・ネイチャー・リゾートの部屋についているので、少し補給すれば良かった。コタキナバルのホテルの脇にセブン・イレブンがあり、ここで購入することができた。登山中に必要な水の量は、1Lほどで充分であった。  ただ、呑み助には、ビール代が結構高いものについた。  コタキナバルのコンビニ:8〜9リギット  ラバン・ラタ・レストハウス:25.8リギット  マシラウ・ネイチャー・リゾート:23.2リギット  コタキナバルのレストラン:17リギット(大瓶)  イスラムを国教としているマレーシアでビールを飲もうとするならば、日本と同じ料金になるのは仕方がない。ただ、山の上のビールが高いのには納得するが、車道が通じているマシラウ・ネイチャー・リゾートのビール代が高く、さらにメニューに20と表示してあるのに、サービス料かなにかを付けてきたのには納得がいかなかった。  集合時間の少し前に、集合場所に行って切符や書類一式を受け取った。参加メンバーの名前の一覧表を見ると、成田組は男1、女3、関西組は男2、女性2になっていた。女性が多いことと、夫婦参加がいなかったことは驚きであった。  マレーシア航空のカウンターは、長い列ができていた。ホテルの専門学校の学生の団体が加わっているのも混雑の原因になっているようであった。海外研修旅行ということのようだが、ただ遊びに行くという雰囲気であった。  飛行機に乗り込むと、2+4+2の座席配列であった。座席を通路側にしてもらったが、窓側が空いていたため、二席を占有でき、眺めを楽しみながらのフライトになった。機内サービスの映画も日本語版は無かったようだが、体を休めるためにiPODの音楽を聴きながらうつらうつらするのが恒例になっている。成田空港から飛び立つと海上に出てしまい、しかも厚い雲が広がってしまった。それでもマニラを過ぎると、眼下に島を見下ろすことができるようになった。  出発して1時間程で、昼食が出てきた。座席が最後尾に近いため、順番がなかなか回ってこなかった。ビーフか魚ということで、ビーフを選択。マレーシア風というものでなく、牛肉と野菜の煮込みをごはんに添えた和食風であった。付け合せのソバやサラダの方が美味しかった。ビールを頼むとカールスバーグが出てきた。二回目の到着前の食事は、サラダを挟んだロールパンにSNICKERSのチョコレートであった。この時のビールは、タイーガービールであった。  眼下を通り過ぎる島を眺めながら時間を過ごしていると、ボルネオ島が近づいてきた。目的地のコタキナバルはボルネオ島の北部にあり、成田からの直行便も出ている。コタキナバルからクアラルンプールまでは、同じ国内といっても2時間半もかかるので、乗り換え時間をのぞいても5時間以上を無駄にすることになる。コタキナバルへの直行便を使わない理由は、関西空港からの参加者を募集できないためであろうが、少々残念である。  フライトマップにおいてコタ・キナバルが最接近した所で、雲の上に頭を出した山を確認することができた。台形で、頂上部に小さな峰を連ねているようであった。雲の高さもかなりあることから、キナバル山であるようであった。登山の期待が高まった。ただ、機内でキナバル山が見えると騒いでいるものは他にいなかった。  クアラルンプールには、定刻に到着。乗り換えが少々面倒なので、成田からの参加者4名で一緒に移動することにした。まずは、連絡トレインに乗ってメインターミナルに移動。入国の一同と分かれて、トレイン後方の階段を下りると薄暗いフロアーに出て、入国検査所に出た。ここで、関西組の4名と出会うことができた。通関を終えると、国内線のフロアーに出ることができた。  再び飛行機に乗って、来た航路を戻ってコタ・キナバルへと向かった。ここでも機内食が出たが、量は少ないものの、カレーとインゲン、ライスで、成田便よりも美味しかった。ただ、飲み物がソフトドリンクだけだったのは残念であった。  コタ・キナバルに到着すると、ボルネオ島のサバ州に入るための入境検査が再度あった。このような国内での入境検査があるのは、かつてマレーシアが連合国であり、強い自治権が残されていることによるらしい。  空港出口で現地添乗員と合流。人用と荷物用の二台のマイクロバスで市内に向かった。小さなマイクロバスを使っているのは、公園内に乗り入れるためであることが後で判った。  この日の宿のベストウェスタンダヤホテルは、コタ・キナバルの中心部にあり、少々古びたビジネスホテル・レベルのものであった。部屋に入ったのは10時半近くになっており、翌日の出発は6時半と早く、しかも登山荷物を自分持ちとあずけ用に分ける必要があった。  部屋に入って見渡すと、メッカの方向を示すキブラシールが天井と壁の境に取り付けられていた。マレーシア航空のフライトマップでも、メッカの方角を示す画面が途中で現れて驚かされた。マレーシアがイスラム教の国であること改めて知らされることになった。  とりあえず、ホテル周辺だけを見ることにした。ホテルの周囲の食堂はまだ営業中で、路上にまで椅子を並べて賑わっていた。日中は暑すぎるため、気温の下がる夜中に外出する者が多いのかもしれない。セブンイレブンがあったので、ビールを調達することにした。カールスバーグやツボルグ、ギネスといったヨーロッパ系のビールが並んでいたが、やはり東南アジア系のものをということで、タイガーとアンコールビールを買った。イスラム教国ということで、ビールの値段は日本並みということが判った。レジのニイチャンとどっから来たのかなどと話をしたので、使えるかとセブンイレブンのナナコカードを出してからかってみれば良かった。 第二日目  6時半出発。気になる天気は、快晴。朝食ボックスを受け取って車に乗り込んだ。車の中で開けてみると、中身はチーズサンドイッチとゆで卵、ミニバナナであった。ばさついたパンを水で流し込んだ。この朝食の飲み物用に、前夜のコンビニでジュースでも買い込んでおくべきであった。  市内を出ようとすると海辺に出て、カメラを構えることになった。湾の向こうにキナバル山の山頂が、歓迎するかのように姿を現していた。この登頂日和が明日まで続くことを祈った。  車窓からは、大きなモスクの他に、仏教寺院、天主教会と漢字で書かれたキリスト教会を眺めることができ、イスラム教徒ばかりではないことが判った。  市街地を出ると、高度を上げていく山岳道路に変わった。雲海の広がる山地を見下ろすようになると、キナバル山が大きな姿で迫ってきた。1時間半ほど走ると、土産物屋が並ぶナバル村に到着し、ここで展望のためのひと休憩になった。  展望台に出ると、台形の山頂を持つキナバル山を大きく眺めることができた。案内板の説明によれば、中央の一番高く見えるピークがセントジョーンズピークで、最高点のローズ・ピークは、その左奥に僅かに見えるということであった。撮影した写真を後で確認すると、確かにローズ・ピークが見えていた。台地の右端にある高まりが写真でお馴染みのサウス・ピークで、そこから下がっていく尾根に登山道が通じているようであった。尾根の途中にも電波塔を見分けることができた。山頂台地から少し下がった小ピーク付近に山小屋があるようであった。ここからの展望で、登山道の概要を掴むことができた。  キナバル山への道のりは、頑張る必要はあるものの、死に物狂いというほどでないことが判って、気合を入れ直すことができた。  ナバル村からはひと走りで公園事務所に到着した。昼食の弁当を受け取り、現地添乗員が受付を行った。受付は、8名の少人数グループであったにもかかわらず時間がかかり、他の登山者が乗合いバスで出発しいくのを見送ることになった。現地添乗員が戻ってきて、IDパスを受け取った。名前が打ちこまれているので、それにも時間がかかったようである。キナバル山では、このIDパスを首から下げておく必要がある。  手続きは終わったのだが、荷物車が遅れてなかなか到着しなかった。トレイルの案内図やキナバル山を眺めて待つ内に、公園事務書付近の登山者は他にいなくなっていた。この日の最後に出発する登山者になったようであった。  ようやく車が到着して、ポーターへのあずけ荷物を受け取った。スーツケースは、下山口のマシラウ・ネイチャー・リゾートで受け取ることになる。まず、あずけ荷物の軽量。5kgまでは、今回のツアー料金に含まれていた。ちなみに超過料金を聞くと、1kgあたり15リギットということであった。後で計算してみると、ビールをコタキナバルで買って、三本ほど手荷物で運んでもらうと、山小屋で買うよりも安いことになるが、これはやはり邪道であろうか。もっとも、日本から持ってきたウィスキー少々は、手荷物で運んでもらった。  再び車に乗って、Timpohon Gateに移動。このゲートは標高1866mにあるので、これから標高差1500mを登らなければならない。時間が10時になってしまっているのは不安材料であった。ここからはガイドとポーター二人が一緒に歩くことになった。  ゲートからは一旦下りになった。歩き出すと、予習で知っていたキナバル・ブロッサムのオレンジの花が現れて、写真撮影のために足が止まった。歩くスピードが非常に遅いため、写真を撮りながら最後尾でついていくことにした。ひと下りすると、小さなカールソン滝が現れ、ここから登りが続くようになった。  登山道は直登の連続で、急な所には木の階段が設けてあった。段差が大きく、足の短さをうらむことになった。登り初めにもかかわらず、ちいさいながらウツボカズラも現れてうれしくなった。  45分ほど歩くと東屋風のPONDOKU KANDISに到着した。キナバル山では、登山道沿いの1kmおき、急な所では0.5kmおきに休憩所が設けられている。ガイドブックなどの資料には、Shelterと書かれているが、軒下に取り付けられた標識には、PONDOK何々と書かれている。Shelterというものの、スコールの時の雨避けの東屋である。水洗トイレも整備されており、登山道の整備は、日本よりも行き届いている。  初日の行程は、3300m付近の山小屋まで6kmで、Timpohon Gateからは、PONDOKU KANDIS、PONDOKU UBAH、PONDOKU LOWII、PONDOKU MEMPENING、LAYANG LAYANG、(マシウラルート分岐)、PONDOKU VILLOSA、PONDOKU PAKAを通過していくことになる。  いつの間にか雲が広がって展望は閉ざされ、登山道脇の花を見ながらの歩きになった。日本の夏山で見られるように、朝方は快晴でも昼にかけて雲が広がり、夕方に再び雲が消えるというパターンのようであった。展望が閉ざされたのは残念であったが、暑さはさほど厳しくはなく、長袖の山シャツを着続けることができた。出発が遅れていたので、PONDOKU LOWIIで昼食になった。ランチボックスを開けると、山盛りのチャーハンにゆで卵、青リンゴであった。チャーハンの味は悪くはなかったが、量が多すぎた。各休憩所には、トイレの他にゴミ箱も置かれており、登山中のごみを捨てることができた。ガイドが下山する際にゴミを回収していくとのことであった。  休憩所にはリスが現れて、食べ物をねだっていた。餌を投げると、拾っては巣穴へ持ち帰っていった。リスと同じ大きさのネズミもおり、区別は、尻尾に毛が生えているかの違いであった。リスとネズミとでは、名前からの印象が違うが、同じような顔をしている。 次第に疲れもたまってきたが、登るにつれ、オレンジのシャクナゲやベゴニア、ランの花も現れるようになった。LAYANG LAYANGを過ぎるとマシウラルート分岐となり、大きなウツボカズラを見ることもできた。この先は次第に傾斜も増して、灌木が目立つようになった。現地でサヤッ・サヤッと呼ばれるレプトスパーマムが白い花を付けて枝を広げていた。  5.5km地点を過ぎて残り0.5kmとなったが、この最後の登りはきついものになった。標高は3000mを越しており、空気が薄くなっているためかもしれない。登山道脇にも休むというか、ばてて座り込んだ登山者を見かけることになった。かなり遅れて出発し、歩く速度も遅かったので、他の登山者に追いつくとは思っていなかった。ゆっくりでもペースを守って歩いていれば、着実に到着するということか。  WARASU HUTという山小屋が現れて気が抜けるが、目的地まではもうひと頑張りする必要があった。LABAN RATA RESTHOUSEに到着して、この日のゴールになった。LABAN RATA RESTHOUSEに食堂があり、ここで食事をとることになる。幸い、少し遅れた者はいたが、全員が登ってくることができた。小屋の前の広場では、スタッフがバレボールを行っていた。標高にも関わらず、元気なものである。  ひと休みの後に、ベッドが割り当てられたLAMAING HOSTELに移動した。幸い、LABAN RATA RESTHOUSEからそう遠くない距離にあった。部屋には、2+2の二段ベッドが三つ並んでいた。空いた所に自由にということで、奥の下段に陣取った。このベッドの問題点は、パイプが細く、ベッドの中央部が沈み込んで寝返りもままならぬことであった。上段を見ると、体重を支えきれずにパイプが下に曲がって、亀裂も生じていた。体重のある者が寝ると、落ち込む惨事がそのうちに起きそうである。小屋には、シャワーとトイレが各二つずつ設けられていた。ただ、水のシャワーでは浴びる気にはなれない。また湯を沸かすためのポットも設けられていた。  気温も下がっているので、夜間や翌日の登山に備えて、下着や山シャツを厚いものに変えた。ひと休みしてから、夕食のためにLABAN RATA RESTHOUSEに移動した。食堂は登山者で満員になっていた。食堂はビュッフェスタイルで、ライス、ヤキソバ、ビーフシチュー、カレー、温野菜などが並んでいた。プディングや果物のデザートもあったのだが、この時は、出遅れて無くなっていた。飲み物としては、サバテイー、コーヒー、湯が用意されていた。特にサバティーは、日本のほうじ茶と似た味で、喉の渇きをいやすのに良かった。空いたペットボトルにサバティーを入れて、ミネラルウォーターの購入を控えることもできた。食事の時間外でも、湯だけは準備してあるようなので、サーモスの魔法瓶を持ってくるべきであった。湯の温度が高いため、ペットボトルでは、変形する危険性があった。  食事は、美味しく頂くことができた。3300mの標高での高山病が心配であったが、頭痛や食欲不振は出ていなかった。一日の終わりのビールを飲みたかったが、夜中の2時からの登山が控えているため、自重することにした。  夕食を終えて外に出ると、雲も消えて、山頂部の岩山が姿を現していた。そう遠くはない距離のようであったが、岩場を抜けていく道は険しそうであった。  LABAN RATA RESTHOUSEからは、周辺の小屋へ幾つもの道が分かれており、ねぐらのLAMAING HOSTELに戻る道が判らなくなって、少し彷徨うことになった。話を聞くと、他のメンバーも迷ったとのことであった。  暗くなるなり、深夜発のために早めに寝ることにした。夜中にトイレに起きて、外に出ると、満天の星空が広がっていた。星が多すぎて、星座が判らないほどであった。キナバル山登頂も約束されたように思えた。 第三日目  一同、1時に起きだし、登山の準備を始めた。2時に食堂に移動して、深夜の朝食。ビュッフェスタイルで料理が並んでいたが、予想していたとおりに食欲は無く、持参してきた蒸しパンとコーヒーで朝食とした。ここの山小屋は、2時の出発時と、7時過ぎの山頂から戻った時の二回朝食をとることができる。サービス満点とはいえる。  2時半に小屋を出発。ヘッドランプの灯りを頼りに、登山者が続々と出発していった。歩き始めると、すぐに階段の連続になった。寝ている間はそれほど冷え込んでいるとは思っていなかったのだが、階段のステップに薄氷が張っており、足元に注意が必要な個所もあった。ゆっくりペースで歩き始めたため、時折り立ち止まって、後続の登山者に先を譲ることになった。急な階段登りが連続する所では渋滞も生じていた。暗闇の中の歩きで、記憶に残っているのは、ひたすら続く階段登りであった。ひと汗かいたところで、左上方に光が集まっているのが見えるようになったが、これはロープの張られた岩場での渋滞のようであった。  岩場の下に出ると、風当たりが強くなって、雨具の上着に、毛の帽子、フリース手袋を身に着けることになった。岩場には、太いロープが張られていた。これを頼りに一枚岩を直登すると、細い岩棚を斜上するように登山コースが続いていた。途中で、岩場で固まって動けなくなっている女性もおり、迂回して登ることになった。以前、日本人登山者がここで落ちたという話を聞いたが、日本の山の岩場と比べてそう難しいものではない。ネット上の記録を読むと、この岩場にすごい恐怖と覚えたり、ここで引き返した者もいたようである。暗い中で周囲の様子が判らないのが恐怖感を増すといえるが、これくらいの岩場を問題なく越えることができない者が4000m峰を目指す方が驚きである。  岩場での登りは、ロープを握るため余計に体力を使い、ひと登りして灌木帯に出たところでひと休みになった。左に方向を変えると岩場は終わり、その先でサヤッ・サヤッ小屋に出た。ここのトイレが山頂までの最終のものであるので、休みがてら用を済ませた。ここにはゲートがあり、IDパスのチェックが行われている。団体のためか、名簿のチェックだけで、個人のIDパスのチェックは行われずに通過した。  ゲートを過ぎると、一枚岩の登りになった。傾斜はあるが、フリクションも利いて、登るのに問題は無かった。空も白み始め、周囲も見えるようになってきた。空との境に岩峰が連なるのが見えて、山頂も近づいてきていることを知った。標高が上がって空気も薄いのか息が切れたが、左手に持ちあがったピークが台地の縁にあるサウスピークであることが判り、もうひと頑張りと元気が湧いてきた。  最初の目標の富士山の標高3776mはすでに越しており、次は4000mが新たな目標になった。これまでの高所体験としては、パキスタンから中国に抜ける際のクンジュラブ峠の4733mである。この時は標高2600mからバスで一気に上がったためか、少し歩くのにも息切れをして、高山病の症状が進まないか冷や汗ものになった。今回は、歩いて標高をかせいでいて高度順化ができているのか、登山による息切れの範囲で収まっていた。  一枚岩の斜面を登り続けると、左手のサウスピークが鋭く天を突く姿を見せるようになってきた。写真でお馴染みの風景の中の歩きになった。背後を振り返ると、空が赤みを増して、日の出も近いようであった。山頂での日の出見物は無理であることは判ったが、東には、二つの岩峰が並び立つドンキー・イヤーズ・ピークがあり、日の出はその陰になりそうであった。前方にローズ・ピークの山頂も見え始め、記念写真のストロボが連続的に光るのも見えてきた。  遅れだした者もあるため、写真を撮りながら先に進ませてもうらうことにした。明るくなるにつれ、ローズ・ピークやセント・ジョーンズ・ピーク、ローズ・ピークの東面が赤く染まるようになった。南の空もバラ色に変わり、雲海の上に山が頭を出していた。これらの山も3000m峰であるとのことであった。素晴らしい夜明けの風景であった。渋滞状態のローズ・ピークよりは、広大な岩畳の上で夜明けの風景を眺める方が好みであった。  ローズ・ピークへの登りにかかる鞍部で、4000mをようやく越した。後は、標高差にして100mを切っている。ローズ・ピークへの最後の登りは、積み重なった岩を乗り越していくものになった。足場を確保して手も使う登りであった。下山してくる登山者とすれ違うために、しばしば足が止まった。  ようやく4095mのローズ・ピークに到着したが、最高点部は記念写真の順番待ちになっていた。山頂にはサバ州立公園や世界遺産であることを記した看板も置かれて良い記念写真スポットになっている。ただ、看板脇には座り込んで写真撮影の邪魔になっている者もいた。山頂の反対側は絶壁になっており、転落防止のワーヤーが張られていた。登ってきた方向からは見えなかったセントアンドリュース・ピークを眺めてから下山に移った。  キナバル山の山頂部には幾つもの岩峰が並んでいる。キナバル山の名前は、アキ・ナバル(祖先の霊る山)が由来のようである。この聖なる山の初登頂の歴史は少々複雑である。1951年、蘭のプラントハンターのヒュー・ロー卿( Sir Hugh Low )は初めてキナバル山の山頂に到達したが、最高点を誤って、セント・ジョーンズ・ピークに登ったという。1888年、ジョン・ホワイトヘッド調査隊が、最高点のローズ・ピークに登り、キナバル登山の先駆者であったヒュー・ロウの業績を記念して、このピークにLow's Peakの名前を与えたという。カタカナでローズピーク書かれているので、このいきさつを知るまでは、薔薇の峰と誤解していた。バラ色に染まった夜明けの風景を眺めると、薔薇の峰であっても良いような気もした。  ローズ・ピークからは、セント・ジョーンズピークを正面に眺めながらの下山になった。この峰を横から見ると、ゴリラの顔に見えることからゴリラ岩とも呼ばれている。セント・ジョーンズピークは周囲が切り立っており、登るには登攀レベルになって大変そうである。標高差は5mでしかないが、ローズピークが最高峰であって助かっている。  一枚岩には、コースを示すロープが張られており、これに沿って歩くことになる。ガスでもかかれば、このロープが無ければコースが判らなくなるであろう。岩場の下りは、登りの時の印象よりも距離があった。岩の隙間には草が生えて、日本の岩稜地帯で見られるイワウメのような花も咲いていた。  サウスピークよりも下に下ってくると、眼下にサヤッ・サヤッ小屋を見下ろすことができた。少し急な斜面を下っていくとサヤッ・サヤッ小屋に到着して、再びトイレタイム。この先はロープの掛る岩場が現れるが、そう苦労もなしに通過することができた。気温も上がって、薄着になる必要があった。  ここからは、階段の下りが続くようになった。右手の岩場には、「ヴィアフェラータ」と呼ばれる岩壁歩きのグループが下っているのが見えた。ヴィアフェラータは、岩場に設けられた歩道を、ハーネスやカラビナなどの確保装備を併用して歩くものである。見ていると、歩いて下るのに結構苦労しているようであった。傾斜もさほどない岩場なので、ロープを使って懸垂下降する方が楽しそうであった。  山小屋まであと僅かというところでアクシデントが発生した。女性メンバーが、階段のステップの間に足を突っ込んで転倒してしまった。階段脇に倒れこんでしまい、痛みのためか、声をかけても返事ができないという状態になってしまった。少し休ませると、会話もできるようになった。幸いなことに、骨折はしていないようであった。ひとまず様子見をしていると、ヴィアフェラータの参加メンバーなのか、通りかかった登山者が、テーピングの応急処置を施してくれた。結局、ガイドがおぶって下山することになった。現地添乗員は、ローズ・ピーク登頂を諦めて先に下山した男性一人に付き添って先に下山していた。幸い、二回程の休みで山小屋に到着した。ベッドに寝かせて、痛み止めを飲んでもらった。残念ながら、キナバル山は、山小屋やガイドの整備が行われており登山者も多いが、医務室のようなものはないようであった。  ラバン・ラタ・レストハウスの食堂に移動して、二度目の朝食になった。10時頃までということになっているようだが、まだ料理は並んでいた。ここの山小屋では、山頂アタックの前の2時と、下山してきた後の7時半からの二回朝食をとれるようになっている。激しい運動後ということで食欲は無く、昼食も近いため、お茶を飲むだけで休んだ。  一般には、二回目の朝食をとった後にひと休みして、Timpohon Gateまで一気に下ることになる。マシウラルートを歩くのには、今日中の下山は無理のため、もう一泊となる。午後は完全な休養になるので、マシウラルートの方が、日程的には余裕がある。  ここで現地添乗員との今後の対応策の相談になった。タンカで運び下ろすと、交代人数も多くなって、30万円ほどになるという。どうしましょうかというが、これは本人が判断するしかない。また、場合によっては、マシラウルートは諦めて、全員Timpohon Gateに下るかもしれないというので、これには反対させてもらった。それなら、一人でかまわないので、マシラウルートを下らせてもらうと言うと、ガイドがついていないとだめという。それならば、もう一人ガイドを付けることにして、それによって発生する余計な料金については現地と日本の旅行会社に相談してくれといった。これが山岳会の登山パーティーと考えると、別々の行動はいかがなものかという疑問も湧いてくるのだが、今回は募集登山である。マシラウルートを歩かせてもらわないというのは、旅行業約款における契約変更に該当し弁済の対象になるとも考えられるので、とりあえず強く主張してみた。バス旅行のツアーで、下車観光を一ヶ所抜いても訴訟に発展することもあると聞いている。会社に連絡したのかどうかは判らないが、後の昼食の際の話では、負傷者はガイドがサポートして距離の短いTimpohon Gateに下山し、後のメンバーは現地添乗員が付いてマシウラルートを歩くことになった。マシラウルートのサポート体制が薄くなるのだが、歩けるのならいいやということになった。幸い足の怪我も、夕食時には食堂まで歩けるまでには回復していた。  ベッドに戻ってひと休みした後、食堂に移動して昼食。注文できる料理は、チャーハン、焼きそば、汁ソバのみという。チャーハンと焼きそばはビュッフェで食べているので、必然的に汁ソバということになった。太麺と細麺があるというので太麺を頼んだ。鶏肉ののったソバは美味しく感じた。それに加えて、お待ちかねのビール。値段は高いが、登頂後のビールは最高の味であった。  午後は、iPODで音楽を聴きながらの昼寝を行い、再び夕食をとった。暗くなった頃、登山者が到着し始めた。我々よりも遅い到着時間であった。  夕刻に脈泊を図ると、通常は62付近であるのに、小屋では78に上がっていた。高所の影響が出ているようであった。不思議なことに、帰国直後には52という低い値になっていた。 第四日目  山頂アタック組が1時頃から準備を始めて、起こされてしまった。出発後、静かになった所で、もうひと寝入りした。この日は6時発で、レストランが閉まっている時間のため、朝食は弁当になった。2時に食堂に行けば朝食を食べることができるが、これに関しては、寝ていた方が良い。空の具合をうかがうと、厚い雲が広がっており、遠くで稲光も見えていた。山頂の稜線部も雲で隠されていた。この日のキナバル山アタックは、ガスの中での登頂になったようである。  Timpohon Gateに下る二人と分かれて、下山を開始した。しばらくは、足元に注意の急坂が続いた。登ってきた際に、この付近でバテ気味になったことに納得がいった。  PONDOK VILLOSAまで下ったところで、朝食にした。中身は、チーズ・サンドイッチにゆで卵であった。チーズは、ハムやサラダと違って、腐りにくく安全なためであろうか。眼下の展望が開けて、登山口を見下ろすことができた。頭上には青空が広がっていたが、山頂には雲がかかっていた。昨日の快晴に改めて感謝した。ここからはひと下りで、マシウラルートとの分岐になった。  マシラウルートは、もともとは科学者や研究者が利用していた山道であったが、1998年10月に正式に開通した。一般的なTimpohon Gateからのルートに比べて距離が長く、起伏も激しいために上級者ルートとされ、利用する登山客は多くはないという。この日もマシウラルートを下りに使った登山者は我々だけのようであった。  マシラウルートは、分岐から登山口までは6km。途中に六つの休憩所と距離の道標が整備されている。  マシラウルート上の休憩所は、PONDOK MAGNOLIA、PONDOK LOMPOYOU、PONDOK TIKALOD、PONDOK NEPENTHES、PONDOK BAMBU、PONDOK SCHIMAの六つである。地球の歩き方のマシウラルートの地図はでたらめであるので注意が必要である。  最初は、トラバース気味の登山道が続いたが、尾根の張り出し部の通過なのか、階段状の小さな乗り越しが続いて現れた。登山道沿いには、大きなウツボカズラが現れて、写真撮影のためにしばしば足が止まった。頭上の木からウツボカズラがぶる下がっているのにも出会った。ベゴニアなどの花も多く見られた。  PONDOK MAGNOLIAに到着すると、西の尾根にTimpohon Gateからの一般登山道沿いにある電波塔を望むことができた。この先は、急な下りが続くようになった。階段も多く、登りには使いたくないルートであった。尾根の張り出し部の裸地の高まりに出ると、ゴールのマシラウリゾートの建物を見下ろすことができた。ただ、そこに至るまでには、谷に一旦下って尾根上に登り返し、その奥に下る必要があるようであった。  その先のPONDOK LOMPOYOUからは、谷に向かっての急降下になった。周囲の木立もジャングルといった感じになってきた。PONDOK TIKALODで一息入れ、下りをもうひと頑張りすると、West Masilau Riverに下り立つことができた。流れは二本あり、共に橋で渡ることができた。  この付近で、登ってくる集団とすれ違うようになった。軽装で、10時半近くという時間を考えると、キナバル山山頂を目指しているのか、疑問が湧いてきた。  川からひと登りで、PONDOK NEPENTHESに到着。この先がマシラウルート最大の難所である登りになる。幸い、初めはトラバース的な登りでゆっくりと高度を上げていった。急斜面が始まったところで、現地添乗員が先に行ってくれというので、自由に歩かせてもらうことになった。急坂の途中に2.5km標識が置かれており、地図を見ると、2.0km地点で尾根上のPONDOK BAMBUに出るようであった。きつい登りで、休むと足が止まりかねないので、一気に登ってしまうことにした。傾斜が緩むと、PONDOK BAMBUに到着したので、ここで皆を待つことにした。  20分近く待って7名の参加者はそろったが、肝心の現地添乗員が登ってこなかった。登山道の下に向かってオーイと声を掛けたが、返事も返ってこない。どうも体調が悪いようで、二日目の登りでも途中で姿を消していた。仕方がないので、先行しているポーターと合流するため、下りを続けることにした。PONDOK BAMBUから少し登った後に下りに転じた。足早に下っていくと、PONDOK SCHIMAに到着し、休んでいたポーターに出会うことができた。英語は通じないようだが、現地ガイドの名前を叫んで地図を指さしていると、電話を出しながら道を戻っていった。これで何とかなるだろうと思って待っていると、それほどの時間はかからずに一緒に下ってきた。一人で歩いた方が楽だと思っても、仕方のないことである。  全員が集まったので、この後はまとまって歩くことになった。PONDOK SCHIMAからは、一気の下りになった。谷に下りてきたなと思うと、食べ物の臭いがしてきて、マシラウルートのゲートに出た。三日に及ぶ登山で日程的に楽であったため、体力の消耗もさほどではなかったが、シャワーを浴びたい気分であった。  登山口一帯は、マシラウ・ネイチャー・リゾートのコテージが並んでおり、高低差もあるため、マイクロバスで食堂に移動した。少し遅れたが、昼食にありつくことができた。マトン、ナス、イカ、白菜の煮込み料理であった。下山後のお楽しみとビールを飲んだが、値段が高いのには驚いた。といって、飲まないことはないが。  食事を終えて外に出ると、Timpohon Gateに下山した負傷者も、車で送られて到着した。急な所はおぶってもらったが、後は自力で歩いたとのことであった。思ったよりも早い下山であった。  マイクロバスで宿泊棟へ移動。部屋までの坂をスーツケースを押して上がるのが辛かった。部屋は、ドアを開けると、奥に三つの部屋があるという変わった造りになっていた。湯はスイッチをいれてから30分ほど待つ必要があるといわれていたが、待ちきれずに浴びると、ぬるま湯であった。それでも久しぶりのシャワーに元気を取り戻した。スーツケースに二本のビールを忍ばせておいたため、風呂上がりのビールも楽しむことができた。  酔いも回ってベッドで横になってうつらうつらしていると、雨音が聞こえてきた。今回の登山中に雨には合わず、山頂アタック時にも快晴に恵まれるとは、まさに幸運であった。  7時の夕食時には雨は止んでいた。再びマイクロバスで食堂に移動し、ビュッフェスタイルの夕食。日本人を含む団体で賑わっていた。ここに泊まってもマシラウからは登らず、Timpohon Gateに移動して登山開始になるようである。料理は、ナシゴレン(焼き飯)やカレー風煮込み、魚のフライなどであるが、特にマンゴーとパイナップルの果物が人気であった。  夜は一人部屋のためか、寒さを感じ、ストーブを入れた。マシラウ・ネイチャーリゾートの標高が、約2000mあるためである。 第五日目  この日は、夕刻の飛行機に乗るだけなので、ゆっくりと朝食をとって、7時に出発した。マシラウ・ネイチャーリゾートを出発するとゴルフ場が広がっており、背後にキナバル山が大きく見えるようになった。展望の開けた所でバスを停めて、写真撮影になった。ここからの眺めでは、山頂部のピークの名前は判らなかった、左右に落ち込む稜線には鋸刃状に小岩峰を連ね、迫力のある姿を見せていた。登山の終わりでも、キナバル山は、惜しむことなくその姿を見せてくれた。  バスが移動するにつれて、最初に見たキナバル山の姿に戻っていった。公園事務所の入り口を通り過ぎた先のナバル村で買い物タイムとなった。あまり買うものはなかったが、とりあえず、サバ・ティーとお決まりのTシャツを買った。ご当地Tシャツは、着る機会がなく、結局タンスに溜まっていくだけなのだが。  車に戻ると、キナバル山登頂とマシラウ・ルート完歩の証書がわたされた。ちなみにキナバル山登頂を途中で断念すると、白黒印刷物となって、最高到達点が記載されることになる。  山を下っていくと猛暑が襲ってきた。コタキナバルに到着し、昼食の魚介レストランが開くのを待つため、奥のショッピングセンターに入ったが、春節のために休んでいる店が多かった。生簀から取り出して料理した貝、海老、魚、野菜のシーフードで、マレーシアにおける食事のしめになった。  最後に買い物ということになった。最初に観光客用の土産物屋に案内されたが、一般のスーパーに変更してもらった。猛暑のために通りを歩いている者はほとんどいなかったが、冷房の利いたショッピングモールの中は賑わっていた。ここでドライフルーツなどの食料品を買い込むことができた。  やることはやったので、早めに空港に案内してもらうことになった。登場手続きを行い、現地添乗員とも分かれて、出発ゲートに進んだ。コタキナバルの空港は小さいが、それでも民芸品や免税店もあり、最後の買い物を行うことができた。  コタキナバルからクアラルンプールへのフライトでの機内食は、夕食相当ということになる。肉の煮込みとライスで、味は良いが量が少ない。  怪我人のために、クアラルンプールの空港では車椅子での移動を手伝ってくれることになった。クアラルンプールで延泊する一人をのぞいた二人が同行者ということでついていくことになった。空港スタッフが押していく車椅子についていくと、関西組に追いつき、話を聞くと、飛行機が6時間遅れになって、これから航空会社が手配したホテルに行くという。おそらくスーツケースはそのまま関空行きになったままで、下着の替えも手元にないはずで、そうなるとシャワーを浴びるのにも苦労することになる。熱帯地方の旅行では、帰国に際しても着替えの替えを持っていた方が良さそうである。  車椅子は、通関も優先レーンで、荷物検査も列の途中に割り込んでというVIP待遇であった。メインターミナルに出ると、一旦、特別待遇者用の待合室に案内されたが、少し時間があったので、免税店で買い物をしてから出発ゲートに移動してもらった。  帰りの飛行機は、春節の観光客のためか満席であった。行きで一緒だった専門学校の団体も乗っていた。 第六日目   帰国は、フライト時間も短くなり、寝る時間帯なので楽である。夜食は大きなクロワッサンにポテトサラダを挟んだサンドイッチ。簡単過ぎる気もするが、ビールをもらえたので良しとしよう。到着1時間前の朝食は、エビチリ、ゆで卵にライスであったが、おかずが少なすぎた。  行方不明になることも、撃墜されることもなく、無事に日本に戻ることができた。  成田エキスプレスい乗って東京に向かうと、雪が降ってきた。日本とマレーシアの気温の差を痛感した。    キナバル山登山のレベルはというと、慣れない海外旅行の疲れや高所体験の影響が加わるが、登山に要する体力というと、日本の健脚向きといわれる一般的な山に登れる体力があれば充分ということになる。   (付記)  この登山から半年もたたない6月5日に発生したマグニチュード6.0の地震で、震源地に近いキナバル山では、日本人1人を含む16人の死者が出て、ドンキー・イヤーズ・ピークも崩れるなどの大きな被害が生じた。Timpohon Gateからの一般ルートは再開通したが、マシラウルートは2017年現在でも閉鎖のままのようである。 ============================================================================= 15-11 2月21日 蝉峠山 【日時】 2015年2月21日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 西会津 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   蝉峠山・せみとうげやま・535.2m・二等三角点・福島県 【コース】 林道分岐より 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢/徳沢、野沢 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:35 新潟発=(R.49 経由)=8:15 岩井沢への林道途中の分岐〜8:50 発―9:45 尾根上―10:43 蝉峠山〜11:10 発―11:13 尾根上―11:54 林道分岐=(往路を戻る)=13:50 新潟着  蝉峠山は、西会津町野沢の阿賀野川左岸に位置する山である。国道49号線や磐越自動車道で西会津の野沢に近づくと、周囲に平野が広がり、山の眺めが飛び込んでくる。まず一番に眺めるのは、飯豊連峰の眺めであろうが、会越国境の山や道路脇にある須刈岳の鋭峰にも目が停まる。須刈岳の隣の蝉峠山は、標高も一段高く、一回り大きい山裾を広げているが、一般登山道も無いことから、注目されることは少ない。  ボルネオ島のキナバル山から帰ってきたばかりであるが、週末になって山に出かけることにした。4000m級の高所登山の影響は無いように思えたが、無理はしないことにして、近場の山の西会津にある蝉峠山に出かけることにした。蝉峠山に登ったのは2003年2月なので、かなりの時間が経っている。  春を感じさせる陽気になっており、順調なドライブで西会津に到着した。西会津に入ったところで、狭い踏切を渡って、国道と平行に走る芹沼集落へ通じる道に進む。岩井沢集落へ通じる林道の入り口から歩くつもりでいたのだが、林道が除雪されていたため、車を乗り入れた。これまでも偵察のためにこの林道の除雪状態を確認したことがあったのだが、除雪はされておらず、岩井沢沢集落も冬季に人が住まないようになっていると思っていた。林道の除雪は、集落まででは無く、途中の大沼までなのかもしれない。いずれにせよ、林道歩きの手間が省けた。  林道の両側には高い雪壁ができており、途中で車の転回場所がないので困ったなと思っていると、蝉峠山の取り付きの林道分岐部で、幅広の除雪が行われていた。帰りのために、車の方向転換をしてから登山の準備をした。  雪壁を見ると、身の丈を越える高さのため、まずスコップで、雪上に出るための階段を作ることになった。雪の上でスノーシューを履いたが、雪も締まってきていた。  まずは、北に向かう林道に進み、左手に延びる尾根を登ることになる。伐採地なのか、まばらに細い木が並んでいるだけで、邪魔者の少ない雪原が広がっていた。伐採の作業道なのか、ジグザグに道が切られている感じであったが、直登を続ければ良かった。日影ではスノーシューは沈まない状態であったが、東に向いている斜面のため、太陽が当たっている所では、早くも足が取られる状態になってきた。  南北に延びる尾根が近づいてくると杉林となり、ここを抜けると、尾根の合流点になった。この先は、北に方向を変えるが、この先も歩きやすい尾根が続く。尾根沿いには、道形が見られ、傾斜がきつくなったところでは、この道沿いにトラバース気味に登ることができた。  山頂手前の530mに出ると、北側に飯豊を望むことができるようになったが、細い枝が視界を遮っており、展望の開ける所を期待しての歩きになった。  蝉峠山の山頂は、三方から尾根が合わさる緩やかな高まりである。北側に落ち込む尾根の縁に出ると、飯豊連峰の遮るものの無い展望が広がっていた。飯豊本山は確認できたが、大日岳の山頂部に雲がかかって隠されていたのは残念であった。それでも青空の元に見る純白の飯豊連峰の眺めは見ごたえがあった。  風を避けて、南に少し下がった所に腰を下ろして大休止にした。意外なことに、単独行くが登ってきた。食事中にもかかわらず、背後から話しかけてくるのは迷惑であった。この山は初めてで良く判らなかったというが、確かに下りに確認すると、トレースをそのまま辿ってきていた。  下りは、快調に飛ばすことができたが、登山口近くになると、雪も柔らかくなって、足が潜るようになった。  蝉峠山は、スノーシュー向きの山と思われ、下山を375mピーク経由あるいは岩井沢経由としても面白そうである。  雪の状態も、春山に一歩近づいた感じであった。 ============================================================================= 15-12 2月28日 笠菅山 【日時】 2015年2月28日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 雪 【山域】 五頭連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 笠菅山・かさすげやま・609.4m・三等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/出湯、東赤谷 【コース】 古岐より 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:45 新潟発=(R.49、三川 経由)=7:45 古岐〜8:20 発―9:03 取り付き―10:23 590mピーク―10:53 笠菅山―11:20 590mピーク〜11:30 発―12:05 取り付き―12:45 古岐=(往路を戻る)=13:50 新潟  笠菅山は、五頭山塊の裏手にあたる三川温泉の背後に、新谷川と中ノ沢川に挟まれて立つ山である。標高は低いが、独立峰で名前のように笠を置いたような形から周囲から良く目立つ山である。  笠菅山は、ここのところ、初冬に西側の中ノ沢側から送電線の巡視路を使って登り、雪景色の五頭山塊を望むのがお気に入りになっている。冬山としても登ってみたいと思い、地図を見ていくと、東側の古岐から登れそうに思われた。傾斜を見ても、中ノ沢側よりも緩やかでスノーシュー向きに思われた。1月11日に大峰山に登った際に、古岐集落の様子も見て、登る時期を待った。  曇りの天気予報が出て、笠菅山に出かけることにした。車を走らせて五頭山塊の裏手に回ると、小雪が舞うようになった。そのうちに止むだろうと思って、そのまま車を走らせた。  古岐集落入口までは、路線バスも入っているため、幅広の車道が続いているが、集落内に入ると道は細くなり、車の駐車場所も無いため、バス停のある集会所手前の路肩に車を停め、ここから歩き出すことにした。  集落内で道が分かれるが、右に曲がるのが正解で、その少し先が除雪終点になる。ここから始まる林道を辿った先から尾根に取りつくことになる。田圃脇を過ぎると、林道鷹の巣線と書かれた標柱が雪の中から頭を出していた。林道上の雪は締まっており、スムーズに足を出し続けることができた。古いワカンのトレースがあるようであった。  林道が231.5m点から西に延びる尾根を横切る所で、尾根に取りついた。尾根の横断点は切り通しになっていて急なため、手前から尾根に上がった。尾根は、ほどほどの傾斜でスノーシュー歩き向きであった。  尾根が痩せると、少し急な登りとなり、ここを登り切るとその先で下りになった。その先も小さなピークになっているようで、左側を巻くことができそうなので、迂回することにした。トラバースも僅かで尾根に乗ることができた。その先は尾根の幅も広がって、気持ちの良い歩きになった。左手に笠菅山の山頂部も迫るようになった。  590mへの登りにかかるところで急斜面が現れたが、幅広の尾根で、斜上も交えながら登って突破した。  590mピークは台地状になって、天然杉の大木が並んでいた。ここは笠菅山の山頂台地のいっかくに当たるが、この先は地形が複雑で、地形を良く確認しながらの歩きになった。590mピークからは一旦下りになるが、下降点は最高点から少し戻ったところになる。風当たりも強くなって寒くなり、脱いでいたフリースを着込むことになった。雪も氷結しているところもあり、足元に注意が必要な所も出てきた。小ピークを越えていくと雪庇を張り出した615mピークに行き当たった。少し下った所で雪庇が低くなっていたので、そこから尾根の上に這い上がった。ここの尾根は雪が飛ばされてしまってガリガリの斜面になっており、下山の際には僅かな距離ではあったが尻滑りで通過することになった。  615mピークは、中ノ沢からの送電線巡視路が合流するピークである。ここから稜線を辿ると、僅かな歩きで笠菅山の山頂に到着した。晴れていれば飯豊の展望も楽しむことができるはずであったが、小雪が続いており、すぐに下山することにした。  590mピークに戻ったところで大休止にした。この先は下るだけになる。雪もほどほどに柔らかく、気持ちの良い一気の下りになった。  590mピークの西側には送電線の鉄塔が立っており、今回使った尾根に巡視路が開かれているかとも思って、尾根の取り付き部に巡視路案内の黄色い標識がないかと探してみたものの見当たらなかった。大入谷沢右岸の尾根には鉄塔が立つはずで、そこに至るには登った尾根から下降することになるはずである。あるいは林道鷹ノ巣線が地図で書かれているよりもさらに延びており、365m点のある尾根の北側まで回り込んでいるかである。送電線の巡視路は、どのように延びているのか推理するのも面白い。  林道を歩き出すと、木の丸わかんの跡があり、登った尾根よりも南側で林の中に進んでいった。ストックも持っていないので、登山者ではないようだが、山仕事の関係者であろうか。  結局、雪は止まず展望には恵まれない山行ではあったが、新しい雪山ルートを確認できたことは収穫であった。 ============================================================================= 15-13 3月1日 上ノ山 【日時】 2015年3月1日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 津川周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  上ノ山・かみのやま・233.5m・三等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/越後豊川 【コース】 東岐への県道より 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:50 新潟発=(R.49、三川 経由)=7:50 小出沢に架かる橋〜8:05 発―9:10 上ノ山―9:48 小出沢に架かる橋=(往路を戻る)=11:25 新潟  上ノ山は、津川の町の南、常浪川と東小出川に挟まれた丘陵地にあるピークである。  曇り後雨という天気予報を信じて家を出たが、新潟の郊外に出ると雨が降り出した。登山の意欲も低下して、悪天候の際の予備の山と考えていた上ノ山に向かうことにした。上ノ山は、2002年2月9日に登っているが、この時は東山麓を通過している高速道路の管理道をアプローチに使い、急な尾根を登って山頂に達した。地図を見ると、南の東岐方面からコースをとれば、距離は少し長くなるものの、さほどの標高差も無く山頂に達することができそうであった。  津川の盆地に入ると、幸いなことに雨は止んだ。国道49号線から上川方面に進み、手前の両郷で小出への県道に進む。この分岐には、B&G海洋センターの案内板が置かれている。丘陵地に突き当たった所で坂をひと登りすると、B&G海洋センターが左手に現れ、その先の小出沢川を渡った先が取り付きになる。路肩に車を停めて、歩き出す準備をした。  北側を眺めると、田圃を覆った雪原の向こうに地図には無い道路が北に向かって延びているのが見えた。予定とは少し違ったが、この道路を辿ってみることにした。谷間から上がっていく道は、右手の高まりから延びてきた尾根を切り通しで横切り、その先で台地に出た。  台地の奥で道は左に曲がっていったが、ここから尾根に取りつかなければならない。二本の尾根が平行に走っており、当初の予定では直線的なコースになる左の尾根に取りつく予定であったが、予想外に深い沢が入り込んでいた。左の尾根は諦めて、右手の尾根を歩くことにした。こちらの尾根はカーブを描いて少し距離が長くなり、途中で小ピークの乗り越しも現れる。少々労力も増すが、いずれにせよそう時間のかかる山ではない。  杉林の中を抜けて小ピークを越すと、雑木林の広がる尾根歩きになった。左に走る尾根に合流すると、前方に上ノ山も迫ってきた。春も近づいて、斜面の雪も雪崩落ちているところもあったが、尾根沿いの雪はまだ途切れることなく続いていた。  山頂南の肩に出ると、東の谷間に磐越道が延びているのを見下ろすことができるようになった。車の走行音が山の上まで届いてきた。緩やかな尾根を辿っていると雪原になった上ノ山の山頂に到着した。山頂標識や赤布は見られなかった。  下りで灌木の枝を払っていると、マンサクの花が目に留まった。糸状の花弁はまだ広がっていないが、黄色の蕾がほころびようとしていた。新潟の春の花の季節も間近に迫ってきている。   ============================================================================= 15-14 3月7日 尖山 3月8日 樋曽山 【日時】 2015年3月7日(土)〜8日(日) 1泊2日 各日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 7日:晴 8日:曇り 【山域】 東山連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   尖山・とんがりやま・591.7m・四等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/半蔵金 【コース】 県道栃尾山古志線田代より 【ガイド】 なし 【山域】 弥彦・角田山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  樋曽山・ひそやま・296.7m・三等三角点・新潟 【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/弥彦、角田山 【コース】 弥彦スカイライン入口より 【ガイド】 なし 【時間記録】 3月7日(土) 6:50 新潟=(北陸自動車道、中之島見附、R.8、川崎IC、R.351、半蔵金)=8:20 下村寄りの車道入口〜9:00 発―10:25 稜線上―10:45 尖山〜11:28 発―11:42 稜線上―12:31 下村寄りの車道入口=(種苧原、R.352、R.252、小出、R.252、上条 経由)=16:00 渋川  (車中泊) 3月8日(日) 6:15 渋川=(R.290、R.351、R.8、分水、太田、岩室、樋曽 経由)=7:15 弥彦スカイライン入口〜8:30 発―10:08 樋曽山―10:57 弥彦スカイライン入口=(樋曽、R.460、間手橋、R.116、R.16 経由)=12:20 新潟  長岡東山連峰の東の栃尾市及び山古志村と守門村との境界部には、600m程の標高を持つ山塊が広がっており、地図には、尖山、談合山、三本ぶな山といった山名が記載されている。これらの山を結ぶかのように、山頂近くを林道が通過している。  弥彦山と角田山の間に、200〜300mの高さを連ねた丘陵地帯があり、その最高点を樋曽山と呼ぶ。新潟周辺でハイキングの山として人気のある両脇の山に比べてこの山の知名度は低かったが、最近では、三山縦走路として登山道もしっかりしてきて、訪れる登山者も多くなっている。  春めいた陽気になって、ひさしぶりに中越方面に出かけることにした。地形図を見て、スノーシュー歩きに適していそうな尖山とほとら峯を選んだ。  尖山は、2003年5月に田代の集落から登ったことがある。山頂直下を林道が通過しており、山頂まで山道が通じていた。積雪期に登ろうとするのは、守門岳の眺めが間近に広がっていることを期待してのことである。  久しぶりの半蔵金方面であったが、東山連峰の裏側に回り込むと、路肩にうず高い雪壁が続くようになった。今年の冬は、下越方面では雪は少なめであったが、中越方面は大雪になって連日報道されていた。それでも斜面の雪は落ちて、地肌が目立つようになっていた。  先回の登り口の田代に到着してみると、二人連れがスノーシューを履いて歩き出す準備をしていた。ここからのコースも考えていたのだが、尖山直下の急斜面をトラバース気味に登るのに雪崩の懸念があった。また、トレースの後を追うのもいやなので、第二案のコースに変更した。  種苧原方面に進み、カーブを交えて坂を下った先に車道が尖山方面に延びている。ここから409点経由で尾根を登れば、尖山の南で稜線上に出ることができそうである。車を進めると、車道の入り口と思われる所に、車一台の駐車スペースがあった。ところが雪壁の高さが2m以上あって、乗り越せなかった。車道沿いの雪壁の低い所で、カードレールの上に立って様子をうかがうと、車道が完全に雪に隠されているのは良いとして、幅は狭いものの深い沢が走っており、それを越す橋が確認できなかった。  ここからの歩き出しは諦めて、さらに南にある車道入口の様子を見ることにした。ここには、車幅二台分の除雪が雪原に向かって入り込んでおり、車の駐車にも適していた。脇の雪壁も,低い所があって乗り越すことができる状態であった。  車の脇でスノーシューを履いて雪原に上がった。沢にも橋が掛っており、対岸に渡ることができた。横たわる尾根の背後に回り込むと、その先の林道は、谷に向かって落ち込む雪の斜面になっていた。雪も柔らかいので斜面のトラバースもできそうであったが、林道から離れて、409点に続く谷間に進んだ。谷間は、田圃か養鯉池が設けられているようで、段々になっており、脇の農道を辿って進むことになった。谷の終点部から尾根上に出た。この先は、予定通りに尾根沿いに登ることになった。尾根は、間隔のあいた雑木林で見通しも良かったが、沢型が入り込んで、細かくコースを変える必要があった。時おり背後の萱峠方面や目的の尖山から続く稜線を望むことができ、眺めを楽しむことができた。  少し急な尾根を登り切ると、稜線に飛び出した。ここは二重稜線になっており、行きは奥の稜線通しに歩いたが、手前の稜線でも窪地でもかまわない。  途中でスノーシューのトレースが尖山から下ってきているのに出会った。どうやら城山越方面に歩いていったようだが、途中で脇に入り込むことが多かった。兎採りの鉄砲撃ちだったのかもしれない。  尖山への登りも歩いやすい斜面であった。尖山山頂の西側は木立が広がっていたが、東に続く尾根に進むと、粟ヶ岳、川内山塊、守門岳、浅草岳、毛猛山塊、越後三山が並ぶ遮る物のない展望が広がった。萱峠でも守門岳の展望を楽しむことができるが、尖山からはさらに近くから望むことができた。尖山は展望の山として、お気に入りの山のリストに入った。  展望を楽しみながら大休止にした。急斜面は一気に下ることができたが、傾斜が緩むと、柔らかくなった雪に足が取られて、足にも負担がかかるようになった。  翌日のほとら峯のため、小出で寄り道をしてから夕方に登山口の渋川の集落に入り、夜を過ごした。夜中になってから雨が降り出し、朝になっても降り続いていた。雪もぐずぐずになっており、この日の登山は諦めることにした。この山からの毛猛山塊の眺めに興味があったので、晴の日に登りたかった。  予定変更を行い、海岸部の弥彦・角田山塊で花の状況を確かめることにした。雪割草はとじたままであっても、開花の予想がつくはずである。弥彦スカイライン入口から樋曽山に登ることにして、車を走らせた。海岸部が近づくにつれて、雨も上がってきた。  時間も早かったので、弥彦スカイライン入口の駐車場で、しばらく待機してから歩き出した。弥彦山の山頂部には残雪が見られたが、樋曽山方面は茶色の雑木林が広がっていた。  樋曽山への登り口に少し前にあった越後三山縦走路の案内板はなくなっていた。登り始めると、雪割草が半開きの花をみせていた。マンサクやキクバオウレンの花も見られ、天気が良かったならば雪割草の花も開いて、春本番の山を楽しむことができたようである。前日の土曜日に登ったならば、お花見もできたはずだが、雪山を楽しんだので、機会を逸したのは仕方がない。  途中、別な枝尾根の偵察をしたり寄り道をしながら歩いた。250mピークを一旦下った後の急坂は、泥斜面が滑りやすく足元に注意が必要であった。  稜線沿いに出てからは、小ピークを乗り越していくことになり、樋曽山がどこか判りにくい。以前あった山頂標識も撤去されており、三角点が目印になる。樋曽山に到着したと思って見渡すと、三角点が頭を出しているのが目に留まったが、驚いたことに鮮やかな薄緑色のペンキで塗られていた。測量法では、「何人も、国土地理院の長の承諾を得ないで、基本測量の測量標を移転し、汚損し、その他その効用を害する行為をしてはならない。」と規定されている。ペンキを塗るというのも、三角点の保護という点から外れているとしか思えない。どうもこの樋曽山の登山道整備については、おかしな所がある。戻る途中、トレイルランニングのグループが追い抜いていった。ただ走るだけが目的なら、整備された一般的登山道を使って欲しいものである。昔のように踏み跡だけで、知る者だけが訪れるという状態が懐かしく思われた。   ============================================================================= 15-15 3月14日 花見山 【日時】 2015年3月14日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 飯豊連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  花見山・はなみやま・183m・なし・新潟県 【コース】 森林管理道沼線入口より 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/安角 【ガイド】 無し 【時間記録】 8:30 新潟=(R.7、十文字、R.113 経由)=9:50 森林管理道沼線入口〜10:14 発―11:13 花見山―11:45 森林管理道沼線入口=(往路を戻る)=13:20 新潟  花見山は、越後米沢十三峠街道の宿場町であった沼集落の脇の沼川右岸にある山である。国土地理院の地形図には名前が記載されていないが、関川村発行の「山岳渓流地図」にこの名前が記されている。  春も近づいたにもかかわらず強い寒波が入り込んで、山では本格的な積雪になったようである。土曜日も雨が残るようなので、簡単な山で済ませることにした。2月7日に榎峠を登った際に、対岸の花見山を予備の山と考えていたが、この際に登ることにした。  わかぶな高原スキー場を目指して沼集落を過ぎると、林道が分かれており、ここが取り付きになる。標柱が頭を出しており、森林管理道沼線と書かれていた。歩き出す準備をしている間にも、多くの車がスキー場に向かって通り過ぎて行った。  スノーシューを履いて雪の上に立つと、30センチ程もぐる状態になっていた。春が近づいて雪も締まってきていたのだが、新雪が積もって、カリカリ雪の歩きもしばらくお預けになってしまった。  カーブを繰り返す林道を進んでいくと、花見山から南に下ってきている尾根の末端に到着した。尾根末端部は切り通しになっていたので、少し手前から斜面に取りついて尾根に乗った。雑木林の尾根をひと登りすると、露岩が現れて通せんぼをしていた。スノーシューを外して岩に取りついても、雪の付いた岩を登るのはいやなので、このコースは諦めることにした。この尾根の途中には送電線が横断していて鉄塔もあるはずで、送電線の巡視路が切られていて、それを辿れば楽勝と思っていただけに予想外であった。  改めて地図を見直すことになった。尾根の東側に回り込めば、山頂近くに傾斜の緩い箇所があって、尾根に上がれそうであった。林道をさらに辿って尾根を回り込み、杉林の中を進むと、尾根上に立てられた送電線鉄塔が見えてきた。鉄塔までの斜面は木立が切られて、雪原になっていた。登れそうではあるが、急なので、先をうかがうことにした。  杉林の中を抜けると、浅い谷間が現れた。尾根もすぐ上に見えており、登りやすい傾斜の斜面が広がっていた。まばらに雑木林の広がる斜面を登っていくと、鉄塔の立つ小ピークと花見山の間の鞍部で尾根上に出ることができた。  花見山の山頂は目の前で、雑木林の尾根を辿ると山頂に到着した。木立の感じからすると道は無いように感じた。山頂部は木立に囲まれていたが、少し戻った所からはわかぶな高原スキー場の展望が広がっていた。沼山方面は木立に隠されていたので、戻りの途中、送電線鉄塔下まで足を延ばした。鉄塔下からはわかぶな高原スキー場から沼山にかけての展望が広がっていた。花見山に登った際には、この鉄塔下まで足を延ばすことをお勧めするが、登る者はめったにいないであろう。鉄塔下からの雪原を下る誘惑にかられたが、安全のために来た道を戻った。 ============================================================================= 15-16 3月15日 極楽山 【日時】 2015年3月15日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 飯豊連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  極楽山・ごくらくやま・513.5m・三等三角点・山形県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/玉庭/叶水 【コース】 県道15号線入口より 【ガイド】 知られざる山々(白山書房) 【時間記録】 6:30 新潟=(R.7、新発田、R.290、大島、R.113、叶水、新股 経由)=8:30 県道15号線入口〜9:00 発―10:30 極楽山〜11:15 発―11:57 県道15号線入口=(往路を戻る)=14:00 新潟  極楽山は、山形県小国町の南、飯豊連峰地蔵岳や大丸森山付近の水を集めて流れ出る横川左岸にある山である。この山の北には同名の極楽峠もあり、里と馴染みのある山であったようである。南斜面は、台地が広がり、わらび園になっている。  晴の予報が出たが、前日の山行でも確認できたことだが、新雪によって季節が逆戻りして、ラッセルが必要な状態になっていた。距離が短くてすみ、しかも展望の良い山を考えることになった。結局、極楽山に出かけることにした。2009年2月11日に登って、飯豊本山の眺めが良いことが確かめられている。  新股の集落を過ぎた先で、極楽峠を経て小倉に抜ける県道は冬季閉鎖になっていた。枝分かれする河原角への道は集落があるために、除雪が行われて車の通行には支障のない状態であった。  車を1kmほど走らせた先の弥六沢の左岸から始まる林道が新股ワラビ園に通じており、ここが登山口になる。ところが、路肩は3m程の雪壁になっており、雪原に上がることができない状態であった。スコップで雪壁を崩すにしても、高すぎる壁であった。先回の2月に登った時はこのようなことは無かったので、今年の大雪が実感できた。  新股ワラビ園経由は諦めて、極楽峠に至る県道側から登ることにした。極楽山は、距離も短いため、周回しても良いかと思って、双方からのコースを検討してあったのが役に立った。  車を極楽峠入口に戻した。車の駐車するスペースもあり、幸い、除雪終点の雪壁は低くて簡単に乗り越すことができる状態であった。  コーヒーを飲んでひと休みしてから歩き出した。新雪に覆われているものの、溝状に窪んだトレースが続いていた。これなら楽勝と思ったものの、右手に林道が分かれる所に携帯のアンテナ施設らしきものがあって、トレースはそこに続いていた。この施設のメンテの関係で入る者がいるため、除雪終点の雪壁も低くなっていたようである。  この先は、スノーシューも膝下まで潜り、一歩を進めるのにも体力を使うラッセル状態になった。極楽山へは、左に平行して走る尾根に上がる必要があり、登り易いコースを探しながらの歩きになった。  結局、林道際まで落ち込んでくる尾根沿いに登ることになった。杉林の中をひと登りすると、雑木林が広がる尾根上に出た。雪が深いために難儀したが、傾斜として歩きやすい尾根であった。南西に尾根がコースを変えると、極楽山の山頂から落ち込む尾根に向かっての急坂が始まった。尾根の上には雪庇が出来ており、そこを突破できるかが問題になった。斜面の傾斜はきついものの、雪が柔らかくて滑落の心配は無い状態であった。下山時に尻滑りを試みたものの、そのまま雪に沈んで全く滑らない状態であった。  雪庇の低い所をうかがうと、枝尾根の合流点だけが低くなっていた。腰の高さの段差の雪を突き崩してから尾根に上がった。尾根の南側にはワラビ園の雪原が広がり、その向こうには飯豊の展望が広がっていた。また東側には朝日連峰が長々と続く眺めを楽しむことができた。山頂でゆっくりと展望を楽しむことにして、極楽山への尾根歩きを続けた。  極楽山の山頂部は二つの高まりになっており、手前に三角点が置かれているが、奥の方が少し高いようである。また、雪庇ができてわらび園から山頂に上がることは難しい状態になっていた。  極楽山の山頂で、大展望を独り占めにして大休止にした。ここからの展望の素晴らしさは、掛摺山と猿鼻山に挟まれた間に飯豊本山を望むことができることである。純白の雪を被った飯豊本山は、神社のあるピークと三角点ピークを見分けることができたが、山頂部には雪煙が上がっていた。  下りは、傾斜のある所は重力まかせに下ったが、平坦になると行きにつけたトレースを辿って体力の消耗を避ける歩きになった。 ============================================================================= 15-17 3月21日 ほとら峯(中退)、平地山 【日時】 2015年3月21日(土) 前夜泊日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 越後三山周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   ほとら峯・ほとらみね・624.1m・二等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟、日光/守門岳、須原/穴沢、須原 【コース】 渋川より 【ガイド】 なし 【山域】 権現堂山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  平地山・へちやま・336.5m・三等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小平尾 【コース】 藪神発電所より 【ガイド】 なし                       【時間記録】  3月20日(金) 4:30 新潟=(R.49、R.403、黒水、R.290、森町、栃尾、R.290 経由)=19:00 渋川  (車中泊) 3月21日(土) 6:25 渋川―6:54 林道終点〜7:53 発―8:14 渋川=(R.252 経由)=8:40 藪神発電所〜8:50 発―10:00 平地山〜10:20 発―11:20 藪神発電所=(R.252、渋川、R.290、栃尾、森町、R.290、黒水、R.403、R.49 経由)=14:30 新潟  ほとら峯は、黒又川左岸にある山で、唐松山の東から高鼻山、土崩山を経て北上する尾根の末端部に位置する山である。  平地山は、権現堂山塊に属し、下権現堂山から南東に延びる尾根の末端にある山である。2万5千分図では、「小平尾」の右下の片隅にあり、下権現堂山と続いていることを見落としやすい山である。R.252を車で通る時、下権現堂山の山頂から下に目を動かしていけば、破間川の右岸に、低いながらも自己主張している平地山を見ることができる。  春分の日がらみの週末は、例年弥彦・角田山塊の雪割草が盛りになり、お花見か雪山かと迷うことになる。雪山を優先として、雪割草は天候が許すなら日曜日に出かけることにした。  雪山を考えていき、3月8日に登山口に前泊していたものの雨になってしまって登らずになっていたほとら峯を目指すことにした。  朝方の堅雪歩きを期待して早朝から歩き出すため、前夜入りすることにした。渋川の集落に到着すると、車道脇の雪壁は、少し低くなってはいたもののまだ3mほどの高さで、雪原に踏み込める所は、除雪車が入り込んだ所の一ヶ所だけであった。  翌朝、朝霧の立ち込めるなか歩き出した。雪に埋もれた林道は幅広で、沢に向かって落ち込むようなところもなく快調に歩くことができた。ただ、右に沿う沢は深く、斜面の雪は大きく割れて落ち込んでいた。  予定では、林道がカーブした先の終点部で尾根に取り付いて、送電線の鉄塔があると思われる尾根を辿り、山頂北の560mピークに登りつくことを考えていた。ところが沢が深く掘り込まれていて、越すことができなかった。予定変更ということで、手前の尾根を探ったが、雪が落ち込んで藪が出ていた。沢の右岸に戻ったところの杉林を経て、鉄塔のある300m標高の尾根上に出たが、そこから見た山頂に至る尾根は雪が大きく割れていたり、藪が出ていた。先に進むのを諦めることにした。  家に戻ってから地図を検討すると、林道終点から南回りで404m標高点、622m標高点を辿るのが良さそうであった。雪の締まった、しかも雪融けが本格的になっていない時期を狙って、再チャレンジすることにしよう。  せっかくの晴天の日にこのまま引き下がるわけにもいかないので、予備の山として考えていた平地山に方向転換することにした。平地山に登ったのは2003年1月20日なので、かなり時間が経過している。  国道252号線から下権現堂山の山裾を走る県道を進んでいくと、平地山の下で雪崩のために通行止めになっていた。通行止めが例年のことなのか、今年の大雪のためなのかは判らない。迂回路を通って、藪神発電所に入った。  藪神発電所の施設前の広場は、冬の間も除雪されている。以前は、この広場から雪原に進んだのだが、上部に向かって除雪された道路が続いていた。スノーシューをザックに取り付けて歩き出した。車道は、上部の貯水池まで続いていた。スノーシューを履いて、路肩の雪壁の低い所から雪原に上がった。  雪原をひと登りすると貯水池の上に出て、その先は県道を左に見下ろす尾根歩きになった。240mピークに向かっての登りでは、傾斜が増したところに雪が割れて、右手の尾根方向にトラバースすることになった。雪も締まっていて、滑落の危険性もあり、緊張を強いられた。前回は、傾斜がきついところも危険とは思わなかったので、雪が柔らかい時期の方が楽だったようである。  240mピークに出ると、朝霧が立ち込める小出の平野部の上に越後駒ヶ岳や八海山が山頂を突き上げていた。平地山の山頂に向かう尾根も一望できたが、左右の斜面の雪が大きく割れて落ち込んでいた。雪稜がかなり細くなっている所もあったが、かろうじて雪の上を辿ることができそうであった。  一旦少し下ってから一気の登りが始まった。山頂が近づいた所で、古いワカンの跡が見られるようになった。ここまでは見られなかったので、傾斜がきついために深くワカンを蹴り入れたものが残っていたのだろうか。山頂直下では、曲輪跡のようにベルト状の段差があってひと息つくことができる。この山は、山城が置かれていたようで、その名残りのようである。  登りをもうひと頑張りすると、山頂のいっかくに出て、右手の高まりが山頂になる。山頂からは360度遮るもののない展望が広がって、お山の大将の気分を味わうことができた。下権現堂山に向かって尾根が続いているが、雪が割れて落ち込む荒々しい姿に変わっていた。僅かに残った雪堤の上にトレースが続くのが見えたが、今にも落ち込みそうな雪の上にも続いていた。人ではなくカモシカの足跡のようであった。越後駒ヶ岳、中ノ岳、八海山、巻機山の眺めも楽しむことができた。周囲の山の斜面の雪が、雪崩落ちているのが、印象的であった。今年は大雪であったので雪山シーズンが長くなるかと期待していたのだが、尾根に積もった雪がブロックごと落ち込んで、かえって尾根の通過が難しくなっているようであった。  下りは、滑らないように足元に注意が必要であった。そろそろスノーシューのシーズンも終わりに近いようであった。 ============================================================================= 15-18 3月22日 国上山から剣ヶ峰 【日時】 2015年3月22日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 弥彦・角田山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  国上山・くがみやま・313.2m・三等三角点・新潟県  剣ヶ峰・けんがみね・292m・なし・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/三条、弥彦/寺泊、弥彦 【コース】 麓一区より 【ガイド】 中部北陸自然歩道トレッキングガイド 【時間記録】 7:15 新潟=(新新バイパス、西バイパス、R.116、寺泊、新潟寺泊線 経由)=8:15 麓一区〜8:35発 ―10:09 国上山―10:54 剣ヶ峰〜11:10 発―13:00 麓一区=(往路を戻る)=14:20 新潟  日本海に沿って並ぶ国上山、弥彦山、角田山の三山は、ハイキングの山として新潟周辺の登山者に親しまれている。国上山と弥彦山との間にある剣ヶ峰は、一段低いながら、三角形の山頂が遠くからも良く目立つ山である。  雪山を優先して、雪割草のお花見は日曜日に後回しにしたが、幸い日中は晴の予報がでた。雪割草の盛りの連休とあっては、混雑が恐ろしくて角田山に行く気は起きない。静かな山として剣ヶ峰に出かけることにした。  麓一区の県道入口は、冬季閉鎖の鎖が掛っており、その手前で路肩駐車になる。混雑しているかと思ったが、自転車が乗り捨ててあるだけであった。  いつものように南沢の登山道を進み、縦走路に出てから国上山を往復した。国上山の登山者はいたものの、角田山に出かけているのか、いつもより空いていた。折り返して、剣ヶ峰に向かった。剣ヶ峰の山頂部は、キクザキイチゲも咲き、カタクリがお花畑状態になっていた。  カタクリの花に囲まれて、独り占めの山頂を楽しんだ。 ============================================================================= 15-19 3月28日 高陣場から洞厳山 【日時】 2015年3月28日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 弥彦・角田山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  高陣場・たかじんば・813m・なし・福島県  洞厳山・どうがんざん・1013.0m・三等三角点・福島県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/宮下/宮下、沼沢沼 【コース】 桑原より 【ガイド】 なし 【時間記録】 3月27日(金) 14:45 新潟=(R.49、R.252 経由)=17:26 桑原  (車中泊) 3月28日(土) 5:55 桑原―7:10 650.4m三角点―8:04 高陣場―9:33 洞厳山―9:45〜10:10 大休止―11:04 高陣場―11:50 650.4m三角点―12:40 桑原=(往路を戻る)=15:20 新潟  高陣場と洞厳山は、三島町の只見川右岸に連なる尾根上のピークである。尾根を西に辿れば、沼沢沼の南岸に位置する登山道のある高森山に至る。  洞厳山は、昨年登山口の偵察までは行ったものの大雪のために断念し、そのまま機会を逸していた山である。晴天の予報も出て、雪の状態も良いだろうと思って、宿題を片づけるために出かけた。距離が少しあるため、早朝の堅雪を利用することにしたえ、前泊とした。  国道252号線から鳥海に通じる道に進み、すぐ先の分岐から桑原の集落内に進む。民家の間の細い道を奥まで進むと、鳥居の立つ三島神社があり、その脇には公民館があり、車を置ける広場になっている。雪融けも急速に進んでいるが、周囲の雪の状態をうかがうとたっぷりとあり、登山に問題はなさそうであった。  除雪はこの広場までで、スノ―シューを履いて歩き出した。この先には三島町営スキー場があるようで、スキーとスノーモービルの跡が続いていた。雪は締まっており、カリカリと音を立てながら快調に歩くことができた。  300mほど進むと、スキーゲレンデが現れた。ロープトゥやレストハウスも設けられた、思ったよりもしっかりしたスキー場であった。営業はすでに終わったようで、ロープも外されていたが、きれいな雪の斜面が広がっていた。  高みをめざして登っていくと、ゲレンデの中間部で、Y字状にコースが分かれた。右手に進むと、尾根沿いの登りになって、杉林の広がる台地に出た。南西に向かって進むと、雑木林の斜面が現れ、後は尾根沿いに登り続けることになった。最初の急斜面を登ると、雪に覆われた幅広の尾根歩きになった。  650.4mの小ピークに到着すると、目の前に高陣場の山頂を望むことができた。ここには三等三角点が置かれているが、点名は「高陣場」となっている。ここでの眺めからは、やはり地図に山名の書かれている813mピークの方が存在感を示している。  650.4mピークから尾根を辿っていくと、尾根の左に雪庇が張り出し、右側は雪が消えて土が現れるようになった。尾根の方向が変わったために雪の付き方が変化したようである。雪庇が割れて、藪に逃げて土の上を歩くような所も出てきたが、踏み跡があるような無いような、歩きやすい状態であった。  高陣場の山頂が近づいてくると、急登が始まった。雪が段々になって、迂回するのに苦労する所も出てきた。雪庇が崩れて、尾根の脇が崖になっている所も出てきた。この急坂を登りきると、高陣場の山頂に到着した。木立に囲まれて、尾根上の高まりといった地味な山頂であった。木立の間から洞厳山を眺めることができたが、山頂付近の斜面は、阿寺沢に向かって雪崩落ち、山頂直下の尾根の雪も落ちているように見えた。地図を見てもそう険しいところはないかと思っていただけに予想外であった。ここまで来て引き返すわけにも行かないので、洞厳山に向かうことにした。  尾根の方向が南西から西向きに変わると、飯豊連峰の眺めが広がるようになった。気温も上がってきて、この先に待ち構えているはずの難所さえなければ、のんびり春山を楽しめる状態になっていた。  山頂直下に辿りつくと、細尾根の雪が右手の阿寺沢に向かって崩れ落ちていた。上をうかがうと、ここさえ突破すれば、その先の傾斜は緩やかになりそうであった。尾根の左斜面は急ではあるが、雪原が保たれていた。この先はスノーシューでは無理なので、つぼ足になった。足が脛ほどまで潜るが、滑落防止のためには好都合であった。ピッケルは持ってきていなかったので、ストップを逆さに持って、雪に突き刺しながら登っていくことになった。斜面を少しトラバースしてから尾根上へと方向を変えた。しばらくは緊張の登りになったが、急な部分を越すことができた。山頂までは僅かな距離になったが、細い雪稜になっており、右側は踏み抜きの恐れがあるため、慎重に足を運んだ。  洞厳山の山頂は、三方から尾根が合わさってきて、一人が立つスペースしかない雪の高まりになっていた。ザックを下ろして休むのも危険なため、呼吸が整った所で、すぐに引き返した。  急坂を下って、さらに傾斜が緩くなって飯豊の眺めが広がるところまで戻った所で大休止にした。つぼ足では、短い距離しか歩けない状態であった。ただ、最後の急坂は、雪が堅く締まっていたら滑落が怖くて登れなかったはずなので、この日の条件は良かったことになる。  再びスノーシューを履いてから下山にうつった。雪も緩んで、行きは足が置けた所で腰まで落ち込むのも数度に及んだ。下りになると風景に目をやる余裕も出てきたが、只見川を挟んで向かい合う三坂山や黒男山を眺めることができた。  最後は疲れも出てきたが、長い歩きを終えて桑原の集落に戻ることができた。そろそろスノーシュー歩きも終わりで、ワカンの方が適した時期になってきているが、今回の山行は距離が長めのため、ワカンでは歩き切ることは難しくなったであろう。 ============================================================================ 15-20 3月29日 角田山 【日時】 2015年3月29日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 角田山 【山名・よみ・標高三角点・県名】  角田山・かくだやま・481.7m・二等三角点・新潟 【コース】 登り:灯台コース 下り:小浜コース 【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/角田山 【ガイド】なし) 【時間記録】 7:55 新潟発=(新新バイパス、新潟西バイパス、R.116、県道新潟・寺泊線 経由)=8:46 小浜登山口〜9:15 発―10:26 角田山―11:56 小浜登山口=(往路を戻る)=13:10 新潟  弥彦山と連なって日本海の波打ち際にたたずむ角田山は、佐渡弥彦国定公園に指定され、新潟市民の日帰り登山の山として最も親しまれている。角田山は、各方面から登山道が開かれており、変化に富んだ山歩きを楽しむことができる。四季を通じて登られている山であるが、特に春の雪割草の時期には、県外から観光バスを連ねて団体がやってくるようにもなっている。  天気予報が前日に変わって、雨は午後になってからということになった。半日の山ということで角田山に出かけることにした。花の盛りではあるが、土曜日が快晴だったので、人出はそう多くないはずである。  周回コースをとるため、小浜登山口から歩き出した。谷沿いのニリンソウは、まだつぼみであった。灯台コースへの連絡コースを登りだすと、蕾を開きかけたヒトリシズカの花も現れた。細尾根の横腹を登るため、急登が続き、灯台コースに合流する頃には息も上がっていた。前日のスノーシュー歩きの疲れが足に出ていた。  まずは、露岩帯も現れる急登を頑張る必要がある。梨ノ木平まで登ると傾斜は緩み、尾根脇のカタクリを眺めながらの歩きになった。人も少なく、登山道脇にしゃがみこんで花を撮るのも邪魔にはならない状態であった。  もうひと頑張りすると、小浜コースが合流した。今日の目的は春の花であったが、登山である以上は山頂を踏まなければならない。急いで山頂まで進んだ。角田山の山頂広場はあいかわらず賑わっていたものの、劇混みというほどではなかった。すぐに引き返したが、空が暗くなって雨粒が落ちてきた。様子をみようということで雨具は瑕に歩き続けたが、幸いこの後は下山まで雨は降らなかった。  浦浜コースに進むと、行き会う登山者は格段に少なくなった。この尾根のカタクリも見事で、途中で写真撮影のために足が止まった。天気がもっと良ければと思わないではないあが、前日に雪山を選んでしまったのだから仕方がない。   ============================================================================= 15-21 4月4日 弥彦山 【日時】 2015年4月4日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 弥彦・角田山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 弥彦山・やひこやま・634m・無し・新潟県 【コース】 雨乞山コースから妻戸尾根周遊 【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/弥彦 【ガイド】 なし 【時間記録】 8:20 新潟=(新新バイパス、新潟西バイパス、R.116、県道新潟・寺泊線 経由)=9:20 雨乞山入口〜9:45 発―11:15 弥彦山〜11:25 発―12:33 八枚沢登山口―雨乞山入口=(往路を戻る)=13:20 新潟  弥彦山は、越後平野の日本海際に、角田山や国上山と共にひとつの山塊を作る山である。山頂は、越後一宮として名高い弥彦神社の奥の院の置かれた弥彦山と、一等三角点の置かれた多宝山のふたつのピークに分かれている。山頂へのロープウェイや山岳道路によって観光地化が進んでいるが、一歩脇に入れば自然は良く残されている。  春の花を見に弥彦山に出かけることにした。弥彦山の花を見るには、八枚沢登山口から周回するのが良いが、問題の一つは、駐車場が混み合うこと。花の盛りには、早めに出かける必要がある。もう一つの問題は、雨乞山分岐に向かっての登り坂に雪割草が多いものの、朝早くだと花が充分開いていない。この問題を解決するため、弥彦スカイラインに進み、雨乞山への管理道入口付近から歩き出すコースを考えてみた。  八枚沢登山口への林道を通りがかって中をのぞくと、駐車スペースはまだありそうであったが、予定通りに通過した。猿ヶ馬場を過ぎて弥彦スカイランに入ると、雨乞山への管理道入口になる。駐車スペースを探したが、猿ヶ馬場との中間部にしかなかった。弥彦スカイラインは4月1日開通なので、早い時期なら猿ヶ馬場から歩き出しても、そう距離が長くなるわけでもない。  歩き出して縦走路に出ると、登山道の周囲はカタクリのお花畑が広がるようになった。ただ、週の半ばに本降りの雨になっていたため、花を拡大すると花びらに斑点ができており、マクロ写真撮影には向いていない状態であった。  しばらくは、小さなアップダウンがあり、下りの泥斜面では滑りやすい状態であった。登りの途中、下ってくる登山者にも多くすれ違った。  裏参道分岐からは、きつく感じる急な登りになる。妻戸尾根分岐の先の広場では、団体が座り込んで声高く宴会を行っていた。弥彦山の頂上に到着すると、登山者が多く休んでいたものの、静かな状態であったので、腰を下ろして大休止にした。  快晴の日になって、南の方向の守門岳や越後三山方面は霞んでいたが、大佐渡山脈や飯豊連峰、朝日連峰の眺めが広がっていた。鳥海山らしいピラミッド型の山頂を望むことができた。  妻戸尾根は、急な下りが続く。階段状に整備されているので滑る心配は少ないが、足に負担がかかる。雪割草は終わりで、主役はカタクリに変わっていた。他所からやってきたらしい団体とすれ違ったが、花の盛りが終わっていたものの、花を見て楽しんでいた。  八枚沢登山口に到着していつもなら登山は終わるのだが、雨乞山へと登りをもうひと頑張りすることになった。沢は増水しており、踏み石が水に沈んでいたので、足元に注意が必要であった。最後に登りを持ってくると、やはり体力的にはきつくなった。カタクリのお花畑の中を歩いて、登山を終えることができた。 ============================================================================= 15-22 4月5日 金毘羅山 【日時】 2015年4月5日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 雨 【山域】 新津丘陵 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  金比羅山・こんぴらやま・133.9m・三等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/村松 【ガイド】 なし 【時間記録】 8:40 新潟発=(R.49、茅野山IC、R.403、金津、丸田 経由)=9:15 五泉市森林公園駐車場〜9:28 発―9:57 金比羅山―11:00 五泉市森林公園駐車場=(往路を戻る)=12:10 新潟  金比羅山は、新津市と五泉市の境界に位置し、新津丘陵を横断する県道白根安田線に接する山である。東斜面一帯には、五泉市森林公園として遊歩道が整備され、山頂には、その名前と関係した琴平社が置かれている。  日曜日は雨。週末の二日続けて晴になることが少ない。ともかく雨の中でも歩こうということで金毘羅山に出かけた。  森林公園駐車場に到着してみると、何台もの車が停まっていた。この雨の中と思ったが、これはウォーキングのためではなく、陶芸教室にやってきた人のものであった。  雨具を着て傘をさして歩き出した。長靴だと、雨の中でも気楽に歩ける気がする。前回歩いていない、車道に進んだ。ひと登りすると、右奥に休憩小屋が建てられていた。尾根がすぐ上に近づいてくると、林道終点になった。林道終点から歩道が始まっていたが、これは下に向かっていた。金毘羅山の山頂へは、終点部から少し戻ってから尾根上に向かうことになる。  この先は先回も歩いたコースになる。尾根通しに歩いていくと、右手から遊歩道が上がってきた。このコースは前回歩いていないので、今回は山頂から戻ってきてこのコースに進むことにした。この先は、急な階段登りになる。登りついたピークが金毘羅山の山頂かと思ってしまうが、次のピークである。  急な階段を上り詰めると、金毘羅山の山頂に到着する。狭い山頂の周囲には、鎖の柵が巡らされている。山頂の琴平社の祠にお参りしてから、今回は来た道を戻り、尾根沿いの遊歩道に進んだ。  尾根沿いに下っていくと、左手の谷間に休憩小屋があるのが見えた。そこに下る道も設けられていたが、尾根沿いの道を先に進んだ。遊歩道は右手の谷に反れて、これを巻いていくうちに登りになった。かなり大回りになって、最後は最初の休憩小屋の脇に出た。車道に出てしまったので、これを下って、スタート地点に戻った。  遊歩道の走り具合がもうひとつ判らないので、ミズバショウの咲く谷間に進み、その奥の尾根を再度登った。ひと登りすると休憩小屋と山頂との分岐に出た。金毘羅山の山頂を目指すなら、今回下りに使った尾根道は、あまり利用価値が無さそうに思えた。  ともあれ、雨の中の歩きができたことに満足して家に戻った。 ============================================================================= 15-23 4月11日 要害山 【日時】 2015年4月11日(土) 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 朴坂山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  要害山(加護山)・ようがいさん・281mなし・新潟県  三ノ輪山・みのわやま・303.0m・四等三角点・新潟県 【コース】 平林城跡より 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条、小国/坂町 【ガイド】 なし 【時間記録】 8:20 新潟=(R.7 経由)=9:35 平林城跡〜9:55 発―10:33 首切清水―11:11 要害山―11:42 三の輪山―12:13 要害山―12:29 首切清水―12:55 平林城跡=(往路を戻る)=14:30 新潟  飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在も土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。  雨の中の歩きのため、要害山に出かけた。平林城跡の駐車場には、軽トラックが二台停められていたが、これは山菜採りのもののようであった。  平林城跡は、杉林が間伐されて見晴らしが良くなって、土塁などの地形がはっきり判るようになっていた。  幸い雨は止んでおり、長靴は履いているものの、傘はさす必要はなく、のんびり歩くことができた。馬洗場と首切清水には僅かながらミズバショウが咲いていた。スミレサイシンやナガハシミズレは咲いていたが、クタクリが全く見られないのは不思議であった。  首切清水からはいつものようにのろし山経由で物見山に向かった。この二つのピークは展望地であるが、雲が低く垂れ込めて、展望は閉ざされていた。物見山からはひと登りで要害山に到着。誰もいない山頂であったが、もう少し季節が進んでワラビが生えるようになると、結構登山者も増える。  冬の間は、ここで引き返すが、三の輪山まで足を延ばすことにした。館岩と呼ばれる岩も周囲が整備されて、以前よりも岩の積み重なり状態がはっきりしていた。一旦坂を下ると、川部への分岐である種松に到着する。ここからは三の輪山への急な登りになる。濡れた泥斜面が滑りやすく足元に注意が必要であった。  ひと汗かいて登った三の輪山の山頂は、木立に囲まれて展望は閉ざされている。縦走してみると、この先が深山幽谷の気配が漂って面白いのだが、今日はここで引き返すことにした。  要害山に戻ってからは、七曲坂経由で下山した。登山口まで雨には合わずに歩くことができたが、車を走らせると本降りの雨になった。花という点では期待外れであったが、雨の日になんとか山歩きができたので良しとしよう。 ============================================================================= 15-24 4月12日 三角点から湯蔵山 【日時】 2015年4月12日(日) 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 朝日連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  三角点・さんかくてん・576.5m・三等三角点・新潟県  元光兎山・もとこうさぎさん・717m・なし・新潟県  湯蔵山・ゆぞうさん・726.2m・三等三角点・新潟県 【コース】 畜産団地コース 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/越後下関 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:20 新潟=(R.7、新発田、R.290、R.113、小見橋 経由)=7:40 清原林道入口〜8:05 発―8:40 登山道入り口―10:20 三角点―11:25 元光兎山―12:15 湯蔵山〜12:20 発―13:00 元光兎山〜13:17 発―14:18 三角点―15:30 登山道入り口―15:55 清原林道入口=(往路を戻る)=17:20 新潟  湯蔵山は、関川村の荒川左岸に位置する山である。この一帯は、かつて修験道の山として開かれ、湯蔵山の西隣の元光兎山には、現在の光兎山祭祀以前には、本尊がここに置かれていたという飛来遷宮説もあるという。途中の576.5m三等三角点ピークは、地元では「三角点」と呼ばれ、ここまでは登山道が良く整備されており、ハイキングの山として知られるようになっている。  昨年5月5日の新緑の季節に湯蔵山を登ろうとした。しかし、「三角点 松平登山口」の標識が置かれているで畜産団地脇の登山口から歩き出したものの、登山道が見当たらなかった。その後、こうもり沢登山口から歩き出し、ようやく三角点に辿りついたところ、畜産団地脇の登山口に向かう登山道はしっかり続いていることを発見した。この登山道がどこに下り立つのかを確かめるため、湯蔵山へ向かうのは諦めて下山に移った。この時、三角点から先の登山道は笹が被っており、登るなら残雪期が良いかなとも思った。結局、畜産団地からの登山道は、麓近くで林道が合わさってきており、そこより下部は藪化していることが判った。アプローチの仕方が判ったので、残雪の季節に再訪することにした。  日曜日は晴天の予報が出た。近場の雪山ということで湯蔵山を目指すことにした。バイパスに乗ると、朝霧が濃くなって車の速度も控えめになったが、新発田近くで青空が広がった。  小見橋を渡ってから右折すると、吹の沢川の上流に向かう林道の入り口になったが、作業の車が行きかったのか、泥だらけの状態であったので、湯沢方面に進んでから畜産団地と「三角点 松平登山口」を経由して、77標高点近くのカーブ地点で車を停めた。  この日の装備は、アイゼンとピッケル、ワカンを持っていくことにした。結局のところ、これらの装備は使わず仕舞になったが、安全対策として持たないわけにはいかない。  農道を通って吹の沢川に通じる林道に出ると、すぐ先の77標高点で右手に林道が分かれる。これが登山口へ通じる林道である。地形図に記載されているものよりも先に延びている。しばらく車道と平行に歩くが、高みに向かうようになる。杉林の造林作業のための道で、左右に道が分かれるが、直進して高みをめざすことになる。ひと登りすると、林道を残雪が覆うようなところも出てきた。すでに車で通過できる厚さになっていたが、轍はできていなかった。足跡もないことから、このルートで歩いている者は最近はいないようであった。  広い空き地が現れると、ここが登山道入口になる。伐採された枝を注意しながら乗り越えていくと、尾根沿いに通じている登山道に乗ることができる。ここから下は藪状態になっているが、この上はしっかりした道が続いて、赤布も短い間隔で取り付けられている。 杉林を抜けると尾根沿いの登りになり、急坂を登りつめると、赤松に囲まれた小広場に出る。湯蔵川の谷奥に見えるのが湯蔵山のようであるが、まだ遠くにある。  ここで気になったのは、尾根に登りついた所で、南に向かう山道があったことである。下山時に前方を二人連れが歩いているのが見えたのだが、残雪の足跡から、途中で別な道に進んだようである。地形図を見ると、松平の畜産団地の東寄りの75m標高点から破線が延びており、これが続いているのかもしれない。  広場から尾根沿いに進むと、356m標高点の下でトラバース道になる。このトラバース道に大木が倒れこんでおり、上を越すのが危険な状態になっていた。大木の上には滑り止の切込みが入れられていたものの、木が古くなってぬるぬるしていた。前回の下山時には、ここを乗り越えたが、登り方向からだと足が出ない状態であった。良く見ると踏み跡があり、倒木の崖側を巻いて通過することができた。尾根に戻った所には尾根通しの道が通じており、下山時に歩いてみると、356m標高点を通ってトラバース入口に戻ることができた。  この先は急な登りが続くようになったが、ブナの大木も現れた。傾斜が緩んで台地に出ると、一面の雪原が広がるようになった。500m標高ほどでこれだけの残雪が現れるのは、さすが朝日連峰の端山ということができる。雪原に広がるブナ林の撮影のために足が止まるようになった。  幅広尾根を辿っていき、小山にひと登りすると三角点の山頂に到着した。登山道はトラバースして湯蔵山の分岐からひと登りすることになるが、雪の季節には直登することになる。三角点の山頂広場は雪が消えて土が現れていた。  三角点の山頂から湯蔵山をうかがうと、まだかなりの距離があった。体力的には問題はないが、時間の余裕はなさそうであった。もう少し早起きをするべきであった。  意を決して湯蔵山に向かって歩き出すと、二人連れの足跡が続いていた。どうやらこうもり沢から登ってきたようである。足跡の一つは小さいことから男女のようであった。短い間隔で赤布が付けられていた。雪原が続き、気持ちよく歩くことができた。小さなアップダウンがあったが、特に644mピークは帰りに苦労しそうな下りがあった。二重になった尾根を登っていくと元光兎山の山頂に到着した。山頂は雪原になっており、光兎山と頭布山の眺めが広がっていた。ゆっくりと眺めを楽しんでいたいところであったが、まずは湯蔵山を登り、引き返してからここで大休止にすることにした。  元光兎山からは、急斜面の下りになった。幸い雪がほどほどに柔らかいので、踵でキックを入れながら下れたが、凍結していれば滑落に注意が必要なところであった。急な下りは、四ツ坂とも呼ばれるように緩急の坂が続いている。最後の鞍部への下りは雪が消えて藪尾根になっていた。ここで、先行の二人連れとすれ違った。立ち話をすると、やはりこうもり沢から登ってきたとのことであった。旧登山口から登ろうとしたものの、道が見つけられなかったとも言っていた。登山道が廃道化しているのは仕方がないにしても、登山口の標識はなんとかしてもらいたいものである。  藪尾根には踏み跡が続いており、歩くのには支障はない状態であった。鞍部近くで右手の斜面の雪原に逃げたが、もう少し雪解けが進むと、ヤブコギモ必要になりそうであった。  鞍部からは幅広の雪原登りが続くようになった。下から山頂に見えていた高まりは尾根の張り出しで、山頂までもうひと頑張りする必要があった。苦労して辿りついた湯蔵山の山頂であるが、木立に囲まれてあまりぱっとしなかった。  時間の余裕もあまりないため、すぐに引き返すことになった。元光兎山への急斜面の登りは体力的にはきつかったが、キックステップのしやすい状態に助けられた。  元光兎山の山頂に戻って、展望を楽しみながら大休止にした。湯蔵山の山頂は、残雪期と藪山の時期の二度登ったので、これで充分ということにして、次回からは元光兎山を目指して登ることにしよう。  下山もそれなりに急いだが、やはり遅い時間に登山終了になった。   ============================================================================= 15-25 4月18日 品倉山 【日時】 2015年4月18日(土) 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 月山周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  品倉山・しなくらやま・1210.9m・三等三角点・山形県 【コース】 湯殿山有料道路入口 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/湯殿山/湯殿山 【ガイド】 なし 【時間記録】 4月17日(金) 15:10 新潟=(R.7、蓮野IC、R.113、荒川胎内IC、日本海東北自動車道、朝日まほろばIC、R.7、温海IC、日本海東北自動車道、鶴岡西IC、R.7、R.345、R.112 経由)=18:55 湯殿山有料道路入口  (車中泊) 4月18日(土) 5:35 湯殿山有料道路入口―6:47 細越―8:05 品倉山―8:55 細倉―10:00 湯殿山有料道路入口=(往路を戻る)=13:35 新潟  品倉山は、月山から西に延びる品倉尾根上にあり、湯殿山と向かい合う山である。登山道は無いが、北側の湯殿山スキー場からの山スキヤーが訪れることが多いようである。  昨年の5月4日に湯殿山有料道路入口から登ろうとしたが、この時は雪融けが進んでいたため、諦めて鶴岡周辺の低山歩きに予定変更してしまった。4月中旬ならまだ雪も残っているだろうと思って、宿題を終えるために品倉山に出かけることにした。  鶴岡を経て湯殿山有料道路入口までの道は、途中で高速道路の無料区間やバイパスができて近くなってきている。湯殿山有料道路入口の湯殿山ホテルは廃業されて、建物も荒廃が進んでいる。古びたホテルであったが、良い温泉であったので残念である。このおかげで、車中泊もしやすくなっている。  湯殿山有料道路は除雪が行われていたが、立ち入り禁止になっていた。旧国道は雪に埋もれていた。品倉山は、仙人沢の右岸に位置しているが、旧国道を西に進んでこの沢を越してから尾根に取りつくことにした。道路脇の雪壁も身の丈を越える高さで、雪はたっぷりとあった。  翌朝は快晴となり、自然に早起きになった。わかんにピッケル、アイゼンを持って歩き出した。雪は締まって、靴はほとんど潜らない状態であった。仙人沢を渡った先で、送電線の鉄塔の立つ尾根に取りついた。谷を少し進んでから尾根の横原を登りだしたが、キックステップもほとんど入らないのでアイゼンを装着した。尾根を辿っていき鉄塔下に出ると、急斜面の雪原になっていた。アイゼンの爪を利かせて急坂を登った。  鉄塔の先は、しばらく緩やかな登りが続いたものの、標高830m付近で傾斜が増したので、右手の尾根に回り込んでから登った。雪が柔らかければ、キックステップで直登できる傾斜であるが、この日は雪が堅いため、滑落の恐れが高くなっていた。  948mピーク付近から先は、ブナの大木が並んで、歩いていても気持ちの良い幅広尾根になった。仙人沢を見下ろすと、湯殿山神社の大鳥居が目に入った。尾根の前方には品倉山、仙人沢の対岸には湯殿山、谷奥には月山山頂の眺めが広がり、風景を楽しむためにしばしば足を停めることになった。  948mピークから緩やかに下っていくと、鞍部の細越に出た。ここは旧六十里越街道歩きで訪れてはいるが、ブナの大木が並ぶ雪原が広がって印象は全く違っていた。細越からひと登りすると、台地に出た。品倉山の山頂も近づいてきていたが、その手前には急斜面が待ち構えているようであった。  尾根の右手は崖状になって落ち込んでいるので、左よりから登り始めた。木が並んでいるので、根元を取り巻くドーナツ状の穴の縁でひと休みしながら登りを続けた。途中で急な所に行き当たり、ピッケルも取り出すことになった。先週の湯蔵山では、これくらいの傾斜はキックステップで余裕で登れたのだが、やはり標高の高い山は、難しくなってくる。  ピッケルを突き刺しながら慎重に登っていくと、品倉山の稜線部に到着した。幅広尾根であるが、藪も出てきていた。左右の崖では雪が落ち始めていた。湯殿山スキー場方面からの山スキーのシーズンは終わっていた。  幅広尾根が続いていたので、先に進んでいき尾根が狭まる所で足を停めたが、気が付かないままに品倉山の三角点部分は越していた。尾根の先には月山の山頂が広がっていたが、その手前の1281mピークが難所になっていた。1281mピークの両脇は急斜面になって落ち込んでおり、藪が出ていて、張り付いた雪も落ちかけていた。湯殿山の山頂も目の前に大きく広がっていた。振り返ると、赤見堂岳から岩見堂岳にかけて広がるなだらかな稜線も眺めることができた。腰を下ろしてゆっくりとしていた山頂であったが、風が強くて寒く、長居はできない状態であった。また鶴岡方面は黄砂で煙っていた。展望をひととおり楽しんでから下山にうつった。  急斜面を慎重に下ると、後はブナ林を楽しみながらの下りになった。  結局、品倉山では誰にも会わなかった。残雪期の登山としては、良い状態であったが、山スキーのシーズンは終わっているのが、静かな山の原因であったようである。品倉山は、アプローチの条件も良いので、もう少し早い時期にスノシュー歩きで登ってみたい。  車を動かして鶴岡に向かうと、強風とともに黄砂で視界も悪くなり、一旦家に戻ることにした。 ============================================================================= 15-26 4月19日 大峰山から櫛形山 【日時】 2015年4月19日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 櫛形山脈 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  大峰山・おおみねやま・399.5m・三等三角点・新潟県  櫛形山・くしがたやま・568.0m・二等三角点・新潟県 【コース】 登り:寺沢林道 下り:法印瀑コース 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条、新発田/中条、菅谷 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:30 新潟=(日本海東北自動車道、中条IC 経由)=7:10 貝屋駐車場 〜7:30 発―8:05 林道終点―8:33 展望台地―8:45 大峰山―9:43 法印瀑分岐―10:19 櫛形山〜10:33 発―11:10 法印瀑分岐―12:22 法印瀑入口―12:41 貝屋駐車場=(往路を戻る)=13:40 新潟  北は胎内川、南は加治川の間のおよそ13kmにわたって、日本海の海岸線に沿って広がる櫛形山脈は、日帰りハイキングの山として親しまれている。大峰山は、その南部の中心ともいえるピークであり、山頂手前には山小屋があることから、冬季も登られている。櫛形山は、山脈の最高峰で盟主の立場にあるが、ハイカーの人気では、大峰山に負けている。櫛形山の山頂付近には美しいブナ林が広がっており、日帰りの山としてもっと歩かれて良い山である。  品倉山で緊張感のある雪山を楽しんだので、翌日は新緑の山を歩くことにした。遠出もいやなので、大峰山から櫛形山まで歩くことにした。下山に使う法印瀑コースは、2010年12月23日に歩いているだけで、春の様子は知らない。  法印瀑コースから周回するため、奥には進まず貝屋の駐車場から歩き出すことにした。桜公園下の駐車場には、桜のお花見を兼ねた登山者が歩き出す準備をしていた。櫛形山まで歩くとなると時間もかかるため、寺沢林道を使うことにした。最近は寺沢林道を下りにばかり使っているが、歩いてみると傾斜もあって、結構息が切れた。S字カーブを抜けると、もうひと歩きで林道終点広場に到着する。数台の車がここまで入ってきていた。寺沢林道も完全舗装されており、ここまで車で入るのに問題はない。雨の日には、ここまで車で入って簡単に登山を済ますのもよいかもしれない。  登山道入り口からトラバース気味に登っていくと吉平観音の前に出て、その先は杉林の広がる台地になる。その先で東屋のある一本松展望台に出るが、ここから眺めることのできる橡平サクラ樹林の花は開花前であった。それでも望遠レンズを構えたカメラマンが光の状態が良くなるのを待っていた。この状態なら、出直した方が良いと思うのだが。  その先で九十九折になると、登山道脇がカタクリのお花畑状態になった。この斜面には残雪が遅くまで残っているため、遅い時期に花盛りになっているようであった。花の撮影で足が止まったが、もうひと登りで展望台に出た。前日の黄砂の影響は少なくなっていたが、遠くまでは見えない状態であった。  目的地はまだ先なので、そのまま大峰山を目指した。大峰山の山頂からも橡平サクラ樹林の広がる斜面の眺めが広がっている。大峰山の山頂から緩やかに下り、櫛形山への縦走路に進んだ。この先の稜線沿いには小さなピークが連続するが、多くはトラバース道になっており、体力を温存できる。地形図にはピーク越しに破線が続いているが、実際とは違っている。それでも谷を大きく巻いていく道は長く感じられた。ただ、カタクリの花が満開で楽しませてくれた。  法印瀑コースの分岐に出て、予定通りに櫛形山を往復してくることにした。櫛形山までの間には二つのピークがあり、この登りに汗を絞らされることになった。階段状に整備された坂を登ると大沢尾根コースとの分岐になり、櫛形山の山頂はすぐ先である。ここのブナ林は美しく、山頂を目の前にして写真撮影のために足を停めることになった。  櫛形山からは少しもやっていたが、二王子岳や飯豊の眺めが広がっていた。ベンチに腰を下ろして大休止にした。  法印瀑コース分岐への戻りは、間のピークを登り返すのに結構体力を必要とした。  法印瀑コースは、最初はトラバース道で始まったが、登山道脇をオオバキスミレの群落が埋め尽くしていた。カタクリも満開で、その他にミヤマカタバミも見られ、花の谷といった状態であった。九十九折の道を下っていくと、滝のかかる沢沿いの道になった。  下っていくと杉林の中のトラバース道になって、最後は砂防ダムの堰堤脇に出た。この先しばらくは荒れた林道歩きになり、吉平観音分岐からは車道歩きになった。  貝屋の駐車場に戻ると、満車で、続々と車が到着する状態になっていた。   ============================================================================= 15-27 4月25日 権ノ神岳 【日時】 2015年4月25日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 川内山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   権ノ神岳・ごんのかみだけ・1124.2m・三等三角点・新潟県 【コース】 橋立より 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/粟ヶ岳 【ガイド】 なし 【時間記録】 5:30 新潟=(R.49、亀田、R.403、加茂 経由)=6:30 松平橋〜7:00 発―8:06 林道終点―8:48 橋立―10:58 権ノ神岳〜11:25 発―13:05 橋立―13:40 林道終点―14:36 松平橋=(往路を戻る)=16:00 新潟  新潟平野の縁に沿って広がる粟ヶ岳から白山にかけて長く続く稜線は、新潟周辺で馴染みの深い山の風景になっている。白山の右隣りの宝蔵山のように、粟ヶ岳の左には権ノ神岳が寄り添っている。権ノ神岳へは、白山から縦走する他に、高柳あるいは小乙から橋立を経て縦走路を辿るルート、大俣川上流部から七頭に至る七頭登山道を使うルートが考えられる。登山道が整備されているにもかかわらず、隣の粟ヶ岳に比べて、権ノ神岳への登山者はほとんどいない。  近場で残雪の山を楽しむため、権ノ神岳に出かけることにした。夏道も利用するため、上高柳から橋立経由で登ることにした。  上高柳から林道に進み、尼池山方面の林道分岐の先の松平橋手前のスペースに車を停めた。この先は、通行止めの場合もあって、どこまで入れるのかは年によって異なる。結局は、青木滝分岐まで入ることができ、林道歩きが少し長くなってしまった。ピッケルとアイゼンも持ち、荷物は重くなった。さすがにワカンの季節は過ぎ去っている。  山菜取りで賑わっているかと思ったが、途中で三台ほどの車が停められているだけであった。青木滝分岐には車の進入防止の鎖が掛けれていた。林道には落ち葉や木の枝が落ちて荒れ方が目立つようになっていた。大きくカーブを描いてひと登りすると、林道分岐に出て、右手の林道に進む。ここには宝蔵山、権ノ神岳高柳登山道入口と書かれた標柱も置かれている。以前は、ここから登山道歩きが始まったのだが、現在は、新しい林道が出来ており、そのまま林道歩きが続くようになる。九十九折の道を登っていくと、新緑に彩られた笠峰の北斜面を眺めることができるようになる。以前は、歩いていても気持ちの良いところであったので、林道歩きになったのは少々残念である。  伐採地が広がるようになると、稜線も頭上に迫ってくる。水源保護のための植林なのかもしれないが、苗木はまだ細い。  林道の終点まで進むと、丸太で整備された段々が現れ、これを登ると、橋立と小乙との分岐に出る。以前あった笠峰方面の登山道は、完全に消えていた。小乙方面からの伐採道を使って無雪期にも笠峰の山頂には登れるが、笠峰からこの分岐までの稜線歩きができなくなったのは残念なことである。  この分岐から橋立までは意外に長く感じられる。残雪の上を歩く所も出てきて、沢を巻くような所では足元に注意する必要もあった。残雪の中に新緑のブナ林が広がり、写真撮影のために足が止まった。  橋立に到着して、権ノ神岳への登山道をうかがうと、しっかりと刈り払いされていた。歩いて判ったことだが、太い枝も切られており、昨年末に登山道の整備が行われたようであった。藪がうるさくなっている時期もあったので、今年は権ノ神岳から粟ヶ岳への縦走のチャンスかもしれない。分岐に置かれた登山標識には、「水源地、小乙集落下山口」と書かれたものもあったが、水源地からの登山道は、一度消えてしまっていたが、復活しているのだろうか。水源地からの登山道の偵察を行うよりは、自転車の利用の方が面倒がないかもしれない。  緩やかに登っていいって678mピークに到着すると、権ノ神岳や粟ヶ岳の眺めが広がった。権ノ神岳へ至る稜線を眺めると、白い残雪と茶色い地肌が混じっており、夏道もかなり使えるようであった。678mピークからは標高差60mほどの下りになる。夏道も使えて楽に下ることができたが、帰りは登り返しに息が上がることになった。  鞍部からは急な登りになった。雪原を登っていくと、一番急な所は夏道が現れており、楽をすることができた。この急坂を登りきると、ブナが点在する台地に出た。台地は二重山稜状態で地形が複雑であるが、迷うほどではない。再び細尾根に出ると、残雪歩きと夏道を交互に使うようになった。雪庇も落ちており、歩きやすい状態になっていた。  標高860m地点からは、再び急な登りになった。ここまではキックステップで足場が確保できていたが、途中で雪が堅いところも出てきたので、ピッケルを取り出した。ひと登りすれば傾斜が緩むようで、その先は夏道の歩きになりそうなため、ピッケルだけで通過することにした。ここの下りはアイゼンも使うことにして、この急坂の場所を記憶した。  急坂を突破すると、幅広尾根がカーブを描きながら権ノ神岳の山頂に続くのを一望することができた。もうひと頑張りと、気合を入れ直すことになった。権ノ神岳への最後の登りは再び急坂になるが、夏道を使うことができた。  権ノ神岳は、遠目にはドーム状に見えるが、狭い山頂を持っている。山頂一帯は雪が消えて、三角点も頭を出していた。粟ヶ岳への縦走路が下っていく先には、痩せ峰が連なる七頭を越した先に粟ヶ岳が堂々とした姿を見せていた。粟ヶ岳の右下には砥沢峰が寄り添い、避難小屋も見えていた。粟ヶ岳の左手には一本岳が鋭い山頂を見せていた。三角点の奥の雪原に出ると、川内山塊の眺めが広がっていた。  縦走路の下降点に腰を下ろし、粟ヶ岳を眺めながら大休止にした。誰もいない静かな山頂であったが、時折雪崩の音がこだましていた。  下りを開始して山頂下の雪堤を歩いていると、男女の二人連れとすれ違った。快晴の日にもかかわらず、この日は、権ノ神岳には三人が登っただけであった。白山は別にして、粟ヶ岳と比べても登山者は格段に少ない。  行きに記憶しておいた急坂をピッケルとアイゼンを使って下ると、後は宝蔵山や白山を眺めながらの快適な歩きになった。雪原の中の新緑がまぶしく輝いていた。  残雪と新緑を楽しむには、連休前のこの時期が良さそうで、恒例の山になりそうである。 ============================================================================= 15-28 4月26日 雷山 【日時】 2015年4月26日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 川内山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  雷山・いかづちやま・377.9m・三等三角点・新潟県  かやの木山・かやのきやま・380m・なし・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津、加茂/村松、越後白山 【コース】 永谷寺よりかやの木山を経て水戸野へ 【ガイド】 なし] 【時間記録】 8:20 新潟=(R.49、R.403、新津、五泉、村松 経由)=9:20 永谷寺〜9:32 発―10:25 雷山〜10:30 発―10:39 かやの木山―11:03 371mピーク―11:30 林道終点―12:05 永谷寺=(往路を戻る)=13:40 新潟  雷山は、早出川と仙見川に挟まれ、菅名山塊の不動堂山と白山に向かいあう、川内山群の入口にある山である。この山頂には雷城と呼ばれる山城が築かれ、早出川の対岸の福連寺山の福連寺城との間の争いにまつわる、「東光院物語」という、若君と姫君の悲恋の伝説が残されている。この伝説の舞台となっている麓の永谷寺(ようこくじ)には、「おぼと石」という伝説のまつわる史跡も残されている。最近、登山道が整備され、登山者も多くなってきている。かやの木山は、雷山の南に位置する山で、水戸野集落から延びる林道終点に至る登山道が開かれている。  残雪の山を堪能した翌日は、新緑の山を気楽に歩くことにした。雷山は、冬の時期の定番の山になっているが、それ以外の季節には登っていない。2010年12月に歩いたきりの、かやの木山を経て水戸野へ抜けるコースが現在どうなっているかを確かめるために出かけることにした。  周回を考えているため、永谷寺から林道に入った所のスペースに車を停めて歩き出した。林道をさらに進んだ先の登山者用駐車場には、一台の車が停められていた。春山の盛りになって他にも登れる山が多くなっているので、雷山の登山者は少なくなっているようである。  林道を歩いていき、一合目の分岐から尾根コースに進んだ。最初の九十九折は、前日の疲れもあって、きつく感じた。尾根沿いの登りになると、体も次第に慣れてきた。ベンチの置かれた見晴らし台に出てひと休憩。新潟平野方面の眺めは開けているが、不動堂山方面の眺めは葉の落ちた冬の方が楽しめる。杉林の中に続く尾根を登っていくとロープも取り付けられた急登になり、これを登り切ると、山頂下の台地に出る。カタクリ平と呼ばれるようだが、花は終わっていた。  最後の登りに取り掛かるところで、薪が置かれており、ボランティアで小屋まで運んでと書かれていた。小屋で休むわけでもないが、登山道整備のお礼も兼ねて、薪を二本持って上がった。小屋の脇には薪の山ができていた。小屋には誰もいないようであったが、山頂に上がると、男女の二人連れが休んでいた。  かやの木山は新緑に彩れれていたが、背後の白山や川内山塊の山々は残雪をまとっていた。ひと休みの後にかやの木山に進んだ。雷山からの急坂を滑らないように下ると、鞍部からは登り易い道になる。かやの木山の山頂には、石の祠のようなものがあるが、木立に囲まれて展望はなく、雷山の山頂も見えない。  かやの木山から先の登山道の状態を確かめるのがこの日の目的であったが、踏み跡は見牛わない状態であったが、進むのに灌木がうるさい所もあった。尾根沿いのために迷わずに進むことができたが、初めての歩きであると、進むのに躊躇してしまうかもしれない。途中で道がはっきりしてきたことから、雷山からの登山道と整備したものではないような気もする。  371mピークで踏み跡は、自然に北に向かって下っていくようになった。途中で杉林が広がるようになると、落ち葉で踏み跡が不明になったが、その先の雑木林の尾根に進むと、再び道ははっきりしてきた。  標高240m地点で、左に分かれる尾根に進んだ。直進する方向に自然に進んでしまうのだが、前回はこの先の伐採地で踏み跡を見失って引き返すことになった。前回下った尾根なのだが、鉈目は見られるものの、急坂を下るにつれて藪が濃くなっていった。最後はヤブコギ状態になったが、もし前回このような状態であったら、そのまま下ったであろうかと疑問も湧いてきた。  尾根を忠実に下っていくと沢の縁に出て、左手に回り込むと沢沿いの踏み跡に出ることができた。このすぐ先が、荒れた林道の終点となり、後は水戸野経由の車道歩きで永谷寺に戻ることになった。  最後の下りのヤブコギ状態については納得のいかないものがある。先回の引き返し地点からは、地図に記載されていない新しい林道までは標高差80mほどで、水平距離も200mほどである。現在のコースは、尾根をそのまま直進するように変わっているのではないだろうか。通い慣れた山ではあるが、また疑問が湧いてきた。 ============================================================================= 15-29 4月29日 鷹取山 【日時】 2015年4月29日(水) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 川内山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  鷹取山・たかとりやま・418.8m二等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/村上/柏尾 【コース】 南月山登山口 【ガイド】 なし] 【時間記録】 6:30 新潟=(R.7、蓮野IC、R.113、荒川胎内IC、日本海東北自動車道、村上山辺里IC、下渡大橋、鮭孵化場 経由)=8:00 南月山登山口―8:24 発―8:57 月山神社―9:50 鷹取山〜9:55 発―10:42 月山神社―11:10 南月山神社=(往路を戻る)=12:40 新潟  蒲萄山塊は、村上市の北の三面川河口部から県北に広がる大きな山塊であるが、一般的な山のガイドに取り上げられるのは、最高峰である一等三角点の置かれている新保岳くらいのものである。鷹取山は、その蒲萄山塊南部の山である。国道7号線で、三面川にかかる水明橋を渡る時に、正面に見える山であり、山頂にはパラポナ反射板が置かれている。  鷹取山へ三面川側からの林道から登れることを知って課題になっていた。雪消え後に登ろうと思っていたが、時期を逸して新緑の季節になってしまった。藪が濃いと難儀するかとも思ったが、出かけることにした。  日本海東北自動車道を下りて村上市街地を抜け、下渡大橋を渡ってから三面川の下流部に向かうと鮭の孵化場があり、その脇から始まる林道に進む。車のすれ違いにも支障のない舗装道路が続いていた。林道は度々尾根の末端部を横切り、その度に登山口はと目を凝らすことになった。一旦下り坂になった後、尾根を回り込んだ先に、法面に丸太の段々が整備された登山口が現れた。気が付いた時は通り過ぎており、しばらく進んだ先で車を方向転回させて戻った。カーブ手前の路肩スペースに車を停めた。ここからは登山道が見えないので、どうしても登山口を通り過ぎてしまうことになる。  4月末というのに夏日となり、長袖Tシャツでも暑すぎる状態であった。この後の連休の山の服装も考える必要がある。  登山口には、南月山登山口の標柱が立てられている。ここから鷹取山へのコースは地図を見て容易に判るが、この南月山がどこなのかは全く見当がつかない。それを確かめるのも登山の楽しみでもあるのだが。  最初は林道によって尾根が削られたために尾根の脇を登る急斜面であったが、ひと登りで尾根上に乗ることができた。思ったよりもしっかりした登山道が整備されていた。新緑のトンネルの中の歩きが続いた。304m点を過ぎて尾根沿いに登っていくと、370m標高点で月山神社の石碑が現れた。大正二年建立、大月区中とも書かれていた。大月は西の笹川流れ沿いの集落である。地形図には、大月から沢沿いに破線が続いており、参道が設けられていたようである。  この地点は、尾根沿いの僅かな高まりにしか過ぎないので、さらに先に奥宮のようなものがあるのかと思ったが、この先に宗教的遺構は見当たらなかった。  鷹取山までの中間部まで辿りついていないので、この先の山道の状態が心配になったが、しっかりした山道が続いていた。尾根の方向が東に変わり、村上市と朝日村との境界線に乗ると、その先のピークでマイクロウェーブの反射板の立つ鷹取山の山頂がようやく見えてきた。結構急な登りが待ち構えているようであった。ここまでは深山に相応しく静けさが広がっていたが、この付近からは東山麓を走る国道の走行音も聞こえるようになってきた。  ピークからの下りは、落ち葉が積み重なって滑りやすくなっていたが、驚いたことにロープが張られていた。笹の刈り払いも行われて、登山道として整備の手が加えられていた。  410mピークに登りついて鷹取山の山頂と同じ高さに辿りついたが、一旦下ってから登り返す必要があった。最後は急な登りになって、ロープの助けも借りることになった。  鷹取山の山頂は、マイクロウェーブの反射板が置かれており、その下に三角点が頭を出していた。残念なことに山頂は木立に囲まれて見晴らしはとざされており、僅かに村上方面が見えるだけであった。  山にはミツバツツジ、チゴユリ、シラネアオイが花盛りになっており、季節の移り変わりを感じさせてくれた。 ============================================================================= 15-30 5月2日 大力山から黒禿ノ頭、笠倉山  5月3日 長森山から六万騎山  5月4日 城が沢山から小貫木山 【日時】 2015年5月1日(金)〜4日(月) 前夜発3泊3日 各日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 2日:晴 3日:晴 4日:晴 【山域】 越後三山周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  大力山・だいりきさん・504m・なし・新潟県  黒禿の頭・くろはげのかしら・790m・なし・新潟県  笠倉山・かさくらやま・907.2m・二等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 高田、日光/小千谷、須原/小出、大湯 【コース】 宝泉寺より 【ガイド】 なし 【温泉】 湯沢岩の湯 400円 【山域】 越後三山周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  長森山・ながもりやま・538m・なし・新潟県  六万騎山・ろくまんきやま・321.0m・四等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/十日町/五日町 【コース】 六万騎山登山口より周回 【ガイド】 なし 【山域】 権現堂山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  城が沢山・じょうがさわやま・330.2m・三等三角点・新潟県  小貫木山・こつなぎやま・510.0m・四等三角点・新潟県 【コース】 林道権現堂北線より 【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/須原 【ガイド】 なし 【時間記録】 5月1日(金) 16:30 新潟=(R.49、R.403、黒水、R.290、森町、栃尾、R.290、R.252 経由)=7:10 小出  (車中泊) 5月2日(土) 5:50 宝泉寺―6:53 大力山―7:08 城山分岐―8:44 黒禿の頭〜8:50 発―9:38 笠倉山〜10:10 発―10:30 黒禿の頭―11:50 城山分岐―12:05 大力山―12:42 宝泉寺=(R.17 経由)=16:00 三俣  (車中泊) 5月3日(日) 4:10 三俣=(R.17、六日町、R.291 経由)=5:00 六万騎山登山口〜6:00 発―6:19 長森山登山口―6:49 地蔵ピーク―7:48 長森山〜8:20 発―9:55 六万騎山〜10:15 発―10:33 六万騎山登山口=(R.291、六日町、R.17、R.252、須原 経由)=14:00 林道権現堂北線入口  (車中泊) 5月4日(月) 5:45 林道権現堂北線入口―6:18 城が沢山―6:53 林道口―7:38 取り付き―7:40 小貫木山〜8:00 発―8:08 取り付き―8:48 林道口―9:30 林道権現堂北線入口=(R.290、栃尾、森町、R.290、黒水、R.403、R.49 経由)=12:00 新潟  小出町の南で魚沼川にそそぎ入る大池川の源頭部には、城山から大力山、黒禿の頭、駒の頭、トヤの頭を経て鳴倉山に至る稜線が環状に続いている。このうち、城山から黒禿の頭までの間と鳴倉山には、一般登山道があり、越後三山を望みながらの山歩きを楽しむことができる。小出町の最高峰である黒禿の頭の東には、広域基幹林道高石中ノ又線が通過しており、この林道を利用すれば短時間でこのピークに立つことができる。林道を挟んで黒禿の頭に向かい合うピークの笠倉山には現在は登山道が開かれており、山頂からは越後駒ヶ岳と八海山の大展望を楽しむことができる。  八海山の大崎登山道の三合目から南西に延びる尾根は、猿倉山、堂平山を経て六万騎山で終わる。長森山は、堂平山と六万騎山の間のピークで、地図には名前が記載されていないが、麓の集落の名前が山名として使われている。長森山への登山道に加えて、六万騎山への縦走路が整備されている。  城ヶ沢山と小貫木山は、下権現堂山から北に延びる尾根の末端部にあるピークである。現在では、小貫木山の山頂直下を林道権現堂北線が通過しており、城が沢山からこの林道への山道も通じている。  連休明けに海外旅行を控えているため遠出は行わず、近場の中越の山を登ることにした。まずは、小出の笠倉山を登ることにした。先回登った時は、充分な展望が得られなかったので、山頂からの展望を楽しむのが目的である。高速代を節約するのと早起きを避けるため、前夜に家を出た。  夜は小出の公園で過ごしたが、早朝に道の駅をのぞくと、駐車場は満杯になっていた。奥只見スキー場の客が夜を過ごしているようであった。最近は、道の駅も混み合って、過ごしにくくなっている。  小出側からの城山へのコースなど確かめたいところもあったが、一般的な宝泉寺から歩き出すことにした。宝泉寺から大力山へは、中部北陸自然歩道として整備されており、最近は人気が高まっており、冬の登山者も多くなっている。  三十三番観音の石仏を眺めながら登っていくと秋葉堂に出て、広場からは大力山の眺めも広がる。山は新緑に彩られていおり、残雪も僅かになっていた。送電線の鉄塔下を抜けると階段登りになって、尾根上の三叉路に出る。尾根道を進んだ七合目からは谷沿いの道と尾根沿いの道に分かれる。尾根道を登っていくと、八合目付近からは残雪の上を歩くようになった。初心者がハイキング気分で登ってくると緊張してしまうかもしれない。左手の尾根沿いの通じている登山道に乗ると、ひと登りで大力山の山頂に到着した。あずまやが置かれており、最高点は少し先であるが、ここが山頂とされている。残雪をまとった尾根の上に広がる越後駒ヶ岳、中ノ岳、八海山の眺めは素晴らしかった。1位時間程の登りでこれだけの眺めが広がるのは素晴らしい。  大力山から黒禿の頭にかけての稜線を眺めると、残雪もかなり残っていた。ただ、雪庇も落ちて、安定した雪堤が続いているようであった。先も長いことから、残雪を踏んで先に進んだ。尾根が細くなる所では登山道も出ており、快調に歩くことができた。  三叉路に出て、ここは左折。南斜面には杉林が広がっているが、林床は一面の残雪に覆われていた。三角点ピークを越えると、尾根沿いの登りが続くようになる。標高580m地点で、以前利用したこととのある「松の木尾根を経て芋赤に至る」コースが分かれるのだが、看板も無くなっており、道型も残雪の影響もあるのかもしれないが確かめることができなくなっていた。そこからひと登りした所が展望台とされており、「一の沢尾根を経て芋赤に至る」コースが分かれる。尾根沿いにはかすかな踏み跡が認められるが、ここを下るにはかなりの覚悟が必要になる。  その先のピークに出ると、その先は痩せ尾根が続くようになる。尾根上からは残雪も完全に消えており、安全に歩くことができた。シャクナゲの花も現れて、写真撮影のために足が止まった。黒禿の頭が近づくと尾根も広がって雪原の上を歩くようになった。ここからはもうひと頑張りで黒禿の頭に到着した。振り返ると、大力山から歩いてきた稜線を一望でき、達成感にも浸ることができる。以前は、ここが終点となって大休止になるところであるが、笠倉山まで登山道が整備されたとなると、まだゴールではない。大池川方面に通じる登山道を確認すると、刈り払いも行われて維持されているようであった。秋にでも周回に使って状態を確かめる必要がある。  黒禿の頭から登山道を先に進むと、すぐに林道が現れる。深い切り通しのため、階段を下って林道に下り立つことになる。切り通し付近は、舗装道路も現れていたが、すぐ先で残雪歩きになった。林道歩きで問題になるのは、雪の斜面が谷に落ち込んで滑落の危険性があることであるが、特に問題なく進むことができた。笠倉山からの尾根がすぐ上に迫り、地形図を見ると幅広尾根のようであったので、林道を離れて少し藪を漕いで尾根上に出たが、藪が広がっていた。雪原も刈り払い道も無かったので、林道に戻ることになった。新しく開かれた夏道がどこから始まっているのか、一面の雪原で見当が付かなかった。  笠倉山の西の肩に通じる尾根に雪が乗っていたので、ここから登ることにした。あと僅かで尾根上というところで雪が消えてしまった。戻るのも面倒なので、藪を突破することにした。すり抜けるのに力と時間を要するヤブコギモ10m程で尾根上に出ると、刈り払い道に出ることができた。  歩く者は少ないようで荒い刈り払い道であったが、ひと登りで笠倉山の山頂に到着した。前回は湿気が多くてもやっていたが、この日は絶好の展望日和であった。越後駒ヶ岳や八海山の眺めも、近づいたためか大力山よりも迫力を増していた。残雪は白く輝き、谷間の木々は緑に染まっていた。春山としてもっとも美しい瞬間を迎えていた。振り返ると、すっかり雪が消えた魚沼平野を見下ろすことができ、季節の進み方の違いを感じた。大展望を独り占めにして、大休止にした。  笠倉山からの下りは、できるだけ刈り払い道を辿ってみることにした。標高850m付近で雪原が尾根上まで続くようになって、この先は雪原を辿って林道に下った。下っていくと、足跡が登ってきて、途中で引き返していくのに出会った。刈り払い道が雪堤と藪に隠されて判りにくくなっていたので、諦めて戻ったのだろうか。黒禿の頭からの下りでは、三人の登山者とすれ違っただけで、連休中としては静かな山であった。  時間にも余裕があったので展望を楽しみながら歩いていたが、昼近くになると気温が上がってきて熱中症が心配な状態になってきた。五月連休頃の夏日は、体が暑さにまだ慣れていないので注意が必要である。大力山に戻って、本来ならばここでのんびりしていたかったが、水が残り少しになっていたので、そのまま下山を続けることになった。  二日目は、雁ヶ峰に登ろうと思って湯沢の三俣に入ったが、脱水症状気味で、途中のコンビニで買ったペットボトルのお茶もがぶ飲み状態であったため、この暑さの中でのロングコースは無理ということで、予定変更になった。他の山の準備をしていなかったので、歩き慣れた山ということで長森山に向かうことにした。  いつものように八万騎山の南側登山口近くの空き地に車を停めて歩き出した。しばらくは、長森山から続く稜線を眺めながらの車道歩きになる。長森山の登山口付近は、山菜採りが入って、藪の中でがさがさする音が聞こえていた。登り初めは杉林が広がって陰気な道であるが、雑木林に変わると、新緑が美しくなった。カタクリの花も終わっているのが少しさみしい感じであった。  長森山も六万騎山の支城であったようで、地蔵が置かれている小ピークの前後には、空堀の跡があり、登り下りに余計な体力を使わせてくれる。地蔵のピークから八海山の工場を見下ろしてひと息入れて、さらに尾根沿いの登りを頑張ることになった。高さを増すと、ピンクのイカリソウも見られるようになったが、花は終盤のようであった。  山頂が近づくと急坂となり、息も上がる。山頂手前の痩せ尾根も、良く踏まれて、以前よりも幅が広がった感じである。ここからひと登りで長森山の山頂に到着となる。  長森山の狭い山頂に腰を下ろし、魚沼平野や坂戸山に巻機山方面を眺めながらの大休止にした。  目の前の草むらを見ると、ワラビが何本も生えていた。登りの途中でもワラビを見かけていたが、ここだけでもひと握りはとれそうなため、ワラビをとっていくことにした。このおかげで、下山はワラビを探しながらの歩きになり、いつもとは違った歩きのペースいなってしまった。  下りの途中の崩壊地も、以前のロープを張った鉄杭は崩れ落ちてしまっていたが、藪際に踏み跡が付けられて安全に通過できるようになっていた。誰にも会わないまま歩き、分岐から六万騎山への登り返しに移った。ここからはピーク越えのアップダウンもあるが、空堀の通過に体力を使う。最後にロープにも頼って泥斜面の急坂を登りきると、山頂のいっかくに到着する。花の時期にはカタクリのお花畑になるが、葉っぱが広がるだけであった。  山頂のベンチに腰を下ろし、下山前の最後の休みにした。初めは数組の登山者がいるだけの静かな山頂であったが、トレイルランの30名程の団体が登ってきて騒々しくなってきた。話を聞いていると、コースもろくに把握していないようであった。軽装とも言えないような登山の装備無しであった。話を聞いていると長森山まで行くようであるが、水や食料は充分なのであろうか。ただ騒がしいだけであって、山の自然を楽しみに来たとは思えず、山中では出会いたくない一行であった。幸いすぐに先に進んでいってくれたが、下り口のロープ場で渋滞しているようで、人声がなかなか消えなかった。  静かになった山頂を後に、六万騎山を後にした。階段状の登山道が続き、低山であっても登ろうとすると結構体力が必要になる。途中で休憩しているグループともすれ違った。 この日も暑く、山歩きも終えることにした。とりあえず、六日町のブックオフに行き、古本を見てまわった。時間をつぶしながら移動し、三日目の小貫木山のため、須原近くの林道権現堂北線入口に移動した。  県道小出守門線は、抜け道として良く使われているが、この林道権現堂北線入口の先のトンネル部前後は冬季閉鎖になる。5月に入ったというのにかかわらず、現地に到着してみると、ゲートの先は雪に埋もれていた。道路脇の斜面の雪が落ちてきて道路をふさいでいた。斜面の雪が消えるまでは道路は開通しないようであった。ゲート前に車を停められるのは良かったが、小出方面から車が走ってきてはユーターンしていくのが度々見られた。夜中にここで寝ていると、迷いこんできた車に起こされそうであった。冬季通行止めの反対の松川側ならば、事情を知っている地元民だけなので、ゆっくりと休めるはずであった。須原側を迂回して、松川側のゲート部で夜を過ごした。  朝になって、再び林道権現堂北線入口に移動した。小貫木山へは、2001年1月26日に須川の集落からスノーシュー歩きで登ったが、今回は林道権現堂北線が山頂近くまで延びていることを知って、城が沢山と合わせて歩こうという計画である。地形図にも記されている林道権現堂北線の下部は、2007年3月17日の城が沢山のスノーシュー歩きの際に使ったことがあるが、その際に小貫木山近くまで延びていたかは知らないでいた。  林道権現堂北線は、入口のすぐ先で雪に埋もれていた。ここも脇の斜面から雪が落ちてきたためのようであった。細い谷間を抜けると、溜池があり、その脇から送電線の巡視路が始まっている。雪の残る杉林の中のジグザグ道であるが、幅もあるので見失わずに辿ることができた。尾根上に出ると、夏道も現れて気楽に歩くことができるようになった。すぐ先で送電線の下を抜け、緩やかに登っていくと城が沢山の山頂に到着した。中央部は草むらとなり、残雪もあって三角点は見つけることができなかった。山頂は三叉路になっており、向松川方面に向かってしっかりした刈り払い道が続いていた。地形図の破線道が生きているようであった。  城が沢山からは南に向かう山道に進む。少し藪っぽいが問題なく歩ける状態であった。緩やかに下っていくと、残雪に道が隠されるようになった。ただ、尾根沿いの歩きなので迷う心配は無かった。小ピークを越した後は登り坂となりさらにピークを越えた先が林道との出会いになる。切り通しは深く、林道に下りるには階段下りになるが、整備されてから時間が経って階段が崩れかかっている所もあって足場に注意が必要であった。  林道に下り立つと、目指す小貫木山に向かって林道が長々と延びているのが見えた。林道の残雪も谷側が融けて路面が出ているようであった。林道は尾根のすぐ下を巻くように続いていた。一ヶ所、路肩の斜面から崩れ落ちた残雪がブロック状に積み重なって、すり抜けるのに苦労する場面もあった。この林道は、斜面の雪が落ちた後でないと雪崩の危険が高そうである。  林道脇の法面は高さもあって、山に取り付ける所は限られていた。小貫木山の山頂下を通り過ぎ、北東に延びる尾根に回り込んでいくと、杉林が広がっており、ここから山頂に向かって取りつくことができた。林道の先は確かめなかったが、尾根を巻いた後、名平尾沢源頭近くまで延びている林道につながっている可能性がある。  残雪を辿って尾根上に出たが、杉林の中は下生えは少なく、夏の時期でも歩くのは簡単そうであった。尾根沿いは、植林地の縁になって刈り払われ歩きやすくなっていた。残雪と土の上を歩いていくと、ヤブコギも無く小貫木山の山頂に到着した。山頂の三角点を確かめることができたが、その周囲は木立に囲まれて展望は閉ざされていた。少し先に進んで雪原に出ると、守門岳の眺めが広がった。雪が消えてから林道に車を乗り入れれば簡単に登れる山頂であったが、白く輝く守門岳の眺めは残雪期ならではのものである。  帰りは、林道をそのまま辿って、車に戻った。帰りは、守門岳の眺めを楽しむことができ、楽しい歩きになった。 ============================================================================= 15-31 5月6日 宝蔵山 【日時】 2015年5月6日(水) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴れ 【山域】 白山・粟ヶ岳山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   尼池山・あまいけやま・462m・なし・新潟県  宝蔵山・ほうぞうざん・897.1m・三等三角点・新潟県 【コース】 上高柳口より周回 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/越後白山 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:10 新潟発=(R.49、亀田、R.403、加茂 経由)=7:10 松平橋〜7:30 発―8:05 鉄塔―8:23 尼池山―9:41 宝蔵山〜10:15 発―10:50 橋立―11:18 林道終点―12:08 松平橋=(往路を戻る)=13:20 新潟  宝蔵山は、白山の隣りに寄り添う山で、粟ヶ岳へ至る稜線上のピークである。縦走路以外に、上高柳あるいは小乙から橋立経由、さらに中大谷から尼池山経由のコースがあり、現在ではいずれも登山道が良く整備されているにもかかわらず、宝蔵山を訪れる登山者は少ない。  連休最終日、近場の山ですませることにして、4月25日に権ノ神岳を登った際に気になった隣の宝蔵山を登ることにした。こちらの山でも登山道の整備が行われているかを確かめたかった。  先回と同じに松平橋手前の空き地に車を停めた。休日とあって山菜取りが多く入っているかと思っていたが、数組が入山していただけであった。少し戻って、尼池山の西を通過する送電線鉄塔に続く林道に進んだ。舗装された林道であるが、見た目よりも傾斜はきつく、歩き初めから息がきれた。  じと汗かいて、中越幹線の鉄塔脇の林道終点に到着。ここから登山道歩きになる。しばらくは、林道跡のような幅広の登山道が続いている。大きなS字カーブを描いて尾根上に戻ると道幅も次第に狭くなってくるが、登山道脇もしっかり刈り払いが行われていた。  尼池尾根の標識を見ながらほぼ平坦な道を進んでいくと、地形図に書かれている尼池山に到着するが、標識も無く、GPSでも見ながら歩いていないと判らないで通過してしまう。  前宝蔵下・旧炭焼場跡の標識を見ると、急坂が始まる。先回歩いた2012年10月の時はススキや藪がうるさかったが、今回は刈り払われてきれいな道が続いていた。急坂を登りきると尾根沿いの道になり、左下に谷を見下ろす展望地が現れる。ドーム状の宝蔵山の山頂も見えてきて登山意欲も高まってくる。  前宝蔵山下のトラバースに入ると、残雪も現れて、登山道が切れ切れに続くようになった。前方からひと声がしたと思うと、5名ほどのグループに追いついた。中大谷登山口から登ってきたようである。トラバースが終わって最後の急坂が始まったところで、このグループを追い抜いた。最後の部分では、足に灌木の枝が触れる状態で、刈り払いは行われていないようであるが、道型はしっかりしているので問題はなかった。  傾斜が緩むと残雪の上を歩くようになった。山頂手前では、遮るものの無い白山方面への稜線の眺めが広がっており、写真撮影のために足が止まった。宝蔵山の山頂部は雪が消えて、三角点が頭を出していた。  山頂は木立に囲まれおり、追い抜いたグループが到着すると騒々しくなるため、先に進んでから大休止にすることにした。、橋立への下り口に進むと、雪原が広がり、権ノ神を従えた粟ヶ岳の眺めが広がった。これまでは、宝蔵山は展望は期待できない山と思っていたので、発見であった。大展望を独り占めにして休むことができた。  橋立への登山道は、初めは残雪に覆われている所もあって注意が必要であったが、赤布も取り付けられており、そう難しい下りではなかった。気になっていた登山道も、幅広に刈り払われていた。  橋立に到着すれば、この先は記憶も新しい道である。先回見られた残雪もすっかり姿を消して、緑も濃くなっていた。  縦走路の整備も行われたことから、橋立から粟ヶ岳にかけての縦走を秋には行ってみることにしよう。 ============================================================================= 15-32 5月23日 袴腰山 【日時】 2015年5月23日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 下田周辺【山名・よみ・標高・三角点・県名】  高城・たかじょう・370m・なし・新潟県  袴腰山・はかまごしやま・526.1m・三等三角点・新潟県 【コース】 高城より最明寺へ 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/森町、粟ヶ岳 【ガイド】 なし 【時間記録】 5:50 新潟=(R.49、茅野山、R.403、加茂、七谷、R.290、上谷地、森町 経由)=6:50 院内原遺跡〜7:03 発―7:13 高城登山口―8:30 高城―9:00 袴腰山―8:16 見返しの丘〜9:30 発―9:59 追分の松―10:24 砂防ダム登山口―10:48 院内原遺跡=(往路を戻る)=12:00 新潟 袴腰山は、粟ヶ岳から東に延びる尾根の末端部に位置する山である。袴腰山への登山道は、長禅寺からと八木鼻からのコースが主に利用されている。特に長禅寺から高城を経由する登山道は「ひめさゆりの小径」として、5月中旬から下旬にかけては、地元開催の祭りも行われ、ヒメサユリ見物のハイカーで賑わう。  バルト三国旅行に行っており、山の季節感がなくなっていたが、テレビでは袴腰山でヒメサユリが咲き始めこの週末が盛りになると放送していた。今年は、1週間開花が早まっているという。大混雑必至であるので、早朝登山を行うことにした。幸い、時差ボケもおさまっておらず、早起きには問題なかった。  いつものように長禅寺脇の駐車場から八木鼻方面に進んだところの空き地に車を停めた。ここには、新しく院内原遺跡という看板が置かれていた。朝のコーヒーを飲んでいる間にも、登山者のものなのか、道路を行き来する車は多かった。  車道を戻って長禅寺脇の駐車場に戻ると、早朝にもかかわらず、かなりの車がとまっていた。車道を登山口に向かう間にも、下山してくる登山者にすれ違う状態であった。ヒメサユリ祭り期間で、整備協力費を徴収することになっていたが、時間が早かったため、スタッフはまだいなかった。  登山道に入ってひと登りすると、ヒメサユリの花が現れて、花の撮影をしながらの歩きになった。太陽の光が当たっている場所はまだ少なく、撮影条件としてはもう少し後の方が良さそうであった。花は沢山咲いてはいるものの、花の角度の問題もあって、撮影に適した花を探すのに目をこらず必要があった。花の撮影を行う間にも、多くの登山者が追い越していった。  高城が近づいてヒメサユリの花が少なくなると、歩く人も格段に少なくなった。気温は上がって、高城への急坂に汗が噴き出てきた。高城でカメラをしまって、登りに専念することにした。高城から鞍部への下りの部分にもヒメサユリの花が見られるのだが、ここの花はまだであった。袴腰山は低山ではあるものの、急坂には体力を振り絞ることになる。 袴腰山の山頂はヤマツツジが花盛りになっていた。山頂部には休むのに適当な日影が無かったので、いつものように急坂を下ったところの見返しの丘で休むことにした。袴腰山からの急坂も、ステップが明瞭になっており、歩きやすくなっていた。  追分の松からは最明寺登山口に向かった。途中から、藪がうるさくなってきた。沢が近づくと、砂防ダムの脇に下り立った。この先は最明寺方面には進まず、工事道路を歩いて車道に出た。どうも砂防ダムの工事によって、最明寺からの登山道は整備が中断されているようであった。ここから登るには注意が必要である。  院内原遺跡の駐車スペースに戻ると、他の車も停まって満杯状態になっていた。車を走らせて長禅寺脇の駐車場前を通過すると、大駐車場も満杯になって、空き待ちの車の列が続いていた。ヒメサユリ祭り期間中には、早朝登山を行うしかないようである。 ============================================================================= 15-33 5月30日 荒川山 【日時】 2015年5月30日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 五頭山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  コマタ・こまた・630m・なし・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新発田/天王、上赤谷 【コース】 花ノ木平コース登山口より周回 【ガイド】 新潟日帰りファミリー登山(新潟日報社) 【時間記録】 6:40 新潟=(R.7、豊栄、月岡、荒川、剣竜峡 経由)=7:35 剣龍峡登山口〜7:55 発―8:11 奥の院―9:08 焼山―9:58 コマタ〜10:20 発―10:48 穴マクリ展望台―11:16 花ノ木平―11:40 花ノ木平コース登山口―12:10 剣龍峡=(荒川、R.290、出湯、水原、R.49 経由)=13:10 新潟  最近の登山ブームもあって、松平山から五頭山、菱ヶ岳、宝珠山に至る縦走路がつながっているが、松平山以北は、手つかずであった。2005年の秋に、荒川集落の奥の荒川川源頭部に登山道が開かれた。荒川山登山道と呼ばれているが、最高点は地図には名前の記載されていないコマタ(630m)である。  五月中にもかかわらず、30度近くの暑さがおそってきた。海外旅行の疲れも消えていないので、近場の山を考え、荒川山へ出かけることにした。剣龍峡登山口からの周回は、2005年11月以来歩いていない。  荒川の集落から剣龍峡に進むと、路上駐車の車が現れたが、バードウォッチングを行っているようであった。トイレ脇の駐車スペースに車を停めて歩き出した。  剣龍峡登山口の標識に従って橋を渡り、あずまやの脇から尾根に取りつく。ここには奥の院へという標識が置かれていたが、荒川山とかコマタとは書かれていないので、少し不安になる。ロープも張られた細尾根の急登がいきなり始まる。朝のうちから気温も上がっており、体力をセーブしながら登ることになった。  急登がひと段落すると、祠が置かれた奥の院の台地に出た。この先は、緩急を繰り返す登りが続くようになった。木立に囲まれた登山道であったが、木陰が続くのがありがたく感じられた。  細尾根に出ると、二王子岳と飯豊連峰の眺めが広がったが、その先の焼山(539m)に出ると、二王子岳から金鉢山までの遮る物の無いパノラマが広がった。金鉢山は正面に大きく広がっているが間に谷が入り込んでおり、この先の登山道のつながり方が判らなくなっていた。  焼け山からは一旦下りになり、尾根沿いに進んでいくと右手に沢が沿うようになった。登りに転じて小ピークに出ると、カツラノマの分岐になり、その先で尾根が切られて右手から流れてきた沢が左に落されていた。沢に一歩踏み込んだところから梯子を登り、尾根に戻った。ここからはもうひと頑張りでコマタに到着した。  登山道が開かれた2005年当時は、賑わっていた山頂であったが、この日は誰もいない山頂であった。東側には内の倉湖越しに飯豊連峰の眺めが広がっており、西側には月岡温泉を中心とした新潟平野の眺めが広がっていた。腰を下ろして大休止にした。  グループが登ってきたところで入れ違いに下山にうつった。コマタから下っていくと崩壊地脇に出て、その脇をひと登りすることになる。穴マクリ690mピークに出ると、二王子岳と飯豊連峰の絶好の展望台になっており、雪の時期の写真が掲示してあった。初冬の時期に、展望狙いで登るのも面白そうである。  穴マクリから先も小さなアップダウンがあり、結構疲れるコースである。花の木平は、尾根沿いの地点で、なぜ平と呼ばれるのか判らない。ブナ林の中を下っていくと、林道に飛び出して、あとは車道歩きになる。この車道歩きは、ショートカットコースができたおかげで、以前よりも少し時間は短くなった。 ============================================================================= 15-34 6月6日 たきがしら湿原 【日時】 2015年6月6日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 雨 【山域】 御神楽岳周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  たきがしら湿原・たきがしらしつげん・474m・なし・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢/安座 【コース】 かもしか歩道 【ガイド】 なし 【時間記録】 8:25 新潟=(R.49、上川、七名 経由)=10:20 たきがしら湿原―10:55 発―11:48 林道―12:25 たきがしら湿原=(往路を戻る)=14:50 新潟  たきがしら湿原は、会越国境近くにあり、かつてはたきがしらという集落があったが昭和51年に全戸が集団移転し、その放棄田を自然公園として整備したものである。春から夏にかけて湿原の花を楽しめるのと同時に、かもしか歩道と呼ばれる遊歩道も整備されている。  たきがしら湿原は、近くの井戸小屋山を登った際に訪れていたが、最近湿原に敷かれた木道に加えて遊歩道が整備されたようなので、出かけることにした。梅雨入りを思わせる雨になったが、雨の中でも花が見られるのを期待した。  たきがしら湿原は、津川の町から山間に進んだ後結構長い。七福温泉前からジグザグの山道が始まるが、道自体は良い。  久しぶりのたきがしら湿原であったが、休憩所や駐車場の整備は思ったよりも進んでいた。歩き出そうとすると本降りの雨になって、しばらく車の中での待機になった。小降りになったところで、雨具に傘で歩き出した。湿原の花は後回しにして、まずは遊歩道に進んだ。  湿原の西に向かって延びる林道に進むと、かもしか歩道の入り口にでた。林道をそのまま進むコースは、学習の森散策路ということになっている。かもしか歩道は、急な所では丸太の段々も設けられて、歩きやすい道であった。林道の西に延びる尾根上に出るが、小さなアップダウンもあって、それなりの足慣らしになった。登山道周囲には、美しいブナ林が広がっていた。474m点が近づくと、南西側の展望が開け、スラブになった岩壁を眺めることができた。目の前のピークは、787.7mの無名峰のようであるが、印象的な眺めであった。展望地のすぐ先で林道に下り立ち、あとは林道歩きで湿原に戻った。  湿原は、ヒオウギアヤメとニッコウキスゲ、コウホネが花盛りになっていた。林道脇にはヒメサユリも咲いており、水滴が乗った花を楽しむことができた。  たきがしら湿原は、時期を変えて花を見に出かける必要がある。 ============================================================================= 15-35 6月7日 二王子岳 【日時】 2015年6月7日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 二王子岳 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  二王子岳・にのうじだけ・1420.3m・二等三角点・新潟県 【コース】 二王子神社より 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/飯豊山、新発田/二王子岳、上赤谷 【ガイド】 アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「飯豊山」(昭文社) 【時間記録】 4:30 新潟=(R.7、新発田、上羽津、南俣 経由)=5:25 二王子神社〜5:47 発―6:20 三合目(一王子)―7:14 五合目(定高山)―8:00 七合目(油こぼし)―8:40 二王子岳〜9:00 発―9:35 七合目(油こぼし)―10:16 五合目(定高山)―10:41 三合目(一王子)―11:27二王子神社=(往路を戻る)=12:50 新潟  二王子岳は、日本海側に位置する飯豊連峰前衛の山である。二王子岳は、信仰の山として登山道も良く整備され、新潟周辺でも健脚向けとして人気の高い山となっている。この山の一番の魅力は、山頂からの飯豊連峰の大展望である。  土曜の雨とうって変って、日曜日は晴になるという。展望を楽しめる山として、二王子岳に出かけることにした。二王子岳は、家から近いにもかかわらず、前回登ったのは2006年3月25日なので、かなりの時間が経ってしまっている。出かけるのが億劫になる原因は、登山口までの林道が細いことと、人気の山とあって、早い時間に駐車場が満杯になってしまうことである。混雑を避けるために、4時起きで出かけることにした。  南俣から林道に進むと、先行の車を追いかけるようになった。駐車場には、早朝にもかかわらず何台もの車が入っていた。車のナンバーを見ると、県外の車が目立っていた。歩き出して二王子神社の境内に移ると、ここの広場にもかなりの車が停められていた。  歩き初めは、杉林の広がる谷間を辿ることになる。尾根に取りつくと、ようやく一合目の標識が現れる。しばらくは、急な登りが続く。以前よりも登山道の整備が進んでいる感じあるが、丸太の階段登りが多くなって、足の負担が多くなったように思う。  神子石、二合目の水場を過ぎて、もうひと頑張りすると、傾斜も緩んで三合目・一王子に到着した。気温も低く、体力にも溶融があったので、そのまま通過した。  この先は、トラバースの後に尾根上に向かっての急登を繰り返すことになる。五合目の定高山を過ぎると、谷が入り込んだ所に残雪が見られるようになった。七合目・油こぼしも、右側の溝にコースが造られて登りやすくなっている。ただ、団体に巻き込まれると、順番待ちで手間取ることになりそうであった。八合目のお花畑付近は残雪に覆われており、トラバースと短いものの下りになっており、足元に注意が必要であった。下山時には、残雪上に滑った跡があり、登山経験が乏しい者も登ってきているようであった。  二王子岳山頂の小屋が見えるようになると、雪原の上に出て、南側の展望が広がった。五頭山塊、白山・粟ヶ岳、守門岳、御神楽岳が近くに見えており、遠くには越後駒ヶ岳と中ノ岳、燧ケ岳も見えていた。飯豊連峰の眺めを楽しみに、最後の登りにとりかかった。 二王子岳の山頂は、まだ早い時間とあって、登山者も10人ほどですいていた。期待通りの飯豊連峰の大展望が広がっていた。えぶり差岳から北股岳を経て大日岳に至る稜線を目で追うことができる。飯豊連峰の左には朝日連峰も眺めることができた。二王子岳は、飯豊連峰を端から端まで眺めることのできる展望台としては一番かもしれない。  下りにかかると、登山者にも多く出会うようになった。ただ、コースの距離が長いため、登山者の間隔は開いており、混雑した山という感じはなかった。  昼前の下山になったが、駐車場は満杯で、林道まで路上駐車の車があふれていた。やはり二王子岳へは早起きをして出かけるしかない。   ============================================================================= 15-36 6月13日 稲包山  6月14日 唐松山 【日時】 2015年6月12日(金)〜14日(日) 各日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 13日:晴 14日:曇り 【山域】 谷川連峰 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   西稲包山・にしいなづつみさん・1570m・なし・新潟県、群馬県  小稲包山・こいなづつみさん・1560m・なし・新潟県、群馬県  稲包山・いなづつみさん・1597.7m・三等三角点・群馬県 【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/四万/三国峠、四万 【コース】 三国スキー場跡より 【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「谷川岳・苗場山・武尊山」(昭文社) 【山域】 越後三山周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   唐松山・からまつやま・1079.3m・三等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/須原/大湯、須原 【コース】 手ノ又登山口より 【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、新潟日帰りファミリー登山(新潟日報社) 【時間記録】 6月12日(金) 14:00 新潟=(R.49、R.403、黒水、R.290、森町、栃尾、R.290、R.252、小出、R.17 経由)=19:00 二居  (車中泊) 6月13日(土) 5:25 三国スキー場跡―5:58 丸木橋―6:41 三坂峠―7:40 稲包山〜8:15 発―9:08 三坂峠―9:39 丸木橋―10:15 三国スキー場跡=(R.17、小出、中子沢 経由)=15:00 手ノ又登山口への林道途中  (車中泊) 6月14日(日) 5:00 手ノ又登山口への林道途中―5:13 手ノ又登山口駐車場―5:45 滝見台―6:33 稜線分岐―7:18 いっぷく平―7:42 猫岩下―8:23 唐松山〜8:40 発―9:12 猫岩下〜9:22 発―9:40 いっぷく平―10:19 稜線分岐―10:53 滝見台―11:12 手ノ又登山口駐車場―11:25 手ノ又登山口への林道途中=(中子沢、R.252、R.290、栃尾、森町、R.290、黒水、R.403、R.49 経由)=14:00 新潟  小出の北側に位置する権現堂山は、中越地方のハイキングの山として人気の高い山になっている。しかし、その峰続きの唐松山は、登山道が整備され、標高もより高く、きれいな三角形をした山頂からは、守門岳、浅草岳、毛猛山塊、越後三山などの360度の展望が楽しめ、山頂手前には猫岩というスリルの味わえる岩場もあるが登る者は少ない。1  稲包山は、谷川連峰の西端の三国山と白砂山の間に続く上越国境から、わずか南に外れた群馬よりにある山である。ピラミダルな山頂を持ち、里人の信仰の山として開かれてきた。四万温泉と法師温泉を結ぶ赤沢林道を経由して登るのが普通であるが、稲包山の東面の送電線巡視路を下山路にとるコースも利用されている。さらに、三国峠から三国スキー場跡に至る県境稜線縦走路も整備され、その途中で稲包山を登ることができるようになった。  梅雨のさなかにもかかわらず晴れ間が巡ってくるようなので、遠出することにした。谷川連峰の山を考えて、平標山か稲包山にするか迷いながら車を走らせた。いつものように、二居で夜を過ごし、翌朝車を走らせた。平標山の元橋登山口に到着してみると、4時過ぎの早朝にもかかわらず、かなりの車が停まっているのが目に入った。ハクサンイチゲなどの花の盛りということで、大勢の登山者が訪れているようであった。この混雑度を見て、稲包山に向かうことにした。  苗場スキー場入口から国道353号線に進む。国道といっても林道並みの道幅である。奥にあった三国スキー場も廃業されて、道の荒廃が進んでいるようであった。車道は三国スキー場跡で終わるが、ゲレンデ跡は唐松なのか植林地に変わっていた。先回訪れたのは、2008年9月29日でかなり時間が経っており、スキー場の施設は完全に撤去されていた。駐車場も無くなっていたが、車を停める路肩スペースは充分にあった。  道の延長方向に歩いていくと、この先通行止めの道路標識があり、その下に稲包山への登山道標識が置かれている。しばらくは沢沿いの歩きが続く。以前見られた林道跡の痕跡も薄らいで、少し草が覆い気味の登山道に変わっていた。枝沢の黄蓮沢の標識脇にはベンチが設けられているが、雪によるものか壊れていた。  丸木橋入口の標識を見ると、沢に向かっての下りになる。丸木橋は2008年9月の段階で流されてしまっとり、ガランノ沢の渡渉になる。流れの中に石が積まれており、靴底を濡らす程度で渡ることができた。ただ、増水すると渡渉が困難になるかもしれない。  対岸に渡ると、すぐに尾根の登りが始まるが、ひと登りしたところで涸沢を横断して東側の尾根に取りつく。この先しばらくは急登を頑張ることになるが、尾根上に出ると、傾斜も緩んでひと息つくことができる。尾根が広がってブナ林が見られるようになると、県境稜線に出る。東に方向を変えて僅かに下ると三坂峠に出る。三坂峠は、三国峠よりも古く、ここが、上野、越後、信濃の三国の境界であったようである。群馬県側に四万川の谷間が広がっているが、道型は見られない。なお、ここの標識は倒れており、もし雪で流されてしまうと、三坂峠の位置が判らなくなるので、再設置が望まれる。  ここからは、稜線歩きになるが、まずは西稲包山への登りに汗を流すことになる。西稲包山からは、岩とシャクナゲの木の根を足がかりにする急な下りになる。続いて小稲包山への登りになる。先回は笹がうるさい状態であったが、昨年あたりに刈り払いが行われたようで歩きやすくなっていた。  小稲包山に出ると、稲包山は目の前に近づいている。県境稜線を辿った後に縦走路から別れて群馬県側の登山道に進むと、ひと登りで稲包山の山頂に到着した。当然ながら誰もいない山頂であった。稲包山の山頂には石の祠が置かれているが、群馬百名山の標柱も立てられていた。  この日は薄雲が掛っていたが、三国山から大源太山、平標山を経て仙ノ倉山に至る稜線を眺めることができた。西に広がる稜線の先には、上ノ倉山、忠治郎山、上ノ間山、白砂山といった2000m級の山が連なっているが、それぞれの山頂を見分けることは難しかった。  大休止の後に下山に移ったが、他には3グループ5名の登山者がいるだけの静かな山であった。  三国スキー場跡に戻って驚いたことは、多くの車が停められていることであった。どうやら姫筍採りの入山者のもののようであった。ゲレンデの高みに向かって踏み跡ができていた。  最初は平標山に登るつもりで早起きをしてそのまま稲包山に向かってしまったため、下山は早い時間であった。十日町のブックオフで時間をつぶした後、小出の唐松山に向かった。  中子沢の羽川荘を過ぎると、唐松山登山口に通じる林道が左に分かれる。すぐに未舗装の道に変わり、車のすれ違い注意の細い道に変わる。溜池の脇を抜けると田圃も現れ、その先で登山者用の駐車場に到着する。車五台ほどで満杯になってしまい、車の方向転換も難しくなりそうであるが、唐松山に登る者はそう多くはないはずである。一旦駐車場までやってきたが、傾斜があって寝づらいので、林道を少し戻った路肩スペースに車を停めた。翌朝、車を戻すのも面倒なので、そのまま歩き出すことにした。  駐車場から緩やかに下っていくと、溜池の脇に登山口があり、尾根の登りが始まる。初めはブナ林が広がっているが、すぐに灌木帯が広がるようになる。この一帯の山は、豪雪地のため木が育たないようである。  ひと汗かくと、権現堂山の山麓にかかる不動滝を見下ろすことができる滝見台に到着する。ここはT字路になっており、左は川東地区遊歩道が続いている。この川東地区遊歩道は、町村合併後管理されなくなって藪に返っているが、尾根沿いには道型が続いているのを確認できる。入口付近は草が被っているものの、腰下のため、少々のヤブコギを覚悟すれば歩けそうである。せめて中子沢からの区間だけでも復活させてもらいたいものである。めざす唐松山は、上権現堂山との鞍部から稜線を長く辿った先の高みにあった。この先は気合を入れて登る必要がある。  一旦少し下った後に、痩せ尾根の登りが始まる。ザレた登山道で、崩壊地の縁を通過する所もあるので、滑落に注意が必要である。稜線が近づいてくると、傾斜はあいかわらずきついものの、ブナの広がる山腹の登りに変わる。  稜線の鞍部より少し上権現堂山よりの高みで稜線分岐になる。ひと息いれて唐松山への道に進んだ。一旦僅かに下ると、トラバース道が続くようになった。二重稜線の窪地に出ると、残雪がまだ残る池が現れた。ここが鏡池のようであるが、登山標識は見当たらなかった。  いっぷく平と呼ばれる954.5m点への急な登りが始まるが、泥斜面で滑りやすく、足元に注意が必要であった。登りは息が切れるだけだが、下りには要注意である。いっぷく平に出てほっとひと息。ただ、この先も小さなアップダウンが続くので、気を抜くことはできない。954.5mの三角点脇は大きく崩壊して、三角点もそのうち崩れ落ちそうであった。尾根を進んでいくと猫岩がしだいに近づいてきた。  猫岩の基部に到着すると、猫岩は通過できず、唐松山へは迂回路を進むようにという看板が立てられていた。猫岩に登るのは後回しにして、唐松山に進むことにした。以前は、この迂回路ははっきりしなかったが、現在はメインルートになって登山道ははっきりしている。岩の基部に回り込むと、以前は気が付かなかった洞窟があるのが目に留まった。最後に急な登りを行うと、松の木の脇で稜線に戻ることにした。猫岩の眺めは、こちらからの方が素晴らしい。近寄って垂直に切り落ちた岩を見上げると、鈴が取り付けられていた。猫の首に鈴ということらしい。しゃれで行ったのだろうが、危険を伴う作業であったに違いない。  猫岩を過ぎると、ピークへの登りになるが、唐松山はもう一つ先である。ピークの上には、松川林道からの登山道が上がってきている。刈り払い部はしっかりしているものの、草が延びており、ヤブコギ覚悟のコースになっているようであった。空が明るくなってきてはいたものの雨粒が落ちてきたが、ここまで来ては山頂を諦めるわけにはいかない。足を早めたが、雨はその時だけであった。  唐松山に到着して、展望を楽しみながらの大休止にした。曇り空ではあったが、展望は広がっていた。守門岳、浅草岳、毛猛山塊、未丈ヶ岳、越後駒ヶ岳、八海山、権現堂山といった山々が周囲に並んでいる展望は、その標高以上のものである。先回は、松川林道から高鼻山への周回を行ったが、高鼻山への山道が藪に返ってしまっているようなので、現在は難しくなっている。  猫岩まで戻った所で、岩に登っていくことにした。岩場をひと登りするとトラバースになるが、灌木の枝が掴めるのが助けになった。岩場をひと登りすると猫岩の上に出た。上は台地状になっているが、周囲は崖になって切り落ちている。以前あった巻き道入り口という標識は無くなっており、頂上からは引き返すことになっていた。  いっぷく平からの急坂を慎重に下っていくと、5名ほどのグループとすれ違い、これがこの日に出会った登山者の全てであった。  稜線分岐から細尾根の下りを続けていくと、暑さが堪えるようになった。これからの季節は、暑さ避けのためにも早朝登山を行う必要があるようである。 ============================================================================= 15-37 6月19日 尾瀬ヶ原  6月20日 鬼ヶ面山 【日時】 2015年6月17日(木)〜19日(土) 各日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 18日:曇り後雨 19日:曇り 【山域】 尾瀬 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  尾瀬ヶ原・おぜがはら・1400m・無し・群馬県、福島県、新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/燧ヶ岳、藤原/燧ヶ岳、尾瀬ヶ原 【コース】 裏燧林道 【ガイド】 山と高原地図「尾瀬」(昭文社) 【温泉】 駒の湯 500円 【山域】 浅草岳 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   鬼ヶ面山・おにがつらやま・1465.1m・三等三角点・新潟、福島 【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/毛猛山 【コース】 六十里峠登山口より 【ガイド】 山と高原地図「越後三山、平ヶ岳、巻機山」(昭文社) 【時間記録】 6月17日(木) 13:45 新潟=(R.49、安田IC、磐越道、会津坂下IC、R.49、会津坂下、会津本郷、芦ノ牧温泉、R.118、湯野上、R.121、会津田島、R.289、南郷、内川、R.352 経由 経由)=19:30 御池  (車中泊) 6月18日(金) 5:40 御池―7:12 裏燧橋―7:45 三条の滝分岐―8:56 温泉小屋―9:11 三叉路〜9:20 発―8:40 見晴〜9:50 発―10:22 竜宮三叉路―10:48 ヨッピ橋―11:04 東電小屋―11:26 三叉路―11:46 温泉小屋〜12:05 発―12:36 三条の滝分岐―13:35 裏燧橋―14:55 御池=(R.352、内川、R.401、R.289、只見、R.252 経由)=18:00 六十里登山口  (車中泊) 6月19日(土) 5:30 六十里登山口―5:57 峠部―6:27 反射板―6:41 登山道入口―7:22 南岳―8:05 鬼ヶ面岳―9:01 南岳〜9:15 発―9:45 登山道入口―9:58 反射板―10:25 峠部―10:49 六十里登山口=(R.252、R.290、栃尾、森町、R.290、黒水、R.403、R.49 経由)=13:30 新潟  尾瀬ヶ原は、群馬県、福島県、新潟県の三県にまたがり、約1400mの標高に、東西約6km、南北約1kmにわたって広がる本州最大の湿原である。尾瀬ヶ原は、季節を変えて、ミズバショウやニッコウキスゲを代表とする高山植物や紅葉に彩られ、訪れる登山者が絶えない。  鬼ヶ面山は、浅草岳の南に位置する稜線続きの山である。六十里越峠から岩壁の縁を辿りながら鬼ヶ面山に登り、さらに浅草岳に至る縦走を行うなど、体力に応じた登山を楽しむことができる。最近では、ヒメサユリの花を目当てに登る者も多くなってきている。  梅雨入り間近であるが、山は花を楽しめる季節になっている。平日に山に行けることになったので、空いているはずの尾瀬で花を楽しみ、翌日は鬼ヶ面山でヒメサユリを見ることにした。二日目に鬼ヶ面山のために六十里越えを行うので、行きは会津を回っていくことにした。いつものように、御池の手前で夜を過ごして、朝になってから御池の駐車場に入った。幸運なことに、御池の駐車料金は19日までは無料で、20日からは1000円取られるということであった。沼山峠へのシャトルバスは、途中で普通になっており、乗り換えのために中間で15分ほど歩く必要があるということであった。夜通し停められている車は泊り客のもので、早朝に歩き出そうとしている登山者は少なかった。  尾瀬沼経由で周回しようかとも思ったが、単純に裏燧林道を往復することにした。登山口から歩き出すと、すぐに燧ヶ岳の登山道が分かれるが、見晴らし新道は通行禁止になっていた。温泉小屋道は廃道になっているので、燧ヶ岳からは尾瀬ヶ原に下りることができないことになる。登山道の復旧が望まれる。  分岐のすぐ先で御池田代に出るとコバイケイソウの花が出迎えてくれた。また湿原の脇にはミズバショウの花も咲いていた。田代坂を登ると、姫田代、次いで上田代に出る。湿原の上に聳える燧ヶ岳の眺めが素晴らしかった。また残雪の筋を描く平ヶ岳も眺めることができた。ヒメシャクナゲも多く見られ、足を停めて撮影を行うことになった。タテヤマリンドウの花も沢山あったが、まだ開いておらず、ネジリンボウの蕾が見られるだけであった。  上田代を過ぎると、しばらくは樹林帯の中を黙々と歩くことになった。裏燧林道は全線にわたって木道が敷かれているが、朽ちている所もあって、足元に返って注意が必要になった。  天神田代で渋沢への登山道が分かれるが、歩く者は少ないようで、泥に埋もれた状態になっていた。その先で裏燧橋に出ると、イメージ的には温泉小屋までの半分。もうひと頑張りする必要がある。周囲のブナ林も見事になってくるが、この先も長く感じる道である。三条の滝への分岐からは、山側の段吉新道に進んだ。  温泉小屋に到着してからは、花の写真に専念しようと思っていたところ、雨が降り出し、東電小屋分岐のベンチで雨具を着こむことになった。ここまで雨に当たらなかっただけでも幸運であったと思う必要がある。  平日のためか、天気予報が悪かったためか、人のほとんどいない湿原を見晴に向かった。タヌキランが風に吹かれてブーラブラと揺れていた。見晴で、奥のキャンプ場の状態を眺めにいくと、八木沢道は橋が落ちて通行止めとあった。尾瀬に入るには、事前に情報を確認する必要があるようである。  とりあえず、竜宮三叉路から東電小屋に周遊して戻ることにした。尾瀬ヶ原の中からは、雨にもかかわらず、燧ヶ岳や至仏山、景鶴山などは見えており、湿原の眺めを楽しむことができた。尾瀬ヶ原は、木道が完備されているが、歩いていると足の裏が痛くなってきて、結構つらくなってくる。  雨の中、ベンチで休むこともできず、結局温泉小屋の屋根の付いたベンチで大休止になった。その後の御池への歩きは、雨に濡れてしんどいものになった。驚いたことに、上田代が近づいた頃に尾瀬ヶ原に向かう登山者にすれ違ったことである。見たところ、コースタイムを大幅に短縮できる健脚とも思えず、雨の中を夕暮れ近くなって急ぐのは危うく思えた。  雨に見舞われたものの、目的のトガクシショウマの花も見ることができ、花を楽しむことのできた山行であった。  翌日の鬼ヶ面山のため、只見町経由で六十里トンネル入り口の登山口に向かった。ここには広い駐車場が設けられているが、早朝から起こされるのはいやなので、少し手前の空き地で夜をすごした。  朝になって六十里トンネル入り口の駐車場に移動すると、すでに沢山の車が停められていた。県外ナンバーが目立ち、どうやら浅草岳まで往復する者が多いようであった。鬼ヶ面岳の往復なら、もう少しゆっくり出発して丁度良い。コーヒーを飲みながら見ていると、続々と歩き出していった。  登山口からは、流水で抉られた溝状の登山道を登ることになるが、すぐに尾根に出て、後は歩きやすい道になる。T字路に出て、ここは右折。この道は、送電線巡視路として管理されているようで、この先も鉄塔への道が分かれるので注意が必要である。  沢を横断しながらのトラバース道を進み、峠部の少し手前で、尾根の登りを開始する。九十九折の道が続き、この日一番の頑張り所になる。急坂を登りきると、マイクロウェーブの反射板が置かれた台地に飛び出し、残雪を留めた鬼ヶ面山の山頂も見えてくる。  ここからしばらくは、吹峠方面から延びてきた林道の歩きになる。前岳から南西に延びてきた尾根の末端に到着したところで、再び登りが始まるが、幸い傾斜は緩やかである。崩壊地の縁に出て展望が開けると、雲海の上に燧ヶ岳も望むことができたが、展望が開けたのは朝の一瞬であった。  サンカヨウやツバメオモトを眺めながら登っていくと、前岳に到着した。尾根の先を見下ろすと、登山道脇にヒメサユリのお花畑が続いていた。前岳からの下りは崩壊が進んで、足場が悪くなっていたが、緩やかな尾根に下り立つを、後は花の撮影を楽しみながらの歩きになった。この先は、足場に要注意なトラバースもあるため、一旦カメラをしまって歩きに専念した。ヒメサユリは、途中で現れる小ピークで咲いており、息を整えながら写真撮影を行うことになった。  誰もいない鬼ヶ面山に到着した。先行者は浅草岳を目指したようであった。ガスが広がって展望は閉ざされていたので、ヒメサユリの写真を撮りながら引き返すことにした。引き返す途中、大勢の登山者とすれ違った。ヒメサユリの咲く山として、鬼ヶ面山の人気は高まっているようであった。  下山後、栃尾を回って名物の油揚げを買って家に戻ることにした。峠を下っていくと、入広瀬付近で豪雨に遭遇した。車を走らせると、雨に会ったり止んだりの繰り返しになった。局所的豪雨になっており、鬼ヶ面山や浅草岳の登山者の状況が心配になった。豪雨の中、鬼ヶ面山の稜線歩きは危険度が増し、やりたくはないものである。この日は、鬼ヶ面山でヒメサユリを見物したことに満足して下山したのは正解であった。 ============================================================================= 15-38 6月27日 護摩堂山、高立山、菩提寺山 【日時】 2015年6月27日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 新津丘陵 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  護摩堂山・ごまどうやま・271m・なし(268.3m・一等三角点補点)・新潟県  高立山・たかだてやま・276m・なし・新潟県  菩提寺山・ぼだいじやま・248.4m・三等三角点・新潟県 【コース】 大沢公園より周回 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/矢代田、村松 【ガイ】 なし 【時間記録】 7:55 新潟発=(R.49、茅野山、R.403、矢代田、林道長峰線 経由)=8:40 大沢公園〜8:57 発―9:19 護摩堂山ツナギガヤコース入口―9:48 護摩堂山〜10:02 発―10:19 菅沢口―11:00 高立山〜11:20 発―12:09 菩提寺山〜12:20 発―12:54 大沢公園=(往路を戻る)=14:00 新潟  新潟平野の内陸部の縁に沿った、新津、加茂、五泉の中間に広がる丘陵地を、新津丘陵と呼ぶ。新津丘陵では、一等三角点も置かれている護摩堂山が良く知られているが、最近では、菩提寺山や高立山もハイキングコースが整備されて、訪れるハイカーが多くなっている。これらの山は、合わせて西山三山と呼ばれている。  梅雨入りとなって、雨でも歩ける山ということで、護摩堂山に行くことにした。護摩堂山ではアジサイの花が盛りになって登山者も多くなるはずだが、大沢公園よりの周回なら混雑知らずである。  大沢公園に到着してみると、護摩堂山側に新しく駐車場が設けられていた。最近は、菩提寺山の登山者も多くなって、駐車スペースに不足を生じていたので、歓迎である。  護摩堂山へは車道歩きが続く。途中から登り坂が続くようになって、汗が噴き出してきた。ツナギガヤコース入口から護摩堂山への登りを開始した。このコースは歩く者も少ないのか、登山道上に泥やかぶって滑りやすくなっていた。階段登りが続くので、結構足にくるが、近場の山での足慣らしという意味では、丁度良い。  護摩堂山の茶屋脇に出ると、大勢が登ってきているのが目に入った。アジサイの花も盛りであったが、天気予報に反して夜の間に雨が降らなかったので乾き気味であったのは残念であった。アジサイの花は、雨の粒が乗っている方が美しい。続々と登ってきていたので、これから先はもっと人が多くなりそうであった。本丸跡まで登ると、角田・弥彦山と佐渡の眺めが広がっていた。雲が低いものの、遠くまで見えていた。  護摩堂山からは、菅沢口に下ったが、このコースは他にも登山者が歩いており、登山口脇には車が停められていた。  車道を横断した後は、林道歩きで高立山に向かった。林道の路面状態は、車の走行には問題ない状態であったが、草が被っていて通過に度胸が必要な所もあった。高立山への登りは、結構汗を絞らされ、山頂のベンチで大休止になった。五頭山塊、菅名山塊、白山・粟ヶ岳方面の展望が開けていたが、山頂部は雲に覆われていた。雨が降らなかったので、もう少し高い山に登れば良かったかなと思ったが、山頂部ではガスにまかれたはずなので、低山歩きで充分であったということになる。  続いて菩提寺山。いつもより空いている山頂であった。アジサイに誘われて、護摩堂山に行ってしまった感じであった。  菩提寺山から大沢公園への登山道の途中の小ピークの巻き道も、通行止めが解除されて歩けるようになっていた。  大沢公園から護摩堂山の周回は、それなりの時間がかかって低山歩きを堪能でき、定番コースとしてこれからも歩くことになる。 ============================================================================= 15-39 7月4日 鷹巣峠 【日時】 2015年7月4日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 飯豊連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   鷹巣峠・たかのすとうげ・150m・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/安角 【ガイド】 なし 【時間記録】 8:30 新潟=(R.7、蓮野IC、R.113、十文字、R.113、関川 経由)=10:00 下川口〜10:15 発―11:05 大内淵―11:49 下川口=(往路を戻る)=13:30 新潟  「越後米沢街道」は山形県の置賜地方と新潟県の下越地方を結ぶ街道で、この古道には13の峠があるため別名「十三峠」と呼ばれている。鷹巣峠は、最も新潟寄りの峠で、標高は低いが二つのピークを持っている。この峠道は、イザベラ・バードが難儀して越え、その様子を「日本奥地紀行」に記したことでも知られている。  イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読んで十三峠に興味を持ったが、以前は、どこをさすのかも判らない状態であった。最近は整備もされるようになり、「越後米沢街道 十三峠交流会」のホームページにコースの詳細が載っていたので、まずは、最も新潟寄りの鷹巣峠を歩くことにした。  雲母で国道から分かれて大石ダムへの道に進み、川口橋を渡って下川口に入り直進すると、米坂線の下をくぐる手前に、「旧米沢街道 峠の入口」の標柱が置かれていた。その脇には、「0/10 鷹巣峠」と書かれたコース案内も置かれていた。ただ、この標識は、かならずしも分岐には置かれておらず、見当たらないところもあり、コース案内としては不充分なところもあった。  入口から進むと、杉林の中に続く苔むした道が続いていた。表面がつるつるに磨かれた小石が露出しているのは、昔の旅人に踏まれたためであろうか。すぐに林道に飛びだしたが、すぐ先で「米沢街道 ニ重坂入口」という標識が現れ、再び山道に進むことになった。旧街道は、168.8mピークから北東に延びる尾根と丸山から北に延びてくる尾根の二か所を通過するため、ニ重坂と呼ばれるようである。  九十九折の登りを終えると、熊坂と呼ばれる切り通し状の峠に出た。峠名の書かれた標識のようなものは無かった。ここから一旦下ると、草の茂った休耕田跡に出た。ここは中ノ沢越場と呼ばれるようである。  再び登りに変わり、これを登りきると林道に飛び出した。すぐ先で峠の乗り越しになったが、旧街道は道の整備によって焼失している。丸山の山頂を正面に見ながら下っていくと、大内淵地すべり防止区の看板があり、その脇から左下に下っていく道が始まっていた。ここには、旧街道の案内は無いので、行き過ぎないように注意が必要である。  脇道に進むと、路肩が大きく崩れており、車の通過は難しくなっていた。その下で米坂線の上を跨線橋で通過することになった。線路を横断した所で、直進と右に曲がる道が分かれた。直進すると畑の脇で道が不明になったが、杉林の中を抜けるとすぐに国道に出ることができた。旧街道を外れたと思って、国道を南に向かうと、コンクリート敷きの道の入り口に鷹巣峠のコース標柱が置かれていた。この道を戻ったが、線路を越したところで、右に曲がるのが正解であった。  下川口と大内淵の間の鷹巣峠は、二つの峠の総称で、ニ重坂という方が当たっているのが判った。十三峠の歩きは、今後も続けていく必要がある。 ============================================================================= 15-40 7月5日 秋葉山 【日時】 2015年7月5日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 二王子山塊周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 秋葉山・あきばやま・201.1m・二等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新発田/上赤谷 【ガイド】 なし 【時間記録】6:55 新潟=(R.7、新発田、上羽津 経由)=7:45 秋葉山登山口―8:30 秋葉山―9:13 秋葉山登山口=(往路を戻る)=10:10 新潟  秋葉山は、二王子山塊の高知山から西に延びる尾根が加治川沿いの平野部に終わるところに最後に盛り上がったピークである。最近になって、地元板谷によって「語らいの小径」と称する登山道が整備された。  秋葉山には、2000年1月に登っているが、その時はワカンを履いてのラッセルであった。その後、登山道が整備されたことを新聞で読んだが、そのままになっていた。梅雨空で遠出する気も起きなかったので、近場の山ということで出かけた。  二王子岳に出かける際の道を辿り、板山の集落に到着すると、「語らいの小径登山口」と書かれた看板が置かれており、これに従って秋葉山の北で東西に延びる道に進んだ。すぐ先の牧場入り口で舗装は終わり、その先は細い林道になった。道脇の雑草が刈られているので先に進む気が起きたが、そうでなかったら途中から歩きだすところであった。  林道を進むと、猿防止の電気柵があり、その先の広場から別れるコンクリート敷きの道の入り口に「語らいの小径登山口」の案内板が置かれていた。この電気柵は開いていたが、締まっていたならば自分で開けて入ることになる。  この広場から歩き出した。雑草の茂った放牧場脇の道を高みに見える送電線鉄塔目指して登ることになった。汗が噴き出てきたが、ひと登りして鉄塔下に出ると、駐車できる広場が現れた。ここが登山口で車で、上がってくることができた。  広場には、「語らいの小径」のコース図が置かれており、これはコース上の各所に現在地を示す地図として置かれていた。登山口からは尾根沿いに秋葉山に登り、板山側に下りた後は、北の山裾沿いに延びる送電線巡視路を辿って戻ってくることになる。  送電線鉄塔脇からひと登りで、第一ピークに出て、後は尾根沿いの道になった。この後は、第二ピーク、第三ピークと小さなアップダンを繰り返すことになる。登山道の周囲は赤松の目立つ木立が続き、途中の展望地と書かれた場所でも、あまり展望は開けなかった。  秋葉山の山頂も木立に囲まれて、展望は閉ざされていた。先回の雪の時期には、高知山から二王子岳に至る稜線を良く観察することができたので、この山の印象は大きく違うものになった。山頂に置かれた説明版には、猿害のことが書かれており、この登山道の整備も人が歩いて猿を追い払う助けになればということのようであった。  秋葉山の山頂からは一気の下りになり、右にコースを変えた所で送電線鉄塔下に出た。その下で直進する巡視路と、右に分かれる登山道の分岐になった。右手の道に進むと、谷間に下り立った。集落と登山道の通じるトヤノ沢の分岐になったが、この分岐に出るには電気柵のワイヤーを外し、通過後に再び戻す必要があった。登山口方向に向かうと、再び電気柵の通過になった。ただ、この電気柵に、電気は通じていないようであった。  休耕田になった谷間を通過していくと、尾根の張り出し部への登りになった。送電線の鉄塔下を通過すると、沢への下りになった。再度の登り返しを行うと、最初の登山口広場に戻って周回が終わった。  梅雨時の蒸し暑い中、短時間の歩きであったが、汗をかいて、それなりの運動になった。 ============================================================================= 15-41 7月25日 飯谷山、鳥屋山  7月26日 猫魔ヶ岳 【日時】 2015年7月25日(土)〜26日(日) 1泊2日 各日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 25日:曇り 26日:晴 【山域】 会津 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 飯谷山・いいたにやま・782.9m・三等三角点・福島県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢/柳津 【コース】 小杉山より 【ガイド】 新ふくしまの低山50(歴史春秋社)、新分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社) 【山域】 北会津 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  鳥屋山・とやさん・586.6m・一等三角点補点・福島県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢/柳津、野沢 【コース】 別茶屋より 【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社) 【山域】 磐梯山周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  猫魔ヶ岳・ねこまがたけ・1404.0m・一等三角点補点・福島県 【コース】 八方台より 【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/磐梯山/磐梯山 【ガイド】 山と高原地図「磐梯・吾妻・安達太良山」(昭文社) 【時間記録】 7月25日(土) 7:00 新潟=(R.49、西会津、R.400 経由)=9:35 小杉山登山口―10:25 飯谷山〜10:30 発―10:56 小杉山登山口=(R.400、西会津、R.49 経由)=11:30 別茶屋登山口―12:15 鳥屋山〜13:00 発―13:32 別茶屋登山口=(R.49、会津坂下、会津村、R.49、磐梯町、ゴールドライン 経由)=16:00 八方台  (車中泊) 7月26日(日) 5:40 八方台―6:27 猫魔ヶ岳〜6:43 発―7:25 八方台=(ゴールドライン、磐梯町、R.49、会津村、会津坂下、R.49 経由)=10:20 新潟  飯谷山は、只見川左岸にあり、柳津町と向き合う山である。麓に飯谷神社の社殿、山頂下に奥の院跡、さらに山頂には石の祠が置かれ、信仰の山になっている。  鳥屋山は、磐越道西会津ICの北の阿賀野川左岸にある里山である。一等三角点が置かれ、山頂からは飯豊や磐梯山の眺めが広がっている。漆窪から始まる登山道沿いにはカタクリの群落が広がっており、4月中旬頃にお花畑を楽しむことができる。  猫魔ヶ岳は、磐梯山の西に八方台を挟んで向かい合い、雄国山、厩岳山、古城ヶ峰などとともに古い火山の外輪山を形成している。その中心のカルデラ湖である雄国沼は、福島県では尾瀬の大江湿原と並んでニッコウキスゲの大群落地として有名で、シーズンともなれば、観光客やハイカーで大賑わいとなる。猫魔ヶ岳は、南北からスキー場に浸食されているが、雄国沼にかけての一帯は、自然が良く残されている。  キルギスから戻ってきて、日本の蒸し暑い夏に参ってしまった。夏山本番との気合も入らず、簡単な山で済ますことにした。  近場の会津方面に出かけることにして、まずは飯谷山を登ることにした。飯谷山へは、これまで東面の野老沢から登ってきたが、今回はまだ歩いていない西面の小杉山から登ることにした。  国道49号線から国道400号線の西方街道に進むと、「会津百名山飯谷山 小杉山登山道入口」の立派な看板が現れた。舗装されているものの車のすれ違いには注意を要する車道を進んでいくと、数軒の家が並んだ新田に出る。さらに進んでいくと、T字路に出て、ここは右に曲がる。左に進むと国道49号線沿いの大畑に出るようである。この先は道幅が広くなって、小杉山の集落に到着する。集落の奥でT字路になり、ここは左に進む。ここまでの分岐には、飯谷山への案内板が置かれており、迷わないですむ。道路地図によれば芝倉と経て麻生大橋に至る林道を進むと、カーブを交えながら高度を上げた所で、左手に飯谷山の登山口に到着した。すぐ先に、路肩スペースがあり、車を停めることができた。  小杉山からのコースは、ガイドブックなどでは紹介されていないので登山道の状態に不安があったが、最近刈り払いが行われたしっかりした登山道が続いていた。  飯谷山の西面は急斜面になっているが、登山道は斜上するように続いているため、無理なく歩くことができた。ひと登りすると展望が開けたが、雲がかかって遠望は利かなかった。晴れておれば、飯豊も見えるようであった。  カーブを交えながら登っていくと、飯谷山の山頂から南に延びる尾根上に飛び出した。この後は緩やかな登りが続くようになった。山百合が大きな花を広げており、しばし足を停めることになった。  石の祠が現れると、その先が飯谷山の山頂となる。西面は切り落ちているので、ロープが張られているといっても足元に注意が必要な山頂である。野老沢からでは1日がかりになるが、小杉山からでは短時間で登れてしまうことが判った。  下山中は、この後どうするか考えながら歩いた。暑さも厳しいので、翌日は八方台から猫魔ヶ岳に登ることにして、午後は、五色沼か鳥屋山のどちらにするか迷った。結局、近い鳥屋山に登ることにした。  国道から軽沢に続く道に進むと、300mほど先で鳥屋山の登山口に到着する。路肩に車を寄せて停めて歩き出した。登山道は、車道脇の法面上に続いており、雪の季節には足を滑らして下の車道に転落しないように注意が必要である。車一台がやっとの道幅であるが、車の轍が続いていた。  尾根の末端でY字路となり、上の道に進む。すぐ先で登山道が分かれ、尾根沿いの登りが始まる。ナラ林の中の緩やかな登りが続き、汗が噴き出すものの、苦しいというほどではなかった。誰も登っていない静かな山であるが、山頂近くを磐越自動車道の鳥屋山トンネルが通過しており、車の走行音が微かに聞こえていた。  山頂への急斜面が始まると、登山道は、左に反れるように高みに向かうようになる。漆窪からの登山道に、西の肩で合流し、もうひと歩きで鳥屋山の山頂に到着した。漆窪からの登山道は、距離もあり幾つものピークを乗り越してくるため結構きついが、別茶屋からはひと登りという感じである。  あいにくの曇り空で、磐梯山の山頂は隠されていたが、会津盆地を見下ろすことができ、さすがは一等三角点ピークといった感じである。  時間的余裕もあるため、ゆっくりと昼食をとってから下山に移った。  会津坂下のブックオフで漫画をあさり、食料を買い込んだ後に八方台に向かった。  八方台には夕方到着し、一旦裏磐梯方向に下った先の駐車場で夜を過ごすことにした。八方台の駐車場では、車中泊の登山者も多いはずで、ゆっくり眠れない可能性があった。また、この日の目的としては、星空の撮影の練習をすることがあった。夕暮れ直後は雲の切れ間から星がのぞくという状態であったが、深夜には満天の星空が広がった。ミニ三角を使い、撮影条件などを検討した。  翌朝は、早朝に八方台に移動したが、驚いたことに広い駐車場はすでにかなりの車が入っており、誘導員が駐車場所を指示していた。7時半の下山時には、駐車場はほとんど埋まっていて、猪苗代湖方面に少し下ったところの駐車場に誘導されていた。この日の磐梯山は、大混雑になったようであった。  これまで猫魔ヶ岳には数回登っているが、雄国沼方面からであった。スノシュー歩きで、裏磐梯スキー場から猫魔ヶ岳に登って八方台に下ったことがあるが、夏道は歩いていない。八方台にやってきたなら磐梯山を目指すのが普通であるが、今回は猫魔ヶ岳を目指すことにした。  八方台からは、緩やかな登りが続いた。ブナ林に囲まれて気持ちの良い道であった。途中、アルツ磐梯スキー場のゲレンデが尾根の下まで迫っていたが、登山道沿いの木立は保存されていた。  312mピークに立つと前方に猫魔ヶ岳が迫ってきた。もうひと頑張りの歩きになった。最後に急な登りを頑張ると、猫魔ヶ岳に到着した。山頂標識は、手前の露岩部で、その奥に三角点が置かれた広場がある。展望は、手前の露岩部の方が良いので、戻って写真撮影を行った。  磐梯山の遮るものの無い展望が広がっていたが、東にあるため逆光でみにくくなっていた。もう少し時間が遅い方が良かったが、撮影している間にも山頂に雲がかかってしまった。猪苗代湖や、檜原湖、吾妻連峰の眺めも広がり、展望を楽しむことができるピークであった。  登山道は良く整備されているので、足早に下って八方台に戻ることができた。時間は早かったが、猛暑になりそうであったので、山歩きは終えて家に戻ることにした。 ============================================================================= 15-42 8月1日 火打山  8月2日 米山 【日時】 8月1日(土)〜2日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 1日:晴 2日:曇り 【山域】 妙高連峰 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   火打山・ひうちやま・2461.8m・三等三角点・新潟県  黒沢岳・くろさわだけ・2212.4m・三等三角点・新潟県 【コース】 笹ヶ峰より 【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/妙高山、湯川内 【ガイド】 アルペンガイド「妙高・浅間・志賀」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「妙高・戸隠」(昭文社) 【温泉】 杉野沢温泉苗名の湯 450円 【山域】 米山 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  米山・よねやま・992.6m・一等三角点本点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/柿崎/柿崎 【コース】 水野新道 【ガイド】 越後の山旅(富士波出版) 【時間記録】 7月31日(金) 14:00 新潟=(R.116、R.8、R.18、妙高高原、杉野沢 経由)=18:40 笹ヶ峰  (車中泊) 8月1日(土) 4:30 笹ヶ峰―5:15 黒沢―5:45 十二曲り上―6:32 富士見平分岐―7:18 高谷池―7:54 尾根上―8:54 火打山〜9:10 発―9:52 尾根上―10:30 高谷池―10:59 茶臼山―11:30 黒沢池ヒュッテ〜12:15 発―13:03 富士見平分岐―13:40 十二曲り上―14:00 黒沢―14:54 笹ヶ峰=(杉野沢、妙高高原、R.18、R.8、柿崎、下牧、水野 経由)=18:05 水野新道登山口  (車中泊) 8月1日(日) 5:13 水野新道登山口―5:46 水野分岐―5:50 しらば避難小屋―6:25 米山〜6:30 発―6:53 しらば避難小屋―6:57 水野分岐―7:24 水野新道登山口=(水野、下牧、柿崎、R.8、R.116 経由)=10:10 新潟  火打山は、妙高連峰の最高峰であり、まろやかな円錐状の頂上を持つ女性的な山である。かつては死火山と考えられていたが、複式火山の妙高山と、活火山で現在登山禁止中の焼山の中間にあって、この山だけは火山ではないことが明らかになっている。火打山は、高山植物も豊富であり、高谷池ヒュッテや黒沢池ヒュッテといった小屋も整備され、笹ヶ峰から比較的容易に登ることができることから、人気の高い山になっている。  米山は、越後の北陸道沿いにあって、日本海にその裾野を洗う独立峰である。街道あるいは海上よりその姿を良く眺めることができることから、古来、旅人や地元民の心に刻まれ、名山として親しまれてきた。民謡「三階節」の「米山さんから雲が出た」という文句でも知られている。地元の信仰厚き山で、山頂には米山薬師のお堂が置かれ、上越、中越の各町村では米山講が組織されていたという。  猛暑が連日続いている。少しでも高い山ということで、妙高の火打山に出かけることにした。金曜日の午後に時間があったので、下道を走って笹ヶ峰に入った。笹ヶ峰ではいつものように、少し離れたところの空き地で夜を過ごした。  涼しいうちに高度をかせぐのと、登山者の混雑に巻き込まれないために、周囲が薄明るくなったところで出発した。黒沢までの登山道は、ほとんどすべてに木道が敷かれるように変わっていた。歩きやすくなったこともあり、黒沢には思ったよりも早く到着した。黒沢の橋も新しく立派なものに変わっていたが、そのかわりに河原には下りにくくなっていた。  ここからは、十二曲りの急坂になるが、カーブの番号が付けられて歩きやすくなっていた。これまでは小さなカーブを含めるかどうか迷って、途中で判らなくなっていた。ただ、上部で標識が無くなっており、気が付いていたら尾根上に到着していた。  この先は尾根沿いの登りであるが、結構急なところもあって、体力を消耗する。富士見平分岐からは、黒沢岳の西斜面のトラバースいなるが、小さなアップダウンがあり、道ははかどらない。前方に高谷池ヒュッテの三角屋根が見えるようになると、北アルプスの眺めが広がって、写真撮影のために足が止まってしまった。白馬岳付近は間近に見え、遠くには槍ヶ岳も見えていた。この先の展望が楽しみになった。  高谷池ヒュッテを過ぎると、山頂往復や周囲の散策を行う泊り客に出会うようになった。天狗の庭に出ると、池塘に火打山の影を映す、影火打の眺めが広がり、写真を撮りながらの歩きになった。絶景といえる眺めであった。  天狗の庭を過ぎるて尾根上に出ると、登りをもうひと頑張りすることになった。山頂も近づいてきたが、暑さが堪えるようになってきた。山頂手前のガレ場に設けられた木道で、トレランに追い抜かれたが、公務員ランアーとして有名な川内優輝氏であったようである。  下山の団体と入れ違いに到着したおかげで、数名しかいない火打山の山頂に到着した。焼山や北アルプスの眺めが広がっており、遠くには富士山も眺めることができた。日本海方面は雲がかかっていたが、これ以上はない眺めであった。  トレランの一行の話が耳に入ってきたが、川内氏は影火打まで走っていき、この後は妙高山に登ってから下山するということであった。妙高山はどれだという話声が耳に入って、こいつらは馬鹿ではないかと思った。山も知らずに体力まかせに登ってきているようである。この日は、何かのグループでかなりのトレランが入っており、歩いている途中、何度も後ろから追いついてきては道をあけさせるのにうんざりした。川内氏もトレランなどと余計なことをしているようでは、おそらく次回のマラソンのオリンピック代表は無理であろう。  下りの途中、暑さが厳しく感じられるようになってきた。天狗の庭で写真撮影を行い、ひと登りした雪渓脇のベンチで、雪解け水を飲んでひと休みした。体力的には厳しくなってきたが、いつものように黒沢池ヒュッテ経由で下山することにした。  黒沢池ヒュッテに到着した所で、木陰に腰を下ろして大休止にした。少し日が陰ったところで再び歩き出した。湿原を通り抜けて富士見平分岐に出ると、休んでいる団体で大混雑になっていた。この日の山小屋は、恐ろしいほどの混みようになったように思われた。 この先は下りを頑張ることになった。途中で追い越したトレランの若い女性グループが、少し足場の悪い所では足が止まって渋滞を起こしていた。普通に山歩きができてからトレランに来いといいたい。平らになって木道が現れると走り出すのでたちが悪い。この日は、絶好の展望を楽しんだが、トレランに不快な思いをした。  黒沢を過ぎれば、後は木道歩きが続くが、足裏が痛くなってきた。昔の落ち葉の積もった登山道が懐かしく思われた。  杉野沢温泉で汗を流したが、脱水気味で、国道まで下ったところのコンビニで飲み物を買い込んだ。翌日の山は簡単にすますことにして、水野新道から米山に登ることにした。 米山への登山道は、各方面から切り開かれているが、この水野新道はもっとも短時間で登れるものである。見落としていたのだが、分県ガイド「新潟県の山」において、旧版では大平登山口からの紹介であったのが、新版ではこの水野新道からの紹介に変わっていた。メインというのはやはり大平コースであろうから、最短コースの記載に変更したのはいかがなものかと思う。  水野集落から、米山登山口の標識に従って林道に進む。舗装道路であるが、道幅はせまく運転には注意が必要である。  高度を一気に上げると、林道終点に到着する。駐車場と芝地の広場が設けられている。高度が上がったせいか暑さも和らいでおり、夜を過ごすには良い場所であった。  翌朝は、涼しいうちにということで、早立ちした。林道の延長線に向かってトラバース気味に少し進むと、一気の階段登りが始まった。いきなり息が切れた。枝尾根上に出た先で、美しいブナ林が広がる不動の杜に出た。幅広尾根を進むと、再び急な階段登りになった。この急坂を登りきると、下牧からの登山道が合わさる分岐に出た。この分岐の登山道脇には、太澄禅師の石碑が置かれていた。  緩やかな尾根道を進むと、女人堂跡のしらば避難小屋に出た。ここから一旦下ると、鞍部付近は岩場の細尾根になっているが、通過に問題はない。昔は忠実に岩の上を通過するようになっていて、女性の通過が難しかったのかもしれない。この先は米山の山頂めがけての急坂になった。一気に急坂を登りきると、山頂小屋が目の前に現れた。  暑さのために靄っており、日本海の海原を見分けることはできなかった。山頂には誰もいなかったが、下山しようとすると、女性の単独行が大平方面から登ってきた。水野新道に下る途中にも、トレランの一行を含めて、早朝登山者とすれ違った。米山では、猛暑の中でも、早朝登山として登ってくる者がいることが判った。  下山の時間は早かったが、汗びっそりの衣類を変えると登山の意欲もなくなって家に戻ることになった。   ============================================================================= 15-43 8月8日 角田山 【日時】 2015年8月8日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 角田山 【山名・よみ・標高三角点・県名】 角田山・かくだやま・481.7m・二等三角点・新潟 【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/角田山 【コース】 浦浜コース 【ガイド】 浦浜コースは無し 【時間記録】 6:00 新潟発=(新新バイパス、新潟西バイパス、R.116、県道新潟・寺泊線、角田浜、R.402 経由)=6:40 浦浜登山口〜7:00 発―8:20 角田山〜8:40 発―9:56 浦浜登山口=(往路を戻る)=10:50 新潟  弥彦山と連なって日本海の波打ち際にたたずむ角田山は、佐渡弥彦国定公園に指定され、新潟市民の日帰り登山の山として最も親しまれている。角田山は、各方面から登山道が開かれており、変化に富んだ山歩きを楽しむことができる。四季を通じて登られている山であるが、特に春の雪割草の時期には、県外から観光バスを連ねて団体がやってくるようにもなっている。夏は、標高も低く暑いことから敬遠されがちであるが、お盆が近づく頃、浦浜コースは、キツネノカミソリの花が群落となって咲くことから、この時期に限っては登山者で賑わうことになる。  連日、記録的猛暑が続いている。キツネノカミソリが咲き始めたようなので、この季節恒例の角田山に出かけることにした。少しでも暑さを避けるため、家を早出した。角田浜の海水浴場脇を通り過ぎるが、心は山よりも海の方に引かれてしまう。  早出のおかげで、浦浜の駐車場も空いていた。下山時にはほぼ埋まっていたが、下山しているものも多いため、中間に空きができていた。  歩き初めは、段差の大きな階段登りが続き、一気に汗が噴き出る。藪蚊も多く、体のあちこちがかゆくなる。虫除けスプレーをかけたところで、汗が流れる状態では効果は長持ちせず、忍耐が必要になる。  尾根上に出ると、あすまやが現れる。傾いているが、まだ撤去されていなかった。上の五ヶ峠分岐近くのあずまやはすでに撤去されている。  笹薮を抜けると、キツネノカミソリとヤブランが現れる。群落としての見頃はもう少し先のようであったが、先初めの花を楽しめた。撮影は下山後ということにして登りに専念した。通常なら、歩き始めてしばらくすれば、体も慣れて足も軽くなってくるのだが、辛い登りが続いた。キツネノカミソリが目的なら、尾根の途中までで充分なのだが、登山というからには山頂まで足を延ばす必要がある。  角田山には汗だくになって到着した。この暑さでも、登ってきている登山者は多かった。各方面から登ってきているようであるが、この暑さでは、キツネノカミソリという楽しみのある浦浜コース以外は歩きたくない。  下山時にキツネノカミソリの撮影していると、登山者にも多くすれ違うようになった。 ============================================================================= 15-44 8月10日 月山 【日時】 2015年8月9日(日)〜10日(月) 前夜発日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 出羽山地 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   月山・がっさん・1984m・なし(1979.5m・一等三角点補点)・山形県  姥ヶ岳・うばがだけ・1669.7m・三等三角点・山形県 【コース】 姥沢コース 【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/月山/月山 【ガイド】 アルペンガイド「鳥海・飯豊・朝日」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「鳥海山、月山」(昭文社) 【時間記録】 8月9日(日) 13:00 新潟=(R.7、新発田、R.113、今泉、R.287、左沢、R.488、R.112、志津 経由)=17:40 姥沢  (車中泊) 8月10日(月) 5:50 姥沢―7:03 リフト分岐―7:27 牛首分岐―8:18 月山〜8:35 発―9:46 牛首分岐―10:06 湯殿山神社分岐―10:21 姥ヶ岳―10:37 リフト上駅分岐―(10:44〜11:15 昼食)―11:26 リフト分岐―12:33 姥沢=(志津、R.112、R.345、R.7 経由)=18:10 新潟  月山は、羽黒山、湯殿山と合わせて、出羽三山と呼ばれ、古くからの信仰の山である。なだらかな山頂を持ち、日本海近くの豪雪地にあることから、夏遅くまで残雪を抱き、高山植物が豊富なことから人気の高い山になっている。  月曜日を休むことができたので、少しでも高い山へということで月山に出かけることにした。月山は手頃に花を楽しめることから、日本百名山の中でも登頂回数の多い山になっている。行きは内陸部経由で、帰りは海岸線をドライブすることにした。姥沢には夕刻到着し、いつものように手前の空き地で夜を過ごした。  姥沢の駐車場に朝になって移動すると、結構多くの車が停められていた。月山リフトは、8:00に運行開始なので、歩いた方が静かな山を楽しめるし、涼しいうちに登りを終えることができる。  車道を少し歩き、沢を渡ろうとすると、橋が無くなっていた。車道を先に進んで沢を越したところで折り返すようにコースが変わっていた。驚いたことに姥沢小屋は、無くなっていた。ネットで調べると、姥沢小屋は2013年1月に暴風と大雪で倒壊し、その後撤去されたようである。泊まったことは無かったが、伝統のある山小屋が無くなったことには寂しさを覚えた。  姥沢小屋跡地の広場からは、コース指示によって登山道に進む必要があった。このコースは、以前は木道が傾いて歩き難い状態であったが、修復されて歩きやすくなっていた。枝尾根を乗り越してガレ場のトラバースになるが、おたから清水とブナのしずくという二つの湧水があり、帰りには存分に飲んで渇きをいやすことができた。  木道を辿っていくと、草原の中を抜けていく道になり、ニッコウキスゲの花も見られるようになった。前方に牛首の稜線も見えてきたが、そこに上がる手前の雪渓は小さくなっており、すでに残雪歩きのシーズンは終わっていた。  リフト上駅からの道を合わせると、牛首への急坂が続くようになった。リフトの運行開始前ということで、誰も歩いていない登山道を楽しむことができた。牛首の姥ヶ岳分岐を過ぎると、鍛冶月光と呼ばれる急坂になる。石畳状に整備された所も多くなってきているが、岩を踏み越えていく道で、初心者は急坂と足場の悪さのために苦労することになる。山頂小屋泊りのグループが下山してくるのにも出会うようになった。背後を振り返ると、雲が広がって、姥ヶ岳に至る稜線が見えるだけであった。  鍛冶小屋跡を過ぎると、もうひと登りで山頂台地に出る。前方に見えるはずの月山神社も雲に隠されていたが、読経の声が聞こえてきた。いつものように、三角点まで進んで、月山登頂とした。  ここまでは一気に登ってきたので、花の写真を撮りながら戻ることにした。時期によって違う花を楽しめる月山であるが、今回は山頂小屋脇でハクサンシャジンのお花畑を楽しめたのが収穫であった。  鍛冶月光の下りからは、大勢の登山者とすれ違うようになった。初心者も多く、急坂に苦労していた。牛首からは姥ヶ岳を登っていくことにした。柴灯森と呼ばれる小ピークからは湯殿山神社との分岐になる金姥への急な下りになる。この急坂の途中で、「もう少しで月山ですか」と家族連れから聞かれたのには驚かされた。月山へ登りは、まだ核心部にも来ていないので、この先の牛首の分岐でリフト上駅に引き返した方が良いのではとアドヴァイスした。リフト上駅から月山に向かうには、姥ヶ岳コースと草原コースに分かれるが、姥ヶ岳経由だと初心者には体力的にきつくなってしまう。  金姥から登り返して到着した姥ヶ岳の山頂は、大勢の登山者が休んでいた。草原コースに下った先のベンチで大休止にした。  時間の関係もあるのか、草原コースを歩く登山者は少なく、さらに姥沢小屋への道に進むと、出会う登山者もまれになった。  この日は、少し遅い時間に家に戻る必要もあったので、休みをとりとり新潟に戻った。 ============================================================================= 15-45 8月14日 新津丘陵 【日時】 2015年8月14日(金) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り後雨 【山域】 新津丘陵 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   秋葉山・あきばやま・83m・なし・新潟県 【コース】 秋葉ルート 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/新津 【ガイド】 なし 【時間記録】 9:00 新潟=(R.49、茅野山、R.403、新津 経由)=9:40 秋葉湖〜10:28 発―11:00 小口分岐―11:10 パノラマ台―11:31 林道横断―11:40 池―12:05 林道分岐―12:16 秋葉山―12:23 秋葉湖=(往路を戻る)=13:30 新潟  秋葉山は、新潟平野の東の縁に沿って広がる新津丘陵の北端にある山である。山名の由来は、宝暦11年(1760)に庄屋桂氏が山頂に立てた秋葉大権現の神社に由来する。新津の市街地が迫っており、山頂一帯には公園化が進んでいるが、石油の里まで「木もれびの道」という長距離の遊歩道が整備されている。  お盆休みの道路の混雑を避けて、近場の歩きですますことにした。ネットで調べていくと、新津丘陵に周回のハイキングコースが設定されていることを知った。中部北陸自然歩道の「秋葉石油の里のみち」では、秋葉公園から石油の里までの遊歩道が整備されているが、片道10.6kmの距離は、往復は難しく車二台を用意しなければ歩けない。二つの周回コースのうち、まず「秋葉ルート」を歩きに出かけることにした。  事前に地図上でGPSのためのルート設定をするのだが、遊歩道や林道が複雑に入り組んでおり、非常に難しかった。通常の登山なら山の頂上を目指せばよいのだが、遊歩道となると地形とは無関係に通じていることが多い。  秋葉公園には以前訪れたことはあるものの記憶も無くなっている。とりあえず、秋葉湖から歩き出すことにした。新津カントリークラブの脇をかすめて車を進めると、秋葉湖脇の駐車場に到着した。歩き出す前に、付近を走って、一帯の様子を偵察した。  秋葉湖の東端に進むと、トイレがあり、「木もれ陽の遊歩道」という標柱が立てられていた。現在では、中部北陸遊歩道ではなく、旧新津市が設けた「木もれ陽の遊歩道」という標識の方が多く設けられているので注意が必要である。  丸太階段をひと登りすると、湖沿いの道と尾根沿いの道に分かれた。事前の設定通りに尾根沿いの道に進んだが、湖沿いの道に進んでも、環状縦走路に出ることができるたようである。すぐに林の中にあずまやが置かれた広場に出た。駐車場脇の案内図によればどんぐり広場ということのようであった。  尾根沿いの道が続いた。そう大きくはないもののアップダウウンが続き汗がしたたりおちた。藪蚊も寄ってきて何か所も刺されることになった。「木もれ陽の遊歩道」という名にふさわしく木立に囲まれて展望の開けない道であった。春先や初冬に歩くには良いかもしれないが、真夏には厳しい道であった。遊歩道は曲がりくねって、次第に方向感覚も失われてきた。そのためか、遊歩道の途中には、「木もれ陽の遊歩道」における現在地を示す看板が置かれていた、  「小口・若宮廟」分岐に出て、ここは右折。方向を南に変えると、ゴルフ場の脇をかすめることになった。地図には、ゴルフ場内の歩道も記載されているので、余計にコースが判りにくくなっていた。丸太階段の設けられた坂道が続き、体力維持の歩きには都合が良かった。117m点でT字路となり、「小口・若宮廟」と石油の里への道が分かれていた。石油の里方面に進むと、すぐ先でパノラマ台に出た。とりあえずパノラマ台までと思っていたので、ここから引き返すことにしたが、後で地図と絵看板を見比べると、この先に別のパノラマ台があるのかもしれないという疑問が湧いてきた。小雨が時折り降ってきたため、パノラマ台という名前ではあるが、五泉方面の平野部の眺めが広がっているだけであった。  T字路に戻って、今度は「小口・若宮廟」への道に進んだ。メインコースではないためか、草が少しかぶっていたりして歩く者は少ないようであった。途中、地図には載っていない林道を横断し、再び尾根上に戻るとT字路に出た。右に曲がれば「小口・若宮廟」だるが、左の秋葉湖への道へ進んだ。  尾根を下っていくと、池に出たが、通常の池と違って黒い色をしていた。石油が流れ込んでいるようであった。この一帯は石油が出るため、石油井戸が藪の中に隠されている可能性があるで注意が必要である。石油臭いような臭いもした。草の茂った林道跡を進んでいき、丸太階段を登ると林道に飛び出した。  この後しばらくは林道歩きになった。車の進入禁止のゲートを越すと、その先で石油の運搬のために掘られた熊沢トンネルが現れた。地図では煮坪の南西に記されている。この遊歩道は、石油にからめて整備して宣伝した方が面白くなると思う。  林道を進み、車道に出たところで、横断した先の遊歩道に進んだ。尾根道を進んでいくと秋葉山の山頂に出た。水道施設があり、車道も上がってきて山頂らしからぬところであるが、今回の遊歩道上では地図に記載されている唯一の山頂とあっては訪れないわけにはいかない。  山頂脇から下る道に進むと秋葉湖の脇に出て周回が完了した。  今回のルートは別の遊歩道を歩いても良いし、また若宮廟や熊沢トンネルなど寄り道してみたいポイントもあるので、機会があったら歩いてみたいと思う。 ============================================================================= 15-46 8月15日 新津丘陵 【日時】 2015年8月15日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 新津丘陵 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   秋葉山・あきばやま・83m・なし・新潟県 【コース】 花と遺跡ルート 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/新津 【ガイド】 なし 【時間記録】 8:20 新潟=(R.49、茅野山、R.403、新津 経由)=8:40 県立植物園〜9:38 発―9:53 さつき山公園入口―10:23 秋葉公園分岐―10:30 ため池―11:10 石油の里―11:34 県立植物園=(往路を戻る)=12:15 新潟  秋葉山は、新潟平野の東の縁に沿って広がる新津丘陵の北端にある山である。山名の由来は、宝暦11年(1760)に庄屋桂氏が山頂に立てた秋葉大権現の神社に由来する。新津の市街地が迫っており、山頂一帯には公園化が進んでいるが、石油の里まで「木もれびの道」という長距離の遊歩道が整備されている。  前日に続いて新津丘陵に出かけた。今回は、「花と遺跡ルート」を歩くことにした。「花と遺跡のふるさと公園」に到着すると、入口の駐車場から古津八幡山遺跡への遊歩道が始まっていたので、まずこれを歩くことにした。サンダルで歩きだしたが、ひと登りで芝地になった丘の上に出た。古津八幡山遺跡は、弥生時代後期(1〜3世紀)の大規模な高地性環濠集落とのこと。弥生時代の住居を復元したものの置かれていた。  植物園の駐車場に車を移動して、ハイキング姿になって歩き出した。公園内に入ったところで車道がカーブしているため方向感覚を失っており、地図を見て歩く方向を決めることになる。公園内に入ってきた車道は石油の里方面に続くので、帰りにこの道を辿ることになる。まず新津美術館の脇から新潟県埋蔵文化財センターに向かう。敷石が置かれた道を進んでいくと、左に古津八幡山遺跡への遊歩道が始まっていた。ここから登るのが、ハイキングコースと合わせるのには良さそうであった。  新潟県埋蔵文化財センターを過ぎると、林道状の道に変わった。丘を乗り越すと塩谷の集落に出て、車道を左折する。この先の目標はさつき山公園であるが、地図には記載されていないことから入口が判りにくい。小川の上流部に向かって進むと、さつき山公園の入り口にでた。車道をひと登りすると、さつきの木が並ぶ公園に出た。ここには「木もれ陽の遊歩道」の案内図が置かれており、コースにのっていることが確かめられてひと安心した。  尾根沿いの遊歩道歩きが始まった。歩く者は少ないと思われるが、道は良く整備されていた。小さなアップダウンもあり、汗がしたたり落ちた。石油の里からの道の合流点にはあずまやが置かれていた。ここからは下り坂になり、溜池の脇に出た。この溜池へは、さつき山入口から林道が続いているようであった。  再び登りに汗を流すことになった。尾根を乗り越すと、再び谷間への下りになった。再び尾根への登りになった。高低差はそれほどであないが、登り下りが繰り返されるのは、精神的に結構辛い。再び下りになると、車の走行音も近づいてきて、不動尊の脇に出て、遊歩道も終わった。車道に出たところには、石油の濾過池があり、これは見ものであった。菩提寺への遊歩道沿いにある掘削施設はお馴染みであったが、この濾過池は通りを挟んだ向かいにあったので、見たことがなかった。新津丘陵は、石油関連施設の見学コースとして整備すれば、全国レベルのハイキングコースになると思われる。  とりあえず石油の里前の車道まで進んでから、公園へ引き返すことにした。この先は車道歩きであるが、幸い時間はそれほどかからなかった。 ============================================================================= 15-47 8月16日 櫛形山 【日時】 2015年8月16日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 櫛形山脈 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 櫛形山・くしがたやま・568.0m・二等三角点・新潟県 【コース】 登り:中の沢尾根コース、下り:大沢尾根 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/中条 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:05 新潟=(R.7、中条 経由)=7:05 林道入口〜7:17 発―7:33 登山者用駐車場―7:40 森林公園分岐―8:01 尾根上分岐―8:17 縦走路分岐―8:34 櫛形山〜8:40 発―9:20 登山者用駐車場―9:34 林道入口=(往路を戻る)=10:50 新潟  櫛形山脈は、2万5千分の1地形図に書かれているうちで最も小さい山脈として知られている。櫛形山は、山脈の最高峰で盟主の立場にあるが、ハイカーの人気では、大峰山に負けている。櫛形山の山頂付近には美しいブナ林が広がっており、日帰りの山としてもっと歩かれて良い山である。  お盆休み最終日とあって、この日も近場の山で済ますことにして、櫛形山に出かけることにした。  短時間で登ることのできる中の沢尾根コースを使おうとして、登山口に向かった。森林公園分岐を過ぎると未舗装の林道に変わるが、脇のゴルフ場のフェンスが終わった所で、その先の林道に草が被っていた。草が刈られて駐車スペースが設けられていたので車を停めて先をうかがうと、流水によって路面も荒れて、車の進入ができない状態であった。ここから歩きだすことになり、新知見は林道の状態ということになった。  この林道は、以前も荒れた感じであはあったが、ゲートの置かれた登山者用駐車場までは普通に車が入っていた。歩き始めてみると、沢水が流れ込んだようであった。最近、集中豪雨があった記憶もないので、いつから不通になったのか疑問である。最初はオフロード四駆なら可能かと思ったが、深い溝ができておりそういった車でも無理そうであった。 結局、15分程の歩きで登山者用駐車場に到着した。この日は登山者には誰にもあわず、余分な林道歩きのために登山者が少なくなってしまったというのなら、逆に歓迎ということになる。  中の沢尾根を登り始めたが、このコースは急登の連続となり、それだけに時間は短くてすむ。大汗をかいて森林公園からの尾根コースの合流点に到着すると、そこからはひと登りで縦走路に出た。  この先は、美しいブナ林を見ながらの歩きになった。猛暑も少し和らいで、木々の緑もみずみずしさを見せていた。誰もいない櫛形山の山頂に到着。二王子岳や飯豊連峰の眺めは、少しもやっていた。いつもならベンチに腰を下ろして展望を楽しみながらの大休止になるのだが、日向はまだ暑く、ブナの木の木陰に腰を下ろした。下山は、大沢尾根を下った。登山道も良く整備されているので、一気に下ることができた。  最後に余分な林道を歩きを終えて車に戻り、着替えをしてると、バイクに乗った登山者が林道の奥に進んでいった。上ってくる車には合わなかったので、林道が不通になっているのは、地元の人間には知られているようである。 ============================================================================= 15-48 8月22日 要害山 【日時】 2015年8月22日(土) 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 朴坂山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  要害山(加護山)・ようがいさん・281mなし・新潟県 【コース】 川部登山口より 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条、小国/坂町 【ガイド】 なし 【時間記録】 8:40 新潟=(R.7、平林 経由)=10:00 水道タンク〜10:23 発―10:36 佛穴登山口―10:44 佛穴―10:52 のろし山―11:05 物見山―11:14 要害山―11:25 種松分岐―11:38 馬洗場―11:45 川部登山口―11:49 水道タンク=(往路を戻る)=13:10 新潟  飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在も土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。  雨の日でも歩ける山として要害山に出かけることにした。平林城跡からは度々登っているが、川部登山口からは2005年9月以来ということになる。  川部集落から登山口に通じる林道の入り口には、平林城跡川部ルート登り口と示された標識が置かれている。舗装された林道が続いているが、右手に放棄された畜舎を見ると道は少し細くなり、水道タンクが現れる。この先の道は荒れて細いので、この広場に車を停めて歩き出した。  歩い始めてすぐに右に林道が分かれ、その角には「平林城跡入口 右へ」と書かれた標柱が置かれているが、佛穴へは林道を直進する。また、種松から下ってきた時は、この林道の先に下り立つが、左に曲がると水道タンク脇に出ることができるので、この分岐に戻ってくることはない。  この先は、杉林の中のトラバース気味の道が続く。次第に車の通行が難しい状態になって林道終点となり、登山道が始まる。沢沿いに少し進んでから九十九折の登りに汗を流すと、草の刈られた広場に出て、その片隅に佛穴が口を開けていた。風穴のようだが、穴をのぞきこんでも冷たい風は感じられなかった。  佛穴からはもうひと登りで、のろし山の直下に出た。とりあえずのろし山に寄っていくことにした。のろし山からは要害山や嶽薬師を望むことができたが、櫛形山脈方面は雲で隠されていた。雨粒が落ちてこないだけましという天気であった。  んろし山から要害山へは歩き慣れた道である。いつもは他の登山者にも出会うのだが、この日は山頂に誰もいなかった。山頂部やのろし山などのベンチは新しいものが置かれていた。  山頂からは、種松へと下った。種松からは久しぶりの歩きになったが、道は良く整備されていた。途中、草の茂った窪地が現れたが、ここには馬洗場という標識が置かれていた。平林城跡からの登山道の途中にも同じ馬洗場があり、要害山は規模の大きな山城であったことがうかがわれる。  林道に飛び出して、左に下ると車の置いた水道タンク脇に出て、周回は終わった。 ============================================================================= 15-49 8月23日 鋸山 【日時】 2015年8月23日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 東山連峰 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 鋸山・のこぎりやま・764.9m・一等三角点補点・新潟県 【コース】 半蔵金から 【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/半蔵金 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:30 新潟=(北陸自動車道、中之島IC、R.8、川崎IC、R.351、栃尾、西之俣 経由)=7:40 半蔵金〜8:00 発―8:32 山道入口―9:19 花立峠―9:44 鋸山―10:28 大入峠登山口―10:33 五百山登山口〜10:45 発―11:46 半蔵金=(栃尾、R.290、下田、R.290、加茂、R.403、R.49 経由)=13:50 新潟  鋸山は、長岡市の東に連なる東山連峰の最高峰であり、古くからの信仰の山である。鋸山の名前は、小さな峰を連ねて、鋸に似ていることから付けられている。一等三角点が置かれ山頂からは、守門岳をはじめとする展望を楽しむことができ、地元の登山者にも親しまれている。  鋸山は冬季をはじめ、四季を通じて登っている山であるが、北側の大入峠からは最初に登った際の1995年以来歩いていない。半蔵金からの周回コースとして歩きに出かけた。  いつものように半蔵金の廃校の裏手の空き地に車を停めて歩き出した。歩き出しの林道真木半蔵線は、終点の標柱が入口に立っている。林道真木半蔵線は、すぐに右に曲がるが、そのまま直進する。林道真木半蔵線は、大入峠からの下山に使うことになる。  坂道をひと登りすると、水道タンクの置かれたT字路に出て、左に曲がる。先回歩いた2013年5月の時には、この角に鋸山への登山標識があったのだが見当たらなくなっていた。 坂道を上っていき、T字路に出たところで右折。すぐに山に向かう農道が分かれるので、これに進む。地図を見ても、道が複雑で判りにくい。ひと登りすると、田んぼの広がる台地に出て、鋸山の山頂も望むことができる。ここまでの車道歩きで汗が噴き出ており、色づき始めた棚田を眺めながらひといきついた。この先も舗装された道が続くが、田んぼの中の細い道で、駐車スペースもないので、下から歩いてくるしかない。  標高475m地点でようやく登山道が始まる。沢沿いに少し進むと、左手の尾根に向かっての九十九折の道になる。歩くものは少ないようで、登山道に草が生えているが、辿るのには支障はない状態であった。ブナ林の脇を過ぎると、615m小ピークの北側の鞍部の乗り越しになる。  その後は、緩やかなトラバース気味の歩きになる。このコースは登山口までの車道歩きが傾斜もあってきついが、登山道に入ればむしろ歩きやすくなる。先回は残雪のために判らなかったが、途中でパイプの差し込まれた清水があり、喉を潤すことができた。  トラバースを続けると、自然に花立峠から鋸山に続く登山道に飛び出す。ひとまず花立峠まで足を延ばしてから鋸山に向かった。  花立峠から鋸山までは、標高差はないが、意外に長く感じられる。途中、引き返してくる登山者にすれ違ったが、山頂には誰もいなかった。雲が低く垂れこめて、長岡の市街地は見えたが、守門岳は雲に隠されていた。  今回の目的は、山頂から大入峠までの区間を歩くことだったので、そのまま先に進んだ。少し下った所に、砂防工事の跡のような草地の広場があったが、休憩地にしては中途半端なところであった。登山道は、木の根が飛び出していたり、ロープの固定された露岩帯があったりして、歩きにくかった。  683m点の手前で尾根を左に外して下ると、林道跡に出て、これを辿ると林道真木半蔵線に飛び出した。ここには大入峠という標柱が置かれていた。実際には、林道を少し辿った先が乗り越し部であったが、ここには峠を示すようなものはなかった。  少し下った先が、五百山の入口になる。五百山や鬼倉山もしばらく登っていないので、近々登ってみたいと思う。  この後は、長い林道歩きが続いた。段々畑脇まで下ってくると、ここは冬季の鋸山への登山ルートとして使っているので、積雪期の状態と比べながら歩いた。  鋸山は、長岡側からなら一般スートとして簡単に登れるが、半蔵金からの周回コースも興味深い。 ============================================================================= 15-50 8月30日 原の城跡 【日時】 2015年8月30日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 雨 【山域】 見附丘陵 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 原の城跡(栄雲寺城)・はらのじょうせき(えいうんじじょう)・160.5m・四等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/森町 【コース】 栄雲寺より 【ガイド】 なし 【時間記録】 8:20 新潟=(R.49、R.403、加茂、R.290 経由)=9:30 栄雲寺〜9:36 発―10:05 三角点―10:34 栄雲寺=(R.290、栃尾、R.290、下田、R.290、加茂、R.403、R.49 経由)=12:30 新潟  原の城跡は、五十嵐川の支流の大平川左岸の原集落にある山城である。麓の栄雲寺より遊歩道が整備されている。  8月中というのに秋雨前線が停滞して雨が続いている。土曜日は雨のために山は休みにしたので、日曜日には山に行かなくてはならないがやはり雨。軽く歩ける所ということで、原の城跡を選んだ。  ナビを頼りに登山口の栄雲寺城を目指した。R.290を栃尾に向かって進むと、大平川の手前に原の城跡への標識が置かれていた。この標識は通り過ぎようとする時にみつけたので、そのまま直進して町屋敷の集落を通り過ぎようとするところで右折した。細い車道を進んでいくと、前方に目的地の栄雲寺が見えてきた。お寺の駐車場に車を停めた。駐車場脇には、原の城跡の案内板が置かれ、以下のように書かれていた。  栄録十一年(1568)春、高城々主長尾遠江守藤景新四朗が府中(上越市)で上杉謙信の命で本庄繁長に打たれた報せは、早馬で城下に知らされた。過労長尾下記入道興里は急いで城をかため、又出城であるここの原の城と曲谷の城の堀を深くし、逆茂木を造って守った。  高城攻めは栃尾の本庄実乃が総大将で、人面峠から雪崩を打って原の城に攻めかかった。原の将士は勇猛激斗懸命に闘ったが、多勢に無勢全員壮烈な玉砕を遂げた。  城跡の下にある栄雲寺で戦死した勇士の菩提を弔い、家老の下記入道も同寺に祀られている。  昭和六十二年十月一日 下田村文化財調査研究会  栄雲寺は、曹洞宗の寺で、山門の向こうに本堂が設けられていた。本堂の左側に墓地があり、ここが登り口であった。  林道の入口に、古びた案内図があり、かろうじて読み取ることはできたが、遊歩道の全体像を把握することは難しかった。  林道をひと登りすると、左手に窯の施設があり、右手に池があり、その脇から尾根に向かう遊歩道が始まっていた。丸太の段々をひと登りすると、東側からも遊歩道が合わさってきた。お寺の裏手方面から上がってきたようである。尾根沿いに登っていくと、東屋が置かれた広場にでた。92m標高点で、ここが原の城跡のようである。眼下に大平川沿いに広がる平野を見下ろすことができる展望地で、山城が置かれても不思議はない地形であった。  北に向かう林道を進むと、すぐに林道が合わさる三叉路に出た。直進方向の斜面に遊歩道が続いていたので、これに進んだ。一旦林道を横断してさらに尾根沿いに進んでいくと、東屋の置かれた広場に出て、その背後の高みに三角点が置かれていた。  山頂広場に林道跡が上がってきていたのでこれを下ると、木造の建物が置かれた広場にでた。建物の中は荷物置き場になっていたが、ここはキャンプ場ということのようである。  林道を下っていくと、右に林道が分かれた。この林道を下れば、登り口に下りられるようであった。さらに進むと、遊歩道の横断点に出た。そのまま林道を下っていくと、山小屋が現れたが、道はここで行き止まりになっていた。戻って、遊歩道を下り、最初の三叉路に戻った後に林道を下った。そこからはすぐに登り口にもどることができた。  原の城跡は、遊歩道が整備されているにも関わらず、歩く者が少ないのはもったいない気がする。地図には、今回歩いたコース以外にも林道や破線道が記されており、他のコースも設定できるかもしれない。 ============================================================================= 15-51 9月5日 菱ヶ岳 【日時】 2015年9月5日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 五頭山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  野須張・のすばり・902..8m・三等三角点・新潟県  大日山・だいにちやま・924m・なし・新潟県  菱ヶ岳・ひしがたけ・973.5m・二等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/馬下、出湯 【コース】 南登山口より 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:15 新潟発(R.49、取上橋、石戸 経由)=7:10 菱ヶ岳登山道南口〜7:30 発―9:11 釜場清水〜9:18 発―10:04 野須張―10:28 大日山(西山見晴どころ)―11:05 菱ヶ岳―11:42 大日山(西山見晴どころ)〜12:10 発―12:31 野須張峰―13:03 釜場清水〜13:15 発―14:28 菱ヶ岳登山道南口=(往路を戻る)=15:30 新潟着  菱ヶ岳は、新潟平野に面して加治川と阿賀野川の間に広がる五頭山塊の最高峰である。これまで菱ヶ岳へは、メインコースにあたる村杉温泉、裏コースといえる中ノ沢、さらに五頭山からの縦走路といった登山道が利用されてきたが、南の石戸集落から野須張峰へ登り、大日山を経て菱ヶ岳に至るコースも開かれている。  秋雨前線の影響で、日曜日は雨になるようであった。山登りは土曜日だけのようなので、少しきつめの山を選ぶことにして、石戸から菱ヶ岳へ登ることにした。このコースは、2012年6月以来ということでそう時間はたっていないが、登山口まで近く、人が歩いていないのが良い。  石戸川を渡ってすぐの所で右折する。すぐ先で左折し、集落内から伸びてきた道に出て、後は川沿いに進む。左から沢が入ってきた先が登山口になる。駐車場は、川岸側の路肩になるが、スペースはあまりないので、慎重に車を回転させた。以前よりも川岸が削られ江狭くなったような気がする。  緩やかに登っていくと、大山神社があり、その手前を左折する。一旦荒れた植林の作業道にでるが、すぐ先で尾根沿いの登山道に進む。再び作業道に飛び出すが、その先で再び登山道に入る。尾根沿いの登山道はまっすぐに登ってきているので、作業道を歩くと相当な大回りになりそうである。  この後は、尾根沿いの登りが続く。吹き抜ける風は涼しく感じたが、気温はまだ高く、汗がしたたり落ちるようになった。最初の目標地点は釜場清水であるが、そこまでは小さなアップダウンもあってなかなか到着しない。左手の沢が近づいてきて水音も大きくなるが、釜場清水は山の斜面が迫った所にあり、高度も上げていく必要がある。尾根の一段下をトラバースして進んだ後に尾根に上がるということを何度か繰り返すとようやく釜場清水に到着した。  釜場清水は、登山道から脇に外れた所にあるので、コップを持って確認しにいった。水は細い流れであったが、汲んで飲むのには問題はなかった。少し冷た目といったところであったが、美味しく飲むことができた。  水を飲んで元気を取り戻し、野須張への急登にとりかかった。このコースで一番の頑張りどころになるが、標高差180mを登りきると、ブナ林の広がる幅広尾根に出る。その先は、灌木帯の刈り払い道となって、野須張への最後の登りになる。  野須張の山頂は広場になっており、東側の崖の縁にでると、大日山から菱ヶ岳の眺めが広がっていた。曇り空で、飯豊連峰の眺めが閉ざされていたのは残念であった。野須張から大日山にかけては、ミニ飯豊といった雰囲気で、五頭連峰の中でも好きな場所である。 このコースでは、大日山が一番好きなピークで、ここで腰を下ろして大休止にしたいところであるが、目的地の菱ヶ岳まで足を延ばさないのは、手抜きとなってしまう。  標高差70m程下った後に、菱ヶ岳へは標高差120m程の登りになる。急登を登り切ると菱ヶ岳の山頂に到着するが、村杉温泉側から登ってきた登山者で賑わっていたので、すぐに引き返した。菱ヶ岳の山頂は木立に囲まれて展望はなく、五頭山塊最高峰という価値はあるものの、面白さはない。登り返しで汗を絞らされた後、予定通りに大日山に到着して大休止にした。  下りの途中、釜場清水で水を汲んでから歩きを続けた。  下山後に着替えをしようとすると、蛭が一匹ズボンに取り付いており、足の血を吸われていた。五頭山塊は蛭の心配は無いと思っていたので意外であった。釜場清水で水を汲むのにしばらく立ち止まっていたので、その時に取り付けられたような気がする。菅名山塊に比べれば蛭の密度は多くはないようであるが、今後は注意する必要がある。   ============================================================================= 15-52 9月12日 高坪山 【日時】 2015年9月12日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 蔵王山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   高坪山・たかつぼやま・570.5m・二等三角点・新潟県  大山・おおやま・523.7m・四等三角点・新潟県 【コース】 蔵王コースより荒島城コース 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/中条、小国/坂町、中条、越後下関、安角 【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、新・新潟ファミリー登山(新潟日報社)、新潟花の山旅(新潟日報社) 【時間記録】 6:00 新潟発=(R.7、十文字、R.113 経由)=7:05 中間路側帯〜7:28 発―7:32 高坪山登山道入口―8:13 黒川分岐―8:29 高坪山―9:11 虚空蔵コース分岐―9:25 大山―9:58 荒島城跡―10:27 荒島城コース登山口―10:42 登中間路側帯=(往路を戻る)=12:00 新潟着  北は荒川、南は胎内川に挟まれた、日本海の海岸線に沿って南北に延びる低山帯を蔵王山塊と呼ぶ。高坪山は、この山塊の最高峰である。高坪山は、荒川町梨木からと黒川村蔵王からの登山道が、それぞれ周遊コースとして歩くことができることから、ハイキングの山として親しまれている。最近、荒川町梨木からの登山道として、虚空蔵コースと蔵王コースに加えて、荒島城コースが整備されて、さらに変化に富んだ山歩きができるようになった。  この週末は、南会津の山と考えていたのだが、福島県から関東平野北部にかけて大雨になって、会津田島での橋の流出や、茨城県での鬼怒川の堤防決壊などの大騒ぎになってしまった。これは、雨雲が一線となって移動し、同じところに雨が降り続ける線状降水帯によるものである。この気象用語もニュースで何度も取り上げられて、、今年の流行語に選ばれそうな勢いである。  遠出はあきらめて近場の山ということで高坪山に出かけることにした。もう一つの候補は焼峰山を考えていたのだが、高速で新発田に近づいていくと、雲が垂れこめて二王子岳も隠されていたので、高坪山に向かうことになった。  荒島城コースを下山に使うため、高坪山の登山者用駐車場ではなく、登山口を通り過ぎた350m先の路肩帯に車を停めた。登山口周辺は路上駐車禁止の立て看板が置かれていたが、ここなら安心して車を置ける。  車道を戻り、登山道に進んだ。登りは蔵王コースに進んだ。杉林の中をトラバースして沢を渡ると、階段登りが始まる。以前よりも登山道の整備によって階段部が多くなった感じである。足を上げるのが辛くなるが、トレーニングと思って頑張ることにした。見晴らしに出て、一息つくことができた。  尾根沿いの登りを続けると、蔵王集落への登山道との分岐になる。その先は緩やかな登りが続くが、小さな高まりを越すと、高坪山への最後の急登になる。周囲はブナ林が広がっているが、周囲を眺めるには余裕がない。  時間も早いためか、高坪山に山頂には誰もいなかった。高坪山の先は美しいブナ林が広がっており、写真を撮りながらの歩きになった。主稜線にのって小ピークに登り返すと、飯豊見晴らしになるが、雲がかかって二王子岳の山頂も隠されていた。  この先は、小さなアップダウンがあり、虚空蔵峰までは意外に長く感じる。虚空蔵峰の三叉路からは荒島城跡への道に進む。道型はしっかりしているものの、笹がかぶっているところもあり、歩く登山者は少ないことが判る。大山三角点ピークを越すと、貝附山城へのコースが分かれるが、ここには新しい「貝附山城跡地」という標識が置かれていた。「荒島城跡地」という標識は根元から折れて倒れており、見やすいように置きなおしたが、そのうち無くなる可能性がある。同じような山城の名前なので、コース間違えを行わないか心配である。  荒島城跡へは尾根沿いの下りが続く。周囲にはブナ林も広がっており、気持ちの良い道であるが、滑りやすい急斜面のところもあるので、足元には注意が必要である。空堀から急斜面を登り返すと荒島城跡に到着した。ここには新しい標識が置かれており、位置を確認することができた。  荒島城跡の登山口に下りたって、後は車道歩きになるが、整理体操と思えば良い。 ============================================================================= 15-53 9月13日 横手山 【日時】 2015年9月13日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 守門山塊周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   横手山・よこてやま・531m・なし・新潟県 【コース】 道院遊歩道 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/守門岳/栃堀、穴沢 【ガイド】 新潟日帰りファミリー登山(新潟日報事業社) 【時間記録】 6:40 新潟発=(R.49、亀田、R.403、加茂、黒水、R.290 下田、二日町、栃堀 経由)=8:10 刈谷田川ダム公園〜8:25 発―9:00 横手山―9:45 道院〜10:05 発―11:27 刈谷田川ダム公園=(往路を戻る)=13:20 新潟  道院は、かつて守門岳へのスキー登山の基地として利用されてきたが、車道が通じて現在はアウトドア行楽地になっている。この道院へは刈谷田川ダムから遊歩道が整備されているが、登山口から1031段の階段を登ったところのピークが横手山で、守門岳方面の眺めが開けている。この遊歩道は、地元の登山愛好家には、体力養成コースとして親しまれているようである。  日曜日は午後から雨になるようなので、半日で登れる山として、道院遊歩道に出かけることにした。市販のガイドブックに掲載されているにもかかわらず歩いていないのが気になっていた。  最近は高速を使わずに小出方面に抜けるルートとして栃尾は度々訪れている。栃堀の集落を抜けたあと、刈谷田川を渡り、道なりにカーブを交えながら高度を上げるとダムサイトの 刈谷田川ダム公園に到着した。トリエもあったので、ここから歩き出したが、ダムの堰堤を過ぎた先にも駐車場があったので、そこから歩いた方が登山口に近かった。  ここに置かれた道路標識には、「道院遊歩道」、「横手山展望台1031段」と書かれていた。コンクリート敷きの道を引き返す方向に登っていくと、小広場に出て階段登りが始まった。自然に階段を数え始めたがすぐに判らなくなった。幸い、100段おきに標識が置かれ、ベンチを設けられていた。いきなりの急登で、息が切れた。幅広の遊歩道が設けられており、中央には杭が立てられていた。300段を過ぎると一旦傾斜が緩んだが、その先も階段登りが続いた。  きつかった階段登りも最後には体も慣れてきた。一般的には、途中で休み休みしながらの登りになるのであろう。確かに体力養成には良いコースである。  標高差250mの階段を登り終えると、ベンチの置かれた小広場に出た。ここが横手山の山頂であった。守門岳の眺めが広がっており、絶好の展望地になっていた。この日は雲がかかって山頂も暗く沈んでいたが、晴れの日に訪れたいピークであった。その先に東屋が置かれていたが、展望は階段を登り切った所の方が良かった。  横手山から一旦下ると、幅広の遊歩道が続くようになった。路肩の削り方を見ると、林道として設けられた道のようであった。 刈谷田川ダムによって使われなくなったのを、整備しなおしたように思えた。僅かなアップダウンを繰り返し、道院に向かっては緩やかな登りになっていた。坂部には擬木の段々が整備されているので、道院までの階段登りは、さらに加わることになる。  荒れた林道に出ると、その先で道院ヒュッテがあった。道院が守門岳登山の前進基地であった頃は、高松宮殿下や深田久弥氏など各地の岳人が宿泊したという。中をのぞきたかったが、鍵がかかっていた。  その先で、池の中の島に渡る橋があったので、そこで大休止にした。池越しには守門岳を望むことができ、美しいところであった。守門岳が新雪に覆われた時にまた来たいと思わせる眺めであった。湖畔にはボートが並べられていたが、人影はなかった。車道を下って駐車場に出ると、その周辺には大勢の人が訪れていた。奥まで入っていかないのは不思議である。  この後は、車道歩きで刈谷田川ダムに戻った。歩きにかかった時間を見ると、車道歩きの方が時間がかかっていた。遊歩道をそのまま戻った方が短時間で済むようなので、次回は遊歩道を使うことにしよう。 ============================================================================= 15-54 9月19日 二子山  9月20日 岩菅山  9月21日 鳥屋ヶ峰 【日時】 2015年9月19日(土)〜21日(月) 2泊3日 各日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 19日:雨 20日:晴 21日:晴 【山域】 東山周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  二子山・ふたごやま・433.5m・二等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小平尾 【コース】 木沢より 【ガイド】 なし 【山域】 志賀高原 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   岩菅山・いわすげやま・2295.0m・一等三角点補点・長野県  裏岩菅山・うらいわすげやま・2341m・なし・長野県 【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岩菅山/岩菅山、切明 【コース】 岩菅山登山口 【ガイド】 新・分県登山ガイド「長野県の山」、山と高原地図「志賀高原、草津」(昭文社) 【山域】 志賀高原 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   旭山・あさひやま・1524m・なし・長野県 【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/中野/中野東部 【ガイド】 山と高原地図「志賀高原、草津」(昭文社) 【温泉】 津南駅温泉 500円 【山域】 越後三山周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   鳥屋ヶ峰・とやがみね・681.1m・二等三角点。新潟 【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小平尾 【コース】 小平尾登山口 【ガイド】 なし 【時間記録】 9月19日(土) 6:20 新潟発=(関越道、中之島見附IC、R.17、越後川口 経由)=10:25 木沢―10:50 二子山―11:17 木沢=(R.17、堀之内、R.252、中条、R.117、R.292、七瀬、R.292、丸池 経由)=15:20 岩菅山登山口  (車中泊) 9月20日(日) 6:12 岩菅山登山口―6:22 上条用水路分岐―6:43 アライタ沢―7:49 のっきり―8:25 岩菅山〜8:30 発―9:15 裏岩菅山〜9:55 発―10:45 岩菅山―11:15 のっきり―12:08 アライタ沢―12:27 上条用水路分岐―12:34 岩菅山登山口=(丸池 経由)=12;53 琵琶池駐車場―13:25 旭山―14:15 琵琶池駐車場(R.292、七瀬、R.292、R.117、R.353、石内、R.17、湯沢、R.17、小出、R.252、和田、R.352 経由)=19:40 小平尾  (車中泊) 9月21日(月) 6:12 天満宮―6:22 登山口―6:29 古峯神社―6:50 一本杉―7:17 鉄塔―8:24 鳥屋ヶ峰〜8:35 発―13:42 鉄塔―10:00 一本杉―10:49 天満宮=(R.252、R.290、栃尾、R.290、下田、R.290、加茂、R.403、R.49 経由)=13:10 新潟  長岡東山の南部には、小千谷市、山古志村、川口町にまたがって丘陵地が広がっている。二子山は、信濃川と魚沼川の合流点にある越後川口町の背後にある山である。この一帯には棚田や無数の錦鯉養殖池が広がり、また地図上でも無数の池マークが点在し、独特の景観を見せている。山と集落が入り組んでおり、二万五千分の一地図を見ると、多くの山名が記載されている。しかし、二子山は、古くからの信仰の山で、山頂の南峰には、石の祠がおかれている。最近では、総合リゾート施設のキャンパス川口から遊歩道が整備され、ハイキングの山として紹介されている。  岩菅山は、岩巣護山とも呼ばれ、鷹の巣を管理する巣守衆がいて鷹の子を幕府に献じたことから名前が付けられたと伝えられている。2000m級の山々が連なるもののスキー場の開発が進んだ志賀高原にあって、岩菅山は、開発されずに残された貴重な山として、登山の対象の代表的ピークになっている。裏岩菅山は、岩菅山の西隣りにあるピークで、こちらの方が高い標高をもっている。  旭山は、志賀高原入口にある琵琶池の西側にある山である。標高は1500mクラスであるが、麓ですでに1400mあるので、簡単に登れる。  鳥屋ヶ峰は、長岡・東山連峰の背後の、越後三山や守門岳に挟まれた位置にあり、権現堂山と向かい合う山である。小平尾からの登山道は、尾根通しに付けられており、周囲の展望を楽しみながら歩くことができる。地元の広神村では、6月始めに山開きを行っているようであるが、楽しめる山にもかかわらずこの山の知名度は高くない。  今年のシルバーウィークは、土曜日を入れれば五連休となり、行楽地は大混雑になることが予想された。人が少しでも少ない方面として東北地方を考えたが、前日の天気予報で雨模様が続くことになって予定変更を余儀なくされた。長野方面は雨が降らないようなので、メインを志賀高原の岩菅山として、その前後の山を考えることにした。  初日の天気予報は曇りところにより雨ということなので、簡単に歩きを済ますことにして、越後川口周辺の二子山遊歩道を歩くことにした。高速道に乗ると、本降りの雨になった。中之島見附で高速を下りて、そのうち雨が止むかと期待したものの、雨が続いたので、小千谷の道の駅で様子見をした。少し雨が小降りになったので、とりあえず二子山だけでも登ることにした。  二子山には、2000年2月にわかん歩きで登ったが、その後の2004年10月23日に中越地震が起きて、この一帯は大きく様変わりしている。二子山の登山口は木沢から武道窪への県道に進んだ先にあるが、その先に進むと震央メモリアルパークがあるので、最初に寄っていくことにした。  二子山登山口を過ぎてカーブを交えながら下っていくと、進行方向右手に震央への案内板が現れた。カーブを過ぎた先に駐車スペースがあったので、ここから歩き出した。入口からは、コンクリート敷きの遊歩道が整備されていた。緩やかに下っていくと、田麦山小学校の生徒が立てた「はるかなふるさと」の柱が立てられていた。その一段上に展望台が設けられていた。展望台の下に広がる田んぼの中央が震央とのことであった。震源の北緯と東経をもとに探したところ、田んぼの中であることが判ったという。大震災が発生元にもかかわらず、田んぼには黄色く実った稲が並んで平和な姿を見せていた。  木沢に戻り、二子山への歩きを始めた。登山口から階段状に整備された坂をひと登りすると、尾根沿いの歩きが続くようになった。歩いていくと石の祠が置かれていたが、山頂はまだ先である。緩やかに登っていくと、南峰の出て、狛犬と石の祠が置かれていた。その先の北峰が三角点の置かれている本峰である。登山道脇には木製の展望台も設けられていたが、雲が広がっていて何も見えなかった。登山道脇の窪地には東屋も設けられていたが、そこへ下る踏み跡はかすかで利用者はすくないようであった。  二子山の山頂から北に下ると、すぐに車道に飛び出した。後は車道歩きで木沢に戻ることになった。本降りの雨が続いていたため、登山の意欲も失って、この日の歩きは終わりにした。  雨の中車を走らせていると雨が上がって、長野県に入ると青空も広がるようになった。連休初日ということで道路も空いておりおり、順調な走りで志賀高原に到着した。  坂道を登り切ったところで、道路脇に一沼(いちぬま)が現れるが、川岸の木立の紅葉が始まっていた。通り過ぎた先の琵琶沼入口の駐車場に車を停めて、一沼を見学することにした。遊歩道を歩いていくと、旭山登山道の標識が現れた。志賀高原のピークはほとんど登っているが、このピークは見落としていた。翌日の岩菅山登山の後、余裕があったらこのピークを登ることにした。一沼の湖畔の展望地と車道脇からから眺めたが、紅葉が始まっており、美しい風景を見せていた。  岩菅山の登山口には、遅い時間にもかかわらず、車が止められていた。連休中とあって、車中泊の登山者も多そうなため、近くの空き地で夜を過ごした。  翌朝起きてみると、雲が垂れこめていた。雲が消えるのを期待した、ゆっくり目の出発にした。登山口に移動すると、何台もの車が止められていた。車のナンバーを見ると、遠方からやってきているものもいた。岩菅山は日本200名山なので、その関係であろうか。この連休中は、日本100名山は混雑が怖くて近寄る気にはなれないが、岩菅山はどうであろうか。  登山口からは、丸太の段々登りが続く。ひと汗かくと、上条用水に出て、この先しばらく平坦な道が続く。橋を一本渡ると、その先でアライタ沢にかかる橋に出る。橋の周辺は滑滝になっており、美しい姿を見せていた。  ここからが、登りの本番になる。登山道は良く整備されているが、段々登りが続いて、足には負担がかかった。歩き始めて時間も経っているにもかかわらず、あいかわらず雲が垂れこめて、霧雨も流れてきた。稜線に出てもこのような天気では裏岩菅山はあきらめて、岩菅山で引き返すこおtになる。太陽が充分登れば、青空が広がることを期待して歩き続けることになった。  尾根沿いの登りを続けると、標高1864m地点で中間点の標識が現れる。ここまで登ったのは標高差300で、岩菅山の山頂まではまだ標高差430mが残されている。地図を見ると、アライタ沢の橋とノッキリとの間の中間点といった感じがするので、この標識で油断をしてはいけない。  ようやく南から延びてきた縦走路に合流するノッキリに出ると、突如といった感じで頭上に青空が広がった。雲海の上に飛び出して、展望が広がるようになった。少し先に進むと、急斜面を落とし込む岩菅山の山肌が紅葉に染まり始めているのが目に入ってきた。写真撮影に足が止まるこになった。この先は、ガレ場の急登になるが、山頂からの展望が楽しみで、足にも力が入った。  早くも下山してくる登山者とすれ違ったが、この青空のもとではもったいないことである。裏岩菅山まで足を延ばしてこそ、この山の魅力を味わうことができるのだが。名山巡りで、次の山を目指すのであろうか。  岩菅山の山頂は、少し前に追い抜いていった単独行がいるだけであった。雲海が広がり、槍ヶ岳から白馬岳に至る北アルプス峰々が姿を見せていた。周辺の山は雲海の下で、横手山が山頂部を見せているだけであった。その脇には噴煙を上げる浅間山が意外な近さで見えていた。  展望を楽しんだ後、裏岩菅山に向かって進んだ。この先は小さなアップダンがあるものの、谷を見下ろしながらの稜線歩きは、お楽しみの時間である。展望の良いところで写真撮影となって、しばしば足が止まった。  途中で引き返してきた者にもであったが、裏岩菅山の山頂には誰もおらず、大休止の間は独り占めの山頂になった。縦走路の先の烏帽子岳は、流れる雲の中で見え隠れしていた。  帰りは、岩菅山を眺めながらの歩きになった。岩菅山は、この方面からの眺めも素晴らしい。岩菅山の山頂に戻ると、数グループが休んでいたが、大型連休中の山頂としては空いている方であろう。岩菅山からのガレ場の下りでは、ばて気味の登山者が目立っていた。ノッキリからは、登山道も良く整備されてることから気楽な下りになった。  車に戻った後は、時間も早かったことから予定通りに旭山を登っていくことにした。琵琶池入口の駐車場は大勢の観光客で賑わっていたが、広大な駐車場のため、駐車には問題はなかった。  まず一沼を見学してから旭山への道に進んだ。幅広の遊歩道が整備されていた。緩やかに登っていくと、旭山と水無池遊歩道入口との分岐に出た。左に曲がって旭山に向かうと、登りの傾斜もましてきた。この山には、家族連れも登ってきていた。白樺が目立ち「白樺美林」という標柱も立てられていた。  ひと登りで到着した旭山の山頂には東屋が置かれ、周辺にはベンチが幾つも置かれていた。琵琶池を見下ろすことができたが、木立が邪魔をしており、展望が損なわれていた。皇族の来山記念碑も置かれていたが、わざわざ登ったことを記念するほどの山であはない。  登山地図には、旭山の山頂からは北に下るように赤線が記されていたが、探したものの道はなかった。一旦戻り、水無池遊歩道入口への道に進んだ。分岐から先は、あまり歩かれていないようで、普通の登山道並みの道になった。緩やかに下っていくと、琵琶池西岸の遊歩道に出た。西岸の道を戻ったが、コンクリート敷きの道で、面白くない道であった。琵琶池の眺めも木立に阻まれて、良く見えなかった。南岸に出た所で、水際まで下りることができたが、駐車場の下のため、観光客で大賑わいになっていた。  三日目には飯士山に登るつもりで湯沢に出たが、町は観光客で賑わっており、登山の意欲を失った。次のプランとしていた鳥屋ヶ峰を登ることにした。  小平尾の旧道で夜を過ごしてから天満宮脇の鳥屋ヶ峰登山口に進んだ。登山口の標識に従って林道に進んだが、草がかぶってきており、後悔することになった。畑の広がる台地に出たが、農道に駐車するという状態であったため、引き返して神社脇に路上駐車を行うことにした。  鳥屋ヶ峰に登ったのは、1997年と1998年でかなり時間が経っている。当時は、国道のトンネルが工事中で、この林道も整備されていたが、用済みになって荒れてきてしまったようである。現在では、下から歩きだすのが正解ということになる。  改めて登山開始になった。林道の登りが始まった。後で記録を読み返すと、国道の上を橋で渡ったのだが、現在では窪地が埋められて判らないままに通過した。台地の上に出て奥に進むと、木の鳥居が見えてきて、ここが登山口になる。鳥居にたどり着くと、草が茂って登山道が隠されていた。一瞬躊躇する状態であったが、先に進んでみることにした。幸い、少し進むと、草も少なくなって歩きやすくなった。その後も、草をかき分ける所も断続的に現れたが、登山を諦めるほどではないが、快適な歩きとは言えなかった。蜘蛛の巣を払いながら歩くのもやっかいであった。  ひと登りで古峯神社に到着。尾根沿いの緩やかな登りを続けると、林道に飛び出して、その先で一本杉に出た。ここの広場からは、越後三山と魚沼平野の眺めが広がっていた。  一本杉付近から始まる沢コースは完全に姿を消していた。この先は、草藪とともに、苔むした泥斜面が滑りやすくなっているのに苦しむことになった。登りも一歩ずつ足場を確かめる必要があり、傾斜以上に難しい歩きになった。下りの時が心配になるほどであった。  送電線が近づくと、その手前で巡視路に飛び出した。西に向かって下っていく巡視路を見ると、良く整備されているようであった。現在は、この道が利用されるように変わったのかと思って道が良くなるかと期待したが、その先も藪が深いところが続いた。  ピークの乗り越しが続いて、鳥屋ヶ峰はなかなか近づいてこなかった。途中で尾根の一段下のトラバース道が現れ、ここでは滑りやすい泥斜面とあいまって、一歩ずつ慎重に足を運ぶ必要があった。  思わぬ苦労をした末に到着した鳥屋ヶ峰の山頂は、刈り払いの広場になって、鐘が吊るされていた。西の眺めが広がっていたが、東の権現堂山や毛猛山塊の眺めが得られる東側は木立が広がっていた。山頂の先の登山道をうかがうと、良い道が続いていた。須原方面からは林道を使って短時間で登れるので、小平尾から登る者は少なくなっているようである。地図にも鳥屋ヶ峰遊歩道と書かれているが、現在では手入れがされなくなっており、ハイキング気分では登れない状態である。これも町村合併で、ローカルな山にまで手が回らなくなったことによる。この登山道も川東地区遊歩道と同じく廃道への道を辿っているようである。  帰りは、つるつる道に苦労しながらの下りになった。一本杉からは、林道を歩いてみることにした。草の生えた林道をカーブを繰り返しながら下っていくと、自動車も走れる道に出た。田んぼ脇に出た後は、稲刈り風景を見ながら車に戻った。 ============================================================================= 15-55 9月23日 鳥坂峰 【日時】 2015年9月23日(水) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 晴 【山域】 櫛形山脈 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  板額峰・ばんがくみね・330m・なし・新潟県  鳥坂山・とっさかやま・438.5m・三等三角点・新潟県  ユズリハの峰・ゆずりはのみね・385m・なし・新潟県  黒中山・くろちゅうやま・446.4m・四等三角点・新潟県 【コース】 登り:樽ヶ橋コース 下り:黒中コース 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/中条 【ガイド】 このコースについては無し 【時間記録】 6:40 新潟=(R.7、中条 経由)=7:45 胎内観音〜8:00 発―8:41 板額峰―9:06 鳥坂山―9:25 ユズリハの峰―9:50 黒中山―10:28 黒中山登山口―10:53 胎内観音=(往路を戻る)=12:05 新潟  白鳥山と鳥坂山は、日本一のミニ山脈と呼ばれて親しまれている櫛形山脈の北端の山である。縦走路を初め、これらの山を中心にした登山道が何本も開かれている。  シルバーウィークも、前半の山から戻り、中一日を休んで最終日になった。近場の山で足慣らしをするため、鳥坂山を樽ヶ橋登山口から登ることにした。  胎内観音堂の脇には広い駐車場が設けられており、車の置き場所の心配はない。登山口からは林道跡を進み、折り返して観音堂の上部に出たところで、急に林道は終わり、登山道が始まる。観音堂から登ってくる登山道は無くなっていた。  岩が露出した登山道が続く。急斜面であるが、細かいジグザグが切られており、下から見たよりは登りやすい。落石防止のためのワイヤーネットが張られているので、その管理道も兼ねているのかもしれない。枝尾根に出ると、太いロープの張られた急斜面の登りになる。足慣らしと思えば、良いコースである。  一汗流すと、板額峰に登りついてほっと一息入れることになる。ここにはコンクイート作りの休憩所のようなものがあるが、登山者のためなのか疑問が残る。緩やかに下ると、鳥坂山への急登が始まる。  急登を終えると、鳥坂山の頂上手前の縦走路に飛び出し、右に曲がるとすぐ先が山頂である。誰もいない山頂であった。同じ山塊の大峰山と比べると、この山に登る者は少ない。  鳥坂山からは、縦走路に進んだ。ユズリハの峰を過ぎて黒中山へは、小さなアップダウンもあり、意外に遠く感じる。黒中山からは一気の下りになる。一昨日の鳥屋ヶ峰と比べれば、落ち葉が積もってクッションになり、歩きやすかった。急な所には新しいロープも張られていた。  黒中コース登山口に下りたってからは車道歩きで車に戻った。途中、脇を通り過ぎた樽ヶ橋遊園地は、大した施設もないが、小さな子供を連れた家族で賑わっていた。 ============================================================================= 15-56 9月27日 諏訪峠 【日時】 2015年9月27日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 飯豊連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  諏訪峠・すわとうげ・446m・なし・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/津川 【コース】 行地より 【ガイド】 新潟のハイキング(新潟日報事業社) 【時間記録】 6:50 新潟=(R.49、三川 経由)=8:00 行地〜8:02 発―9:08 中の茶屋―9:52 林道―10:15 諏訪峠〜10:37 発―10:48 林道―11:22 中の茶屋―11:59 行地=(往路を戻る)=13:20 新潟  諏訪峠は、旧会津街道の一部で、参勤交代のために新発田や村上藩主が、また新潟奉行も通ったという。江戸時代寛文年間に会津藩による街道整備で石畳が敷き詰められ、現在では、この石畳は林道によって分断されてしまっているものの、史跡として一部復元整備されている。  体調不良によって、土曜日の山は休みになった。日曜日の山の目的として、新しいGPSの使い始めを行うことがあった。現在使っているGarmin・Gpsmap60CSは、2005年9月から使ってきたが、コンピューターとの接続がなかなかできなくなってしまったので、新しいものに変えることにした。同様の機種ということで、Garmin・64sを購入した。10年も経ったことと、スマフォでGPSが普通のことになったたtめか、価格も格段に安くなっていた。これが、4台めのGPSになる。  GPSの操作・設定を確かめながら歩く必要があるので、歩きの困難さよりも、電波の入り難そうなコースを考えて、諏訪峠に出かけることにした。行地からの諏訪峠は、2008年12月以来ということになるので、登山道の状態にも興味がある。  新谷川を渡ったところから行地への道が分かれる。かなり山奥に進んだ所で、ようやく行地の集落に到着する。T字路に突き当たった所に「中部北陸自然歩道・殿様街道」の案内板や「歴史の道・会津街道」の標柱が置かれている。この入口付近は道幅が狭いので、右手の道に進んで坂を上がっていくと、駐車スペースが現れる。  ここから歩き出し、車道を進んでいくと、民家の脇に置かれた「会津街道」の標柱に従って、林道幅の道に進む。しばらくは車の轍も続いているが、少し先の簡易水道施設までで、草地の道を進んだ先で登山道が始まる。ひと歩きで、道の両脇に小山が築かれた一理塚に到着する。この先は、送電線の巡視路などの脇道もあるので、迷い込まないように注意が必要であった。歩くにつれて、伸びきった草で煩わしくなっていった。踏み跡はしっかりしているといっても、前回のGPSのログから作ったトラックデーターと見比べながらの歩きになって、中部北陸自然歩道のイメージからはほど遠くなっていた。廃道寸前の旧街道歩きと思えば面白い体験ということになる。  新しいGPSは、トラバースの多い道でも、良く電波を拾ってくれた。精度の点では格段に進歩しており、新しく買っただけの価値はあった。細かい設定をしながら歩いたので、歩きのペースは遅くなった。  中の茶屋を過ぎると、カーブを交えながらの登りになったが、水が流れ込んで、沢の中を歩くような状態になっていた。続く大ぶなでは、二本並んだ大ブナのうち、一本が折れて朽ちてしまっていた。幅広になった道を登っていくと、林道を横断し、その先は送電線下の管理道の歩きになった。草も伸びており、標識の置かれている石畳も判らなくなっていた。  諏訪峠に到着して、吉田松陰歌碑の土台石に腰を下ろした。振り返れば見えるはずの五頭連峰も雲に隠されていた。展望が良ければ、峠の脇にあるアンテナ施設まで足を延ばすのだが、ここで大休止して引き返すことになった。  帰りは、GPSのログデーターを確かめながらの歩きになった。家に戻ってからコンピューターにデーターを吸い上げると行きと帰りでほとんど変わらない制度が得られていた。 ============================================================================= 15-57 10月3日 三倉山 10月4日 愛宕山 【日時】 2015年10月2日(金)〜4日(日) 前夜発2泊2日 各日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 3日:晴 4日:曇り 【山域】 那須連峰 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  流石山・ながれいしやま・1815.5m・三等三角点・福島県、栃木県  大倉山・おおくらやま・1885m・なし・福島県、栃木県  三倉山・みくらやま・1888m・なし・福島県、栃木県 【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/田島、那須岳/甲子山、那須岳 【コース】 大峠林道登山者用駐車場 【ガイド】 新・分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「那須・塩原」(昭文社) 【山域】 津川周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/越後豊川 【コース】 野村入口より 【ガイド】 なし 【時間記録】 10月2日(金) 14:00 新潟=(R.49、会津坂下、上三寄、R.118、小野、R.121、養鱒公園、野際新田 経由)=17:20 大峠林道駐車場  (車中泊) 10月3日(土) 6:10 大峠林道駐車場―6;24 林道終点―6:58 大峠―8:45 流石山―8:54 大倉山―9:30 三倉山〜9:35 発―10:12 大倉山―11:06 流石山〜11:25 発―12:18 大峠―12:51 林道終点―13:05 大峠林道駐車場=(野際新田、養鱒公園、R.121、小野、R.118、上三寄、会津坂下、R.49、徳沢、R.459、弥生 経由)=19:00 鏡山登山者用駐車場  (車中泊) 10月4日(日) 1:00 鏡山登山者用駐車場=(弥生、R.459、徳沢、R.49 経由)=7:02 野村上バス停―7:40 愛宕山―8:09 野村上バス停=(R.49 経由)=9:30 新潟   那須山塊のうち、三本槍岳以北を北那須、三本槍岳から茶臼岳付近の登山者でもっとも賑わう部分を表那須、西側の男鹿山塊を裏那須と呼ぶという。流石山、大倉山、三倉山は、裏那須に位置し、これらの三山を連ねる縦走路には、那須随一の高山植物のお花畑が広がっている。大倉山と三倉山の位置関係については、下郷町と黒磯市の見解の相違によって、それぞれ逆であるという論争がある。  愛宕山は、山頂に愛宕神社を奉った山として、全国にも多く見られる名前である。この愛宕山は、津川からR.49を福島県境方面に進み、常浪川を渡った所の野村の集落の背後にある山である。  この週末は、いよいよ紅葉の始まりになるはずと思われた。天気予報では、東北北部は雨がちのようで、福島県方面を考え、裏那須方面に出かけることにした。大峠に上がって、その先、三本槍岳か三倉山のどちらに向かうかは、現地で決めることにした。  暗くなったところで、野際新田から大峠林道に走りこんだ。台風崩れの爆弾低気圧のおかげで道路上には木の枝が落ちていた。狭い林道で暗い中を走るのは危険なため、途中の日暮滝展望台の駐車場で夜を過ごした。  翌朝、明るくなったところで出発。カーブを交えながら上っていき、トラバース気味の道に代わると、未舗装の道に変わった。ヨロイ沢を渡り、林道が左に分かれた先で、登山者用駐車場に到着した。  駐車場からは荒れた林道歩きになった。一般車は駐車場から先進入禁止と書かれていたが、林道終点まで入っている車もいた。禁止となっていなくとも、ここを車で走る気は起きない。  林道終点からも、しばらくは林道幅の道が続いたが、次第に登山道幅の道になっていった。九十九折の道を登っていくと大峠に到着した。峠では、公園の管理人が標識の整備を行っていた。整備のお礼をいうと、どこへと聞いてきたので、三斗小屋温泉経由で三本槍岳周回を行おうかと思っているというと、登山道に笹が倒れこんでいてずぶ濡れになるよと言ってきた。三倉山への稜線は紅葉の盛りになっているともいう。見ると、三斗小屋温泉方面の谷間は、紅葉はまだという状態であった。お礼を言って、三倉山に向かうことにした。  大峠から流石山へは、標高差300mの急斜面の登りになる。ニッコウキスゲの季節には、お花畑を見ながらの登りになるのだが、今回は黙々と登ることになった。それでも高度を上げると、流石山の南斜面が紅葉に染まっているのが目に飛び込んできて、期待も高まった。  傾斜が緩んで尾根歩きに変わると、直に流石山に到着した。小広場になって、三角点が頭を出していた。この山の最高点は1822m点であるが、登山道はその直下を通過しており、山頂標識は少し低い三角点部に置かれている。  流石山からは、展望を楽しみながらの稜線歩きになった。草原部は茶色に、斜面に広がる木立は、赤や黄色に染まったいた。北側の谷越しには、三倉山が、ピラミッド型の堂々とした姿を見せていた。カメラを首に下げての写真撮影モードでの歩きになった。速足の登山者が追い抜いていったが、ゆっくりと風景を楽しまないのはもったいない。ゆっくり歩くには、太陽の位置の問題があった。茶臼岳や三本槍岳は東側にあるため、逆光になって写真にならない状態であった。太陽が登った昼に、来た道を戻るため、それまで時間を調整するj必要があった。  小ピークを越しながら歩いていくと、どっしりした鍋底状の大倉山が近づいてきた。小さな池の五葉ノ泉を過ぎると、登りが続くようになって、大倉山の山頂に到着した。この山頂は、木立に囲まれた小広場で、休むにしてもあまり面白くない。  大倉山からの下りになると、紅葉に彩られた三倉山が正面に広がって、見とれて思わず足が止まってしまった。三倉山は、これまで二回登っているが、ガスが流れて、充分な展望は得られておらず、三倉山の姿というのも、充分に把握していなかった。山腹に岩場を抱き、ピラミッド型の山頂は、存在感があった。  手前の三角点ピークに上がると、三倉山の山頂に向かって登山道が一気に上がっていくのが見えた。僅かに下ってから最後の登りを頑張ることになった。到着した山頂には、四名の先行者がいたが、紅葉の盛りの山としては、混雑とは程遠く静かであった。唐沢山への登山道をおかがうと、しっかり整備されているようであった。次回は、音金側から登ってみよう。その際は、三倉山自体の眺めを楽しむために三角点ピークまで足を延ばす必要があろう。  帰りは、茶臼岳や三本槍岳を眺めながらの稜線歩きになった。太陽も上って光線の具合もよくなって、紅葉の風景を楽しむことができた。流石山まで戻った所で大休止をとった後に下山した。  駐車場に戻ると、車で満杯になっていた。三倉山方面はすいていたが、三本槍岳を目指した登山者が多かったようである。  翌日は飯豊の眺めを目的に鏡山に登ろうと思い、鏡山の弥生側の登山口駐車場に入った。夜中に本降りの雨になり、翌日の鏡山はあきらめ、林道から脱出し、車を移動して奥川方面で夜を過ごした。  翌朝は、雨は止んだものの、雲が垂れこめる天気で、登山の意欲が薄れてしまった。軽く山に登っておしまいにしようと思い、帰り道の途中の愛宕山に向かうことにした。昨年の2月にスノーシュー歩きで登ったが、その際に国道49号線脇の山裾に登山口の標識が置かれているのを知った。雪の無い時期に登って登山道の状態を確かめたいと思っていた。地図は用意していなかったので、記憶頼りということになった。  登山口への農道沿いには車を置くスペースが無かったため、野村上バス停のスペースから歩き出した。愛宕山登山口の標識ににも関わらず、その背後の杉林の中の踏み跡ははっきりしなかった。奥に進むと、幅広の切り開きに乗ることができたが、夏草が茂っており、登山者は利用していないようであった。ひと登りすると、整備されている林道に飛び出した。現在は、この林道がアプローチに使われているようなので、下山時に確かめることにした。林道を横断した先のススキの原に刈り払い道が続いていたので、この道に進んだ。送電線の下に沿って登っていくと、幅広の尾根上に出た。左に分かれるはずの登山道を探しながら進んだが、下りにかかるところまでに見つからなかった。引き返して、最初の鉄塔の背後を探すと、林道幅の道が続いていた。これが登山道かと思って進むと、下りになって、最初に横断したと思われる林道に戻ってしまった。  林道の先に進むと、ようやく愛宕山への登山道が現れた。この入口には、登山道標識も置かれていたが、古びていた。登山道をひと登りすると尾根沿いの道になり、じきに愛宕山の山頂に到着した。小さな祠も置かれており、地元の人がお参りをしているようであった。南に向かって切り開き道が続いており、進んでみたい誘惑にかられたが、地図も持っていないので、今後の課題ということにした。東と南に延びる送電線の巡視路になっている可能性がある。  下山時に林道を辿ると、昨年に利用したコースになって、最後は野村集落内の諏訪神社の脇に出た。昨年に登ろうとした時に、地元の人から愛宕山の登山口は国道脇だよと言われたが、この諏訪神社から入るのが正解であることが判った。 ============================================================================= 15-58 10月10日 赤崎山 【日時】 2015年10月10日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 飯豊連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 赤崎山・あかさきやま・371.9m・三等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/津川 【コース】 レイクサイト角神駐車場より赤湯登山コース・サイノカミ峠登山コース周回 【ガイド】 新・にいがた花の山旅(新潟日報事業社) 【時間記録】 7:00 新潟=(R.49、津川、R.459 経由)=8:20 レイクサイト角神駐車場〜8:45 発―9:27 林道―10:10 赤崎山〜10:32 発―11:12 サイノカミ峠登山口―11:32 レイクサイト角神駐車場=(往路を戻る)=13:10 新潟  阿賀野川は、津川の手前で、赤崎山にぶつかって大きく東に向きを変え、この山を半周して再び西の日本海に向かって流れていく。赤碕山は、現在では山頂直下まで林道が上がってきており、山頂付近は公園として整備されてしまっているが、阿賀野川へ落ち込む岩壁をめぐらした山頂は、会越国境の山々、さらに飯豊連峰の好展望台になっている。  体育の日がらみの三連休であるが、三日目から中国・九寨溝にいくため、土曜日に簡単な山を登って終えることにした。新しいGPSの能力を知るため、崖際の道が続く赤崎山に出かけることにした。  天気予報に反して、途中で雨が降ってきたが、レイクサイト角神駐車場に到着した時には止んでいた。雨雲が薄くなるのを待った歩き出した。  赤湯温泉登山口から歩き出したが、夏草が茂っていて、初めてだと進むのを躊躇する状態であった。崖際のへつり道が続くので、草に隠された路肩を踏み外さないように注意が必要であった。それでも奥に進むと、道の状態は良くなった。  パイプ製の橋を渡ると杉林の中の登りになる。下生えは少なく、杉の落ち葉で登山道を見失わない注意が必要であるものの歩きやすくなった。GPSの衛星受信状態も安定しており、実際の登山道と地形図の破線と一致していることが確認できた。ひと登りすると送電線巡視路が分かれ、その先で急坂をひと登りすると、雑木林の緩やかな登りに変わった。  緩やかに登っていくと林道に飛び出して、後は林道歩きが続く。途中で、白いブナのコミチが分かれるが、軽トラ何台もの作業員が回転ノコで刈り払いを行っていたので、林道をそのまま歩いた。  天女の花筏と名付けられた展望台で鹿瀬ダムや黒崎山、棒掛山の眺めを楽しんだ後に、赤崎山への道に進んだ。遊歩道を登っていくと、東屋の設けられた赤崎山の山頂に到着する。この東屋は、天空の風と名前が付けられているが、意味が分からない。東屋の先の広場は、ベンチが置かれているが、木立が刈りはらわれて、以前よりも見晴らしが良くなっていた。  ひと休みの後、サイノカミ峠登山道に進んだ。池の脇から登山道に進むと、急な下りになるが、すぐに山腹の巻き道になる。春には山菜採りに出会ったが、秋のキノコ採りは入山していないようであった。  サイノカミ峠コースの登山口からは車道歩きになるが、20分ほどなので、我慢のうちである。赤崎山は、林道へ車で入ればすぐに登れてしまう山ではあるが、周回コースであればひと汗流すことのできる良い登山コースになる。 ============================================================================= 15-59 10月31日 小枕山 【日時】 2015年10月31日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 雨 【山域】 朝日連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 小枕山・こまくらやま・三等三角点・837.5m・山形県 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/手ノ子/五味沢 【コース】 おぐに白い郷土の森より 【ガイド】 山と渓谷2001年9月号 【時間記録】 7:00 新潟発=(R.7、三日市、R.290、大島、R.113、小国、五味沢 経由)=9:40 おぐに白い郷土の森入口〜10:05 発―10:21 ABCコース分岐―10:49 ACコース分岐―11:18 小枕山〜11:25 発―11:58 ACコース分岐―12:27 ABCコース分岐―12:45 おぐに白い郷土の森入口=(往路を戻る)=16:00 新潟  小枕山は、朝日連峰の祝瓶山の南にあるピークである。山麓の在所平一帯は「おぐに白い郷土の森」として、ブナの森の中に森林浴遊歩道が設けられている。  中国から戻って登山再開となったが、紅葉も終盤にさしかかっているようである。ただ、週末は雨の予報が出てしまった。雨の中でも歩ける山として、朝日連峰の端山である小枕山に出かけることにした。  荒川沿いの国道を走ると、周囲の山肌もかなり色づいていた。小国から五味沢に向かい、出戸から大規模林道小国・真室川線に進む。この林道は、11月に入るとゲートが下ろされて冬季閉鎖になるが、閉鎖日時についてはまだ掲示されていなかった。カーブを交えながら一気に高度を上げていく道が続いたが、周囲の紅葉も美しいため、車を停めて撮影しながらのドライブになった。小枕山トンネルを過ぎると、その先から道は細くなって草が倒れこむようになったが、車の走行には問題はなかった。高度を一気に下げると、おぐに白い郷土の森の入口に到着する。キノコ採りのものなのか一台の車が停まっていた。  雨が断続的に降る状態であったので、少し様子見をしてから歩きだした。紅葉の中を歩く状態になった。道は良く整備されており、雨の中でも歩くのに問題はない。小雨の中の歩きのため、防水カメラの出番になった。  ABCコース分岐に出て、いつものように左手のCコースに進んだ。大きく円を描くように歩いていくと、沢沿いのBコースが合流し、さらに歩いていくとACコース分岐に出た。この周辺にはブナの大木が並んでいる。そこからひと登りで尾根上に出ると、遊歩道はここまでとなり、この先の登山道は、やや荒れた状態になる。この尾根沿いの紅葉は美しいのだが、今回はすでに終わっていた。小枕山は、紅葉の時期が山頂部から麓にかけて違っているので、紅葉見物には都合が良い。  急な尾根をひと登りして到着するのは尾根の張り出しの偽ピークで、もうひと頑張りする必要がある。二か所にロープのかかる滑りやすい急斜面を越すと、小枕山の山頂に到着した。雨も止んで、山頂を霧が流れすぎていた。誰もいない山頂でひと息ついた。小枕山は、ブナ林の紅葉を楽しめる山であるが、あまり知られておらず、静かな山を楽しむことができる。  ロープの助けもかりて急斜面を下り、遊歩道に戻ってからは、雨も止んだことからデジカメ一眼を首に下げて写真を撮りながらの歩きになった。Aコースを辿って一周してから車に戻った。 ============================================================================= 15-60 11月1日 榎峠 【日時】 2015年11月1日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 飯豊連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  榎峠・えのきとうげ・180m・なし・新潟県 【コース】 沼より往復 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/安角 【ガイド】 無し 【時間記録】 9:00 新潟=(R.7、十文字、R.113 経由)=10:15 沼〜10:33 発―11:03 榎峠―11:24 大内淵側登山口―11:48 榎峠―13:13 沼=(往路を戻る)=14:00 新潟  朝日連峰と飯豊連峰は、荒川によって分けられている。現在では米坂線や国道113号線が通る荒川沿いは、かつては越後と米沢を結ぶ交通の要所であったが、赤芝峡をはじめとする難所が続いて道を付けることができず、内陸部を切り開いて、村上から羽前小松の間を十三の峠で結んだという。この越後米沢十三峠街道は、出稼ぎや物資の運搬に使われていたが、現在ではその役目が終わって、忘れられた峠道になった。  今年の2月7日に、スノーシュー歩きで榎峠に登ったが、旧街道を辿って楽勝と思ったところ、道が判らず意外に苦戦した。雪の無い時期に道の状態を確認する必要があると思っていたので、出かけることにした。  先回と同じく、沼集落の路肩スペースに車を停めた。雪のある時は、榎峠への入口が判りにくかったが、榎峠への標識が置いてあった。小綱木川を幅の狭いコンクリート橋で渡ると、その奥の山の斜面は送電線の保守のために伐採地になっていた。壊れかかった農作業小屋の背後に幅広の道が続いていたが、すぐ先で崩壊地に行きあたり、細い踏み跡を辿ることになった。初心者だけだと先に進むのを諦めるかもしれない。  見覚えのある土砂崩れによってできたと思われる崖の下に出た。左手から回り込むと、尾根沿いになって、この後ははっきりした道が続くようになった。じめじめした台地を抜けると、杉林の中の歩きになった。旧街道を思わせるような幅広の道が続いていた。  無名戦士の墓に、再開。前回のGPSで記録した位置が地形図の破線から外れていたので、誤差によるものかと思ったが、今回も同じ場所で、地形図の方が実際のコースと違っていた。杉林の中をカーブを交えながら上っていくと、杉林を抜けて雑木林の中に出た。臓器林に出ると、榎峠までもうひと登りであった。  榎峠の沼側には石仏が置かれていた。訪れるものもほとんど無い静かな峠であった。ここまでは、それほど時間もかからなかったことから、大内淵側登山口まで歩いて戻ってくることにした。大内淵側の方が、植林などの手が加えられておらず、旧街道を思わせる道型も良く残されていた。紅葉も美しく、写真を撮りながらの歩きになった。峠までの一方だけを歩くというのなら、大内淵側の方がお勧めである。もっとも時間もそれほどかからないので、両登山口を結んで往復するのが良いであろう。  国道の走行音が近づいてきて登山口も近いと思われると、道路工事の現場が眼下に現れた。鷹巣道路ということで、新しい道路が造られるようである。大内淵側登山口付近は、これから榎山トンネルに並行して設けられるトンネルの工事によって、登山道の変更などの制限が加えられるかもしれない。  一旦国道に出てから、再び峠越えの歩きを再開した。   ============================================================================= 15-61 11月3日 大里峠 【日時】 2015年11月3日(火) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 雨 【山域】 飯豊連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  大里峠・おおりとうげ・470m・なし・新潟県、山形県 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/小国 【コース】 玉川より 【ガイド】 越後佐渡の峠を歩く(新潟日報事業社) 【時間記録】 6:50 新潟=(R.7、R.290、R.113、赤芝発電所 経由)=8:20 玉川〜8:40 発―8:58 林道終点広場―9:58 大里峠―10:23 茶屋跡―10:43 沼側林道終点―11:02 茶屋跡―11:31 大里峠〜11:45 発―12:32 林道終点広場―12:47 玉川=(往路を戻る)=14:30 新潟  朝日連峰と飯豊連峰は、荒川によって分けられている。現在では米坂線や国道113号線が通る荒川沿いは、かつては越後と米沢を結ぶ交通の要所であったが、赤芝峡をはじめとする難所が続いて道を付けることができず、内陸部を切り開いて、村上から羽前小松の間を十三の峠で結んだという。この十三峠街道は、出稼ぎや物資の運搬に使われていたが、現在ではその役目が終わって、忘れられた峠道になっている。大里峠は、沼と玉川を結ぶ峠で、新潟と山形の県境が通過している。  十三峠街道の榎峠に続いて大里峠を歩くことにした。2000年6月には沼側から、06年11月には玉川側から歩いているが、今回は玉川から沼側の林道終点まで歩いてから引き返すことにした。  玉川側の入口は、手ノ倉沢川に掛かる橋のたもとから始まっている。空き地が無かったので、橋を渡った先の路肩に寄せて停めた。登山口周辺は紅葉の盛りになっていた。  はじめは、車の走行も可能な林道歩きになる。ひと歩きすると、右手に林道が分かれるが、ここには大里峠の案内図と説明版、「大里峠の凶霊供養塔」が置かれていた。さらに300mほど歩くと、林道終点となり、この先は登山道歩きになった。小さな沢を渡ったりする道が続き、地形図の破線とはずれている所もあった。手ノ倉沢川の谷間沿いには送電線も通じているので、送電線の巡視路の関係でコースが昔と違っている所も出てきたようである。歩くうちに旧街道にふさわしい幅広の道も現れた。紅葉を眺めながらの緩やかな登りが続いた。  ブナ林の中の九十九折の登りを終えると、大里峠に到着した。峠は、草が短く刈られた広場になっており、傍らには、お堂が置かれている。中をのぞくと、赤い前掛けや帽子がかぶせられた石仏が置かれ、千羽鶴が吊るされていた。  ここまでは、断続的に小雨が降っていたが、歩くのに支障はないので、沼側に下ることにした。下り口付近は、細道であったが、すぐに幅広の道に変わった。緩やかに下っていくと、杉の植林地が現れて里も近いと思ったものの、先はまだ長かった。  茶屋があったという柄目木を過ぎると、沢に向かっての下りになった。丸太橋で対岸に渡るが、すぐ先で徒渉となって右岸に戻ることになった。どうも土砂崩れによって、道が変わったようである。  沼側の林道終点は広場になっており、林道の路面の状態も良さそうであった。以前は、路面の状態が悪かったが、現在は入りやすくなっているのかもしれない。  大里峠に向かって登り返し、峠のお堂の軒先に腰を下ろして大休止にした。行きと帰りでは、風景の見え方も違ってくるので、往復は無駄ではない。雨も上がったので、カメラを首に下げて、紅葉の写真を撮りながら、玉川に向かってのんびり下った。 ============================================================================= 15-62 11月7日 マンダロク山 【日時】 2015年11月7日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 川内山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 マンダロク山・まんだろくやま・865.9m・三等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川、御神楽岳/馬下、高石 【コース】 日倉山くりの里より 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:40 新潟発=(R.49、五十島、三月沢橋、日倉橋 経由)=7:55 日倉山くりの里〜8:14 発―8:48 三角点―10:15 マンダロク山〜10:25 発―11:49 三角点―12:15 日倉山くりの里=(往路を戻る)=13:30 新潟  マンダロク山は、川内山塊の早出川右岸にある山である。日本平山から日倉山を経て菅名岳方向に北進する稜線の一画にあることから、前日倉山とも呼ばれている。国道49号線脇の五十島の集落から眺めると、谷の奥に肩を張った上に三角形の山頂を持つこの山を望むことができ、登頂意欲をそそられる。 金曜日に郡山へ日帰りしたため、遠出の意欲を失っていた。近場で紅葉を楽しめる山としてマンダロク山に出かけることにした。マンダロク山は、近くてスラブの眺めも楽しめる山であるが、これまでには1999年10月と2006年10月の二度しか登っていない。  国道から分かれて登山口に向かう五十島からはマンダロク山の眺めが広がるが、霧がかかって山の姿は隠されていた。五十島から山に向かい、突き当たったT字路を右折。五十母川を渡った先から分かれる林道に進む。すぐ先で林道が二手に分かれるが、直進状態の右手の林道に進む。この林道の入口にかから鎖は外されて地面に横たわっていた。  九十九折状態の道で高度を一気に上げた。林道は舗装されて、脇から草が倒れこんできていたが、走りやすい状態であった。台地に出ると、栗園が広がっており、管理小屋の脇の空き地に車を停めた。管理小屋も冬支度を終えて締め切られていた。栗園からは、マンダロク山の眺めが広がっているが、霧がかかって、麓部分が見えるだけであった。太陽が上って霧が晴れることを期待して歩き出した。  栗園の中を進んでいくと、上部で登山道が始まる。雑木林の中に登山道が続いているが、素晴らしい紅葉が広がっていた。ひと登りすると滝見場に出るが、水音は大きく聞こえるものの、滝の姿は谷向こうの斜面で小さい。ここからひと登りで三角点ピークに出る。ここには、「展望台、独標」という看板も置かれているが、展望はない。滝見場で足を停めて写真を撮ったばかりなので、そのまま通過になる。この少し先で「山頂まで2時間」の標識が現れるが、それほどはかからない。「山頂まで1時間」の標識もあったはずであるが、失われたのか、今回は見当たらなかった。  小さなアップダウンが続くが、紅葉が美しく、楽しく歩くことができた。霧も晴れてきたが、見上げる山頂には雲がかかっていた。山頂到着を急ぐことはないと、ゆっくり歩くことにした。左手の斜面にスラブを眺めることができるようになると、細尾根の急登が始まった。  一汗かくと稜線上に出て傾斜も緩まるが、その先はやせ尾根状態のところも出てきて、気の抜けない歩きが続く。稜線が延びていく先にマンダロク山の山頂はまだ高く聳えていた。実際には、手前のピークで、実際の山頂は奥にあるのだが。  山頂に見える手前のピークに向かって登っていくと、足がかりの乏しいざれ場に出た、ここまでの足場の悪いところにはロープも取り付けられて助けになったのだが、ここのロープは失われてしまったようで、自力で登る必要があった。この難所を通過すると、緩やかな稜線歩きでマンダロク山に到着した。  マンダロク山の山頂は三叉路状態になっており、二本の登山道が先に続いていた。左は日倉山方面に続くが、途中で終わっている。右の道も、ネット上の情報によれば、すぐ先の820mピークで終わってしまうようである。  休むうちに雲も薄くなって、北西に位置する菅名山塊の眺めが広がるようになった。残念ながら、南の日倉山や日本平山方面は逆光で良く見えなかった。  下山は、登山道の通じている稜線脇に広がるスラブの眺めが素晴らしく、ミニ・御神楽岳といった感じであった。写真を撮りながらの歩きになってしまった。  マンダロク山は、新潟から近いにもかかわらず知名度は低く、静かな山歩きを楽しむことができるのも魅力である。 ============================================================================= 15-63 11月8日 萱野峠 【日時】 2015年11月8日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 雨 【山域】 飯豊連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  萱野峠・かやのとうげ・278m・なし・山形県 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/小国 【コース】 玉川より 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:45 新潟=(R.7、R.290、R.113、赤芝発電所 経由)=8:20 玉川〜8:40 発―9:03 萱野峠―9:58 林道―10:18 足野水―10:36 林道―11:03 萱野峠―11:34 玉川=(往路を戻る)=13:10 新潟  最近、見直しが進んでいる越後米沢十三峠街道のうち、玉川と足野水を結ぶ区間にある峠が萱野峠である。  雨の予報が出たので、先日の大里峠に続いて、その隣の萱野峠を歩くことにした。2006年11月11日に歩いているが、この時は大玉側からの往復であったが、今回は足野水まで歩いて引き返すことにした。  玉川小中学校の入口に萱野峠の案内板があり、その斜め向かいに萱野峠の入口がある。民家の脇を抜けると、坂道を下っていくと、玉川大橋と呼ばれる吊り橋に出て、これを渡る。玉川の流れは紅葉とあいまって美しい姿を見せていた。  橋を渡った先の杉林の中で右にも踏み跡が分かれるが、正しい道は直進。ひと登りすると屋敷跡という案内板が現れた。沢沿いの道から離れると、登山道上に石畳が見られるようになった。萱野峠コースでは、多くの範囲で石畳が見られた。落ち葉が積もって石畳みが覆われ、うっかり足を下ろすと滑るところもあるので、若干歩きにくかった。道の状態は、刈り払いもしっかり行われており、以前よりも歩きやすくなっていた。  峠手前は台地状になっており、湿地になった窪地があった。これが萱の原で、峠の名前の由来になったようである。この先はひと登りで、萱野峠に到着した。峠付近は、足野水側から杉林が広がってきており、峠を示すようなものは無いのが残念であった。  足野水側に進むと、緩やかな斜面に幅広の道が続いていた。杉林が途切れると、美しい紅葉の風景を楽しむことができた。  傾斜が緩むと、菱子沢の徒渉点に出た。水量は少ないし、雨の中で長靴を履いているので、沢を渡るのは問題は無かったが、岸辺が切り立っていて足場が乏しく、這い上がるのに苦労した。対岸に渡って周辺を眺めると、アルミ製の横板が木に立てかけてあった。冬の準備として、橋を撤去してしまったようである。旧街道歩きは、紅葉の盛りの今が適期と思えるので、残念である。その先でも、二回の徒渉が必要になった。  林道に飛び出したところで左に進むと、40m程で旧道が始まっていた。足野水もすぐと思ったものの、この先は尾根の乗り越しがあって、もうひと汗かくことになった。最後に民家の横を抜けると、足野水の車道に飛び出して、引き返しになった。  雨の中の歩きで、引き返しは少々辛い歩きになった。 ============================================================================= 15-64 11月14日 朴ノ木峠 【日時】 2015年11月14日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 雨 【山域】 飯豊連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  朴ノ木峠・ほのきとうげ・398m・なし・山形県 【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/小国 【コース】 足野水より 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:45 新潟=(R.7、R.290、R.113、赤芝発電所 経由)=8:25 足野水〜8:45 発―9:30 朴ノ木峠―9:51 健康の森入口―10:14 朴ノ木峠―10:54 足野水=(往路を戻る)=12:50 新潟  朴ノ木峠は小国と足野水を結ぶ越後米沢街道の十三峠のひとつである。現在では、この区間に林道が開かれているが、コースは別で、旧街道は残されている。峠からは飯豊の眺めが開けており、十三峠の中でも展望の良い峠になっている。  この週末も雨。越後米沢街道の十三峠歩きの続きとして、朴ノ木峠に向かった。玉川の手前の下新田で新田橋を渡って玉川沼沢線に向かう。分岐からはひと走りで足野水に到着した。玉川から足野水までは、昔は萱野峠を越す必要があったが、現在では遠回りと言っても、車ならそれほど時間はかからない。足野水は車道沿いに数軒の民家が点在するだけで、街道沿いの集落であったことを想像することも難しい。  萱野峠の登山口を過ぎた先の朴ノ木沢の左岸側に朴ノ木峠の登山口があった。民家の脇を抜けて沢沿いに進むと、小さな砂防ダムの堰堤を越した先で踏み石伝いに右岸に映ることになった。坂をひと登りすると枝尾根沿いの緩やかな歩きになった。  旧街道を思わせる幅広の道が続いていた。ただ、電柱の列が直線的に峠まで続いているのが、少々目障りであった。そでも脇に逸れると、沢を見下ろしながらの気持ちの良い歩きになった。紅葉もすでに散って、木立は寒々とした姿を見せていた。  峠が近くなると、水が流れ込んで、ぐずぐずの道になった。雨の中の歩きということで長靴を履いているので、気にはならなかったが、ぬかるみの防止のために石畳を設けたということが納得できた。  最後に旧坂を登ると、車道の通過している朴ノ木峠に到着した。峠のすぐ下にでべそ山の登山口があることから、この峠は訪れたことがあった。飯豊の展望を楽しむことのできる峠であるが、残念ながら雲が垂れこめていた。峠脇には聖観音のお堂があり、階段を登って中をのぞいたが空のようであった。聖観音の上に向かって道が切り開かれていたが、これは健康の森の遊歩道のようであった。  朴ノ木峠から下っていくと、石畳がかなりの長さで現れた。さらに下っていくと、ばけもの杉が現れて、その先で健康の森に到着した。健康の森にはバンガローが並んでいたが、冬を前にして、なにやら工事を行っていた。旧街道の入口に標識は見られなかったが、冬を前に撤去されてしまったのかもしれない。  健康の森から小国へは、車道歩きになるため省略して、引き返すことにした。 ============================================================================= 15-65 11月21日 不動堂山 【日時】 2015年11月21日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り時々雨 【山域】 菅名山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   不動堂山・ふどうどうやま・557.4m・三等三角点・新潟県 【コース】 登り:送電線巡視路口 下り:林道終点直登コース 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/村松 【ガイド】 新潟100名山(新潟日報事業社) 【時間記録】 6:55 新潟=(R.49、R.403、新津、五泉、村松 経由)=8:05 林道入口〜8:24 発―8:45 鉄塔―9:46 八合目直登コース分岐―9:55 不動堂山―10:02 八合目直登コース分岐―10:31 林道終点登山口―11:04 林道入口=(往路を戻る)=12:20 新潟  不動堂山は、菅名山塊の南端にあり、主峰よりは一段低いものの、早出川のほとりに三角形の均整のとれた姿を見せる山である。また、福連寺山は、菅名山塊が早出川に落ち込む最後の高まりである。不動堂沢を挟んで不動堂山と向かい合い、小さいながらも独立した山の形をなしている。早出川を挟んで向かい合う雷山とともに「東光院物語」の伝説の舞台になっている。  せっかくの三連休ではあるものの、天気予報では、中日の日曜だけが雨から免れるようであった。土曜日は、雨でも歩ける山として不動堂山に向かうことにした。  今回は、林道終点の登山口に下山するつもりでああったので、キノコ工場奥の空き地まで車で進んだ。歩き出す準備をしていると、軽トラックが到着して、ゲートの鎖を外して林道を進んでいった。ただ、この車はすぐ先で停車しており、山仕事の車であったのか不明であった。  いつものように送電線巡視路から登り始めた。ジグザグ道が造られているが、尾根末端の急斜面で、一気に汗が噴き出る。11月末にもかかわらず、暖かい日が続いている。  送電線の鉄塔下に出ると、川内山塊の眺めが広がるが、厚い雲が広がって展望は閉ざされていた。もうひと登りすると尾根上に出た後は小さなアップダウンを交えながらの登りになる。紅葉の美しい尾根ではあるが、すでに散り終えていた。  途中、雨粒が落ちてきたが、すぐに止んで、雨具の上着を着込む必要はなかった。長靴に雨具のズボンを履いての歩きなので、少々雨が降ろうと気にする必要はない。  ブナが見られるようになると、八合目分岐に到着する。この先は、ブナ林を見ながらもうひと歩きになる。イメージとしては、八合目というよりは九合目といって良い。不動堂山に到着したが、ガスが流れて展望もないので、すぐに下山にうつった。  八合目からは、林道終点へのコースに進んだが、この登山道も良く整備されている。急斜面であるが、落ち葉に滑って尻餅をつかないように注意する必要はあるものの、危険というほどではない。  登山道に戻ってからは、林道歩きで車に戻った。この林道を歩いたのは2011年10月以来ということになるが、土砂崩れ箇所は直されていたものの、木が倒れこんでいて、不通状態になっていた。  三連休で新潟市にも近いにもかかわらず、不動堂山は、誰にも合わない静かな山であった。近くの雷山は、山小屋ができて登山者も多くなっており、人気の度合いに差ができているようである。 ============================================================================= 15-66 11月22日 白根山 【日時】 2015年11月22日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 川内山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 白根山・しろねやま・918.1m・三等三角点・新潟県 【コース】 林道親沢線沿い登山口より往復 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/粟ヶ岳 【ガイド】 なし 【時間記録】 5:55 新潟=(R.49、亀田、R.403、加茂、R.290、荒沢、R.289 経由)=7:05 林道親沢線入口〜7:25 発―7:46 登山口―7:58 山ノ神―8:36 稜線上―8:45 熊狩の眺め場―9:30 前白根―9:50 白根山〜10:05 発―10:19 前白根―11:02 熊狩の眺め場〜11:20 発―11:25 稜線上―11:49 山ノ神―11:57 登山口―12:17 林道親沢線入口=(往路を戻る)=13:45 新潟  白根山は、粟ヶ岳の南、笠堀ダムとの間に位置する川内山塊の山である。北の駒出川と南の親沢、さらに東の笠堀川に囲まれて、粟ヶ岳と烏帽子岳に稜線が続いて、西面のみが開けた山になっている。川内山塊入口にあり、山頂付近からは、粟ヶ岳や矢筈岳、青里岳、駒形山、光明山、烏帽子岳といった山々を眺めることができる。この山は、これまでは積雪期の登山を行うか、地形図にも記載されている親沢沿いの破線をたどって最後はヤブコギで山頂に達していたが、最近登山道が開かれて一般登山の山になっている。  三連休の中日は、なんとか雨からまぬがれそうなので、少し本気の山として、下田の白根山に出かけることにした。白根山はこれまで三回登っているが、先回は2006年10月20日で、かなりの時間が経っている。  下田の日帰り温泉「いい湯らてい」を過ぎて笠堀に向かうと、白根山登山口に到着する。入口には新しい白根山登山口の立てられていた。舗装された林道を進むと、すぐ先で広場に出る。ここは、会越産業の砕石場跡であるが、事業は終了して、広場の周囲は草むらに変わっていた。広場の奥から林道親沢線が始まっているが、先をうかがうと鎖がかかっていたので、広場奥のスペースに車を置いて歩き出した。  林道親沢線は、数年前の集中豪雨で大きな被害を受けて工事が行われていたと聞いていた。林道の路肩部分の崩れやすい部分は、コンクリートで固められて良く整備されていた。しばらく、烏帽子岳との間の谷間を眺めながら林道歩きが続くが、今は使われていない鎖用のポールを過ぎたところで白根山の登山口に到着する。以前は、枝沢の右岸側から取り付き、少し登った所で沢をまたぎ越して左岸尾根に取り付いた。現在は、左岸尾根の末端部に標識が置かれており、先に進むようにという矢印が書かれていた。尾根を回り込むと、白根山登山道入り口という標柱が置かれていた。  来た方向に戻るように滑りやすい踏み跡を辿ると尾根上に出て、この先はしっかりした登山道が続くようになった。ひと登りで山ノ神に到着した。木製の男根が小さな祠の前に備えられていた。新しい金属製の標識が置かれており、現在地の「山ノ神」の他に「熊狩りの眺め場まで約1時間」と書かれていた。この先の目標地点までの時間が判るのは良いが、この先は急登の連続なので、足が止まらなければという条件が加わる。幅広の登山道が続き、以前よりも登山道の整備は良くなっていた。  台地に出ると杉の植林地となり、登山道は右に回り込むようにコースを変えてから東側の尾根に取り付いた。残雪があれば迷いそうな地形であった。尾根に取り付くと、ここまで以上の急坂が続くようになった。標高差200mほどを一気に登る必要があり、一番の頑張りどころになる。  稜線上に出てひと息ついた。2006年の先回は、この付近で熊に出会ったが、今回は無事であった。緩やかな尾根歩きも僅かで熊狩りの眺め場に到着した。駒出川の谷向こうには粟ヶ岳が大きく広がっていた。紅葉も終わって冬も間近に迫っているが、雪は見られず茶色の姿を見せていた。今年は暖冬のようで、この季節の山行で楽しみな新雪の姿もしばらくお預けのようである。白根山に至る稜線も一望でき、地名の通りに眺めの良い場所である。急登を終えて稜線に出たところで休みたくなるが、ここまで進んでから休んだ方が良い。標識には、「山頂まで約90分」と書かれていた。  この先は、小さなピークを乗り越しながらの稜線歩きが続くようになる。やせ尾根で、足元に注意が必要なところもあって、適度な緊張感が必要になる。ただ、周囲の展望は素晴らしく、しばしば写真撮影に足を停めることになった。再び急登が続くようになり、これを越して山頂到着と思ってしまうが、ここは前白根山と呼ばれる稜線の張り出し部である。少々がっかりするが、標識には「山頂まではもう一息」と書かれている。  登りをもうひと頑張りすると、白根山の山頂に到着した。山頂は刈り払いも充分行われた広場になっており、粟ヶ岳や矢筈岳、青里岳の眺めが広がっていた。特に粟ヶ岳から一本岳を経て白根山に至る緩やかな稜線は魅力的に見えた。  山頂から先には二本の刈り払い道が続いていた。一本は以前も歩いたことのある谷奥の山道へ下り立つ道であろう。刈り払いもしっかりしており、林道終点までこの状態が続いているのか興味がわいた。ただ、このルートを歩くには、まずは谷沿いの山道が歩けるのかを確認する必要がある。もう一本は、粟ヶ岳方面への刈り払いであったが、すぐに笹薮に突き当たった。残雪期に雪田まで下りるための刈り払いなのかもしれない。  誰もおらず一人占めの山頂でひと休みした。三連休中、これだけの大展望を楽しめる山ということを考えると、静かな山を楽しむことができたのは貴重な体験ということになる。昼食には少し旗いので、とりあえず下山を開始した。急斜面は落ち葉と泥で滑りやすく、登山道脇の木の枝も利用する必要があった。小ピークの乗り越しで、往路と同じくらいの体力を消耗した。熊狩りの眺め場まで戻った所で、昼食の大休止にした。  稜線から急坂を下っていくと、単独行とすれ違った。さらに杉林近くまで下ったところで、単独行とすれ違うと、「熊狩りの眺め場まであとどれくらい」と聞いてきた。大して登っていなではないかと思ったが、半分くらいと言っておいた。光明山を登りにきたが、通行止めだったので白根山にやってきたとも言ってきた。光明山は長らく登山禁止状態だし、光明山を登ろうとするならば時間もかkるので早立ちが必要で、白根山に予定変更したとして昼にこの辺にいるのはおかしなことである。さらに登山口に下り立つと、谷沿いの山道の奥の方から男女二人が戻ってきて、白根山の登山口はここかと聞いてきた。標識も立っていて一目瞭然なはずなのだが。白根山までどれくらいとも聞いてきたので、3時間ほどと教えた。様子を見ると登山道を登っていったが、昼頃から本気で登るつもりであったのだろうか。以前は地図読みをして藪漕ぎで登った白根山であるが、登山道ができたおかげで、安易な考えの登山者も訪れるようになったようである。   ============================================================================= 15-67 11月23日 菩提寺山 【日時】 2015年11月23日(月) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 新津丘陵 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  菩提寺山・ぼだいじやま・248.4m・三等三角点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/矢代田、村松 【コース】 石油の里からの周回 【ガイド】 なし 【時間記録】 7:00 新潟発=(R.49、亀田、R.403、白根安田線、金津 経由)=7:35 石油の里〜7:50 発―8:38 分岐―8:57 菩提寺山〜9:07 発―9:23 分岐―10:00 石油の里=(往路を戻る)=10:50 新潟  新潟平野の内陸部の縁に沿った、新津、加茂、五泉の中間に広がる丘陵地を、新津丘陵と呼ぶ。新津丘陵では、一等三角点も置かれている護摩堂山が良く知られているが、最近では、菩提寺山や高立山もハイキングの山として、訪れるハイカーが多くなっている。菩提寺山は、新津市、小須戸町、五泉市の境界に位置しているが、それぞれ、石油の里、大沢公園、門前からの各登山道が整備されている。  三連休の最終日は、雨の予報が出ていたので、軽く菩提寺山を登って終わりにしようと思っていた。朝起きて見ると、雨は降らずに曇り空が広がっていた。計画変更も面倒なので、そのまま菩提寺山に向かった。郊外に出ると、山の眺めが広がるが、五頭山塊や菅名山塊の山頂部は雲に覆われていた。  石油の里からは、非公認ルートの西側尾根を登ることにした。小川を橋で渡って枝尾根にとりつく。急な泥斜面のため、足元に注意が必要で、尾根上に出るまでには体が汗ばんできた。この先は、登りが断続的に現れて、徐々に高度を上げていくことになる。紅葉もすでに終わっており、静かな歩きになった。  石油の里からのコースに出て、登ってきたコース方面を確認したが、標識は付けられていなかった。現在のところは非公認コースのようである。分岐からは、階段登りが何か所かに現れて、もうひと頑張りすることになった。登山者も多いため、登山道は泥だらけになっていた。  菩提寺山に到着して、ベンチに腰を下ろしてひと休みとした。五頭山塊や菅名山塊の眺めが開けている山頂なのだが、あいかわらず厚い雲が広がっていた。サーモスに入れてもってきた湯が美味しく感じる季節になってきた。  この日は、このまま石油の里に下ることにした。下りの途中、登ってくる登山者にも多く出会った。途中、見晴らし場やベンチが新しく整備されていた。  菩提寺山は、悪天候の時に登ることの多い山であるが、登山道も良く整備されていて山頂からの展望も開けており、近くて良い山である。 ============================================================================= 15-68 12月10日 秋葉山 【日時】 2015年12月10日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 雨 【山域】 新津丘陵 【山名・よみ・標高・三角点・県名】   秋葉山・あきばやま・83m・なし・新潟県 【コース】 秋葉ルート 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/新津 【ガイド】 なし 【時間記録】 7:10 新潟=(R.49、茅野山、R.403、新津 経由)=7:50 秋葉湖〜8:15 発―9:00 パノラマ台―10:28 秋葉山―10:39 秋葉湖=(往路を戻る)=12:00 新潟  秋葉山は、新潟平野の東の縁に沿って広がる新津丘陵の北端にある山である。山名の由来は、宝暦11年(1760)に庄屋桂氏が山頂に立てた秋葉大権現の神社に由来する。新津の市街地が迫っており、山頂一帯には公園化が進んでいるが、石油の里まで「木もれびの道」という長距離の遊歩道が整備されている。  この週末も悪天候に見舞われ、土曜日の山はお休み。日曜日はなんとしても山に行きたいところだが、あいかわららずの雨。雨でも歩ける山として、近場の山を考え、新津丘陵に出かけることにした。秋葉湖からの周回コースは、8月14日に歩いたが、真夏の低山歩きとあっては、汗だらだらで蚊にもさされ、コースを確かめるのがやっとであった。  先回と同じに、秋葉湖の脇の駐車場に車を停めた。先回は、歩き始めるために、周辺をうろうろしたが、今回はすんなり歩き始めることができた。鴨が遊ぶ湖脇の車道を進むと、「木もれ陽の遊歩道」の入口に到着する。湖畔沿いの道を少し辿ると、尾根沿いの道が始まる。湖畔沿いの道を辿っても、先で合流するようなので、遊歩道の全体像を把握するために歩いてみる必要がある。  遊歩道は、落ち葉で覆われており、気持ちよく歩くことができた。木立に囲まれているため、雨の影響も少なかった。「小口・若宮廟」分岐で右折。すぐ先でゴルフ場脇に出て一旦下りになる。その先で長い階段登りが続き、体力を結構使うことになった。傾斜が緩んだ尾根道を進むと、十字路になり、右折するとパノラマ台に出た。この日は、天気も悪いので引き返すことにしたが、看板には東島城址1.7kmとも書いてあるので、東島城址の入口まで車道歩きになるのか、遊歩道が設けられているのかいずれ確かめてみたい。  分岐に戻って、「小口・若宮廟」への道に進んだ。右下には、広域農道が並行して走っているが、木立に囲まれて静かな道が続いている。遊歩道の周辺の地形は複雑で、雪が積もると、トレースは困難になりそうであった。一旦伐採の作業道を横断し、さらに尾根沿いの歩きが続く。一帯には、地図には載っていない林道並みの道からブル道のクラスまで、さまさまな道が開かれており、この先も状況が変わるのかもしれない。  谷間に下っていくと、池が現れる。この池は、石油が浮いて黒い色をしている。前回は木立に囲まれいたが、今回は葉も無く良く眺めることができた。堰堤を挟んで二つの池があるが、下流部の池にはオイルフェンスが二本張られて、石油が流れ出るのを防止していた。池の下流部の堰堤下にあった民家は、廃屋になっていた。池の先の谷間を流れる沢も石油で黒ずんでおり、一帯には石油の匂いが立ち込めていた。この石油の溜まった池や沢は、日本の他では見られないはずのもので、この遊歩道も、石油を見どころにして設定すれば、ユニークなコースになるはずで、知られていないのはもったいないことである。  沢から長い階段登りが続き、この上で林道に飛び出す。先回はこのまま林道を歩いたのだが、脇に遊歩道が設けられていたので、こちらを歩いた。  遊歩道を進んでいくと、石油の運搬のために掘られた熊沢トンネルに出る。今回は、このトンネルを通ってみることにした。電灯のついたトンネルを過ぎると、再び山道になり、下っていくと煮坪が現れた。煮坪は、慶弔13年(1608年)に発見された新津油田の発祥地になった石油井で、全盛期には、噴出する水と石油とガスで、1メートルあまりも噴き上がり、物を煮るさまに似ていることから名前が付けられました。この煮坪までは車道が通じており、車道経由で戻るか考えたが、トンネルへ引き返すことにした。  熊沢トンネル入口に戻って林道を歩いていくと車道に出て、秋葉山への道に進んだ。緩やかに登っていくと秋葉山に到着したが、はっきりした山頂ではないのは残念である。ただ、ここを通らないと、名前のついたピークを通らないので、一応は登っておく必要がある。秋葉山から遊歩道を下っていくと、駐車場近くに下り立って、周回は終わる。 ============================================================================= 15-69 12月12日 笠菅山 【日時】 2015年12月12日(土) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 五頭連峰周辺 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 笠菅山・かさすげやま・609.4m・三等三角点・新潟県 【コース】 中ノ沢より 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/出湯、東赤谷 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:45 新潟=(R.49、三川、岡沢 経由)=7:50 中越幹線巡視路入口〜8:16 発―9:02 No.44鉄塔〜9:07 発―9:20 No.43鉄塔〜9:25 発―9:45 No.42鉄塔―9:59 分岐―10:05 笠菅山〜10:45 発―10:53 分岐―11:03 No.42鉄塔―11:19 No.43鉄塔―11:34 No.44鉄塔―12:02 中越幹線巡視路入口=(往路を戻る)=13:20 新潟  笠菅山は、五頭山塊の裏手にあたる三川温泉の背後に、新谷川と中ノ沢川に挟まれて立つ山である。標高は低いが、独立峰で、名前のように笠を置いたような形から周囲から良く目立つ山である。  冬の訪れが遅れており、12月も半ばというのに新潟市内には雪の気配がない。山の雪の状態を知るため、日本平山の途中にある大村杉(人分山)を登りに出かけた。五十島の先の青少年自然の家 へと曲がるT字路で道が閉鎖になっていた。雪の気配も無いが、冬季閉鎖の規制がかかっていた。雪が無いので油断しており、冬季閉鎖のことを忘れていたのは失敗であった。  計画変更ということで、この時期のお気に入りの笠菅山に向かうことにした。中ノ沢手前の林道入口の空き地に車を停めた。林道入口には、「林道清水小屋線起点」と書かれた新しい標柱が置かれて、自分はともかく、人に説明しやすくなっていた。  林道を上っていき、砂防ダムの堰堤下を右に曲がった先で送電線巡視路が左に分かれ、これを辿ることになる。巡視路に進むと、入口には清水小屋と書かれた山小屋が建てられている。しばらくは林道幅の道が切り開かれているが、崩壊も進んでおり、車の走行はできない状態である。急斜面の九十九折の登りで、一気に息があがる。  傾斜が緩むと、右手に送電線の鉄塔が現れるが、そのまま直進する。沢を木の橋で渡ると、送電線巡視路として整備された階段登りが続くようになる。道が良く整備されていて歩きやすいが、急登が続き、体力維持の登山には良い。  鉄塔下に出たところで、ひと息ついた。笠菅山までの途中には、三つの鉄塔の下に出て展望も開けるので、写真撮影も兼ねてひと休みするのに都合が良い。このコースの楽しみは、菱ヶ岳を中心とした裏五頭の眺めであるが、雪が斜面に僅かに見られるだけであった。登山道を雪が僅かに覆っているようで、雪山にはほど遠い状態であった。阿賀野川が光り、その奥には御神楽山を望むことができた。  二番目と三番目の鉄塔の下でも展望が開けるが、裏五頭の眺めも少しずつ異なってくる。三番目の鉄塔付近は急斜面に立っているので、休むには二番目の鉄塔が良い。  三番目の鉄塔を過ぎると、巡視路の周辺に天然杉が並ぶようになる。最近は佐渡の天然杉の人気が高まっており、天然杉が見られる山として笠菅山や近くの黒山も注目されてよさそうな気がする。  稜線の乗り越し部に出たところで、右手に進む。最初は踏み跡も薄いが、すぐにしっかりした道に変わる。最高点が近づいたところで、左手の高みを目指して藪を進むと、刈り払いの中に三角点が現れる。山頂付近は展望が閉ざされているので、道に戻って南東に下ると、中継塔の立つ広場に出る。2013年11月には工事資材が置かれた状態であったが、以前からあったテレビ中継施設の他に、新しいアンテナ施設ができていた。  笠菅山には、三川温泉方面からの林道終点からも道がある。工事のためにはそちらの道を使ったはずとと広場の縁に進むと、虎ロープの掛けられた道が続いていた。いずれこの道を確かめる必要があるが、歩いた際の面白さでは中ノ沢方面からのコースの方が上であろう。  広場からは飯豊連峰の眺めが広がっており、展望を楽しみながら大休止にした。さすがに飯豊連峰は真っ白に変わっていた。  予定変更で登った山であるが、笠菅山は、新潟市からも近いにもかかわらず登山者もほとんどおらず、楽しめる山であった。 ============================================================================= 15-70 12月13日 山葵山 【日時】 2015年12月13日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 五頭山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 山葵山・わさびやま・693m・なし・新潟県 【コース】 魚止滝登山口より 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/ 出湯 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:40 新潟発=(R.49、水原、R.290、少年自然の家 経由)=7:25 赤安山登山口〜7:45 発―7:50 魚止滝登山口―8:18 尾根取り付き―9:13 山葵山〜9:18 発―9:52 尾根取り付き―10:14 魚止滝登山口―10:23 赤安山登山口=(往路を戻る)=11:30 新潟着  五頭連峰は、飯豊連峰の前衛峰で、阿賀野川と加治川の間25kmほどに、新潟平野の縁に沿って1000mに満たない峰々を連ねている。松平山は、北部を代表するピークで、一等三角点が置かれていて北部を代表するピークになっている。山葵山は、松平山に至る登山道の途中にあるピークである。  前日の笠菅山登山で、五頭連峰の雪はほとんどないことを知った。五頭山あたりは混雑しているはずなので、静かな山歩きをするため、松平山をめざし、条件が悪ければ山葵山までで引き返すという計画を立てた。  松平山は2011年に登ったのが最後で、魚止滝入口までの林道の状態を忘れていたので、赤安山登山口近くのスペースに車を停めて歩き出した。結局、魚止滝入口までの林道は問題なく車で走れ、駐車スペースもある状態であった。  魚止滝入口には、松平山は健脚向きという警告文が置かれている。一旦下ってから木の橋で対岸に渡る。急斜面をひと登りすると台地に出て、この後は右岸沿いのへつり道が続くようになる。滝を見下して展望の良い道であるが、足元が切り落ちていて、足元に充分な注意が必要である。枝沢を渡ると尾根の末端に出て、ここから急な登りが続くようになる。九十九折状態に道が付けられているので、歩きやすくなってはいるが、体力は必要である。途中で傾斜が緩むと、ブナ林も現れて気持ちの良い歩きになった。  稜線部が近づいてくると、周囲に笹原が広がるようになった。丸みを帯びたピークを目指して登っていき、松平山への登山道と分かれて左に入ると、山葵山の山頂に到着した。山葵山の山頂からは、緩やかに起伏する稜線が松平山に向かうのが見えていた。さらに五頭山から赤安山へと続く稜線も谷向こうに延びるのを眺めることができた。  雪はやはり少なく、松平山の山頂付近だけが白く染まっているだけであった。夏道の状態で歩けるなら、松平山まではあと1時間ほどで、どうしようかと考えていくと、黒雲が流れてきて雨粒が落ちてきた。天気の崩れが早まったようで、みぞれになれば、稜線歩きは厳しいものになる。松平山はあっさりと諦めて下山することにした。  急斜面の下りは、時間的には短かったが、足に負担がかかった。この下りの足の負担を考えて、松平山は健脚向きということになっているのかもしれない。 ============================================================================= 15-71 12月20日 多宝山 【日時】 2015年12月20日(日) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 弥彦・角田山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  多宝山・たほうざん・633.8m・一等三角点本点・新潟県 【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/弥彦 【コース】 登り:石瀬峠コース 下り:大滝沢左岸尾根コース 【ガイド】 なし 【時間記録】 6:45 新潟発(新新バイパス、新潟西バイパス、R.116、県道新潟・寺泊線、経由)=7:45 弥彦スカイライン入口〜8:04 発―8:20 石瀬峠―9:05 大滝沢左岸尾根分岐―9:14 間瀬道分岐―9:25 多宝山〜9:35 発―9:42 間瀬道分岐―9:50 大滝沢左岸尾根分岐―10:24 大滝小屋跡―10:43 石瀬神社登山口―10:57 石瀬峠―11:12 弥彦スカイライン入口=(往路を戻る)=12:30 新潟  弥彦山は、越後平野の日本海際に、角田山や国上山と共にひとつの山塊を作る山である。山頂は、越後一宮として名高い弥彦神社の奥の院の置かれた弥彦山と、一等三角点の置かれた多宝山のふたつのピークに分かれている。  弥彦山の山頂部に通じる弥彦スカイラインによって、弥彦山への登山道は荒廃してしまったが、最近の登山道ブームもあってか、再び整備の手が加えられるようになっている。弥彦山の南の妻戸尾根も中部北陸自然歩道の一部として十分すぎる程の整備が加えられて利用者が増えているが、岩室温泉から石瀬峠を経て北尾根を辿るコースも、指導標が設けられ、安心して歩くことのできるコースになっている。  暖冬が続いて、雪山シーズンが遅れている。気分は雪待ちで気分はあまりのらず、近場の山ということで、弥彦山に出かけることにした。歩く者の比較的少ない、石瀬峠からのコースを登ることにした。石瀬神社から続く林道から歩き出すのが本来のコースであるが、積雪期でも歩きやすい弥彦スカイライン入口から歩きだし、余裕があれば大滝小屋コースを下ってみることにした。  冬季閉鎖中の弥彦スカイライン入口の駐車場に到着してみると、他に車はなかった。弥彦スカイライン入口にはがっちりした柵が置かれ、柵に足をかけて乗り越す必要があった。雪は全くみられない車道を歩いていくと、トレランが下ってきた。最近では、弥彦・角田山塊にやってくると、必ずトレランに出会う気がする。  石瀬峠で車道から分かれて登山道に進んだ。階段登りが続いて、たちまち息が上がった。階段登りが続くだけに高度も上がるのは早く、右手にトラバース気味に登ると、北西に延びる尾根に乗ることができ、この先は傾斜も少し緩やかになる。山頂までの距離を書いた標柱がところどころに置かれているが、多宝山0.6kmと書かれた標柱の置かれている小広場から、大滝小屋へのコースが分かれている。コースの状態を見ると、少し藪ぽいものの踏み跡はしっかりしているように見えた。下山はこのコースに進むことにした。  弥彦スカイライン方面から延びてきた林道跡に出ると、周囲にブナ林も広がって、高山の雰囲気を味わうことができるようになった。雪もうっすらと地面を覆うようになったが、雪道というにはほど遠い状態であった。  誰もいない多宝山の山頂に到着。冷たい風が吹き抜けており、出会った登山者も休まずに歩き続けていく状態であった。粟ヶ岳や守門岳も雲がかかって山頂は隠されていた。  下山は、大滝小屋へのコースに進んだが、足元が不安定な急斜面の下りで、木の枝も使って、横向きに足を下ろすような場面が連続した。このコースは、2001年12月以来で、藪化が進んでいるように思えた。尾根を右に外すと、土台跡が現れ、大滝小屋が無くなっているのに驚かされた。北後にネットで調べると、数年前に撤去されたようである。  大滝小屋跡から少し下ったところでT字路に出てどちらに進むか迷うことになるが、ここは左に進むのが正解。ジグザグ道を下っていくと杉林の中に入り、最後は林道に飛び出した。このコースの入口には、標識も無いのはもちろん、テープも下げられていないので、歩いたことがないと入り込む気は起きないであろう。  左に曲がった先の林道カーブ地点にはベンチの置かれた休憩施設が設けられ、その前から石瀬峠への登山道が始まっていた。最後のもうひと頑張りと石瀬峠へ登り返し、後は車道歩きで車に戻った。 ============================================================================= 15-72 12月23日 花見山 【日時】 2015年12月23日(水) 日帰り 【メンバー】 単独行 【天候】 曇り 【山域】 菅名山塊 【山名・よみ・標高・三角点・県名】  花見山・はなみやま・649.1m・三等三角点・新潟県 【コース】 小山田ヒガン桜樹林公園駐車場より 【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/馬下 【ガイド】 なし 【時間記録】  7:10 新潟=(R.49、馬下橋 経由)=8:20 小山田彼岸桜駐車場〜8:38 発―9:00 公園上部―9:59 花見山〜10:05 発―10:45 公園上部―11:00 小山田彼岸桜駐車場=(往路を戻る)=12:10 新潟  阿賀野川左岸に広がる菅名連峰は、新潟市内からも良く眺めることができるが、とりわけ目を引くのは、左に位置する鳴沢峰の鋭鋒である。この鳴沢峰から西に延びる尾根上に、大谷山と花見山という二つのピークがある。地図上にも名前が記載されておらず、また背後の主稜線に目がいって見落としやすいピークであるが、花見山には三角点が置かれている。以前は、送電線の巡視路を利用し、ヤブコギでようやく立つことのできたこのピークにも、現在では登山道が切り開かれている。花見山の山頂は、灌木帯となって周囲の展望が開けている。菅名山塊の縦走路として花見山を通過するのも良いし、このピークだけを目的として半日行程の登山を楽しむこともできる。三角点ピークである花見山の山頂に、大谷山という山頂標識が置かれたこともあるが、現在は失われている。  この休日は家でゆっくりと思ったが、天気の崩れはないようなので山に出かけることにした。年末の休日とあって、市内に向かう道路が混みあいそうなため、渋滞の危険性の少ない花見山に出かけることにした。  花見山の登山口の小山田彼岸桜駐車場までの林道が冬季閉鎖になっていたなら変電所から歩き出すつもりであった。とりあえず林道に乗り入れると、小山田彼岸桜駐車場に入ることができた。奥の駐車場の先からは、パイプ柵が置かれて通行止めになっていた。  雪の気配は全くないため、通常の軽登山靴で歩きだした。最初は急な階段登りで、結構足にくる。彼岸桜の時期に訪れたことはないが、花見客は苦労しそうである。ひと登りすると、桜並木が続くようになるが、冬枯れの姿も美しく感じられた。  公園上部から山道に進む。ひと登りすると左から巡視路が合わさり、その後は巡視路として十分に整備された道が続く。うす曇り空であるが、風が強く体が冷えた。花見山は阿賀野川が山合いから新潟平野に出るところにあって、風が強く、その代わりに雪も飛ばされて少ない傾向がある。  送電線鉄塔の立つ小ピークを越すと、尾根沿いの登りが続くようになる。所々下りには滑らないように注意の必要な急斜面もあるが、全般的に登りやすい道である。周囲にもブナ林が広がるようになって、冬枯れの山を頼みむことになった。送電線鉄塔への道が左に分けると、登りをもうひと頑張りすることになる。この登りの途中で、単独行が下りてくるのに出会ったのが、この日に出会った登山者のすべてであった。下山すると、奥の駐車場に車が一台停まっていたので、菅名岳方面に向かった登山者がひとグループはいたようである。この日の天候なら、大蔵山は大勢の登山者が入ったと思われるが、こちらは空いた山であった。新潟の冬山は、大勢が登ると思われる山に集まる傾向がある。  傾斜が緩んで山頂が近づくと、風当たりも強くなった。雪はまばらに積もったのが見られるだけであった。異常な小雪といえる。三角点周囲は刈り払いが行われて、周囲の展望が広がっていた。鳴沢岳かた菅名岳を経て大蔵山に至る稜線や阿賀野川の対岸に広がる五頭山塊も一望できるが、なによりも飯豊連峰の眺めが素晴らしかった。強風によってチリが舞ったのかもやっていたが、真っ白に染まった北股岳や大日岳を眺めることができた。少し距離はあるが、飯豊連峰の展望台といっても良い。  展望をひと通り楽しんだ後は、そのまま下山に移った。  年末は雑用がいろいろと重なっており、これが最後の山行になった。