キナバル山

キナバル山


【日時】 2015年2月12日(水)〜17日(火) 日帰り
【メンバー】 西遊旅行社ツアー 8名
【天候】 13日:晴 14日:晴 15日:曇り 16日:晴

【山域】 マレーシア・ボルネオ島
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 キナバル山・ローズピーク・4095m・なし・マレーシア
【コース】 登り:Timpohon Gateより 下り:マシラウルート
【ガイド】 地球の歩き方「マレーシア・ブルネイ」(地球の歩き方社)

【時間記録】
前日 2月11日(水) アパホテル(京成成田駅前)泊

第一日目 2月12日(木)
 成田発 10:30(MH-89)クアラルンプール着 17:05
 クアラルンプール発 19:00(MH-2606)コタキナバル着 21:35
 (コタキナバル ベストウェスタンダヤホテル泊)

第二日目 2月13日(金)
 6:30 コタキナバル=8:00 ナバル村〜8:10 発=8:35 公園本部〜9:45 発=9:55 Timpohon Gate―14:30 マシラウルート分岐―16:15 ラバン・ラタ・レストハウス
 (レマイン小屋泊)

第三日目 2月14日(土)
 2:45 ラバン・ラタ・レストハウス―4:45 サヤッ・サヤッ小屋―7:10 キナバル山ローズピーク―8:42 サヤッ・サヤッ小屋―10:15 ラバン・ラタ・レストハウス
 (レマイン小屋)

第四日目 2月15日(日)
 6:10 ラバン・ラタ・レストハウス―7:50 マシラウルート分岐―10:20 West Masilau River―12:55 マシラウ・ネイチャー・リゾート
 (マシウラ・ネイチャー・リゾート泊)

第五日目 2月16日(月)
 マシラウ・ネイチャー・リゾート=ナバル村=コタキナバル
 コタキナバル発 18:55(MH-2631)クアラルンプール着 21:30
クアラルンプール発 23:35(MH-88)

第六日目 2月17日(火)
 成田着 7:15
 キナバル山は、マレーシア・ボルネオ島北部にあるマレーシア最高峰である。4095mの高峰であるが、登山道や宿泊施設が整っているため、4000m峰登頂の目的で日本人にも人気の高い山になっている。

 海外の山となると一度きりのチャンスになるので、悪天候の危険性はなんとしても避けたい。登りたいと思っていたキナバル山のベストシーズンを調べていくと、2月〜5月までは雨が少なく比較的天候が安定する時期だという。12月の初めにウィーンのクリスマスマーケットの見学に出かけているので、2月なら出かけるのに都合が良い。キナバル山は、個人では山小屋の予約が面倒なので、ツアー会社を利用することにした。
 一般的には、標高3300mにある山小屋で1泊し、未明に歩き出して登頂し、その後一気に登山口に下山するのだが、下山は標高差もあって足に負担がかかりそうである。マシラウ・ルートと呼ばれる距離が少し長くなるコースを利用すると、登山は三日がかりになるが、悪天候の場合を考えると、登頂のチャンスは二回になる。これまで利用している西遊旅行社で、「ゆったりキナバル山登頂とマシラウルート」と題する6日間のツアーが組まれており、日程も良かったので、11月に予約を行った。このツアーは、2名から催されることになっている。申し込んだ時は開催間近ということで、1名の申込み者があったようで、私の申し込みで開催決定になったようである。
 高所登山ということで、健康アンケートと登山経験の提出が求められた。これまでの経験は、日本百名山終了でも書いておけば良いが、この一年間に登った山ということで、少々困った。会津百名山終了の藪山笠倉山、残雪期の大戸沢岳といっても、その難しさを判ってもらえるのだろうか。最近は、マイナーな山、あるいはコースばかり登っている。
 海外登山ということで、幾つかの登山道具も新調することになった。現在使っている軽登山靴は、靴底もすり減ってきているので、11月に新しく買った。ただ、冬の訪れも早かったため、山に雪が積もってしまい、新しい登山靴を泥だらけにするのもいやなため使えず、慣らし履きをしないままキナバル山に持っていくことになった。またストックも、現在の物は曲がって短くならないので、新品購入。ザックカバーも穴が開いているため、これも購入。登山ツアーとなると、人目も気にする必要がある。
 もう一つの問題は、服装であった。様々な気象条件に対応する必要がある。
1 新潟から東京、コタキナバルへ
 雪の降る新潟から熱帯のコタキナバルまでの服装をコンパクトにまとめる必要があった。結局、半袖シャツ、山シャツ薄手、フリース、マイクロダウン、ゴア雨具の上着を重ね着し、適宜脱いでいくことになった。
2 キナバル山下部(登山口からラバン・ラタ・レストハウスまでと、ラバン・ラタ・レストハウスからマシラウ・ネイチャー・リゾートへの下山)
 半袖Tシャツ、山シャツ薄手、ゴア雨具の上着
3 キナバル山山頂アタック
 冬用長袖Tシャツ、冬用山シャツ、フリース、ゴア雨具の上着、毛糸帽子、フリース手袋、予備にマイクロダウン
 5kgまでの荷物は運んでくれるので、これには、歩き初めに必要でない冬用装備に下着の替え、寝袋(夏用のコンパクトの物を持っていったが、山小屋には薄手の掛け布団が備えられていたので使わなかった。)、洗面道具、カメラのバッテリー予備などを入れた。
 カメラも軽いEOS Kissにしようか迷ったが、少しでも良い写真を撮りたく、結局70Dを持っていくくことにした。
 事前に送られてきた最終日程表を見ると、東京から4名、大阪から4名、計8名の参加者となり、日本からの添乗員はつかないことになった。クアラルンプールでの乗り換えが少々面倒なようなので、予習を行った。
 成田空港の集合が早いため、いつものように前泊することになった。最初に東横INN成田空港の予約状況をみると、まだ先なのに予約が埋まっていた。どうやら、2月19日の春節に合わせて、中国人観光客が大挙して訪れているようであった。いつものように、京成成田駅前のアパ・ホテルに部屋を予約した。
 出発前日は、建国記念の祝日であった。せっかくの祝日を移動日に使うのももったいないが、ツアーの日程も、航空券を取りやすいように、祝日を外して決めてあるのであろう。
 成田への移動のためには、家は昼頃に出ればよかった。昼近くになると激しく雪が降りだし、止みそうにもないで諦めて家を出た。駅まで歩くうちにスーツケースにも雪が積もって、駅に到着したところでタオルで拭くことになった。熱帯のマレーシアへは、雪の中の出発になった。

 第一日目
 京成成田からホテルの連絡バスを利用して成田空港に移動した。集合時間まで早かったので、空港のコンビニで、朝食とコタキナバルに到着後の夜食のおにぎり、キナバル山山頂アタック時の深夜食のためのパンを買った。さらに、マレーシア通貨のリンギットを空港の銀行で交換した。マレーシア到着後に交換した方がレートが良いはずだが、時間が無い場合もあるので仕方がない。成田でのレートは、1リギット=36.88円であった。
 結局、土産物以外に最低限必要なお金は、トイレ料金(ナバル村:30セン、コタキナバル市内:20セン)、ミネラルウォーター(ラバン・ラタ・レストハウス:水500ml 8リギット)であった。ミネラルウォーターも、コタキナバルとマシウラ・ネイチャー・リゾートの部屋についているので、少し補給すれば良かった。コタキナバルのホテルの脇にセブン・イレブンがあり、ここで購入することができた。登山中に必要な水の量は、1Lほどで充分であった。
 ただ、呑み助には、ビール代が結構高いものについた。
 コタキナバルのコンビニ:8〜9リギット
 ラバン・ラタ・レストハウス:25.8リギット
 マシラウ・ネイチャー・リゾート:23.2リギット
 コタキナバルのレストラン:17リギット(大瓶)
 イスラムを国教としているマレーシアでビールを飲もうとするならば、日本と同じ料金になるのは仕方がない。ただ、山の上のビールが高いのには納得するが、車道が通じているマシラウ・ネイチャー・リゾートのビール代が高く、さらにメニューに20と表示してあるのに、サービス料かなにかを付けてきたのには納得がいかなかった。
 集合時間の少し前に、集合場所に行って切符や書類一式を受け取った。参加メンバーの名前の一覧表を見ると、成田組は男1、女3、関西組は男2、女性2になっていた。女性が多いことと、夫婦参加がいなかったことは驚きであった。
 マレーシア航空のカウンターは、長い列ができていた。ホテルの専門学校の学生の団体が加わっているのも混雑の原因になっているようであった。海外研修旅行ということのようだが、ただ遊びに行くという雰囲気であった。
 飛行機に乗り込むと、2+4+2の座席配列であった。座席を通路側にしてもらったが、窓側が空いていたため、二席を占有でき、眺めを楽しみながらのフライトになった。機内サービスの映画も日本語版は無かったようだが、体を休めるためにiPODの音楽を聴きながらうつらうつらするのが恒例になっている。成田空港から飛び立つと海上に出てしまい、しかも厚い雲が広がってしまった。それでもマニラを過ぎると、眼下に島を見下ろすことができるようになった。
 出発して1時間程で、昼食が出てきた。座席が最後尾に近いため、順番がなかなか回ってこなかった。ビーフか魚ということで、ビーフを選択。マレーシア風というものでなく、牛肉と野菜の煮込みをごはんに添えた和食風であった。付け合せのソバやサラダの方が美味しかった。ビールを頼むとカールスバーグが出てきた。二回目の到着前の食事は、サラダを挟んだロールパンにSNICKERSのチョコレートであった。この時のビールは、タイーガービールであった。
 眼下を通り過ぎる島を眺めながら時間を過ごしていると、ボルナオ島が近づいてきた。目的地のコタキナバルはボルネオ島の北部にあり、成田からの直行便も出ている。コタキナバルからクアラルンプールまでは、同じ国内といっても2時間半もかかるので、乗り換え時間をのぞいても5時間以上を無駄にすることになる。コタキナバルへの直行便を使わない理由は、関西空港からの参加者を募集できないためであろうが、少々残念である。
 フライトマップにおいてコタ・キナバルが最接近した所で、雲の上に頭を出した山を確認することができた。台形で、頂上部に小さな峰を連ねているようであった。雲の高さもかなりあることから、キナバル山であるようであった。登山の期待が高まった。ただ、機内でキナバル山が見えると騒いでいるものは他にいなかった。
 クアラルンプールには、定刻に到着。乗り換えが少々面倒なので、成田からの参加者4名で一緒に移動することにした。まずは、連絡トレインに乗ってメインターミナルに移動。入国の一同と分かれて、トレイン後方の階段を下りると薄暗いフロアーに出て、入国検査所に出た。ここで、関西組の4名と出会うことができた。通関を終えると、国内線のフロアーに出ることができた。
 再び飛行機に乗って、来た航路を戻ってコタ・キナバルへと向かった。ここでも機内食が出たが、量は少ないものの、カレーとインゲン、ライスで、成田便よりも美味しかった。ただ、飲み物がソフトドリンクだけだったのは残念であった。
 コタ・キナバルに到着すると、ボルネオ島のサバ州に入るための入境検査が再度あった。このような国内での入境検査があるのは、かつてマレーシアが連合国であり、強い自治権が残されていることによるらしい。
 空港出口で現地添乗員と合流。人用と荷物用の二台のマイクロバスで市内に向かった。小さなマイクロバスを使っているのは、公園内に乗り入れるためであることが後で判った。
 この日の宿のベストウェスタンダヤホテルは、コタ・キナバルの中心部にあり、少々古びたビジネスホテル・レベルのものであった。部屋に入ったのは10時半近くになっており、翌日の出発は6時半と早く、しかも登山荷物を自分持ちとあずけ用に分ける必要があった。
 部屋に入って見渡すと、メッカの方向を示すキブラシールが天井と壁の境に取り付けられていた。マレーシア航空のフライトマップでも、メッカの方角を示す画面が途中で現れて驚かされた。マレーシアがイスラム教の国であること改めて知らされることになった。
 とりあえず、ホテル周辺だけを見ることにした。ホテルの周囲の食堂はまだ営業中で、路上にまで椅子を並べて賑わっていた。日中は暑すぎるため、気温の下がる夜中に外出する者が多いのかもしれない。セブンイレブンがあったので、ビールを調達することにした。カールスバーグやツボルグ、ギネスといったヨーロッパ系のビールが並んでいたが、やはり東南アジア系のものをということで、タイガーとアンコールビールを買った。イスラム教国ということで、ビールの値段は日本並みということが判った。レジのニイチャンとどっから来たのかなどと話をしたので、使えるかとセブンイレブンのナナコカードを出してからかってみれば良かった。

第二日目
 6時半出発。気になる天気は、快晴。朝食ボックスを受け取って車に乗り込んだ。車の中で開けてみると、中身はチーズサンドイッチとゆで卵、ミニバナナであった。ばさついたパンを水で流し込んだ。この朝食の飲み物用に、前夜のコンビニでジュースでも買い込んでおくべきであった。
 市内を出ようとすると海辺に出て、カメラを構えることになった。湾の向こうにキナバル山の山頂が、歓迎するかのように姿を現していた。この登頂日和が明日まで続くことを祈った。
 車窓からは、大きなモスクの他に、仏教寺院、天主教会と漢字で書かれたキリスト教会を眺めることができ、イスラム教徒ばかりではないことが判った。
 市街地を出ると、高度を上げていく山岳道路に変わった。雲海の広がる山地を見下ろすようになると、キナバル山が大きな姿で迫ってきた。1時間半ほど走ると、土産物屋が並ぶナバル村に到着し、ここで展望のためのひと休憩になった。
 展望台に出ると、台形の山頂を持つキナバル山を大きく眺めることができた。案内板の説明によれば、中央の一番高く見えるピークがセントジョーンズピークで、最高点のローズ・ピークは、その左奥に僅かに見えるということであった。撮影した写真を後で確認すると、確かにローズ・ピークが見えていた。台地の右端にある高まりが写真でお馴染みのサウス・ピークで、そこから下がっていく尾根に登山道が通じているようであった。尾根の途中にも電波塔を見分けることができた。山頂台地から少し下がった小ピーク付近に山小屋があるようであった。ここからの展望で、登山道の概要を掴むことができた。
 キナバル山への道のりは、頑張る必要はあるものの、死に物狂いというほどでないことが判って、気合を入れ直すことができた。
 ナバル村からはひと走りで公園事務所に到着した。昼食の弁当を受け取り、現地添乗員が受付を行った。受付は、8名の少人数グループであったにもかかわらず時間がかかり、他の登山者が乗合いバスで出発しいくのを見送ることになった。現地添乗員が戻ってきて、IDパスを受け取った。名前が打ちこまれているので、それにも時間がかかったようである。キナバル山では、このIDパスを首から下げておく必要がある。
 手続きは終わったのだが、荷物車が遅れてなかなか到着しなかった。トレイルの案内図やキナバル山を眺めて待つ内に、公園事務書付近の登山者は他にいなくなっていた。この日の最後に出発する登山者になったようであった。
 ようやく車が到着して、ポーターへのあずけ荷物を受け取った。スーツケースは、下山口のマシラウ・ネイチャー・リゾートで受け取ることになる。まず、あずけ荷物の軽量。5kgまでは、今回のツアー料金に含まれていた。ちなみに超過料金を聞くと、1kgあたり15リギットということであった。後で計算してみると、ビールをコタキナバルで買って、三本ほど手荷物で運んでもらうと、山小屋で買うよりも安いことになるが、これはやはり邪道であろうか。もっとも、日本から持ってきたウィスキー少々は、手荷物で運んでもらった。
 再び車に乗って、Timpohon Gateに移動。このゲートは標高1866mにあるので、これから標高差1500mを登らなければならない。時間が10時になってしまっているのは不安材料であった。ここからはガイドとポーター二人が一緒に歩くことになった。
 ゲートからは一旦下りになった。歩き出すと、予習で知っていたキナバル・ブロッサムのオレンジの花が現れて、写真撮影のために足が止まった。歩くスピードが非常に遅いため、写真を撮りながら最後尾でついていくことにした。ひと下りすると、小さなカールソン滝が現れ、ここから登りが続くようになった。
 登山道は直登の連続で、急な所には木の階段が設けてあった。段差が大きく、足の短さをうらむことになった。登り初めにもかかわらず、ちいさいながらウツボカズラも現れてうれしくなった。
 45分ほど歩くと東屋風のPONDOKU KANDISに到着した。キナバル山では、登山道沿いの1kmおき、急な所では0.5kmおきに休憩所が設けられている。ガイドブックなどの資料には、Shelterと書かれているが、軒下に取り付けられた標識には、PONDOK何々と書かれている。Shelterというものの、スコールの時の雨避けの東屋である。水洗トイレも整備されており、登山道の整備は、日本よりも行き届いている。
 初日の行程は、3300m付近の山小屋まで6kmで、Timpohon Gateからは、PONDOKU KANDIS、PONDOKU UBAH、PONDOKU LOWII、PONDOKU MEMPENING、LAYANG LAYANG、(マシウラルート分岐)、PONDOKU VILLOSA、PONDOKU PAKAを通過していくことになる。
 いつの間にか雲が広がって展望は閉ざされ、登山道脇の花を見ながらの歩きになった。日本の夏山で見られるように、朝方は快晴でも昼にかけて雲が広がり、夕方に再び雲が消えるというパターンのようであった。展望が閉ざされたのは残念であったが、暑さはさほど厳しくはなく、長袖の山シャツを着続けることができた。出発が遅れていたので、PONDOKU LOWIIで昼食になった。ランチボックスを開けると、山盛りのチャーハンにゆで卵、青リンゴであった。チャーハンの味は悪くはなかったが、量が多すぎた。各休憩所には、トイレの他にゴミ箱も置かれており、登山中のごみを捨てることができた。ガイドが下山する際にゴミを回収していくとのことであった。
 休憩所にはリスが現れて、食べ物をねだっていた。餌を投げると、拾っては巣穴へ持ち帰っていった。リスと同じ大きさのネズミもおり、区別は、尻尾に毛が生えているかの違いであった。リスとネズミとでは、名前からの印象が違うが、同じような顔をしている。 次第に疲れもたまってきたが、登るにつれ、オレンジのシャクナゲやベゴニア、ランの花も現れるようになった。LAYANG LAYANGを過ぎるとマシウラルート分岐となり、大きなウツボカズラを見ることもできた。この先は次第に傾斜も増して、灌木が目立つようになった。現地でサヤッ・サヤッと呼ばれるレプトスパーマムが白い花を付けて枝を広げていた。
 5.5km地点を過ぎて残り0.5kmとなったが、この最後の登りはきついものになった。標高は3000mを越しており、空気が薄くなっているためかもしれない。登山道脇にも休むというか、ばてて座り込んだ登山者を見かけることになった。かなり遅れて出発し、歩く速度も遅かったので、他の登山者に追いつくとは思っていなかった。ゆっくりでもペースを守って歩いていれば、着実に到着するということか。
 WARASU HUTという山小屋が現れて気が抜けるが、目的地まではもうひと頑張りする必要があった。LABAN RATA RESTHOUSEに到着して、この日のゴールになった。LABAN RATA RESTHOUSEに食堂があり、ここで食事をとることになる。幸い、少し遅れた者はいたが、全員が登ってくることができた。小屋の前の広場では、スタッフがバレボールを行っていた。標高にも関わらず、元気なものである。
 ひと休みの後に、ベッドが割り当てられたLAMAING HOSTELに移動した。幸い、LABAN RATA RESTHOUSEからそう遠くない距離にあった。部屋には、2+2の二段ベッドが三つ並んでいた。空いた所に自由にということで、奥の下段に陣取った。このベッドの問題点は、パイプが細く、ベッドの中央部が沈み込んで寝返りもままならぬことであった。上段を見ると、体重を支えきれずにパイプが下に曲がって、亀裂も生じていた。体重のある者が寝ると、落ち込む惨事がそのうちに起きそうである。小屋には、シャワーとトイレが各二つずつ設けられていた。ただ、水のシャワーでは浴びる気にはなれない。また湯を沸かすためのポットも設けられていた。
 気温も下がっているので、夜間や翌日の登山に備えて、下着や山シャツを厚いものに変えた。ひと休みしてから、夕食のためにLABAN RATA RESTHOUSEに移動した。食堂は登山者で満員になっていた。食堂はビュッフェスタイルで、ライス、ヤキソバ、ビーフシチュー、カレー、温野菜などが並んでいた。プディングや果物のデザートもあったのだが、この時は、出遅れて無くなっていた。飲み物としては、サバテイー、コーヒー、湯が用意されていた。特にサバティーは、日本のほうじ茶と似た味で、喉の渇きをいやすのに良かった。空いたペットボトルにサバティーを入れて、ミネラルウォーターの購入を控えることもできた。食事の時間外でも、湯だけは準備してあるようなので、サーモスの魔法瓶を持ってくるべきであった。湯の温度が高いため、ペットボトルでは、変形する危険性があった。
 食事は、美味しく頂くことができた。3300mの標高での高山病が心配であったが、頭痛や食欲不振は出ていなかった。一日の終わりのビールを飲みたかったが、夜中の2時からの登山が控えているため、自重することにした。
 夕食を終えて外に出ると、雲も消えて、山頂部の岩山が姿を現していた。そう遠くはない距離のようであったが、岩場を抜けていく道は険しそうであった。
 LABAN RATA RESTHOUSEからは、周辺の小屋へ幾つもの道が分かれており、ねぐらのLAMAING HOSTELに戻る道が判らなくなって、少し彷徨うことになった。話を聞くと、他のメンバーも迷ったとのことであった。
 暗くなるなり、深夜発のために早めに寝ることにした。夜中にトイレに起きて、外に出ると、満天の星空が広がっていた。星が多すぎて、星座が判らないほどであった。キナバル山登頂も約束されたように思えた。

第三日目
 一同、1時に起きだし、登山の準備を始めた。2時に食堂に移動して、深夜の朝食。ビュッフェスタイルで料理が並んでいたが、予想していたとおりに食欲は無く、持参してきた蒸しパンとコーヒーで朝食とした。ここの山小屋は、2時の出発時と、7時過ぎの山頂から戻った時の二回朝食をとることができる。サービス満点とはいえる。
 2時半に小屋を出発。ヘッドランプの灯りを頼りに、登山者が続々と出発していった。歩き始めると、すぐに階段の連続になった。寝ている間はそれほど冷え込んでいるとは思っていなかったのだが、階段のステップに薄氷が張っており、足元に注意が必要な個所もあった。ゆっくりペースで歩き始めたため、時折り立ち止まって、後続の登山者に先を譲ることになった。急な階段登りが連続する所では渋滞も生じていた。暗闇の中の歩きで、記憶に残っているのは、ひたすら続く階段登りであった。ひと汗かいたところで、左上方に光が集まっているのが見えるようになったが、これはロープの張られた岩場での渋滞のようであった。
 岩場の下に出ると、風当たりが強くなって、雨具の上着に、毛の帽子、フリース手袋を身に着けることになった。岩場には、太いロープが張られていた。これを頼りに一枚岩を直登すると、細い岩棚を斜上するように登山コースが続いていた。途中で、岩場で固まって動けなくなっている女性もおり、迂回して登ることになった。以前、日本人登山者がここで落ちたという話を聞いたが、日本の山の岩場と比べてそう難しいものではない。ネット上の記録を読むと、この岩場にすごい恐怖と覚えたり、ここで引き返した者もいたようである。暗い中で周囲の様子が判らないのが恐怖感を増すといえるが、これくらいの岩場を問題なく越えることができない者が4000m峰を目指す方が驚きである。
 岩場での登りは、ロープを握るため余計に体力を使い、ひと登りして灌木帯に出たところでひと休みになった。左に方向を変えると岩場は終わり、その先でサヤッ・サヤッ小屋に出た。ここのトイレが山頂までの最終のものであるので、休みがてら用を済ませた。ここにはゲートがあり、IDパスのチェックが行われている。団体のためか、名簿のチェックだけで、個人のIDパスのチェックは行われずに通過した。
 ゲートを過ぎると、一枚岩の登りになった。傾斜はあるが、フリクションも利いて、登るのに問題は無かった。空も白み始め、周囲も見えるようになってきた。空との境に岩峰が連なるのが見えて、山頂も近づいてきていることを知った。標高が上がって空気も薄いのか息が切れたが、左手に持ちあがったピークが台地の縁にあるサウスピークであることが判り、もうひと頑張りと元気が湧いてきた。
 最初の目標の富士山の標高3776mはすでに越しており、次は4000mが新たな目標になった。これまでの高所体験としては、パキスタンから中国に抜ける際のクンジュラブ峠の4733mである。この時は標高2600mからバスで一気に上がったためか、少し歩くのにも息切れをして、高山病の症状が進まないか冷や汗ものになった。今回は、歩いて標高をかせいでいて高度順化ができているのか、登山による息切れの範囲で収まっていた。
 一枚岩の斜面を登り続けると、左手のサウスピークが鋭く天を突く姿を見せるようになってきた。写真でお馴染みの風景の中の歩きになった。背後を振り返ると、空が赤みを増して、日の出も近いようであった。山頂での日の出見物は無理であることは判ったが、東には、二つの岩峰が並び立つドンキー・イヤーズ・ピークがあり、日の出はその陰になりそうであった。前方にローズ・ピークの山頂も見え始め、記念写真のストロボが連続的に光るのも見えてきた。
 遅れだした者もあるため、写真を撮りながら先に進ませてもうらうことにした。明るくなるにつれ、ローズ・ピークやセント・ジョーンズ・ピーク、ローズ・ピークの東面が赤く染まるようになった。南の空もバラ色に変わり、雲海の上に山が頭を出していた。これらの山も3000m峰であるとのことであった。素晴らしい夜明けの風景であった。渋滞状態のローズ・ピークよりは、広大な岩畳の上で夜明けの風景を眺める方が好みであった。
 ローズ・ピークへの登りにかかる鞍部で、4000mをようやく越した。後は、標高差にして100mを切っている。ローズ・ピークへの最後の登りは、積み重なった岩を乗り越していくものになった。足場を確保して手も使う登りであった。下山してくる登山者とすれ違うために、しばしば足が止まった。
 ようやく4095mのローズ・ピークに到着したが、最高点部は記念写真の順番待ちになっていた。山頂にはサバ州立公園や世界遺産であることを記した看板も置かれて良い記念写真スポットになっている。ただ、看板脇には座り込んで写真撮影の邪魔になっている者もいた。山頂の反対側は絶壁になっており、転落防止のワーヤーが張られていた。登ってきた方向からは見えなかったセントアンドリュース・ピークを眺めてから下山に移った。
 キナバル山の山頂部には幾つもの岩峰が並んでいる。キナバル山の名前は、アキ・ナバル(祖先の霊る山)が由来のようである。この聖なる山の初登頂の歴史は少々複雑である。1951年、蘭のプラントハンターのヒュー・ロー卿( Sir Hugh Low )は初めてキナバル山の山頂に到達したが、最高点を誤って、セント・ジョーンズ・ピークに登ったという。1888年、ジョン・ホワイトヘッド調査隊が、最高点のローズ・ピークに登り、キナバル登山の先駆者であったヒュー・ロウの業績を記念して、このピークにLow's Peakの名前を与えたという。カタカナでローズピーク書かれているので、このいきさつを知るまでは、薔薇の峰と誤解していた。バラ色に染まった夜明けの風景を眺めると、薔薇の峰であっても良いような気もした。
 ローズ・ピークからは、セント・ジョーンズピークを正面に眺めながらの下山になった。この峰を横から見ると、ゴリラの顔に見えることからゴリラ岩とも呼ばれている。セント・ジョーンズピークは周囲が切り立っており、登るには登攀レベルになって大変そうである。標高差は5mでしかないが、ローズピークが最高峰であって助かっている。
 一枚岩には、コースを示すロープが張られており、これに沿って歩くことになる。ガスでもかかれば、このロープが無ければコースが判らなくなるであろう。岩場の下りは、登りの時の印象よりも距離があった。岩の隙間には草が生えて、日本の岩稜地帯で見られるイワウメのような花も咲いていた。
 サウスピークよりも下に下ってくると、眼下にサヤッ・サヤッ小屋を見下ろすことができた。少し急な斜面を下っていくとサヤッ・サヤッ小屋に到着して、再びトイレタイム。この先はロープの掛る岩場が現れるが、そう苦労もなしに通過することができた。気温も上がって、薄着になる必要があった。
 ここからは、階段の下りが続くようになった。右手の岩場には、「ヴィアフェラータ」と呼ばれる岩壁歩きのグループが下っているのが見えた。ヴィアフェラータは、岩場に設けられた歩道を、ハーネスやカラビナなどの確保装備を併用して歩くものである。見ていると、歩いて下るのに結構苦労しているようであった。傾斜もさほどない岩場なので、ロープを使って懸垂下降する方が楽しそうであった。
 山小屋まであと僅かというところでアクシデントが発生した。女性メンバーが、階段のステップの間に足を突っ込んで転倒してしまった。階段脇に倒れこんでしまい、痛みのためか、声をかけても返事ができないという状態になってしまった。少し休ませると、会話もできるようになった。幸いなことに、骨折はしていないようであった。ひとまず様子見をしていると、ヴィアフェラータの参加メンバーなのか、通りかかった登山者が、テーピングの応急処置を施してくれた。結局、ガイドがおぶって下山することになった。現地添乗員は、ローズ・ピーク登頂を諦めて先に下山した男性一人に付き添って先に下山していた。幸い、二回程の休みで山小屋に到着した。ベッドに寝かせて、痛み止めを飲んでもらった。残念ながら、キナバル山は、山小屋やガイドの整備が行われており登山者も多いが、医務室のようなものはないようであった。
 ラバン・ラタ・レストハウスの食堂に移動して、二度目の朝食になった。10時頃までということになっているようだが、まだ料理は並んでいた。ここの山小屋では、山頂アタックの前の2時と、下山してきた後の7時半からの二回朝食をとれるようになっている。激しい運動後ということで食欲は無く、昼食も近いため、お茶を飲むだけで休んだ。
 一般には、二回目の朝食をとった後にひと休みして、Timpohon Gateまで一気に下ることになる。マシウラルートを歩くのには、今日中の下山は無理のため、もう一泊となる。午後は完全な休養になるので、マシウラルートの方が、日程的には余裕がある。
 ここで現地添乗員との今後の対応策の相談になった。タンカで運び下ろすと、交代人数も多くなって、30万円ほどになるという。どうしましょうかというが、これは本人が判断するしかない。また、場合によっては、マシラウルートは諦めて、全員Timpohon Gateに下るかもしれないというので、これには反対させてもらった。それなら、一人でもかまわないので、マシラウルートを下らせてもらうと言うと、ガイドがついていないとだめという。それならば、もう一人ガイドを付けることにして、それによって発生する余計な料金については現地と日本の旅行会社に相談してくれといった。これが山岳会の登山パーティーと考えると、別々の行動はいかがなものかという疑問も湧いてくるのだが、今回は募集登山である。マシラウルートを歩かせてもらわないというのは、旅行業約款における契約変更に該当し弁済の対象になるとも考えられるので、とりあえず強く主張してみた。バス旅行のツアーで、下車観光を一ヶ所抜いても訴訟に発展することもあると聞いている。会社に連絡したのかどうかは判らないが、後の昼食の際の話では、負傷者はガイドがサポートして距離の短いTimpohon Gateに下山し、後のメンバーは現地添乗員が付いてマシウラルートを歩くことになった。マシラウルートのサポート体制が薄くなるのだが、歩けるのならいいやということになった。幸い足の怪我も、夕食時には食堂まで歩けるまでには回復していた。
 ベッドに戻ってひと休みした後、食堂に移動して昼食。注文できる料理は、チャーハン、焼きそば、汁ソバのみという。チャーハンと焼きそばはビュッフェで食べているので、必然的に汁ソバということになった。太麺と細麺があるというので太麺を頼んだ。鶏肉ののったソバは美味しく感じた。それに加えて、お待ちかねのビール。値段は高いが、登頂後のビールは最高の味であった。
 午後は、iPODで音楽を聴きながらの昼寝を行い、再び夕食をとった。暗くなった頃、登山者が到着し始めた。我々よりも遅い到着時間であった。
 夕刻に脈泊を図ると、通常は62付近であるのに、小屋では78に上がっていた。高所の影響が出ているようであった。不思議なことに、帰国直後には52という低い値になっていた。

第四日目
 山頂アタック組が1時頃から準備を始めて、起こされてしまった。出発後、静かになった所で、もうひと寝入りした。この日は6時発で、レストランが閉まっている時間のため、朝食は弁当になった。2時に食堂に行けば朝食を食べることができるが、これに関しては、寝ていた方が良い。空の具合をうかがうと、厚い雲が広がっており、遠くで稲光も見えていた。山頂の稜線部も雲で隠されていた。この日のキナバル山アタックは、ガスの中での登頂になったようである。
 Timpohon Gateに下る二人と分かれて、下山を開始した。しばらくは、足元に注意の急坂が続いた。登ってきた際に、この付近でバテ気味になったことに納得がいった。
 PONDOK VILLOSAまで下ったところで、朝食にした。中身は、チーズ・サンドイッチにゆで卵であった。チーズは、ハムやサラダと違って、腐りにくく安全なためであろうか。眼下の展望が開けて、登山口を見下ろすことができた。頭上には青空が広がっていたが、山頂には雲がかかっていた。昨日の快晴に改めて感謝した。ここからはひと下りで、マシウラルートとの分岐になった。
 マシラウルートは、もともとは科学者や研究者が利用していた山道であったが、1998年10月に正式に開通した。一般的なTimpohon Gateからのルートに比べて距離が長く、起伏も激しいために上級者ルートとされ、利用する登山客は多くはないという。この日もマシウラルートを下りに使った登山者は我々だけのようであった。
 マシラウルートは、分岐から登山口までは6km。途中に六つの休憩所と距離の道標が整備されている。
 マシラウルート上の休憩所は、PONDOK MAGNOLIA、PONDOK LOMPOYOU、PONDOK TIKALOD、PONDOK NEPENTHES、PONDOK BAMBU、PONDOK SCHIMAの六つである。地球の歩き方のマシウラルートの地図はでたらめであるので注意が必要である。
 最初は、トラバース気味の登山道が続いたが、尾根の張り出し部の通過なのか、階段状の小さな乗り越しが続いて現れた。登山道沿いには、大きなウツボカズラが現れて、写真撮影のためにしばしば足が止まった。頭上の木からウツボカズラがぶる下がっているのにも出会った。ベゴニアなどの花も多く見られた。
 PONDOK MAGNOLIAに到着すると、西の尾根にTimpohon Gateからの一般登山道沿いにある電波塔を望むことができた。この先は、急な下りが続くようになった。階段も多く、登りには使いたくないルートであった。尾根の張り出し部の裸地の高まりに出ると、ゴールのマシラウリゾートの建物を見下ろすことができた。ただ、そこに至るまでには、谷に一旦下って尾根上に登り返し、その奥に下る必要があるようであった。
 その先のPONDOK LOMPOYOUからは、谷に向かっての急降下になった。周囲の木立もジャングルといった感じになってきた。PONDOK TIKALODで一息入れ、下りをもうひと頑張りすると、West Masilau Riverに下り立つことができた。流れは二本あり、共に橋で渡ることができた。
 この付近で、登ってくる集団とすれ違うようになった。軽装で、10時半近くという時間を考えると、キナバル山山頂を目指しているのか、疑問が湧いてきた。
 川からひと登りで、PONDOK NEPENTHESに到着。この先がマシラウルート最大の難所である登りになる。幸い、初めはトラバース的な登りでゆっくりと高度を上げていった。急斜面が始まったところで、現地添乗員が先に行ってくれというので、自由に歩かせてもらうことになった。急坂の途中に2.5km標識が置かれており、地図を見ると、2.0km地点で尾根上のPONDOK BAMBUに出るようであった。きつい登りで、休むと足が止まりかねないので、一気に登ってしまうことにした。傾斜が緩むと、PONDOK BAMBUに到着したので、ここで皆を待つことにした。
 20分近く待って7名の参加者はそろったが、肝心の現地添乗員が登ってこなかった。登山道の下に向かってオーイと声を掛けたが、返事も返ってこない。どうも体調が悪いようで、二日目の登りでも途中で姿を消していた。仕方がないので、先行しているポーターと合流するため、下りを続けることにした。PONDOK BAMBUから少し登った後に下りに転じた。足早に下っていくと、PONDOK SCHIMAに到着し、休んでいたポーターに出会うことができた。英語は通じないようだが、現地ガイドの名前を叫んで地図を指さしていると、電話を出しながら道を戻っていった。これで何とかなるだろうと思って待っていると、それほどの時間はかからずに一緒に下ってきた。一人で歩いた方が楽だと思っても、仕方のないことである。
 全員が集まったので、この後はまとまって歩くことになった。PONDOK SCHIMAからは、一気の下りになった。谷に下りてきたなと思うと、食べ物の臭いがしてきて、マシラウルートのゲートに出た。三日に及ぶ登山で日程的に楽であったため、体力の消耗もさほどではなかったが、シャワーを浴びたい気分であった。
 登山口一帯は、マシラウ・ネイチャー・リゾートのコテージが並んでおり、高低差もあるため、マイクロバスで食堂に移動した。少し遅れたが、昼食にありつくことができた。マトン、ナス、イカ、白菜の煮込み料理であった。下山後のお楽しみとビールを飲んだが、値段が高いのには驚いた。といって、飲まないことはないが。
 食事を終えて外に出ると、Timpohon Gateに下山した負傷者も、車で送られて到着した。急な所はおぶってもらったが、後は自力で歩いたとのことであった。思ったよりも早い下山であった。
 マイクロバスで宿泊棟へ移動。部屋までの坂をスーツケースを押して上がるのが辛かった。部屋は、ドアを開けると、奥に三つの部屋があるという変わった造りになっていた。湯はスイッチをいれてから30分ほど待つ必要があるといわれていたが、待ちきれずに浴びると、ぬるま湯であった。それでも久しぶりのシャワーに元気を取り戻した。スーツケースに二本のビールを忍ばせておいたため、風呂上がりのビールも楽しむことができた。
 酔いも回ってベッドで横になってうつらうつらしていると、雨音が聞こえてきた。今回の登山中に雨には合わず、山頂アタック時にも快晴に恵まれるとは、まさに幸運であった。
 7時の夕食時には雨は止んでいた。再びマイクロバスで食堂に移動し、ビュッフェスタイルの夕食。日本人を含む団体で賑わっていた。ここに泊まってもマシラウからは登らず、Timpohon Gateに移動して登山開始になるようである。料理は、ナシゴレン(焼き飯)やカレー風煮込み、魚のフライなどであるが、特にマンゴーとパイナップルの果物が人気であった。
 夜は一人部屋のためか、寒さを感じ、ストーブを入れた。マシラウ・ネイチャーリゾートの標高が、約2000mあるためである。

第五日目
 この日は、夕刻の飛行機に乗るだけなので、ゆっくりと朝食をとって、7時に出発した。マシラウ・ネイチャーリゾートを出発するとゴルフ場が広がっており、背後にキナバル山が大きく見えるようになった。展望の開けた所でバスを停めて、写真撮影になった。ここからの眺めでは、山頂部のピークの名前は判らなかった、左右に落ち込む稜線には鋸刃状に小岩峰を連ね、迫力のある姿を見せていた。登山の終わりでも、キナバル山は、惜しむことなくその姿を見せてくれた。
 バスが移動するにつれて、最初に見たキナバル山の姿に戻っていった。公園事務所の入り口を通り過ぎた先のナバル村で買い物タイムとなった。あまり買うものはなかったが、とりあえず、サバ・ティーとお決まりのTシャツを買った。ご当地Tシャツは、着る機会がなく、結局タンスに溜まっていくだけなのだが。
 車に戻ると、キナバル山登頂とマシラウ・ルート完歩の証書がわたされた。ちなみにキナバル山登頂を途中で断念すると、白黒印刷物となって、最高到達点が記載されることになる。
 山を下っていくと猛暑が襲ってきた。コタキナバルに到着し、昼食の魚介レストランが開くのを待つため、奥のショッピングセンターに入ったが、春節のために休んでいる店が多かった。生簀から取り出して料理した貝、海老、魚、野菜のシーフードで、マレーシアにおける食事のしめになった。
 最後に買い物ということになった。最初に観光客用の土産物屋に案内されたが、一般のスーパーに変更してもらった。猛暑のために通りを歩いている者はほとんどいなかったが、冷房の利いたショッピングモールの中は賑わっていた。ここでドライフルーツなどの食料品を買い込むことができた。
 やることはやったので、早めに空港に案内してもらうことになった。登場手続きを行い、現地添乗員とも分かれて、出発ゲートに進んだ。コタキナバルの空港は小さいが、それでも民芸品や免税店もあり、最後の買い物を行うことができた。
 コタキナバルからクアラルンプールへのフライトでの機内食は、夕食相当ということになる。カレー風の肉の煮込みとライスで、味は良いが量が少ない。
 怪我人のために、クアラルンプールの空港では車椅子での移動を手伝ってくれることになった。クアラルンプールで延泊する一人をのぞいた二人が同行者ということでついていくことになった。空港スタッフが押していく車椅子についていくと、関西組に追いつき、話を聞くと、飛行機が6時間遅れになって、これから航空会社が手配したホテルに行くという。おそらくスーツケースはそのまま関空行きになったままで、下着の替えも手元にないはずで、そうなるとシャワーを浴びるのにも苦労することになる。熱帯地方の旅行では、帰国に際しても着替えの替えを持っていた方が良さそうである。
 車椅子は、通関も優先レーンで、荷物検査も列の途中に割り込んでというVIP待遇であった。メインターミナルに出ると、一旦、特別待遇者用の待合室に案内されたが、少し時間があったので、免税店で買い物をしてから出発ゲートに移動してもらった。
 帰りの飛行機は、春節の観光客のためか満席であった。行きで一緒だった専門学校の団体も乗っていた。
第六日目 
 帰国は、フライト時間も短くなり、寝る時間帯なので楽である。夜食は大きなクロワッサンにポテトサラダを挟んだサンドイッチ。簡単過ぎる気もするが、ビールをもらえたので良しとしよう。到着1時間前の朝食は、エビチリ、ゆで卵にライスであったが、おかずが少なすぎた。
 行方不明になることも、撃墜されることもなく、無事に日本に戻ることができた。
 成田エキスプレスい乗って東京に向かうと、雪が降ってきた。日本とマレーシアの気温の差を痛感した。
 
 キナバル山登山のレベルはというと、慣れない海外旅行の疲れや高所体験の影響が加わるが、登山に要する体力というと、日本の健脚向きといわれる一般的な山に登れる体力があれば充分ということになろうか。
(付記)
 この登山から半年もたたない6月5日に発生したマグニチュード6.0の地震で、震源地に近いキナバル山では、日本人1人を含む16人の死者が出て、ドンキー・イヤーズ・ピークも崩れるなどの大きな被害が生じた。Timpohon Gateからの一般ルートは再開通したが、マシラウルートは2017年現在でも閉鎖のままのようである。

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