榎峠、スガ峰

榎峠、スガ峰


【日時】 2015年1月31日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り後吹雪

【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 榎峠・えのきとうげ・180m・なし・新潟県
 スガ峰・すがみね・242.8m・四等三角点・新潟県
【コース】 沼より往復
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/安角
【ガイド】 無し

【時間記録】 6:35 新潟=(R.7、十文字、R.113 経由)=8:05 沼〜8:30 発―9:30 榎峠―10:05 スガ峰〜10:25 発―10:43 榎峠―11:24 沼=(往路を戻る)=13:40 新潟
 朝日連峰と飯豊連峰は、荒川によって分けられている。現在では米坂線や国道113号線が通る荒川沿いは、かつては越後と米沢を結ぶ交通の要所であったが、赤芝峡をはじめとする難所が続いて道を付けることができず、内陸部を切り開いて、村上から羽前小松の間を十三の峠で結んだという。この越後米沢十三峠街道は、出稼ぎや物資の運搬に使われていたが、現在ではその役目が終わって、忘れられた峠道になった。
 十三峠は、イザベラ・バードが難儀して越え、その様子が「日本奥地紀行」に記されていることから、最近では関心が高まり、峠道の整備も行われるようになっている。
 十三の峠には諸説あるようであるが、越後米沢街道・十三峠交流会によれば、諏訪峠、宇津峠、大久保峠、才ノ頭峠、桜峠、黒沢峠、貝淵峠、高鼻峠、朴ノ木峠、萱野峠、大里峠、榎峠、鷹巣峠とされている。
 榎峠は、越後側からは二番目、沼と大内淵の間の峠である。スガ峰は、榎峠の南にあるピークである。国土地理院の地形図には名前が記載されていないが、関川村発行の「山岳渓流地図」にこの名前が記されている。なお、点の記には小綱木沢山とされている。

 天候には恵まれた土曜日になるようであったが、翌週にキナバル山に出かけるため、軽い山で済ませることにした。越後米沢街道を使って榎峠に至り、その脇のスガ峰に登るのなら楽勝と思って出かけることにした。
 榎峠には、2000年6月に登っているが、この時は大内淵側からであったので、今回は沼側から登ることにした。
 国道から分かれて沼に至る道は、若ぶな山スキー場へのアプローチ道であるため良く整備されている。車道が沼川を渡った先の沼集落手前が街道の入り口になる。雪原の向こうに送電線の鉄塔が立つスガ峰を望むことができた。スガ峰からの下山は尾根沿いに下ってくることができるかと思っていたが、鉄塔付近は伐採された雪原になっており、木立の無い急斜面のために歩くのは危険そうであった。榎峠は、右寄りの二つのピークに挟まれた窪地のようであった。歩く準備をしている間にも、スキー場を目指す車が次々に通り過ぎていった。
 スノーシューを履いて雪原に進むと、小綱木川に架かる橋を見つけることができた。細い橋に雪がうず高く積もっていた。川までの高さがあり、川岸がブロックで固められており、転落すると上がることが難しい状態であった。踏み外さないように注意しながら橋を渡った。後で気が付いたのだが、上流部で車道が対岸部に渡っているので、少し遠回りになるがそちらから歩き出した方が安全であった。
 左岸には作業小屋が雪に埋もれており、「日本重化学小国線」と書かれた巡視路の標識がスガ峰方面を示していた。期待していた旧街道のような道型が見当たらなかったため、伐採地をひと登りして下流方面を望むと、小屋の脇から道型が続いているのが判った。
 杉林の中に進むと、道型は消えてしまった。地形図の破線によれば、しばらくは下流方向にトラバース気味に進めば良いはずであったが、入り込む沢が細いものの深くて横断が難しかった。しかも土砂崩れなのか、扇状に広がる段差が現れた。稜線までさほどの高度差もないのに、沢が深く抉られているのが不思議であった。高巻きをしたり、沢に下りてまた登り返したりと、街道歩きとはまったく違ったものになってしまった。
 杉林の中に入って、道型が現れると、戊辰戦争の際に榎峠で戦死した米沢藩士と新発田藩士の供養塔である「無名戦士の墓」が現れた。コースは間違っていなかったことが確かめられた。
 無名戦士の墓から杉林をひと登りすると雑木林になり、そう遠くない所にピークに挟まれた窪地が見えるようになった。旧街道は九十九折状態に続いているようであったが、一面の雪原になっており、歩きやすい所を辿って峠を目指すことになった。
 榎峠は左右のピークの間の切り通し状になっている。峠では、由来を示す看板が雪の上に出ていた。
「この峠道は明治18年に荒川沿いに今の国道113号線ができるまで交易や参勤交替等山形県と新潟県を結ぶ重要な道路でありました。昔は沼部落を宿駅としこの道をとおりました。沼は昔、城氏の根拠地で堀氏が金山を開発したこともあります。ここには戊辰戦争の古戦場跡があり特に戦死者を供養する無名戦士の墓も建立されています。」と書かれていた。
 新潟側をのぞくと、ブナ林の中に緩やかに下っていくようであった。  スガ峰を目指すために、南側のピークに取り掛かったが、急斜面に苦労した。ひと登りすると、傾斜も緩くなって200mピークに出ることができた。このピークからは、一旦下りになったが、地図で見るよりも帰りの登り返しはきつく感じた。途中には古いテープが取り付けられており、歩くものもいるようであった。
 目指すスガ峰の上に立つ鉄塔付近は急斜面の雪原になっており、直登はできないようであった。ピーク下に出ると、西に落ち込む尾根までの距離はさほどなく、木立も広がっているので登るのに問題は無さそうであった。
 トラバースを交えながら登っていくと、雪原になった窪地に出て、これを辿ると山頂のいっかくに出ることができた。雪原をひと登りすると、スガ峰の山頂に到着した。脇から最高点付近をうかがうと、灌木の上に雪が乗っているようで、雪庇の踏み抜きに注意が必要なことが判った。
 山頂からはわかぶな高原スキー場を一望でき、その右手の窪地が大里峠で、沼山と続く県境稜線が広がっていた。南にはえぶし差岳を望むことができたが、逆光気味なのは残念であった。眼下には沼の集落を見下ろすことができた。新潟県側では、下関の平野部と朴坂山塊を良く望むことができた。春のような陽気に包まれて大休止にした。
 下りは、来た道を戻ることにした。沢の横断などで登り下りして、思っていたよりもきつい山行になってしまった。
 今回の歩きでは、旧街道の様子は全く判らなかったので、雪の無い季節に改めて歩いてみることにしよう。

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