権現山

権現山


【日時】 2014年11月30日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 権現山・ごんげんやま・630.5m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/高石
【コース】 中河原橋より登り林道哺土原線へ下山
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:35 新潟=(R.49、R.403、新津、五泉、村松 経由)=7:35 中河原橋〜8:13 発―9:50 巡視路分岐―10:20 権現山―10:27 鉄塔(No.89)〜10:50 発―11:58 巡視路入口=(自転車利用)=12:18 中河原橋=(往路を戻る)=13:40 新潟
 権現山は、早出川の左岸に立つ、川内山塊の入口にある里山である。ピラミッド型の山頂が村松や周囲の山からも良く目立つ山である。一般登山道があるものの、山の知名度は高くはないが、雪崩にあった主人を二度までも助けた「忠犬タマ公」の活躍舞台として登場する山である。山頂は木立に囲まれているが、山頂から南に下ったところにある鉄塔下からは川内山塊の展望が広がっている。

 近場の山として権現山はお気に入りの山である。川内山塊の眺めを楽しみに、権現山に出かけることにした。昨年は杉川発電所側から登ったが、この山は、中河原橋から登って林道哺土原線へ下山するのが一番面白い。このコースを先回歩いたのは2008年11月であったので、様子見を兼ねてここらで歩いておく必要がある。両登山口間を歩くのは時間がかかるため、自転車を使うことにした。
 まずは、小面谷の先から始まる林道哺土原線に進み、送電線巡視路入口に自転車を置いてから中川原集落入口の中河原橋に戻った。橋のたもとの脇の駐車スペースに車を停めた。以前、ここには「忠犬タマ公」の謂れを書いた説明板が置かれていたのだが、無くなっていた。権現山方面を眺めると、雪は見られないものの、紅葉は終わって茶色の木立が広がっていた。
 橋を渡って右折し中川原の集落内に進むと、権現山を示す標識が置かれているが、民家の中を抜けていく道は判りにくい。記憶を頼りに谷奥へと向かう道に進んだ。尾根の末端部に突き当たったところで、右にはっきりした道が分かれるが、直進する道を進む。急坂をひと登りすると、杉林の広がる台地の歩きになる。右下には、沢を見下ろすことができた。
 緩やかに登っていくと、突如、工事中の林道に飛び出した。伐採のための作業道のためなのか、幅広の切り開きであった。最近土砂が盛られたのか、前日の雨でぐずぐずになっており、登山靴が潜ってしまって一歩を進めるのに苦労する状態であった。山道との合流点には、「遊歩道スロープ すり付け」と書かれた標識が取り付けられていた。林道を苦労して進むと、すぐ先で「遊歩道スロープ すり付け」の標識があったので、林道から踏み跡に進んだが、すぐ先で再び林道に出てしまった。
 林道は沢にぶつかった所で右にカーブした。GPSで確認すると、登山道のあった沢ではなかった。泥に足を取られながら林道を進むと、林道の終点に出た。終点部の下の沢に登山道が通じているはずであった。しかし、沢に下るような踏み跡は見当たらなかった。しかたがないので、木の枝を掴みながら急斜面を下り、水量の少ない沢を渡って左岸に移った。
 河原の草むらをひと登りすると、はっきりした登山道に復帰することができた。帰宅後に、以前の左岸に移る渡渉点を確認すると、林道に飛び出した地点近くであった。この林道は、おそらく中川原集落の奥から始まっており、その林道を進んでいくと左岸に通じている登山道に出ることができそうである。ただ、この日の状態では、グズグズの林道を歩くことは非常に難しい状態であった。少し時間をおけば、登山道の案内板も付け変わりそうである。
 この先は、沢沿いの問題の無い道が続いた。ただ、最初のアクシデントで意外に体力を消耗してしまった。小さな滝の縁を登ると、登山道は右岸に移って、その後は斜面の登りに変わった。右上に標高459mの岩峰が迫ると、狛の投石と呼ばれる大岩が登山道脇に出て、ひと息つくことになる。その先で湿原状の谷地の脇を抜けると、横に広がる稜線が迫ってくる。急坂をひと登りすると、459m峰との鞍部に出ることができる。  この先は、細尾根の登りが続くようになる。小ピーク目指して登っていくと、その頂上で杉川発電所方面からの登山道が合流する。
 ここからは昨年も歩いたコースと思って油断したが、急坂を登りきって山頂到着と思うと、まだ先があるということを繰り返すことになった。
 権現山の山頂は杉木立に囲まれて、見晴らしはない。以前あった木のお堂はつぶれて、残骸が見られるだけであるが、石の祠が積み直されて、昔からの信仰の証として佇んでいた。祠には、安永五と書かれているが、そうなると西暦1776年のことで、江戸時代の天明の前の元号ということになる。238年前のえらく古い祠ということになる。当時は、現在よりもこの山頂を訪れる人は多かったのかもしれない。
 展望が無くあまり面白くない山頂なので、先に進んで送電線の鉄塔下で大休止にすることにした。山頂から先は送電線の巡視路なのだが、一般的登山道並みの整備が行き届いている。ただ、濡れ落ち葉の下が湿った泥斜面で、斜面の途中で立っているだけでも足が滑っていくような所もあって、尻餅をつかないように注意が必要であった。
 大鉄塔の下に出て、展望を楽しみながらの大休止にした。ここでは、木六山から五剣谷岳、毛石山、白山と粟ヶ岳、といった川内山塊の眺めを楽しむことができる。雪は思ったよりも少なく、高い山頂付近が白くなっているだけであった。
 大休止の後に、巡視路の下りを続けた。途中で岩尾根の下りのような所もあるが、危険というほどのことはない。
 林道哺土原線の巡視路入口に置いた自転車に戻り、最後に自転車での移動になった。林道哺土原線はカーブを交えながらの急勾配であるため、ブレーキを終始握りしめながらのドライブになった。県道に出てからは、途中二か所ほどペダルを漕ぐ必要があったものの、ほとんどはただ座っているだけの移動になった。自転車を利用する登山コースの一つに加えることができる。
 現在の状態では、中川原コースは林道の開設によって判りにくくなっているので注意が必要である。
 
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