九才坂峠、目指岳

九才坂峠、目指岳


【日時】 2014年11月16日(日) 日帰り
【メンバー】 宇都宮グループ 計7名
【天候】 曇り

【山域】 会越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 九才坂峠・くさいざかとうげ・560m・なし・新潟県、福島県
 目指岳・めさしだけ・650.3m・三等三角点・新潟県、福島県
【コース】 水沢より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢/安座
【ガイド】 新潟の低山藪山(白山書房)

【時間記録】 6:15 新潟=(R.49、安田IC、磐越自動車道、西会津IC、安座 経由)=7:40 九才坂峠登山口〜8:35 発―9:58 九才坂峠〜10:17 発―10:35 目指岳〜10:45 発―11:20 九才坂峠〜12:02 発―12:52 九才坂峠登山口=13:10 弘法岩登り口―13:21 弘法岩―13:35 弘法岩登り口=(R.49 経由)=15:20 新潟
 新潟と福島との県境線は、只見川から南では、古惣座山、土倉山、黒森山、目指山、大倉山、木地夜鷹山、高陽山といったピークを連ねて南下した後、西に向きを変えて、御神楽岳から浅草岳へと続いている。この県境線を越える峠道が幾つも開かれているが、その一つに九才坂峠があり、新潟県側の土井と福島県側の水沢を結んでいる。目指岳は、この九才坂峠の北に隣り合うピークである。

 宇都宮グループが目指岳を登りに来るというので、参加することにした。目指岳に先回登ったのは2006年11月25日であったので、そろそろ様子見のために再訪する必要があるとも思っていた。
 週の半ばに寒気が入り込み、猪苗代方面では10センチ程の積雪になったという。道路のライブカメラを見ると、西会津付近では道路の雪も見当たらなかったが、安全のために直前にタイヤ交換を行うことになった。先週は笠倉山に登って会津百名山を終えることができたが、先週を逃していたならば来年へと延期するところであった。
 車窓から見る五頭山塊や菅名山塊の稜線部は真っ白になっていた。西会津から安座に向かうと、大倉山などの高い所では山頂部が白くなっていたが、目指山はそれよりも低いので、積雪があっても足が取られるほどではないと考えた。
 先回は登山口の様子が判らないので、水沢集落を通り過ぎた所の路肩スペースから歩きだしたが、今回は九才坂峠登山口まで車で入ることにした。集落を通り過ぎようとする所にヒメサユリ群生地の看板があるので、ここから北に向かう林道に進む。畑の間を抜けると、沢沿いの狭い道になる。左から沢が入り込んだ所が九才坂峠の登山口になる。ここには車三台程のスペースがある。
 車の中でコーヒーを飲みながら待つと、8時半という時間通りに宇都宮一行が到着した。積雪もあって道はぐちゃぐちゃであろうと思って長靴を履いたが、これは目指岳への急坂の登り下りの際に後悔することになった。この日の状態では、スパイク付き長靴を履くべきであった。
 九才坂峠の登山口には、「九才坂峠、目指岳 水沢登り口」という標識が置かれていた。以前は標識も無く、林道終点まで進んでしまったのとは大違いであった。道は沢の左岸沿いに続いており、堰堤脇を過ぎて谷奥に進むと、足元が泥状で滑りやすい急な登りになった。ここは春先の残雪で斜面が削れてしまうためか道が荒れているが、ひと登りすると良く踏まれたトラバース道に変わった。木立の葉はほとんど落ちていたが、その中で散り残りの紅葉がひと際鮮やかな赤色を見せていた。周囲にはブナ林が広がり、キノコ探しでゆっくりとした歩きになった。
 尾根上に出ると、周囲の山の斜面がスラブに覆われているのを眺めることができるようになった。振り返ると、飯豊連峰の眺めも広がっていた。稜線は雲に隠されていたが、雪は中腹まで覆っているようであった。この先は、尾根沿いの緩やかな登りが続くようになった。右手前方の谷越しに目指岳の山頂を望むこともできるようになった。
 九才坂峠は、ブナの木立に囲まれ、ベンチも置かれて休むのに良い所である。新潟と福島の県境になっており、新潟県側はジグザグに下っていって沢沿いに歩くと、ほどなく土井集落に到着する。九才坂峠へは、距離は長くなるが、水沢側から登った方が、途中で飯豊の展望も楽しめてお勧めである。
 目指岳へは、ヘアピン状に折り返して尾根を北に向かうことになる。初めは笹原で踏み跡が隠されているが、進んでいって尾根が細くなると、しっかりした山道状態に変わる。小ピークからは鞍部への下りになるが、正面に聳える目指岳を望むことができる。雪が少し積もってはいるものの、ラッセルというほどのことは無さそうであった。ただ、最後の登りが急斜面を一直線に登るため、転落の恐れが心にわいてきた。
 鞍部からは、灌木の枝を掴みながらの登りが続いた。中途半端に積もった雪が足元で滑り落ちるため、難しい登りになった。それでも慎重に登り続けるうちに傾斜も緩くなってきて、ひと息付くことができた。
 急斜面を突破して到着した目指岳の山頂は、10センチ程の雪に覆われていたが、あてずっぽうに雪を掻き分けると、三角点が頭を見せた。山頂からの展望は素晴らしく、まずは飯豊連峰に目が引きつけられた。新潟方面の五頭山塊や菅名山塊も望むことができた。会津方面は、雪崩に磨かれたスラブが広がっていた。いつまでも眺めていた眺めであるが、下りが心配のため、峠に戻ってから大休止にした。下り始めると、二人連れが登ってくるのに出会った。土井方面から登ってきたようで、この日は水沢方面からの単独行にも出会った。目指岳としては、大賑わいの状態であった。
 下りは、灌木の枝を掴み、バックステップで慎重に下ることになった。スパイク長靴を履いてこなかったことを少々後悔した。幸い、距離も短いことから、急斜面も下り切ってひと安心になった。650mという標高からは想像できない難しさであった。以前の方が藪の中を掻き分けて上り下りしていたので、手がかりも多くて楽だったような気もした。
 峠に戻って大休止になった。新潟県側は風当たりが強かったため、福島県側に回り込んで腰を下ろした。
 峠からは、展望を楽しみながら気楽に下ることができた。
 下山後、水沢集落近くにある弘法岩を見ていくことにした。水沢集落に入ってきた道を直進すると、弘法岩の登り口に到着する。九才坂峠は、弘法大師が九歳の時に通過したことに由来するという。登り口にある案内板によれば、大蛇の霊が村人を悩ましていたところ、巡行の途中の弘法大師が岩屋に入って護摩を焚いて悪霊をおさめたという。弘法大師は去るにあたって、自分の姿を刻んで岩屋に安置したことから村名が安座になったという。
 九才坂峠の伝説からすると、九歳の時の出来事になってしまうが、細かいことは言わないようにしよう。
 入口からは、石段やじぐざぐの急な登りが続いた。ひと汗かくと弘法岩の下に出た。巨岩の下のスペースにお堂がはめ込むように作られていた。この岩を離れてみると、三角屋根の家型に見えた。手が加わっているのかもしれない。踏み跡が奥に続いていたので進んでみると、岩屋状の窪地が現れた。お堂周辺からは展望が広がり、眼下に水沢の集落を望むことができた。九才坂峠と合わせて弘法岩を見る価値はある。
   
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