笠倉山

笠倉山


【日時】 2014年11月8日(土) 前夜発日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 菅名山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 笠倉山・かさくらやま・993.7m・三等三角点・福島県
【コース】 塩沢林道より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/只見/只見、駒形山
【ガイド】 会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)

【時間記録】
11月7日(金) 14:10 新潟=(R.49、R.252、高塩 経由)=17:45 塩沢林道通行止め地点  (車中泊)
11月8日(土) 6:03 塩沢林道通行止め地点―6:40 林道終点―7:00 取り付き〜7:05 発―9:35 笠倉山〜9:55 発―11:45 取り付き―12:08 林道終点―12:47 塩沢林道通行止め地点=(高塩、R.252、渋川、R.290、栃尾、R.290、下樫出、下田、R.290、加茂、R.403、茅野山、R.49 経由)=16:30 新潟
 笠倉山は、只見の河合継之助記念館のある塩沢集落の奥に聳える鋭峰である。近くにある蒲生岳と同じく、只見のマッターホルンと呼ばれることもあるが、登山道の無い山のため、ヤブコギ覚悟の山行を行う必要がある。

笠倉山は、2009年11月23日に登るつもりで登山口に前泊したが、雨が降って断念することになった。代わりに高つぶり山と思案岳に登り、この段階で、残りの会津百名山は三山になった。この翌年にでも頑張れば終わっていたはずだが、笠倉山を晩秋に登ろうと機会をうかがっていると初雪が降ってしまったり、海外旅行に行ったりして、登らずじまいになっていた。今年は終わりにしようとして、残った二山のうち唐倉山を登り、笠倉山だけを残して11月を待った。

 11月の最初の週末は雨時々止むという天気予報が出て、笠倉山は断念。翌週の土曜日にようやく晴のマークが付き、笠倉山を目指すことができた。
 登山口に前泊するため、金曜日の昼過ぎに出発した。只見へは、会津坂下か六十里越え経由で入るかの二通りが考えられる。周回を考えて、行きは会津坂下経由とした。只見川沿いの紅葉も道路脇まで下りてきて終盤に入っていた。
 高塩集落に到着した所で、踏切を渡り、塩沢川左岸に続く林道に進む。この入口には、笠倉山の標識はないものの、馬尾滝の標識があり、民家脇を過ぎた先の神社の前に馬尾滝の案内板が置かれている。
 この先の林道は舗装されているものの、路肩が田圃に向かって切り落ちているため、車のすれ違いが難しい。日暮れ寸前ということで対向車には出会わないままに先に進むことができた。帰りも、この林道に入ってきた車は無かったようで対向車も無く脱出することができた。
 舗装が終わって未舗装に変わると、少し先で広場があり、この先は路肩の崩壊により通行止めになっていた。簡単に動かせるパイプ柵なのだが、この先は崖下をぬう道が続いている。無理はしないでここから歩き出すことにした。この広場は、2009年11月の時も車を停めて寝た場所で、細い林道の走行が嫌いなので、ここから歩き出すつもりであった。
 厳しい冷え込みの夜になった。薄暗いうちに起きて出発の準備をした。明るくなってみると、霧がかかっていた。太陽が昇れば霧は晴れるはずなので、支障はないはずであった。
 歩き初めは、塩沢川沿いの林道歩きを頑張ることになった。山肌の木立も葉をかなり落していた。通常の紅葉見物だと、見頃が過ぎたなと残念がるところだが、今回はヤブコギのために都合が良かった。
 右岸に移ると、小屋の残骸が現れた。「会津百名山ガイダンス」に間欠泉の小屋と書かれているもののようだが、残骸状態でいずれ雑草に隠されてしまいそうであった。その先で清水平の林道終点に到着した。
 この先に続く山道の入り口には馬尾滝と書かれた標柱が置かれていた。この滝を見に来る愛好家はいるのだろうか。
 山道に進むとすぐに、斜めに露出した岩の通過が現れた。岩に彫られたステップを数歩辿る短いものであるが、沢に転落しないように注意が必要であった。その先はへつり道が続いたものの難所はなかった。
 登山道の無い笠倉山を攻略するには、残雪期も候補に挙がるが、谷に落ち込む雪崩の危険性や、残雪に覆われた林道やこのような急斜面のトラバースが現れて通過が難しい。危険を避けて、ヤブコギに適した晩秋を狙うことになった。
 笠倉山の東斜面の笠倉沢手前には杉林があり、ネットなどで調べると、ここが登り口になるようであった。周辺を見渡したが、残置テープは見当たらなかったが、事前設定したGPSのルートもここから始まっていた。地図の確認などで小休止になった。
 ヤブコギ開始。杉林を抜けると、ブナ林の疎林になった。ヤブコギの苦労は無かったものの、急斜面で、しかも落ち葉が積もって足が滑るため、灌木の枝を掴んで体を持ち上げる必要があった。下山のために、なるべく直線的に登るように心掛けた。
 登るにつれて、弱いながら枝尾根沿いの登りになった。地図を見ても尾根ははっきりしない斜面であるが、実際は襞のように尾根状の地形が走っていた。
 次第に灌木も密生するようになって、体を通過させるのに苦労するようになった。短いものの急斜面も時々現れるようになって、左右どちらかの窪地を登ってから尾根に復帰することが必要になってきた。足よりも手が次第に疲れてきた。
 苔の生えた露地に出てひと息付くことができた。塩沢川沿いの谷を振り返ると、雲海に覆われていた。
 GPSに入力したポイントを通過していくことだけを励みに、ヤブコギを続けていった。コースの途中には、踏み跡らしきものが断続的に見られた。稜線上に針葉樹の木立が見えてきて、あと少しと頑張る気が起きてきた。
 針葉樹の木立に囲まれた稜線上に出てひと息ついた。この稜線は、北東に続いて笠倉沢に落ち込んでいるので、下山時の目印にテープを取り付けた。ここの地面にテープの残骸が落ちていたものの、途中に残置テープは全く見かけなかった。登山者がそこそこにいるならば回収できなかった残置テープも多くなるはずなのだが。以前、男鹿岳に登った時は残置テープだらけに閉口した覚えがあるのだが、日本三百名山と会津百名山とでは登山者数と山の入山者のヤブコギ経験が違うのだろう。なお、GPS頼りに登っているのでテープはほとんど付けないのだが、この山では念のためにテープを10か所ほどに付けて、ほとんどは回収できたが、数本は見落としてしまった。
 この後は、痩せ尾根でコースが決まってしまうためかはっきりした踏み跡が続いて、ひと登りで前ピークに到着した。三角点は少し先のピークに置かれているが、この前ピークの方が高いようであった。目の前の笠倉山山頂の写真をとってから先に進んだ。
 笠倉山の山頂は小広場になっており、傾いた三等三角点が頭を出していた。周囲には遮るものの無い展望が広がっていた。まず目に入るのは、大きく裾野を広げ山肌に雪の筋を引いた浅草岳であった。その左奥の雪に染まった山は、越後駒ヶ岳と中ノ岳のようであった。近くには、蒲生岳の鋭い山頂や鷲ヶ倉山を望むことができた。北に目を転じれば、東岐山から小金井山へと続く福島と新潟の県境稜線が横たわり、奥には矢筈岳をはじめとする川内山塊の山々が広がっていた。はるばる只見までやってきて、越後の山が間近に見えるというのも不思議な感じであった。谷にはまだ消えきれぬ雲海がただよって、実際以上の高山の趣を与えていた。
 風景を眺めながら、腰を下ろして大休止にした。いつまでものんびりしていた山頂であったが、難しい下りが待ち構えていた。
 下りは、尾根沿いの藪の濃い所では脇の残雪や流水によって削られた灌木がまばらな窪地を歩いたが、積もった落ち葉で滑りやすかった。落ち葉と共に滑り落ちるような場面もしばしばであった。窪地を下り過ぎるとあらぬ方向に行ってしまうため、GPSを眺めながら、細かく歩いたコースに戻ることを繰りかえした。一歩ずつ足場を固めながらの下りで、最後は足も痛くなったが、なんとか登り初めの杉林に戻ることができた。
 後は、こわばった足の整理体操といった感じで山道と林道の歩きを続けることになった。
 途中の橋の上で振り返ると、行きには霧のために気が付かなかったが、紅葉した木立の上にそそり立つ笠倉山の山頂を望むことができた。さっきまであの上にいたのだという、登頂の喜びが湧いてきた。
 会津百名山の終わりの山が笠倉山になったのは狙ったわけではないが、やはり登頂困難な山で終わることができたのは良かった。会津百名山が発表された1997年当時、どこにある山かも判らず、地元自治体にメールで問い合わせたこともあった。当時の山の実力では、地図読みや、藪や残雪の山の経験不足で、登頂は無理な山も多かった。幸い、山仲間との山行によって経験を積むことができ、さらにGPSの導入によって藪山でのコース判断が格段に容易になった。会津百名山は、山の実力アップの結果として、日本百名山達成の喜びとは違う喜びになった。
   
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