引入沢山

引入沢山


【日時】 2014年9月23日(火) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 津川周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 引入沢山・ひきいれさわやま・460.9m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/大日岳/日出谷
【コース】 山頂下の林道より
【ガイド】 なし

【時間記録】 7:40 新潟=(R.49、R.459、県道鹿瀬日出谷線 経由)=9:10 送電線手前空き地〜9:25 発―9:32 取り付き―10:12 引入沢山―10:49 取り付き―10:55 送電線手前空き地=(往路を戻る)=12:50 新潟
 阿賀野川左岸の福島県境近くの、津川周辺には、兎ヶ倉山を代表とするトンガリピークが幾つもあるが、黒崎山の東隣りにある引入沢山もその一つである。この山は、南北に二つのピークが並んでいるが、北峰の方が僅かに高いようで、三角点が置かれ、地図の山名はこの北峰のみをさしているようである。

 週半ばの休日は、週末の山の疲れが残っていてあまり乗り気にはなれないが、晴天が巡ってくるとあっては出かけないわけにはいかない。近場の山でしばらく行っていない山を考えていくと、引入沢山が思いついた。この山に登ったのは、1999年4月4日なので、ずいぶんと時間が経ってしまっている。この時は、尾根沿いに踏み跡が続いているものの、ヤブコギモ強いられる山行であった。ネットで調べると、途中の岩場にロープが取り付けられ、山頂下に展望地が設けられているようであった。どうも、SL磐越号の撮影地として、鉄撮りファンが登っているようであった。登山愛好家としては、予想しなかった事態であるが、現在の状態を確かめる必要がある。
 黒崎山登山以来の県道鹿瀬日出谷線の走行になった。稜線部が近づいた所で、右に未舗装の林道が分かれる。ススキの穂が倒れこむ林道を進むと、送電線が頭上を通過する手前に空地があったので、ここから歩き出すことにした。実際には取り付き部まで車で入ることができたが、周辺の様子を歩いて確かめたかった。
 林道を歩いていくと、送電線の巡視路の入り口があったが、草に覆われて歩いた様子はなかった。前方に引入沢山の山頂を望みながら歩いていくと、260m小ピークを越した先の鞍部がすぐ頭上に迫ってきた。ここが取り付きになる。鞍部を通り過ぎようするところで、木立の間が空いた状態になって、踏み跡が続いているのが見つかった。
 雑木林の中の踏み跡を辿ると、難なく尾根上に出ることができた。下降部の目印としては、木にテープが巻いてあった。この先は、整備の行き届かない登山道といった状態になった。時おりユズリハの葉が左右から倒れこんでいる所もあったが、しっかりした踏み跡が続いた。少し先で数段に渡る岩場が現れたが、確かにロープも取り付けられていた。岩場の上からは、阿賀野川方面の展望が開けていた。
 小ピークを越えると、急登が続くようになった。山頂までは標高差150m程の登りであるが、結構きつく感じた。山頂手前で、藪を切り開いた展望地が設けてあった。展望は山頂を訪れた後でということで先に進んだ。
 傾斜が緩んで山頂に到着すると、踏み跡は藪に突き当たって行き止まりになった。右から回り込んで進むと、草むらがあり、その中に三角点を見つけることができた。ここから見えるのは藪だけであった。
 展望地に戻って、風景を眺めた。向鹿瀬方面の眺めが開けて、蛇行する阿賀野川や赤崎山の眺めが広がっていた。磐越西線がまっすぐに向かってくる様子や、深戸から始まる平瀬トンネルの入り口も一望することができた。確かにSLの俯瞰撮影場所としては、もってこいの場所であった。
 引入沢山を貫く平瀬トンネルは、全長2006mで、1907年(明治40年)から7年を掛けて完成され、このトンネルの貫通によって郡山から新津までの岩鉄線の全線が開通した。この岩鉄線の開通によって、信越線で約15時間を要していた新潟・東京間が12時間に短縮されたとのこと。上越線が全通する為の「清水トンネル」貫通の1931年(昭和6年)までは、このルートがメインの鉄道路線であった。登山愛好家にとってさほど興味を持たれない引入沢山だが、鉄道史的には重要な地点であったようである。
 下山の途中、単独行とすれ違った。下山後に車を見ると、多摩ナンバーであった。やはり鉄道ファンであったのだろうか。山を下って深戸集落に戻ると、線路脇には、カメラの三脚が立ち並んでいた。
 
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