木津八海山、山寺山、城山、竜王山、焼額山、籠町南葉山、五日町南葉山、猪野山南葉山

木津八海山、山寺山、城山
竜王山、焼額山
籠町南葉山、五日町南葉山、猪野山南葉山


【日時】 2014年9月13日(土)〜15日(月) 2泊3日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 13日:雨後曇り 14日:曇り 15日:曇り

【山域】 山古志周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 木津八海山・きづはっかいさん・306m・なし・新潟県
 山寺山・やまでらやま・298.5m・三等三角点・新潟県
 城山(ひ生城跡・ひうじょうせき)・しろやま・260m・なし・新潟県
【コース】 道の駅「ちぢみの里おじや」より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小千谷
【ガイド】 なし
【温泉】 千手温泉千年の湯 600円

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 竜王山・りゅうおうさん・1900.1m・三等三角点・長野県
 焼額山・やけびたいやま・2010m・なし・長野県
【コース】 竜王スキーパークより
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/中野、岩菅山/夜間瀬、切明
【ガイド】 山と高原地図「志賀高原、草津」(昭文社)

【山域】 南葉山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 籠町南葉山・かごまちなんばやま・909.1m・三等三角点・新潟県
 五日町南葉山・いつかまちなんばやま・760m・なし・新潟県
 猪野山南葉山・いのやまなんばやま・755m。なし・新潟県
【コース】 重倉林道より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部/重倉山
【ガイド】 無し

【時間記録】
9月13日(土) 6:35 新潟=(北陸自動車道、三条燕IC、R.8、R.17 経由)=8:30 道の駅「ちぢみの里おじや」〜9:00 発―10:00 山寺山入口〜10:05 発―9:59 木津八海山―10:29 山寺山入口―10:39 山寺山―11:03 鉄塔―11:22 ひ生城山〜11:45 発―12:15 極楽寺―12:50 道の駅「ちぢみの里おじや」=(R.291、小千谷、十日町、R.117、飯山、R.403 経由)=16:10 竜王スキーパーク  (車中泊)
9月14日(日) 5:50 竜王スキーパーク中間部―6:13 ゲレンデ上―6:50 七曲分岐―7:15 手間不要―7:45 ロープウェイ山頂駅―8:28 小竜王山―8:52 竜王山分岐―9:55 焼額山〜10:32 発―11:28 竜王山分岐―11:31 竜王山〜11:55 発―12:36 ロープウェイ山頂駅―12:59 手間不要―11:13 七曲分岐―11:40 ゲレンデ上―13:58 竜王スキーパーク中間部=()=16:00 籠町南葉山登山口  (車中泊)
9月15日(月) 5:55 籠町南葉山登山口―6:21 林道終点―6:42 栃の木峠―7:07 籠町三叉路―7:14 籠町南葉山〜7:24 発―7:44 新幹線の窓―8:00 五日町南葉山―8:04 斐太の窓―8:12 猪野山南葉山―8:36 猪野山南葉山登山口―9:13 籠町南葉山登山口=(R.18、R.8、R.116 経由)=12:50 新潟
 小千谷の町の中心部は、信濃川左岸に広がっているが、上越線の駅は、橋向こうの右岸に置かれている。この右岸部に広がる丘陵地にある山が、山寺山と城山である。道の駅「ちぢみの里おじや」からこの二つの山を結んで極楽寺に至るコースは、中部北陸自然歩道として整備されている。八海山は、山寺山の東に位置する山である。山頂にはお堂があり、麓の集落の木津の名前をとって木津八海山と呼ばれている。

 焼額山は、志賀高原の北部に岩菅山と向かい合う2000m峰である。山頂部までスキーゲレンデの開発が進んでいるため、登山の対象としての関心は薄くなっている。しかし、、山頂一帯に広がる稚児池や湿原を楽しむことができる、無視するには惜しい山である。また、焼額山の北西に位置する竜王山は、これも山頂一帯がスキー場に変わっているが、以前は焼額山と竜王山を結ぶコースは、「竜王越え」としてスキーツアーのクラシックコースであった。登山コースとしても整備されているが、歩く者は少ない。

 南葉山塊は、高田の町の背後に広がる山塊である。南葉山という地名には、南葉、難波、南波という字が用いられている。地図を見ても、山塊の南端の籠町南葉山、北端の青田難波山、さらにはその中間の稜線には南葉山と記載されており、少々ややこしい。青田難波山は、ハイキングの山として親しまれているが、籠町南葉山を中心とする登山道が最近整備されている。

 三連休ではあるものの、天候は安定しないようである。初日は雨を覚悟、中日と三日目はまずまずの天候のようである。中日に期待して山の計画を考え、メインを志賀高原の竜王山から焼額山へのコースを歩くことにした。
 初日は、道順として長岡か小千谷の山を歩くことにして車を走らせた。高速に乗ると、虹がかかったが、朝虹は天候の崩れる合図という言い伝え通りに長岡が近づくと本降りの雨になった。改めて計画を考え、小千谷のひ生城山を登ることにした。この山は、中部北陸自然歩道のコースが整備されているといっても、先回歩いた2004年9月の際には、山頂からの下山時に他の道に迷い込んだようで、すっきりしない気分が残っていた。
 登山口の道の駅「ちぢみの里おじや」に到着して、コーヒーを飲んでいるうちに本降りの雨も止んでくれた。一応雨具を着て、長靴を履いての登山になった。
 駐車場背後の恐竜の像が置かれた児童公園に進むと、中部北陸自然歩道の看板が置かれている。「山頂です→」という標識に従って山道に進む。暗い杉林の中をひと登りすると、左手から上がってきた林道に出る。この後は林道歩きを頑張ることになる。低山歩きといっても、上り坂では汗も噴き出してきて、それなりに体力を使う。涼しくなって油断していたが、蚊がまだ生きており、刺されながらの歩きになった。
 尾根の乗り越し部が山寺山からひ生城山への縦走路であるが、時間も早かったので、木津八海山に寄っていくことにした。木津八海山には2009年1月に登っているが、スノーシュー歩きであったので、夏の姿はまだ知らない。
 山寺山入口からは、一旦下りになる。林道もここまでは車の走行に問題の無い道であったが、その先は草が延びて、進む車はまったにいないようであった。279mピークの下を巻いていくと、木津方面から上がってきた車道に飛び出す。そのまま直進すると、養鯉池があり、その奥に舗装された道が分かれ、その入口に木津八海山入口の標柱が置かれている。急な坂道を登っていくと養鯉池で車道は終点となり、赤い鳥居が現れて参道が山頂に向かって延びている。石段を登っていくと、石灯篭とお堂の置かれた木津八海山に到着した。山頂は杉の大木があり、木立に囲まれているが、ひ生城山方面の眺めが広がっている。地震によるものか崩壊の跡が広がって荒々しい姿を眺めることができた。ひと休みするには良い山頂であはあるが、この後はまだ長い歩きが残されているので、すぐに引き返すことにした。
 峠部に戻って、山寺山への登山道に進んだ。急な所は階段状に整備されており、楽勝なはずであったが、蜘蛛の巣がひどく、ストックで切り裂いても、糸が顔に張り付いてきて、足が止まることの多い歩きになった。
 地図には記載されていないが、297.1m標高の三角点が置かれたピークが山寺山である。地図にはアンテナマークが記載されているが、撤去されて土台が残るだけである。米山や黒姫山が見えるという展望図が置かれているが、木立が広がって視野は狭まって城山付近だけが見えるだけになっていた。
 ひ生城山への道に進むと、崩壊地の縁を通るようになった。ロープも張られているが、転落には注意が必要であった。細尾根を過ぎると、一旦左方向への下りになった。杉林の中を登り返すと、送電線の鉄塔の下に出たが、その手前は道が判らないほど夏草が茂っていた。ひ生城山から山寺山へ向かおうとすると、藪に阻まれて道が判らなくなりそうであった。魚沼線No.55の鉄塔のすぐ先にも送電線の鉄塔が立っていた。しっかりした道が続いていたので進むと、道はそのまま下っていき、引き返しになった。送電線の下に出ると、これには堀之内線No.32と書かれていた。まっすぐ下っていくのは送電線の巡視路で、登山道はなさそうであった。鉄塔付近は伐採地になっており、どこでも歩ける代わりに、道型が無くなっていた。伐採地を進むと、すぐ先の雑木林で登山道を見つけることができた。先回の記録を読み返しても、この送電線付近で苦労したとは書いていなかったが、現在のところでは送電線付近は要注意箇所になっている。
 ひ生城山の山頂が近づくと登山道はトラバース道になっていたが、上に向かう踏み跡が現れた。これをひと登りするとひ生城山の山頂に到着した。展望図が置かれ、信濃川や長岡付近の平野部、朝日山の眺めが広がって、低いながら展望の山であった。
 ひ生城跡は、初期はひ生氏、後には上杉氏が居城したという。この城も上杉謙信の跡目争いの御舘の乱の舞台になており、平子氏は景虎側につき、景勝によって滅ぼされたという。ベンチも置かれており、休むには良い山頂であった。最近は、小千谷の城山(時水城跡)が人気の山になっているが、この山ももっと登られても良いと思う。
 下山しようとして方向が違うのに気が付いた。先回は、トラバース道で山頂を行き過ぎてから山頂にひと登りして到着し、下山は分岐に戻ってトラバース道の延長に進んだ。
 極楽寺へという標識がこの道の脇に置かれていて判りにくいが、尾根通しに進むように道が続いていた。これが遊歩道のようであった。
 山頂から短いが急な坂を下ると、後は緩やかな尾根道が続くようになった。途中で送電線の巡視路らしい道が分かれたがそのまま直進すると、コースは西に変わった。枝尾根沿いに下っていくと、極楽寺への道が左に分かれた。トラバース道に進むと、すぐ先で水場が現れた。脇には岩をくり抜いた中にお堂が設けられていた。
 緩やかに下っていくとお寺脇の駐車場に飛び出した。ここが極楽寺の登山口で、自然歩道の案内図も置かれていた。今回は正しいコースを歩くことができた。予想外の道に入り込んでしまうのも低山歩きの難しさである。
 後は車道歩きを頑張ることになったが、黒雲が広がってきて、着替えをして車を走らせる頃には本降りの雨になった。雨と蜘蛛の巣攻撃が重なると辛い歩きなったので、幸運に感謝することになった。
 続いて志賀高原の竜王山に向かった。志賀高原の山は概ね登っているが、竜王山はまだ登っていなかった。竜王スキー場のロープウェイは夏も運行しているが、下から歩いて登るつもりであった。事前に調べると、登山道は整備されているものの、登山者用の案内板は充分とはいえず焼額山への縦走路を歩こうとして苦労したという話がいくつも見つかった。昭文社の登山地図にも登山コースが記載されているが、竜王山のピークには登山道は通じていないが、実際には登山道があるようであった。現地で判断することになりそうであったが、迷いながら歩くのも面白い。
 竜王スキパークに到着して、ホテル街の中をジグザグに上っていくと、ロープウェイ乗り場に出た。ロープウェイ乗り場の駐車場は砂利敷きの傾斜地で、観光地としては寂れた感じがした。ゲレンデはさらに上に延びているので、車道を行けるところまで上がることにした。倉下林道をカーブを繰り返しながら上がっていくと、林道はゲレンデから離れて南に向かっていった。ゲレンデ横断点を確かめると、中央にコンクリート敷きの管理道がゲレンデ上方に延びていた。ここから歩き出せば良いのだろうと想像して、林道を少し進めた先の路肩に停めて寝た。
 翌朝、立ち入り禁止のロープの張られた管理道を歩き出した。ゲレンデの正面に横たわる稜線の上にロープウェイ山頂駅が見えており、最初の目標地点は確認することができた。ロープウェイの始発は9時のようなので、歩いて登った方が早いはずであった。
 ゲレンデは、初心者用の緩斜面であったが、歩くとなると結構急で息が切れることになった。振り返ると、高社山が富士山型の姿を見せていた。ただ、山頂近くまでスキーゲレエンデが延びているのは目障りであった。この一帯には多くのスキー場が設けられているが、客は志賀高原に行ってしまうのではないだろうか。ゲレンデ上部で管理道は終わったが、その先のゲレンデは草が刈り払われて歩くのに支障はなかった。
 まずはゲレンデ上まで登ってひと息ついた。その先に登山道が延びていた。トラバース気味に歩いていくと七曲入口という標識が現れた。この先に登山標識が幾つか現れたが、これらはロープウェイ利用者が歩いて下山するためのもので、歩いて登るものにはわざと判りにくくしているように感じた。標識も英語にハングルも併記されているが、外国人の利用者がいるのだろうか。しかも下山してきてこの標識を見ると、ここから七曲が始まると思ってしまわないだろうか。
 ここからは、九十九折の登山道が始まった。ひと登りすると、トラバース気味の緩やかな登りになり、再び細かいカーブの繰り返しになると、稜線上に出た。ここには七曲分岐と書かれて、小丸山方面にも整備された登山道が延びていた。この道は土橋に延びているようである。七曲入口まで1km25分とあるが、登り方面の案内は無く、歩いて登る登山者は無視されている。
 この先は緩やかな尾根の登りが続いた。水音が聞こえてくると、左手の沢から右手に水を落としている導管が現れた。ここには手間不要という地名が書かれていた。さらに尾根歩きを頑張ると、ロープウェイ山頂駅に到着した。山頂駅脇は植物園になっており、ベンチも置かれた展望台が設けられていた。高社山の山頂も見下ろすようになっていた。北アルプスも幾つかのピークが雲の上に飛び出しているのが見えていた。良い眺めであるが、観光客にとって往復1600円を出す価値があるのだろうか。志賀高原の横手山まで足を延ばせば、2300mの高さまで歩かずに上がることができる。
 山頂駅の脇にはレストハウスがあり、ここの案内図が竜王山登山のカギになる。案内図には、ゲレンデを登って竜王山(1930m)に至るコースの他に、小竜王山(1900m)に30〜40分で行くコースが書かれている。この小竜王山というのが、地形図に書かれた三角点ピークの竜王山である。この案内図では、小竜王山で行き止まりになっているが、その先に焼額山への道が続いているらしいことが事前の情報集めで判っていた。
 花壇脇の遊歩道を進み、ドッグランの金網が巡らされたリフト下り場から右脇の山道に進む。すぐ先で分岐になって、右の道には立ち入り禁止のテープが張られており、これが小竜王山への登山道である。登山者のことは全く考えていない、あるいは善意に考えて、観光客が迷いこまないようにという配慮であろうか。
 この先は、尾根沿通しの道が続いた。道は草が倒れ掛かっていたが、道を辿るのに支障は無かった。歩く者は少ないようであった。小ピークに到着かと思ったが、結構遠くであった。少なくとも30〜40分という距離ではなかった。
 小竜王山への最後の登りにかかるところで、三叉路に出た。左に進めば竜王山のゲレンデ方面に出ることができるようであった。まずは、小竜王山を目指して直進した。この先は、藪が濃くてヤブコギ状態になる所も出てきた。笹薮を抜けると、三角点の周りが刈り払われた小広場に出た。一帯は木立に囲まれてかろうじて焼額方面が望めるだけであった。
 分岐に戻って、ゲレンデ方面と思われる道に進んだ。刈り払いも行われているが、藪っぽい道であった。初心者だと不安を覚えてしまうかもしれない。ゲレンデ直前になったところで、再び三叉路になった。焼額山へは右手の道に進めば良いはずであった。焼額山からの下山時にゲレンデ方向に進んだが、すぐ先で山頂のレストハウスの脇に出て、ゲレンデ終点部に竜王山の山頂標識が置かれていた。この分岐がゲレンデから横にずれた木立の中にあることが、焼額山への登山道が判らなくなる原因になっている。
 三叉路からは少し登ってから下りになった。ゲレンデ上部の看板よりも、登山道は最高点に近い所を通過していた。歩くのに支障はない整備された登山道が続いた。下りの途中、ウメバチソウの咲く湿地に出ると、前方に台形状の焼額山の眺めが広がった。
 標高差80m程を下って、150mの登り返し。歩いた距離も長くなって、足も疲れてきた。GPS表示で湿原の脇を歩くようになると、焼額山山頂の周回路に飛び出した。登山道には、この先立ち入り禁止の看板が置かれて、ロープが張られていた。ここに竜王山縦走路入口とでも標識を立てておけば、志賀高原側から登ってきた登山者が、二回目は竜王山方面からと思って、竜王ロープウェイの利用客も増えるはずだが、何を考えているのやら。また、昭文社の登山地図では、プリンスホテルからの登山道に合流してから山頂に登りつくように書かれているが、実際は稚児池の脇に直接登りついた。
 木道の敷かれた遊歩道を少し進むと、稚児池が現れた。周囲の湿原は茶色に変わり、水面に青空と白雲を映していた。標高の高い湿原で、紅葉を期待していたのだが、予想が当たってくれた。時間もあるので、遊歩道を一周した。稚児池神社にもお参りしてから下山にうつった。
 帰りは、竜王山への登り返しがきつく感じたが、幸いひと登りで済んだ。分岐からゲレンデに進み、ゲレンデ終点の看板の脇まで上がった。休業中のレストハウスの階段に腰を下ろして、大休止にした。ゲレンデは、秋の花に覆われていた。
 下山は、ゲレンデ内の道を歩いた。歩いていると、登りに使った小竜王山への登山道は、すぐ脇の尾根に続いていることが判った。途中で連絡コースをつくれば、もっと歩きやすくなるはずなのだが。
 途中で湿原に通じる木道があったので進んでみたが、木立の間に僅かな草地が点在するだけで、期待はずれなものであった。ロープウェィで登ってきた観光客が、この湿原まで歩いてきたなら、がっかりしてしまうのではないだろうか。
 ゲレンデを下った後に少し登り返すと、ロープウェイの山頂駅に戻ることができた。駅周辺には二人連れがいるだけであったが、到着したロープウェイからグループが下りてきていた。30分間隔のようなので、見物する物もそうないので、次の便で下りることになるのかもしれない。もうひと頑張りして、最後の下りにとりかかった。
 竜王山から焼額山への縦走路は、案内標識の整備不良によって、緊張感のある歩きを楽しむことができた。
 三日目は籠町南葉山を登ることにした。籠町南葉山は、これまで二回登っている。初回は1999年6月で、この時は重倉山を登ろうとしたが山道が無くあきらめ、その代わりに山菜取りの使う山道を利用して青田難波山分岐からヤブコギで登った。二回目は2009年5月で、この時は青田難波山から籠町南葉山まで登山道が整備されたので登りに出かけた。ネットで調べると、重倉林道方面からの登山道が整備されたようなので、登山道の状態を調べることにした。
 夕暮れ時、西野谷の万内川砂防公園から重倉林道に進んだ。重倉林道は舗装されているが、道幅は狭いので対向車に注意が必要である。ただ、この日は対向車には出会わなかった。カーブを交えながら一気に高度を上げると、標高580mで、左に舗装された林道が分かれ、ここが登山口であった。林道入口には、籠町南葉山登山口の標識が置かれていた。また、「駐車場は50M先です」という標柱も置かれていた。林道を進むと、すぐ先に砂利の敷かれた駐車場が設けられていた。
 時間もまだ早かったので、ネットの調べでは籠町南葉山の山頂から直接下る登山道もあるようなことから、その登山口を調べようと車を先に進めた。少し進むと、法面の工事で、林道は通行止めになっていた。休日のために誰もいない工事現場に進んでみると、林道が落石で覆われていたが、道路際を歩いて通過することは可能な状態であった。登山口の確認はできなかったが、この通行止め箇所の状態を確認しておくことができたのは収穫であった。
 翌日の明け方は、真っ赤な朝焼けが広がった。天気の崩れが懸念され、三連休最終日で道路が混む可能性もあるので、早めに登山を終えることにした。
 登山口から枝分かれの林道に進んだ。急な所は舗装されているが、傾斜が緩むと砂利道に変わることを繰り返した。
 稜線がすぐ上に近づいた頃、トラバース道に変わると、林道終点に到着した。広場が設けられており、地元の山菜取りの車は、ここまで入ってくるようであったが、一般登山者は、重倉林道から歩いてくるのが無難である。
 この林道終点は、地形図で書かれているよりは手前で終わっている。この林道終点からは、初回の籠町南葉山と重倉山登山の際の二回歩き出している。これらの時は、駐車場からは踏み跡はあるものの、しっかりした登山道のようなものは見当たらなかった。
 今回は、籠町南葉山登山口の標識が置かれていた。登山道に進むと、すぐに沢に向かっての下りになった。沢にはアルミ製の橋が設けられていた。沢を渡った先は、夏草の茂った伐採地の急登になった。登る季節を誤ったかなと少々後悔した。
 ひと登りすると、はっきりした山道に乗ることができた。推測だが、以前は林道終点から山道が延びていたものが、沢の増水によって林道が不通になって、手前から登るように道が付け変わったのではと思う。
 一旦傾斜が緩やかになった道を辿ると、水場があり、そこからは急登も僅かで稜線上に出た。ここには栃の木峠と書かれた標柱が置かれていた。地図上では、869mピークの西の枝尾根が南に下る所であった。熊に削られたのか、細くなっていた。さすがにやばいと思って、いつもは持っているだけの熊鈴を鳴らしながら歩くことになった。重倉山方面をうかがったが、道跡は見当たらなかった。
 籠町南葉山方面には、しっかりした道が続いていた。869mピークと小さなピークを越えていくと、青田難波山方面からの登山道が合わさった。ここには籠町三叉路と書かれた標柱が置かれていた。また、「奥の石組は籠町南葉山の遺跡と考えられます」とも書かれていた。
 三叉路から緩やかな道を進んでいくと、広場になった籠町南葉山に到着した。初回には、見つからなかった三角点も広場の中に姿を見せていた。刈り払いが行われて、麓の両善寺付近の平野部を見下ろすことができた。
 山頂広場に「重倉林道 1時間」と書かれた標識が置かれていた。どこに下るのか確かめるために進んでみると、北東部に進んでおり、535m点付近で林道に下り立つようであった。地図をみると、そこからでは車に戻るのに林道歩きが長くなりすぎる。通常の登山道並みの道であるが、残念ながらこれを下るのは諦めることにした。
 山頂広場に戻って、予想していた地図上に破線も記されている南東尾根の入り口を見ると、標識は無いものの、荒い刈り払い道が続いているのが目に入った。テープが連続的に取り付けられており、チェーンソーで丸太を切断していた。鉈で少々藪を払ったものではない、本格的な登山道整備であった。
 これなら下れるはずとこの道に進んだ。急な下りが続いた。尾根通しでコースは迷うことは無かったが、藪を避けるためか、時折コースが変わるので、刈り払いとテープを注意深く辿る必要があった。789点の鞍部に下り立つと、「新幹線の窓」と標柱が置かれた展望地に出た。標識が現れたことによって、ひと安心になった。平野部の中に新幹線の駅が見えていた。上越妙高駅ということらしいが、集落から外れて不便そうであった。
 その先の小ピークへの登りでは、ロープも取り付けられていた。細尾根を通過して再び尾根が広がると、五日市南葉山という標識が現れた。その先で斐太の窓という展望地が現れた。
 尾根の方向が南に向かうと猪野山南葉山という標識が現れた。麓の集落から見上げて、南葉山山塊の目立つピークをそれそれが○○南葉山と呼ぶようである。
 その先は、短い間隔で合目標識が現れた。一応、合目の位置をGPSに記録しながら歩いたが、いちいち足を停めるのが煩わしくなった。
 最後は、破線とは西に反れて、重倉林道に下り立った。ここには猪野山南葉山入口という標識が置かれていた。前日に登山口の偵察で、これを見ていたなら、頭に疑問符が浮かんだことだろう。
 後は万内川の源流部の谷を大きく巻いていく林道歩きになった。法面工事の現場も無事に通過し、車に戻ることができた。
 対向車に注意しながら林道を下ったが、この日は一台の車にすれ違った。
 連休三日間、登山者には誰にも会わない静かな山を楽しむことができた。
 
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