朝日山、満寿山

朝日山
満寿山


【日時】 2014年8月23日(土)〜24日(日)1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 23日:晴 24日:晴

【山域】 山古志
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 朝日山・あさひやま・341m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小千谷
【コース】 浦柄より
【ガイド】 新潟ファミリー日帰り登山(新潟日報事業部)
【温泉】 清津峡小出温泉湯処よーへり 400円(石鹸、シャンプー無し)

【山域】 谷川連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 満寿山・まんじゅさん・950m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢、苗場山/越後湯沢、赤湯
【コース】 清津峡入り口より
【ガイド】 なし

【時間記録】
8月23日(土) 7:20 新潟=(北陸自動車道、三条燕IC、R.8、R.17、ひ生、R.291 経由)=8:50 上越新幹線高架下〜9:22 発―9:31 浦柄登山口―10:35 朝日山〜11:18 発―11:30 登山者用駐車場―12:05 朝日入り口―12:20 上越新幹線高架下=(R.291、小千谷、十日町、R.117、R.353 経由)=16:00 清津峡入り口  (車中泊)
8月24日(日) 5:34 清津峡入り口―6:15 尾根上―6:27 十二大明神―6:57 温泉見晴らし―7:36 満寿山〜7:55 発―8:25 温泉見晴らし―8:45 十二大明神―8:54 尾根上―9:30 清津峡入り口=(R.353、R.117、小千谷、R.17、R.8 経由)=13:40 新潟
 信濃川右岸にある小千谷市の朝日山は、戊申戦争の際、河井継之助の率いる長岡藩が陣を置いた山として知られている。山頂まで車道が通じていたが、新潟中越地震によってこの車道は崩壊し、現在では登山道が整備し直され、手頃なハイキングの山に変わっている。山頂からは信濃川の流れや小千谷の展望が広がっている。

 清津峡は、見事な渓谷美と柱状節理の地形によって人気のある観光地になっていたが、1988年に落石によって死亡事故が起き、渓谷沿いの遊歩道は閉鎖になってしまった。現在、清津峡観光には清津峡渓谷トンネルを利用するようになっており、清津峡から八木沢への登山コースは、山越えの登山道として整備しなおされている。満寿山は、この登山道が稜線上を通過する途中のピークである。

 今週は、広島で大雨による土砂災害で大きな被害が生じたが、新潟市内は雨の被害は免れているが、周辺ではかなりの大雨に見舞われたようである。新潟県内の週末の天気は、曇り時々雨といったものであったため、清津峡奥の満寿山をメインにして、そこまでの途中にある山ということで朝日山を選んだ。
 朝日山に前回登ったのは2009年12月で、かなりの時間が経っている。前回は、2004年に起きた中越地震の被害の修復中で、途中で崩壊した林道を辿る所も現れた。現在は、地元の観光案内でもハイキングコースが紹介されるようになっている。現在のハイキングコースの様子を確かめることが今回の目的である。
 早めに登山を終えても、車の中で暑さに悩まされることになるので、時間調整のため、高速道の利用は短くして、一般道を走った。朝日山の登山口は浦柄であるが、朝日へと周回するため、両集落の中間点になる上越新幹線の高架下の空き地に車を停めた。
 国道を戻り、朝日山古戦場の案内に従って、山に向かう。朝日川を渡ると坂道になって、早くも汗が流れ出るようになった。坂の上には浦柄神社の参拝者用駐車場が設けられている。中越トレッキングマップ「朝日山コース」の新しい案内板が置かれていた。
 まずは、前回はパスしてしまった浦柄神社に寄っていくことにした。坂道をひと登りするとお堂があり、その脇に山本五十六書の戊辰戦争の碑が置かれていた。さらに脇に入ると、朝日山殉難者墓碑の石碑が並んでいた。これは戊辰戦争で戦死した東軍兵士の遺体のとりかたずけを西軍が禁じたのに対し、哀れに思った地元民が戦死の地に墓標を立てて遺体を手厚く葬ったものである。
 この長岡や会津の戊辰戦争の古戦場を訪れると、長州藩の残虐性の方が際立ってしまう。現在でも、長岡と会津の人間は、戊辰戦争で共に戦った友軍として、親近感を抱いている。
 駐車場からは、棚田の間を登っていく舗装道路の歩きになる。以前山頂まで通じていた林道は標高200mの送電線近くまで一気に上がってからトラバース道になっていたが、今回は中間部で朝日山山頂は左へという標識が現れた。左に分かれる林道に進むと、すぐ先で山道に進むようにという標識が現れた。恢興之道と書かれた標識も置かれていたが、意味が解らない。
 畑の脇から杉林の中の登りに変わった。左に小ピークを巻くように登っていくと、山頂に続いていた林道に飛び出した。合流点には東軍兵士の墓が置かれていた。以前の林道の様子をうかがうと、立ち入り禁止になっていた。今後もこの林道は復旧されないのかもしれない。
 この後は、林道歩きになった。送電線の巡視路を過ぎた先で未舗装の林道が上がってきており、ここから下山できそうであった。
 林道が九十九折に変わり、それを登りきると朝日山の山頂に到着した。朝日山の山頂は、刈り払われた草地の中に展望台を兼ねた資料館が置かれている。信濃川が眼下に長く伸び、小千谷の街を見下ろすことができた。山頂を吹き抜ける風が心地よかった。登り1時間の低山ではあるが、展望は一級品である。林道が途中で寸断されていて、登山者専用の山になっているのも良い。
 資料室には、河井継之助と岩村精一郎の写真が掲示されている。北越戦争と呼ばれる長岡藩と新政府軍の戦いは、岩村精一郎が、小千谷の慈眼寺にて長岡藩家老河井継之助と会談するが、「会津藩を説得する」という河井の嘆願を「時間稼ぎであろう」と全く聞く耳を持たず交渉は決裂、結果として長岡藩は新政府軍の敵に回って激戦が行なわれたという。この写真からも、横柄な若造という感じを持ってしまう。
 フランス式壕や自営地跡が残されている激戦地であったにも関わらず、のびやかな展望が広がる山頂であった。この山に登るには、もう一度司馬遼太郎の「峠」を読み返す必要があろうか。「峠」の舞台訪問といっても、最大の山場になる八十里越えはそうたやすくは歩かせてはもらえないが、この朝日山ならファミリーハイキングレベルである。
 山頂でゆっくりと休んだ後、朝日集落への下山に移った。山頂広場から山道に進むと、崩壊地の脇に出て、その先で林道跡が現れた。これはすぐに消えて山道を辿るようになった。この区間は地形図の破線と大きく異なっているので、地震によって、林道が崩壊して、山道が付け変わったようである。
 広場に出ると、朝日山方向を示す標識が置かれていた。この広場まで朝日集落方面から上がってくることができるようであった。
 その先は車道歩きになったが、車一台幅の所もあり、歩いた方が安全であった。急坂を下っていくと朝日集落に出た。後はもうひと頑張りして車に戻った。
 猛暑は過ぎたといっても、昼はまだ暑く、途中の十日町のブックオフで時間をつぶし、食事をとってから清津峡に向かった。
 現在、国道353号線の十二峠トンネルは、土砂崩れの復旧工事のために通行時間に時間制限が設けられている。観光へのダメージも大きいと聞いていたが、清津峡の駐車場に到着してみると、観光バスの団体が訪れていた。昼間は車の中で汗をかいてしまうので温泉に入る気になれなかったが、夕方になって涼しくなってきたので、清津峡の日帰り温泉に入った。
 少し戻った所の空き地で夜を過ごしたが、夜中には短い時間であったが雷雨になった。天候不順が続いている。
 登山道の入り口は、駐車場に置かれた標識で知ることができた。観光バス用駐車場から山際の道を進むと、登山道の入り口に到着した。  登山道はあまり歩かれていないようで、泥斜面に苔が生えて滑りやすくなっていた。斜めに登っていくと、枝尾根の上に出た。奥の大松沢からは大きな沢音が聞こえ、木立の間から段になった滝を望むことができた。
 この先も急な登りが続き、早朝と言っても汗が噴き出てきた。出発が遅かったら辛い登りになったはずである。659.4m三角点付近で、清津峡の左岸尾根に上がることができた。この先は、緩急の登りが繰り返されるようになった。730m標高で小広場があり、十二大神の石碑が置かれていた。続く目標地点は、温泉見晴らしになった。木立が刈り払われて、清津峡温泉の建物を見下ろすことができた。
 緩やかにアップダウンを繰り返していくと、928mピークは、東斜面をトラバースするように付け変わっていた。登り下りが少ないのは有難いが、土の斜面は足掛かりも少ない所があり、神経を使う歩きになった。
 このトラバース道を越えて、ブナ林の中の登りに転ずると、満寿山の山頂に到着した。地図にも名前が載っていない山であるが、山名を書いた標識が置かれていた。
 刈り払い部からは、清津峡の谷間と、左岸に広がる急峻な岩場を望むことができた。尾根は小さなアップダウンを繰り返して日向の肩に続いている。日向の肩からは清津峡の川岸に標高差500mを一気に下るように登山道は続いているようだが、垂直に近い急斜面で難所のようであった。
 この日は満寿山の山頂までとして、引き返すことにして、ブナの木陰で大休止にした。ここまでの道は木立の下の歩きなので、紅葉の季節は楽しい歩きになるのかもしれない。 下山は、泥に足を滑らせないように注意したが、数回尻餅をついた。
 下山の時間も早かったので、下道を通って家に戻った。家に辿りつく直前、前が見えないような雨に見舞われ、夜のニュースで中越方面は豪雨になっていたことを知った。
 
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