氷山、秋葉山、八石山

氷山、秋葉山
八石山


【日時】 2014年6月14日(土)〜15日(日) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 14日:雨 15日:曇り

【山域】 東頸城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 氷山・こおりやま・674.2m・三等三角点・新潟県
【コース】 北西林道終点より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/松之山温泉/大割野
【ガイド】 なし

【山域】 魚沼丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 秋葉山・あきばやま・315m・なし・新潟県    
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/十日町/十日町
【ガイド】 なし
【温泉】 千手・千年の湯 600円

【山域】 東頚城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 八石城址・はちこくじょうし・430m・なし・新潟県
 上八石山・かみはちこくさん・494.9m・三等三角点・新潟県
 中八石山・なかはちこくさん・518m・なし・新潟県
 下八石山・しもはちこくさん・513.8m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岡野町/法坂
【ガイド】 なし

【時間記録】 
6月14日(土) 6:35 新潟=(R.8、R.17、小千谷、R.117、辰ノ口 経由)=9:20 外丸矢放神社登山口〜10:00 発―10:32 三合目おもてなし広場―10:41 五合目恋松峠―11:25 九合目六三四の広場―11:36 氷山〜11:50 発―11:54 九合目六三四の広場―12:23 五合目恋松峠―12:31 三合目おもてなし広場―12:58 外丸矢放神社登山口=(津南、R.117、川治上町 経由)=13:48 秋葉山登山口―14:05 秋葉神社―14:10 秋葉山―14:23 送電線巡視路入口―14:39 麻畑林道入口―14:50 秋葉山登山口=(川治上町、R.117、十日町、千手、R.252、上加納 経由)=19:10 不動滝駐車場  (車中泊)
6月15日(日) 5:20 不動滝駐車場―5:43 石川分岐―6:09 八石城址―6:27 上八石山―6:31 八王子分岐―6:33 婆石展望小屋跡―6:55 中八石山―7:09 久之木峠―7:29 下八石山〜7:40 発―7:56 久之木峠―8:00 御堂平―8:35 久之木登山口―8:59 不動滝駐車場=(南条、北条、R.252、柏崎、R.8、R.116、R.8 経由)=11:30 新潟
 氷山は、新潟・長野県境近くにある信濃川左岸の津南駅北側にある山である。2013年09月に登山道が整備された。

 秋葉山は、十日町近くの信濃川右岸の台地の突端にある山である。山名は山頂近くに置かれた秋葉神社に由来するが、南北朝時代に活躍した新田氏一族の羽川刑部の居城が置かれていたことから羽川城跡とも呼ばれている。この城の下を通る街道は上杉謙信が関東へ出兵する際に使われており、重要な軍略地点になっていた。

 八石山は、柏崎市と小国町の境界に位置する山である。柏崎地方では、八石山、米山、黒姫山をまとめて、「刈羽三山」と呼んでいる。八石山は、三つの峰からなり、北に位置する二等三角点の置かれた513.8m峰を下八石山、最高点の518m峰を中八石山、南に位置する三等三角点の置かれた494.9m峰を上八石山と呼ぶ。
 梅雨の季節らしい雨模様の週末になった。土曜日の天候は回復傾向にあるようなので、遅い出発で充分な低山歩きを行うことにした。
 まずは氷山を登ることにした。氷山は、2004年5月に北西林道終点からヤブコギ状態で登ったが、その際に山頂から南に下る山道を見た。登山道があるらしいことは判ったが、どこが登山口になるのか、疑問が残った。ネットで調べると、2013年09月に登山道が整備されたという情報を見ることができた。宿題を片づけるために再訪することにした。
 朝方の雨のため、高速は使わず、下道で津南を目指した。新潟から中之島あたりまでは信号も多いので、中越方面に出かけるには、高速を中之島見附ICまで使うのが、料金節約と時間とのバランスの妥協点になりそうである。
 R.117を走り清津川を渡った所で、信濃川左岸沿いの道に移ると外丸に到着した。外丸小学校を過ぎると、矢放神社があり、その入口に氷山登山口の標識が置かれていた。登山口を通り過ぎた先に路肩スペースがあったので、車を停めた。
 小雨が降っていたので、しばらく車の中での待機となった。雨具を着て長靴での歩きになった。矢放神社の参道は杉木立が並んでおり、境内に入ると、右脇に八本杉と呼ばれる幹が八本出ている杉の巨木が立っていた。お堂の前はゲートボール場になっており、整地がされてベンチが置かれていた。
 お堂の左脇から登山道が始まっていた。登山道に進むとすぐ先で、飯坂線の線路の上を通過することになった。急坂を登ると、その先で林道に飛び出した。案内板に従って、右に少し下ってから山側に向かう林道に進んだ。登山道は、蛇行する林道をそのまま直進するように続いていた。田沢川左岸の台地には、若いながらすらりと伸びたブナ林が美しい所も出てきたが、全般的に杉林が広がっているのは残念であった。近くの松之山の美人林が観光地として有名になっているが、この付近でも昔はブナ林が広がっていたはずである。
 西に向きを変えて尾根を辿るようになると、三合目のおもてなし広場に出た。尾根は小さなアップダンを繰り返すが、急坂を登ると、五合目の恋松峠の看板が現れた。尾根の途中の小ピークで、峠というような場所ではなかった。氷山の登山道の整備に合わせて婚活登山が行われ、急坂を手を取り合って登りつめた場所というのが名前の由来のようである。おもてなし広場というのも、オリンピック誘致活動で有名になった言葉が由来なのかもしれないが、俗っぽくてあまり良い趣味とは思えない。
 歩いている途中、時折り北の谷間越しに氷山の山頂を望むことができたが、結構高く見えていた。尾根歩きも、アップダウンがあるため、なかなかはかどらなかった。
 北に方向を変えると、急坂が続くようになった。登山道周辺が草地になって背後の展望が開けるようになると、九合目六三四の広場に出た。信濃川や津南の町を見下ろすことができる展望地であった。晴れていれば山の眺めも広がっているはずであるが、雨のために遠望はきかなかった。
 標識には「スカイツリー高」と書かれていたが、GPSの高度によれば631mしか無かった。634mの高さは、もうひと登りした杉林の中であった。
 最近、634mの高さが独り歩きを始め、山中で表示されているのを見かけるようになっている。634mの高さということなら、麓の標高を考える必要がある。氷山なら麓の信濃川は標高200程はあるので、下から見上げた場合の東京スカイツリーとは比較できない。また、上からの眺めというならば、第二展望台は450mなので、634mという数字は意味の無いものになる。世界最高のドバイのブルジュ・ハリファも高さは828mであるが、公開されている展望台は452mの高さでしかなかった。そもそも東京スカイツリーの高さは、世界一にするために無理やり634mの高さまで増やされ、しかも語呂合わせの武蔵についても建てられている場所は昔は武蔵国では無かったという指摘もされている。
 九合目からもうひと頑張りすると、氷山の山頂に到着した。台地状の山頂では、まず赤い鳥居が目に入った。その手前に木の棒の先にハート型を取りつけた飾りが何本も置かれていたのは、婚活登山の名残りであろうか。氷山で婚活登山が行われたのも、中国故事の「月下氷人」にちなんでのもののようであるが、氷人から氷山に変わるのは飛躍が過ぎる。
 三角点を探して、右手の方に進むと、刈り払いの広場の中に三角点が頭を出していた。他の登山道は切り開かれてはいないのかと周辺を見て回ると、先回歩いた西に延びる尾根方面に薄い踏み跡が見られるだけであった。
 下りは、雨で泥斜面が滑りやすくなっており、足元に注意する必要があった。
 下山後、展望台から良く見えていた津南駅前の信濃川橋渡って、氷山を振り返り見た。せっかく整備された登山道であるが、氷山自体特徴のある山ではないので、いつまで登山道が維持されるかは判らない
 津南駅併設の温泉に入りたかったが、もうひと頑張りして秋葉山を登ることにした。
 国道から分かれて麻畑方面に向かい、羽根川を渡った先で秋葉山の下に出ると、沢の奥に標識が見えており、ここが登山口であることが判る。コンクリートで固められた沢を渡って上流部に少し進むと、羽川(秋葉山)城跡と書かれた標柱が置かれていた。
 ここからは、急斜面の九十九折の登りが続いた。ひと登りした付近からは、何体もの石仏がまとめて置かれ、写真を撮りながらの歩きになった。息も切れる急登なので、ひと息付くのに具合が良かった。
 尾根上に出ると、少し先に広場があり、神社が置かれていた。神社の額を見ると、「秋葉三尺坊」と書かれていた。
 三尺坊は信濃出身で,越後の栃尾蔵王堂所属の修験者であり、秋葉山に一千日参籠し火生三昧の法を修し,神通不思議の験力を得,飛行昇天したので,秋葉山に合祀し秋葉三尺坊というようになったとも,秋葉山に大火が発生した際に三尺坊が現れ,火生三昧を修して猛火を止めたことにより火防鎮守としてまつられたとも伝えているとのこと。
 秋葉神社は火伏せの神として、各地で信仰されているが、三尺坊については地元出身ということで、特別の信仰の対象になっているのも判る。
 広場の入り口に置かれていた羽川(秋葉山)城跡の説明と城跡図を見ると、城の遺構は神社の背後の尾根沿いに続いているようであった。神社の背後に回ると、道が付けられていたので先に進んだ。細尾根は空堀で切られており、その都度下っては登り返すことが続いた。秋葉山の標高点315mは、目印のようなものはなく、知らずに通過していた。空堀の横断が結構疲れるので、引き返すのも面倒だなと思うようになった頃、刈り払いの行われた台地に飛び出した。送電線が何本も交差しているが、地形図に書かれているものよりも本数が多いようであった。車幅の作業道があったので、麓に下りられるはずと思い、先に進んだ。林道に飛び出し、カーブを交えながら下っていくと、麻畑に出ることができた。後は車道歩きで車に戻った。
 秋葉山は、城跡の構造を知る上でも、奥の台地まで歩いて麻畑に下るのが良いと思われた。
 八石山は、数多く登っている山ではあるが、まだ歩いていないコースがある。そのうちの不動滝からのコースを歩くことにした。秋葉山を登った後、十日町で買い物をし、千手温泉で汗を流してから不動滝に向かった。
 飛岡から不動滝への車道に進むと、左から久之木からの車道が合わさった。八石山に登った後に久之木峠から下山した後は、この道を歩いてくることになる。分岐からは400m程で不動滝の駐車場に到着した。駐車場やトイレが設けられていた。
 朝になってから、ます不動滝を見物した。舗装された遊歩道が整備されており、ひと登りして折り返すと、不動滝の下に出た。上段は見えないようだが、落差70mのなかなか立派な滝であった。
 八石山への登山道は、遊歩道の入り口から始まっていた。八石山の登山道の案内図も置かれており、不動滝からの登山道は、石川からの登山道に合流することが判った。八石山は、市販のガイドブックにも必ず紹介されるほどポピュラーになっているが、一部のコースのみ取り上げられて、少しマイナーなコースは現地の案内図を見て知ることが多い。
 少し草がうるさい登山道に進むと、すぐに細いが深く掘り込まれた沢を丸木橋で渡り、その先から細尾根の急登が始まった。最初は階段状になっており、一気に息が上がった。登るうちに傾斜も少し緩まり、歩きにも余裕が出てきた。背後を振り返ると、飛岡集落を眼下に見下ろすことができた。
 急登のおかげで一気に高度が上がり、意外に早い感じで石川からの尾根上に出た。石川方面からの登山道も良く整備されていた。いずれこのコースも歩いてみる必要がある。
 石川分岐から登りを続けていき、標高430mの台地に出ると、パイプを組み立てて作った休憩所の楓亭が現れた。広場の奥には、八石城址の標柱が置かれていた。この山城は、築城時期、城主ともに不明なようだ。
 八石城址から進むと、続いて三角点の置かれた上八石山に到着し、その先で八王子分岐になった。この八王子からの道もまだ歩いていない。その先で、婆石展望小屋跡に出た。ここでステーキハウス八石からのコースが合わさる。2000年5月に登った時は、老朽化して立ち入り禁止になっていたものの形はあったが、現在では完全に撤去されて看板に名前が残るだけである。
 ここが山頂のように思ってしまうが、中八石山はまだ遠い。急坂を下った後に尾根を辿り、ひと登りすると中八石山に到着する。以前にあった展望台は完全に撤去されて、広場の中に櫓状のアンテナ施設が置かれている。周囲の展望図も置かれているが、最近では、このピークを訪れるものは、下八石山に比べると格段に少なくなっている。下八石山を眺めると、競うように山頂を持ち上げている。
 中八石山からは、急坂の下りになる。足元の定まらない泥斜面で、ロープ頼りになってしまった。標高差100mの下りで久之木峠に到着するが、もう一度引き返したくはないと思ってしまう道である。下八石山へは同じ標高差を登り返すことになるが、こちらの方が歩きやすく感じた。ただ、歩く者は少ないようで、登山道に草が被り気味であった。
 下八石山に到着して小屋の前まで進むと、泊まって朝から酒盛りなのか、中で騒いでいた。下八石山は登山者も多くなって、面白みが薄らいできた。
 ひと休みの後に久之木峠に下り、久之木への登山道に進んだ。久之木コースは、1994年9月に初めて八石山に登った際に歩いたコースであるが、昔よりも整備は良くなっていた。少し下った台地には、御堂平という標識が置かれていた。この先は、トラバース道が続くようになった。林道跡幅の切り開きのところもあり、昔は生活道として良く利用されていた道のようである。
 トラバースを終えて杉林の中を下っていくと登山道入口に下り立った。そのすぐ下に登山者用駐車場が設けられていたが、そこまでの農道が細いので、周回なら不動滝駐車場から歩き出すのが良い。
 最後の不動滝までの車道歩きも、我慢の限界のうちで終えることができた。

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