大平山、時水城山

大平山、時水城山
時水城山


【日時】 2014年4月26日(土)〜27日(日) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 26日:晴 27日:晴

【山域】 長岡東山連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大平山・おおひらやま・599・なし(592.6m・三等三角点)・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/栃尾、半蔵金
【コース】 大平山ふれあいの森より
【ガイド】 なし

【山域】 東頚城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 城山(時水城跡)・じょうやま(ときみずじょうせき)・384m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小千谷
【コース】
 26日:郡殿ノ池コース
 27日:新町コース
【ガイド】 なし

【時間記録】
4月26日(土) 6:40 新潟発=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.8、川崎北IC、R.351、北荷頃 経由)=8:05 大平山ふれあいの森駐車場〜8:35 発―8:48 十ヶ坂―9:44 分岐―10:20 大平山〜10:53 発―11:16 分岐―11:50 十ヶ坂―12:06 大平山ふれあいの森駐車場=(北荷頃、R.351、川崎北IC、R.17、三仏生、R.117、小千谷、藤田沢 経由)=11:15 林道郡殿線起点―11:41 郡殿ノ池―14:03 向山分岐―14:09 小国峠―14:53 新町分岐―15:08 時水城山―16:49 中島登山口―17:43 林道郡殿線起点=(藤田沢、R.403 経由)=16:36 R.403登山口―16:49 登山道―17:00 R.403登山口=(R.403、小千谷、R.291、七日町、R.404、相野原、R.403、小国中学校 経由)=17:15 新町登山口  (車中泊)
4月27日(日) 6:03 新町登山口―6:51 新町分岐―7:25 時水城山―8:02 新町分岐〜8:12 発―8:56 新町登山口=(小国中学校、R.403、相野原、R.404、日越、R.8、川崎IC、R.8、中之島見附IC、北陸自動車道 経由)=10:55 新潟
 五百山は、長岡東山連峰の盟主である鋸山の北東部に、大入峠を挟んで隣り合う山である。五百山からは、西谷川と矢津川に挟まれた稜線が北東に続いており、この末端部に位置する山が大平山である。平な台地状の山頂を持つことから、その名前が付けられているものと思われる。

 丸山と城山(時水城跡)は、小千谷の町の背後の、信濃川左岸に沿って延びる丘陵地にあるピークである。西山遊歩道としてハイキングコースが整備されている。時水城は、上杉謙信の家来曽根五郎三衛門によって天文21年(1552年)に築かれたが、謙信に従わなかったため、ひ生城主平子によって攻め落とされたという。この戦いの際に、桜町の地獄谷で数百名の敵を謀殺し、谷が血の池地獄と化したのが地名の由来という。

 いつの頃からか、長岡から半蔵金方面に向かう時、「ふれあいの森 大平山」という標識が道路脇に置かれるようになったのが気になっていた。大平山には積雪期の他に、送電線の巡視路経由で登っているが、「ふれあいの森 大平山」というのは知らなかった。ネットで調べると、登山道の他に登山者用駐車場やトイレも設けられているようであった。 1月25日に八方台を登った後に「ふれあいの森 大平山」の標識に従って場所を確かめようとしたが、民家の終わる所で除雪は終わっており、積雪期の歩きでは距離が長すぎるため、春を待つことにした。この際、標識は県道・長岡栃尾巻線と栃尾山古志線側の両者に看板が置かれているものの、後者の方が車で入りやすいことも判った。
 今年の五月連休の前半は、土日だけなので、近場の山ということで、大平山と小千谷の城山を登ることにした。
 北荷頃から県道・栃尾山古志線に進むと「ふれあいの森 大平山」の標識が現れる。坂を上っていくとT字路に出るので、ここは左折。民家が終わった先で、道路の幅が狭くなった。案内では、渋野工業と書かれており、左側には資材置き場のような空き地があったが、現在は閉鎖になっているようであった。
 車のすれ違い注意の狭い車道を進んでいくと、登山者用駐車場に到着した。標高220m地点で、7台分の空き地とトイレが設けられていた。晴の登山日和とあって他に登山者がいるかなと思っていたのだが、この日の登山者は私だけであった。
 駐車場から車道を歩いていくと、すぐ先で十字路になっており、未舗装になった道を直進した。この先は、左手に遊歩道が分かれたが、そのまま車道を進んだ。田圃の導水路の泥除きをしている農家の人にすれ違っただけで、静かな歩きになった。
 溜池が現れると、大平山の登山標識が現れ、十ヶ坂と地名が書かれていた。溜池の堰堤の向こうに尾根に取りつくための木の階段が見えたので、ここから登り始めた。取り付いた尾根は407m点を経由するが、大平山への登山道は、東隣りの尾根にも設けられているが、下ってみて判ったことだが取り付きが少し判りにくい。
 登り初めの木の階段は横木が折れており、頭を出しているボルトを足掛かりにして登ることになった。緩やかな尾根の歩きが続いた。道を辿るのに問題は無かったが、歩く者は少ないようであった。倒木によって道が判りにくくなっているところもあった。
 407mへの登りは、方向が南に変わった。東隣の尾根も近づいてきたが、合流するには尾根の横腹を登る必要がありそうであった。階段も設けられている急登が始まった。まっすぐの登りのために、息も切れてきた。気温も高くなって、汗が噴き出てきた。
 尾根上に出て、尾根沿いに上がってきた登山道に合流した。標高480m地点であったが、この分岐には標識は見当たらなかった。シーズン前でこれから標識が置かれるのかもしれないが、この日の状態では、407m点方面の登山道に進むには、判りにくい状態であった。
 この先は、幅広尾根の緩やかな登りがしばらく続いた。残雪も現れ、カタクリの花で覆われた登山道を歩くような所も出てきた。麓ではカタクリの花は終わっていたが、山頂近くでは季節が逆戻りしていた。
 大平山への最後の登りは、細尾根の急登りになる。特に西側の斜面は切り落ちており、転落に注意が必要である。雪の季節も苦労して登った所であったが、今回は登山道を辿るだけと思ったのは甘かった。途中で尾根を外してトラバースする所があり、残雪で覆われていた。藪との境を辿り、雪の上に現れていたロープも使って尾根上に戻った。
 この難所を過ぎれば、すぐ先で大平山の三角点広場に出た。山頂標識も置かれていたが、最高点は少し先なので進んでみた。残雪を辿って進むと笹原の中の道に出た。山頂標識はないかと思って進んだが、そのまま下っていった。最高点付近は笹に囲まれて展望は無かったので、三角点広場に戻った。
 春霞でもやっていたが粟ヶ岳や守門岳の眺めを楽しむことができた。連休にもかかわらず、一人占めの山であった。
 下りは、カタクリの写真を撮りながら、尾根をまっすぐに下った。最後は、切り通しのような所で幅広の道に下り立った。左に進むと沢に出るので、これを飛び石伝いに渡り、ひと登りすると溜池の脇に戻ることができた。後は、車道歩きで車に戻った。
 大平山を下山したが、時間はまだ早かった。二日目は、時水城山のまだ歩いていない二つのコースのどちらかを歩くつもりであった。とりあえず郡殿ノ池コースの偵察を行うことにした。
 小千谷の街中から郡殿ノ池に続く林道への入り方は、判りにくかった。地図で小国峠への道が分かれる所が林道郡殿線の起点であった。除雪されておらず、この先は通行止めの標識が置かれていたので、ここから歩き出すことにした。
 舗装された林道の歩きが続いた。林道に進入している車もあり、歩く必要はなかったかと少々後悔した。郡殿ノ池の入り口には大駐車場が設けられていた。池は杉林の奥に少し入った所にあるようで、眺めることはできなかった。この先は未舗装の林道に変わった。このコースを歩くなら、郡殿ノ池駐車場から歩き出すのが良さそうである。
 少し先で、林道を残雪が覆うようになって、車は通行不能になっていた。向山方面からの林道が合わさった所で林道郡殿線の終点となり、ここは右折する。ほどなく歩き初めに分かれた林道が右前方から合わさり、小国峠に到着した。木立に囲まれて周囲は見通せず、祠や石仏のようなものも見当たらず、峠の風情は無いところであった。分岐には、西山遊歩道入口の標柱が置かれ、城山へは1時間とあった。
 二日目は小国側の新町コースを歩くつもりで、その合流点まで歩けば良いと思っていたが、時間を考えると、城山まで歩いてから中島集落に下山すれば、あとは街歩きなので少々遅くなっても問題は無いはずであった。頑張って先に進むことにした。
 遊歩道入口からは尾根沿いの道となったが、杉の植林地の縁を辿ることになって、下草も多めであった。遊歩道入口から左に反れていった林道跡が合わさると、道幅は広くなったが、歩く者は少ないようで、藪っぽい道であった。季節によっては歩く気になれない道であった。小国隧道が尾根を横切る手前で、崩壊地が現れた。中越地震による崩壊地で、この一帯には数多く見られる。丸山から城山に行く途中の崩壊地は、歩く者が多いため、しっかりした道ができているが、ここは通過を躊躇するような状態であった。崩壊地上部の藪との境に残された土の上を足元に注意して通過した。足元の土が崩れたら滑落の危険性が高いので、雨の後は歩きたくない危険個所であった。
 城山はまだ遠く、その手前に待ち構ええているピークが、新町との分岐になるようであった。
 新町との分岐のピークの上は、刈り払いが行われており、八石山、米山、黒姫山といった刈羽三山の展望が広がっていた。新町方面からはしっかりした登山道が上がってきていた。
 分岐から笹藪の中の刈り払い道を少し進むと馬ノ背注意の標識が現れた。小国側に崩壊地が広がっていた。馬ノ背は、取り掛かりの数歩が下が抉られているのと、尾根道を進んだ先のピークへの登りが両側が切り落ちているのが要注意であった。難所ではあるが崩壊地の荒々しい姿や展望が開けていることから、足を停めて風景を楽しむことになった。
 城山も近づいたが、手前に二つの小ピークがあり、最後に固定ロープも設けられた急登になることから、体力を振り絞る必要があった。
 城山には、思ったよりも早い3時に到着した。気温が高いためか、山頂からの展望は靄っていた。遅い時間にも関わらずまだ登山者がいた。すぐに下山に移ったが、登ってくる者にすれ違ったのには驚かされた。城山は、地元民の健康維持の山になっているようである。
 時水に下ると最後の車道歩きが長くなるので、尾根を直進して中島に向かう道に進んだ。このコースは林道跡で、以前よりも藪化は進んでいたが、問題なく辿ることができた。最後に1時間程の車道歩きで車に戻った。
 城山から下山の際に気になったのは、山頂直下の水場(お茶の水)から国道403号線に向かって破線が記されている。この道を使った方が、林道郡殿線の起点に戻るのに早いかとも思ったが、道があるのか判らないので中島に下ってしまった。もうひと頑張りして、この道を確かめることにした。
 車のナビで車道のカーブ状態を見て、登り口をマークした。一応国道ということで、途中から一車線幅になったものの、車の走行には問題の無い道が続いた。現地に到着してみると、農道らしき道が始まっていた。道は一旦東に向かった後に直角に曲がって尾根沿いの登りになった。ひと登りすると登山道の通っている尾根が頭上に迫った。尾根の一段下を平行に走る踏み跡が走っていたが、ここまでと比べると、道形はかすかになっていた。ここからは藪こぎで登山道に出てしまうのかもしれない。右手が近そうなので少し進むと、登山道に出ることができた。左に進めば水場(お茶の水)に出るようである。国道からならば短時間で城山に登ることができるが、健康登山の山なので、時間短縮は意味がないであろう。またこの道を下りだけに使おうとすると、入口が判らないおそれもある。
 この日の登山は終わりにして、食料を買い込んで、翌日の登山のために新町登山口に向かった。国道403号線が通れれば早いのだが、冬季閉鎖のため、国道291号線の桜町トンネルを大回りすることになった。新町から国道403号線に進み、案内に従って小国中学校に進んだ。小国中学校の前は運動公園になっていたので、ここが登山の起点かなと思って探したが見当たらなかった。野球グランドを回り込むと尾根沿いに車道が続いていたので、これを進んだ。畑の中に車道は長く続き、最後は草地の広場に出た。案内は無かったが、壊れかかった東屋や石仏の祠があり、ここが登山口のようであった。地形図でも、ここまで二重線の道が記されて、その先は破線になっている。また、野球グランド脇から入ってきたが、中学校前の道を進んでも、ここまで入ってくることができるようである。
 夕暮れの空に、八石山が浮かんでいた。夜間はここまで入ってくる者はおらず、夜を静かに過ごすことができた。
 翌朝、二日続けて同じ山頂を目指すことになった。別の機会にと思わないわけではなかったが、昨日の藪っぽい状態では、夏草が茂った季節には歩き辛そうで、この機会に登っておかないと、晩秋まで延期になりそうであった。
 広場からは、林道跡であったような幅広の道が続いた。崩壊地が尾根に迫っている所もあったが、道が削られて整備し直されていた。右手には国道403号線の通っている谷が沿っており、向かいの斜面に多く見られる崩壊地を眺めながらの歩きになった。ヒル・ウォークといってよい標高ではあるが、崩壊地が独特の景観を見せていた。新緑の中に山桜が満開の姿を見せていた。尾根の途中には小ピークが所々で現れたが、これはトラバースして、傾斜は緩やかに保たれていた。昔からあった峠道を登山道として整備し直したような雰囲気であった。地形図を良く見ると、郡殿ノ池コースとの合流点である見晴らしピークでは、破線は巻いて南の肩に出ているが、ここは登山道として切り開いたようで、直登している。
 道が良かったせいもあり、思ったよりも早く、分岐の見晴らしピークに到着した。刈羽三山の姿も、朝方の空気の中の方がきれいに見えていた。ここまでの歩きで登山道の状態を確かめることができたが、やはり山頂を踏まないと登山とはいえない。
 馬ノ背の通過や城山への登りも、前日よりも余裕をもってこなすことができた。朝の早い時間にもかかわらず、城山の山頂は、学生グループや地元の登山者で賑わっていた。誰にも会わないような静かな登山道を登ってくると、人声が煩わしく感じられて、すぐに下山に移った。
 郡殿ノ池コースは一度あるけば充分といった所であるが、新町コースは、馬ノ背の通過があって城山の登山道の中では難コースということになるが、歩いていて面白く、季節を変えて歩きたいと思った。

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