大戸沢岳、要害山(綱取城跡)、高寺山

大戸沢岳
要害山(綱取城跡)、高寺山


【日時】 2014年4月11日(金)〜13日 前夜発2泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 12日:晴 13日:晴

【山域】 会津駒ヶ岳
【山名・よみ・標高三角点・県名】
 大戸沢岳・おおとざわだけ・2089m・なし・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/檜枝岐/檜枝岐、駒ヶ岳
【コース】 下大戸沢出合より
【ガイド】 なし
【温泉】 駒の湯 500円

【山域】 会津
【山名・よみ・標高三角点・県名】
 要害山(綱取城跡)・ようがいさん(つなとりじょうせき)・400m・なし・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/喜多方/喜多方東部
【コース】 綱取城跡南大手登口より
【ガイド】 なし

【山域】 会津
【山名・よみ・標高三角点・県名】
 高寺山・たかてらさん・406.1m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/喜多方/喜多方西部
【コース】 町営スキー場より周回
【ガイド】 なし

【時間記録】
4月11日(金) 14:10 新潟=(R.49、会津坂下、会津本郷、芦ノ牧温泉、R.118、湯野上、R.121、会津田島、R.289、南郷、内川、R.352 経由)=19:10 下大戸沢スノーシェッド  (車中泊)
4月12日(土) 5:00 下大戸沢スノーシェッド―7:14 1386m―7:50 1553m〜7:57 発―10:40 大戸沢岳〜10:50 発―11:48 1553m〜12:00 発―12:21 1386m―13:27 下大戸沢スノーシェッド=(R.352、内川、南郷、R.289、会津田島、R.121、湯野上、R.118、芦ノ牧温泉、会津本郷、会津坂下、塩川、R121、R.459 経由)=19:10 道の駅「裏磐梯」  (車中泊)
4月13日(日) 6:20 道の駅「裏磐梯」=(R.459 経由)=6:43 綱取城跡南大手登口―6:59 要害山(綱取城跡)―7:11 綱取城跡南大手登口=(R.459、喜多方、津尻 経由)=7:44 町営スキー場―8:04 リフト上―8:12 取上峠―8:38 高寺山―9:06 取上峠―9:30 町営スキー場=(R.49 経由)=13:00 新潟
 大戸沢岳は、会津駒ヶ岳の東隣のピークである。福島県では、燧ヶ岳の四つのピークに続いて、会津駒ヶ岳、飯豊山、大戸沢岳という順番になっている。2000mを越す標高を有しているが、登山道が無いことから、一般登山者の知名度は低い。しかし、山頂一帯に広がる大雪原によって、山スキーヤーには知られた山になっているようである。

 綱取城は、大塩川に面する標高約390mの要害山に位置している。明應四年(1495年)頃松本氏によって築城され、米沢街道入口に綱を取って登らなければならないほど険しい岩山であることから名前が付けられている。

 高寺山は、会津坂下町と高郷村の境界、只見川沿いにある山である。かつて寺院が立ち並び、「高寺三千坊」と呼ばれるほど隆盛を極めたというが、現在、その遺構は見つかっていないという。

 晴の週末になるというので、思い切り残雪歩きができる山を考え、尾瀬の大戸沢岳を登ることにした。大戸沢岳には2006年4月16日に登ったが、雪原登りが延々と続いたのが記憶に残っている。大戸沢岳からは会津駒ヶ岳が目の前に迫っており、条件が良ければそこまで足を延ばすつもりであった。
 時間に余裕を持たせるため、前夜に、下大戸沢スノーシェッド出口の登山口に入った。夜は車が揺れるほどの強風が吹いて、厳しい冷え込みになったが、朝には穏やかな天候に変わっていた。翌朝出発の準備をしていると、早朝にもかかわらず、何台かの車が通り過ぎていった。会津駒ヶ岳を目指す登山者の車のようであった。
 下大戸沢スノーシェッドの檜枝岐側出口には、電源施設があり、その脇から雪原に進んだ。雪に埋もれているが林道があるようで、これを辿って尾根を回り込んで下大戸沢の右岸に進んだ。左手の尾根に取りついたが、急斜面に行き当たって引き返すことになった。
 取りつきは、二番目に落ち込む尾根になる。雪が堅く、アイゼンを履くことになった。この日はスノーシューやピッケルも持っていたが、ストックとアイゼンの組み合わせで歩くことになった。
 枝沢に少し入ったところで尾根上を目指した。ひと登りすると細めの木立が並ぶ細尾根になった。最初の区間は1386m点までの細尾根の登りになる。この日の歩きは、一歩ずつアイゼンを雪に食い込ませる必要があり、時間もかかり体力も消耗した。
 1386m点で尾根は一旦緩やかになった。真っ白な三岩岳の稜線が青空をバックに輝いていたが、そこまでにはまだまだ標高差があった。山名の由来の三つ岩も望むことができた。目指す大戸沢岳の稜線の縁も見え始めたが、桑場小沢を左手に巻いてから、最後の登りを開始する必要があった。
 続く1553m点までは比較的歩きやすい区間になった。1553m点を過ぎると、目の前に一気に上がっていく雪原を望むことができた。眺めを楽しみながらひと息ついた。
 1553m点からが、このコース一番の難所でもあり、楽しみでもある。しばらくは尾根を辿るが、1700m付近からは、一面に広がった雪原の登りが続くようになる。傾斜が緩むのは2050mなので、350mの一気の登りになる。この途中、傾斜が緩んだり、木立は無いため、ザックを下ろして休む場所がない。雪が柔らければ、踏み固めてテラスを作ることもできるが、この日はそれもできなかった。立ち休みを入れながら、GPSに入れた50m標高おきのスポットを目標としながら登り続けることになった。登り切れないのではという不安感も湧いてきた。
 それでも、点在するシラビソが近づいてくると、傾斜も緩んで、ザックを下ろして休むことができた。幅広の稜線が広がる先には、燧岳や会津駒ヶ岳の山頂も現れてきた。
 幅広尾根の北側はシラビソの林が広がっていたが、南側は雪原になっており歩きやすくなっていた。緩やかに登っていくとピークの上に出るが、三角点は次の高まりに置かれている。
 大戸沢岳の山頂に到着すると、単独行が休んでおり、入れ違いに会津駒ヶ岳方向に進んでいった。大戸沢岳の南尾根を登ってきたようである。ここまでの登りで体力も限界となっており、会津駒ヶ岳は諦めることになった。大戸沢岳から会津駒ヶ岳までを結ぶには、南尾根を使う必要があるようである。
 大戸沢岳の山頂からは、燧岳や会津駒ヶ岳を間近に望むことができたが、その他にも田代山や帝釈山、奥日光の山々を眺めることができた。平ヶ岳を見ようと、シラビソの木立を抜けて北側に進むと、カメラを持つ手もかじかむ強風が当たってきた。早々に南側に戻ることになった。
 大戸沢岳の山頂は寒いので、1553m点まで下ってから大休止することにした。登りの途中では雪が堅く、下りの心配をしていたが、昼になって雪も柔らかくなって滑落の危険性は少なくなってきていた。それでも山頂付近は深雪が積もっているので、足場を固めないと滑る危険性があった。一歩ずつ足元を確かめながら慎重な下りを続けた。
 大雪原を下って行く途中、山スキーヤーが登ってくるのにすれ違った。こちらが声を掛けて挨拶をしても、返事は返ってこなかった。こういった対応はこれまでにも経験しており、山スキーヤーはどうも通常の登山者と意識が違うようである。
 尾根が明瞭になって木立が現れるようになった所で、一人で横穴雪洞を掘っているのが目に留まった。下山した際、登山口に停まっていた車は、私の他にもう一台であったので、二人連れで登ってきて、一人が山頂を目指したようである。二日にわたって、山頂部の雪原の滑降を楽しもうとしているのだろうか。
 1553m点まで下って、雪原に腰を下ろして大休止にした。山頂を振り返ると、大雪原に少しずつ動く黒い点が見えていた。先ほどすれ違った山スキーヤーであった。
 残雪期では、適当に足が雪にもぐって、気持ちの良い一気の下りになることも多いのだが、この日は忍耐の下りになった。
 家に戻ってからコースタイムを確認すると、この日は登り下りとも大幅に時間がかかっていた。体力の衰えではなく、雪の状態が悪かったためであると思いたい。
 山を下った後、檜枝岐の駒の湯で汗を流した。シーズン・オフということもあり、独り占めの温泉であった。引き返して会津駒ヶ岳登山口の前を通ると、数台の車で訪れているグループが下山後の後片付けをしていた。
 日曜日には裏磐梯の雄国沼周辺を歩こうと思って登山口に入ったが、雄子沢川沿いの積雪期のコースの状態が雪解けが進んで悪そうなのと、足に疲れが出ているので、簡単な山を歩いてから帰宅することにした。
 喜多方から裏磐梯に向かう途中、要害山の案内が出ているのが気になっていた。数年前の集中豪雨によって、大塩川脇の登山者用駐車場は閉鎖状態になってしまっているが、北塩原村立第一中学校の入り口に綱取城跡南大手登口の標識があるので、ここから要害山の頂上に登れるはずであった。
 中学校入口に車を停めて、山道に進んだ。初めは林道幅の道であったが、ひと登りすると墓が置かれており、その先は山道に状態に変わった。緩やかな尾根を登っていくと、空堀のような切り通しが現れ、ロープも張られた急斜面を登ることになった。山頂一帯は曲輪が巡らされ、小ぶりながら堅固な山城であったっことがうかがわれた。
 最高点の小広場に到着して、ここが山頂であることは判ったが、本丸跡といった標識は置かれていなかった。
 時間のかからない山であったが、未踏の山を登ることができたことに満足した。
 続いて、高寺山に向かった。会津百名山が発表された直後に、登山道も良く判らないままに登頂はしたものの、最近では町営スキー場からのコースが一般的になっているようなので、改めて登ることにした。
 この日は山開きということで、スキー場の駐車場にも多くの車が停められていた。受付をして、これが目的でもあったバッチをもらった。
 受付の関係で、スキー場から歩き出して、見明登山口に下山することになった。駐車場には大勢の登山者が集まっていたが、山開きの神事を待っているのか、歩き出す者は見当たらなかった。
 スキー場にはリフトが設けられていたが、枯草が巻き付いており、運転はされていないようであった。帰宅後調べると、2006年シーズンを最後に営業は休止しているとのことであった。ゲレンデは草が刈られているので、地元の学校のスキー事業くらいには使われているのかもしれない。このスキー場が賑わうのも、高寺山の山開きが行われるこの日くらいというのも、時代の流れを感じさせる。
 尾根沿いに登っていくと送電線の下に出て飯豊の眺めが広がった。左に曲がるとリフトの山頂駅に到着した。登ってきた登山道沿いには、初心者用の迂回コースがあったような感じもした。
 この後は、小さなアップダウンのある尾根歩きが続いた。ただ、歩いていても、高寺山との間には谷間が入り込んでいるので、山頂までは大回りをしていることになる。
 緩やかに下ると、取り上げ峠に到着した。ここはT字路になっており、高寺山へは北に進み、南に下れば見明登山口に出る。
 沢状の窪地を下っていくと、林道跡に出て、ここは左に曲がる。150m程進むと、高寺山への登山道が分かれる。二重平経由の登山道もあるが、この手前の道から登り始めた。この道は結構急な所もあるので、歩いた感じでは、二重平経由で登った方が楽なように感じた。杉林の中を登っていくと、僧坊跡に出て、そこからひと登りで緩やかな尾根歩きになった。
 三角点が現れて、高寺山到着になった。木立に囲まれて山頂標識のようなものはなかった。そのまま登山道を先に進んでしまったが、三角点の先に続く道を進むと高寺山古墳があるので、そちらが山頂ということになっているのかもしれない。
 登山道は、三角点のすぐ先で窪地への下りになった。窪地には蕾のカタクリが広がっていたので、花の時期は楽しめそうであった。林道跡に出て左に進むと二重平に出た。山間に平地が広がっており、以前は畑地になっていたのかもしれない。
 林道跡を歩いて取り上げ峠に戻ることになるが、分岐には山開きのスタッフが立って道案内をしていた。
 取り上げ峠からは、結構長く感じる下りが続いた。すれ違う登山者も多くなったが、やはり高齢者が多かった。見明登山口に出ると、スキー場の駐車まではひと歩きであった。
 今回歩いたコースは、わざわざ大回りをしている感じであったが、高寺山は低山で、直接山頂を目指しても物足りなさが残るであろうから、これで良いのであろう。
 車を走らせると、後輪のタイヤがパンクしており、JAFに応援を頼み、タイヤを交換してもらって予備タイヤで家に戻ることになった。

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