愛宕山

愛宕山


【日時】 2014年2月22日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雪

【山域】 津川周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 愛宕山・あたごやま・213.7m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/越後豊川
【コース】 野村入口より
【ガイド】 なし

【時間記録】 9:40 野村入口―9:58 尾根取り付き〜10:05 発―10:17 鉄塔(鹿瀬線110番、飯豊幹線73番―10:33 愛宕山―10:45 鉄塔―10:55 国道脇登山口―11:10 野村入口=(R.49 経由)=12:35 新潟
 愛宕山は、山頂に愛宕神社を奉った山として、全国にも多く見られる名前である。この愛宕山は、津川からR.49を福島県境方面に進み、常浪川を渡った所の野村の集落の背後にある山である。

 先週末、再び南岸低気圧が通過して、各地で記録更新の大雪となった。山梨県を中心として埼玉・東京に孤立集落が出て、高速道路上で車の立ち往生という大事件に発展した。ところが、雪国新潟では雪の影響はまったく無く、除雪車を災害救助に関東に派遣することになった。この一週間、新潟で雪は降らなかったことから、雪も落ち着いているだろうということで、会津の山に出かけることにした。県境を越えて会津坂下に入ると本降りの雪になった。まず洞厳山の登山口を確認したが、翌日までに新雪が積もると、少し距離も長いので無理であろうということで、次の目標の馬追山に向かった。
 車を走らせていくうちに本降りの雪になった。松山集落手前の路肩スペースに車を停めて夜を明かしたが、翌朝には20センチを超える大雪になっていた。さらに降り続く雪を見て、馬追山は諦めることにした。除雪車による除雪が始まったところで車を進めて松山集落に入った。野尻川を渡る橋と登る予定の尾根を確認して偵察とした。
 雪が小降りになることを期待して、圧雪状態の道を新潟に向かって戻った。県境を越して新潟県に戻ると、相変わらず吹雪であったが、道路上の雪は少なくなった。とにかく登山ということで、最終候補として考えていた愛宕山を登ることにした。
 愛宕山に登ったのは、1999年4月17日で、雪の時期に登るのはこれが初めてである。先回と同じ林道から登ることにした。
 天満橋を渡った先の集落入口の路肩スペースに車を停めた。集落内に入っていくと、石の鳥居と神社が現れ、その右手に林道が延びている。神社は冬囲いがしてあって、額が見えないが、以前の記録では、諏訪神社となっている。まっすぐ進むとお墓があり、ここまではつぼ足で歩けた。左に曲がっていくと、カーブの連続する登りになって台地の上に出た。台地をつきっていくと尾根の末端部に出る。ここにはお墓が置かれている。林道は尾根の右に反れていくが、左にも導水路沿いの道があったため、つい左に進んでしまったが、これはすぐ先の杉林で行き止まりになっていた。
 戻ってお墓の脇から尾根沿いに登り始めた。ひと登りすると伐採地に出た。右から林道が上ってくるはすだが、見分けられずにそのまま尾根沿いの登りを続けることになった。 緩やかな登りを続けていくと鉄塔が現れ、ここでは鹿瀬線と飯豊幹線二つの送電線が十字に交わっていた。
 送電線の先の雑木林の広がる尾根は、歩くには支障はないものの、木立の間隔からすると道はないようであった。地図の破線からすると登山道が左手から合わさるはずであったが、それとは気づかないままに登り続けることになった。それでも、山頂が近づくと尾根沿いに登山道が続いている雰囲気になった。
 愛宕山の山頂は、二本の石灯籠が立ち、その奥に小さな木のお堂が設けられて、石仏が祀られていた。その背後の祠は壊れて半ば雪に埋もれていた。本降りの雪のため、すぐに引き返すことになった。
 鉄塔まで戻って、鹿瀬線が下っていく方向を見ると、道が続いているようであった。国道に下りることは確かなため、送電線に沿って下っていくことにした。雪原を下っていき、鉄塔の脇に出ると、九十九折の道が続くようになった。車の走行音が聞こえてくると、杉林の中から田圃脇に飛び出した。ここには、愛宕山登山口の標識が置かれていた。愛宕山への登山道は、現在は、野村の集落内からではなく、ここから通じているようであった。愛宕山まではそう時間もかからないので、ここからの登山道を確かる必要がある。
 雪は止まずに続いているので、今日の山はこれで充分として、家に帰ることにした。

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