要害山

要害山


【日時】 2014年2月15日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 朴坂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名 
 のろし山・のろしやま・200m・なし・新潟県
 物見山・ものみやま・240m・なし・新潟県
 要害山・ようがいさん・281m・なし・新潟県
【コース】 平林城跡より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/坂町
【ガイド】 なし

【時間記録】 7:05 新潟=(R.7 経由)=8:10 平林城跡登山口〜8:57 発―9:38 首切り清水―9:52 のろし山―10:10 物見山―11:20 要害山―10:35 首切り清水―11:07 平林城跡入口=(往路を戻る)=13:20 新潟
 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在も土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。

 この週末も、南岸低気圧の通過で太平洋岸は記録的な大雪になった。雪も締まってきて、本格的な雪山シーズンになってきているが遠出はできず、近場の山を登ることになった。午後から雨になるようなので、簡単に登れる山として要害山に出かけた。
 いつも車を停めている平林城跡へ続く農道の入り口に車を停めて様子をうかがうと、平林城跡の登り口付近で軽トラックが停められているのが見えた。車を登山口に進めたが、駐車場の雪は多く轍も深かったので、結局戻って、最初の場所から歩き出すことになった。
 平林城跡は伐採作業が行われているようで、登山者用の通路が設けられていた。城跡を抜けて登山道に入るも、トレースがしっかり付けられており、そのままつぼ足で歩くことができた。関東方面の大雪に反して、下越方面の今年の雪は少ない。馬洗場の水は無く雪の被った窪地になっているが、枯草が並んでおり、あまり美しくなかった。緩やかな登りが続くが、雪道の歩きはつぼ足でも結構草臥れる。トレースを見ると、一人の先行者がいるようであった。
 首洗清水に出ると、先行者の足跡はのろし山方向に向かっていた。直進する要害山方面には、新しい足跡は無かった。首洗清水からはスノーシュー歩きと思っていたが、そのままつぼ足で歩き続けることができた。雪の季節には、要害山への登りが始まるところで、稜線上へ直登するのだが、そのまま登山道を歩くことができた。急斜面のトラバース気味の登りになるが、雪の塊が落ちた小さな雪崩が起きていた。
 のろし山の頂上からは、日本海沿岸の流れが眼下に見下ろすことができ、展望を楽しみながら息を整えることになる。要害山はまだ高く、もうひと頑張りする必要がある。尾根道を登っていくと、物見山に出るが、ここの展望も素晴らしい。
 物見山からひと登りすると首洗清水からの登山道に合わさるが、下山者の足跡が付けられていた。もうひと登りで要害山に到着したが、誰もいない山頂であった。ピラミッド型の山頂が美しい嶽薬師は見えていたが、高坪山の山頂は雲に隠されていた。雲も広がってきたので、そのまま下山に移った。
 物見山の分岐まで下ると、今度は登ってきた足跡が現れた。この登山者にも会わずにすれ違うことになった。要害山は最近では登山者は多くなってきているが、この日も登山者に出会わずに登山を終えることになった。今年になってから、山中で登山者に出会わない登山が続いている。

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