陣ヶ峰、真木山

陣ヶ峰、真木山


【日時】 2013年12月28日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 五頭連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 陣ヶ峰・じんがみね・122m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/出湯
【コース】 羽黒より周回
【ガイド】 なし

【山域】 五頭連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 真木山・まきやま・73.5m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新発田/天王
【コース】 瑞波より
【ガイド】 なし

【時間記録】  8:20 新潟=(R.49、水原 羽黒 経由)=9:15 羽黒歓迎塔駐車場〜9:30 発―9:48 分岐―9:57 陣ヶ峰〜10:05 発―10:11 分岐―10:26 羽黒登り口―10:36 羽黒歓迎塔駐車場=(R.290 経由)=11:03 瑞波取り付き―11:32 真木山―11:57 瑞波取り付き=(R.290、出湯、水原 R.49 経由)=14:00 新潟
 五頭山塊の西端は、R.290によって区切られているが、その西側には五頭連峰と平行に南北に丘陵が広がっている。この丘陵地には、いくつものゴルフ場が設けられて、登山の対象からは外れている。陣ヶ峰は、五頭山の登山口である出湯の手前の羽黒集落の南にあるピークである。

 真木山は、五頭山塊の西側、五頭連峰と平行に南北に延びる丘陵地にあるピークである。ゴルフ場の敷地内にあって、登山の対象からは外れている。

 イラン旅行に出かけて山にも遠ざかっていたため、雪の状況が判らなくなっていた。とりあえず偵察がてら、まだ登っていなかった低山を訪れることにした。まずは、いつも五頭連峰に出かける際に出湯手前で、その下を通過していながら登っていなかった陣ヶ峰を目指すことにした。
 出湯温泉が近づいたところで、巨大な石灯篭が置かれており、その脇に駐車場が設けられていたので、ここから歩き出すことにした。以前は、優婆尊の下に湧水の水汲み場があったように思うのだが、ここに移されて駐車場が設けられたようである。案内板を見ると、この石灯篭は、羽黒歓迎塔と呼ばれ、湧水は冬季の間は消雪に使われていて利用できないとのことであった。
 雪山シーズ開幕かと思ってスノーシュー歩きの用意をしてきたが、地面をうっすらと雪が覆う状態であったので、長靴で歩き出すことになった。
 今板方面に通じる車道を歩いて堀を渡り、田圃を横断して山裾に向かった。山道のようなものがないかと山裾に沿って歩き、ないようなので陣ヶ峰の少し北側から落ち込む細尾根に取りついた。藪は薄く、残置テープもあって人が歩いた気配があった。山頂から北に延びる尾根に出ると、羽黒方面からはっきりした踏み跡が延びてきていた。木には、連続的に赤ペンキでマークが付けられていた。
 沢を回り込むように進んでいくと、陣ヶ峰の山頂に到着した。山頂部に山頂標識のようなものは無かった。西に尾根を少し進むと、雪原になったゴルフ場に出た。
 下山は、羽黒方面の踏み跡を辿ってみることにした。途中で西寄りの尾根に入り、田圃が見下ろせるような距離になったところで踏み跡が判らなくなった。適当に下っても田圃脇に出られるので、踏み跡が無くなっているようであった。そのまま尾根沿いに進むと、田圃脇に下り立つことができた。ここから登るのは、目印が乏しいので難しそうである。 近くに大荒川にかかる水門があったので、その上の歩道を通って羽黒の車道に出てから車に戻った。
 このコースは、大雪で長い距離が歩けない時のスノーシュー歩きのコースとしてなら面白そうである。
 まだ時間も早かったので、まだ登っていなかった真木山を登ることにした。この山も、ゴルフ場の中に山頂があり、営業の終わった時期に登るしかない山である。
 国道290線を進み、月岡温泉を過ぎた先で、山裾を通る車道に進んだ。真木山から東に落ち込む尾根の末端部には、牧場らしきものがあり、その南に立ち入り禁止のゲートがあり、車道が山に向かって延びていた。その脇の尾根を登ることにした。
 藪尾根を進んでいくと、左下に車道が延びているので、ヤブコギも面倒になって車道に下りることにした。廃材置き場の広場に出ると、高みに向かう林道跡が現れたので、これを登ることにした。
 稜線近くにまで登った所で、シャベルカーの作業音が聞こえてきて、焚火の煙も立ち上がっているのが見えてきた。真木山周辺は雪がほとんど無く、工事が行われていた。作業現場に出ると説明することになって面倒なため、沢を渡って真木山の東に回り込んだ。ゴルフ場の管理道に飛び出し、その先の高みが真木山の山頂であった。山頂標識のようなものは見当たらなかった。
 下山は、東に落ち込む尾根をそのままヤブコギで下った。少し下った所で、ゴルフ場の敷地を示すコンクリート杭が並んでいたが、鉄線のようなものは無くなっていた。
 翌日のため、剣龍峡までの車道の状況を偵察してから帰宅した。


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