高坪山

高坪山


【日時】 2013年11月16日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 蔵王山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 高坪山・たかつぼやま・570.5m・二等三角点・新潟県
【コース】 樽ヶ橋より
【地形図】 20万/5万/2.5万】 新潟/中条/中条
【ガイド】 山遊亀著「山の遊学道」

【時間記録】 6:40 新潟=(R.7 経由)=7:45 樽ヶ橋〜8:08 発―9:01 黒川城本丸―9:09 奥山荘城館分岐―10:02 大沢山(540mピーク)―10:21 蔵王権現分岐―10:48 高坪山―11:12 蔵王権現分岐―11:32 大沢山(540mピーク)〜11:47 発―12:23 奥山荘城館分岐―12:45 奥山荘城館―13:05 車道―13:22 樽ヶ橋=(往路を戻る)=14:40 新潟
 新潟平野の東端に沿っては、いくつもの山塊が連なっているが、荒川と胎内川の間には蔵王山塊と呼ばれるひとかたまりの山がある。高坪山は、この蔵王山塊の最高峰である。高坪山には、ハイキングコースが整備されて、手軽な山として親しまれている。

 蔵王山塊では、蔵王権現の先の釈迦岳手前の分岐に南に山道が続いており、「山道整備不良注意」という標柱が置かれているのが気になっていた。ネットなどで取り付きを検索していくと、樽ヶ橋から取りつくことが判った。取り付きの偵察も済んで、後は藪の少ない秋を待っていたので、時期も良しということで出かけることにした。
 樽ヶ橋のT字路脇に空地があるので、ここから歩き出した。山側に50m歩いた所に送電線巡視路の黄色い標識があるので山側に進むと、用水路の上をコンクリート板で覆った道が続いている。海側に戻っていくと、「胎内川線No.31」の標識があり、ここが登山口になる。
 薄暗い杉林の急坂を登っていくと、じきに明るい雰囲気の雑木林に変わる。送電線の鉄塔への道が右に分かれるが、そのまま登りを続ける。枝尾根の上に出て登っていくと、203.9m三角点脇で稜線上に出る。ここからしばらくは、緩やかな登りが続いた。刈り払いも行われており、特に迷う心配の無い道であった。  300m標高が近づくと、空堀によって尾根が切られて、短いながら急坂が現れるようになった。特に急な坂にはロープも取り付けられていた。このコースでは、途中で黒川城本丸跡が現れるようである。どこだろうと思いながら歩いていくと、300m標高の高まりを越した所に標柱が置かれていた。中条方面の見晴らしも開けて、見張り場所としても良さそうであった。
 黒川城本丸跡から先は、道型がややおぼろげになってきたが、稜線通しなので、迷う心配は無かった。進むにつれて、登山道にも雪が現れるようになった。週半ばの冷え込みは、新潟周辺の低山にも雪をもたらし、冬の始まりを告げていた。次の目標は540mピークであるが、これは「山の遊学道」によれば、大沢山と呼ぶようである。以前、積雪期に大沢川沿いの林道から大沢山へ登ったことがあり、その先に黒川城本丸方面からの山道が合わさるのを確認していたので、標高430mの尾根分岐から先は、一度歩いた道になる。
 大沢峰周辺はブナ林になっており、山道は最高点の下を巻くように続いていた。この付近は雪の上を歩くようになって、濡れ落ち葉と相まって滑りやすく注意が必要であった。 540mピークからの下りは急で、左よりに折り返すような道が付けられていた。登り返すと、倒木によって道が隠されてヤブコギになった。再び道が現れると、ブナの大木があり、足を停めて7眺めることになった。そのすぐ先が、蔵王権現との分岐であった。逆方向に歩こうとすると、ブナの大木の先で藪に突き当たって、やはり「山道整備不良」であったかと思って引き返してしまうかもしれない。
 この後は、何度も歩いて勝手知ったる道である。ピークの乗り越しもあるが、ブナ木立の間に続く雪道を歩くのは楽しかった。高坪山に到着すると、二人連れが休んでおり、登ってくる人声もした。ここまでは誰にも会わなかったので、他の登山者と一緒に休むのも嫌で、540mピークまで戻ったところで大休止にした。
 この後は、下り一方なので気楽に歩くことができた。あと少しで黒川城本丸跡という所で、北側からはっきりした道が上がってきているのに気がついた。赤テープも連続に取り付けられていた。地図を見ると、戸ン裏川までは僅かな距離であった。林道も上がってきているので、その終点の奥山城館遺跡から道が通じているように思えた。この道を下ってみることにした。急坂を下っていくと、沢に下り立った。山道は見当たらず、赤布に従って沢の中を歩いて下る必要があった。幸い、雨上がりのために長靴を履いていたため、足が濡れるのを気にする必要はなかった。赤布に従って沢から離れて右手の杉林に上がると、尾根の末端部を巻いて北側に走る戸ノ裏川に出た。砂防ダムの堰堤があり、その下で戸ノ裏川を渡ると奥山城館遺跡の看板も置かれた林道の終点に出た。
 その先は、少し長く感じられる林道歩きと車道歩きが続いた。時間的には、尾根沿いに歩いた方が早かったかもしれない。
 今回は、二本の新しいコースを確かめることができたが、やはり整備された登山道の方が歩きやすい。


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