燧ヶ岳、二岐山

燧ヶ岳
二岐山


【日時】 2013年9月27日(金)〜29日(日) 前夜発2泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 28日:晴 29日:晴

【山域】 尾瀬
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 燧ヶ岳 ひうちがたけ
 爼ぐら・まないたぐら・2346.0 m・二等三角点・福島県
 柴安ぐら・しばやすぐら・2356m・なし・測定点・福島県
【コース】 御池登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/燧ヶ岳/燧ヶ岳
【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「尾瀬 燧ヶ岳・至仏山」(昭文社)

【時間記録】
9月27日(金) 14:10 新潟=(R.8、R.403、加茂、七谷、R.290、下田、栃尾、R.290、上条、R.252、只見、R.289、山口、R.401、内川橋、R.352 経由)=19:00 七入  (車中泊)
9月28日(土) 5:40 御池―6:20 広沢田代―7:08 熊沢田代―8:14 爼ぐら〜8:25 発―8:41 柴安ぐら〜9:17 発―9:36 爼ぐら―10:45 熊沢田代―11:30 広沢田代―12:10 御池=(R.352、内川橋、R.401、山口、R.289、会津田島、R.121、湯野上、R.118、湯本 経由)=16:00 二岐温泉  (車中泊)
9月29日(日) 6:00 二岐温泉バス停―6:55 御鍋神社―7:06 登山口―7:48 ブナ平―8:10 男岳〜9:10 女岳―8:85 女岳登山口―10:41 二岐温泉バス停=(湯本、R.118、湯野上、R.121、芦ノ牧温泉、会津坂下、R.49 経由)=14:30 新潟
 燧ヶ岳は、東北地方第一の高峰である。山頂部に爼ぐら、柴安ぐら、ミノブチ岳、赤ナグレ岳、御池岳の五つのピークを連ねた姿は、男性的であり、尾瀬ヶ原を挟んで向き合う女性的な姿の至仏山と、好一対をなしている。最高峰は、柴安ぐら(2356m)である。ここには、立派な山頂標識が立てられているが、ハイ松が広がり、環境保全のためのロープがはられて、尾瀬ヶ原の好展望台であるものの、360度の展望とはいかない。これに対し、爼ぐらの山頂は、狭い岩場となって、三角点と祠が置かれ、尾瀬沼をはじめ、周囲の展望が開けている。

 二岐山は2つの丸味を帯びたピークを持つ双耳峰で、別名を乳房山と呼ぶらしい。その昔、大男のダイダラ坊が山をまたいだ時に、股間の一物をひっかけたために、頂きが2つに裂けてしまったという伝説がある。

 パキスタン旅行から戻ったばかりで疲れも残っているが、晴天の週末になるというのでは山に出かけないわけにはいかない。秋の訪れの早い山を考えて、尾瀬の燧ヶ岳を登ることにした。茶色に色づいた熊沢田代の向こうに聳える燧ヶ岳山頂の眺めを撮影することが目的である。8月24日にも御池から登ろうと思っていたところ、直前になって雨の予報に変わったため、七入から沼山峠への旧道歩きに変更してしまった。日曜日の山は、燧ヶ岳と同じくしばらく登っていなかった二岐山を登ることにした。
 先回は天気が悪かったため、会津経由で桧枝岐に入ったが、今回は六十里越えとした。奥只見湖経由ならさらに距離は短くなるが、カーブの連続で、運転だけでへとへとになってしまう。快適なドライブを続け、七入の駐車場で夜と過ごし、夜明けを待って御池の駐車場に移動した。
 御池から燧ヶ岳を登る際は、下山には、見晴新道を下って燧裏林道経由、長英新道を下って沼山峠からシャトルバスを使って戻ることが考えられるが、今回は単純に御池から往復することにした。早立ちする必要もないので、コーヒーを飲んでゆっくりしてから歩き出した。
 燧裏林道から燧ヶ岳への道に進むと、直に岩が露出して歩き難い急登が始まった。旅行の影響が心配であったが、足は軽かった。標高4700mという高所の経験が、トレーニング代わりになっているのかもしれない。
 急坂を登り切ると、広沢田代に到着するが、茶色に色づいた葉は霜に覆われていた。木道も白くなって、滑らないように足元に注意が必要であった。
 再び急登を頑張ると、目的地の熊沢田代に到着した。手前の尾根を乗り越すと、眼下に湿原が広がり、その向こうに燧ヶ岳の山頂が聳えるのを望むことができた。期待していた眺めを楽しむことができた。写真を撮りながら鞍部に下ると、木道の両脇には、小さな池が広がっていた。池の向こうには、平ヶ岳や越後駒ヶ岳・中ノ岳を望むことができた。
 熊沢田代からは燧ヶ岳の山頂が手に届くような距離に見えるが、実際にはここからが頑張り所になる。しばらく湿原の中に敷かれた木道を辿るが、左方向へのトラバース気味の登りに変わる。涸れた沢を数本越していくと、ガレた沢に沿っての急登に変わる。ようやく涸沢を抜けると、山頂も近くなる。
 大岩の間を登ると、爼ぐらの山頂にようやく到着した。日光や奥鬼怒の山々、尾瀬沼の眺めが広がっているが、尾瀬ヶ原は柴安ぐらに半分ほどが隠されている。この日は、快晴で遠くに富士山を眺めることもできた。柴安ぐらまで進んでから大休止をとることにした。うっかり尾瀬沼方面への登山道を少し下ってしまい、引き返すことになってしまった。
 爼ぐらから柴安ぐらへは、距離は短いものの急坂の下りと登り返しがあって、体力を使う。柴安ぐらの山頂部は岩が積み重なっているが、すぐ下は台地状で、その縁に進むと、尾瀬ヶ原の遮る物のない展望が広がった。展望の良いところを選んで腰を下ろした。尾瀬ヶ原は紅葉が始まって色づいていた。燧ヶ岳の山頂からの眺めは空撮のように思えるが、偶然にも、ヘリコプターによるこの日の尾瀬ヶ原の風景が翌日の新聞を飾っていた。
 休んでいるうちに柴安ぐらの山頂も賑わってきたので、引き返すことにした。爼ぐらの山頂も大賑わい。下りにかかると、登りのグループのすれ違いに足を止める場面も度々になった。
 下りは、登り以上に石が露出して歩き難い道に感じた。ばてている者も多かったが、広沢田代を通過してからも登ってくる登山者にすれ違い、遅い出発に呆れさせらることになった。
 翌日曜日は、会津経由で家に戻る途中にある二岐山を登ることにした。この山に登ったのは93年11月27日なので、10年が経過している。
 会津田島経由で湯野上まで戻ってから国道118号線に進むと、二岐温泉への道が分かれる。山奥の温泉に続く道であるが、二車線幅の立派な道路であった。下山後に歩きて戻ってくる林道の分岐を確認した後、少し進んだ先の二岐温泉バス停手前の空き地に車を停めた。周回コースなので、どこに車を停めても良いのだが、林道歩きが長く続くようだと辛くなるので、二岐温泉バス停手前から歩くのが良いと思う。
 二岐温泉は、山奥の秘湯という割には、立派な温泉旅館が並んでいる。温泉街を抜けると、二俣川に架かる橋を渡る。この先は未舗装の道になった。坂を登ったところが小白森山の登山口になり、駐車スペースがあるので、二岐山登山の際には、この先に車を進めても最後の歩きが長すぎることになって意味がない。
 この先は、長く感じる林道歩きが続いた。深い谷を見下ろしながら歩いていくと、橋で右岸に渡ることになった。林道歩きをもうひと頑張りすると、ようやく御鍋神社の入り口に到着した。林道歩きの途中で追い越していった車が4台停められていた。登山者ではなく、キノコ狩りの車のようであった。とりあえず、御鍋神社を見ていくことにした。緩やかに坂を下っていくと、ひっそりと御鍋神社の社殿が佇んでいた。御鍋神社は、源義家が野営した際に使った鍋がご神体になっているという。
 林道に戻って、400mほど進んだ先が登山口になる。八丁坂と呼ばれる急登が始まった。苔むした岩を巻きながら登っていく道で、踏み跡が判りにくいところもあったが、テープがしっかりと付けられているので、迷う心配はなかった。昨日の疲れもあって、足が辛くなった。
 二岐山の登山道は、地形図にも記載されているが、GPSのログを見ると、かなり違っていた。丸みを帯びた山で地形の特徴が乏しいので、登山道を正確に把握するには、GPSによるしかないであろう。
 標高差250mほどを登り切ると台地に出て、ここがブナ平であった。ブナ林が広がっていたが、このブナ林を目当てに登るほどのことはない。林道跡と思われる幅広の道を辿ると、伐採広場に出て、ここから再び登山道を辿ることになった。山頂が迫ると、男岳坂の急登が始まった。最後の急登は標高差250mほどで、けっこう辛い登りになった。二日目の山としては、もう少し楽な山を選ぶべきであったかなとも思った。
 ようやくたどり着いた男岳の山頂からは、那須連峰方面の眺めが広がっていた。特に旭岳のピラミッド型の山頂が印象的であった。男岳の山頂は台地状で、先に少し進まないと、女岳や北の眺めが広がらなかった。飯豊連峰や蔵王連峰の眺めも広がっていたが、少し遠かった。麓の岩山付近に風力発電施設が並ぶのを見下ろすことができた。
 女岳へは急坂を下った後に、急登が待ち構えていた。女岳の山頂は灌木に囲まれて展望は閉ざされていた。女岳から下ろうとすると、地獄坂と書かれた標識が置かれていた。急坂であったが、ロープも取り付けられていたので、問題の無い下りであった。ロープに助けられて、一気に下っていくと、コースは町村界線から東にそれていった。コースが変わったようであるが、その分、下山後の林道歩きが短くなるのでラッキーであった。結局、700mほど温泉側で林道に飛び出した。最後の林道歩きも長く感じられた。


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