鷹待山、金毘羅山、室島城山、鳴倉山

鷹待山、金毘羅山、室島城山
鳴倉山


【日時】 2013年6月21日(金)〜23日(日) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 22日:雨 23日:曇り 

【山域】 守門岳周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 鷹待山・たかまちやま・339m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/守門岳/穴沢
【コース】 道の駅「いりひろせ」より
【ガイド】 なし

【山域】 権現堂山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 金毘羅山・こんぴらやま・339m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/須原
【コース】 三渕沢橋登山口より
【ガイド】 なし

【山域】 東頚城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 室島城山・むろじまじょうやま・367m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岡野町/岡野町
【コース】 室島より
【ガイド】 なし

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 鳴倉山・なりくらやま・578.6m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/大湯
【コース】 登り:突キ分ケコース 下り:明神コース
【ガイド】 無し

【時間記録】
6月21日(金) 14:20 新潟=(R.8、R.403、加茂、七谷、R.290、下田、栃尾、R.290、上条、R.252、叶津、R.289 経由)=18:00 浅草岳叶津登山口  (車中泊)
6月22日(土) 5:30 浅草岳叶津登山口=(R.289、叶津、R.252 経由)=6:30 道の駅「いりひろせ」〜8:18 発―8:40 鷹待山―9:02 道の駅「いりひろせ」=(R.252 経由)=9:26 三渕沢橋登山口―9:41 金毘羅山―9:56 三渕沢橋登山口=(R.252、小出、R.17、堀之内、R.252、仙田、R.403 経由)=11:00 室島〜11:20 発―11:32 登山口駐車場〜11:52 発―12:10 展望広場―12:24 室島城山―12:36 展望広場―12:45 登山口駐車場―12:56 室島=(R.403、仙田、R.252、堀之内、R.17)=17:00 小出  (車中泊)
6月23日(日) 5:50 鳴倉山登山口―7:05 鳴倉山―7:26 見晴らしの松―7:50 鳴倉山登山口=(R.17 経由)=11:20 新潟
 鷹待山は、道の駅「いりひろせ」のある鏡池脇のピークである。かつて、穴沢氏の山城が置かれていた。

 金毘羅山は、魚沼市の下権現堂山の北の山裾が破間川に落ち込むとことにある藪神ダムの上に聳える小山である。

 室島城山は、十日町市西部の丘陵地を流れる渋海川の畔にある山である。山頂の山城は、南北朝時代あるいは戦国時代の堀氏家臣のものであったといわれている。

 鳴沢山は、越後駒ヶ岳からカネクリ山、ヨモギ山、笠倉山を経て北西に延びる尾根が魚沼の平野部に終わる所にある山である。地図にも載っている大沢から延びる登山道は、地元の小学校の登山コースとして使われている。また、南面から山頂まで林道が延びており、ハンググライダーの山頂基地としても利用されている。山頂周辺は、丈の低い潅木帯で、周囲の展望の良い山である。

 台風崩れの前線が日本南岸を通過するが、天気は回復するという天気予報を信じて浅草岳を登ることにして叶津登山口に前夜入りした。深夜になってから雨が降り始め、朝は本降りになっていた。浅草岳は無理と判断して、とりあえず新潟県側に戻ることにした。
 道の駅「いりひろせ」で天気の様子見をした。天気回復の見込みはなさそうであった。 ともかく低山歩きと考えたところ、道の駅脇にある鏡池の奥にある鷹待山のことを思い出した。駐車場脇にある案内図によると、鏡池の対岸にある小ピークが鷹待山のようである。以前から気にはなっていたが、短時間で登れるピークとなると、かえって登る機会がなかった。
 雨が小降りになった時に傘をさして歩き出した。六地蔵にお参りしてから、時計回りに湖岸の遊歩道を進んだ。野外ステージを過ぎると、左手にじゅんさい池が現れた。カラスが頭上をカーカーと声を立てながら飛び回って離れなかった。雛のいる巣が近くにあるのかもしれない。弁天様の赤い鳥居をくぐると、山裾に到着した。
 杉林の中に鷹待山登山口・林間コースという標識が現れた。標識によれば、尾根コースというのが、もう少し進んだ先から始まっているようであった。とにかく、この林間コースから登り始めることにした。
 杉林の中に、緩やかなジグザグを切りながら登山道が続いていた。ひと登りして尾根上に出ると、右からも登山道が上がってきていた。これが尾根コースのようである。ここからは、尾根沿いの登りになった。山頂が近づくと、丸太の段々登りが続くようになった。階段状に鉄梯子が設けられている所もあったが、昔の空堀跡のようにも思えた。この先で鷹待山の山頂になった。
 台地状の山頂の奥に、ピラミッド状に土盛りした上に東屋が設けられていた。東屋に登ったが、厚い雲が垂れ込めて、周囲の眺めは閉ざされていた。東屋の下の休憩所に案内板が置かれて城跡の由来が書かれていた。
 「鷹待山古城跡
 穴澤氏六世相伝の要害(この山を別名要害山とも呼ぶ)として二世紀前後の史傳があり、慶弔三年上杉家国替以後廃墟と化した。
 慶弔五ね九月越後一揆のとき会津只見の城兵が再度侵入して拠点としたのが史実の最後である。城跡の縄張は単純で削崖による小郭と空堀が僅かに残る。」
 東屋の奥の高まりに向かって道が進んでいた。高まり周辺はツツジのお花畑になっていたが、すでに花は終わっていた。道は、ここまでであった。守門岳の展望台になっているようであったが、山の眺めは閉ざされていた。眼下には、入広瀬の集落と破間川の眺めが広がっていた。
 下りは、分岐に戻った先は尾根コースを歩いた。小ピ−クから下っていくと、鏡池の畔に出て、池を半周して車に戻った。
 続いて、金毘羅山に向かった。金毘羅山は、地図には名前が記載されていないが、山頂にある神社が名前の由来になっているようである。魚沼市の「市民が選んだ景観30選」にも名前が出てきている。
 須原と小出を結ぶ裏ルートともいえる県道小出守門線に進み、藪神ダムの脇を過ぎて三渕沢橋を過ぎると、左手の山裾に鳥居が置かれている。入口脇にトイレも設けられた広場があるが、ゲートボール場のようである。
 登山口付近の路肩には、車の列が長々と続いていた。脇の田圃で、稲作りの講習が行われていた。列の後ろに車を停めて歩き出した。
 鳥居をくぐると、杉林の中の登りになった。ひと登りすると分岐に出た。左が山頂に向かう直登コースのようである。丸太の段々で整備された急な登りが続いた。山頂まではそう大した距離ではないが、ひと汗かくことになった。
 山頂の小広場には石灯籠二基とお堂が置かれていた。お堂の名前は記されていなかったが、金毘羅さまを祀っているようである。山頂からは、藪神ダムと大倉沢大橋を見下ろすことができた。晴れておれば、その向こうに守門岳の眺めが広がっているように思われるが、残念ながら雨雲が広がっていた。
 山頂から東に向かって登山道が延びていたので、こちらに進んだ。山頂からひと下りしたところで、右手から山道が合わさった。地図ではさらに東に向かって破線が続いているのだが、かすかな踏み跡はあるものの、藪に閉ざされていた。この道が整備されておれば、眺めを楽しみながらのハイキングができるのだが、残念である。
 西に向かって折り返し、下っていくと、登りの途中の分岐に戻ることができた。金毘羅山への急登コースと楽なコースの二通りが整備されていることが判った。
 車に戻って、この後を考えた。今回、地図の印刷などの準備はしていなかったが、以前に登山口の確認をしていた室島城山を登ることにした。少し遠いが、ドライブで時間をつぶすのも良い。
 室島が近づくと、一旦小降りになった雨がまた本降りになった。渋海川にかかる室島橋の手前の家の壁に室島城跡の案内図が置かれている。橋を渡った先は民家が並んでいて車を停めにくいので、田圃脇の路肩に車を停めた。しばらく様子見をして、小降りになったところで歩き出した。
 民家が並ぶ中に、高みに向かって延びる車道がある。これを登っていくと、畑と廃屋とあり、その先で登山者用駐車場が現れた。ここまでの道幅は狭く、車道の入り口には標識はないので、一般的な訪問者は下から歩いてきた方が無難である。
 ここには、「室島農村公園 室島城跡散策道入口 頂上まで1.2km、所要時間約30分」と書かれていた。ここで林道をそのまま進むというミスをしてしまった。林道を緩やかに登っていくと墓地のある台地に出て、その先の棚田で行き止まりになってしまった。地図を見ていればすぐに判るミスではあるが、登山者用駐車場から始まる山道に進まなければならなかった。
 駐車場に戻って、駐車場の脇から高みに向かう山道に進んだ。草が茂って、歩く者は少ないようであった。林道幅で、林業の作業道として整備されたものなのかもしれない。
 ひと登りすると、右手に石垣があり、三十三番石仏と書かれていた。奥に進んでみると、小広場があり、その周りに石仏がずらりと並んでいた。
 山道を登っていくと、展望広場(六合目)という標識が現れた。木立のために視界はそれほど開けていなかった。山頂が近づいてきたところで、散策路分岐点という標識が現れた。「右:室島城跡(頂上)約10分 左:黄金の清水約3分」と書かれていた。黄金の清水奉免へは水平道をそのまま進めば良いようであったが、草が茂っていた。右の道に進むと、尾根沿いの道になった。丸太の段々登りが続くようになった。急な登りの連続で息があがった。
 到着した室島城山の狭い山頂からは、周囲の展望が広がっていた。標柱に書かれた展望案内からは、弥彦山、守門岳、浅草岳、黒姫山が見えるようであった。城跡の由来については、次のように書かれていた。「<室島城の豆知識> 築城の年代は、慶弔年間(1596〜1615)に堀秀治の家臣、高倉勘解由が在城していたと言い伝えられている。しかし、遺構の規模や特徴から、おそらく戦国時代以前のもので、南北朝時代(1335〜1392)の築城ではないかと考えられる。」
 室島城山から下山して、この日の山歩きは充分ということになった。十日町のブックオフで時間をつぶし、小出に戻ってから温泉に入り、食料を買い込んだ。翌日は鳴沢山を登ることにして、夜を過ごすことのできる静かな場所を探した。
 鳴沢山は、冬も含めて何回も登っている山であるが、最近新しいコースが整備されたという情報が入ってきており、歩く必要があった。
 登山口は、昔からある古びた標柱が目印である。田圃を横切って山裾に進むと、林道を少し進んだ先で、明神コースの入り口になる。新しいコースの案内があるかと思ったが見当たらなかった。林道を少し進むと、右手に広場があり、鳴倉山登り口の標識が掲げられていた。突キ分ケコースという名前も書かれていた。頂上まで2時間と書かれていた。
 草の茂ったコンクリート橋で沢を渡り、その先の尾根末端部に取りついた。急な登りが始まった。刈り払い直後で道が固まっておらず、滑りやすい泥斜面に足元の注意が必要であった。しばらくは、急登に汗を流すことになった。
 ようやく傾斜が緩むと、尾根の合流点の台地に出た。鳴倉山の山頂も視界に入ってきたが、沢を巻きながらもうひと登りする必要があった。再び急な登りが続いた。
 東西に延びる尾根に出ると、山頂までは緩やかな登りになった。西の干溝方面からの道が開かれていないか興味があったのだが、残念ながら道は無かった。311.5m三角点から送電線までは道があるので、もうひと頑張りすれば道が繋がるのだが。積雪期に干溝方面から登ってみたいものである。
 パラグライダーの離陸台を見上げながらの登りになった。最後は林道に飛び出して、後はこれを辿ることになった。
 鳴倉山は、展望の山なのだが、山々の頂上部は雲に隠されていた。今回の目的は、新しいコースを確認することなので、今回は、これでよしとしよう。
 下りは、いつも歩いている明神コースを下った。つつじの尾根や十二山の神など、こちらの方が楽しみが多い。
 登山口近くの鳴倉大明神まで下ると、木の板に手書きされた案内図が置かれていた。ただ、突キ分ケコースを初めて下ろうとすると、林道からの下り口に案内図がないので、判りにくい。ともあれ、新しいコースも加わって、鳴倉山の魅力が増えたことは確かである。


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