夢見平、米山

夢見平
米山


【日時】 2013年5月24日(金)〜26日(日) 前夜発各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 25日:晴 26日:曇り

【山域】 妙高連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 夢見平・ゆめみだいら・1230m・なし・新潟県 
【コース】 乙見湖より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/妙高山
【ガイド】 夢見平:新潟ファミリー登山
【温泉】 杉ノ沢温泉苗名の湯 450円

【山域】 米山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 米山・よねやま・992.6m・一等三角点本点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岡野町、柿崎/越後野田、柿崎
【コース】 小村峠(払川道)コース
【ガイド】 越後の山旅(学生書房)

【時間記録】
5月24日(金) 14:30 新潟=(R.116、柏崎、R.8、直江津、R.18、妙高高原、杉野沢温泉 経由)=18:45 乙見湖  (車中泊)
5月25日(土) 7:18 乙見湖―8:57 林道分岐―9:13 地蔵桂〜10:45 発―10:58 林道分岐―12:00 夢見平〜12:10 発―12:56 乙見湖=(杉野沢温泉、妙高高原、R.18、直江津、R.8、柿崎、柿崎川ダム 経由)=16:00 小村峠  (車中泊)
5月26日(日) 4:55 小村峠―5:31 一本木―5:47 赤岩ダム眺湖台―6:54 791mピーク―7:37 熊野権現―8:04 米山〜8:10 発―8:32 熊野権現―9:10 791mピーク―10:19 赤岩ダム眺湖台―10:34 一本木―11:01 小村峠=(野田、R.353、柏崎、R.8、R.116 経由)=14:40 新潟
 夢見平は、妙高笹ヶ峰の乙見湖南岸に広がる台地にある湿原である。かつての森林伐採のためのトロッコ起動敷を利用した遊歩道が整備されている。春には、ミズバショウやニリンソウをはじめ多くの花に出会うことができる。

 米山は、越後の北陸道沿いにあって、日本海にその裾野を洗う独立峰である。街道あるいは海上よりその姿を良く眺めることができることから、古来、旅人や地元民の心に刻まれ、名山として親しまれてきた。民謡「三階節」の「米山さんから雲が出た」という文句でも知られている。地元の信仰厚き山で、山頂には米山薬師のお堂が置かれ、上越、中越の各町村では米山講が組織されていたという。

 初夏の花を愛でながら山歩きができる季節になった。夢見平はこれまで二回訪れているが、今年の雪融けの具合からすれば、丁度ミズバショウの盛りのように思えた。
 金曜日は、快晴であったので、ドライブがてら、下道を使って妙高に移動した。夕刻に笹ヶ峰に到着すると、黒姫山が赤く染まっていた。牧場周辺の雪もすっかり消えており、季節の移り変わりを感じずにはいられなかった。
 時間に余裕があったので、ゆっくりと出発することにした。朝のコーヒーを飲んでいると、ヘルメット姿の山菜取りのグループが歩き出していった。どこまで行くのやら。
 ダムの堰堤に進むと、青空をバックにした焼岳や金山の眺めが広がった。静かな湖面が鏡のように山の姿を映していた。堰堤先の階段登りでも、背後の山の眺めが気になって、写真を撮るために度々足を止めることになった。階段を登った上のテラスでは、いつものように残雪が残されていた。
 その先は、新緑を眺めながらの水平道が続いた。蓑池付近からは、遊歩道の周囲にミズバショウが見られるようになった。ニリンソウは、朝も早いので花が開ききっていなかったが、一番のお花畑の地蔵桂付近では満開になっているはずであった。花を眺めながらのんびり歩いた。このコースでの楽しみとして、シロバナエンレイソウを探しながら歩いたが、今回は見つけることができなかった。ツバメオモトやサンカヨウも咲き始めであった。
 短い周回コースのうさぎコースとの分岐を過ぎると、杉林の登りが始まる。残雪も現れるが、歩く者も少ないのか、足跡はかすかであった。台地を過ぎて緩やかに下っていくと、林道に飛び出す。地蔵桂と製材所跡との分岐になるが、以前は無かった避難小屋が建てられていた。トイレも設けられていて、遊歩道歩きのハイカーには利用価値があるが、避難小屋泊りとしてはどのような歩きを想定しているのだろうか。
 林道歩きで地蔵桂に向かうと、その手前からニリソウが群落状に咲いて、イチリンソウも見つけることができた。地蔵桂は、ニリンソウのお花畑を前景にして美しい姿を見せていた。
 時間もあったので、この先の林道がどのようなものか確かめることにした。しばらくは良い道が続いたが、次第に細くなっていった。橋で幾つかの沢を越していくと、乙妻山から北東に延びる尾根が氷沢川に落ち込むところで、ガレ場を抜ける踏み跡になった。氷沢川越しに佐渡山を眺めることができた。この山も課題であったが、今年もシーズンを逃してしまった。
 地蔵桂に戻って、お花畑を眺めながら昼食にした。分岐に戻って、製材所に向かった。この先は、軌道敷跡の平坦な道が続く。途中のハルニレの大木付近は、遊歩道周辺をニリンソウが彩るのだが、時期が早いのか、花は少なかった。
 登りになって尾根に上がると、その先で六美展望台に出た。三田原山が正面に広がるが、残雪もすっかり少なくなっていた。しょうぶ池分岐に出ると、そのまま水平道でウサギコースに出る道は通行止めになっていた。しょうぶ池に下ってから夢見平に向かった。
 夢見平に到着すると、期待通りにミズバショウが満開状態であった。ミズバショウのお花畑の向こうに広がる三田原山と相まって、絵になる風景であった。数組のハイカーが入れ替わりに訪れていたが、誰もいなくなる時もあった。花の盛りにもかかわらず、訪問者は少なめであった。
 遊歩道一周で結構足も草臥れて、登山口に戻った。
 翌日は米山に登ることにして、小村峠に向かった。柿崎で国道から分かれて内陸部に進むと、以前登ったことのある水野登山口の入り口に出たが、今回はこれを見送ってさらに進む。柿崎川ダムを過ぎると次第に高度を上げて山間に入っていった。
 上越市と柏崎市の境になる小村峠は、柏崎市側は急斜面になって、車道は九十九折を繰り返しながら下っていた。地図では、峠周辺に数軒の人家マークが記されているが、廃村になっており、倉庫状の建物が一軒あるだけであった。「越後の山旅」によれば峠村と呼ばれ、10戸の農家があったようである。峠の柏崎側に駐車スペースがあったので、ここに車を停めた。
 地図上では、登山道は枝分かれした車道を進んでから尾根に上がるように記されていたが、車道は私有地で進入禁止という標識があった。米山登山口の看板のある切り通し部から尾根に上がると、壊れたトイレや二十三夜の石碑、石仏があり、尾根沿いに山道が続いていた。登山口の取り付きが若干変わっているようであった。夕陽に照らされて麓の田圃や八石山を眺めながら、夜を迎えた。
 この時期、山菜採りがやたら早朝から動き出す。車の物音で目を覚まし、早い時間に登山を開始した。尾根沿いの進むと、一対の唐獅子と小さな石の祠が置かれた広場に出た。山道をひと登りすると、広場に出て、ここで地図で記されている車道が上がってきていた。谷間方面は、完全に藪に覆われていたが、尾根沿いにコンクリート舗装の道が続いていた。
 しばらく舗装された道を歩くと、尾根沿いの山道に変わった。車道は山腹を巻いていくように続いているようであったが、土砂崩れと藪で、入口は閉ざされていた。尾根沿いの一本登りが続くようになった。尾根沿いには雪崩防止柵が設置されており、時々その左右にコースを変えた。尾根の突き上げの一本木までは、昔は一ン坂と呼ばれたようである。 一本木は、どこがピークか判らないまま、コースを西に変えていった。幅広尾根に変わったのは良いが、残雪で覆われて、登山道の続きを見失わないように注意が必要になった。五月の連休に米山を登ろうかと計画していたものの、刈羽黒姫山から見て残雪が多いのを見て断念したが、正解であった。
 650m標高で、赤岩ダム眺湖台と書かれた小広場に出た。眼下に赤岩ダムを見下ろせ、良い休憩ポイントになっていたが、米山の山頂も見ることができた。米山の山頂は、尾根を巻いた先に遠く、その間に急坂を伴ったピークが待ち構えていた。山頂までは、かなり頑張る必要があった。
 残雪の中にたたずむブナの大木を眺めたりしながら進んでいくと、751mピークを越した先からは尾根が細くなり、へつり道も現れて足元に注意が必要になった。791mピークからは、標高差100m程の大下りになった。帰りはこの登り返しが難所になりそうで、大休止は、791mピークに戻ったところでとることにした。  再び急登が始まるが、これは二ノ坂と飛ばれる。これを登り切ると、谷根からの登山道が合わさる熊野神社の置かれた小ピークに到着した。残雪が広がっており、石碑のようなものがあるのかは判らなかった。谷根登山道もいずれ歩く必要があるので、その時に遺構の有無を確かめることにしよう。
 熊野神社の下りからは、米山の山頂が見えているが、三ノ坂と呼ばれる最後の急坂が待ち構えている。急坂の途中、要注意の残雪斜面トラバースも現れた。傾斜が緩んで細尾根に変わると、人声が近づいてきて、米山の山頂に到着した。まだ早い時間にもかかわらず、大勢の登山者で賑わっていた。山頂の避難小屋の中は、話し声が響きあってうるさく、中に入る気を失わせた。日本海の眺めも広がっていたが、今回は、登ってきた尾根に目が引かれた。
 人声に追われるように、山頂を後にした。予定通りに791mピークに戻ったところで大休止にした。展望は閉ざされていたが、周囲の新緑が気持ちを慰めてくれた。
 下りは、登り以上に登山道を見失わないように注意が必要であった。途中、山菜採りらしい軽装の者と、5名の登山グループとすれ違った。小村峠コースは、利用者がいるといっても、日に数組のようで、少々もったいなく感じがした。
 米山の残る谷根コースと吉尾コースも歩く必要があり、今後の課題となった。


山行目次に戻る
表紙に戻る