奥山

奥山


【日時】 2013年3月9日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 朝日連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 奥山(虚空蔵峰)・おくやま(こくぞうみね)・629.4m・三等三角形・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/越後下関
【コース】 干刈より
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:40 新潟発=(R.7、新発田、R.290、宮前、中束 経由)=8:05 干刈〜8:25 発―9:51 中束分岐―10:28 奥山〜10:45 発―11:20 中束分岐―12:13 干刈=(往路を戻る)=14:05 新潟
 光兎山は、飯豊連峰と朝日連峰を分ける荒川のほとりに広がる荒川峡温泉郷の奧にそびえる山で、きれいなピラミッド形の山頂を持っている。修験道の山であり、女人禁制が解かれたのは、昭和24年の高岳連の登山大会の時であったという。奥山は、光兎山に至る登山道途中のピークで、虚空蔵峰とも呼ばれ、祠も置かれている。

 奥山は、ここのところ計画をしていたものの、悪天候によって延ばし延ばしになっていた。雪の状態もそろそろ締まってきており、スノーシュー歩きが楽しめるはずである。
 奥山は光兎山への登山道の途中にあるピークである。これまで光兎山へは、中束集落手前の林道に進んだ先の登山口から歩き出していた。林道に車が乗り入れないとなると距離が長くなるため、干刈から歩き出すことにした。干刈からの夏道は歩いたことがないが、地形的には、枝尾根を辿ればよく、コースははっきりしている。
 干刈までは、二車線幅の車道が整備されており、橋を渡った先からは細くなっていた。橋を渡った先に光兎山登山口の標識が置かれていた。高みにある民家に向かって道路の除雪がされていたが、駐車スペースがあるのか判らなかったので、道路幅のある橋のたもとに車を停めた。
 ひとまず、スノーシューをザックにくくりつけて歩き出した。坂道をひと登りした所の民家の入り口先で、除雪は終わっていた。2mほどの壁を乗り越えて雪原に立ち、スノーシューを履いた。
 雪は締まっていたが、林道の日当たりの良いところでは、雪が柔らかくなって足が取られた。林道を辿り、右に大きくカーブするところで、左手の尾根に取りついた。地形図に書かれている破線は、一旦北側に回り込んでから尾根に戻ってくるように続いているが、すぐに尾根に取りついた方が距離が短い。杉林の中をひと登りすると、光兎山の登山標識が置かれていた。実際の夏道は、地形図の破線と違っているようである。
 コースに乗って、後は登りを頑張るだけになった。地形図で予想していた通り、スノーシュー向けのほどほどの傾斜の登りが続いた。傾斜が緩やかになって、中束方面からの登山道の合流点かと思ったが、まだまだ先は長かった。高さを増すと、杉の植林地からブナも交じる雑木林に変わっていった。
 458mの小さな高まりを過ぎると、中束からの登山道に合流した。先行者はいないだろうという予想に反し、わかんの足跡が続いていた。分岐から先も、ほどほどの傾斜の登りが続いた。登りを続けていると、単独行が歩いているのが見えてきた。急坂を越えた所で休んだところで、追い越した。
 虚空蔵峰とも呼ばれる奥山の山頂は、緩やかに伸びる尾根の高まりである。木立に囲まれた雪原の中に石の祠が頭を出していた。光兎山方面に進んだところの眺めの良い所に腰を下ろして休んだ。観音峰まで足を延ばそうかと思っていたが、虚空蔵峰よりも低いのを見て、ここを今日の山頂とすることにした。観音峰の先は細尾根となり、雷峰への尾根は傾斜を増していた。光兎山の山頂は、さらにその奥なので、まだ遠かった。
 休んでいると、追い越した単独行が到着し、そのまま先に進んでいった。大きなザックを背負っており、ピッケルにわかん装備であった。1泊で光兎山の先の頭巾山を目指しているのであろうか。翌日にかけての天候は、土曜日は午後から晴れたものの、日曜日は雨になった。どこまで行けたのであろうか。
 展望を楽しんだ後に下山に移った。登りは一本尾根のように思えたが、下りは尾根が分かれて、分岐で立ち止まってコースを確かめる必要も出てきた。
 奥山は、雪が少ししまった時期のスノーシュー歩きには良いコースであるので、この季節の山のリストに入れておこう。

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