要害山

要害山


【日時】 2013年3月3日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雪

【山域】 朴坂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名 
 のろし山・のろしやま・200m・なし・新潟県
 物見山・ものみやま・240m・なし・新潟県
 要害山・ようがいさん・281m・なし・新潟県
【コース】 平林城跡より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/坂町
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:50 新潟=(R.7、新発田、R.290、R.7 経由)=8:05 平林城跡登山口〜8:35 発―9:21 首切り清水―9:38 のろし山―9:55 物見山―10:06 要害山〜10:15 発―10:25 首切り清水―10:58 平林城跡入口=(往路を戻る)=12:20 新潟
 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在も土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。

 ベトナム旅行から戻って、山に励もうと思ったものの、週末は冬型が強まった。北海道ではホワイトアウトになって、車が立ち往生して死者も続出する騒ぎになった。新潟の天候は、それほど悪くはなかったものの、風が強く土曜日の山は止めた。日曜日は山を登らなくてはということで、光兎山への登山道途中にある奥山まで歩くことにして家を出た。
 郊外は本格的な降雪になっており、新発田からR.290に入ると、道路も圧雪状態になってしまった。奥山は諦めて、R.7に戻って、目的地も要害山に変更した。
 要害山登山口の平林城跡への車道は、10センチ程の積雪で覆われて、田圃の中の吹きさらしによって吹き溜まりもできていたことから、少し手前で車を停めて歩くことにした。 杉林の広がる平林城跡内に進むと、車道上よりも雪は少なくなった。スノーシューを背負ってつぼ足で歩いていくと、馬洗場の手前で雪も深くなって、スノーシューを履くことになった。古いトレースも見られ、週末には登山者が歩いているようである。雪も締まって歩きやすくなっていた。
 ひと汗かいて首洗清水に出たところで、のろし山経由で登ることにした。夏道は急斜面のトラバースが続くので、のろし山が頭上に迫ったところで、窪地を登って尾根上をめざす。上部で傾斜が増すが、雪の状態も良いため、それほど苦労もしないで尾根上に出ることができた。
 右手に曲がると、すぐ先でのろし山に到着する。坂町市街地や日本海を眺めることができる展望ピークである。雪雲が高坪山にかかっており、内陸部の天気は悪いようであった。
 尾根沿いに登っていくと、物見山に到着する。ここでも少し高度感を増した展望を楽しむことができる。登りは、山頂の南に回り込む登山道を辿ることにした。急斜面のトラバースも短い距離で現れるが、スノーシュー歯を利かせながら通過した。最後に雪原を直登すると、要害山の本丸跡に到着した。以前あったプレハブの山小屋は、強風で吹き飛ばされてなくなっているのは残念なことである。
 山頂からは嶽薬師のピラミッド型の山頂がひと際目をひいていた。のろし山や物見山も見下ろすことができる。単独行が登ってきたのと入れ違いに下山に移った。
 夏道を下っていくと、急斜面のトラバースが現れるので、尾根沿いに藪を通過すると、すぐ下で物見山分岐に出る。その下からは、雪原を一気に下ることになる。その後は、夏道を辿り、首洗清水経由で戻ることになる。要害山は、標高は低いながら、各所で展望が開けており、手頃な雪山として楽しむことができる。

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