栗駒山、駒ヶ岳、物見山、黒森山・御嶽山、高戸屋山、諏訪峠・跳山

栗駒山
駒ヶ岳、物見山
黒森山・御嶽山
高戸屋山、諏訪峠・跳山


【日時】 2012年8月10日(金)〜14日(火) 前夜発四泊四日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 11日:晴後曇り 12日:曇り 13日:曇り 14日:曇り

【山域】 栗駒山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 栗駒山・くりこまやま・1627.4m・一等三角点本点・岩手県、宮城県
【コース】 湯浜温泉より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新荘/秋の宮/桂沢、栗駒山
【ガイド】 山と高原地図「栗駒・早池峰」(昭文社
【温泉】 須川温泉・須川高原温泉 600円

【山域】 焼石山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 駒ヶ岳・こまがたけ・1129.8m・二等三角点・岩手県
【コース】 金ヶ崎登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新荘/川尻/夏油温泉
【ガイド】 新・分県登山ガイド「岩手県の山」(山と渓谷社)

【山域】 北上山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 物見山・ものみやま・870.6m・一等三角点本点・岩手県
【コース】 種山ヶ原より
【地形図 20万/5万/2.5万】 一関/人首/種山ヶ原
【ガイド】 分県登山ガイド「岩手県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 遊林ランド種山 400円

【山域】 真昼山地周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 黒森山・くろもりやま・763.4m・一等三角点補点・秋田県
 御嶽山・みたけさん・751m・なし・秋田県
【コース】 黒森峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 秋田/六郷/左草、金沢本町
【ガイド】 新・分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 天童最上川温泉ゆぴあ 300円

【山域】 置賜
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 高戸屋山・たかとやさん・368.2m・二等三角点・山形県
【コース】 川西ダリア園より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台、福島/赤湯、米沢/羽前小松、米沢北部
【ガイド】 なし

【山域】 置賜
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 諏訪峠・すわとうげ・300m・なし・山形県
 跳山・ながめやま・324.7m・三等三角点・山形県
【コース】 諏訪峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/赤湯/羽前小松
【ガイド】 なし

【時間記録】 8月10日(金) 12:40 新潟=(R.7、新発田、三日市、R.290、大島、R.113、白石IC、東北自動車道、築館IC、R.4、R.398 経由)=19:30 湯浜登山口  (車中泊)
8月11日(土) 5:40 湯浜登山口―5:54 湯浜温泉―6:43 古道の森コース分岐―9:00 虚空蔵十字路―9:43 天狗平―10:00 栗駒山〜10:18 発―10:35 天狗平―11:16 虚空蔵十字路―13:18 古道の森コース分岐〜13:25 発―14:10 湯浜温泉―14:20 湯浜登山口=(R.398、須川温泉、R.342、衣川、金ヶ崎 経由)=17:00 うがい清水登山口  (車中泊)
8月12日(日) 5:40 うがい清水―6:17 三角点―6:51 下の賽の河原―7:03 上の賽の河原―7:24 駒ヶ岳〜7:35 発―7:47 上の賽の河原―7:54 下の賽の河原―8:16 三角点―8:43 うがい清水=(水沢、R.397、種山ヶ原 経由)=10:21 山頂下駐車場―10:36 物見山―10:52 山頂下駐車場=(種山ヶ原、R.397、R.342、真人、六郷、町民の森 経由)=17:00 黒森峠
8月13日(月) 6:36 黒森峠―6:51 御嶽山分岐―6:57 黒森山〜7:00 発―7:08 御嶽山分岐―7:26 748mピーク―7:47 御嶽山―8:05 748mピーク―8:27 御嶽山分岐―8:36 黒森山=(町民の森、六郷、R.13 経由)=16:00 赤湯  (車中泊)
8月14日(火) 7:05 川西ダリヤ園―8:00 高戸屋山―8:52 東登山口―8:58 川西ダリヤ園=9:16 諏訪峠口―9:26 諏訪峠アンテナ―9:40 跳山―9:56 諏訪峠口=(R.113、大島、R.290、三日市、新発田、R.7 経由)=12:30 新潟
 栗駒山は、秋田、岩手、宮城の三県にまたがる独立峰である。高山植物に彩られ、山麓には多くの温泉が点在していることから人気の高い山になっている。2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震は、栗駒山を中心にした山体崩壊や土砂崩れを起こし、アクセス道路の崩壊によって登山もできなくなっていた。最近はようやく復旧も進んできている。

 駒ヶ岳は、経塚山と牛形山と共に夏油三山に数えられる山で、露天風呂で有名な夏油温泉背後の山である。山頂には、駒形神社の奥宮が置かれ、古くから信仰の山とされてきたという。
 物見山は、宮沢賢治の創作舞台であった種山ヶ原の中心に位置するピークである。種山ヶ原一帯は放牧地として利用されてきており、最近ではキャンプ場も設けられている。

 黒森山と御嶽山は、真昼山地の南部に位置する、横手市と美郷町の市街地を見下ろす山である。黒森山は黒森神社、御嶽山は塩湯彦神社が山頂に置かれている。両山にはそれぞれ登山道が整備され、二つの山も登山道によって結ばれている。

 高戸屋山は、川西ダリア園の背後にたたずむ山である。一般登山ガイドには紹介されていないが、遊歩道が整備されている。

 諏訪峠は、旧越後米沢街道十三峠のうち、米沢側の最初の峠である。現在は、車道の開設によって、旧峠は判らなくなっている。眺山は諏訪峠の脇にあるピークで、直下を東北自然歩道が通過している。

 お盆休みになったが、どの山に行くか迷うことになった。テント泊でもと思うが、混雑を思うと気がひけてしまう。結局、天気予報で雨が降るようなので、テント泊はあきらめて東北の山を回ることにした。高速の深夜割引を使うには、0時を過ぎてから高速を下りる必要があり、翌日の山の早起きが辛いものになる。夕方の通勤割引を使うコースを考えると、東北自動車道の白石ICから築館ICが100km以内の適用範囲で、これを使えば、栗駒山の登山口に早い時間に到着できることが判った。栗駒山は、かがみ平と須川登山口から登っているので、今回はまだ歩いていない湯浜コースから入ることにした。
 新潟から赤湯までは、毎度お馴染みの道である。いつもは、ここから山形を目指すのだが、今回は高畠から白川に向かった。ドライブしやすい道が整備されているが、峠越えの標高差はある。東北自動車道に入ると、仙台付近で夕方の通勤客のために混雑気味であったものの、お盆の帰省客はまだ到着していなかった。
 築館からは、先日を訪れた花山湖を通り抜けて、国道398号線を先に進んだ。花山温泉を過ぎると、高度を一気に上げていく道に変わった。湯浜コース登山口は、「湯浜温泉」と書かれた幟が立てられていたので、すぐに判った。登山口の脇には、広い駐車スペースが設けられていた。
 翌朝は、ロングコースのために早立ちした。母沢に向かっての下りで始まった。登山だけなら登り返しも問題のない高低差ではあるが、湯浜温泉で入浴後に登り返すには、また汗がふきでることになりそうである。コンクリート製の橋を渡った後に、下流方向に向かう。橋の下流部は、美しい滝になっていた。登山道脇には、温泉がわき出ているのか、硫黄臭が漂っていた。
 湯浜温泉は、山小屋風の新しい建物であった。以前の地震で被害を受けて建て替えられたのかもしれない。建物の前庭を突っ切った先から登山道が始まっていた。ひと登りした所にお堂があり、これが役の行者堂のようであった。九十九折の登りになった。道はしっかりしていたが、倒木があり、この先が心配になった。
 ひと登りすると、緩やかな登りになった。幅広尾根を進むと、下りになって白桧沢の渡渉になった。飛び石伝いに問題なく渡ることができた。再び緩やかな登りが続くようになった。登山道周囲には、見事なブナの原生林が広がっていた。
 古道の森分岐に到着して、古道の森コース方面の登山道の状態を確認した。道型はしっかりしているものの、笹が倒れこんでいた。登山口に置かれた案内では、大地森コースの下半分の河原小屋沢林道区間は通行できないようであった。帰りには、大地森コースを下ってから古道の森コースでこの分岐に戻ることも考えていたのだが、登山者も少ないようで、藪が濃くなっている可能性も高いように思われた。今回は無理をしないで、湯浜コースを往復することにした。
 分岐から先も、ブナの原生林の登りが長く続いた。途中で少し傾斜が増すと、登山道に石が露出するようになった。次第に、笹が登山道に倒れこむようになってきた。このコースは、登山者よりも、山菜やキノコ採りで入山する者が多いため、奥に進むにつれて登山道も荒れ気味になってきたようである。
 特徴のない地形の中の登りは、根気が必要になる。標高1300m付近で湿原に飛び出して、ひと息付くことができた。正面右寄りには虚空蔵山のピークを望むことができたが、栗駒山の山頂はまだ遠く、見ることはできなかった。湿原には木道も敷かれ、開放感にひたることができた。キンコウカの黄色い花が、湿原を彩っていた。秘密の花園といった感じであった。登山道は沢を横断しており、下山時には、この水を飲んで元気を取り戻すことができた。右にトラバース気味に登っていくと、虚空蔵山の北側に回り込むことができた。御室と栗駒山頂への道が分かれるT字路になっていたが、登山地図には、虚空蔵山十字路と書かれている。虚空蔵山方面への道があったのかもしれないが、藪が濃くて道型は確かめられなかった。
 この先は、灌木帯の登りになった。緩やかに登っていくと、登山道脇の溝が深くなっていき、身の丈を越える深さになった。藪に阻まれて、この溝を飛び越えることになって、この通過には、足場や手がかりの確保に少し苦労した。
 御室方面からの登山道が合わさると、トラバース道に変わった。天狗平の登山標識も見えるようになったが、藪を掻き分けながらの歩きになった。御沢コースは通行不可のために、この区間を歩く者も少なくなっているようである。
 ようやく天狗平に到着すると、この先は、目をつぶっても歩けるかと思われる道になった。登山者にも出会うようになった。栗駒山が人気の山といっても、結局、湯浜コースでは誰にも会わなかった。
 周囲の展望を楽しみながら登っていくと、栗駒山の山頂に到着した。他の登山者も休んでいたが、以前に訪れた際の大混雑といった雰囲気ではなかった。震災の影響で、東北の山の登山者は少なくなっているようである。
 下りもたっぷりと歩く必要があるため、山頂でのビールも解禁になった。山頂からは、かがみ平の駐車場も見下ろすことができたが、早くもガスが流れて見え隠れするようになっていた。この日の天気予報では、午後は下り坂になるようなので、そうのんびりするわけにもいかないようであった。
 展望やツリガネニンジンの花の写真を撮りながら天狗平に戻った後は、再び孤独な歩きが続いた。
 気を抜けば道を見失いかねない緊張の歩きも、下るにつれて次第に道はしっかりしてきた。古道の森分岐に到着してひと息入れていると、雨がぱらついてきてしまった。傘をザックの中の取り出しやすいところに置き、ザックカバーをしたが、衣類の方は汗や泥まみれで、雨具を着る必要もなくなっていた。幸い、雨も本降りにはならず、そのまま歩き続けることができた。
 温泉小屋を過ぎて、最後の坂を登ると、車に戻ることができた。登山の後片付けを終えて、温泉をどうするか迷うことになった。湯浜温泉は、坂のためにやはり面倒に思われた。車を走らせれば、須川温泉も遠くない距離であった。翌日の山をどうするか決めていないので、岩手と秋田県堺の須川温泉に向かうことにした。
 須川高原温泉は、緑がかった乳白色の湯で、一級品の温泉である。入浴客も少なく、ゆっくりと温泉にひたることができた。
 温泉に入った後で、翌日の予定を考えた。天気は曇り後雨になりそうであった。時間のかからない山ということで、駒ヶ岳と物見山を登ることにした。
 駒ヶ岳は、2004年8月に夏油温泉から登っているのだが、最近のメインコースは、東の金ヶ崎側に変わっているようで、分県登山ガイド「岩手県の山」でも、旧版は夏油温泉コースであったものが、新版では金ヶ崎側からのコースの紹介に変わっている。
 国道342号線で山を下った後は、一般道を使って金ヶ崎に向かうことになった。田圃の中をぬって走る道で、お盆の渋滞も関係なく走ることができた。国道397号線を横断して県道花巻衣川線を進むと、駒ヶ岳登山口の標識が現れた。登山口までは5kmとも書かれていた。牧場の脇をかすめると、一直線の道が西に向かって続いた。舗装道路が続いたが、一車線幅になった。
 駒ヶ岳登山道の大きな案内板が現れ、その脇に広い駐車場が設けられていた。林道は、その先で鎖が掛けられていたので、行き過ぎる心配はない。山奥の駐車場とあって、静かに夜を過ごすことができた。
 駐車場から緩やかに下っていく道があり、その先には鳥居が置かれ、その先に清水が湧いているのが、うがい清水であった。駒ヶ岳への登山道は、その手前から始まっていた。登山届のポストが置かれており、中に案内パンフレットが置かれていた。
 登山道は、緩やかな登りで始まった。登山道の右手には、美しいブナ林が広がっていた。林の下生えも少なく見通しがきいていた。登山口近くのブナ林であることから、山菜やキノコ採りで入山する者も多そうであった。登山道の周りにカラ松の植林が見られると、傾斜も少し増した。坂の途中に四等三角点が置かれた小広場があり、一息ついた。
 再び、緩やかな登りが続いた。傾斜に惑わされて早いペースのままに歩き続けたため、汗がしたたり落ちるようになった。
 かなり登って山頂ももうすぐかと思ったところで、下賽の河原に到着した。小広場に石積みが置かれていた。さらに尾根道を辿ると、石積みが置かれた上賽の河原に到着した。広場からはお堂が置かれた駒ヶ岳の山頂を望むことができた。尾根を巻いた先で、まだまだ遠くにあった。
 その先で小ピークを越え、尾根道をしばらく辿ると、山頂への急坂が始まった。コース一番の急坂が最後にあるため、足が弱いと辛い思いをすることになりそうであった。幸い、標高差70mほどの登りで山頂に到着した。
 駒ヶ岳の山頂では、登りついた小広場に三角点が置かれ、その先に駒形神社奥宮のお堂が置かれていた。山頂からは経塚山が高く聳え、その背後に焼石山が広がっていた。西には、牛形山が荒々しい崩壊地を見せていた。雲は無かったが、気温が高くて遠望が利かないのは残念であった。お堂の縁側や置かれたブロックで、腰を下ろして休みには良い山頂になっていた。
 下りの途中には、二組の登山者と出会って、良く登られているコースであることが判った。
 続いて、種山ヶ原に向かった。目的の物見山は、分県登山ガイド「岩手県の山」の旧版には取り上げられているが、新版では除かれてしまっている。調べてみると、山麓一帯の開発が進んで、さほど歩くこともなく山頂に達することができるようになってしまっているようであった。ただ、一等三角点ピークとあっては、物見山には登ってみる必要がある。
 種山ヶ原は、北上山地の中心部にあるが、快適な道が続いた。種山ヶ原に到着して、まずは道の駅に入って、種山ヶ原に関するパンフレットを手に入れた。イラストマップを見ると、何本もの遊歩道が開かれているようであったが、キャンプ場の星座の森を経由して、山頂下まで車で入れそうなことが判った。麓の遊林ランド種山から歩くことも考えていたが、車で山頂近くまで入ることにした。車を動かす前に、道の駅に置かれた宮沢賢治作「種山ヶ原」の碑を見物した。種山ヶ原は、宮沢賢治の短歌,詩、童話に登場するという。ただ、種山ヶ原の知名度は高くないのか、この碑の前で記念写真を撮っている観光客はいなかった。
 案内に従って、星座の森に向かった。舗装道路であるが、車のすれ違い注意の細い場所もあった。一気に高度を上げると、嫋やかに広がる高原の上に出た。星座の森に到着してみると、前方に物見山の高まりが見えてきた。車道はさらに続いていたので、先に進んだ。雨量観測ドームへの管理道入口の前で車道は左に曲がり、その先で物見山登山道の入り口になった。車両基地のようなコンクリート敷きの広場があったので、ここから歩き出すことになった。
 未舗装の車道を登っていくと、すぐ先で広場に出て、ここからが登山道の始まりになった。岩をかすめて登っていくと、東屋の置かれた台地の縁に出た。振り返ると、なだらかに起伏する種山牧場の眺めが広がっていた。
 緩やかに登っていくと、右手から水平に伸びてきた道が合わさった。その先で山頂の一郭に到着し、雨量観測のレーダー・ドームと最高点が目に入ってきた。露出した岩の脇を抜けると、物見山の山頂に到着した。なだらかな地形が広がっているが、山頂からは360度の眺めが広がっていた。牧歌的といって良い眺めであった。
 帰りは、レーダー・ドームの管理道を下った後に、水平に伸びる遊歩道を通って、登ってきた道に戻った。
 山頂近くまで車で入ったため、物見山は簡単に済ませてしまったが、この日の山は、これで終わりにすることにした。山を下る途中、星座の森によると、キャンプ場になった広場の真ん中に、風の又三郎の銅像が立っていた。詩の碑よりも、こちらの方が一般受けしそうである。
 麓の温泉に入ってさっぱりして、翌日の山のために秋田県側に移動することにした。水沢に戻り、国道397号線を西に向かった。この道は、焼石岳の山裾を通過している。以前訪れた時よりも、石淵ダムの建設も進んでおり、快適な道路が整備されていた。つぼ沼コースの入り口を確認する頃には、豪雨が始まり、しばらく車を停めて休憩することになった。まだ歩いていない東成瀬コースを歩こうかと思ったものの、西日本では集中豪雨になっているようで、翌日も天気が良くなさそうなので、簡単な山を考えることになった。
 結局、一等三角点巡りの続きということで、横手近くの黒森山を登ることにした。黒森山と御嶽山は登山道で結ばれて、どちらからでも登れるようであったが、車でのアプローチのよさそうな黒森峠から登ることにした。その後、雨は一旦止んだが、翌日の雨の可能性は高そうであった。
 六郷ダムを過ぎるとカーブの連続になったが、県道ということで、ドライブには問題なかった。黒森峠に到着して登山口を確認したが、駐車スペースは狭かったので、少し戻った展望広場に車を停めて寝た。日が暮れると横手の町明かりが眼下に広がるようになった。
 翌朝は、曇り空で、登山に支障はない状態であった。もう少し本格的な山を選ぶべきであったかと少し後悔した。
 黒森山の登山口は、峠部の少し手前にある。登山口には登山案内、一段上に木の鳥居が置かれていた。ひと登りで、車道による切通しの上に出た。尾根沿いの登りも僅かで、ほぼ平坦な道に変わった。
 直進すれば御嶽山、右に曲がれば黒森山に至るT字路に出て、まず黒森山に向かった。台地状の林を抜けてひと登りすると黒森山の山頂に到着した。山頂は、刈り払いの広場になっており、横手や周囲の山並みの眺めが広がっていた。展望台の櫓があったが、崩れかかって立ち入り禁止状態になっていた。入口に鳥居が置かれ、透明な波板が張られた小屋があり、中は休憩場になって奥に黒森神社のお堂が置かれていた。
 T字路に戻って、御嶽山に戻った。台地の縁に出ると、緩やかな起伏でつながる748m中間ピークと御嶽山の眺めが広がった。
 ロープも固定された急斜面の下りになった。登山道に草が倒れこんでおり、掻き分けて進むと、たちまきずぶ濡れになってしまった。748m中間ピーク一帯は、伐採地がそのまま放置されたようであった。748m中間ピークに上がると、御嶽山は目の前に迫り、山頂のお堂も見えるようになった。
 748m中間ピークから下った鞍部には小さな池があった。その先で、林道跡と思われる幅広の登山道に変わった。周囲には、ブナ林も広がるようになった。神社の所有地ということで伐採がまぬがれたのであろうか。
 緩やかに登っていくと、塩湯彦神社のお堂が置かれた山頂に到着した。由緒ある神社のようで、大きなお堂が建てられていた。  来た道を戻る途中、さらに濡れて、靴の中にも水がたまるようになった。
 車に戻った時には登山の意欲を失い、この日の山は終わりにして、新潟に近づくことにした。翌日の山は、月山か蔵王連峰あたりにして、後で決めることにした。山形県に入ると、本降りの雨になった。天気予報を聞くと、翌日の午前中まで雨が続くようであった。事前の計画のうち、悪天候の際の最後の候補と思っていた高戸屋山に登ることにした。
 赤湯近くで夜を過ごしたが、夜中まで雷が鳴り続けた。幸い、朝になると雨は止んでいた。
 高戸屋山の登山道は一般には知られていないが、ネットによれば、川西ダリヤ園を起点として整備されているようであった。川西ダリヤ園は、名前は知っていたが、これまで訪れたことはなかった。川西ダリヤ園の駐車場の隣に温泉施設の「浴浴センターまどか」があり、そこから始まる林道の入り口に「内山沢遊歩道案内」の掲示板が置かれていた。内山沢堤を中心に馬蹄形に稜線が取り巻いており、その稜線沿いに登山道が整備されている。東登山口と西登山口の二つがあるが、駐車場に近い西登山口から歩き始めることにした。
 内山沢堤に至る車道を進むと、すぐに右手に登山道が分かれた。地元向けのスキー場の脇の尾根を登り切ると、その先は緩やかな稜線歩きになった。小さなアップダウンがあるものの、ほぼ平坦な道であったが、高鳥屋山の山頂までは3kmあり、それなりに体力は必要であった。途中、数か所には、山頂までの距離を示す標識も置かれていた。
 左手の谷間に内山沢堤が見下ろされると、前方に高鳥屋山の山頂が迫ってきた。高鳥屋山の山頂下で、迂回路と直登コースが分かれた。コース一番の急坂を登り切ると、高鳥屋山の山頂に到着した。台地状の山頂には、アンテナ施設が置かれていた。下り口に進むと、展望が広がった。朝日連峰方面の眺めが広がっているようであったが、雲が低く垂れ込めて、山の眺めは閉ざされていた。
 東登山口に至る後半の登山道も幅広の良い道が続いた。こちらの方が良く歩かれているようで、ぬかるんだ登山道に足跡や自転車の轍が刻まれていた。こちらの稜線も小さなアップダウンがあるものの、快適に歩くことができた。
 最後に尾根を左にはずして赤松林の中をジグザグに下ると、川西ダリア園の脇に下り立った。園内をのぞくことができたが、ダリアの最盛期も過ぎているようで、花もまばらになっていた。ダイア園の入場は、別の機会ということにした。
 新潟に戻る途中、もうひと頑張りして諏訪峠に寄っていくことにした。川西から国道290号線に出る手前に諏訪峠がある。現在は、幅広の車道が通じているが、最高点の少し手前に旧越後米沢街道十三峠の案内板が置かれていた。この案内板には、イザベラバードが歩いた道という説明も書かれている。十三峠は必ずしも定まっていないが、ここでは、諏訪峠、宇津峠、大久保峠、才ノ頭峠、桜峠、黒沢峠、貝淵峠、高鼻峠、朴ノ木峠、萱野峠、大里峠、榎峠、鷹巣峠と書かれていた。
 案内板の周囲には諏訪峠と書かれた幟が立てられていた。諏訪峠は車道の整備によって消滅してしまったかと思ったのだが、車道向かいの切り通しの上に「諏訪峠 古道入口」と書かれた標柱が置かれているのが目に留まった。切り通しを上がることができなかったので、峠の最高点まで進んでから、車道脇の道を戻った。
 「諏訪峠 古道入口」の脇からは、木の段々が設けられていたが、すでに朽ちかけており、草に覆われていた。道型も見られたが、すぐに藪になった。テープが連続的に取り付けられていたので、軽い藪を進んでいくと、アンテナ施設に出た。ここが昔の諏訪峠であったかは判らない。
 管理道を下っていくと、牧場地の脇に出た。峠の北側は牧場地になっているため、旧道は完全に無くなっているようであった。
 車道を東に進んで眺山によっていくことにした。車道から分かれる管理道をひと登りするとNHKのアンテナ施設があり、その背後に三角点を見つけることができた。ともあれ、登頂リストに一山を加えることができた。
 峠越えの車道に戻る途中、展望台が設けられていた。このルートは、東北自然歩道「新奥の細道」の一部になっているようである。「眺山とダリや園を辿るみち」ということでルート設定されているが、一般公共機関による交通手段を考慮していない自然歩道は、設定したものの利用者はいないお役所仕事といえる。この展望台からは眺山という名前にふさわしい長井や朝日連峰方面の眺めが広がっていた。
 時間は早かったが、道路が混みあう前に早めに家に戻ることにした。

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